雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

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 旧237話のリメイクです。


宣戦布告

 湿地帯から帰還した《特務支援課》を待ち受けていたのは、凶報だった。それはマインツ鉱山町の襲撃、占領というショッキングなニュース。それに加え、クロスベル市内から《赤い星座》が消えたと聞けばランディが冷静でいられなくなるのも道理ではあった。犯行グループが《赤い星座》であるのは明白だったからだ。ただ、ランディがそれを大袈裟に見せることはなかったのだが。

 彼はいつも通りに振る舞い、いつも通りに周囲を茶化してムードメーカーの役割を果たしていた。その内心では、荒れ狂う自身を抑えるのに必死だったが。怒りがある一点を通り過ぎると激情のまま動くのではなく、一周回って冷静になれるという。ある意味その状態に陥っていたランディに、誰も気づくことが出来なかった。気付けるわけがなかった。それは《特務支援課》にとって必要な通過儀礼なのだから。

 故にロイド達はランディが今にも駆けつけるなどということは考えていないと判断したのだろうが――アルシェムは違った。ランディは必ず《赤い星座》に突っ込んでいく。それだけは確定事項だった。そのことを、身に染みて知っていた。他でもない□□□からもたらされた情報によって。それを鵜呑みにするわけではない。だが、行動を制限されるということは間違いなくそれが起きるのだろうと理解していたのだ。

そして、それは一つのターニングポイントでもある。だからこそアルシェムは、ランディを行かせたくはなかった。どうせ行くのだろうと知ってはいても、どうせ行っても無事に帰ってくるのだと知っていても。多少ではあっても、『仲間』であったから。情が湧いたと言われればそうなのだろう。いつもならば切って捨てるような絆でも、感傷的になっている今は大切にしたかった。

 ランディの行動に、明日に備えて休むことにしていたロイド達は寝てしまっていて気づかない。故にアルシェムが止めるのだ。『□□□の知っている歴史』とは違い、ここに『ワジ・ヘミスフィア』はいないのだから。彼に声をかける人物が必要なのは明白であり、その役が割り振られるのはアルシェム以外にはありえなかった。故にそれを利用するのだ。

 二時間ほど仮眠を取り、部屋を抜け出したランディは正面玄関から出た時、不意に気付いた。

「……何で起きてんだよ」

 いつもの格好で空を見上げ、まだ湯気の立つコーヒーを持っているアルシェムがそこにいる。よく見れば足もとに保温機能付きの水筒が置いてあり、かなり長い間その場で待ち受けていたことが見て取れる。つまりは、ランディの行動はアルシェムに読まれていたということだ。そう察して気まずい顔になるのも無理はないだろう。もっとも、彼女が知っていたのは□□□に命じられたからだが。

 空の月から目を逸らし、ランディを見たアルシェムは静かに告げる。

「何でって……そうだね、確認したいことがあるから」

「行くのかっていう野暮な質問はなしだぜ。見りゃわかるだろ」

 吐き捨てるようにそういうランディの姿は、どう見ても既に『ランディ・オルランド』から逸脱せんとしていた。そこにいるのは少し腑抜けた《闘神の息子》ランドルフ・オルランド。それが必要なことであるとはいえ、許容できるわけではない□□□からの干渉はたやすくアルシェムに波及する。それは『ランドルフ』を『ランディ』に押し込めるための作業だ。

 □□□は認めない。『《闘神の息子》ランドルフ・オルランド』を。彼女にとってランディはあくまでも『《特務支援課》のランディ・オルランド』なのだから当然だ。『《特務支援課》のランディ・オルランド』から逸脱するような行動を赦せるわけがない。それから逸脱すれば、そのランディは最早□□□の望む『《特務支援課》のランディ・オルランド』ではないのだから。

 その不快な思考を切り離しながら、アルシェムは問うた。

「それは分かってる。死ににいくんじゃないよね?」

「……出来たら死にたくはねぇな。だがな、それ以外に手段がないなら仕方ない。アレは俺が止めないといけないんだよ。……分かるだろ? 奴らがああいう行動に出た原因の一つは、多分俺だ」

 それは悲壮な決意を固めた戦士の顔ですらなかった。ただ、死を覚悟した透明な意志。相打ちであったのだとしても、ランディは必ず《赤い星座》を止めるだろう。それに誰も口出しすることは赦されない雰囲気で――それでも、アルシェムは無粋にもそれに水を差すのだ。ただ、彼に死んでほしくないから。この先必要になる戦力として、だが。

 その自ら死を受け入れる者特有の透明な笑顔を浮かべたランディに、アルシェムは一つの真実を突き付けた。

 

「ランディが死んでも、わたしは消えちゃうよ」

 

 その表情は、確かにランディと同じものだった。自ら死を受け入れる者特有の透明な笑顔。いずれ近いうちに死ぬことを知っていて、その引き金を引くのが誰であるのかを知っていてそう言うのだ。その引き金に指をかけるのは、□□□でありロイド達《特務支援課》でもある。そして古代の錬金術師の末裔でもあり、クロスベルの民全てでもあった。

 アルシェムのその言葉と表情に、ランディは硬直した。その言葉の意味を理解したくなかったからだ。ある意味では勘違いを生みかねないその発言を、ランディは正しく受け取ることが出来なかった。勘違いしたのだ、そういう意味で。『アルシェムはランディに対して、彼が死ねば死にたくなるほどに好意を抱いている』という勘違いは、ランディの思考を絡め取るには十分すぎた。

 言葉を喪ったランディに、アルシェムは更に言葉を続ける。

「だから生きて。本当は行かせたくもない。でも、いくら止めたって行くのは分かってるから……だから、どんな形でも良いとは言わない。絶対に、五体満足で帰ってきて」

 その言葉はいかにもランディに恋をしている女の言葉で。アルシェムは言い終わってからそれに気付いた。もっとも、それを取り消すつもりはない。勘違いされたっていいのだ。それでランディが少しでも生きる気になるのならば。どれほど勘違いされようが、『最終的に《特務支援課》が全員生存して笑っていれば』それで何の問題もないのだ。

 だからこそ、呆然と言葉を零すランディにも笑いかけられる。

「アル……お前」

「……本当はね、分かってるんだ。どうあがいたってわたしは死ぬんだって。だけど、ちょっとくらいはわがまま言っても良いかなって。皆が幸せでいてくれるんなら、わたしは――」

 その意味を問い詰めようとして、ランディは思ったよりも時間を取られたことに気付いた。早く行かなくてはならない。《赤い星座》を一人で相手どるには、スタンハルバードだけでは不十分なのだから。本来の得物を手にし、猟兵の時の感覚を思い出すに十分な時間を取らなければランディは彼女の言うとおり死ぬだろう。それでも、彼は行かなくてはならない。この不始末に収拾をつけに行かなくてはならないのだ。

 故に、滅多に吐かない弱音を見せたアルシェムに背を向ける。

「……もう、時間だ」

「……そうだね。今から行かないと間に合わないね。……行ってらっしゃい。ちゃんと帰ってきてねって意味だから。だから――死なないで」

「善処はするさ」

 そう言って空虚に嗤ったランディは、その場を足早に後にした。残されたアルシェムは欠けた月を見上げ、呟く。

 

「……変わらない未来も。変えられない運命も。決められたレールの上なんて、大っ嫌いだよ。……ランディの、ばーか」

 

 それを聞くモノは、誰一人としていなかった。

 

 ❖

 

 ロイドは朝起きて、ランディがなかなか起きてこないことに気付いた。エリィが起きて来ても、ノエルが起きて来ても、アルシェムとレンが起きて来ても。キーアとセルゲイまでもが姿を見せても。ランディだけが見当たらないことに胸騒ぎを覚えた。その胸騒ぎが囁くままにランディの部屋を訪問し、返事がないことをいいことに扉を開ければそこには彼の《ENIGMAⅡ》が置かれている。置手紙はない。

 焦燥に駆られてロイドは呟いた。

「ランディはどこに……」

 それに対し、特に口止めもされていないアルシェムは普通に答えた。

「え、マインツだけど」

「えっ」

 しばしの沈黙。次いでアルシェムはレンを除いた全員から詰問されることになった。無論その内容は『何故知っている』『何故止めない』に二分される。当然だろう。ランディがいなくなって、行先を知っていながら何故夜中に出ていくことを赦したのか。アルシェムならば実力行使で止められることを知っているだけに、彼らは詰問どころか尋問に近い口調になるのだ。

 ロイドがアルシェムを責めるように言葉を吐き捨てる。

「何で止めなかったんだ……!」

「止めたところでどうせ行くでしょ。だったら待ってるから帰って来いっていうしかないんじゃない?」

 そうしれっと言い放つアルシェムの服の襟を、ロイドはつかみあげた。身長差でアルシェムの足が浮きそうなものだが、武装の関係で一般女性よりもはるかに重いアルシェムは浮き上がることなく頸動脈を閉められそうになるだけにとどまる。おかげで結構苦しいのだが、それをアルシェムは表情に出すことはなかった。彼女はこのままここにいなくてはならないからだ。

 ロイドは激情のままにアルシェムを揺さぶり、叫ぶ。

「だからって一人で行かせることはないだろう! そんな危険な場所に一人で行かせるなんて……!」

「じゃあ、ロイド達を起こせばよかったって? 馬鹿言わないでよ。そんな無駄死にさせるようなこと、誰がするわけ?」

「……どういう意味だ」

 より強くアルシェムを締め上げてそう低く問うロイドを止める者は誰もいない。レンはアルシェム自身に制止されている。それ以外の面々はアルシェムを責める方向にしか思考が行っていないので彼女の気道の確保や頸動脈を圧迫していることで血流が阻害されていることになど、気が回らないのである。よってアルシェムは微妙に意識がもうろうとしてきているのだが、それを悟らせることはなかった。

 その代わりにロイドの問いに答えを出す。

「猟兵の練度を考えれば、ランディ一人の方が生還率が高いんだよ」

「そういう問題じゃないだろ……何で、仲間をそのまま一人で行かせたんだ!」

 ロイドの激情の意味が分からないアルシェムには、その問いに先ほどの答えを返すことしか出来ないのだ。ロイド達を連れて行ったところで足手纏いなだけだ。そして、アルシェムは本日に限りクロスベル市内から出ることは出来ないのだ。今日起きることに対して、アルシェムはクロスベル市内で対処し続けなければならないのだから。ランディについて行くことは出来なかった。

 アルシェムがついて行こうが、何をしようが、ランディはほとんどの確率で生き延びる。ロイド達が結果的にランディを追うタイミングが重要なのだ。だからこそ夜には言わなかった。逆に言えば、今この段階であれば何の問題もないということでもある。何故ならランディが粗方猟兵を片付けた後に駆け付けられるからだ。そうでなければ、誰か一人は欠けるだろう。それを□□□は知っていた。

 その問いに対して答えがないことを見て取ったレンは、冷ややかにロイドを止めにかかる。

「ロイドお兄さん。そのままだとアルが死ぬわよ。死因はさしずめ窒息かしらね?」

「……ッ」

 憤然としたままロイドはアルシェムを突き放す。アルシェムはたたらを踏んで何とかバランスを保ち、無様にこけないようにしなければならなかった。その微妙に余裕のない様子で若干溜飲が下がったのか、ロイドはランディを追う方向に思考をシフトする。本当は、ロイドにも分かっていた。ランディが何も言わずに出て行ったのは自分達が不甲斐ないからだと。

だからこそ、いったんロイドは落ち着いて情報を得ることに専念する。ただしこのままアルシェムを連れて行けばまた爆発しそうだったので敢えて彼女とレンを情報収集のメンバーから外し、支援要請に対応しておいてもらうことにする。そうやって彼女らをクロスベル市に置いたまま、ランディの情報を得られたロイド達はマインツへと向かった。

そして――彼らは無事にランディのところまで辿り着き。一悶着ありつつも『ランディ』を取り戻して。一件落着だと、そう判断して。そうして見たものは――

 

「クロスベル市が……燃えてる!?」

 

 惨劇に見舞われているクロスベル市の姿だった。

 

 ❖

 

「……やっぱり、こうするしかないみたい」

 そうつぶやいたキーアは、強くそう思った。こうならなければ、ロイド達は最終的には笑いあえない。その未来を見てしまったからこそ、彼女はこの悲惨な光景を受け入れることに決めたのだ。例え誰が傷ついたのだとしても、最終的に皆が笑い合ってくれるのならばそれで良いのではないかと、そう妥協することしか出来なかったのだ。

 だからこそ、背後で動き始めた二人に首をかしげるのだ。

「……アル? レンも……どこに行くの?」

 その問いにアルシェム達が不快感を覚えて顔を歪めるのはもはやいつものことで。その理由が分からないキーアにはそれが酷くイラつくモノになっていた。何故かは分からない。ただ、『絶対に分かり合えない』ような、そんな気がしてならないのだ。彼女らがそもそもここにいるはずがない人間であることをキーアが知るのは、もう少し先のことだった。

 キーアの言葉に、アルシェムは迂遠に答えた。

 

「分かってるくせに」

 

 その見透かしたような言葉に、キーアは震えた。確かにキーアは何となく『知っていた』。彼女らが何をしに行くのかも、どうしてランディを追わずにクロスベル市に残ったのかも。だが、その根拠が見つからないのだ。『この先に進むための最善の行動』であれば、どういう理由でそれが回避できないのかが分かるのに。アルシェムの行動にキーアが納得できるだけの根拠が見つからない。

 そんなキーアの様子を鼻で笑うアルシェムは、《ENIGMAⅡ》を取り出して通話を始めた。

「ああ、ミシェルさん。東通りと旧市街は任せました。遊撃士連中を全力でこき使ってやってください。手が空いたら警備隊の連中が行くでしょうから、それまでは持ちこたえて」

 一回目は遊撃士協会の受付ミシェルだった。何故今彼に対してそういう情報を伝えられるのか、キーアには分からない。もしかすればどこかの誰かから情報を得ているのかもしれないが、それが真実かどうかすらも分からないまま彼らが動くわけがない。それでもアルシェムは一方的にそう告げて通話を終えてしまう。

 そして、また《ENIGMAⅡ》を操作した。

「ワジ、中央広場と裏通りを任せた。もし何かあったら分け身送るから持ちこたえてよね。もちろん警備隊も余裕が出来たらいくと思う」

 二回目は、自警団のワジ。

「……レオン兄。そう、行政区よろしく」

 三回目は何故かアルテリア代表の護衛レオンハルト・アストレイ。

「アガット? 悪い、ちょっとタイミング見誤った。港湾区でしょ? 自衛だけはしてくれると助かるな。……警備隊は真っ先に向かわせるからさ」

 四回目は遊撃士の《重剣》アガット・クロスナー。

「……司令、マインツにけりがついたらクロスベル市へ全速で向かって下さい。ええ、緊急事態ですから」

 そして、最後はソーニャだった。その取り合わせが何を意味するのかキーアにはやはり分からなかった。彼らとアルシェムを結び付けるモノは本当に微々たるもので。彼女との信頼関係などほぼないと言っても等しいはずなのに、アルシェムは言いたいことだけを言って通話を終えてしまうのだ。

 そんな彼女に対し、レンが訳知り顔で告げる。

「で、レンは住宅街に行けばいいのね?」

「そ、よろしく。歓楽街はわたしが引き受けるから、誰も死なせないで、傷つけさせないで」

「当然よ。これ以上失いたくないもの」

 そう言ったレンの表情は印象的で――キーアは、何故か胸が締め付けられそうになった。

 


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