雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

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 243話のリメイクです。


復興作業

 クロスベル市が《赤い星座》に蹂躙された。そのニュースは瞬く間に西ゼムリア大陸中に広がった。この事態に対し、帝国と共和国はクロスベルに対して庇護下に入るよう要求し、クロイス市長とマクダエル議長に拒否されていた。リベールやレミフェリアなどは帝国と共和国の情勢も鑑みて静観する方向で行くようだ。もちろんアルテリアもその例外ではなかった。要するに見捨てられた形だ。

 帝国がクロスベルに対して要求したのは『帝国の軍隊を受け入れること』と『実効支配するために総督を受け入れること』だ。もちろん受け入れられるはずもなく、クロイス市長に一蹴されていた。共和国も似たような要求をしたが、こちらも一蹴されていた。逆にリベールやレミフェリア、アルテリアには救援要請を送ったものの情勢の悪化を盾に断られている。

 当然だろう。誰が沈むと分かっている泥の船に乗ろうというのか。ゆえに泥舟にのる民たちは見捨てられ、ただ死を待つだけのいけにえとなる。それを黙ってみていることしかしない周囲の国々は、鬼畜とそしられるべきなのか。もちろん否である。周囲の国々にだって守るべき民がいるのだ。その民を守りきって、そして初めて周囲に手を差し伸べなくてはならないのだ。

 それに関してクロイス市長が何某か考えている様子であったが、それを読み取れるわけもなく。この件に関しては事後処理に追われることしか出来ないマクダエル議長は今ある手札で最高の結果を叩きだすべく資金繰りに頭を悩ませることになった。帝国系議員や共和国系議員が足を引っ張ってくるのは目に見えていたが、今黙らせられなければ泥沼に沈むだけだと分かっているマクダエル議長は必死に結果をもぎ取っていく。

 それに対してもちろん良い顔をしない帝国系議員と共和国系議員。そして、クロイス市長の一派だ。マクダエル議長はほぼ孤立無援のままに戦うことになってしまっているのである。それでも必要だと思うことに対してはクロイス市長の一派が賛成してくれることだけが救いだった。そうしなければクロイス市長の企みが完成する前にすべてが水泡と帰すことを知っているからこその助けである。

 政治関係も悲惨ならば、町の被害も悲惨だった。目立った建物は破壊され、見るも無残な状態になっている。瓦礫に挟まれて死んだペットもいれば、それに埋まって取り出せなくなってしまった思い出もある。人的被害が比較的少ないのが奇跡のような状態だ。もっとも――クロスベルを襲撃させた人物たちはそれを狙っていたのだが。

 皆が町の惨状に声を喪い、呆然としている中で一番に声を上げたのは自警団の青年たちだった。彼らも大小のけがをしているにもかかわらず、真っ先に復興を始めたのである。取り敢えず家のない人たちのために瓦礫をかき集めて簡易宿泊所をつくり、飢える人たちのためには《トリニティ》で培った経験をもとにパスタなどを振る舞った。それ以外にも不器用ながらクロスベルのために動く姿に、最早不良としての面影は見当たらない。

 その働きぶりに、周囲の住民たちも認識を改めて積極的に協力するようになった。コミュニケーションも頻繁にとるようになり、この短時間の間に自警団は遊撃士協会とほぼ同等の信頼を得るようになっていた。もちろん《特務支援課》とも同等の信頼だ。いかに彼らがクロスベルの住民に対して真摯に救いの手を差し伸べたのかわかるだろう。

 次に動き出したのは警察官たちだ。治安を守るために巡回を始め、思ったよりも空き巣が多いことに頭を抱えつつも『巡回している』という事実を以て住民たちを安心させていった。警備隊たちも同じく動き始め、戦車などを使って大きな瓦礫の撤去も始めていく。それを見てようやく事態を呑みこめたのか、住民たちもまた動き始めた。

 ただ、真っ先に動き始めたのが警備隊ではなく自警団だった、ということで彼らの信頼はある程度までは回復したもののそれなりに低いままだ。そのことが、住民に『このままではいけない』という焦燥感を植え付けることになっている。誰もが感じていた。今のままのクロスベルであったら、いずれすべてがクロスベル市のようになってしまうと。

 そんな中、《特務支援課》も復興作業に気を取られていた。ロイドは警察官としてこの混乱に乗じた空き巣退治のために駆り出され。ランディはその膂力を生かしてがれき撤去に回り。ティオとレンは破壊されたネットワーク環境の復興のために一時的にエプスタイン財団に出向することになって。エリィはまさかのIBCの移転作業に巻き込まれて手伝う羽目になっていた。そして元々出向してきていたノエルはこれを機に警備隊へと戻ることとなっている。

 それぞれがそれぞれの能力を生かし、皆を少しでも楽にするべく動いている中。たった一人誰の目にもとまる形では動けていない人物がいる。もちろんそれはアルシェムであり、民たちはそのことにすら気づけないほど忙しい毎日を送っていた。自身から注意の逸れているアルシェムが暗躍しているかと問われるとそうではない。そんなことができる状況ではなかったからだ。

 そんなアルシェムはというと――

「……そろそろ治ってくんないかな……全身まだ痛いんだけど」

 人事不省でベッドの上だった。イリアを助けた際の『アルシェムの意志を無視した身体の挙動』について行けず、まだ節々が痛いのである。それに反射的に全力で逆らおうとしてしまったためだ。『イリア・プラティエを助けなくとも《太陽の姫》として演技できる』ことを知っているアルシェムとしては助けるつもりはあまりなかった。助けられるのならば確かに助けるつもりだったが、まさか後押しされまくるとは思ってもみなかった。それがこの様だ。

 それ以外にも分身のアーツを使って様々な個所のフォローに回っていたのだが、どこにいた分身もどうやらオーバーワークをさせられて消滅したようなのだ。クロスベルをできる限り守るつもりが、いいように使われていたことに気付いた時にはもうすでに遅かった。もっとも、アルシェムとしても目的にそぐわないなどということはないのでさして問題視はしていないのだが。

 それでも、アルシェムは重傷者というくくりには入らなかった。アルシェムが知っている限りで重傷を負うはずだった人間達は、皆揃って要入院ではあるものの後遺症も残らないようなレベルのけがにとどまった。フラン・シーカー、靭帯損傷。二課のドノバン、打撲による骨折。イリア・プラティエ、軽い捻挫。そして一番重症だったのが元《サーベルバイパー》のディーノである。彼は脇腹を撃たれたまま背後で震えるサンサンのために戦い、勝利して気絶したのだ。

 他の住人達にも重傷者は出たが、それはリンとエオリアが街中を駆け巡って簡易的な治療を施したことでこちらも後遺症は残らないレベルとなっている。それでもなお。皆の心の中に巣食ってしまった一つの感情は癒えることなくその傷口を広げていく。『このままじゃいけない』という、ある意味では強迫観念にも似たその感情はクロスベル住民の中で確かに燻っていたのだ。

 そういう意味では、襲撃は成功したと言えるだろう。元々の目的は『クロスベルが変わらなくてはならないという強迫観念をクロスベル自治州民に植え付けること』だったのだから。それはロイド達の心の中にも確かに根付いていた。各々がどう判断するかはまた個人の話となる。ただ、皆が強く在れるわけではないということだけは確かだ。

 そうやって復興作業は続き、アルシェムが人事不省から戻ってきたころ。いつものように支援要請に戻れる体制に戻り、いつものように支援要請を受けて――その日は、ノエルの送別会をすることにしていた。その日がノエルが《特務支援課》でいられる最終日だったのだ。故にいつも通りに依頼をこなし、いつも通りに戻ってきて。そして彼女の送別会をした。

 キーアの作った鍋を囲み,皆が笑いあう光景。その中に、当然のことながらアルシェムが入っているなどということはなかった。そろそろ人事不省から帰ってきてもいいころなのだが、まだまだ無理は禁物だとレンに止められたのである。もっとも、動けたところでキーアの作ったものを食べようなどという考えはアルシェムには起きないのだが。

 

 そうして――最後の穏やかな時は終わる。

 

 ❖

 

「もう……忌々しい。何で死なないの?」

 そう、□□□が呟いた。それはかつて彼女を天使のようだと称したロイド達には見せられないほどに醜悪な顔で。それも無理はないだろう。何度も何度も、彼女がこれでもかと言わんばかりに張り巡らせた罠はことごとく潜り抜けられてしまった。殺すはずで、すでに死んでいなければおかしいほどの因果をぶつけたにもかかわらず死なない駒に彼女はいら立っていたのだ。

 《幻獣》を何度ぶつけても。《身喰らう蛇》のメンバーをいくらけしかけても。周囲の魔獣をすべて彼女に殺意を抱くように改変しても。そのすべてを打ち破っていくのだ。さすがにニンゲンに彼女への殺意を託すことはためらわれたが、それ以外にも自然物であれ何であれ彼女を殺せるような手段はいくらでも用意していたはずなのだ。そのすべてをかいくぐられた。

 考えてみればわかる。何度も何度もうっとうしい蚊を叩き潰すために策を講じているにもかかわらず、気が付けば飛び回っている状況を。殺したと思っていたにもかかわらず平然と飛んでいる。それも、周囲に不快感を与えながら。それを許せるほど□□□は大人ではなかった。もっとも――彼女はすでにアルシェムの年齢を超えるほどの年月を生きているのだが。

 

 そう――彼女は、すでに千年をはるかに超えて生きていた。

 

 始まりはいつだっただろうか。最初にやった時はロイドたちがヨアヒム・ギュンターに殺された。二度目は列車砲に撃たれ、がれきに埋まった。三度目はロイドたちも《碧の大樹》までたどり着き、救ってくれた。それでも彼女の欲望を満たすにはまだ足りなかった。何度諭されても、納得できないものは納得できないのだ。皆が幸せでなければ何の意味もない。

 ロイドの運命を変えてみた。ガイが生き残るように仕向けてみた。ティオが誘拐されないように仕向けてみた。エリィの両親が離婚しないようにしてみた。ランディの友人が死なないようにしてみた。ノエルとフランの父親が死なないようにしてみた。ワジが《守護騎士》にならないようにしてみた。考え得る限りのことすべてを試してみた。

 その結果わかったのは。彼女が求めている結果がある程度の不幸の上にしか成り立っていないということだった。ならばとその不幸をできうる限り小さくしていこうと努めた。この時点ですでにその時を生きている人間を尊重しようなどという思考はどこかへ消え去っていた。そんなものなどくそくらえだ。自身の幸せに比べれば、そんなものなどどうでもよかった。

 

 □□□は理解していないのだ。幸せというものはどこまでも求めようと思えば求められるものだということを。

 

 ゆえにこそ彼女は貪欲に幸せを求め続けるしかないのだ。ロイドに幸せを。エリィに幸せを。ティオに幸せを。ランディに、ノエルに、ワジに、彼女にかかわるすべての人たちに幸せを。それが一度にはかなわないと知れば、最高の幸せをつかませるための駒を生み出す。その駒の幸せなどどうでもよく、ただロイドたちのために動いてもらえればそれでいいのだ。

 だからこそ許せない認められない。ただの駒であるアルシェムが自由に動き、処分をかいくぐって生き延びているのが。彼女は死ぬべきなのだ。もう必要のない駒なのだから。そんな不用品はゴミ箱にたたきつけて焼却処分して跡形もなくこの世界から消し去って誰からも顧みられないような存在にならなければならないのだ。□□□にとって必要ないとはそういうことなのだ。

 苛立ちを心中に燻らせて□□□はつぶやく。

「殺さなきゃ」

 そうだ。殺さなければならない。彼女はすでに目の上のたん瘤なのだから。必要のなくなった駒を盤上から降ろすことの、何をためらえというのだろうか。ためらう必要などどこにもないだろう。なぜならば□□□にとって盤上の駒は等しく無価値なのだから。彼女にとっての駒は、ロイドたちを確実に生存させるための道具でしかないのだから。

 確殺の意思を込め、もう一度つぶやく。

「殺さなきゃ」

 ロイドたちを守らなくてもいい局面まですでに進んでいるのだ。これ以降、ロイドたちは絶対に殺されない。そうなればすべてが巻き戻る。そうなるように仕向けてあるのだから、必要のない駒を置いておけばそのノイズでロイドたちに危機が及ぶかもしれない。だからこそ殺さなくてはならない。大切なロイドたちを守るために殺さなくてはならない。

 と、そこで□□□はいつどうやって殺すのが一番効率的かを導き出した。

「そうだ、あの時に殺してしまえばロイドたちもちょっとはおとなしくなるよね……?」

 そのタイミングを思いつけば、もうそれ以外の選択肢は考えられなかった。これ以降、そこで殺さなくては最大の効果が得られない。ゆえに彼女はその時までに因果を収束させることに尽力することとなる。その作業は今までとは比べ物にならないくらいにスムーズに進み、いら立っていた彼女を満足させるだけの結果をたたき出すことになるのだ。

 

 そう――七耀暦1204年10月に、『アルシェム・シエル=デミウルゴス』は死ぬ。彼女の望み通りに。

 

 ❖

 

「そうだよ、あんたの望み通りわたしは死ぬんだよ」

 いつかどこかで女が言った。否、すでにそのニンゲンには性別などなかった。そんな機能など必要なかったからだ。女ではない。男でもない。どちらの機能がついているわけでもない、ただニンゲンの形をした生き物。それがアルシェム・シエルという名のニンゲンだった。既にまくべき種はまき終わった。ならばあとはすべてを収束させるだけでよかった。

 政治面ではマクダエル議長とエリィ、それ以外のクロスベルを愛する有志たちが。経済面ではハロルドを筆頭とする株取引のエキスパートたちが。軍事面ではソーニャやダグラスをはじめとした強者たちが。たとえ誰に何があっても、計画は遂行される。そういう風にアルシェムは仕向けている。そうでなければならなかったのだ。自身が殺されることくらい容易に想像がついていたのだから。

 何度も何度も殺意を感じた。そのたびにすべて潜り抜けてきた。どうせあちらはいら立っているだろう。ならば、一番効果的だと思われるときに華々しく死んでやろうではないか。ただし、『死んで』いるように見せかけるだけで本当に肉体的に死ぬわけではない。いつものように必要のなくなった人格を殺すだけの話だ。いつものことで、慣れ切ったこと。

 そこでアルシェムはすでに『殺した』自分たちを思い返した。

「最初に死んだのは『エル』だったっけ」

 『エル』と呼ばれていたシエル・マオを殺したのは、そうしなければ正気を保てなかったからだ。結果的にヨシュアやレオンハルトに救われて『シエル・アストレイ』に戻れたのだから何の問題もないと思っていたが、どうやらリーシャは彼女を求めていたようだ。それについては悪いとは思っているが、気狂いのまま会うよりはまだましだろう。

 その次に殺したのは、と思い返して少しばかり驚いた。

「そっか、案外『シエル・アストレイ』って息が長かったんだなあって」

 次に殺したのは『アルシェム・ブライト』だった。ずっと意図的にだましていて、おそらくはこれ以上一緒にいればエステルたちの成長が見込めないからと引き離された。もちろんその場にい辛くなったから、というのもあるにはあるがあれはどちらかというと□□□の都合だった。彼女にとってエステルたちは強くなくてはならなかったのだ。

 そしてその次に殺したのが『シエル・アストレイ』だ。《執行者》としての彼女を殺し、立場を絞って生きていこうとした。このあたりから恐らくは邪魔になり始めたのだろう。いかに立場を周囲に漏らすかということに□□□は躍起になっていたようだ。もっとも、最終的な立場が破壊されなければいくらでもアルシェムにやり直しは効くのだが。

 本当は、『アルシェム・シエル』もすでに《碧の叡智》によって殺されているのだ。ただ端的に殺されている、と表現するよりは化けの皮を剥がれた、の方が正しいのかもしれない。あの薬を呑まされたせいで彼女は完全に覚醒し、『アルシェム・シエル=デミウルゴス』となったのだから。もはや元には戻れない。死の運命を背負った自身から逃れるすべはないのだ。

 残る自身は『エル・ストレイ』だけ。そして、それだけはいまだに□□□に『利用価値がある』と思われている。事実としてその立場にしか活路はないのだが、□□□は認識を間違っているのだ。『エル・ストレイ』と『アルシェム・シエル=デミウルゴス』の能力が一緒だと本気で信じ込んでいる。ゆえに一緒に葬り去れると信じているのだ。

 それでも、アルシェムは決めていた。

「別れなんて、切り出してやるもんか」

 別れのあいさつなど、誰にもしてやらない。必ず新たな名を使って生き延びる。そのためにはクロスベルを守るための立場を手に入れなければならず、それに利用できたのが自身の血筋だというから笑えて仕方がない。父など存在しない。母は存在していても、本当の意味で彼女は人間ですらない。それでも利用できるものはすべて利用して生き延びてやるのだ。

 

 そして、彼女は――死ぬ準備を終えたのだった。

 


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