雪の軌跡・リメイク 作:玻璃
クロスベル自治州にて行われた国民投票では、黒幕がまいた種が如実に表れていた。『クロスベルはこのままであってはいけない』という洗脳にも近い強迫観念を植え付けられた住民たちは、見事にそれに踊らされたのである。結果は圧倒的多数による『クロスベルの独立』の賛成で終わった。それを誰もが望んでいたからだ。誰もが望み、誰もが求めた。
それに対して当然のことながら帝国と共和国が反発。即座に撤回しなければ軍事行動に出ることを通告した。それ以外の国はリベールを筆頭に静観の体制をとる。もちろんクロスベルに滞在している住民たちへの避難勧告は行われているのだが、それで逃げ出す住民は少ない。クロスベルに滞在している他国籍人たちは『どうせそんなことなどできやしないだろう』という楽観的な思考のもと過ごしているのだからなおさらだ。クロスベルの住民とそういった他国籍をもつ住民たちとの間の感情のギャップは到底埋められそうにもなかった。
そうして、誰もが目をそらした結果――ディーター・クロイスに付け込まれるのである。
モニターに映し出される彼の演説と、そのモニターを守る国防軍を名乗る軍団。それはクロスベルを案じ、愛する者たちのみで構成されていた。その中には当然ノエル・シーカーも含まれている。彼女もまたクロスベルを愛している一員だ。そして負け犬根性が染みついた敗者でもある。そういう人間には声をかけないようアルシェムはリオに命じていた。
そんなこととは知らないロイドたちは、唐突に連絡をよこしたレクターの真意と尋ねてきたセシルの言葉から状況が一体どういうことなのかを探るために動き出そうとしていた。
「とにかく、何が起きてるのかぐらいは把握しないと……!」
焦るロイドに、アルシェムはけだるげに返答した。
「わたしはパスで」
それに対してロイドが詰め寄る。
「……はあっ!? 何を言ってるんだ、アル! こんなときこそ――」
「こんなときこそ冷静になってって。今この状況で、ここを全員で空けるわけにはいかないでしょ? 緊急時の連絡要員はいた方がいい。何が起きるかわかってない時こそ、ね」
そんなときのために《ENIGMAⅡ》があるのだが、アルシェムはあえてそれを口にすることはなかった。ロイドたちにここにいられるわけにいかないのはわかっている。だが、それはアルシェムがここにいてはいけないというのとイコールではない。実際にこの言葉を口にできた時点で、アルシェムはここで待機しても問題ないということがわかっていた。
その言葉にエリィが顔をしかめる。
「何か起きるって思っているの?」
「むしろ起きないと思ってる? この状況を狙ってるやつにとって、今何かアクションを起こさないでいつ起こすの?」
確実に何かが起きる。それも、決定的に何かを変えてしまうような何かが。それを確信しているアルシェムはここにいなければならず、場合によってはそのまま死ぬ可能性もある。それでも残る。アルシェムには何が何でもかなえたい願いがあるのだから。ティオには何かを察知されたようで声をかけられることはなかったが、その代わりジト目でにらまれた。
こうなってしまえば頑固なアルシェムのことだ。絶対に動かないと確信できてしまったロイドは彼女に念を押すように言う。
「何かあったら絶対に連絡しろよ?」
「当たり前でしょ――気を付けて回ってきて。不用意に何か起こそうとしてるバカがしたらきっちり取り締まってね。変に何か起こされたらまずいから」
「……分かった」
ロイドはそう言って支援課ビルから出た。それが最後にかわす平穏な会話になるとは、彼はつゆほども思ってはいなかっただろう。何のためらいもなく去っていくロイドに小さく別れの言葉を告げたアルシェムは、レンに指示を与えるとそのまま一度部屋に引きこもった。すべてを片付ける必要があったからだ。もうここにはいられないし、帰ってくることもない。それがわかっていたからだ。
階下に戻ったアルシェムは、セシルに話しかけられる。
「アルシェムさん……」
「何?」
「行ってもよかったのに残ったのは何故? 連絡役にだったら、私がいれば十分だったんじゃない?」
その目は真実を探り出そうとしているかのように鋭い。かつてのガイを思わせるその視線に、アルシェムは苦笑した。確かにそれは間違いではなかったからだ。ここに残ったのには、アルシェムなりに理由があるのだから。一つは無駄に疲れないため。そしてもう一つは部屋を片付けるため。最後に、分け身と入れ替わる隙を作るためだ。
それを悟らせないためにアルシェムはあえて扉が開くタイミングと声を発するタイミングとを合わせた。
「それはね――こういうバカがやってくる可能性が高いと思ってたからだよ。まじでなんで今来たのアリオス・マクレイン」
「むしろなぜお前がここにいるのだ……邪魔立てすれば、斬る」
目には剣呑な光をたたえ、柄に手を添えたアリオスがアルシェムをにらみつける。
「ええ……目的もわかんないのに殺気振りまいてやってくる奴の邪魔しないとかどんなバカなのそれ」
「ならば明かそう。来い、キーア」
あくまでも視線はアルシェムから外さず、アリオスはそう告げた。その言葉にセシルは首をかしげる。なぜ今キーアに話しかけたのか。彼女は今ロイドたちのために何かお菓子を作っていたはずで、この場にはいなかったはずだというのに。いい匂いの漂うキッチンから出てきて、アリオスの腕に自身をゆだねるのは何故なのか。何度考えてもわからない。
すがるようにアルシェムを見れば、彼女の顔はらしくもなくこわばっている。
「……本気でソレが必要なの?」
「無論。お前にはわからないだろうがな」
「うんわかんない。何でそっちなの? 純正品は別にあるっていうのに」
その言葉に、アリオスは無表情のまま刀を振るった。彼女が間に合う程度の速度で、セシルに向けて。案の定アルシェムは顔をしかめて移動し、背から剣を抜いて受け止めたように見えた。そのあまりにも非日常的な光景にセシルは震える。なぜいきなりこの二人が争い始めたのかがわからないのだ。二度、三度と振るわれる刀に、アルシェムは不自然な体勢でそれを受け止めざるを得ない。無理やり割り込んだ影響で変な形で受けることしかできなかったのだ。
無論それに無理があるのは当然のことで。
「やはりな。お前は慣れていないのだ。守る戦いというものにな」
「自分でやっといてそれはないでしょ……」
そしてもう一度振るわれる刀。それをなぜか彼女は止めなかった。その代わりにセシルが目にしたのは、赤い――
「アリオスさん、何を――!」
「早く治療してやるといい。もっとも、そんな時間をその女が求めているとは思わんがな」
流れ出る血を踏まないように下がり、キーアを抱えたままアリオスは裏口から堂々と出ていった。それを確認することなくセシルは無理やり追おうとするアルシェムを押しとどめ、応急処置を済ませる。これ以上動かしてはどんな後遺症が出るかわからないからだ。しかし、応急処置が済んだアルシェムはアーツを使って多少の傷をふさぎ、《ENIGMAⅡ》を取り出す。
そして止めるセシルを振り払って駆け出した。
「あー、もしもしロイド? どこ? ……そっか、まだその《かかし男》にかかずらってたってわけか。急いで港湾区に向かって。船は手配しとくからミシュラムへ――あーもうめんどくさい説明! クソガキがアリオスに連れてかれた! 止めようとしたけどとりあえず斬られた、説明終わり!」
強引に説明を終わらせ、港湾区に向かう途中で分け身と入れ替わる。本体は《メルカバ》で休みながら分け身の操作に集中することにしているのだ。なんせ今回の分け身はいつものものとは性質が全く違う。意識を飛ばす必要があり、身体が氷のように冷たいということ以外はほぼ生身のアルシェムと変わりない性能を誇る《聖痕》製の分け身なのだ。
《メルカバ》に戻ったアルシェムは、自らの従騎士たちに向けて通信をつなげた。
「……スタンバイオッケー。じゃ、最後の仕事を始めようか……メル、万が一にも撃たせるな。リオ、確実に息の根を止めさせろ。レン、逃げ切れよ。カリンとレオンハルトはそのまま潜伏。――行動開始」
そうして、アルシェムは意識を分け身に飛ばした。その分け身はすでに《ミシュラム》へと到達しており、ロイドたちを待ち受けている。彼らと合流でき次第、突入する予定だ。やがてやってきたロイドたちにはけが人の分際で動き回ったことを派手に責められたが、目的を知るためにこうして動けたのはアルシェムしかいなかったので仕方がないことだ。
《鏡の城》へと突入し、たどり着いたその先にいたのは果たしてキーアとアリオス、そして――
「どうして……どうして貴女がそこにいるの,ベルッ!!」
エリィの悲痛な声が指摘した通り、マリアベル・クロイスがそこにいた。謎の装置の上に座るキーアは悲痛そうな表情を浮かべ、しかして救出に訪れたはずのロイドたちに向けて駆けださない。ロイドたちが声をかけてもそちらに行けないの一点張りだ。キーアのいるべき場所はそこにしかないと本気で信じ込んでいるのである。実際、彼女はどれほど否定しようが『お人形さん』であることに変わりはないのだ。
マリアベルは、時間稼ぎのために語り始めた。真実を――そして、彼女らが追い求めるものを。失われた《幻の至宝》デミウルゴスのこと。それを守護する立場であったクロイス家のこと。そして、失われたものを取り戻すために作り上げられたのがキーアであったことを。この力さえあれば、クロスベルを独立国にすることすら可能であることも、語った。
それに付け加えるようにマリアベルはこぼす。
「ああそうそう……確か、《幻の至宝》には跡継ぎの幼生体がいたようですけれど、それも行方知れずのままでしたわね。今更見つかるとも思いませんから、蛇足ですけれど」
その言葉に、ティオが思い切りアルシェムを振り返った。どこかで似た話を聞いたことがある。それは確か《銀の娘》と呼ばれていて――だから、彼女は、まさか。そんな思いにとらわれて、彼女を見てしまったのだ。そこに浮かんでいた表情など何もなかった。
淡々と、アルシェムはマリアベルに告げる。
「……それで人間造って《至宝》に仕立てるとかばっかじゃないの? 探せば見つかったのに」
「……なんですって?」
マリアベルがいぶかしげな眼をアルシェムに向ける。しかしすでに彼女の目はキーアに向いていて、マリアベルを映すことはなかった。興味などすでに薄れていた。それよりも、アルシェムには伝えなくてはならないことがあるのだから当然だろう。
アルシェムはキーアに向けて、おそらく初めて名を呼んだ。
「キーア。あんたも――かわいそうなやつだよ。せっかくいろいろ捻じ曲げてここまでわたしを呼んだのに、そこにいるのが何であんたなんだろうね」
「何、言ってるの? アルが、何を言いたいのかわかんないよ……?」
震える声は言いたいことがわかっていることを示している。ただ認めたくないだけだ。ここにいるべきなのはキーアでなくても問題ないことを、そう仕向けたキーアだけが信じられない。自分が犠牲にならなければならないと思い込んでいたのに、本当は自分がいけにえを導いていたことなど彼女には到底認められないことだったのだ。
らしくない行動であることは理解している。それでも、アルシェムは。
「さーてアリオスさんや。とっととそこを――退いてよね!」
「ぬっ……!?」
キーアを救うために、動いた。背から双剣を抜き取り、彼と切り結ぶことで。もちろん先ほどの傷が癒えきっているような行動はとれない。ロイドたちにもすでにばれているのだから、不調を装うことくらいはできる。何度か切り結び、ロイドたちのある意味邪魔な援護もあってアルシェムは膝をつく。その光景に違和を覚える者はいない。
そしてその一瞬で、ロイドたちも沈められた。ティオに関しては逃げられなくもなかったのだが、ここは大人しくしておくべきだと悟ったのだ。さすがに彼女も一人で皆を助けられると思うほど思い上がってはいない。レンが動かないことからも、何かあるのだろうとは察していた。だからこそ動けなかったのだ。マリアベルによって見せられた、迫りくる帝国と共和国の圧力。それをどうにかしなければならないと分かっていても、キーアがそれを止めてしまえることを知ったから。
だからこそ信じた。だからこそ、信じられなかった。
国防軍が、アルシェム・シエル=デミウルゴスを射殺したことなど。
「悪いけど、さすがにこの状況でおとなしくつれていかれるわけにはいかないんだよね!」
「おとなしくしろ、この化け物が!」
抵抗するアルシェム。押さえつけようとする国防軍。彼らがアルシェムを化け物と呼ぶのは、ひとえにその動けるはずがない傷を負っているのに暴れまわれるだけの体力が残されているからだ。そんなことをすればいつ死んでもおかしくない。それがわかっていて、彼女は暴れているのだ。《特務支援課》のメンバーをできるだけ傷つけないよう言明されていると知っているから。
しかし、その淡い勘違いはすぐに打ち砕かれる。キーアにとって、アルシェムは《特務支援課》の一員などではないのだから。ただいつも敵意を向けてくる変な人間。そんな認識しかできていない。当然のことながら、『キーア』にとっても彼女はただの邪魔な駒なのだから今ここで排除することに何のためらいもない。ためらう必要すらなかった。
一人の目がうつろになり、突如導力ライフルをアルシェムに向けた。
「おい、お前、何して――」
「まっず……ッ、あ」
射撃、着弾、飛び散る血しぶき。当然その血はアルシェムの治療用にとってあった輸血パックで、今現在アルシェム本人が流したものではない。だがそれを知る者はここにはいない。その飛び散った血に触れた面々の目もまたうつろになっていく。その血に含まれている《叡智》がその力を保ったまま次々と彼らを傀儡人形へと変えていったのだ。その支配者はアルシェムではなく『キーア』にある。
それを察し、アルシェムは顔を引きつらせて叫んだ。
「全員逃げろッ! わたしに構うな――!」
それにつられるように正気のままのほかの面々もライフルを向け、そして――撃った。何の容赦もなく。問答無用で。その直前にアルシェムが叫んだ言葉に反応できたのはたった一人、レンだけだったのだ。他の面々は直視してしまった。瞬く間に肉片に変えられたアルシェムを。そこには先ほどまで強がっていた女など存在しない。そこにあったのは、ただの肉と骨だ。
エリィはそれを見て思わずえずいた。
「う……っ」
「見るなお嬢、ティオすけ!」
ランディが叫ぶももう遅い。既に彼女らの脳裏には鮮明に焼き付いてしまった。当然彼の脳裏にも。震える体は恐怖を覚えているわけではない。凄まじい怒りにとらわれているからだ。それを発露しようと両腕をつかむ国防軍の兵士を投げ飛ばそうとしたところで、ランディはロイドに強く腕をつかまれた。今ここで抵抗しても、アルシェムのようになるだけだとその目は語っている。
それでも、ランディは言葉を吐くのを忘れなかった。
「テメェら……覚えとけよ」
「ヒッ……」
「だ、黙れ!」
がつっ、とライフルの銃床で殴られて、それでもランディの怒りは収まらない。生きて帰らなければ自分は死ぬかもしれないと言ったアルシェムは、これを予期していたのだろうか。それももう確かめることはかなわない。なぜなら彼女は死んでしまったからだ。完膚なきまでに。あれで生きていると言われれば即座に嘘だと断言できるだろう。
そうして、彼は、彼女は。自らの無力さを呪った。