雪の軌跡・リメイク 作:玻璃
小さな種火(S1204.12.01)
「頼みがある、ガルシア・ロッシ」
「何だ。改まる必要はないぜ。……任されてやる。こんなのはクロスベルじゃねえ。行け」
真剣な顔で何事かを頼み込もうとするロイドに、同じ拘置所の房に入れられてたガルシアがそう答えた。始まる寸劇。看守が駆けつけ、押しのけて脱出し、いやに準備よく集められていた自身の装備をひっつかんで逃走する。それがロイドにできる最大限のこと。ガルシアに発破をかけられていなくとも、いずれはやっただろう。拘置所の中で一生を過ごそうと思うほどロイドは悟りを開いてはいない。
とはいえ逃げ出しても頼れそうなのは市内ではなく郊外。手際よく追い込まれ、ノックス大森林から抜けられないだろうというのは容易に想像できた。ロイドが追っ手側でもそう考える。だからこそ強行突破でも抜けておきたかったのに、自身が追い込まれていくのは大森林を抜ける方向ではなく深奥に向かう方向だ。このままではいけない。その焦燥が一歩を踏み誤らせて――
「やれやれ、世話の焼ける」
そう、低い声が聞こえて。そこから起きたことに対してロイドは驚愕に目を見開くことしかできなかった。森の奥から現れたのは『幻獣』と呼ばれていた魔獣とは一線を画すほど強そうな気配を発する狼だ。しかもその色彩には何となく見覚えがないわけではない。それが息を吸い込んで、何をするのか分かったロイドはとっさに耳をふさいでうずくまった。
そのふさいだ耳からも聞こえるほどの音の波。地面が揺れるほどの振動を受けて、国防軍は崩れ落ちていく。それを一瞥すると、狼はロイドを咥えて背に投げ上げ、彼がしっかり毛に捕まったのを感じると走り始めた。そしてしばらく無言のまま走り続けると、周囲の目がなくなったあたりで急激に小型化する。その時点でロイドは確信を持った。
「ツァイト、どうして……」
「助けてほしくなかった、などと言ってくれるなよ。これでもここまで来るために我が主はかなり苦労していた」
「主って、誰のことだ? それに、何で普通にしゃべって……」
困惑するロイドにツァイトは説明しようとしてやめた。もうすぐ主のところへとたどりつくからだ。彼の疑問は直接本人に聞いた方が早いだろう。その理由も、何故そうなってしまったのかも。もちろんすべてを説明しないだろうが、納得させたいから説明するわけではない。もはやツァイトの主はロイドたちの理解を求めてなどいないのだから。
指定された位置までたどり着いたツァイトは立ち止まり、ロイドを下ろした。彼には何も見えていないだろうが、確かにそこにそれはある。
「ご苦労、ツァイト」
「当然のことをしたまでです」
一言ねぎらいの言葉をもらってツァイトはその物体に乗り込んだ。これが新しい拠点だ。しかしロイドはまだ入れてもらえていない。その理由は、主に害を及ぼさないか見極めなくてはならないからだ。
「さて、ロイド・バニングス。久しいな、などと言っている場合ではないのは察しているだろう」
「ストレイ卿……? 何故貴方が。それに、ツァイトのことも……」
「拘置所暮らしで脳みそでも腐ったか? つい先日誕生した《キーア》とやらはアルテリアの監査対象になる。それに、あれのことを帝国も共和国も嗅ぎ付けてしまっているからな。お前が思っているよりも事態は緊迫しているよ」
その言葉にロイドは瞠目した。確かにそうだ。なぜそれを今まで思いつかなかったのか。追い詰められすぎていたのか、それともアルシェムの死がその冷静さを奪ってしまっていたのか。□□□の思っている以上に、アルシェム・シエルという存在がロイドたちに及ぼしていた影響は大きかったのである。一応はニンゲンもどきであったのだとしても、そのかかわりまでは消せないのだ。
一拍置いて、ロイドはようやく事態を把握しつつあった。
「じゃあ、貴方は――キーアを連れていくためにここに来たということですか?」
「結論から言えば必要ない。もっと必要だった奴はいたが、奴は『死んだ』からな。わたしがここにいるのは人造アーティファクトがやらかす事態の収拾に駆り出されるためだ」
そのあまりの言い草にロイドは激高する。
「それはっ……キーアの意思じゃない! 優しいキーアがそんなことを望むわけがないんだ!」
それを感情を見せない瞳で見つめ――今更だがストレイは仮面をかぶっている――ストレイはロイドに提案した。
「……まあ、今一番問題なのはこちらも人手不足だということだ。お前たちの手を借りたい。最終的にあちらから敵対してきさえしなければ、こちらからキーアに手を出すこともない。悪い条件ではないと思うが?」
確かに悪い条件ではないのだろう。ロイドがたった一人で動くよりも、ツァイトとストレイという戦力と一緒に動く方が早くキーアに会えるのは間違いないだろう。あわよくばほかの仲間たちとも合流できるはずだ。だが、それで自分は得をするかもしれないが、ストレイはどうなのか。どう聞いてみても任務を果たす以外のメリットがないように聞こえて仕方がないのだ。
ロイドは問うた。
「――メリットは何なんだ? 貴方が、この件で得るメリットだ。それを聞かない限り協力なんて……」
「わたしの故郷はここなんだ」
「――え」
あまりに唐突に放たれた言葉に、ロイドは瞠目した。故郷。ということは、このあまり年齢の変わらなさそうな《星杯騎士》はクロスベル出身だということで。下手をすれば幼いころに出会っていたかもしれなくて。そんな人物には心当たりなどないが、クロスベルとてロイドがすべてを知れるほど小さくはなくて。だからこそ、腑に落ちた。
ロイドは言葉をこぼす。
「だから、協力してほしいと……?」
「まあ、故郷がなくなってほしくないのはわかってもらえると嬉しいがね。信じてもらえるような行動をとってこなかったのは確かだが」
自嘲するようにそういう『彼』は、うそを言っているようには見えなくて。だからこそロイドはストレイを信じることにしたのだ。利用し利用される関係でもいい。ただ、ストレイを信じてもいいような気がしたのだ。漠然とした直感。それを感じ取ったストレイは一瞬眉をしかめたが、それでもその直感を否定しにかかることはなかった。
ストレイを信頼したロイドは《メルカバ》に案内され、そしてその内部にいた人物たちに驚愕した。
「リオ!? それに、アストレイ代表も……どうして」
「何でってそりゃあアタシたちはストレイ卿の部下だからね。ここにいるのが一番正しい形なんだよ」
首をすくめてさらりとそう言い放ったリオはすでに警備隊の服装からシスターの法衣へと服装を変えている。カリンも、言及されていないレオンハルトもまた法衣だった。だからこそ余計にロイドが浮いていたわけだが、さすがにストレイもロイドにその服を着せようとは思わなかった。
それはさておき、ストレイが唐突に端末をいじり始める。
「ストレイ卿?」
「いやなに、ロイド・バニングスだけでは心もとないのでな。他の《特務支援課》の面々にも協力を仰ぎたいわけだが――忌々しいことに《眼》を掻い潜るのには時間がかかる。だから手っ取り早く合流できる人物を――っと」
その手が止まる。そして、モニターに唐突に映像が映り、荒い画像が映し出された。水色の髪に、黄金の瞳。幼い顔立ちの少女がそこに映し出され、そしてその目が驚愕に見開かれていく。その小さな口が何事かを口走ったようだが、あいにく画像が荒すぎて口元を読み取ることもできなかった。そしてまだ音声も通じていないのか、声も聞こえない。
もちろんストレイは彼女が何を言いたかったのかを理解していたのでわざと画像を荒くし、音声だけを遅らせたわけだが。一応ストレイにもわかっている。『目の前で肉片に変えられて死んだはずの女がなぜかぴんぴんして生きている』ように見えるこの光景に、驚愕と怒りがこみ上げるのは当然のことなのだと。もっとも、涙がこみ上げることまではストレイにとっては想定外だったわけだが。
彼女が落ち着くのを待ち、ストレイはその少女に声をかける。
「こちらは《星杯騎士》の《第四位》、《雪弾》ストレイ。そちらは《特務支援課》のティオ・プラトーで相違ないか」
『はいっ……! でも、あなたが何故……?』
「ようやく勘当を解いてもらえそうでね。ついでにロイド・バニングスを保護しているが、合流できそうか?」
その言葉の意味をティオは考えようとしたが、やめた。今考えたところでどうすることもできなければ、今更知ったところで恐らくストレイには二度と手が届かないから。一生懸命気付いていないふりをしていても、本当はわかっているのだ。既に一度ストレイを見捨てたティオが、今更『彼』を止める権利などあろうはずもないのだと。
その考えを振り払い、ストレイの問いに答える。
『します。何を差し置いてでも』
「心強い答えで何よりだ。真夜中まで待て。多少仕込みをしてから回収に向かう」
そして通信が切れ、静寂が流れる。やがてぽつりとロイドがつぶやいた。
「……仕込みって?」
「何、簡単なマジックだよ。それもとびっきりのな」
ロイドには仮面で隠れた表情はわからない。しかし、確実に笑っていることだけはわかっていた。口角が上がっていたからだ。ストレイは見る方が早い、と言いながらロイドを伴って《メルカバ》の甲板へと出た。そしてその背に六枚の氷の花弁をひらめかせる。
「これは――」
「《聖痕》だよ。一説によれば、《空の女神》が選んだ騎士に与えられる恩寵だそうだが……ね」
自嘲するような響きにロイドが眉を寄せ、それが引き起こす現象を見て顔をひきつらせた。その幻想的な蒼銀の輝きは、どこかで見たことのあるような色をしていた。それが折り重なり、織り上げられて形成されたのは巨大なシルエット。肌で感じるプレッシャーは《幻獣》そのものだったが、そのフォルムは全く違った。ひどく見覚えのあるそのキャラクターは、《ミシュラム・ワンダーランド》のマスコットキャラクター『みっしぃ』だったのである。
頬を引くつかせ、ロイドは声を漏らす。
「はは……何なんだ、あれ……」
「《聖痕》と『プレロマ草』を掛け合わせたらああいうこともできる。しょせんは真似事だが、時間稼ぎにはなるだろう」
その言葉にロイドは過敏に反応した。そういうということは、これまでの『幻獣』はストレイのせいではないということか。てっきり今の所業を見るだけではクロスベルに何らかの目的をもって発生させたようにも見えるのだが、それでは『真似事』とは言わないだろう。
妙な違和感にロイドは思わず声を漏らした。
「真似事……? 今までの『幻獣』はストレイ卿の仕業じゃ」
「そんな真似を誰がするか。真似事だと言っているだろう。……もっとも、敵対心を持つ人間しか襲わないようにするのが精いっぱいだったがね」
「……国防軍の人たちを掲げて勝利のポーズをとってますけど?」
それを視認してストレイは目をそらした。そして空を見上げた。この癖は知っている。ロイドにとってその光景は見飽きるほどに見たものであり、それが現実逃避のためになされることだと知っていた。
「ストレイ卿?」
「いや、空が青いなあと」
「話をそらさないでください」
そしてこのやり取りをいつもしていた彼女とは、もう会えないことを思い出してしまった。目の前のストレイがアルシェムと被ってぶれる。ふと振り向くしぐさも本当に似通っていて――
「何と見間違えているのかは知らんがな、ロイド・バニングス。そいつはもうこの世にはいない」
その言葉に叩き落された。そうだ。アルシェムは死んだのだ。自分たちの目の前で。無数の肉片に変えられて、死んだのだ。弔うことすら許されず、あまりにショッキングな屍をその場に晒したままにされてしまった彼女。弔いたかった。仲間だった彼女を、たとえ最後まで食い違っていたのだとしても弔ってあげたかったのだ。皆で集まって、葬ってやりたかった。
知らず、ロイドの口から言葉が漏れる。
「何で……」
「……アレは、身代わりのために生み出されて、必要なくなったから消された。それだけのことだ。悼む必要がどこにある」
「……っ、貴方にアルの何がわかるっていうんだ!」
激情のままに叫んだロイドは、周囲の温度が下がるのを感じた。それは体感だけの話ではない。実際に彼の周りでは霜が舞っていたのである。もちろんそれをやらかしているのはストレイであり、ロイドの言葉はそれだけストレイの逆鱗に触れたのだと分かった。しかしそれがわかったところで時すでに遅し。ロイドはストレイの冷たい瞳に射すくめられた。
その瞳の色が氷のようなアイスブルーだ、と現実逃避のように考えたロイドにストレイの言葉が突き刺さる。
「貴様に彼女の何がわかる。生い立ちも、利用され続けた人生も、血塗られた過去も未来もほとんど知らないくせに、何がわかるというのか」
ロイドは何も答えられず、口を閉じようとした。しかし、そうはならなかった。迸る感情がそれを否定したのだ。今ここで告げなければならない。この、邪知暴虐の神父に、教えてやらなければならない。ロイドたちは少なくとも知っている。彼女がただの女の子だということを。もちろん過去にも何かあったのかもしれない。それでも、《特務支援課》にいた時の彼女は――
「アルは、紅茶が好きだ」
「――は?」
「紅茶が好きで、案外甘いものも好きで、好き嫌いが激しい。それに、結構ぶっきらぼうなところはあるけど実際は皆を思いやってくれていたんだ」
そうだ。ロイドは知っていた。アルシェムがどういう人間なのか。どこか影があっても。後ろ暗いことをしていた過去があったのだとしても。それでも今を歩んでいた彼女のことを、ロイドはよく知っていた。唯一キーアを嫌っている理由だけは知りたくても理解できなかったが、それでも《特務支援課》の『アルシェム・シエル』のことならばいやというほど知っていた。
絶句しているストレイに向けてロイドは言い放つ。
「強くて、変なところだけ不器用で、隠し事も多いけどそれは大抵俺たちのためにしていることだった。優しいけど厳しい自慢の仲間なんだ。何も知らないだなんて言わせない!」
「ぶっ……くっくっ、あまり笑わせてくれるなロイド・バニングス。お前は何一つ彼女のことを信じていなかっただろう? 《特務支援課》が再結成されてからここ数か月の間、彼女が忠告したことをお前が心から信じたことがあったか?」
狂気を感じるほどに裂かれた唇が、その事実を指摘した。確かにそうだ、ロイドはここ数か月、アルシェムのことをまるで信頼してはいなかった。わざわざキーアをクソガキと呼び、言葉が足りない説明だけですべてを伝えようとせず、一人で突っ走ってけがをする。その繰り返しでロイドはいつしか知ろうとも思わなくなったのだ。足りない言葉のその先を。
「それは……っ、アルがキーアのことでわざわざ神経を逆なでしてくるから……!」
その言い訳を、ストレイは鼻で笑った。笑うことしかできなかった。なぜならばアルシェム・シエルは本当のことしか言っていないから。嘘はついていない。ただ、言えない事実があっただけのこと。そしてその言えない事実こそが彼女のすべてであったことなど、ロイドには理解できないだろう。ロイド・バニングスという男は普通の人間なのだから。
「悪いがロイド・バニングス。その件についてこれ以上貴様と会話をするつもりは毛頭ない。……どうせ今更だ。彼女が生き返ることなど、《空の女神》の奇蹟をもってしてもあり得ないのだから」
その言葉を、ロイドが思い出すのは数日後のことだった。顔面をさらしたストレイと対峙して――その言葉の意味を、ロイドは問うことになる。