雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

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もういない(S1204/12/10)

 唐突に《メルカバ》に現れたその人物は殺気にまみれており、その大剣の切っ先をストレイに向けていた。感情のままに剣を振るい、一般人であればその気配だけで死んでしまいそうなほどの怒りがその場に満ちている。ロイドはぎりぎり意識を保っていたが、それでもこの状況に対して何かできるほどの勇気はいまだ奮い起こせなかった。

 その殺気の主は、血反吐を吐きそうなほど苦しげな顔でストレイに向けて叫んだ。

「どうして……っ貴方が使いつぶさなければ、エルはまだ……!」

 それは、ロイドたちが見たことのないほど扇情的な衣装に身を包んだリーシャ・マオだった。近くまで来ていて会話を盗み聞きし、《メルカバ》まで侵入してきていたらしい。無論ストレイたちはあえて彼女を招き入れているのだが、リーシャがそれを悟るのはもう少し先のことだった。もし今それに気付けるようであれば、ストレイに殺気など向けることはあり得なかっただろう。

 その一歩動けば死んでしまいそうなほど強烈な殺気の中にあっても、ストレイは動じない。

「それはあり得んよ、リーシャ・マオ。彼女はどのみちあそこで死なねばならなかったのだ」

「戯言を……ッ!」

 大剣をストレイののど元に食い込ませ、リーシャは声を絞り出す。そうしなければ、リーシャはその激情のままにストレイを殺してしまいそうだったのだ。まだ、この外道神父が『エル』に何をしていたのかを知るまでは殺したくなかった。今まで、自分の憎しみのままに殺しをしたことのない彼女は、その感情を持て余していたのである。

 それを知っていてなおストレイはリーシャを焚きつける。

「正直に告白するがね、リーシャ・マオ。あれほどの戦力をみすみすこのわたしが見捨てると思うか?」

「それはっ……!」

 その一瞬、リーシャは確かにたじろいだ。ゆえにストレイは畳みかけるように言葉を紡ぐ。

「憎しみをぶつけるならばわたしにではなく奴に死を受け入れさせた奴にしてもらいたいものだ」

淡々とそう告げれば、それにロイドが反応した。

「それって一体――受け入れさせたって、どういうことだ?」

「聞かない方がお前は幸せだと思うがな。というよりも、おそらく信じることはないだろう。お前が最後まで彼女を信じなかったようにな」

 それは、先日も言われたことだった。おそらくストレイとロイドとの間には認識の齟齬がある。だが、ロイドはそれを問い詰めることができないでいた。してはならない気がしてならないのだ。もしもここでアルシェムの件について問い詰めれば、ストレイはおそらくすべてをぶちまけてくれるだろう。そして、自身に何か決定的な事実を突きつけるに違いない。そんな予感がロイドの行動を縛っていた。

 黙り込んだロイドに代わるようにリーシャが意味のない言葉を吐いた。

「私は……っエルが、生きていてくれたらそれでよかったのに……!」

「まだそんなことを言っているのか……座れリーシャ・マオ。少しだけではあるが彼女について語ってやる。今更何の意味もない話ではあるがな……」

「そんなのっ……!」

「座れ。聞こえなかったか? それとも、奴がなぜお前と接触したがらなかったのかすら知る気もないか?」

 その極寒の視線に一流の暗殺者たるリーシャがひるんだ。そんなことがあるわけがないとは思っても、それが事実だ。リーシャではストレイには勝てない。どうあがいても、彼女に勝ち目などなかったのである。ただ、興味深いのはアルシェムがリーシャに会いたがらなかったというその理由を聞かせてくれる気になったということだ。

 リーシャは詰めていた息を大きく吐き、準備されていた椅子に座った。硬直していたロイドたちもようやく椅子に座ることができ、その雰囲気にのまれていなかったレオンハルトが飲み物の準備をしていた。落ち着くための温かい飲み物だ。ロイドとティオにはコーヒーを。リオとカリン、自身のためには紅茶を。そして、リーシャとストレイの前にはとっておきのジャスミン茶を置いた。

 それを一口飲んで落ち着いたストレイは、少しずつ語り始めた。

「……お前と会う前、彼女がどこで何をしていたのか知っているか?」

「いえ……何も、語ってはくれませんでしたから」

「それはそうだ。語れるはずもあるまい。……その直前に猟兵団を一つ潰してきたなどとはな」

 リーシャは息をのんだ。それは、つまり彼女はリーシャに会う前から人を殺していたということだ。同時に合点もいった。あの父が拾ってくる子供だ。ただの子供ではないとは思っていた。暗殺の技を飲み込むのも、ある意味では普通でなかったマオ家の日常に慣れるのも異常に早すぎた。それがすでに人殺しの経験があったからだというのならば確かに納得のできる話だ。

 ストレイは言葉をつづけた。

「あの時点ですでにアルシェムは人殺しであり、戻れない位置にいた。その後共和国の《拠点》から《楽園》へ移され、《身喰らう蛇》に身を落とす……」

「……だから、何だっていうんですか……」

 そんなの自分だって同じだ。そうリーシャは言いたかった。他人から依頼されるがままに人を殺し、ミラを得ていた身としては何も言うことなどできるはずがない。この身は穢れているのだ。少なくともアルシェムよりも人を殺してきたとは思っていた。猟兵団一つ? 生ぬるい。リーシャはたった一人で数個の猟兵団をつぶしたことすらある。

 しかし、ストレイはそれを否定した。

「彼女はな、リーシャ・マオ。既にお前よりも人を殺している。《楽園》で男にも穢された。いずれ再会できようが、お前には合わせる顔など持ち合わせてはいなかったのだよ」

「そんなの、私だって人殺しなのに……どうして」

「お前のは依頼があっての暗殺だろう。彼女は違う。私欲のために殺し、目的のために味方を見捨て、自分からすべてを切り離そうとしてきた」

 ストレイが語る言葉はすべてが真実だった。ただ言葉にしていないこともありはするが、そのすべてが真実だったのだ。ここにいる誰もそれを否定することはできない。なぜなら、それが真実だと本能で、あるいは事実として悟ってしまっているからだ。それをいまさら否定しにかかったところで、すでに死人の彼女を美化して何の意味があるというのか。

 ジャスミン茶を口にし、ストレイは一息ついてから声を出す。

「……だから彼女は言ったのだ。『エル』などもう『死んだ』と、な。お前と顔を合わせられなくなった時点で、すでに『リーシャ・マオとともに家族でいられるエル』という存在は死んだのだと」

「……だから、顔を合わせてくれなかった……?」

「奴の価値観はある意味理解しがたくはあるだろうがな。そういう割り切り方をしなければ、とうの昔に壊れていただろう」

 むしろ割り切らなければ今ここにはいない。ストレイは自身を名前で定義づけることで自らにその在り方を押し付け、その定義が成り立たなくなった時点で名前ごとその意識を破棄してきたのだ。それでも過去の記憶は消せないため、そのうちすべてが崩壊する。その限界もまた近かったのだが、都合よく『アルシェム・シエル』を破棄するとともに表立って動いてはならない制約を受けた。

 実は、それはそれである意味都合がよかったのだ。何せ一度すべてを初期化して新たな人格で誰かと接することができるのだから。これまでと決定的に違うのは、もはや誰とも思い出を以前の人格として共有できないことだ。その制約さえクリアすれば、全く新しい人格として生きていくことができるのである。それも、これまでとは違って誰かに意思を強要されたりしない人生を。ストレイがこの機会を見逃すわけがなかった。

 リーシャは唇をかみしめてうめいた。

「……そんな」

「もちろんお前に会いたい気持ちもあっただろうが、それ以上に顔を合わせられないほどの恥辱にまみれていた。だからこそ、《楽園》を抜け出してもお前には会いに行けなかったし、クロスベルにお前がいると知らなければ本当に最期まで会うことはなかっただろう」

 もちろん本当のことだ。クロスベルにリーシャがいると知らなければ、会うつもりなどなかった。合わせる顔もなければ会って何かをすることすらもできないと思っていた。リーシャは自分の意思では殺しをしない。明確な殺意をもって戦うタイプの暗殺者ではないのだ。しかし、ストレイは違った。ストレイは明確に自分の意思で何人も殺している。今もなお、殺戮を指示したメルは殺し続けているだろう。

 ストレイの言葉を聞いたリーシャは葛藤を抱えたまま吐き出した。

「……でも、エルは……知っていたはずなんです。私がいずれ『銀』になるのだと……エルが受けた辱めがどんなものなのかはわからないけれど、それでも彼女よりも私は……ずっと、ずっと闇の深いところにいるって、知っていたはずなんです」

「彼女の基準では、殺しに手を出した人間よりもそれを指示した人間の方が業が深いと思っているようだった。つまり、彼女は殺害を指示していたことがあるということだ」

「貴方が強要したのではなく?」

「いや、奴から言い出したことだぞ。今なおその指示で帝国内をうろついている部下がいる」

 そうストレイが断言すると、ロイドが口をはさんだ。

「それは……アルが人殺しを指示したと、そう言いたいのかストレイ卿」

 憤然としたその顔には納得がいかないと書かれている。やはり、かつての仲間が殺人を指示したことなど許せなかったのだろう。もしくは一応警察官扱いになっている彼女が犯した罪を糾弾したいのかもしれない。しかし、ストレイにとっては今更なのだ。これまでも、これからも罪にまみれて生きていくしかない彼女にとって、殺人教唆などかわいい罪なのである。それを気にして生きていくほど彼女の立場は甘くなかった。

 ゆえにストレイはさらりと言い放つ。

「わたしは無力化されてくれればいいと思ったのだがね。彼女は明確に言ったぞ、『《鉄血宰相》とそれに連なる者どもを殺せ』とな」

「そんな、やめさせることはできないのか!?」

 愕然とした顔で立ち上がったロイドは叫んだ。もちろんストレイは手を緩める気にもならない。必要ないのだ、『クロスベルを守護する』ために《鉄血宰相》とその取り巻きの存在など。だからこそ消すように指示したし、メルも嬉々としてその命令を受け取っていた。今はどうなっているかは報告がないのでわからないが、それでも着実に彼女は殺人を繰り返しているだろう。その恨みを晴らすために。

 ロイドの態度を鼻で笑ったストレイは反駁した。

「やめさせてどうなるというんだ。既に《鉄血》は始末したと聞いているし、別ルートで奴は外法認定した後だ。上は認めている。《鉄血》がどこまで《子供たち》に影響を及ぼしたか分からん以上は壊滅させるまで止まらんだろう。それに、手を下している奴も奴だからな。止めても止まらんだろうさ」

「それを、貴方は許したっていうのか」

「許すも何も。貴様にそれに口を出す権利があるとは思えんがな、ロイド・バニングス」

 冷淡に言い放てば、ロイドはいまだに使いまわそうとしているその免罪符を振りかざした。

「ある。アルは……仲間だ」

「はっ、仲間が免罪符になるのは真っ当な世界に生きている人間だけだ。まず生きてきた世界が違うだろう? 彼女を御せなかった時点で、貴様に何かを言う権利はない」

 一応、本当に一応だが、ストレイがその指示を行わない可能性はあったのだ。ロイド・バニングスがストレイの勝手な期待にこたえ続けていたのならば、その非情な指示は出されなかったかもしれない。彼についていきさえすれば万事解決すると思わせてくれていれば、ストレイは《鉄血宰相》等放置した可能性もあったのである。もちろん現実はそんなことなどあり得ないのだが。

 コーヒーが零れるのも厭わず、ロイドは叫ぶ。

「貴方は……っ!」

「勿論わたしが一番罪深いだろうさ。だが、もう今更だ。終わったことをグダグダと言い続けてどうなる? 時間の無駄だ。後悔は先に立たんし、終わったことを嘆く時間が今の貴様に必要なのか?」

 威圧感を込めてそう言えば、ロイドはその威圧感に負けて椅子に腰を落とした。しかし、視線だけはまだストレイをとらえて離さない。目を離せば悪さをするとでも言わんばかりの警戒ぶりである。言われたことに対する脳内の整理もできないほど、ロイドはストレイに対して見当違いの怒りを覚えていた。リーシャではないが、ストレイさえいなければアルシェムはまだここにいたかもしれないという勘違いからくる怒りだ。

 吐き捨てるようにロイドは言った。

「……貴方は、最低の人間だ」

「知っている。とうの昔にな……それだけ元気ならば次のポイントにも行けるだろう。そろそろ降下地点は見つかったかリオ」

 話をそらすようにそう言えば、リオはすぐに返答した。

「もち。マインツ方面なら一か所降りられるよ」

「ならば仮眠をとってからの降下準備だ。そこにはミレイユがいるはずだからな、比較的スムーズに事は進むだろうさ」

「あいあい」

「作戦開始は深夜だ。……お前たちも休んでおけよ。わたしだけですべてを終わらせることはできないのだからな」

 そういってストレイは別室に消えた。そこには、気まずい雰囲気の一同が残される。誰も何も言えない。ロイドはその怒りのあまり何を吐き散らすかわからないから何も言えず、ティオは言いしれない違和感を覚えて何も言えない。リーシャはショックで動けず、従騎士たちは複雑な顔でそんな皆を見守っていた。特にレンは冷たい目でロイドを見ていた。あそこまで言わせて精神的に追い詰めてロイドは何がしたかったのかとでも言わんばかりだ。

 と、そこで事態を打破するためにカリンが声をかける。

「……まあ、グダグダ言っていても始まりませんからね。ストレイ卿を許してくださいとは言いませんが、あの人がとても不器用な人だということだけは忘れないでください」

「不器用って……」

「あれでも、気を遣っていた方なんですよ。あえて自分が憎まれるような言い方をすれば丸く収まるんだと思っているんです。本当にバカな子……」

 カリンは泣き笑いのような顔でそういうので、ロイドは何も言えなくなった。カリンだけはその言い口を全面的に信じてはいなかったのだ。なぜなら、その言い分でかつて彼女を見捨てさせられたのだから。自身を悪人に仕立て、すべての悪い面を飲み込んで丸く収めようとするのは彼女の悪い癖のようなものだ。そうすればすべてが丸く収まると知ってしまったから、彼女はそういう手段でしかこういう事態を収拾できないのだ。

 そのもやもやした気持ちを抱えながら、一同は仮眠をとった。

 

 ❖

 

 降下の準備のために仮眠しているはずのレンは、《メルカバ》のバルコニーに出ていた。そこにストレイがいると知っていたからだ。

「……ストレイ卿」

「レン。……眠っていなくていいのか? マインツはレジスタンスが押さえているとはいえ、万が一ということもあるぞ?」

「知ってるくせに。レンは三日三晩寝なくたってパフォーマンスが落ちたりしないわ」

 そしてレンはストレイに抱き着いた。あの時のように氷のように冷たいわけではない。確かな温もりがそこにあり、ストレイが生きていることをレンに教えてくれている。彼女にとって、今の『家族』はストレイだけだ。だからこそ生きていてほしいと願い、そのためにならば何でもすると誓った。もう一度闇に落ちることだって厭わない。

 その覚悟を知っていて、ストレイは彼女を利用しているのだ。

「それでも、だ」

「……今はね、ストレイ卿。貴女が生きているって実感していたいのよ」

 さらに強くレンはストレイを抱きしめた。確かな鼓動。いつもと変わりない安定したリズム。血液の流れる音。呼吸。匂い。温かさ。そのすべてを自身に刻み込むように受け止める。本当は怖かったのだ。あの時、身代わりだと分かっていても肉片になるまで撃たれた『アルシェム・シエル』が、『ストレイ』としてきちんと生きているかどうか不安だった。だからこそこうして確かめているのだ。

 密着していたからなのか、レンは思わず漏れたストレイのその声を聞きとれた。

「死なないよ、もう……死ねないよ、レン」

「……え?」

「大丈夫。安心しろ、レン。お前を置いて死んだりしないから」

 それは確かな安心感をレンに植え付けた。そして、わずかばかりの疑念も植え付けていた。死ねないよ、とはどういうことなのか。今は生きているからいいやでは済まされない。その意味をレンは知らなければならないのだ。おそらく、その意味を知らなければストレイを完全に理解することはできないのだろうから。

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