雪の軌跡・リメイク 作:玻璃
アルコーンたちの行動により、クロスベル市から結界が消え去った。国防軍の兵士たちは民衆が恐怖に叩き込まれると思っていたが、そうはならなかった。喜びに沸いたのだ。慌てて民衆の身を守るための外出禁止令を敷かなければ、彼らは宴会でも開きかねなかっただろう。そんなことをして帝国や共和国から送り込まれてくるだろうスパイに殺されるようなことなどあってはならない。
当然、不満は噴出した。外出禁止令さえなければ彼らは暴動でも起こしかねなかったほどだ。今まで露見してこなかった不満が、そこら中にあふれていた。これがあの不審者アルコーンのなしたことだと思えば、国防軍の兵士たちは不快でしかなかった。どんな手段でだってかまわないだろう、帝国や共和国の脅威から守られるのならば。そう思っていたのである。
帝国も、共和国も、確かにその結界が消えたことに対してアクションを起こした。空からも、地上からも、クロスベルを攻め立てたのである。しかし、それに対抗するために出動した《神機》ともども破壊してのけた存在がいた。それは人間サイズの機械人形だったのである。彼らは誰も知りはしないが、それは《トーター》と呼ばれる存在であった。
それを指揮していたのは――
「あら、さすがに強化しすぎたわね」
平然とそうつぶやくレンだった。そう、あれはティータに魔改造され、さらにレンとティオで開発を進めた《パテル=マテル》の子機《トーター》だったのである。材料には贅沢にも結社謹製の《クルタレゴン》がふんだんに使われており、ゼムリアストーンも真っ青の強度を誇る。そしてある程度の自立した思考も持っているため、柔軟性も高い。
それを見たアルコーンは複雑な顔で問う。
「レン……何だあれは」
「うふふ、ティータとレン、それにティオの最高傑作よ。良いでしょう? 《パテル=マテル》の娘たちよ」
「……何も突っ込むまいとは思っていたが、さすがにやりすぎたのではないか?」
そうぼやきたくなるのも当然だった。あれさえいれば大抵のことは何とかなってしまう。戦力の補給など考える必要もない。このままロイドたちをどこかに下ろしてしまおうかと考えてしまう程、それらの機能は強すぎたのである。とはいえクロスベルは人間の手で解放させたい。もっと言えば、これからクロスベルの未来を担うであろうエリィとその仲間たちに解放させたいのである。それがまだロイドたちを《メルカバ》につなぎとめていた。
一応、この事態に備えて《千の護手》ケビンがエステルたちをリベールから連れてきていたのだが、そのまま返すことになりそうだった。ティータたちをリベールに返したその足で連れてきてくれたらしいが、この戦力があれば何も必要なかったようだ。ケビンはそれだけの戦力について警戒を抱いていたようだったが、アルテリアとは決別する予定のアルコーンには何ら問題はない。
最低限の人員だけ残した《メルカバ》を空に残し、アルコーンはロイドたちとともにクロスベルへと潜入した。といっても、タイミングが同じだけで接触する人間は違うので行動は別々になる。ロイドは離れて清々したような表情をしていたが、彼はここでついていくべきだった。少なくとも殺人を許容しないのであれば、であるが。アルコーンの目的の一つは、ここにいる《鉄血の子供たち》を殺すことだ。
潜入してほどなくして見つけたその男に音もなく近づき、声を交わすことなく《塩の杭》製の弾丸で葬り去る。赤毛の《かかし男》は、気付いた時にはもうすでに死んでいた。結社の《第四柱》としての立場のあった彼も、早すぎる女神からの贈り物には勝てなかったようだ。レオンハルトが瓶詰にされた塩レクターを《メルカバ》に輸送し、戻ってくる。
それを見届けてからアルコーンはジオフロントへと向かった。今のこの状況で警察関係者がいるのならばそこしかないと踏んだからだ。クロスベルの無駄遣いの省庁にして犯罪の温床であったそこは、公然と外を歩けない人間たちにとっては格好の隠れ場所にして移動手段なのだから。もちろんロイドたちもそこに集まってくるだろうが、彼らは導力車を確保しに行っているらしかった。
そこに入ったアルコーンは、周囲から複雑な視線をもって受け入れられた。
「……お前は」
「何か言いたいことがあるなら聞くが?」
「……アルシェム、なのか?」
またそれか。うんざりした顔でアルコーンは返す。
「放送をみていたろうに。わたしはアルコーン・ストレイ=デミウルゴス、だ。そしてアルシェム・シエルはすでに死んでいる」
「でも……」
「見てくれが同じなら別人でもそいつだと判断するのか? 警察が聞いてあきれるな。双子の犯罪者が出たらどうするつもりなんだ、え?」
これもこれで詭弁なのだが、それで複雑ながらも納得する警察官たちは多かった。そもそも、嫌いな人間のことを深く知りたい人間などいるだろうか。そのニンゲンを陥れたいのであれば別だろうが、普通は嫌いならば嫌いなりに知ろうとはしないはずだ。情報をシャットダウンして知らないままでいる方が楽だから。どれだけ嫌いな奴が本当はどういう奴なのかを聞かされても、最初に張られたレッテルはそう簡単には剥がせない。故に警察官の中にアルシェムを深く知る人間はいないのだ。
例外は当然いるが、その二人ですら彼女には深入りしようとは思っていなかった。ただその意思を確認するだけだ。
「……お前はそれでいいのか?」
「よくなければここに立っているはずがなかろう?」
「そうか……」
ダドリーとセルゲイは何かしら考え込んでいるようだが、それについてアルコーンは語る言葉を持たない。語ったところで何の意味もないからだ。言葉は結果を生まなければただの音の羅列でしかない。その音の羅列を垂れ流し続けるほど無意味なことはないし、その無意味な音の羅列を聞かされ続けることほど苦痛なことは存在しないのだから。
そこに、ようやくロイドたちが合流した。それ以外にももう一人髪の長い女を連れているようだ。
「おい、ロイド・バニングス。そいつだけは連れてくるなよ……」
「何でだよ。今は人手があった方がいいじゃないか」
「彼の言う通りではなくて? アルコーン、だったかしら。意地を張っている場合ではないでしょう」
反駁するロイドに加勢するその女は――《泰斗流》師範代にして《ロックスミス機関》室長キリカ・ロウランだった。当然のことながら鑑賞を許すわけにはいかない存在でもある。何せ共和国の大統領と直接つながるその女に干渉を許せば、クロスベルは共和国の属州であることを証明してしまうことになりかねないからだ。当然、独立するためにそんなことを許すわけにもいかない。
だからこそアルコーンははねつけた。
「意地を張っているわけではない。手は足りている。むしろ手が足りないのは共和国の中だろう? おうちに帰らなくてもいいのか、キリカ・ロウラン。お前がいけばあるいは内戦も収束に向かうやもしれんぞ?」
「……ッ、それはッ! 内政干渉よ、アルシェム!」
「お前がやろうとしたことと同じだろうに。あとわたしはアルシェムではない……エマ、彼女を丁重に保護しておいてくれ。これでも共和国の要人だ。勝手に出ていかれて怪我でもされてこちらのせいにされてはたまらん」
それを聞いて捜査一課の女刑事は彼女を確保しようとしたが、キリカは抵抗したので気絶させられていた。傷のつく方法ではなかったので幸いだったが、余計な時間を取らされたことだけは事実だ。じろりとロイドを見れば、彼もまたアルコーンをにらみつけていた。せっかく見つけた協力者に何をしてくれると言わんばかりだが、残念ながら彼女に干渉させるわけにはいかないので仕方がない。
《オルキスタワー》の攻略のためにはただ突っ込むだけではいけないので策を練る必要があったが、すでにそれはエマが作戦を立てていた。それに修正を加えればいいだけだったので早々に行動が決定する。
まず、ロイドたち特務支援課とリオが導力車で《オルキスタワー》に突っ込む。そしてそこから彼らが内部に乗り込み、外部から押し寄せるであろう兵士たちをリーシャと自警団、そして警察関係者で押さえる。さらに残った《赤い星座》がタワーから降下してくる可能性があるので空中での迎撃にレンと《パテル=マテル》が当たる。アルコーンはどの作戦に乗り込んでもいいと言われたのでレンと同じく空中での迎撃にあたることにした。そこから侵入することもできるためだ。
そうして作戦が始まった。
❖
いつからだっただろうか。彼女が自覚したときにはすでにその目に光は取り戻されていて、世界には苦しみが満ちていた。それを自覚して最初に見たものは苦々しい顔をしている父で、おとうさん、と呼べばぎこちない笑みを浮かべて頭を撫でてくれた。しかしそれだけで、彼女が求める温もりをくれることは決してなかった。父はそのまま《オルキスタワー》から消えていた。
否、本当は気付いていたのだ。見ないふりをしていただけだった。アリオス・マクレインにとってシズク・マクレインとはクロスベルの苦難の象徴であったのだ。それがこうもあっさりなかったことにされてしまえば困惑するのも当然のことで、顔を合わせづらい状態になっていたのも彼女にはわかりきっていたことであった。何せ自分は母サヤ・マクレインにとても似ているらしい。そんな自分が父の前に目を開いていればどうなるかなど分かり切っていた。
アリオスは過去に溺れない。囚われはしても、その過去を変えようとは願ってはいない。次にそんな未来が起きないように行動できる人間だ。だからこそ、悔恨に身を焼くのだ。過去を変えてはならないと自身を戒めながらも、その甘い誘惑に耐えきれそうになかった。クロスベルの未来は守りたいが、そのための報酬としてもらえないと分かっているサヤの生存をも望んだのもそのためだ。先払いにシズクの目の治療を求めたのも、過去をなかったことにしたかったからではない。
未来のためにアリオスは生きられる。それをシズクは知っているから。よく手になじむ見覚えのないはずの黒塗りの脇差をその小さな手に滑り込ませた。何度も何度もなぞり続けた父の軌跡。目が見えなくとも追い続けた、父の動きを。目が見えるようになって初めて彼女は明確に追い始めた。一振り。ふた振り。立ち居振る舞いと、呼吸と、間合いと、まなざしと。すべてを自身のものにするために。
途中で声だけは知っていた少女が絡みついてきた。すごくおいしそうだ、と言いながら襲い掛かってきた彼女を返り討ちにしてしまってから、シャーリィ・オルランドとの鍛錬が始まった。それはたった数日の交流ではあったけれど、それでもなおシズクの糧となった。めきめきと実力をつける彼女の鍛錬にシグムントも参加してきて、それに彼女が異常を覚えるのはすぐだった。
そんなはずはないのだ。つい数日前まで日常の半分以上をベッドで過ごしていた自分が、猟兵たちと渡り合えるなど、有り得ていいはずがない。
その不安を、シズクは親友であるはずのキーアに言うことができなかった。なぜなら彼女だけが満面の笑みでシズクとのおしゃべりを楽しんでいたからだ。シズクの目が見えるようになって本当にうれしい、と。これからはもっといっぱい一緒に遊べるね、と。以前とはすっかり変わってしまった雰囲気を醸し出すキーアはそういったのだ。外見も中身も変わってしまったのに、それをさも変わっていないかのように偽装する彼女は本当に不気味だった。
あるいはシズクに不安を抱かせないようにするためだったのかもしれない。しかし、そのことが余計にシズクの心をかたくなにした。キーアにだけは言えなかった。おそらく、彼女こそが自分の目を治療してくれた人物なのだと直感してしまったから。こんな世界だというのならば見たくはなかった。それでも、こうして見えるようになってしまったのならば。
自分のうちから湧き出てくる声が、シズクを突き動かしている。『戦え』と言われている。ならば、戦わなくてはならない。それは、目に光を取り戻してくれた人のためでは断じてなかった。自分のためだ。こんな世界は見たくないから。だから、戦う。たとえそれがキーアと敵対することになったのだとしても、過去を凌辱する手伝いをしている父など見たくもないから。
だから、窓を破壊して謎の機械が侵入してきたとき、彼女はこれ幸いとそこから飛び出したのである。その階層から出ることは禁じられていて、シズクが脱出できる場所はそこにしかなかったから。父にはできる。ならば、それを模倣できるシズクにできない道理はない。そういう思い込みだけで彼女は高層ビルからの飛び降り着地を成功させた。
「なっ……」
「ああ、一体潰せてよかったです。これでだめって言われるなら考えなくちゃいけないところでした」
「いや、あの……シズクさん、よね?」
困惑した様子の彼女が誰であるのか、シズクは知らない。しかしこの状況を打破するために戦っている人だというそれだけで、シズクには彼女を信じられる。今シズクが信頼できないのは、《赤い星座》と父とキーア。そして、マリアベル・クロイスだけだ。
背筋を伸ばし、脇差を侵入を防ぐ機械兵に向けて女性に告げた。
「お手伝いします。お父さんとあの人たちを、止めなくちゃいけませんから」
そして――父の技を模倣した少女は戦場を駆けた。そこには、病院で弱弱しく寝ていた少女の姿はなかった。
❖
誰もいない《オルキスタワー》の内部を抜け、頂上まで駆け上がったロイドたちが見たのは、大量の機械人形に囲まれたディーターと大量に散らばる何らかの機械の破片だった。どうやらすべて終わらせてしまっていたらしい。そこそこ疲弊していたので無駄な戦いにならないのはいいことだったのだが、それならばそれで最初からアルコーンがすべてを終わらせていればよかった話だ。ロイドはそう思っていた。
「……アルコーン」
「ああ、ようやく来たか。まさか《トーター》がここまでやれるとは思っていなくてな……」
その疲れた笑みはやはり以前と同じで、本人ではないと何度も否定しているのに彼女がアルシェムであるとロイドに認識させる。それに眉を動かしたアルコーンはディーターを捕縛している《トーター》に指示を出して連行させた。
そしてロイドたちとともに動いていたリオに声をかける。
「リオ、準備は」
「万全。後は脱出するだけだよ」
「ならば脱出――する前にあちらからアクションを起こす気のようだな」
そういって視線をロイドたちから離したアルコーンは空中をにらみつけた。もちろんロイドには彼女が何をにらんでいるのか分からないので困惑する。何を準備させていたのか知らないが、脱出しなければならないようなことをリオにさせたのだろうか。もしそうだとするのなら、ロイドはますますアルコーンを軽蔑するのだが。もはやロイドの中ではアルシェムもアルコーンも仲間などではない。敵ではないが味方にはしたくない人間である。
そんな彼女の視線の先で、映像が浮かび上がった。どこかに投影機があるわけでもないのに浮かんでいるその顔触れは、確かに敵だった。
『あらあら、お父様ってばそこまで無能だとは思いませんでしたわ』
「マリアベルさん、それに、イアン先生……?」
しかし、ロイドは気付けてはいなかったのだ。一人意外な人間が混ざっていて、彼がそこにいることに違和感すら覚えていた。だからこそ無理やりに協力させられているのかとも勘違いしそうになったほどだ。しかし、彼の瞳に浮かんでいるのは紛れもない現状に対する怒りで。アリオスと同じ怒りを抱いていることが容易に見て取れた。
その映像に気を取られている隙に《オルキスタワー》が変形する。まさかこの建物も巨大機械人形になって動き始めるのかと勘違いしかけたが、すぐにそうでないことに気付いた。ただ人であるロイドにも気づけるほどの力の奔流。クロスベル市内からかき集められたそれは、南の湿地帯の方へと導かれていく。この力の感じはどこかで――と考え、否定した。そんなことがあるはずがないのだと。
マリアベルの顔面映像は嘲笑するように言った。
『それと、貴女も分からない人ですわね? そんなことをしたって偽物は偽物ですのに』
「お前も分からん女だ。そんな偽物を失せ物の代わりにしたって、本物には劣るというのに……ここから力をかき集めねばならん時点で劣化版にすら劣るとなぜ気づかない」
嘲笑に嘲笑を返したアルコーンの顔は見えない。ロイドは彼女の後ろに立っているからだ。しかし、この行為が何をしているのかはなんとなくわかった。あの時と同じだ。キーアを無理やり『使う』ための儀式。それを止められないことに怒りを感じ、それを止められるはずなのに止めようとしないアルコーンに対しても怒りがわいた。
『ご先祖様の最高傑作を侮辱するのは許しませんわよ?』
「許す? ああ、心にもないことをいうものではないぞ。どうせお前はお前の欲望にしか興味を抱けないくせに」
戦意が高まっている。しかし、どこにいるのかはわからないまでも距離が開いていることは確かで、だからこそここで闘いが始まることはない。今、話もできないほどの激しい戦いが起きないというのであれば、ロイドには知りたいことがある。
その問いをロイドはマリアベルにぶつけようとした。
「マリアベルさん、どうして貴女はキーアを……」
『うふふ、ロイドさん。気に食わないけれど、エリィともども貴男もこちら側に来てはどうかしら? 貴男には動機もある。力もある。答えは――いずれまた』
そういい捨てたマリアベルの顔が消える。その他の面々の顔もだ。そのころには南の湿地帯に異変が起きていて、そこに碧い大樹が生えていた。ロイドには、それが一瞬キーアに見えてその考えを必死に振り払うことしかできなかった。あれがキーアであるはずがない。優しく、可愛く、誰にでも好かれるはずのキーアがあんな不可思議な大樹であるはずがないのだ。そう自身に言い聞かせることしかできなかった。