雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

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空に災厄を振りまいた(S1204/12/30)

「やあ、□□□――いや、『キーア=デミウルゴス』」

 そこを言葉で表現するとするのならば、『宇宙』だった。周囲には何もなく、それを光り輝く『可能性』のかけらが照らし出している。それはあたかも宇宙空間に立っているようで。しかしそこにあるモノがすべて美しいものであるとは限らない。輝くかけらも、産業廃棄物のような汚泥のかけらも、世界に許された可能性のすべてがそこに散らばっていた。

 その真中に立つ二人の少女。年齢的にはどちらも優に半世紀は超えているのだが、それはさておく。あまりにも似通ったその顔立ちは姉妹のようにも見えて――しかし、その顔に浮かぶ表情がそれを素直には信じさせてくれない。先に言葉を発したアルコーンの顔には余裕の笑みが。そして対峙する少女はそれを悪鬼のような表情でにらみつけている。

 顔をゆがませ、唇を震わせてキーアと呼ばれた少女は問うた。

「忌々しい……どうしてそのまま死なないの?」

 それは悪意の発露。アルコーンとなった彼女に向けられる、あまたの可能性を束ねた願い。その根源が『ふつうのおんなのこ』になりたいという願いでできた、悲しき悪意だ。その願いをかなえるために犠牲にしたものは数知れず、またその願いのために得られたものは驚くほどに少ない。それでもなお、彼女は願わずにはいられなかったのだ。

 『ふつうのおんなのこ』になりたかった。そうすればこんな未来を見ることも、ロイドたちに気を遣われることも、誰からも狙われることはなかったに違いなかったから。なまじこんな力を持たされて生み出されてしまったからこそ付け狙われる羽目になったのだ。そのせいでロイドたちには両手の数では足りないほどの迷惑をかけた。だからこそキーアは願うのだ。『ふつうのおんなのこ』になりたいと。

 そのためにはアルコーンなど必要なかった。キーアの望むその世界には、アルコーンの居場所などないのだから。ロイドがいて、ランディがいて、エリィが、ティオが、ワジが、ノエルが、リーシャが、その他あまたのキーアの愛する人たちがいて。しかしその中にアルコーンの席だけが存在しない。自分の重荷を押し付けるために生み出した存在など、同じ空間にすら存在してほしくないのである。

 忌々しげに顔をゆがめる少女にアルコーンは苦笑するだけの余裕を見せた。

「いやなに、分かっていないだろうお前」

 キーアにはその余裕の笑みが癪に触って仕方がなかった。それは息をするように自然なことだった。キーアにとって、アルコーンは絶対に許容できないものなのだから当然だろう。あたかも子供のように、気に入らないものを無造作に排除したがる幼稚さがそこにある。長年生きてきたからと言って精神が嫌が応にも成長するわけではないという典型例でもあろう。

「何がわかってないっていうの!?」

 その絶叫とともに放たれる『アルコーンなど存在しない世界』の可能性のかけら。しかし彼女には当たらない。当たっても何の痛痒も与えられはしない。彼女も本当は分かっていてなお認めることはできないのだ。アルコーンが存在しない世界では、どうあがいても『キーア』は『ふつうのおんなのこ』にはなれないのだということを。必要なくなった駒を片付けるだけですべてが平穏に戻るはずだと、まだ彼女は信じていた。

 そして対するアルコーンはそれを悲しいほどに理解していた。だから余裕なのだ。彼女がアルコーンを否定することなど、絶対にできないと分かっているから。かつて自らも抱いた願い。『ふつう』はアルコーンにしてみれば手の届かぬほど遠く、また届いてはならないものだった。ここまで来てしまった以上、アルコーンには道など他にない。クロスベルの頂点に君臨し、周辺諸国の干渉からすべてを守り抜く。そう決めたのだから。

 だからこそ、懇切丁寧に説明してやるのだ。これまでの意趣返しも込めて。

「お前の願いは分かっている。『ふつうのおんなのこ』になりたいんだろう?」

 それはどちらにとっても共通認識で。そして同時に同じ願いを抱いていたことの証左でもあった。キーアはその願いを貫き通したいと願い。そしてアルコーンはその願いをかなえることをあきらめてしまった。どちらかがあきらめない限り、どちらかの願いはかなわない。既に決着はついているはずなのに、勝者がそれを認められないでいる。その勝利には敗者など必要ないと思っているのだから当然だ。

 だからこそ大きく両手を開いて主張する。

「そうだよ! それの何が悪いっていうの!? そのために作った駒を壊して何が悪いの!」

 キーアの主張はまるでかんしゃくを起こした子供のそれだ。何百年とこの可能性だらけの空間にいて、彼女は成長することを知らなかった。誰ともかかわらず、自身の欲望を満たすためだけに動いていた彼女に成長はあり得なかったのだ。だからこそ精神性は幼く未熟で普通の少女よりも時には幼くなる。特に今はそばにロイドたちがいないのだから、子供らしいかんしゃくを起こしても何らおかしくはないのだ。ロイドといるときは嫌われないように自身を抑制してふるまっていたのだから。

 対するアルコーンは、肉体の年齢相応とは言わないが成長してきた。かたくなに守り続けた意地もあるが、十七年という時を生きただけの成長があった。何もかもを巻き込まないようにと配慮もした。ただ語らないだけで、彼女は一応周囲を尊重することを覚えたのである。それが時折ずれていることもあるが、周囲の価値観と彼女の価値観が合わなかっただけの話だ。その乖離がどうしようもないことも多々あったが、彼女はそれらすべてを許容してこなかったわけではない。

 どうしても、どこまでも、キーアは『子供』だった。だからこそそれを教え諭すのは年長者たるアルコーンの役目だった。

「必要のない駒には退場願う、か。別にいいんだが……なあ」

 キーアの身勝手な言葉に肩をすくめ、キーアの目の前の使えない駒は嗤った。

「破棄した駒が担っていた役割は、いったい誰が担うんだ?」

 その言葉を聞いた瞬間、キーアは目を見開いた。そして激しく頭を振る。そんなことがあり得るはずがないと信じていた。自分が『ふつうのおんなのこ』になるために必要な土台を作れば、必要なくなった駒なんて処分しても何ら問題はないと思い込んでいた。その言葉の意味を、キーアは理解などしたくなかったのである。それを理解してしまえば、何かが壊れてしまう気がして。

「違う……そんなの、そんなの、そんなわけない……」

 にやにやと笑いながらアルコーンは続ける。

「なあ、答えてみろ、『キーア=デミウルゴス』。お前が『ふつうのおんなのこ』になるために押し付けた役割は、駒ごと破棄できるようなものだったか?」

 そんなはずはなかった。もしも意思のないいけにえを用意して代行させられるのならばとっくにそうしていた。しかしそれができなかったからこそ意志あるいけにえを用意し、できうる限りを救わせてきたのだ。だから、すべてが終わった後にならその役割を破棄できると――そう、思っていたのだ。《碧と零の至宝》としての力をすべて破棄できると思っていた。

 しかし、現実には違う。彼女が繰り返してきた歴史は、先史時代からこの七耀暦1205年まで。この先の未来などというものは、観測したことはあれど体験したことはなかったのである。あくまでも『キーア=デミウルゴス』としての起点は今現在、自分自身で異能を捨て去ったこの時点だった。だからこそ、この先にも多少その力が残ってしまうことも知らないし、その力によって救える命があったことすら知らないのだ。

 だから、その否定は願望を世界に押し付けていた。

「そんなの……できないとおかしいよ! だってこんな力、あっていいものじゃないもん!」

「そんなことを言えば《七の至宝》すべてがそうだと思うんだが……まあ、そこはいうだけ野暮なのだろうな」

 キーアの狼狽を鼻で笑い、アルコーンはなおも続ける。

「とはいえお前が『ふつう』になるためには誰かをいけにえにしなければならないというのは間違ったことではない。だからといってその力をこの世から消し去ることはできないというだけの話だ」

「そんな……そんなはずないよ! だって、そんな!」

「自分が因果律をいじって作り出せたから、その逆もできると思ったか?」

 ハッ、と笑って彼女はそんなわけないだろう、と続けた。無責任に生み出すのは簡単だ。しかし、それを完全に消し去ることはできないのである。世界は人間の営みでできている。たとえそれが人間モドキであったとしても、そこに多少なりとも関わったのならば――その痕跡を完全に消し去ることは不可能なのだ。記憶を消そうが存在の痕跡を抹消しようが、そこに『あった』という事実がある以上はどうしても違和感が出る。そこから整合性にほころびができ、崩壊するのだ。

 生み出すのは簡単だ。殺すのも簡単だ。しかし、その事実を消し去るのは非常に難しいのだ。だからこそ、『ニンゲン』として世界にかかわってきたアルコーンを消し去るのは困難を極める。もちろん他の誰を消し去ろうとしても同じことだ。その人物に絡みついた因果律全てを消し去ることは、事実上不可能と言っても過言ではなかった。

 とはいえ、アルコーンは普通の人間よりも消し去るのが難しい。キーアの望む仲間たちを救うために様々な場所に派遣され、なおかつ死人まで出してその力を手に入れたアルコーンを殺すためには、やはり彼女のいた世界ごと抹消するしかない。今やゼムリア大陸において彼女と一片のかかわりもない人間などごくわずかなのだから。直接彼女とかかわりがなくとも、間接的にかかわりがある人間も多いのだから。

 それがキーア自身のなした所業故というのがなお皮肉だった。ここでキーアが無理やりにでもアルコーンを消滅させれば、少なくとも西ゼムリアは消し飛ぶだろう。彼女の存在を知る人間を残らず消し飛ばすことによって。そして、その人間たちが消えても疑問に思わない人間しか残らなくなるまでそれは続くのだ。その余波は計り知れない。これがキーアがアルコーンを殺せない一端である。

 アルコーンは、否『アルシェム・シエル』はそう考えてはいなかったので『殺される』と認識していたが、『成って』しまったアルコーンにならばわかった。その人物を『殺す』まではできる。それは悼まれるべきものであり、確実にその場からはいなくなる。しかし、キーアの考えるように『殺す=消し去る』ことはできないのだ。いた人間をいなかったことにはできない。

 しかしキーアにはそれが理解できてはいなかった。

 

「死んでよ! 消えてよ! いらない駒なんて消えたって困らないんだからあああっ!」

 

 その絶叫とともに放たれる『アルコーンなど存在しない世界』の可能性。彼女を『アルコーン』という概念ごと消し飛ばすために、キーアが取れる方法だ。本来であれば指の一振りだけでそれができたはずなのに、アルコーンにだけはそれが効かない。世界はとっくに限界を迎えていて、その整合性を保つためにはアルコーンを消滅させられないのだ。

 海岸線で砂の城を創るように、何度も何度もキーアは世界をこね回した。世界はそれを途中から拒絶し、キーアの望む幻想だけを彼女に見せた。誰かを死なせ、誰かを生かし、気まぐれな神々の遊びのように世界をこねくり回すキーアに、世界の側が拒絶反応を起こしたのだ。処理しきれないほどのトライ&エラー。彼女が満足するまで続く、地獄のような惨劇の数々。

 それに対抗するために、世界はキーアの思考を誘導した。そして彼女に対抗しうるだけの駒を自分自身で作り上げさせた。そしてキーア自身にもこねくり回させ、より強化した状態で対峙させる。明確な敵対意思がなければキーアを止められないことを世界は分かっていたから、『アルシェム・シエル』に強迫観念を植え付けた。いずれ殺されることに恐怖するだけの少女ではなかったから、『アルシェム・シエル』はキーアの眼を欺いて別人に成った。

 だからこそキーアは今世界そのものと戦っているに等しい。

「何で……何で何で何で何で何でええっ! 何で死なないの消えないの滅されてよ!」

「わたしを生むために何人犠牲にしてきたか忘れたか? その犠牲の分までわたしは生きねばならないし、それらすべての痕跡を消すことも不可能だ。わたしは――モドキかもしれないが、確かに生きていたんだから」

 そんな発言が自身から出てきたことにアルコーンは驚いた。しかし、言ってからしっくり来た。今ここで死ぬわけにはいかない。自分が生まれるために死んだ人間は数知れないのだから、彼らのためにも生きなければならない。どうせ死ねない、などと考えてはならないのだ。精一杯、人間のようにふるまってでも『生き』なければならないのだ。

 それを綺麗事だと切って捨てられるほど、アルコーンは強いわけでもなかった。もうすでにクロスベルを背負ってしまっている。ならば、自分が存在するために死んでしまった彼ら彼女らのことをも背負えなくて何とする。どうせ時間は有り余っているのだ。だからこそ、これ以上の悲劇を自身が生み出さないために――全力を尽くすしか、ないではないか。

 だからこそ――

 

「死っねぇええええええええええええええええええええええええええっ!」

 

 絶叫するキーア。その彼女から放たれる汚泥に満ちた可能性の数々。しかし、それを見てもアルコーンは冷静だった。

「……そうだな、お前から見れば死んでほしいんだろうな、とは思うよ」

 いつもよりも何倍も大きく見えるその背に、蒼銀の華が咲いた。癒しの水と、鎮めの幻を静かに静かに練り上げて。言葉など必要としていなかった。ただ、アルコーンに必要だったのは平静を保つことだけだった。自らに望まず植え付けられた《聖痕》の力を引き上げる。この異空間においてその力に制限はかからない。ゆえにその光は無限に広がっていく。

 憎んだ。キーアを憎んだ。この世に自身を産み落としたすべてを憎んだ。しかし、こうして生きていなければ憎むことすらできなかった。だから、憎みきれなくなった。いずれ処分される駒だと自覚していても、憎みきれなかった。恨みつらみはあった。しかし、それでもその目論見を外すための一番簡単な手段を取らなかったのは、アルコーンも生きていたかったからだ。

 深い闇の中に、汚泥の中に叩き落してくれたことに対して確かに思うところはまだある。しかし、それを憎もうが恨もうが怒りをぶつけようが過去を変えることはできない。今ならばできるのかもしれないが、したくない。そんなことをすればここまで築き上げてきたものすべてが消えてしまうと分かっているからだ。ここまで生きてきた人間への冒涜を、アルコーンごときが行っていいはずがない。

 《ハーメル》に送り込まれなければ、『家族』などできなかった。ヨシュアにも出会えなかった。レオンハルトとカリンを生かすこともできなかった。その代わりに失われた命は確かにあるのだろう。しかし、それでも『家族』を救えてよかったと思ってしまう。ある意味では命に格差をつける行為。それを誰が責められようか。見知らぬ誰かと愛する家族の命。どちらかしか選べないのなら、家族を選ぶだろう。それだけの話だ。

 闇の中に落とされなければ出会えなかった人たちがいる。救えなかった人たちがいる。その代わりに死んだ人たちも、救われなかった人たちも確かにいる。それでも、アルコーンにすべてが救えたとは思わない。彼女はそうあれかしと望まれて生まれたが、決して『デウス・エクス・マキナ』などではないのだから。万能の神がこの世には存在しないように、すべてを救える正義の味方など存在しない。

「だけど……さ。悪いけど、わたしにだって待っててくれる人がいるから……だから」

 キィン、と澄んだ音が響いた。それは汚濁にまみれた彼女には似つかわしくない音で。同時に純粋に自身の幸福だけを追い求めたキーアにもふさわしい音ではなかったけれど。それがもたらした効果は――絶大だった。何もないはずの空間が崩壊していく。可能性だけはそこに残され、存在していたはずの人間の姿が消えていく。醜い絶叫は消え、そして――すべてが消えた。

 

「――ミツケテ」

 

 それはいったい誰が発した言葉だったか。いずれにせよその小さな願いは、いずれかなえられるだろう。もはやその願いを憎らしく思う人間など、存在しないのだから。

 

 ❖

 

 七耀暦1204年12月31日。西ゼムリア大陸の一部の地方から観測されていた不可思議な《碧の大樹》は消滅した。各国の諜報機関はそれが出現した時点で諜報員に情報を集めさせていたが、その情報を正確に報告出来た人間はいなかったという。誰もが狐につままれたような顔をしており、周辺各国も息を詰めてその状況を見守っていたが――しかし、その現象が一体何であるのかが明かされることはついぞなかった。

 そのまま事態を静観しているうちに、またクロスベルから電撃発表が各国に送り付けられた。そこにはディーター・クロイスを廃し、新たに王となる人物の名とその下で政治を行う人物の名のもとに『クロスベル中立国』の成立を宣言する旨が記されていた。もはやエレボニア帝国とカルバード共和国の統治下にはないことを明白に示して見せたのである。

 これに対し、帝国議会も共和国政府もそろって抗議――できなかった。なぜなら、帝国議会はとある放蕩皇子に牛耳られ、共和国は内戦に叩き込まれていてそれどころではなかったからである。レミフェリアとアルテリアは静観し、何と穏健派に見えたリベールがそれに対して承認の意思を見せた。裏では何らかの取引がなされたとみているが、誰もその内容を語ることはなかった。

 それを受けて各地で――特にエレボニア統治下におかれた自治州の独立の気炎が巻き起こる。それが単独で成功することはなかったが、ノーザンブリア自治州をはじめオリヴァルト・ライゼ・アルノール及びアルフィン・ライゼ・アルノール両名の名のもとに独立できた自治州も少なくはなかった。その二人を売国奴とののしる帝国民がいないわけでもなかったが、帝国も外には見せなかっただけで内乱で荒れていたのである。すべてを立て直すためには多少の領地の解放もやむなしであった。

 それらに積極的に介入することなく、クロスベル中立国は自国に干渉しようとした輩のみを退けていた。ゆえにその混乱が収まるころには、クロスベル中立国は帝国と共和国間の新たな緩衝材としての役目を担っていた。なくてはならない調停役に収まったクロスベル中立国には、彼らが付け入るスキなどもはや残されてはいなかったのである。

 もっとも――安定するまでは、そこに付け入ろうとする輩がいなかったわけでもないのだが。いずれにせよ『キーア=デミウルゴス』によって空にふりまかれた災厄は、しかして災厄ではなく束の間ではあれど西ゼムリア大陸に平穏をもたらしたのであった。

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