雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

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愛の告白

「テメェに会いに来たんだよ。俺の居場所はワジの隣だからな」

 

 真顔でそう言い切ったヴァルドに、一同は複雑そうな顔をした。そして一様に耳の調子を確かめた。今、ヴァルドは愛の告白的なものをしなかっただろうか。いやきっと気のせいだと思ったが、耳の調子はすこぶる良い。どうやら本気で聞き間違いではないことに一同は気付いてしまった。一部の女性騎士たちは内心でキャーキャー騒いでいたりする。腐っている。

そんな一同を意に介することなくヴァルドは告げる。

「戻りたくねえなら好きにしろ。俺も傍にいるから。戻りたくて気まずいなら一緒に帰ってやる」

 それに対してワジも聞き間違いで押し通そうとした。そんなことなど受け入れることはできない。ワジの還れる場所はここしかない。受け入れてくれる場所も、故郷もすでに失った。自警団にも無断でここにいる以上、もはやクロスベルにだって戻ることは叶わない。そもそも《守護騎士》であるワジがそのままそこに居座れるわけもないのだ。

 だからこそ耳をトントンとたたいて乾いた声で問い返す。

「……やれやれ、僕も年かな? ヴァルドが何か愛の告白みたいなことを……」

「みたいなじゃねえ。そのものだ」

 ドヤ顔で言い切ったヴァルドは妙に格好良かった。思わずワジが見とれるくらいに。ワジは顔を真っ赤に、次いで真っ青にしながら百面相して動揺する。その言葉自体はワジにとってはうれしいものだ。しかし、同時に受け入れることはできないものだった。ヴァルドを愛している。しかし、その愛を受け入れることは、穢れた自分にはできそうにないのだから。

そんなワジにヴァルドは更に追撃を加えた。

「ヴァルド・ヴァレスはワジ・ヘミスフィアを愛している」

「なっ……ななな、何言ってんのヴァルド!? どうしたの、頭でも打った!? うわ、どうしよう病院!? そうだよ、びょびょびょ病院に連れて行かなくちゃ……!?」

 派手にテンパるワジを、ヴァルドは抱き締めた。ワジは若干抵抗したものの、完全に拒絶はしなかった。次第に抵抗は小さくなり、完全に収まる。誰も二人を止めようとはしなかった。後ろの方でシスターが鼻血を吹いていたくらいか。その場は何故か妙な空気になってしまっていた。おのれヴァルド。一瞬アルコーンはそう思ったとか思わなかったとか。

 抵抗を止めたワジは、小さな声でヴァルドに問うた。

「……僕、男じゃないよ」

「だからどうした?お前はワジだろう。女だろうが男だろうがカマだろうがナベだろうがどっちつかずだろうが関係ねえだろうが」

「……その、どれでもなくても?」

 ワジはヴァルドの宣言に不安そうな顔でそう返した。そもそも何故ヴァルドにそんな用語を知る機会があったのかとか、どこからどう突っ込む必要があるのか、いろいろ思い悩むことはあってもそれを口にすることはしなかった。期待してしまったのだ。誰よりも大切な人間だからこそ、避けられたくない。避けられたくないのに受け入れられる発言をされて、期待してしまった。

 そして、答えはもたらされた。

 

「ワジ。テメェは何であろうがテメェだろうが。性別だの立場だの関係ない」

 

 そして大多数の女性守護騎士たちが悶絶した。これで色々と捗るらしいが、その理由を渦中の人間が知ることはない。ただ二人の間には立ち入れない空気があって、その空気は二人がそろってそこにいることを許していた。ワジがそうあらなければならないと思ったのは、初めてだったのだ。他人とともにあっていいと思えたのは、本当に初めてだった。なおアッバスのカテゴリーは道具である。

 ややあって、ワジがかすれた声で漏らす。

「……僕、人殺しだよ」

「そうか、それで?」

 だから何だ、と言わんばかりにヴァルドはそう返した。本当にヴァルドにとっては人殺しなど些細なことだった。むしろその罪を一緒に背負えるのならばこれ以上ないことだとも思っていた。つかみどころがなさそうで、いつか誰にも知られずこの世からいなくなってしまいそうな彼をつなぎとめられるのならばヴァルドは手段を選ぶことなどない。

 それを思いとどまらせようとさらにワジが言葉を漏らす。

「僕……神殺しだよ」

「だから?」

 それでも一言で切って捨てるヴァルドにはもはや言葉など効果をもたらしそうになかった。ワジにとっては全くもって理解できないけれど、ヴァルドはワジと一緒にいるだけでいいらしい。とはいえ性別を喪失していても『ワジ』は男である。『ワジ・ヘミスフィア』には性別は存在しないが、そういう同性愛について拒絶反応を起こされないとは限らないのだ。

 だから、それをワジは確認した。

「……気持ち悪く、ないの?」

「関係あるか、馬鹿野郎。良いか、何度だって言ってやる。テメェを構成するすべてをひっくるめて、俺はワジを愛している」

「ヴァルド……ッ!」

 顔をゆがませ、ワジはヴァルドの腕の中に飛び込んだ。ヴァルドはそれを優しく抱き留め、受け入れる。こうして――ワジはヴァルドに堕ちてしまった。もはや抵抗の意思などみじんも感じられないワジはただ一人の人間だった。ヴァルドはワジを抱きかかえてアルコーンの背後まで下がる。因みに全員が胸やけというか何というか甘ったるい空気を吸って辟易としていたのだが、それはさておき。

 その衝撃からいち早く立ち直ったのはケビンだった。ボウガンを構え、アルコーンを狙う。しかし、矢は発射されなかった。弓弦にあたる部分が断ち切られてしまったからだ。断ち切ったのはレンである。立場は変われど闇の中を生きてきた少女がそれを察知できないはずもなく、アルコーンもまた察知できてはいたがレンが動くのも把握できていたので動かなかった。

 大鎌をケビンに向けたままレンは好戦的に笑う。

「うふふ、まだまだ甘いのね、ネギ神父さん」

「ネギちゃうわ! ええ加減にせえよ、レンちゃん……!」

「こんなことしたって意味ないのにやるからよ。教皇さんと盟主は同じ人物だったの。《身喰らう蛇》の消滅は星杯騎士団の悲願でもあったんじゃないの?」

 レンの言葉にケビンがたじろぐ。たしかに、それは事実であったからだ。ただし、たとえ教皇が盟主であったとしても今ここで失うことは出来ないことに変わりはないが。七耀教会を導けるのは教皇だけだったからである。故に、ケビンは教皇を解放して貰おうとしていた。それが一体どのような混沌を生み、何を犠牲にするのかも知らぬままに。

そこでアインが口を挟む。

「ケビン、待て。……敵う相手ではないことくらいわかるだろう、馬鹿かお前は」

「しかし、総長……!」

 食い下がるケビンは、まさかアインまでもが教皇の忠実な部下ではなくなっていたことにも気づいていなかった。

「どちらにせよ、教皇聖下を元に戻すのは止めた方が良い。……あんなガキみたいな危険思想の持ち主だとは思いたくなかったが」

 アインは内心で苦虫をかみつぶしていた。アインを星杯騎士団に取り立ててくれたのは教皇その人であったからだ。一介のシスターとして生きていくにはお転婆すぎた自分を教育し、最強の存在へと昇華させてくれた人物。それが、まさかあんな思想の持ち主だとは思ってもみなかった。間違いはその時に戻って正せば良い。そんなバカげた考えをしているとは思ってもみなかったのだ。

アインは知る由もないが、この思想はキーアとも似ていた。間違ってしまったからやり直す。それだけの力があるから出来るはず。でも今は力がないから準備を整えている最中で。だから周りを良いように動かして最適な未来を掴みとる。そこで出た犠牲は必要なことだったのだと自身には言い聞かせて。そこまでの苦労を、生きて来た人間を踏みにじる行為である。

アインは溜息を吐いて全員に武装解除を命じた。凍っていた面々もアルコーンは解放し、武装解除されていく。そうして、武器を持っている人間はロイドだけになった。

ロイドはアルコーンに問いかける。

「本当に、クロスベルを国にするためだけに空の女神を殺したっていうのか……?」

「死んではいないが、動けなくはしたな。……まあ、多少私情が混ざっていることを否定はしないが」

「私情……か」

 ロイドは複雑な顔をしてアルコーンを睨みつけた。ロイドにアルコーンの過去は分からない。理解しようとももはや思ってはいないが、悪魔崇拝などのように空の女神に対する恨みがあるとは思っていない。本当に私情なのだろう。キーアに対しての言葉からも分かる通り。とはいえこの世界に生きる人間の考えからしてみればあまりに異端な思考である。

 愕然とした顔でロイドは問いを放った。

「君が至宝だから、空の女神を恨んでいたのか?」

「違う。まあ、確かにどんなときにも助けてくれる存在ではないのは分かっていた。そういうので恨んだ時期もあるがな……教皇はな、キーアに似ているんだ」

「……え?」

 ロイドは思考を一瞬停止させる。どう見ても教皇はキーアと顔立ち等似ているところはない。アルコーンとキーアのように相似の存在でもなかったはずだ。であるのに、アルコーンはキーアと教皇とが似ているという。まさか思考が似ているとは思ってもいないのだ。ロイドはキーアが過去を変えたかったのではなく、無理に変えさせられたと思っているのだから。ゆえにこそその理由を知りたくてアルコーンの言葉を待った。

それに応えたのはカリンだった。

「ロイドさん。教皇はキーアさんと同じく今生きている人間を蔑ろにして過去を変えようとしたんです。それにアルコーンは怒っているわけではないですが……」

「確かに、過去を変えるというのは赦されないことだとは思いますけど……じゃあ、アルは何に怒っているんですか?」

「過去を変えるということは、生きているはずのない人間を救うことでもあります。その結果、大きく現在が歪む。その、歪みが――アルコーンですから」

 そう言って、カリンは目を伏せた。カリンも過去を変えられた人間。生きているはずのない人間で、救われた存在だ。夫であるレオンハルトと同様に。カリン自身、違和感を覚えることが多かった。これまでにはありえなかったことが突然起こる。それはたとえば、アイン・セルナートに拾われることであったり、あまり得意ではないはずの運動能力が急に向上したりというわけのわからない現象だ。

生き延びてほしい、という誰かの願いがカリンを歪めた。ゆがめられた人間は普通の生き方をすることが出来ないのだ。シズク然り、カリン然り、レオンハルト然り。そんな、本来の流れからはじき出された人間は少なからず歪みを正そうとする流れに押しつぶされそうになる。シズクにはこれからも危険が付きまとうだろうし、それはカリンもレオンハルトもである。

歪みの中で、最大のものは無論アルコーンである。幾度となく名を変えることを余儀なくされ、ひとところに留まることが出来ず、様々な立場で歪みを修正する役目を負ったアルコーン。修正不能になった歪みは、キーアとの邂逅で表に出て来た。アルコーンの運命はここで決められてしまったと言っても過言ではない。アルコーンはキーアの望みをかなえるべく動くだけの人形となり果て、僅かながらの反抗も呑みこまれようとして――それでも、歪みに打ち克った。

アルコーンは自らの運命を代償にして、クロスベルの民の幸せを願い、その分の不幸を今から振りまいていく。既に不幸になった人間もいるはずだ。時代が時代ならば、『魔女』と呼ばれてしかるべき存在である。無論、帝国に存在するエマ・ミルステインを代表とする魔女たちのことではない。とある世界における魔女狩りで狩られる魔女のことだ。

カリンの言葉を聞いて、ロイドは困惑したかのようにトンファーを降ろす。ようやく、納得がいったのだ。何故アルコーンがあれほどまでにキーアに突っかかって行ったのか。それを知っていそうなワジをつけてまでアルテリアに入国し、ノエルとフランを巻き込んでまで追い求めた真相はここでもたらされた。彼女は過去を変えたくなかったのだ。

それをロイドは自分なりに言語化して彼女に問いかける。

「アルは……生きていたく、なかったのか?」

「それも違うが……何だろうな。無責任だ、と罵りたかっただけなのかもしれない。どんな思いで生きて来たかも知らないくせに、何を甘っちょろいことを、と」

「つまり、文句を言いたかったのか? キーアのせいで人生散々だったって」

「うまいこと言うな、ロイド。多分、その通りなんだ。だからわたしはキーアに逆らってまで事を推し進めたんだよ」

 そう言うアルコーンの顔は何故か晴れ晴れとして見えた。恐らくは全てをやり切ったという達成感から来るのだろう。もう、キーアのために生きる必要はなくなったのだ。これからは自由に生きられる――もっとも、国の象徴として生きる道しか残されてはいないが。とはいえそれはアルコーンが初めて自分の意思で決められたことであり、いつか後悔する日が来てもIFを考えようとは思わないだろう。

 その吹っ切れた顔が、ロイドの癪に障った。

「なあ、アル……なら、今キーアが謝り続けてるのはあんたになのか」

「知らん。本人ではないからな。だが、もうやらかしたことに対して謝られても困る……というより、やっぱりお前が連れ出していたのか」

「あんな状態のキーアを放っておけるわけがないだろう! 俺はアルテリアでならどうにかできるんじゃないかって思ってここまで来たんだ!」

 それは義憤に燃える男の顔で。アルコーンとしても今のキーアの状態がどんなものになっているのか知りたくはあった。意趣返しとばかりにシズクの言いたい放題を放置していたが、流石に言わせ過ぎたかとも思っていたのだ。恨みつらみは多々あれど、別にアルコーンはキーアに死んでほしいとまでは思わないのだから。知らないところで生きていればそれでいいだろう、とまで思っていた。

 それを聞いて問いを投げかけたのはアインだった。

「なあ青年。そこのバカは何をやったんだ?」

「何をって……」

 そこでロイドは気付いた。部外者に対して何をどう説明すればアルコーンがキーアにしたことを理解してもらえるのかを。どこまで隠し、どこまで明かせばキーアを守れるのかを。キーアのために口を閉ざせば満足に説明もできず、アルコーンを糾弾するために説明をすればキーアの身に危険が及ぶのだ。あんな人知を超えた能力を行使できるキーアを、七耀教会は恐らく放置しないだろうから。

 しかし、ロイドがまごついている間にアルコーンが簡潔に言った。

「アイン。ロイドには説明できんよ。……アーティファクトモドキの権能を剥奪して願いをかなえてやっただけだ。ただしワイスマンがヨシュアにやったようにな」

「……どうせお前、面倒だからって説明を省きまくっただろう。そこの青年にも、報告にあったアーティファクトモドキにも」

「言っても理解してもらえないことを何度も何度も説明するのは苦痛でしかないんだが?」

「お前ね……」

 はあ、とため息を吐いたアインはロイドに向き直った。その威圧感に呑まれそうになり、しかしてロイドはそれに耐えきった。その威圧感ごときに負けていてはキーアに笑顔を取り戻せないと思ったからだ。そして、それは正しい反応だった。なぜならばアインはロイドを試していたからだ。彼がこの先どんな試練を与えられようとも、そのアーティファクトモドキに愛情を注げる人間かどうかを。

 そしてロイドはそれを勝ち取った。

「良いだろう。特別に私が看てやる、ロイド・バニングス君。何、法術で私の右に出る奴は教皇くらいのものだ」

「いや、奴にはもう無理だと思うが……」

「ええい言葉の綾だ! いちいち突っ込むな、変に律儀な奴め……」

 アインはその後、強引にロイドにキーアの元へと案内させた。当然のことながら、アルコーンは連れずに、である。今のところアルテリアのトップは教皇ではなくアインだった。教皇亡き今、アルテリアの舵を切れるのは彼女しかいなかった。それが知れ渡る前にやらなくてはならないことをカモフラージュするのに、狂った少女の治療という名目は非常に都合がよかったのである。

 そしてアインはキーアを一目見、これをアーティファクトだと認定して彼らを外法認定するよりは友好関係を結んでおいた方が得策だと判断した。力的にはすでにアインを凌駕してしまったアルコーンを敵に回すような愚策はできないのだ。今ここでアルコーンが暴れればアルテリアという国は沈むだろう。もはや船頭のいない船は、見習いであったとしても操舵できる人間がいなければ沈むのだから。

「……ごめんなさい」

「何に謝っているかは知らんが、そういうのは罪を償ってからやりたまえ、キーア君。何もせずに謝り続けるのはサルにでもできるぞ。お前はサルか?」

「……でも」

「言い訳は不要だ。自分にできる最善をやれ。周りに相談しながら、な。独りよがりに突っ走るんじゃなく、誰でもいいから頼れ。それが償いにもなるだろうさ……」

 その言葉を聞いたキーアは、考え込むしぐさを見せた。それだけでロイドは彼女が前進しようとしていることを感じた。そうして、アルコーン達はクロスベルへと戻った。ワジと、ロイド達も一緒にである。これは完全に余談ではあるが、ロイドはエリィの前に顔を出した瞬間頬をひっぱたかれ、数日ほど口を利いて貰えなかったそうな。そしてキーアも――わずかずつではあるが、笑顔を取り戻していったようである。


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