雪の軌跡・リメイク 作:玻璃
ロイド達がクロスベルに帰還してから二か月弱ほど過ぎた。その間、帝国はクロスベルの独立を承認しようとはせず宣戦布告し、《パテル=マテル》とレオンハルト達に叩き潰されるという残念な結果を残していた。数回侵攻はあったものの全て退けられ、ここ一か月ほどは全くと言って良いほど動きを見せなかった。共和国は内戦が収まらずに泥沼化しているようだ。リベールは不戦条約を盾に静観し、アルテリアは体制を整えるのに必死だった。
そんなある日のことである。クロスベル鉄道に赤い列車が唐突に乗り入れ、クロスベル駅へと向けて爆走し始めたのは。ぼんやりと何の気なしに窓の外を見ていたアルコーンはそれを視認するや否や呑んでいた紅茶を吹き出し、すぐさまエリィに報告した。エリィはそれを受けて出迎えることを決定し、アルコーンの親衛隊を連れてクロスベル駅へと迎えに出た。
クロスベル駅で待つこと数分、《鉄の伯爵》号がクロスベル駅に滑り込んできた。それを見る国民たちの顔には不安が浮かんでいる。今更帝国が何の用なのだろう。そんな感情が見え隠れした。《鉄の伯爵》号はゆっくりと止まり、勿体を付けるように殊更ゆっくりと扉が開いた。
不安に揺れる国民を見ながらとある男が二人の護衛を伴ってクロスベルの駅に降り立ち、待ち受けるエリィを見て鼻を鳴らした。どうやらただの小娘だと侮っているらしい。ここまで迎えに来られて当然といった顔をしているが、残念ながら気付いたのは偶然である。それに気付ける人間はごく一握りであっただろう。そんなスーパーマンばかりがいるわけではないし、何よりも今は人材が微妙に不足していたのだ。
そうとは知らず、男性は慇懃無礼に礼をした。
「初めまして、御嬢さん。エリィ・マクダエル首相とやらと宗主アルコーンとやらを探しているのだがご存じないかね?」
彼の第一声はそれだった。それを聞いた国民の反応は冷ややかだった。そんなことも知らないのか、とでも言いたげな視線。無論、彼はわざとやっているのである。立場的には帝国が上であることをわからせるためにわざとこういう言い方をした。事前に写真を用意し、経歴を確認し、さらに性格のプロファイリングまでやってここにいるのである。そのうえで彼はエリィを存分に虚仮にしていい人間だと判断していた。
侮られたエリィは優雅に礼をすると満面の笑みで毒を吐いた。
「初めまして、ルーファス・アルバレア閣下。私がクロスベル中立国の国家代表、エリィ・マクダエル首相です。以後お見知りおきくださいませ。そして、私の背後におりますのがクロスベル中立国の象徴、アルコーン・ストレイ=デミウルゴスですわ」
ちなみに副音声は『こんなことも知らないで来ているわけではもちろんないですよね?』である。ついでに『礼儀も知らないのかしら、この貴族って』でもある。政治の道に入ったエリィはそういう点だけ腹黒くなったのである。なおエリィが彼の顔を知っていたのはアルコーンからの情報であり、彼が決して侮ってはならない超危険人物であることをも知っている。
エリィに紹介されたアルコーンも優雅に礼をして笑みを張り付けながら挨拶をする。
「お初にお目にかかります、アルバレア閣下。エリィ首相より紹介のあったアルコーンと申します」
「それは失礼した。まさか、こんな若い女性たちだとは思わなかったのでね」
ルーファスは冷笑を浮かべながらそう告げる。アルコーンについての調査は全くと言っていいほどに進まなかったが、それでも一見する限りでは侮っても問題ない人間だと判断した。それを見てエリィは思わず半眼になるのを抑えなければならなかった。馬鹿にされているのくらいは分かるのである。こういう感情の機微にエリィは聡いのだから。
そこで、アルコーンは意趣返しをすべくルーファスに向けてこう告げた。
「ああ、そういえば。……ギリアス・オズボーン宰相閣下のご冥福をお祈りしております、《鉄血の子供達》筆頭、《翡翠の城将》殿」
その言葉にルーファスは眉を跳ね上げただけで答えることはしなかった。何かを言えば激情に駆られて何か仕出かしそうだったからである。今ここでそれを持ち出すということは、彼らが父たる《鉄血宰相》を殺したのは彼女の手のものだということだ。しかし今は激情にとらわれている場合ではないのだ。ルーファスはオズボーンの遺志を継いで帝国を繁栄させる義務があるのだから。
そして、エリィはルーファスに問うた。
「本日はどういったご用件でいらっしゃったのでしょうか、アルバレア閣下」
「ああ、本国の決定でね。クロスベル自治州には正式にエレボニア帝国の支配下に入って貰うことになった」
ルーファスはさも明日の天気は晴れです、とでもいうように気軽にそう告げた。その瞬間からクロスベル国民はクロスベル駅から撤退を始めた。というのも、興味がなくなったからである。その言葉の羅列は全く意味のないものであり、同時に彼が道化であることを示しているということを国民すべてが知っていた。なぜなら、すでに帝国と中立国は同盟国なのだから。
その答えは、エリィが告げた言葉に表されていた。
「残念ですが閣下、ここはクロスベル自治州ではありませんわ」
「何やら勝手に独立宣言をしたようだが、帝国はそれを認めていない。よってここはクロスベル自治州なのだよ、エリィ殿」
「帝国に認められようが認められまいが、関係ありません。元々クロスベルはアルコーンの一族の治める土地だからです」
ルーファスとエリィの間に火花が散る。ルーファスはエリィを、エリィはルーファスを言い負かそうとしていた。しかし、この場合不利なのは圧倒的にエリィである、とルーファスは判断していた。何故ならば――彼にはエリィに取れないと思われている手段を持ち合わせているのだから。暴力による脅しである。たかが女二人をねじ伏せるのにはいささか過剰戦力だろうが、やり過ぎて殺してしまっても問題ないだろう。彼の頭の中にはすでにクロスベルをどう実効支配するかで満ちているのだから。
薄笑いを浮かべたルーファスはエリィに問う。
「抵抗する場合は武力行使も辞さないのだが、引いては貰えないのかな?」
ルーファスはそう言って背後に立つ黒髪の青年に合図を送った。すると彼は腰に差していた刀の柄に手を掛ける。黒い髪の少年だった。どことなく頼りなさげな顔立ちをしているが、それでもその構えは《八葉一刀流》のものである。つまりはあのカシウス・ブライトやアリオス・マクレインと同じ流派である。つまりそれは彼が『彼』であることを示していた。
アルコーンはその人物を見て口を出すことに決めた。
「それがあなたの切り札か、閣下。《鉄血宰相》殿の遺児とは洒落たことをする……ルーファス殿。どうやらこの件、オリヴァルト皇子殿下の許可は取ってはいなかったようだな?」
「なっ……」
黒髪の青年の顔が引き攣った。見事に自分の立場を言い当てられてしまったからである。彼の名は、リィン・シュバルツァー。帝国の北のユミルという土地を治めているシュバルツァー男爵家の養子であり、かの《鉄血宰相》ギリアス・オズボーンの実子である。そしてその身に《灰の機神》ヴァリマールを宿しており、先日もクロスベルに侵攻してきたばかりだ。
そしてルーファスは眉をひそめた。何故そこまで知っている。アルコーンがどんな存在であれ、オリヴァルトに話を通していないことが分かるはずがないのだ。帝国内のすべての情報はルーファスに流れることになっており、あの《放蕩皇子》にはもはや権力など存在するはずもないのだから。それを知っているがゆえに困惑するルーファス。
その時だった。キッチリとした燕尾服を着たロイドがエリィに駆け寄り、何事かを囁いた。エリィはわずかに顔を赤らめつつ頷き、ルーファスに告げる。
「ルーファス殿、少しばかりご足労願えますか? 護衛の方も是非ご一緒に」
「あ、ああ……」
ルーファスはエリィに導かれるままにクロスベル駅を出て空港へと向かう。空港に停泊する飛空艇を見て――ルーファスは思わず盛大に顔をしかめた。何故なら、そこに見覚えのある巨大飛空艇があったからである。名は確か、カレイジャスと言ったはずだ。そのタラップから降りてきた金髪の男は、ルーファスを見るといたずらっぽく笑った。そして、背後に覆面を被った護衛を五名ほど携えながらエリィの前まで進んだ。
それにエリィが声をかける。
「久方ぶりですね、オリヴァルト皇子殿下」
「ああ、久し振りだ。このたびはクロスベル中立国建国おめでとう。心よりお祝い申し上げるよ」
金髪の男――オリヴァルト・ライゼ・アルノールは柔らかく笑いながらエリィにそう告げた。そんなオリヴァルトを見ながらルーファスは内心で苦虫をかみつぶす。これで自分は道化となってしまったからだ。皇族が認めたのに自分が認めないとあっては、反逆罪に問われかねない。いくらオリヴァルトの力が弱まっていたからとはいえ、時期を間違えた。もっと早くに事を起こせていればこんなことにはならなかっただろう。
対して、ルーファスの背後にいたリィンは不思議な予感にさいなまれていた。有り得ないものを見る予感、というのが一番正しいのだろうか。何しろ、リィンはオリヴァルトの背後にいる五人の男女の背格好を見たことがある。それも、つい最近。しかも、そのうちの一人は死んだはずの人間だ。それも自らの手で殺してしまったはずの人物である。
帝国の面々の内心もいざ知らず、エリィはオリヴァルトの言葉に答えた。
「ありがとうございます、殿下。殿下こそ、宰相就任、誠に祝着の極みですわ」
「なんっ……!?」
「ありがとう、エリィ首相。それで……これは一体どういう事態なのだね、アルバレア公?」
エリィに向けてほほ笑んだオリヴァルトは一転してルーファスを睨みつけた。何故ここにお前がいるのだとでも言いたげな眼光に、ルーファスは動揺しそうになる。たかが《放蕩皇子》風情に動揺するなどあってはならないことだった。少なくとも彼にとっては。ルーファスは平静を取り繕って溜息を吐くふりをする。そうでもしなければやっていられなかったからである。
そして、彼は告げた。
「それはこちらが説明していただきたいですな、オリヴァルト殿下。貴男はリベールに表敬訪問に行っていたはずだ。なのになぜいきなり宰相などという地位にいらっしゃるのですか?」
「皇帝陛下の仰せだからだよ、アルバレア公。それよりもだ、話をすり替えるのは止めて頂きたい。ことはクロスベルとの同盟に関わるのだから」
「同盟!? このような自治州風情と同盟ですか、皇子殿下?」
ルーファスは大げさに驚いてみせた。その動作に合わせて手を背後に回し、リィン達に合図を送る。リィンは表情筋を総動員して動揺を隠さなければならなかった。その合図の意味を、リィンは繰り返し覚えこまされたのだから。そしてルーファスの指示を受けたその少女は、感情の浮かんでいないその瞳をルーファスの指示した場所に向けた。そして、とある準備を始める。その準備に気付いたものはこの場にはいなかった。
そうとは知らず、オリヴァルトはルーファスに語りかける。
「自治州風情ではない。クロスベル中立国は歓迎すべき我らの友人だよ」
「たかが小娘程度に治められるような土地がですか?」
ルーファスは鼻を鳴らして小ばかにしたようにエリィを見る。するとエリィは威圧感を与える笑みでルーファスを見た。それは意思の強い女性特有の笑みだ。その笑みを浮かべた女性に逆らってはならない。それを大多数の男性は知っていて、しかしてルーファスは知らない。リィンはすでにルーファスの指示を完璧にこなすのは無理だと判断していた。
そんな彼らを見ながらエリィは鮮やかに笑った。
「たかが小娘、と侮られるのは結構ですけど、アルバレア公……クロスベル国民が私を認めないと言えば私は即座に引きましょう。もともとそういう約束でここに立っておりますし、その覚悟も出来ています。しかし、皆さんが私を認めて下さるのならば、私は全身全霊を以てクロスベルのために生きる所存ですわ」
「……青いな、小娘」
「何とでも仰ればよろしいわ。けれど……老獪すぎるのも考え物だと思いませんか?」
エリィは言いながら不意にそれに気付いた。ルーファスの背後にいる少女が何かしらの不審な行為を取っていることに。その狙いは、少女の眼を見る限りオリヴァルトであると理解出来た。エリィは唇をかんで動き出そうとするが、それよりも少しばかり早く気付いていたアルコーンが目線でエリィを制する。どうやら手を出すなと言っているようだ。
「政治家を舐めていやしないか、エリィ嬢」
「政治屋と政治家は違いますわ、アルバレア公」
ルーファスとエリィがにらみ合ったその時、甲高い音が鳴り響いた。ルーファスはさも驚きましたとでもいう動きで音源を見る。すると、そこには何かの機械の残骸とダブルセイバーを振りぬいた覆面の男がいた。
その男を見て思わず声を漏らしたのは、リィンだった。
「な……や、やっぱり……!」
「よう、これで50ミラの借りは返したぜ?」
覆面の下ではニヒルに笑っているであろうその男は、機械の残骸を蹴り飛ばしながらそう告げた。背後の覆面集団はやれやれ、と溜息を吐いているようだった。リィンは彼に向けてこう告げた。
「クロウ……!」
「はて、誰のことやらさっぱりわからないなー。あっはっは」
「あっはっは、じゃない! 君は死んだはずじゃ……!?」
飄々と答える覆面の男――クロウ・アームブラストに、リィンは思わずそう叫んでいた。するとクロウはオリヴァルトの方を見てからリィンに向き直り、言葉を吐く。
「リィンの言うクロウとやらはとっくの昔に死んでんだろうがよ。ここにいるのはそうだな、さしずめ亡霊とでも言ったところか?」
「これ以上は話さないでくれたまえよ……面白みがないからね」
「今この状況で面白みは求めてねえでしょうがよ、皇子殿下!?」
クロウは思わずそう突っ込んでいた。確かにこの場で面白味は求めていないので突っ込むのは間違いではないのだが、それはさておき。オリヴァルトは居住まいを正してルーファス――正確にはルーファスの背後にいる少女――を見た。しかし少女は怯まない。そもそも怯むなどという感情は持ち合わせていないのだから当然だ。少女はその無機質なガラス玉のような眼をオリヴァルトに向けた。そして、気付いた。オリヴァルトの眼に浮かぶ僅かな憐憫の色に。
オリヴァルトは少女に向けて告げた。表向きはルーファスに向けて。
「それで、アルバレア公。ボクにも背後の護衛君達を紹介してくれないかな?」
「……こちらが殿下もご存じのリィン・シュバルツァー。そして、こっちがアルティナ・オライオンです」
「アルティナ君か……ところで、ルーファス君。ゴルディアス級の人形兵器をご存じかね?」
アルティナはぴくりと身じろぎをした。その言葉は聞き覚えがある。そして、その人形兵器はつい最近目撃されているあの《紅い機神》と同じものなのだとアルティナは知っていた。その出自故に。しかし、ルーファスは知らなかった。聞いたことはあっても、実態は知らない。《鉄血宰相》の後継者たるルーファスは、その実態を知ることを拒んだのだ。そして、彼はそれによって滅ぼされる。
「名前だけは聞いたことはありますが? あの忌まわしい結社とやらの兵器でしょう?」
「ああ、確かそうだったねえ。それで、ルーファス君。名誉棄損という言葉はご存知かな?」
「……何が仰りたいのですか、殿下」
オリヴァルトは微笑んで背後の四人とクロウを見た。それだけでよかった。クロウはその瞬間に飛び出した。リィンが刀を構えるが、もう遅い。クロウはあっという間にルーファスをとらえ、ほかの四人がアルティナとリィンを確保する。
そしてルーファスはオリヴァルトを見て吠えた。
「何のおつもりですか、殿下!」
「何って……仮にも帝国貴族たる君が一国の代表の前で堂々と名誉棄損の発言をかましたから捕えたまでだが?」
「名誉棄損……!? 馬鹿な、何を根拠に仰るのですか!?」
ルーファスの言葉は、しかしオリヴァルトには届かなかった。オリヴァルトはルーファスに一瞥もくれぬままエリィ――正確には、その横に立っていたレン――に向けて謝罪の言葉を口にした。
「申し訳ない。我が国の腐敗貴族が失礼をした」
「いえ、確かにあのような技術は彼の結社とやら以外で再現するのは難しいでしょうから。ただ、情報が古いようですので補足させていただきましょうか、殿下」
オリヴァルトはエリィに向けて軽く頭を下げて謝罪したが、エリィは別に結社の技術云々ということに関しては気にしていなかった。というのも、《パテル=マテル》は日々進化して改造を施されているがゆえに、結社の技術など既にないに等しいのだ。それよりもエリィは告げなければならないことがあった。アルコーンからもたらされたその事実を、オリヴァルトに伝えなければならなかった。だからこそ、エリィは口を開くのだ。
「ああ、何かな?」
「結社こと《身喰らう蛇》ですが、先日盟主と名乗る人物を無力化し、またその部下たる使徒や執行者につきましても半数以上を処分させております」
「……流石は、クロスベル。仕事が早いね」
オリヴァルトはもたらされた情報に苦笑した。まさかここまで速いとは思っても見なかったのである。たかが自治州の統治者と和気あいあいと会話をする信じがたい光景を見せつけられながら、ルーファスは叫んだ。これは不当な扱いであると彼はまだ信じていた。
「殿下ァァァ!」
「少しうるさいよ、君。《C》君、ソレにそこにいられると話が進まないようだから……」
「へいへい。っつーわけだから、移動するぜ。恨むんなら《鉄血宰相》についたことを恨むんだな」
なおも騒ぐルーファスをクロウは軽々と担ぎ上げ、次いで他のメンバーもリィンとアルティナを担いで動き出す。そして《カレイジャス》へと消えて行った。
その後、オリヴァルトとエリィは同盟のための会議を行い、無事に同盟は締結される。
こうして、クロスベル中立国は混沌と喧騒の中独立を勝ち取ったのだった。