雪の軌跡・リメイク 作:玻璃
では、どうぞ。
昔――そう。僕がまだ、あの村に住んでいた頃のことだ。ヨシュア・ブライトではなく、ヨシュア・アストレイだったころ。僕と姉さんは孤児だった。母と呼ぶべき人は僕を生んだときに死んでしまったそうだ。姉さんがそう教えてくれた。父と呼ぶべき人は母が死んだショックで自殺してしまったそうだ。姉さんがそう教えてくれた。
その代わり、孤児だった僕達にはもう二人、家族がいた。僕が生まれた数日後に雪の中に棄てられていた銀髪の双子の姉妹。姉のシエルと妹のエルシュア。どちらも顔だちだけはよく似ていた。性格は全く以て違ったけれど。
姉のシエルは何でもできるエルシュアを妬んでいる節があった。虚言癖があって。自分ばかり構って欲しそうにしていて。何も出来ないくせに何かが出来るとでも言いたげに胸を張る。本当に醜い女だった。
妹のエルシュアはシエルの妬みにも負けずに健気に生きていた。シエルの虚言癖を受け流し、何でもシエルに譲って。料理も洗濯も剣術も何でも出来るのに何のとりえもないと謙遜する。もしかしたら、僕の初恋は彼女かも知れなかった。
僕たちは可愛げのないシエルを『シエル』と呼び、人懐っこいエルシュアを『エル』と呼んだ。やがて隣の家に住んでいた真面目なお兄さん――レーヴェという愛称の、姉さんの好きだった人――も加わって、僕達はそれなりに幸せに暮らしていた。
だけど、そんな日常がずっと続いてくれるわけがなかった。ある日突然シエルがいつもの虚言癖を発症して騒ぎ始めたんだ。
『村の外に猟兵がいて、この村を狙っている』
その言葉を誰もが信じなかった。当たり前だろう。シエルは嘘つきなんだから。それを誰も信じなくて、でもその時に限っては何故かしつこく言いまわるシエルに村長もしびれを切らしたんだと思う。いつもシエルの嘘には困らされてきたから。
だから、村長はシエルを村から追放した。二度と戻ってこないように。エルだけは村長を説得しようとしていたけど、村長がそれを聞き入れることはなかった。そして――エルも村から消えてしまった。
それから、数日して。僕達はシエルの言葉が真実だったことを知る。
『うわあああああああっ!』
突如夜中に上がった身の毛もよだつ悲鳴に、僕達は跳ね起きた。一体何が起きたのかわからなかった。姉さんが窓から外を覗き見て、すぐに僕のところに駆け寄ってくる。そして、僕の手を引いてタンスの中に隠れた。
何が起きているのか。僕は姉さんに何度も聞いた。姉さんは怖い人たちが村を襲っているのだと答えてくれた。ここから先は静かにして、見つからないようにしなければならないということも教えてくれた。
だけど、現実というのは非情なもので。家には火がつけられて、タンスから脱出しなくてはならなくなった。姉さんは僕を連れて家から飛び出す。勿論怖い人たちは僕達を追いかけてくる。僕は怯えることしか出来ない。だって、僕は要領が悪くて、何も出来ない取り柄のない子供だったんだから。
姉さんに連れられて逃げて、でも僕達はすぐに怖い人に捕まってしまった。僕は殴り飛ばされて、ほっぺたを押さえて蹲る。そしてその怖い人は銃を放り投げて姉さんも殴った。けど、姉さんは殴り飛ばされたわけじゃなかった。そのまま怖い人に組み敷かれてしまったんだ。
このままだと、姉さんがひどいことをされてしまう。僕はそう感じて、姉さんを組み伏せた怖い人が持っていた銃を構えてソイツに向けた。そして――
『カリン姉――――――――ッ!』
鬼気迫る表情の、見覚えのある少女が血まみれになって突っ込んできた。その両手には一振りずつ剣が握られている。そして、その剣は――真っ赤に染まっている。つまり、彼女は誰かを殺してきたということで。
僕は半狂乱になって撃った。だって、目の前にいるのはヒトゴロシだ。でも、その銃弾は彼女には当たらなかった。狙いが外れてしまったのだ。だけど、それでも問題はなかった。少女が狙っていたのは姉さんじゃなかったから。
姉さんに覆いかぶさっていた男は、シエルに首を飛ばされて死んでいた。
姉さんは間一髪助かった。だけど、目の前には人殺しが――シエルがいる。だから僕はシエルに銃を向ける。いくら姉さんを助けてくれたからと言って、姉さんを殺さない保証なんてどこにもないんだから。だけどシエルはこう告げた。
『立って、ヨシュア、カリン姉。ここから逃げないと……!』
信頼なんて出来るはずがない。シエルは嘘つきなんだから。エルが言ったことだったら信じる。だけど、この場にはエルはいないんだ。どうやってこの人殺しから姉さんを引き離せばいいんだろう。そう考えた時だった。
姉さんを助けてくれたのは、レーヴェだった。村一番の剣士で、将来遊撃士になるんだって言ってたレーヴェ。レーヴェは姉さんからシエルを引き離してくれた。そして、シエルの嘘を暴いてくれる。
そうだ。こんなことになったのもシエルのせいなんだ。シエルが怖い人たちを招き入れて、シエルがこの村を襲わせたんだ。そうじゃなかったらどうしてこんな辺境の村が襲われるって言うんだ?
そんな話をしていた時だった。何度も何度も信じろってシエルは言うけど、信じて貰えないから強硬手段に出たんだと思う。僕とレーヴェ、姉さんとシエルに分断できるようにダイナマイトを投げ込ませたんだから。
ダイナマイトで吹き飛ばされた僕は、レーヴェに連れられて村を脱出した。僕は隣の村に預けられ、レーヴェは姉さんを助けるために村へと戻ったらしい。だけど――姉さんは、見つからなかった。そうレーヴェは言った。レーヴェは嘘を吐かない。だから、僕は――壊れた。
僕は毎日ろくに食事もとらなかった。喋ることなんて出来るはずがなかった。レーヴェがいてくれることは心強かったけど、それはそこに姉さんがいてこそだったから。僕は姉さんを想い続けて、形見だと渡されたハーモニカを吹き続けた。そうすれば姉さんを感じられる気がして。そうすることだけが、僕に出来ることだった。敵討ちなんてできっこない。だって僕には何のとりえもないんだから。
そうやって毎日を過ごすうちに、とある人物が僕達を訪ねてきた。そして、レーヴェと僕にこう提案したんだ。
『私がその子の心を直してあげよう。ただし――代償は、支払ってもらうよ』
僕はそんなことはどうでも良かったけど、レーヴェはこんな僕を見ていられなかったみたいだ。だから、その男の下に僕を預けた。そうして、僕がまともに言葉を話せるようになって感情を取り戻した時には、僕はもう殺人兵器と化していた。
猟兵団の殲滅。要人の暗殺。出来るだけ派手に殺せという指示を受ければ見せしめのように首をさらしたりもした。毎日のように人を殺し続けて、気付けば僕の手は真っ赤に染まっていた。――そう、あの時のシエルと同じように。
そうして、僕とレーヴェはある時こんな任務を受けた。《身喰らう蛇》のシンパが情報を漏らしているので、その人物を暗殺するついでに《楽園》という名の施設を壊し、そこで使われているモノを奪取してくる。それが任務。僕とレーヴェは二人でその施設を破滅に追い込み、そこで生きたいと願う少女二人と奇妙な薬を奪取した。これが『再会』だなんて、僕は気づかなかったけれど。
救出した二人の少女は、執行者候補として動き始めた。一人目の少女の名は、レン。すみれ色の髪の可愛らしい少女だ。《楽園》にいた影響で、布地の多い服を好んで着るようになった。彼女の覚えの速さは異常ともいえるスピードで、それでももう一人の陰に埋もれがちになっていた。何故なら――もう一人の方が凄まじかったのだから。
もう一人の少女の名前は――シエル。そう、シエルだ。シエル・アストレイ。僕達の村を滅ぼした彼女が、何の因果かあんな場所に囚われていたのだ。いい気味だと思ったのは内緒だ。シエルは、僕達の技術を物凄い勢いで吸収していった。僅か半年足らずで《鋼の聖女》と打ちあえるようになっていたのはもう何も言えない。本当にどうなっているんだと思った。シエルにそんな才能はなかったはずなのに。
ちょうどその頃だった。シエルが盟主直々に任務を与えられたのは。そして、その任務を終えたシエルはレンに次いで執行者No.ⅩⅥ《銀の吹雪》となった。何かしらのアーティファクトと融合したらしいといううわさは聞いたけど、真偽は定かじゃない。
それからしばらくして、僕に単独の任務が言い渡された。それは、『カシウス・ブライトの暗殺』。正直に言って無茶ぶりにも程があるとは思った。だが、勝算がないわけではない。そうやって意気込んで彼の英雄を襲撃して――僕は失敗した。だけど、始末されるはずだった僕を拾ってくれた人がいたんだ。
それが――僕の、父さん。標的だった当の本人。リベールの英雄、カシウス・ブライトだった。
そこからの僕は本当に幸せだった。何日かは妙に緊張しつつ追手がかからないかと気を揉んだけど、エステルと過ごすうちに――というか振り回されるうちに――僕はすっかり丸くなっていた。誰かに強要されたわけでもない。泣き落としをされたわけでもない。だけど、僕は初めての感覚に戸惑って――受け入れたんだ。
もっと、ここにいたい。
それが、僕の願望だった。危なっかしいだけだと思っていたエステルに、僕はあっけなく救われていた。幸せだった。エステルの傍にいられるというだけで、それだけで本当に幸せだった。
……だったらエステルを棄てるな? そのままその場所にいれば良い? 馬鹿なことを言わないでくれないかな。こんなに幸せを感じていた僕は気づかなかったんだから。こんなに良い人たちを、守りたいと思った女の子を、僕はずっと裏切り続けていたんだ。
父さんの情報を売り渡して。その結果エステルを危険な目に遭わせて。これ以上僕の過去にエステル達を巻き込みたくないから。だから僕はエステルの元を去ることを決めたんだ。
結局僕は誰も守れないんだ。エルシュアを追放させ、姉さんを死なせた僕には、誰も守れるはずなんてなかったんだ。だから、だから――僕は……エステルを、僕という汚らわしい存在から引き離すために、エステルの元を去るんだ。それだけが、僕に出来ることなんだから。
❖
……昔、私が七耀教会のシスターでもないただの村娘だったころのことです。私には父母はいなくても可愛い弟と義妹がいました。そして頼りになる格好良い幼馴染も。弟、義妹、そして幼馴染。彼らがいるだけで、私は満たされていました。弟と義妹を養うために畑を耕していても、何の苦にもなりませんでした。だってそうでしょう? 私には幸せをくれる人たちがたくさんいましたから。
そうやって暮らして、ハーモニカを吹いて。それだけで良かったんです。他には何も望みませんでした。必要ありませんでしたから。
だけど――ただ平穏に暮らしたいという望みは長くは叶いませんでした。
当然ですよね。平和な日々なんてあっけなく壊れるものですから。その知らせを持ってきたのは、義妹でした。『この村に危機が迫っている』という事実を伝えに村中を駆けた彼女は、しかし誰にも信じてもらえることなく追放されました。……ええ、そうです。私も――それを、信じることはしませんでした。本当は信じていただなんて白々しいことを言うつもりはありません。ただ――私が村から追い出されれば、弟はどうなるのか。それを考えてしまっては、動けなかったのです。
彼女の言葉を信じなかった代償はすぐに支払われました。義妹が去ってから数日も経たないうちに村は焼き討ちに遭ったのです。家は焼かれ、畑は荒らされ、村人たちが逃げ惑う。それはまさに地獄のような光景でした。所々で艶やかな声が響き、絶叫を上げながら絶命する皆を後目に、私は弟を連れて逃げ出します。
だけど――だけど、私もまた代償を支払わなければならなかったのです。腕を掴まれ、弟と引き離されて。力ずくで地面に引き倒されて、その後に起きるだろうことはもう推測出来てしまっていました。だから、出来るだけ誰かが逃げる時間を稼ごうと精一杯抵抗して――私は血しぶきを浴びたのです。
目の前に立っていたのは全身を他人の血で染めた義妹でした。そして、彼女は逃げようと私と弟に持ちかけて来たのです。私は義妹に従おうかと一瞬思い、しかし彼女の言葉通りに襲撃があったことに疑念を感じて身の振り方を決めかねました。そこに幼馴染が駆け付けて、義妹を罵りました。
『お前のせいだろう。お前がこいつらを手引きして、皆を殺して回ったんだろう――!』
その言葉を、義妹は何度も何度も否定しました。幼馴染はそれを信じる気はないため、話は平行線です。それよりも逃げなければ、と思ったところに――何か筒状のものが投げ込まれたのです。
そして、私はその爆発に巻き込まれて弟と幼馴染とはぐれてしまいました。一緒に飛ばされたらしい義妹は周囲の襲撃者たちを殺して回っていて、少しずつでも私を逃がそうとしてくれているのがよく分かります。でも――義妹を信じなかった私のために、義妹を人殺しにしていいのか。私は今の暮らし可愛さに義妹を見捨てたのに、これ以上義妹に罪を犯させていいのか。
迷ってはいられませんでした。これ以上義妹の手を汚させたくない。何よりも、私自身がそれに耐えられなかった。だから、告げたのです。このまま見捨てて貰えるように。そして、どうか義妹が逃げてくれるようにと。
『早く私の前から消えてよ、この人殺し。私はずっと貴女のことなんか嫌いだったし、穀潰しだし、軽蔑してる。だからさっさと私の目の前からいなくなって頂戴――!』
今思えば、なんてひどい言葉なんだろうと思います。守ってくれたのに、なんてことを言ったんだろうと思っています。だけど、あのときの私は義妹と一緒に逃げられるほどの体力が残っていなかったのです。だから、足手纏いになりたくなくてそう言いました。
義妹はその言葉にひどく傷ついたようで、私に一言謝罪して立ち去りました。義妹が見えなくなって、自分が言ってしまったことがどれだけ義妹を傷つけてしまったのかと考えるとそれだけで胸が張り裂けそうでした。それでも――ここで死んでやるわけにはいかない。そう思って立ち上がって、私は逃げ惑いました。村に背を向け、話し声の聞こえない方向に駆けて、駆けて――そして、とある人物にぶつかった衝撃で気を失ったのです。まだ、死ぬわけにはいかないのに。もう一度、義妹に会って謝らなくてはいけないのに。
ですが、私は死ななかったのです。私がぶつかったのは、七耀教会の重鎮でした。名を――アイン・セルナート、と言います。私は彼女に見いだされ、本来の名を隠して生きていくことになりました。そうしなければ殺されるから、とセルナート総長は仰います。それを疑いもせずに、私は修練に明け暮れました。何故なら――あの村は、全滅したと聞かされたから。
私は総長と《千の腕》と呼ばれる凄腕の従騎士に教えを乞い、狂ったように修行を続けました。そうすれば、理不尽に奪われる命を少しでも掬い取ることが出来るようになると信じて。
やがて私は見習いから従騎士に昇格されることになりました。そして、その時に上司としてつけられた守護騎士の名は、思ってもみないモノでした。
《守護騎士》第四位《雪弾》El Strey。
これが、私の上司の名です。この名の響きを聞いただけで、私はそれが一体誰なのかに気付きました。本当に簡単な話なのです。ただ――『Ciel Astrey』より、『Ci』と『A』を取り去っただけなのですから。
そうして、同時期に彼女と引き合された従騎士リオと従騎士メルとともに彼女と顔合わせをすることになり。そして、私は義妹に再会することが出来たのです。あのころよりもより荒んだ眼をして、あのころよりも大きくなり、あのころよりも不安定になっていた義妹に、私は震えながら許しを請いました。
どうか赦してほしいだなんて言える立場じゃない。本当にひどいことを言った。だけど、もしも赦してくれるのなら――もう一度、やり直すことは出来ないかと。そう言いました。白々しいにも程があるとは思います。
ですが、そこで思いもよらないことを聞くことが出来たのです。そう――弟と、幼馴染の消息です。正直に言って、生きているとは思いませんでした。しかも、あの正義感の塊のような人がよりにもよって《身喰らう蛇》などという邪な結社に身を落としているだなんて。あるいは信じたくなかったのかもしれません。数年前に殉職なさった《千の腕》から、幼馴染かも知れない人物について聞き及んではいましたから。
そうして、義妹の指示に従って――私は、今ここにいるわけです。従騎士リオ・オフティシアは巡回シスターとして。従騎士メル・コルティアはロレントの大聖堂からルーアンの大聖堂に転勤という軌跡を辿って。そして――私、ヒーナ・クヴィッテはグランセル大聖堂所属になって。
すぐ近くに弟がいて、幼馴染がいた。知っていました。だけど、私は動くことなど出来ませんでした。それが義妹の指示でしたから。いつか会える。面と向かって、ただいまと言えるように――私は今日も、修練を続けています。
前作を既読の方はエルシュアって誰ってなると思います。一応宣言するなら、『エル』です。分かりにくいかと思ったので。
では、このままSC編に突入しますので五日後に。