雪の軌跡・リメイク 作:玻璃
では、どうぞ。
――カルバード共和国、東方人街。七耀暦1195年のことである。未だアルシェムが《ハーメル》から逃げ続けていて、もう一つの『家族』を得て数年が経った頃。またしても彼女はその場から追われるようにして移動させられることになった。というのも、いきなり背後から襲撃を受けたのである。その襲撃者たちは異形へと変わってアルシェムと隣にいた彼女を攻撃し、その彼女と遅れて駆け付けた父が襲撃者たちを撃退したのだが、そこにアルシェムの姿はなかったのである。
連れ去られた彼女が意識を取り戻した時、そこは阿鼻叫喚の地獄だった。あちらこちらで石の寝台に寝かされた少年や幼女たちが泣き叫び、それを愉悦を浮かべた顔で白衣の研究者たちが記録し続けている。その光景に、彼女は疑問を持つことしか出来なかったのである。
シエル・マオと名乗っていた当時の彼女は、自らの腕に突き刺されている点滴の針を認識することが出来ていなかったのだ。
そして、それに気付いた研究者たちがアルシェムに寄ってきて点滴のつながる先にある碧い薬を足し、一向に変わらない顔色を観察し始める。まるでそれを行うことで悦楽が得られるとでも思っているかのように。
アルシェムは顔をしかめて研究者に声を掛けた。
「……ここは、どこ」
アルシェムの声は思ったよりもしわがれていて、水分が足りていないのだと彼女は自覚する。周囲を見回せば、頭上に碧い薬の入れられた袋が見えた。アレが入っているのなら、水分は足りているような気がするのに、と彼女は胸中で呟いた。
この中には、アルシェムの問いに答える者はいない。何故なら、研究者たちにはそれに応える義務も無ければ権利もないからだ。ただにやにやと笑ったまま数回彼女の頭上の袋を取り換えるだけだ。
もう数度袋を取り換えた研究者たちの顔色が変わってきた。まさかここまで変調もなくただその薬を吸収するだけという検体は他にはいなかったからだ。ある意味良い検体であり、悪い意味でいえばミラを喰う検体である。
だが――それも、終わりを告げる。いかな彼女が《□□□□□□□》であったとしても、限界というモノがあるのである。それは唐突に始まった。他の子供達のように頭を抱えて転げまわれればまた放置されたのだろう。だが、彼女に出た異常は頭痛ではなく全身の痛みだった。
「あ、が、ああああああああああああああああああああああっ!」
声を限りにアルシェムは叫ぶ。周囲の子供達と同じように。ただ、彼らと違うのはどこも抑えずにただ涙を流して天井を仰ぎ見ていることか。アルシェムはそこで死を覚悟した。このまま破裂して死ぬのだと。だが、そうはならなかった。研究者たちがそうさせなかったのだ。ある意味稀有な検体をここで死なせてはならないと点滴を止め、発作が治まるのを待つ。
その叫びは、彼女の声が枯れたことで止まった。荒く息を吐き、必死に呼吸を整えようとしても体の異常がそうはさせてくれない。ということはつまり、ここから逃げ出すことも出来ないということだ。冷や汗と涙でぐしゃぐしゃになった顔でアルシェムは研究者たちを睨んだ。
研究者の一人がそれに気付き、声を漏らす。
「何だ? まだ気力があるのか」
「本当に珍しい検体だな……もう一人も確保できれば良かったんだが」
もう一人の研究者の答えに、アルシェムは希望を持った。それなら、『家族』は無事なのだと分かったからだ。早く抜け出して合流しなければならない。あがいてあがいて、抜け出さなければ。
その気になって観察し始めると、逃げ出す隙があまりにもない。研究者たちが休憩に行く時間はランダムだった。たまに人外の物体が歩き回っていることもある。それに、自分だけではなく他の子供達も逃がさなければ逃げ切れない。問題は山積みで、解決しそうにもなかった。
そんな時だ。隣に水色の髪の少女が運ばれてきたのは。彼女もまた特殊な検体のようで、かなり長期間ここにいるが死にも気が狂いもしていない。しかも、何かしらの異能のようなものを発現しかけている兆候がある。そういう子供を集めておこうと研究者たちは思ったのだ。
そして、運ばれてきた彼女は虚ろな目をしたまま天井を見上げるだけだった。早くこの状況を何とかしなくてはならない。そうしなければアルシェムもいずれそうなってしまうだろうという予感があったのだ。
無駄だろう、と思いつつもアルシェムは少女に声を掛けてみた。
「……ねー」
アルシェムの期待は、ある意味良い方に裏切られた。何故なら、彼女から返事があったからだ。
「……だ……れ……?」
アルシェムはそこから彼女と少しずつ会話を重ねた。お互いの名前を名乗り合い――無論アルシェムは『シエル』と名乗っている――、日々励まし合い、時には庇い合って。少しだけでも支えが出来て、余裕が出来た。
そんな時だった。アルシェムが、別の場所に『移送』されることになったのは。
移送話が出たことは、アルシェムも少女――ティオも知らなかった。ただ、いきなりアルシェムが連れだされて別の場所に消えたというのがティオから見た見解だ。アルシェムは抵抗しようとしたのだが、催眠剤を打たれてしまって意識を失った。
そして、次に目を醒ました時――アルシェムは、別の地獄にいた。そこかしこで響く艶めいた声。何かを打ち付けるような音と、汚い声。そこでは、叫び声は聞こえなかったのだ。代わりに響いているその声もまた、この場所の異常を表していた。
「これ、は……」
アルシェムは困惑した。今までつけられていた点滴が一つもない。その代わり、着ている服が変わっていた。今まで着たことのないような上等な生地の服。そして、一部屋に集められた幼女たちとたまに少年たち。その中の一人としてアルシェムはいた。
「出番だよ、十六番」
ここで与えられた名は、十六番。ただの番号ではあるが、呼ばれなくなった番号がいくつもあることに彼女は気づいていた。古参の子供もいるのだとうわさで聞いたアルシェムは、それが誰なのかを知ろうとも思わなかった。知りたくなかったのだ。そう聞いてしまえばその子を憐れんでしまう気がして。
だが、彼女のその願いは叶わなかった。すぐに彼女は知ることになったのである。最古参の――『十五番』の少女のことを。彼女とはよく話したし、仲良くもなった。だから最古参の少女なのだと言われたくはなかったのだ。ここで互いを憐れんでどうなる。それよりもここから脱出する方法を考える方がまだ建設的だ。そう思ってアルシェムは情報を集め始めた――『お客様』の『相手』をすることで。
集まる情報はくだらないものばかりである。この子可愛い。いや『十五番』は最高の天使だ。『あの男』が《熊殺し》を引き抜いた。幼女サイコー。いやショタだろ。帝国では《鉄血宰相》が『とんでもない手段』を使って周囲の国を併合しにかかっている。パトロンになっているだけある。最初はどうかと思ったがなかなかいいものだ。『あの場所』を提供して『あの競売会』を開いている。ここに来るために稼いでいると言っても過言ではない。――『リベールの英雄』が動きを見せた。
また、そこに現れる顔ぶれもくだらない人物ばかりだった。見事にどこかの国の重鎮ばかりなのだ。皆考えることは同じということなのだろう。自治州の議員。変態枢機卿。帝国貴族。共和国議員。自治州の警備隊司令。金持ちのボンボン。帝国軍人。自治州の職員。犯罪結社の重鎮たち。そして――遊撃士協会の幹部。実にそうそうたる顔ぶれである。
日々を耐え、壊れていく『十五番』の少女と共に支え合いながら隙を探して。そして――その日は終わりを告げる。そこに現れたのは、かつてアルシェムが『家族』と呼んだ少年と青年だった。
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扉から出て来たレンとアルシェムは同じような顔をしていた。無表情で顔色が悪く、ぼんやりしていたのである。それを見たリースは何を見たのか察することは出来なかったが、取り敢えず拠点に戻ることを選択した。流石にこの状態で彼女らを連れまわすことは出来ない。自殺行為といっても差し支えないだろう。
故に、その扉から吐き出された封印石をも回収したリース一行はいったん拠点へと戻ったのである。そして石碑に回収された封印石を合計三つ翳した。先の扉で一つ、後の扉でもう二つという構成である。二つまではアルシェムもそれが誰なのか想像がついたのだが、三つ目については全く以て心当たりがなかった。
そして、封印石が解放され――
「……は?」
「……えっと」
「……ここ、どこですか?」
二人のシスターと一人の少女が姿を現した。前者は当然リオとメルである。だが、後者の少女を知っている人物はこの場にはほぼいなかった。その水色の髪の少女の名を知るのは――レンと、アルシェム。そして、ジンだけである。ジンにいたっては姿を知らないので彼女が誰であるとは特定できないのだが。
しばらく沈黙したリオとメルはリースから事情を聴いた。だが、その事情を聞かされても全く分からない少女がここにいる。その少女は困惑したままその光景を見ていることしか出来なかった。
それに声を掛けたのはエステルである。
「えっと……どちらさま?」
「え、あ、えっと……エプスタイン財団所属のティオ・プラトーですけど……これっていったいどうなってるんですか?」
首を傾げるティオに一同は代わる代わる《輝く環》のことから説明した。理解は出来ていないようだが、状況は把握出来た様子のティオは微力ながらも手伝うことを告げる。そんな彼女に全員が自己紹介を始めた。エステルから始まり、遊撃士の自己紹介が進む。身分を隠す必要がある人物たちは隠したままで偽名を名乗った。そして、その自己紹介がジンまで来た時だった。
「え……」
ティオは小さく声を漏らした。彼の名に聞き覚えがあったからだ。その名は児童連続誘拐事件に携わった遊撃士代表として知らされていた名である。まさかこんなところで会えるとは思ってもみなかった。彼ならば――知っているかも知れない。ティオの知りたいことを。
だからこそ、次の人物の自己紹介を遮ってティオは問うた。因みに遮られたのはリースである。
「あ、あの……ジンさんは、児童連続誘拐事件に関わったあの《不動》のジンさんで間違いないですよね?」
「あ、ああ……そうだが。それがどうかしたか?」
ティオは震えそうになる声を絞り出して問うた。悪夢の記憶の中で希望を齎してくれた少女の名を。
「――ジンさんは、『シエル』という名の女の子をご存じではありませんか? もしくは――《銀の吹雪》という名の方を」
その問いに、アルシェムは思わず吹き出しそうになった。まさか覚えているとは思ってもみなかったし、覚えていられてもそれはそれで困る話だ。むしろ後者についてどこから聞いたと言いたい。ああ奴から聞いたのかいやそんなことはどうでも良い、問題なのは――この場にいる殆どの人間がそれが誰だか知っていることだ。全員の視線がアルシェムを刺した。
それでもなお話そうとしないアルシェムに、ジンはトドメを刺すように言葉を投げつける。
「そうだな、《銀の吹雪》っていう通り名があって『シエル』と名乗っていた女ならそこにいるが」
「……え」
ティオがその場で硬直した。まさか情報が得られるとは思っていなかったからだ。しかも『シエル』という名の少女は彼女の心の支えとなり、クロスベルの捜査官たちは《銀の吹雪》の協力を得て彼女を救い出した。その両者が同じだという想定はまずなかった。
混乱する脳内をどうにか整理してティオは問う。
「貴女が……?」
ティオの縋るような瞳がアルシェムを刺す。だが、彼女はそれに答えずに大きく溜息を吐いてその場から掻き消えた。ティオが動揺して周囲を見回そうとして――鈍い音が響く。その音の方向を見れば、ジンがアルシェムに殴り飛ばされていた。
ヨシュアでも見たことのないような凍りついた瞳をジンに向けたアルシェムは、顔をしかめて起き上がった彼に向けて吐き捨てる。
「前々から思ってたんだけどさー……あんたデリカシーなさすぎ。だから《飛燕紅児》が苦労してるんだってーの」
「おい、何して――」
「黙ってて」
アガットが口を挟もうとするが、アルシェムは一言で切り捨てた。この男はしれっと何を明かしてくれているのだ。それが今の彼女の心情である。一応は彼の中では一般人になっているはずのアルシェムを、よりによって犯罪結社の通り名で紹介するとはどういう了見なのだろうか。
冷たい目でジンを睨み据えたまま彼女は告げる。
「名前の方はともかく通り名の方を一般人の女の子に明かしてどうしたいわけ? 彼女を裏の世界に巻き込むとは考えなかったの?」
「い、いや、でも……お前さんは足抜けしているだろう?」
ジンの問いはアルシェムを更に不愉快にさせるだけだった。この閉鎖空間で判断能力が鈍っているというのもあるだろうが、流石にその考えは甘すぎると言っても良い。そんなに簡単に足抜けできるような組織ならば、ヨシュアはあんなに熱烈に勧誘されてはいないだろう。アルシェムも同じだ。ここで生存がバレた以上、どこからか情報が洩れていくのは止められない。間違いなくもう数度は勧誘があるだろう。そこに関係のない一般人がいればどうなるか。考えなくても分かることだろう。
「足抜けしてるよ。完全に関係なくなるのはいつになるかは分かんないけどね?」
「え……」
「驚くことじゃないよ、エステル。僕はまだ何回か接触があると思ってる。奴らはそう簡単に手放したりはしない」
顔を曇らせたエステルにそう返したヨシュアはアルシェムの怒りを少しばかり理解していた。カシウスがヨシュアの全てをエステルに明かさなかったのは、ヨシュアに《身喰らう蛇》からの接触が間違いなくあると判断したからだ。それは準遊撃士となってからも変わらなかったし――それに、ヨシュア自身が《身喰らう蛇》に接触していた。覚えていなくともそれが事実だ。
「その接触の時に近くにいた人間がどうなるか、あんたも知ってるでしょ? ――研究所でのエステルみたいになるんだよ」
「――ッ!」
ジンはようやくそこに思い至ったようだった。湖畔の研究所でエステルは連れ去られ、ヨシュアをおびき出すための餌とされた。あわよくば取り込もうとしたとも聞いている。あの事件に関わったティオを、これ以上裏の世界に関わらせてはならない。エステルと同じ目に遭わせてはならないのだ。
だが、そこでティオが口を挟んだ。
「お気遣いはありがたいと思います。……でも、どうしても知らないといけないことがあるんです。それが裏の世界に繋がっていたとしても」
「何を?」
アルシェムは最大限まで表情を柔らかくしてティオに問うた。ティオはその問いに対して息を吸いこみ、震えないように気合を入れる。そうしなければこの問いは発することが出来ない。
「あの人を、ガイ・バニングスを――殺した犯人を」
その言葉にアルシェムは瞠目した。彼のことはアルシェムも知っていた。一緒に行動したのはわずか半日足らずだったが、それでも印象に残る男だったのは確かだ。ただ彼女が知らなかったのは、彼が死んでいるということだけ。もっと活躍して出世しているだろうと思っていただけに、それなりにショックを受けたのだ。
「死んだ? あの熱血野生バカが?」
アルシェムがそう問うた声は、乾いていた。ティオはその言葉にうなずき、だから裏のことだって知りたいんですと続けた。その衝撃で放置されていた二人はいじけていたのだが、その場にいた誰もが気付くことはなかった。
その後、何とかリオとメルの機嫌を取った一行は改めて探索へと出掛け、そして戻ってきた。次に行先を塞いでいる扉に必要なメンツがだれ一人いなかったからである。その星を模した扉に記されていたのは――『白銀の首狩り、闇に壊されし少年を引き連れよ:定員二名』という文言だった。
というわけでフライングティオ。
では、また。