雪の軌跡・リメイク 作:玻璃
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
では、どうぞ。
《紫苑の家》
一度拠点に戻った一行は、靄のある場所に進むために必要な鍵が何なのかを考えていた。誰が必要なのか。それを知っていたのはセレストとケビンのみだった。ただし、それが一体誰なのかを皆に説明する気もなく彼はこう告げる。
「取り敢えずリース。あとカリンの姐さんと《剣帝》と……アルちゃん。このメンバーで行ってみますわ」
「そ、そう?」
困惑したような顔でエステルがそう返すが、ケビンにそれを確認しているような余裕はない。もしもこの先に待ち受けているものが彼の想像通りならば――リースを連れて行くことすら嫌なのだ。しかし、リースを連れて行かなければ帰れないというのならば立ち向かう必要がある。最終的に暗示をかけて記憶を消滅させたところで痛む良心などもう残っていない。故に、ケビンはその道を選んだ。
靄の手前まで皆を誘導したケビンは振り返って一同にこう告げる。
「ほな行くで……皆、覚悟だけはしといてくれ」
「ケビン、それってどういう……」
リースが困惑したように声を上げるが、ケビンはそれを聞かなかったふりをしてその靄の中に足を踏み入れる。カリンとレオンハルト、アルシェムもリースと共にその靄をくぐって――そして、現れた場所に困惑した。
「ここは……」
「どこ?」
出現したのは、七耀教会の福音施設。ただしその場所を知っているのはケビンとリース、そして一度だけ訪れたことのあるカリンのみだった。アルシェムとレオンハルトには縁のない場所だったというのもある。
そこは――
「《紫苑の家》――オレらが住んでた場所や」
ケビンの言葉通りだった。ケビン、リース、そしてルフィナ。その三人はここで暮らし、成長した。ここは福音施設という名の孤児院なのだ。そこが何故再現されているのか、理解しているのはケビンだけ。
そんなケビンを見ながらカリンが問う。
「……とにかく、進めばいいのねケビン君?」
「ああ、そうです」
どこか困ったようにそう応えたケビンは、本当ならばここには誰もいてほしくないと願っていた。この先に待つ真実が一体いかなるものなのかを知っているから。それを、ここにいる皆に明かされるのが嫌で。だが、進まなければならない。皆はケビンという存在に巻き込まれて良いほど腐った人間ではないのだから。
カリンはそんなケビンにこう告げた。
「本当は進んでほしくないんでしょう。この先に再現されているかも知れないのはルフィナ様の死体だから」
そのカリンの言葉にケビンとリースは息を呑んだ。確かに、ルフィナはここで殉職した。少なくともリースはそう聞かされていたし、ケビンは彼女を看取りさえした。それが再現されているのかもしれない――それは、ケビンにとっては確かに恐怖だった。
しかし、ケビンはその言葉を首を振って否定する。
「確かに……あんまり進みたくはないです。でも、この先に姉さんの死体があることだけは有り得へんですわ」
「それは何故?」
「……ほんま……姉さんに似てカリンの姐さんも容赦ないですな……」
それきりケビンは黙ってしまった。一行はそんなケビンに掛けられる声もなくリースに先導して貰ってその《紫苑の家》を探索した。ただ、そこにあったのは暖かな暮らしがあったということだけ。人もいない。魔獣もいない。誰もいない《紫苑の家》が再現されただけの場所。その場所が、これまでの場所と同じように脅威を持っているとは思えなかった。
一通り見終わり、礼拝堂の鍵だけが閉まった状態なのを確認したアルシェムはケビンに問う。
「で、礼拝堂の鍵は誰が持ってるの、ケビン。カリン姉? それともシスター・リース? もしくは――」
「――オレやない。あの日の当番は、リースやった」
珍しくまともに名を呼んだアルシェムに大袈裟に反応することもなく、ケビンは淡々とそう告げた。ルフィナが死んだ日――《紫苑の家》最後の日の礼拝堂の鍵当番はリースだったと。リースは困惑したようにケビンに問い返すが、ケビンはただポケットや懐を探れと言うばかり。リースは困惑したままポケットを探り――見つけた。古ぼけた真鍮の鍵。それは間違いなく礼拝堂の鍵だった。
呆然とした様子でリースが言葉を零す。
「どうして……」
「ここがあの日の再現やということや。この先は――あの日の真実につながっとる。先に進んだらもう、後戻りは出来ひん。全てを知る覚悟はあるか、リース」
ケビンはリースにそう問うた。それはどこか先に進ませたくないような響きを含んでいる。そのことに気付いたリースは、この先に進まなければ帰れないという事実も含めて理解した。真実を受け入れる勇気を。ここに自分がいるのもまた必然なのだと。この先に待っているのが、本当に殺される直前のルフィナだとしても。先に、進まなくてはならない。
リースはケビンに決意を告げた。
「とっくの昔に出来てる。あれから従騎士の修行に入る前にここに来て真実を知ろうとしても取り壊されていたから……その時に、覚悟はもうしてた。私に真実を見せて、ケビン。時間がかかるかも知れないけど――全部、受け入れるから」
「そうか……分かった。なら、とっとと行くか」
そうして、ケビン達は礼拝堂の中に足を踏み入れた。中へと進みながらケビンは語り始める。あの日起きたことを――真実を、全て語るつもりで。
❖
五年前のことや。何者かに雇われた猟兵団がこの《紫苑の家》を占拠した。……何や、調べとったんですかカリンの姐さん……そうです。典礼省の元司教、オーウェン。そいつが汚職でやめされられたのを逆恨みしてここを襲撃させた。そいつがどうしとるか? さあ、地獄の底で後悔してるんとちゃうかな。
リース、お前が覚えとるのは猟兵共が侵入してきて皆を捕縛して――そこから病院で気を取り戻すまで覚えてへんやろ? いろいろその間にはあったんやけど、まだただの孤児やったお前には覚えていられたら困ることやったんや。……そうや。お前の記憶を封印したのはオレや。オレしかそのときにはそれが出来ひんかったからそうした。
そこまでして隠さんとあかんことは何かって? ……今のお前の立場やったら明かせるで。ここはな、封印指定されたアーティファクトの目眩ましやったんや。そう、丁度この隠し扉から先に続いてる《始まりの地》に、そのアーティファクトは封印されとった。それをオーウェンは知っとったんや。やからここを襲撃してそのアーティファクトを奪い取ろうとしてた。
――あの日。オレとルフィナ姉さんは久々に帰省する予定やった。もう一人お客人を招いてな、盛大にパーティーを開いて山ほどお土産を渡すつもりやってん。え、もう一人が誰かって……ああ、サプライズやったしリースは知らんわな。カリンの姐さんや。前々から行きたいて言うとったし、お招きしたわけや。ま、それが最初で最後のお招きになるとは思ってなかったんやけど。
ルフィナ姉さんとカリンの姐さんとは街で合流してからここに向かうつもりやったんやけど、ルフィナ姉さんたちの乗ってた汽車が遅れててな。オレだけ先に到着したところでその一報が届いたんや――町はずれで、黒ずくめの男達が山道に向かってるっていうな。それを伝えてくれたんはエメローゼ市の教区長さんやったなあ。丁度、ルフィナ姉さんが遅れるっていう連絡をしてくれた直後のことやった。
急いで《紫苑の家》に向かったオレは、門を封鎖してる男達を見て猟兵団やと判断した。気配からして数は五から十ほど。救援はない。なら、オレが行くしかないと思った。オレが行かな――お前と、チビ達が危ないってな。やからオレは一人で制圧に乗り出した。闇討ちみたいな方法やったけど、何とかほぼ全員を無力化してな……でも、解放したチビ共の中にも先生の所にも、どこを探してもお前がおらへんかった。
猟兵団の一人をとっ捕まえてお前の居場所を吐かせようとしても何も言わん。しゃあなしに全部孤児院の中を調べて……さっきの場所にお前のリボンが落ちてるのを見つけた。やからきっとこの先におると思ったんや。急いで追いかけて――それで、追いついたのがこの先にある場所なわけや。そこには台座の上に《ロアの魔槍》っちゅうアーティファクトが安置されとった。
《ロアの魔槍》っちゅうアーティファクトはな、正直女神の秘蹟の下に作られたとは到底思えへんシロモノやった。手にした者の肉体を《化物》に変える……そんな《魔槍》をな、追い詰められた猟兵は掴んだ。まあ、何が起きるかって当然のことやけど、そいつは身体能力を大幅に向上させて異形になったわけや。その時のオレには――そいつをどうにかすることなんて出来んかった。
簡単に言うてしまえば、オレはそいつに叩きのめされた。手も足も出ずに、気絶して無防備なお前に向けてその《魔槍》を振るおうとする猟兵の所業を見てることしか出来んかった。もどかしくて、もっと力があればお前を救えたかもしれんのに。そう思いながらお前に向けて手を伸ばして――その時や。オレに、《聖痕》が顕れたんは。
オレの《聖痕》のことはまだあんま詳しく話してなかったな。そうやな……どこから話したらいいか。……リース、お前、オレと初めて会ったときオレのことどう思った? ……成程な。何を見て来たか、か……どうやら姉さんは知っとったみたいなんやけど、な。あの時……お前と姉さんに初めて会ったとき。丁度、オレは母親を殺してきた直後やった。
ああ、ちょっと大げさな表現やったかな。正確に言うなら、オレは母親を見殺しにしたんや。あの冬の日に。
元々オレの家はな、母子家庭やったんや。母ちゃんとオレだけ。父親はたまに顔を見せに来るけど、それだけ。どうやらどっかの金持ちのぼんぼんやったみたいでな。普通に別の家庭を持っとった。所謂妾の子って奴なんやろ。まあ、オレはそんなことどうでも良かったし、父親なんておらんでも良いと思ってた。オレは母ちゃんと二人でいれば幸せやと思ってたし、母ちゃんもそうやと信じてたんや。
でもな、オレが七歳の時――険しい顔した父親が来て言うた。『もう、援助することは出来ない。会うのもこれっきりになる。本当に申し訳ないとは思っているが、これで何とか暮らしていけ』――そう言うて、アイツは紙封筒に入れた僅かなミラを残して一家で夜逃げしていった。どうやら事業に失敗してたらしくてな。借金抱えて逃げ惑ってたらしいで。今となってはもうどうでも良いことなんやけど。
そうなって本当の意味でオレと二人きりになった母ちゃんは心を病んだ。元々心は弱い人でな、心と同じように体も弱っていった。近くで雇ってもらっとった父親系列の店からも追い出されて、その時のことが原因で周辺の人らから心無い噂を流されて……オレは、母ちゃんを元気づけようとして失敗した。オレな、どっちかっちゅうと父親に似とったみたいで。母ちゃんにとってはオレを見てるのも辛いみたいやった。
やからオレは出来るだけ家から離れて朝早くに出て夜遅くに帰るようになった。朝は母ちゃんが起きる前に三食分を作り置きして飛び出して、昼の間にどっかの店で雇ってもろて元気づけられるような食べ物を買って母ちゃんが寝てるやろう夜遅くに帰るようにした。たまに母ちゃんと顔を合わせるだけの生活になったけど、それでもよかった。オレは――母ちゃんと、ずっと生きてたかったから。
でもな、それは裏切られたんや。
母ちゃんは、あの冬の日に寝てるオレの首を絞めてきた。謝罪の言葉と、疲れたっちゅう言葉と、心中しようっちゅう言葉。それをうわごとのように繰り返しながらな、オレの首を締めんねん。苦しかった。死にたくないと思った。母ちゃんと一緒に生きてたいと思った。だから――オレは、がむしゃらに母ちゃんを突き飛ばして雪の降っとった町に飛び出して行った。きっとしばらくすれば頭も冷えるやろうと思って。
……無論、言い訳や。今は割と後悔してる。あの時、飛び出さへんかったら――母ちゃんは、自殺なんかせんかったんかな。そう。しばらく彷徨った後に家に帰ったらな、母ちゃん……死んどった。
……済まんな、しょうもない話聞かせてもうて。でもな、まさにその時なんやと思うんや。オレに《聖痕》が刻み込まれたんは。オレの《聖痕》の属性を表現するとしたら――多分、『報復』とか『後悔』とかになるんやろ。
ちゃんちゃらおかしくて下らんことや。オレは、それほどまでに――絶望しとったんや。
ここでようやくさっきの話に戻れるわけやけど……初めて《聖痕》を顕したオレはな、猟兵の持ってた《魔槍》の力をその場で取り込んだみたいなんや。それを増幅させたうえで容赦なく猟兵に叩き込んだ――まあ、自明の理なわけやけど、猟兵は細切れと表現するのもおこがましいほどに細かく千切れて絶命した。
そこで止まれば、どれほどよかったことかと思ってる。でも、止まらんかった。湧き上がってくる昏い感情に、オレは身を任せた――そもそも、制御なんか最初から出来てなかったんや。この時にお前に当たらんかったんはホンマに奇跡みたいなもんやで。昏い感情を溜めて溜めて――それで、オレは丁度後ろから現れる形になったルフィナ姉さんに向けてそれを解き放とうとした。
姉さんはな、お前を巻き込まん為に法剣とボウガンでオレを牽制しながらリースを引き離して、やっぱり来てたカリンの姐さんにリースを任せた。カリンの姐さんはリースを連れてすぐに上がって行ったらしいわ。そんなことにも気づかんほど、オレは血と暴力に飢えとった。
最初はな、姉さんも頑張ってくれとった。何とかオレを正気に戻そうと持久戦やりながら法術を叩き込んでくれとった。それが無理ならいつものあの声で説教を。でも、それでもオレは止まらんかった。そこにおるのが――姉さんでなくて、母ちゃんに見えとったんや。何で止めるんやと。何でオレは自分に従って正しいことしてるのに止められんなんのやって。
止められたくなかったんやろ、飢えてたから。それを満たしたかった。あさましい感情や。
だから姉さんは――もう、打つ手が一つしかないことに気付いた。ちゅうてもオレを殺して止めることやない。オレの欲を満たすことで、姉さんはオレを止めようとしたんや。
……もう、分かったな、リース。そうや。ルフィナ姉さんは――お前の自慢の姉さんは、オレの下らん欲を満たすためにその身を犠牲にした。体中穴だらけになりながらもオレに抱き着いて、抵抗もせずに――そのまま、事切れてた。そうや。オレが、姉さんを殺したんや。大好きで、この手で守るために頑張って来たのに……同じその手でオレは守りたかった人を無残に殺したわけや。
殺すつもりはなかった……ああ。ここまで聞いてもリースはそう思ってくれるんやな。いいや……確かにあの時のオレは姉さんを殺すつもりやった。母ちゃんとダブって見えとった姉さんを……裏切られた腹いせに、嬉々として《魔槍》を叩き込んでやったわ……何回も何回も……この手に感触が残るんちゃうかってくらいに……ハハ、母ちゃんと姉さんをまとめて葬ったも同然やろ?
これがな……リース。お前が知りたかった真実や。話したからには、裁かれる覚悟も出来てるわ。お前にやったらいい。お前の思うようにしてくれ……
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《始まりの地》の最奥で、甲高く乾いた音が一つ、鳴り響いた。音を発生させたのはリースで、音を発生させられたのはケビンだ。振り抜かれたリースの平手は、過たずケビンの頬を打ち抜いていた。ケビンは何もかも諦めたような瞳で地面を見ている。
だが、リースは違った。リースの目には涙が浮かび、眉はつり上がり、顔は紅潮していた。そして、叫ぶ。
「この……バカッ! 何が裁かれる覚悟なの……! 私は、私が怒ってるのはそんなことじゃない……!」
ケビンがリースの名を呼ぶが、リースはそれを意に介することはなかった。彼女は怒っていたのだ。自らの不甲斐なさに。ケビンに一番近いところにいながらその苦しみを分かち合ってあげられなかったことに。それほどまでに自分は頼りなかったのかと。――ケビンには自分に頼るつもりがなかったことも、リースは理解していた。何故なら、彼は苦しみたがっているから。
「どうして……五年もそんな重いものを一人で抱えてるの……! 近くにあなたの家族が、私がいたのに……その私に、一言も言わないで……一緒に抱えさせてもくれないで……!」
そのリースの糾弾を、ケビンは甘んじて受ける。これが求めていたもの。少しばかりニュアンスは違うかもしれないが、彼が求めていたのは罰である。リースからの糾弾は十二分に彼の苦しみとなった。
だからだろう。次の言葉に、目を見開いてしまったのは。
「だから……ずっとケビンが《外法狩り》をやってたのは……自分一人で苦しんで姉様を殺した罰を受けていると思いたかったからなんだね?」
副題:ケビン語り。
では、また。