雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

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 旧141話~142話半ばまでのリメイクです。

 では、どうぞ。


《白面》からの誘惑

 ケビン達が自分達の待つ場所に辿り着いたことを、アルシェムはカリンに揺り起こされてから気付いた。そこまでは完全に気絶していたのである。眠っていたというのは実は正しくなく、ただ瞼を閉じていただけだったはずなのだが、いつの間にか意識が落ちていた。普通人はそれを眠っているというのかもしれないが、全く疲労が取れていないので気絶と呼称しておく。

 それでも挨拶の言葉はこれになるだろうと思ってアルシェムはケビンにこう告げた。

「……おはよー」

「何や、大分やられとるやん……そっちもそんなにヤバいのが出たんか?」

 ケビンは暗に自分達も大変だったという意味を含ませながらアルシェムに問うた。その瞬間、カリンとレオンハルトから猛烈に冷たい目を向けられてたじろぐ。一体自分が何をしたのか――と考えて、もしも自分と同じことがアルシェム達にも起きていたらと考えると罪悪感が溢れて来た。ここに罰を求めたのはケビンなのだ。ある意味とばっちりともいえる事態には謝罪しなければならないだろう。

 故に、ケビンは目を泳がせながらアルシェムに告げた。

「あー……スマン」

「謝る必要はないけど……問題があるとしたら、ここが終着点ってことかな」

 彼女はいわくありげな閉ざされた門を視線で示すと、ケビン達はその門を見て眉をしかめた。というのも、どこからどう見てもその門は聖典にて語られている《煉獄門》なのだから。そして、聖典にはその門の存在は示されていても開く方法は記されていない。だが、もし記されていればそれは偽典もしくは焚書扱いになっていただろう。何故なら《煉獄門》は『生者と亡者を隔てる関所』なのだ。むやみやたらに開かれてしまっては現世に亡者が溢れ返ってしまうのだから。

 だが、この門を開く以外にここから脱出する方法はないように思われた。ここに来るまでには小さな広場があっただけで他にめぼしいキーポイントがあったわけでもない。一番目立つファクターがこの《煉獄門》である以上、この門に何かしらを作用させなければ脱出できないのは分かり切っていた。それが一体なんなのか――アルシェムには一つだけ心当たりがある。

 門、という言葉を口の中で反芻したアルシェムは口を開く。

「ちょっと試してみる」

「え……」

 アルシェムは未だふらつく足取りでその門まで辿り着き、そして触れた。ここでの彼女の呼称はほぼすべて統一されていた。《銀の鍵》――つまり、ずっと示唆されていた可能性があるのだ。どこかの扉を開くための鍵。それが、アルシェム自身を指しているのは明白なことで。もしこの門とアルシェムが対応しているのならば、開けられないことなど有り得ようか。

 アルシェムの手が門に触れようとして――止まった。正確に言うならば全身が凍りついた、というのが正しい。その様子を訝しげに見ていた一行も遅れてそれに気づき、振り返ってその人物が立っている場所を睨みつけた。そこに立っていたのは、一人の男性。眼鏡をかけ、髪をオールバックにした男性だ。その手には古代のアーティファクトらしい魔導杖が握られている。

 その人物は顔に愉悦を浮かばせながらこう告げる。

 

「触れるのは止めておきたまえ。ただ人として生きていたいのならば、ね」

 

 その言葉は、確かにアルシェムの精神を揺さぶった。その声も、その内容も。その声に含まれた感情も。全てがアルシェムを揺さぶり、門に触れるという行動を阻害して彼女をその人物のいる方へと振り向かせていた。ただ人として生きていたい。確かにアルシェムの願望にはそれもあるのだ。絶対に認めてはならない感情。認めてしまったら、自分のナニカを永久に否定してしまうかのような恐怖。

 アルシェムは紙のように白い顔でその人物の名を呼ぶ。

「――ワイスマン。こんなところで……来るか普通?」

 アルシェムの問いにワイスマンは満足そうに嗤った。何もかも捨て去って孤独に生きようとするのならば、ワイスマンの声を聴かずにそのまま門に触れていればよかったのだ。そうすれば『鍵』は『錠前』を開いたことだろう。解放された『錠前』の中からは全ての答えが導き出されるはずだ。ただし、それは《煉獄門》が開くという意味ではない。

 ワイスマンはアルシェムにこう返した。

 

「来るとも。ここは《第五位》を罰する地にて――《第四位》を運命に引きずり戻す地なのだから。こんな面白そうな場所に私が来ないことなどあるわけがあるまい?」

 

 その言葉に、一同は息をつめた。以前アルシェムが零した『犯人は複数』という言葉。それがここでつながったのだから。つまり、この事態を引き起こしたのはケビンとアルシェムということになる。彼が知っているはずもない《第四位》と《第五位》の情報を知り得るとするのならば、あの『ルフィナ』から聞いた以外に説明がつかないのだから。

 ワイスマンはその事実がいかにも面白いことだというように嗤い続けていた。彼がここで知り得たのは、アルシェムについての全て。その情報の断片はこの《星層》に嫌というほどあふれかえっていた。故に、彼はその断片をつなぎ合わせて推理した。『アルシェム・シエル』という名のイキモノが一体何であるのかを。真っ当な『ヒト』でないことだけは確かだったので、想像は膨らみに膨らんでワイスマンの愉悦を満たした。

 アルシェムは嘆息してワイスマンに告げる。

「来なくていーよ本当にもー……いっそ異名を《白面》じゃなくて《面白》に改名したら?」

「するわけがあるまい。そも、自ら名乗り始めたモノでもないモノを改名できると思っているのかね」

 呆れを含んだその声にもまだ愉悦は浮かんだままだった。ヨシュアなどよりもよほど『ジンコウ的』な『化物』が、こうして普通の会話をしていることすらおかしなことなのだ。『アルシェム・シエル』はもっと超越していなければならない。無理やりに嵌めた『ニンゲン』という枠から盛大にはみ出させなければならない。そうすれば――ワイスマンの望んだ『超人』が目の前で誕生するかもしれない。『ニンゲン』を超越したその先の存在へと。

 しかも、それが成せなくとももう一人『超人』となりうる存在が目の前にいる。それが、ケビン・グラハム。彼はヨシュアのように『天然』で心を壊して生きて来た。その彼から『ニンゲンらしさ』を奪い取れば更にすぐれた『超人』ともなり得るだろう。そして、それは《影の王》の望みでもある。利害が一致するからワイスマンはここでこうしてじっとしていたのだ。

 更に更にここにはレオンハルトまでいる。生死は定かではなかったが、ここにこうしているということは彼が生者であるあかしだ。彼からも徹底的に『ニンゲンらしさ』を奪い取れば『超人』になり得る。それも望んで《身喰らう蛇》に入るように誘導した人物だ。素質は十分にある。今のこの状況はワイスマンにとってはまさに垂涎の状況なのだ。踊り出していないのが不思議なほどである。

 くつくつと嗤いを漏らしながらワイスマンが続ける。

「目の前にこれほどのサンプルがあって何故とどまっている必要があるのかね。ああ、オリジナルの《聖痕》にこれほどの潜在能力があろうとは……」

 その言葉に引っ掛かりを覚えたのはアルシェムだけだった。どうしても消せない違和感があるのだ。今の言葉の中には、どうしても無視できない事実が混じっている。それは――『オリジナルの《聖痕》をワイスマンが調べられなかった』という事実。何故、ワイスマンは《聖痕》を調べられなかったのか。目の前にずっとアルシェムというサンプルがあったはずなのに。

 故に、アルシェムはワイスマンに問う。

「へーえ、じゃー、わたしの《聖痕》を調べたことはなかったわけだ。あれだけ機会があったのにね」

「……!」

 その問いに一同が目を見開いた。確かにそれはそれで奇妙な話だ。アルシェムが《聖痕》を得てから数か月は必ずワイスマンと接触する機会があったはずなのだ。《聖痕》を得たのちに彼女は執行者となり、クローディア暗殺未遂を機にそこから脱したのだから。それまでの時間を全て任務でワイスマンの前から姿を消したままでいられるはずもなく、実際にアルシェムは何度もワイスマンと対面していることを覚えていた。

 ワイスマンはその問いに渋面を作って応える。

「ああ、それは盟主から止められていたのだよ――君への精神的干渉が赦されていたのは、《ハーメル》に君を棄てに行ったときまでだからね」

 つまりそれまでは盛大に弄っていたらしい。アルシェムはそう解釈した。確かにそれならばアルシェムの《聖痕》を調べられないのは分かる。彼女の《聖痕》は先天性のものではなく後天性のもの。アルシェムの魂には、前任者の遺品より干渉されたことによるいわば《聖痕》の焼き付けが行われたのだから。もしもそれすらも予定調和のうちならば分からないが。

 そこでケビンが口を挟む。

「取り敢えずオレらに分からん話すんのは止めて、とっとと滅されてくれるかワイスマン」

「そんな大口をたたいていても、君は結局分かっているのではないのかね? ここを出るためには君が犠牲になるしかないことに」

 ケビンはワイスマンの返答に思わず口をつぐんだ。確かに今それ以上の答えは出せない。《影の王》を叩きのめして皆を脱出させる方法を吐かせるのも手ではあるのだが、それはここから出られればの話だ。まずはここから脱出する方法を考えなくてはならないのに、その結論はいつだってケビンが犠牲になる道だった。ケビンにも少しだけルフィナの気持ちが分かったかもしれない。

 だが、アルシェムはそのワイスマンの言葉を否定する。

「いや、別にそれだけじゃないけど」

「……ほう?」

「……どういうことですか、アルシェムさん」

 眉をひそめたワイスマンは興味深げにアルシェムを見るだけに留めた。何をするのかが興味深かったからだ。因みに問いを発したのはリースであり、ケビンを犠牲にしない道があればそれに縋りたいと思っている。リースにとってケビンは大切な家族なのだ。ルフィナを殺されてなお慕える唯一の家族。ずっと一生一緒にいたいと思える人物なのだ。

 アルシェムはリースの問いにこう答えた。

「一つ目、わたしがあの門に触れること。問題があるとすれば何が起きるか分からないことくらいかな。二つ目、ケビンが《聖痕》を完全開放して制御下におくこと。無論、ワイスマンをブッ飛ばした後でっていう制約はつくけどね」

 それを聞いたワイスマンは思案顔になった。確かにそれはそうなのだが、そうなってしまっては面白くない。ワイスマンが見たいのは、ケビンもしくはアルシェムが《聖痕》に制御されるという光景だ。《聖痕》に彼らが御されれば『超人』に近いと思われる。そこにあるのは人間の意志ではなく、空の女神の意志の一端なのだろうから。

 しかし、ワイスマンの願いはかなわない。ケビン達は全会一致でワイスマンを倒すことに決めたようなのである。まずは不安要素を排除してから事に当たろうとじりじり近づいてくる一行を見たワイスマンは慌てて《影の王》に与えられた権限の中でも最上級の悪魔を複数体召喚した。

 それを見たケビンが舌打ちをしてその悪魔の正体を明かした。

「アスタルテとロストルム……! この《煉獄門》に相応しい奴等を連れてきおって……そんな匠の心遣いいらんし!」

「別に匠でもなければ心遣いをしたわけではないが、ケビン・グラハム。いかな《守護騎士》二人とはいえこの状況を切り抜けるのは困難ではないかね?」

 ワイスマンがケビンにそう返すと、もう二体ずつアスタルテとロストルムを増殖させた。やり過ぎということなかれ、ワイスマンはアルシェムに追い込まれた過去を持つからこそこの対応である。

 対するケビン達の状況は決して芳しくはなかった。精神的疲労は全員がピークを通り過ぎている。ケビンは動けるが、アルシェムはしばらくは動ける状態にはない。無理に精神的苦痛を凍結させれば動けないこともないだろうが、どうしても万全の状態と比べるとかなり劣るのだ。

 ケビンは乾いた笑みを浮かべながら独り言を漏らす。

「はは……確かにな。ぶっちゃけ言うてこれはないわー……」

「ま、一体ずつ着実にブッ倒すしかないわけだけどねー。はっは……ないわー」

 アルシェムも盛大に溜息をついた。これは限界超えをするしかなさそうである。しばらくぶっ倒れるのも覚悟しておく必要がありそうだ。取り敢えず、目の前のろくでもない男を倒すことを優先する。そう考えて、アルシェムは導力銃を抜いて《煉獄門》にもたれかかった。他の面々もそれぞれ武器を抜いてワイスマンに向けて襲い掛かろうと準備していた。

 そこでワイスマンがケビンにこう提案した。

「――最後の提案だ、ケビン・グラハム。私の目の前で人間らしさを棄てるが良い。そうすれば――この事態も切り抜けられよう」

 その言葉に、ケビンは苦虫をかみつぶした顔をした。確かに、この場で人間らしさを棄てて『超人』になればこの事態も何もかもすべてが解決するのかもしれない。だが、人間らしさを棄てるということは――こうして生きているという実感も、隣に立つリースのことも、ルフィナを自分の手で殺してしまった実感も、あの時の――ルフィナから口移しされたチョコレートの味も、全部全部棄ててしまうということだ。

 

 ケビン・グラハムという人間はあの時――ルフィナとリースに会った瞬間に死の淵から救い出されて新生したのだ。

 

 それを棄てるということは今の自分を否定することになる。ルフィナを殺したことを忘れてはならない。母親を見殺しにしたことを忘れてはならない。これまでに任務を通じて出会った《外法》達を殺したことを忘れてはならない。リースを悲しませたことを忘れてはならない。それは、ケビン・グラハムが背負うべきものなのだから。

 背負うことは罰ではないのだ、きっと。ケビンはここに至ってそう思う。ただ単に背負っただけなら、心に重荷を抱えているだけの状態だ。確かにそれは苦しい罰に思える。だが、そうではないのだ。罪を背負って、足掻くこと。それが、罪を負った人間の責務なのかもしれない。それは決して罰ではなく、成長の糧なのだと思う。罪を犯すのは確かにいけないことだ。無論罪を犯さないよう注意するのは当然だ。だが、罪を犯してしまったのならば。そこからどう生きるのかが重要となる。

 罪を犯し、罪にまみれて生きていくのか。罪を犯し、しかしその罪を償うべく生きていくのか。これまでの道は前者だった。誰も救われない道。誰かを救うためではない道だ。だが、これからのケビンが進むべきなのは恐らく罪を償って、新たな罪に立ち向かう道だ。誰かを救い、救えなかった人たちの分まで他人を救う道。ケビンにはそうできるだけの力がもう備わっている。

 ケビンはゆっくりと言葉を紡ぎだした。

「……確かに、オレは臆病さとかヘタレさとかを棄てるべきなんやろうけどな、ワイスマン。それを棄てたら――オレは、あの時のチョコレートの味も忘れてまうことになる。それだけは赦されへんのや」

 ケビン・グラハムにとってルフィナから貰ったチョコレートの味は救いの味。あの味を忘れてしまえば、きっとケビンは死ぬだろう。ケビンの思い出の中のルフィナ達と一緒に。そんなことはもうしてはならない。もう二度と大切なことを間違ってはならない。大切な人達を――守る。それが、原初のケビンが目指した道だと自分でも言っていたではないか。

「お、おおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 心の中で決意を固めたケビンは、目をカッ開いて胸に手を当て、仁王立ちになって吼えた。その様子をレオンハルトがドン引いた目で見ていることは知らない。知らなくても問題はないだろう。いきなり何吼えてるんだコイツ、というのがレオンハルトの内心である。何となく理由が分からないでもないのだが、今このタイミングでやるというのがまた無茶である。温存する気はないらしい、とレオンハルトは判断した。

 そうして――ケビンの背に青白い《聖痕》が現出する。それは、これまでケビンが《聖痕》を発した時とは違い、いうなれば清浄な気配を発していた。これこそが本来のケビン・グラハムの《聖痕》。今まで使っていたのとは違う光の側面だ。

 それを見たリースが思わず声を漏らす。

「凄い……」

「……悪いけど、このまま試させて貰うでワイスマン」

 そうして、ケビンの蹂躙が始まった。ある意味主砲と化したケビンをリースが守護しつつ、一体ずつダメージを与えていく。リースだけでケビンを守りきれないときはカリンも守護に加わっていた。レオンハルトは遊撃と足止めでまだ消滅していない悪魔たちを斬り伏せ、時には部分欠損以上のダメージを与えていく。それを、アルシェムは門にもたれたまま見ていた。

 見ていた、と書くとアルシェムが何もしていないように見えるだろう。しかし、彼女はタイミングを計っているのだ。ワイスマンがいる限り悪魔は何度でも出現するのだろうから、彼の隙をついて一撃で射殺できるように。

 そんな彼女の耳には幻聴が聞こえていた。その声はずっと彼女に語りかけ、ここから出る方法の前段階としてしなければならないことを伝えて来る。その声が一体誰の声なのか、アルシェムは何となく予想がついていた。あまりにえげつないことを提案されている気もするのだが、アルシェムはそれを気にすることはない。

 この世界は想念が形を持つ。ならば、ワイスマンを完全に滅せるような物体の創造とて難しいことではないのではないか。アルシェムは自らの持つ導力銃に想念を込める。ワイスマンをこの世界から完全に排除できるような弾丸を。ワイスマンを、この世界にはなかったことにできるような弾丸を。カモフラージュのためにあの時と同じ塩で出来た弾丸を。何物にも避けられないように、音をも超えるスピードで。

「――今」

 アルシェムは射線が通ったのを確認してワイスマンに一発撃ち込んだ。それは過たずワイスマンに突き刺さり――ワイスマンは、アルシェムの想定通り塩をまき散らしながら消えて行った。




 裏技的ワイスマンの倒し方。

 では、また。

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