桐条鴻悦に老王のソウルが混入しました   作:メンシス学徒

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書いていて、ペルソナと戦神館の相性のよさに気付いた。
いつかこのクロスも書いてみたい。






本編

「……息子?」

 

 喘ぐような問いは、意図してのものではない。

 未だ刃を交えずとも、分かる。これは別格だ。

 タルタロスを蠢く雑多なシャドウ、満月の夜に出現(あらわ)れるアルカナを冠した十二の大型、ストレガを名乗る三人組―――。

 どれ一つとして楽な戦いなどなかった。油断すればこちらの首を刈り取られかねない、強敵揃いだったと断言できる。

 だが、この男はあまりにも―――それこそ直前に撃破した、ニュクス・アバターと比べてさえ―――次元が違う。違いすぎる。

 

(駄目だ、怯むな。戦う前から心で負けてはどうにもならない)

 

 そう己を鼓舞しつつも、やはりどこかで気圧されていたのだろう。つい、無意識に疑念が漏れた。

 

「武治のことだ、覚えておらぬか? まぁ無理もない、あれは昔からとるべきところの全くない、我が種から生まれたとも思えぬ凡愚であったゆえな」

 

 屑は十年経っても屑のままであったかよ、と男は笑う。

 あからさまな嘲笑に、公子は不快感を催した。この老爺をおもいきり軽蔑したくなった。

 

(低俗なやつ。―――)

 

 この場合、軽蔑は必要であったろう。さもなければ、このままずるずると男の()に押し込まれ、ついには無惨なことになりかねない。

 

(たけはる、たけはる。ああ、桐条先輩のお父さんが、確かそんな名前だったっけ)

 

 幾らか平衡を取り戻した精神で思い出す。

 桐条武治。桐条美鶴の父であり、桐条家当主にしてグループ総帥。最初の出会いは屋久島で、眼帯という日常見慣れぬ装飾を付けていたのが強く記憶に残っている。

 最終的には本性を現した幾月修司―――闇の皇子となり、新世界の覇者となると喚いた、一個の妄想狂としか判断の仕様のない男だった―――と銃撃戦を展開し、相打ちとなり、娘に看取られ逝去した。彼の最後の奮闘がなければ、公子も特別課外活動部の面々も、あの誇大妄想狂の病疾の贄と捧げられ、今頃この世になかったろう。その点、命の恩人といっていい。

 そんな彼を息子と呼ぶなら、眼前の男の正体は自ずから見えてくる。人伝に名を聞くのみで顔は知らぬが、間違いない。

 

「桐条、鴻悦……!」

「如何にも」

 

 十年前の惨事の元凶。集合無意識に封印されたニュクスの精神を覚醒させんと試みて、実際ニュクス・アバターを降臨させかけた札付きの破滅主義者。

 月光館学園を取り巻くあらゆる悲劇は、辿って行けば皆一様にこの男に淵源を見る。公子にとっては両親の仇でもある狂人が、最後の最後、よりにもよってニュクスの体内に巣食っていた。

 

「どうやらまるきり無能というわけでもないらしい。安心したぞ、ここまで言ってまだ察せぬような愚鈍であれば、さてどうしてくれようかと案じていたのだ」

 

 言い終わるのと、鴻悦の体が消えるのとは同時だった。

 

「―――ッ!」

 

 その一撃を防げたのは、ほとんど奇跡に他ならない。

 脳による判断ではないだろう。去年の麗春から今日のこの日に至るまで、凡そ十一ヶ月に渡る戦いの日々により、戦闘者として洗練された公子の細胞が反応した。

 愛刀、孔雀御前を握る腕を衝撃が突き抜け、目の前には桐条鴻悦の大きな顔が迫っている。一拍遅れて、彼の瞬息の踏み込みが彼我の距離を一挙に潰し、続く逆袈裟をなんとか防御したのだと理解した。

 

(なんて出鱈目な!)

 

 痺れるどころではない。肩の付け根から腕ごとひっこ抜かれてしまいそうな、とてつもない衝撃だった。

 回復を待ってくれるほど、鴻悦は優しくないらしい。すぐさま雨霰のごとく、無数の斬撃が飛んできた。

 

「づッ、う、ああァ―――!」

 

 公子はよく捌いたと評していい。さながら機関銃の弾を切り落とし続けるような所業である。

 むろん、無傷とはいかない。制服の所々は切り裂かれ、芳醇なワインを思わせる真っ赤な血が溢れ出す。

 が、傷を負ったのは四肢の、それも外側ばかりだ。急所の集中する体幹は、なんとか守り通している。

 それでもこの局面が継続すれば、いずれは戦闘不能に陥るだろう。その未来がはっきり見えて、そう遠くないことも理解して、しかし打開策の一つも浮かばない。焦りばかりが募る悪循環。背中を流れる冷たい汗を、公子はどうにも止められなかった。

 

「どうした小娘、分かっているぞ。貴様、滅びを止めに来たのだろう。ニュクスを再び眠りに就かせる、その為に此処まで参ったのだろう。だというのに、なんだその体たらくは。守るばかりでは何事も為せん、少しは手を出してみろォ!」

 

 ふざけるな、と絶叫したい気分だった。

 現状、長柄の有利がほぼ殺されてしまっている。槍や薙刀は本来、刀の届かぬ遠距離から一方的に刺突を加える武具なのだ。

 しかし、鴻悦の踏み込みが常軌を逸して早すぎる。牽制を加えようにも間にあわず、懐にまで潜り込まれ、気付けば防戦一方に追いやられてしまう。

 つまりは単純な膂力と瞬発力。純粋に「強い」ということが、よもやこれほどの脅威とは思わなかった。

 

(ペルソナを使いたいのは山々だけどッ……)

 

 この男を前に置いて、悠々と召喚器を取り出し、頭に当て、引き鉄を引く?

 ナンセンスだった。確実に途中で殺されるだろう。

 ストレガのリーダー、タカヤのように召喚器を用いないペルソナ使役も、公子は出来る。

 だが、それにしたって集中する時間は必要だ。その隙を、鴻悦は絶対に見逃さない。

 ならば、詰まるところ打つ手なし。公子はこのまま首を刎ねられるのを待つだけの、俎上の鯉に過ぎないのだろうか。

 否である。

 

(よし、少しだけど見えてきた)

 

 彼女は決して目を閉じない。相手が如何に強大で、旗色悪く地獄を覗き込まされるような心地だろうとも、恐怖に屈して目蓋を下ろすを良しとしない。

 今日まで彼女の命脈を繋ぎ続けた要因のひとつはこれだろう。決して折れない精神性は公子をして、図抜けた観察力と適応力を付与せしめた。

 今、それが花開く。

 

「―――ぬ、む」

 

 特定の攻撃と攻撃の繋ぎ目、僅かに見え隠れする髪の毛一本分の隙。

 おそらくは鴻悦の癖によるものだろう、自覚してしまえばすぐ修正され、二度と表出することはない寸隙を突き、公子は大きく後ろへ飛びずさった。

 

「愚かァ!」

 

 が、この行為は鴻悦の指摘通りだったろう。常人ならば詰めるに苦慮する距離だろうと、鴻悦ならば一歩である。

 ペルソナを呼ぶ暇も稼げていない。一時凌ぎにもならず、折角見出した好機はどぶに棄てられ、結局は蹂躙劇が再開されるのみ―――。

 

「さあ、どうか、なッ!」

 

 寸前、何かが宙を舞っているのを察知する。

 鴻悦は視界の隅でそれを追い、ぎょっと目を見開いた。

 

(あれは―――あの宝石には、見覚えがある―――)

 

 確か、名を、メギドラオンジェム。

 その名の通り、メギドラオンの力を封入された宝石である。一度力を解放すれば、効果範囲内の物質は塵も残さず蒸発し、後に残るはすり鉢状にくり抜かれた大地と、大量の空気をいっぺんに失うことにより発生する気流の乱れのみ。

 そんな小型の破壊兵器を、公子は袖の下に仕込んでいた。戦闘中、いちいちポケットをまさぐっていてはまだるっこしいし、いざと言うとき間に合わない。現にそれが原因で大怪我をしかけた。

 

 ―――なにか工夫できないかな。

 

 と、風花やアイギスに相談し、真面目な考察と若干の悪乗りの果てに出来上がったのがこれである。 

 腕を特定の動きで動かすと、袖の下に仕込まれた機構が作動し、ジェムが掌中へと飛び込むようになっている。発想の元は公子が以前映画で目にしたスリーブガンであり、銃と違って取り出すものが小さいため制服にも収まった。

 ある晩のタルタロス探索で実際に使ってみたところ、思いの外具合が良く、以来ずっと愛用している。ただ、これを見た順平が大興奮を発し、是非俺にも、と強請られたのは予想外であった。

 とまれ、公子は飛びずさるのと同時にこの装置を発動。足が地に着く直前に、密かに投擲を終えていたのである。

 

「ちィ―――」

 

 これを見て、流石に鴻悦の足が止まる。

 さしもの彼とて、万能属性ばかりは反射できない。大剣を盾に使い、衝撃に備えた。

 そして、光と共に破壊がおとずれた。

 

「温い! これでは、足らんなぁ!」

 

 が、鴻悦にさしたるダメージはない。精々所々コートが破け、軽度の火傷を負った程度である。

 むろん、公子とてそれくらいは予測している。剣を交えていよいよ実感した、桐条鴻悦という生命の強大さ。それを消し去ってしまうには、どれほど貴重であろうとも、量産品ごときでは役者不足。自らの全能を振り絞るしかないと心得ていた。

 だから、メギドラオンジェムは最初から時間稼ぎ。切り札を切る為の文字通り捨石であり、その目論見は完全に成就したのだとほくそ笑む。

 

(思い知るがいい。悪手を打ったのは私じゃない、あなただ。あなたが悪手を打ったんだ)

 

 訝しげな視線を寄越す鴻悦を、侮蔑もあらわに睨み返す。

 そう、彼は突撃していればよかったのだ。どうせ致命傷にはならないのだからと多少のダメージは覚悟して、腹をくくり、メギドラオンの炎の中を一直線に突破していればよかったのだ。

 そうしなかったのは、ひとえに彼の驕りに依る。攻める側という意識が先行し、鴻悦にはここ一時に懸ける必死さが欠けていた。

 反対に、それを有り余るほど持っていたのが公子である。

 断言しよう。もし鴻悦が捨石に目もくれず、そのまま突撃していたならば、彼女はあっさり死んでいた。

 あの瞬間、公子は深く自己の裡に埋没し、外界の情報を遮断しきっていたのだから。

 一歩間違えれば、気付く間も無く死んでいた、という間抜けな結末が現実のものになっていた。

 その危険を承知で、彼女は賭けた。そして、勝った。負けた鴻悦は当然、代価を支払わねばならない。

 

「死ね」

 

 それはおおよそ公子に似つかわしくない、常日頃の彼女を知る者が聴けば耳を疑うに相違ない、絶対零度の声だった。

 

(なんで、どうして、どうやって、いつから此処にいるのかも、目的も背景もどうでもいい。ここで、必ず、この人を殺す。でないと今度は私が死ぬ。こんな好機は、もう二度と作れないんだから―――!)

 

 命を賭けまでして、稼ぎ出した時間は僅かに三秒。だがその三秒間で、公子はミックスレイドを完了させていた。

 

 

 ミックスレイド。

 それは掟破りの同時使役。無数のペルソナを使いこなすワイルド達の中でも、彼女にのみ許された特殊技能。結果惹き起こされる現象は、基の規模から乗倍単位で跳ね上がる。

 正しく奥の手と呼ぶに相応しい所業。そんな出鱈目を、ルシフェルとサタンという最高クラスのペルソナで以って実現させるのだ。

 同一にして対極。天にます熾天使と、地獄に君臨する魔王。本来ならば時間の檻に阻まれて、決して出逢うことなき二つの力を強引に融合させる。

 反発と相克、溶解と共鳴。陰陽狂乱の果てに待つのは、総てを呑み込み虚無へと還す名状し難き力場のみ。

 そんなものを示す名を、公子は一つしか知らなかった。

 

 ―――ハルマゲドン。

 

 彼女がなにを行おうとしているか、今更ながら気付いたらしく、鴻悦が驚愕の相を浮かべる。

 大剣を一閃させ、斬撃の軌跡そまままの衝撃波を飛ばしてくるが、間に合わない。

 解き放たれた暴威そのものに苦もなく呑まれ、押し流されていった。

 

 

 衝撃は、死の世界にさえ直立不能な激震を齎した。

 危うく崩れ落ちそうになるのを、寸でのところで踏み止まる。ミックスレイドという業は、本来もっと時間をかけて自己の裡に埋没し、デーモン・コアを扱うような繊細さで執り行うべきものである。

 それを三秒間に圧縮した代償が、公子の内部を直撃し、散々に喰い荒らしていった。

 視界は擦れて霧のよう。全身の筋繊維が引き千切られて、じくじくと微熱を発している。胃の腑から血泥がこみ上げてきた。どうやら血管が何本か弾けたらしい。

 

「死体、は……。したいは、どこ……?」

 

 途切れそうになる意識をディアラハンで強引に繋ぎ止め、視界を巡らし証拠を探す。桐条鴻悦がくたばったという、確実な証をだ。それを見ない限り気を抜けない。

 

「あいつの、屍は―――」

 

 返答は、背中に走った衝撃だった。

 硬質な何かが肉を裂き、鍛えられた背筋を抉り、肋骨の隙間を縫って肺まで達する。たちまち呼吸不全に陥った。

 

「……大したものだ。本当に大したものだと敬服しよう。余の玉体に傷を付けるどころか、ここまで壊してみせるとは」

「おまえ、は……!」

 

 ああ、今、一番聞きたくない男の声がする。

 首を捩じ曲げ、窺い見れば、そこにはやはり鴻悦の顔が。

 顔面の右半分が崩れ落ち、スーツも下しか残っておらず、右腕さえも失った、見るも無惨な姿であるが、それでも揺るぎなく立っている。

 公子の背を貫いているのは、彼の残された左腕による手刀であった。

 

「だが、惜しいかな。何も理解していない」

 

 ぬん、と左腕が怒張する。為す術なく、公子の体は人形よろしく持ち上げられた。血が滴り落ち、鴻悦の髪を朱に濡らした。

 

「いったい、その双眸は飾りかね? 本当にものが見えているのか? それとも、見えていながら理解を拒む愚者なのか?」

「なに、を―――!」

 

 鴻悦には、端から会話を成立させる気なぞ無いらしい。公子の返答を待たずして、恐るべき略奪を開始した。

 脊髄を電流が奔り抜け、眼から稲妻が迸った。少なくとも公子はそう信じた。

 

「あ、あ、ア、嗚呼、ああああぁァアアあぁぁあ―――!」

 

 骨を内側から焼かれる痛みに絶叫する。

 神経が燃え尽きて炭になり、真っ黒な消し炭がかさかさと音を立てているのにまだ痛みを感じるとはどういうことだ。近代生物学はどこいった、ありゃなんだ、嘘っ八だったのか。大西先生に教えてあげたい。あれ? あの人は化学の担当だっけ? じゃあ生物は? 江戸川? 寺内? 誰だっけ? 生物ってなんだっけ? あれ?

 わかんないや。

 えへへ。

 うふふ。

 

(駄目だ、痛みで思考の芯が保てない)

 

 痛み。

 そう、痛みだ。

 鴻悦の手刀を通して濃厚な「痛み」そのものが流し込まれ、反対に公子の内側からは大事な「何か」が流出してゆく。

 

(冗談じゃない)

 

 それで売買を成立させている心算か、ふざけるな。こんなのちっとも等価交換じゃない、と抗議したかった。

 本人は冷静なつもりでも、明らかに錯乱している。

 さもありなん、鴻悦が奪っているのは公子の魂、生きる活力そのものだ。精神と直結している、そんなものを毟り取られてまともでいられる道理こそない。

 

「貴様も見てきただろう」

 

 公子から奪い取ったものが、鴻悦の傷を埋めてゆく。顔面が元通りになったあたりで、何を思ったか、鴻悦は公子の体を力任せに放り投げた。

 二度、三度と地面を跳ね、赤黒い線を残しながら、漸くのこと停止する。公子の身は指一本たりとて動いておらず、とても生命の息吹を感じられない。

 

「もとより、世界とは悲劇だ」

 

 が、鴻悦は全く容赦しなかった。

 彼方に刺さった剣を抜く間も惜しいとばかりに、残像が残るほどの速度で駆け寄ると、その勢いを利用して、倒れ伏す公子の頭を爪先で以って蹴飛ばした。

 ぐしゃり、と、おおよそ人間の頭部が立ててはいけない音が響く。少女の小さな体は、またしても宙を舞わされた。

 

「ゆえに、神はニュクスという毒を残した」

 

 ここで、誰もが驚愕すべき事態が起こる。

 公子が立ち上がったのだ。

 その足はむざんなまでに痙攣し、産まれたての小鹿でさえこうではあるまいと思われるほど弱弱しいが、しかし間違いなく両の足で立っている。

 衝撃でヘアピンを失い、ために髪を振り乱しながら、それでも前を向こうともがいている。

 凄絶ながらも目を離せない、ある種の神々しさすら漂う光景だった。

 

「命を奪い、すべての悲劇を終わらせるためにな!」

 

 が、目の前にいるのは桐条鴻悦。

 心などとうに失って、妄念ばかりが果てしなく膨張し続けた怪物である。

 この光景に対しても、なんら感応するところはないらしい。自らの理屈のみを並べ立て、裂帛の気合と共に、略取の光を解き放った。

 一見すると、これもまた美しい。

 しかし、鴻悦の左手を包むこの光こそが、あの(・・)有里公子をして正気を失う寸前まで追い込んだ「妖光」なのだ。

 

「……これが真理だ、受け入れよ。受け入れて、全速力で死ぬがよい。なに案ずるな、直にすべてが終わるのだ」

 

 そう言って、鴻悦は再び左手を公子の体内に突き入れた。臓物の温かさと柔らかさが、指にたまらなく快い。

 そのまま先程のように持ち上げようとして―――それが出来ないことに気付く。

 少女の体が、妙に重い。

 

「な、に―――?」

 

 瞬間、鴻悦の全身を、かつてない悪寒が駆け抜けた。

 そうと気付かない内に、虎の(あぎと)に首を突っ込んでしまったかのような。

 地鳴りの如き唸り声と、頬を濡らす唾液の生温さで漸くそれに気付きかけているような。

 

(此処は、不味っ……!?)

 

 慌てて飛び退こうとしても、遅い。一瞬早く、「虎」が渾身の力で顎を閉じた。

 公子の手が鴻悦の腕を握り締め、万力の如き力で締め上げ、引くも押すも出来なくしていた。

 

「……捕まえた」

 

 耳元で囁くような、儚い声。

 公子の顔面、血に染まらぬ箇所はなく、今もどくどくと新たな鮮血が流れ出し、襟元を重く濡らしている。

 だが、その瞳は。

 瞳だけは、今新たに生まれた新星のように、ぎらぎらと雄雄しく滾っていた。

 

「ペルソナ」

 

 ぽつりと呟き、空いているもう一方の掌を上に向ける。なにか、不可視の球体でも乗せているかのような格好だった。

 続く展開は、狂気の一言。

 

「オーディン! スルト! スカディ! ノルン! ルシフェル! サタァァン!」

 

 公子は、再度ミックスレイドを行おうとしていた。いや、果たしてこれをミックスレイドと呼んでいいものか。

 今、彼女が同時に使役しようとしているのは二体だけに留まらない。神々の王、巨人の守護神、傷つける者、運命の三女神、熾天使、魔王、他にも他にも―――。

 本来あるべき組み合わせも、条理もなにもかも無視した自爆行。無理を通す代償として存在基盤そのものをがりがり削りとられながら、それでも公子は暴挙を形にしつつある。

 彼女の小さな掌の上で、終末の嵐が吹き荒れる。ラグナロク、ニブルヘイム、万物流転、真理の雷、明けの明星、漆黒の蛇。どれもがどれも、直撃すれば常人ならば五回は死ねる桁外れの威力。そんなものどもを混ぜ合わせ、行き着く果てはいったい何処か。

 

「今度こそ、本当の最終戦争(ハルマゲドン)がやってくる。覚悟しなよ桐条鴻悦、再生の余地など残さない。あなたの大好きな死の中に、全力で叩き堕としてやる!」

「貴様、小娘ェェ―――!」

 

 正気ではない。

 鴻悦の目から見ても、公子は明らかに発狂していた。どう楽観視しようとも、人間ひとりの器に収まる規模の力ではない。

 必ず失敗する。技が完成する遥か以前に彼女の体は砕け散り、統制を失った力が混沌よろしく荒れ狂う始末になるだろう。

 完成した最終戦争(ハルマゲドン)を喰らうよりかはマシと雖も、現段階でさえこれだけの力が渦巻く以上、巻き添えを喰らえばただで済むとは思えない。逃げるべきであった。脇目もふらさず、全力で。

 しかし、公子に腕を掴まれている。幾ら振り解こうともがいても、鉄の鏨を嵌められたように微動だにしてくれない。

 

(なんだこれは、何処にこんな力が残っていた)

 

「略取」の効果は、依然発動しているのだ。

 左手を通して公子の活力が流れ込み、今も鴻悦を癒している。公子は弱体化し、鴻悦は強化されゆくのが道理であろうに、この現実はどうしたことか。

 

「不思議?」

「……!」

 

 鴻悦の内心を読んだとしか思えぬタイミングで、公子が言った。

 

「飾り物はあなたの方だ。あなたの眼こそガラス玉だ。よく見なよ、私を支えてくれているのが、何なのか―――」

「これ、は……!」

 

 その言葉で完全に理解する。

 だからこそ、鴻悦は続けざまに叫ばずにはいられなかった。

 

「貴様、友を殺す気かぁっ」

 

 

 実のところ、公子は鴻悦に嬲られていた際、ただ暴虐に翻弄されていたわけではない。

 

(届け―――お願い、届いて頂戴)

 

 密かに「手」を伸ばしていた。

 死の闇に遮られた向こう側、幽かに感じる仲間達の気配に向けて、どうか助けてと救援を乞うていた。

 

(情けないなあ。私はつくづく、しまらない)

 

 何かを悟った気になって、自分ひとりでカタをつけると息巻いて、いざ乗り込んでみれば思わぬ強敵に遭遇し、独力では打破できず、ピンチだからと慌てて救けを呼んでいる。

 なんという面の皮の厚さだろう。我ながら恥じ入るばかりである。

 

(ああ、でも、そうだ。それが私だった。他人(ひと)の肩を借りなければ満足に立ち上がることもできない臆病者。だからこそ強い繋がりを、決して解けない紐帯を、私は望んだんじゃないか)

 

 なんて身勝手。死んでも治らぬこの愚かさ。

 けれどそんなどうしようもない女の求めに、仲間達は躊躇なく応えてくれた。

 今、この身に注ぐ力の流れがその証明。

 鴻悦に奪われる以上の勢いで、公子に彼等の命の力が流れ込んでいるのだ。

 

「ごッ……ぐ、ふっ……!」

 

 しかし、これは暴挙だ、暴挙だろう。

 ニュクスが放つ死の波動は一向止む気配なく、逆に圧を増す一方。その猛威に晒されながら、更に公子を援助しなければならないのだ。

 砂漠を彷徨い、渇える者が、更に自分の血液をも差し出すような無謀。鴻悦が殺す気か、とわめいたのも決して的外れではない。むしろ控え目な表現と言える。

 順平が血の泡を吹き出した。天田の眼球は充血し、今にも破裂せんばかり。ばきっ、と硬質な音は真田から。どうやら奥歯を噛み砕いたものらしい。

 

「死なせる、ものかぁっ……!」

 

 だが、一人としてこの「暴挙」を止めない。

 鴻悦のそれと異なり、搾取ではないのだ。双方の合意あってこその繋がりで、ゆえに切ろうと思えば何時でも切れる。

 にも拘らず、誰一人。もはやヒトの(てい)を保てなくなるほどに損耗しながら、誰一人として中断(やめ)ようとしない。一度は屈した膝を持ち上げ、天を圧する「死」そのものに吼えていた。

 

「一人なんかじゃねえ、絶対に一人なんかにゃしねえぞォッ!」

「ずっと一緒だったじゃ、ないですか……! ここまで来て僕だけ何にも出来ないなんて、それこそ冗談じゃありませんよっ……!」

 

 男達の絶叫が、この場に集った者の総意だったと言っていい。

 その輝きが、公子の背の向こう側にはっきり視えて。

 

「―――哀れな女だ」

 

 鴻悦は、ただそう漏らすのみだった。

 

 

 鴻悦の吸魂が激化する。公子は自分がさながら一個のパイプと化したことを自覚した。

 猛烈な勢いで注がれる命と、猛悪な勢いで流れ出す命。それは一秒毎に死と新生を繰り返す拷問にも等しく、極大の苦痛と極大の快感がめまぐるしく入れ替わり、さかんに自我を攻撃する。

 加えて、元々の器を遥かに超えた力の制御も行わねばならない。その代償は先の三秒圧縮の比ではなく、全身が細胞単位でばらばらになってしまいそうだった。

 

(ああ、消える)

 

 有里公子という存在そのものが、激流に削られ消えてゆく。何故自分はここにいるのか、何故戦っているのか、そもそも自分とは何なのか。

 

(ッ、駄目!)

 

 崩壊しかける自分自身を、まだ駄目だ(・・・・・)と繋ぎ止める。こいつにだけは負けられないという、多分に子供染みた意地を縁に踏み止まる。

 誰にも話していないことではあるが。

 公子はかつて―――それこそ産まれてくる以前のこと―――人をひとり、殺している。

 母の子宮の中で。自分とは異なる卵から生まれた、同じ両親の血を引く双子を、彼女は殺めてしまっているのだ。

 そうしなければ生きられないと、本能的に悟っていたから。

 双子のうち、世に出られるのは一人だけだと運命付けられていたのだから。

 だから、公子は、「彼」を奪った。

 両親は決して語ろうとしなかったが、公子の記憶の底の底にはそのときの感触がはっきり刻み込まれている。

 公子の人生に死の影が付き纏うようになったのは、アイギスにデスを埋め込まれたからではない。

 彼女の人生は、最初から死に魅入られたものだった。

 だから、求めたのだ。

 それこそ物心ついた時分から。片割れを殺してまで生きている自分はなんなのか、そもそも「生」とはいったい何か。人は何故産まれ、何故生き、何故死なねばならないか。

 今日その問いに、自分なりの答えが出た。けれどもこの答えとて、完全無欠の真理などではないのだろう。過去、多くの思想家が公子と同じ疑問を抱き、彼等なりの「答え」を見出した。

 そうしてこれで一安心、満足満足と腰を下ろして休んだものの、暫くすると「答え」の中に新たな疑問が芽生えつつあるのを発見する。

 これはいかぬと疲れきった体に鞭打ち、また旅路を再開する。探求者の人生とは畢竟この繰り返しだ。そうして最後は満たされぬまま死んで逝く。

 

(私がいま、抱きしめているこの「答え」にも、きっと根底には同じ性質があるんだろう)

 

 だが、それを以って徒労だなどとは、公子は決して思わない。むしろ、それでいいのだと思う。

 なるほど鴻悦の言う通り、世は(くら)く、悲劇と苦難に満ちており、道のりは果てしないとしても、歩み続けることには意味がある。

 それは闇の中にあって、一際まばゆく光を放つ黄金の鎖なのだから。

 いや寧ろ、闇の中に在ればこそ、それの輝きが際立つのだろう。夜の暗さこそが、本来他愛もない筈の蝋燭の灯りをいよいよ浮かび上がらせるように。

 その煌きが愛おしい。

 自らの足跡も、その一つに連なってほしいと強く、強くそう願う。

 だからこそ、ここで鴻悦だけは殺しておかなければならない。

 闇の深さを嘆くあまり、すべて闇に沈んでしまえと倒錯した大馬鹿者を、看過するわけにはいかないのだから。

 そうして遂に、公子の求めた最終戦争(ハルマゲドン)が成就した。

 

「舐めるなよ、小娘―――!」

 

 が、鴻悦とてただ手をこまねいていたわけではない。

 公子から奪い取った生命を用い、全力で右腕を再生させる。甲斐あって、公子よりも一手早く、そのことを成功させていた。

 

「来い!」

 

 新たに生やした腕を、彼方に刺さった愛剣へと向ける。主の声に応え、剣はその姿を消失。再び現れたときは既に彼の掌中だった。

 それを以って、躊躇いなく左腕を切断する。肩口からばっさり切り落とし、拘束を解くと、間髪入れずに鴻悦は逃走を開始した。

 いや、しようとした。

 

「―――最終戦争(ハルマゲド)ォォンッッ!」

 

 満を持して、公子が解き放つ破滅の大渦。

 操作を放棄し、無作為に暴走させれば街ひとつ地図から消せてしまうほどの大禍。

 正しく極小規模の世界の終わり。そんなものを、掌に収まる規模へと圧縮し、指向性を持たせて撃ち出したのである。

 如何に鴻悦の俊足とて、そんなものから逃げ切れる道理がなかったのだ。

 

「お―――お、おお、おおオオオオォォオおおおああぁァ―――!!」

 

 ニュクスの身を鳴動させ、彼女の波動に乗って眼下の星をも揺るがせる。そんな呪叫を残し、鴻悦は終焉に呑み込まれていった。

 

 

 

「貴、様……」

 

 道理を覆されるのは、今宵何度目のことだろう。

 あの直撃を受けてなお、鴻悦はそこに立っていた。

 

「分からないか……」

 

 黒剣を握り締め、殺意もあらわに公子に向けて突き付ける。

 だが、公子は見抜いていた。

 

(張りぼてだ)

 

 実体など無いに等しい。

 桐条鴻悦が永きに渡って蓄え続けた負の情念、世界を巻き込む破滅衝動。

 それらがあまりに膨大過ぎたがゆえに、世界そのものに焼き付いた(・・・・・・・・・・・・)、彼の残影でしかないだろう。

 

「本当は、誰も……」

「………」

 

 公子は黙って孔雀御前を構え直した。

 一瞬の交錯の後、鴻悦の胸が割られ、黒血が瀑布とこぼれ落ちた。

 

「誰も望んではいないのだ……」

 

 その言葉を最後に、鴻悦の身体は霞と消えた。

 世界の滅びを夢見た男の、あまりにもあっけない最後だった。

 

「………っ! はぁ―――っ、はぁ―――っ、はぁ―――っ!」

 

 膝を付き、大きく息を吐き出す公子。いっそ内臓ごと吐き出してしまいたかったが、どうにか耐える。

 

「まだ、だよね。まだ、終わってない」

 

 よろよろと、おぼつかない足取りで目的の場所へと歩いて行く。あれほどの激闘が繰り広げられたにも関わらず、ニュクスは我関せずと言わんばかりに、つんと澄まして静謐さを保ち続けていた。

 

「つれ、ない、なぁ……」

 

 だが、そのそっけなさが心地いい。

 生は激しい。ならその対極たる死は、静けさを体現したものであるべきだ。

 走り抜けた先に待つ静寂―――公子にとっての理想の死とはそれである。

 だから、「死」そのものが生ににじり寄り、全てを呑み込もうとするなどと。

 

「はしたない、よ……?」

 

 妹を嗜める、姉のような口ぶりで。

 銃を模った右手を、ゆっくりと頭上に持ちあげた。

 

 

 









終わり。
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