魔法科高校の幻想紡義 -旧-   作:空之風

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お待たせしました。
今回は魔法科成分100%。でも題名は東方っぽく。
魔法科の戦闘は難しいです(汗)
それと改めまして一言。
「魔法師は難易度ルナティックです」(断言)



第43話 現代果心居士

モノリス・コードの試合が終わったことで観客が続々と席を立ち始める。

 

遂に一高が総合順位で一位を奪還という展開、何よりその試合内容は観客の期待を大きく上回り、十分過ぎる満足感を与えていた。

 

特に雅季の見せた弾幕は、「魅せる魔法」の楽しさ、美しさを改めて多くの人々に認識させており、より演出魔法に注目が集まるだろうとも思われた。

 

ちなみに最後のシーンについては色んな意味で感想が分かれている。

 

たとえば魔法を使えない一般人は、最初こそ驚いたが時間を置いた今では「あんな使い方もあるんだなー」とか「新しい戦法か」といったように普通に受け入れている。

 

……無知とは斯くも恐ろしいものなのだ。

 

肝心の魔法師の感想は、まず一高内では「見なかったことにしよう」とか「きっと白昼夢だったんだよ!」といったような現実逃避系が多くを占めた。

 

そして大会運営委員会を始めとする魔法関係者達、更に他の八校の生徒からは、別の意味で「結代選手、恐るべし」という畏怖を募らせていた。

 

特に敗北した三高に至っては「あんなの予想できねぇよ……」と遠い目で天を仰いだとか。

 

なお全くの余談だが、今年の夏から魔法が使える小中学生の間で何故かCADを投げることが密かに流行り始め、それを知った大人達は顔を引き攣らせるという楽しくない未来が待ち構えていた。

 

閑話休題。

 

 

 

興奮収まり止まぬ者や満足したように、或いは微妙な顔付きの者(主に魔法関係者)など様々な思いを抱いて会場を去っていく中。

 

最後列の端に座る三人は席を立つ気配を見せず、

 

「試合も終わったことだ、俺もそろそろ席を外そうと思っているのだが?」

 

「このまま帰すと思うか?」

 

柳と真田、そして呉智。

 

三人は互いに再び殺気立った気配を見せていた。

 

「だろうな」

 

一蹴した柳に、呉智はどこか面白そうに答える。

 

「君には色々と聞きたいことがあるからね。“色々”と、ね」

 

真田の口調こそ常と変わらぬ人が良さそうなものだったがその実、油断どころか安心すらしていない。

 

真田も柳も、瞬時に呉智を取り押さえられるよう万全な態勢を整えたつもりだ。

 

だが呉智のその余裕が虚勢でないことも、二人は知っていた。

 

呉智の魔法は相手を直接倒せるような威力や殺傷力のある魔法ではない。

 

代わりに、攪乱という点においては間違いなく日本でも最高峰に位置する。

 

たとえ真田と柳以外にも独立魔装大隊の隊員達が気配を消して周囲に配置されており、呉智を包囲していようと。

 

たとえ『電子の魔女(エレクトロンソーサリス)』こと藤林響子少尉が後方でサポートしていようと。

 

それでも、沖縄の地で見せられたあの光景を知る者達からすれば、確実にこの青年を確保できると断言することは出来ない。

 

「色々、ね。三年ぶりの再会を祝して昔話にでも華を咲かせるか?」

 

「そうだな、我々としてはちょっとした昔話が聞きたいものだ」

 

柳はそこで一旦言葉を区切り、柳と真田は一瞬だけ視線を交叉させる。

 

そして、柳はこの状況を崩壊させる起爆剤になり得る言葉を口にした。

 

「――特に、今年の四月あたりの話を、な」

 

瞬間、空気が一気に張り詰めた。

 

周辺に潜んでいる大隊の隊員達が張り詰めた空気だ。

 

呉智の逃走を予期して瞬時に飛び出せるよう警戒を最大限にまで上げ、

 

「四月? ああ、ブランシュの件か」

 

そんな彼らの予想を裏切って、呉智はごく普通に答えた。

 

あっさりとブランシュという単語が出てきた事に、柳も真田も意表を突かれた。

 

だが顔には出さず、会話の主導権を握れなかった動揺を押し隠して柳は続ける。

 

「連中を殺害したのは、お前か?」

 

「いいや、“俺”ではないな」

 

それを聞いた柳は真田に目配せする。真田は首を小さく縦に振る。

 

嘘を付いている様子は見受けられないが、おそらく真実も語っていない。

 

だが、今の問い掛けは結局のところ牽制だ。

 

何故なら呉智が実行犯であろうとなかろうと、ブランシュを殺害したのはラグナレックでほぼ間違いないというのが魔装大隊の出した結論だ。

 

「そうか。では、質問を変えよう」

 

「まさに尋問だな。昔話どころか質問にすらなっていない。言葉は正しく使うべきじゃないのか」

 

表向き苦笑を浮かべ、だが未だ余裕を保っている呉智の戯言を聞き流し、

 

「何故、ブランシュにジェネレーターを与えた?」

 

柳は本命へと繋がる問いを投げ掛けた。

 

その問いに対し呉智は、僅かに肩を震わせる。

 

込み上がる笑いを堪えるために。

 

口元を釣り上げる呉智に、柳と真田は眉を顰める。

 

そして、

 

「上司からの指示に従うのは社会人としてのルール、況してやCEO直々の命令とあらば尚更だろう」

 

これもまたあっさりと、そして魔装大隊にとって悪い予想通りであり、更に想像を上回る回答だった。

 

それは柳も真田も、オープン状態の通信端末越しに聞いている藤林と風間も絶句させるほどに。

 

「バートン・ハウエル、だと……」

 

「それは、ラグナレックのトップが直接動いている、ということかい?」

 

「どう解釈するかは、そっちに任せるさ」

 

 

 

作戦の都合上、軍用ホテルの屋上で通信端末越しに呉智の言葉を聞いていた藤林は、思わず背後へ振り返った。

 

「少佐……」

 

藤林の視界に映る風間は、目を閉じて腕を組んだまま何も言わない。

 

ただし、その表情はこれまで藤林が見たことないほど険しいものだった。

 

南米大陸の過半数、アフリカ大陸のほぼ全域を実質的な統治下に治めた、間違いなく有史以来最大の民間武装組織である『ラグナレック・カンパニー』。

 

そのトップが直接指示を出したという事実が、どうしても藤林に最悪の事態を予想させる。

 

――お互い、『最悪の結果』だけは避けたいものだな

 

九校戦の初日に風間と達也が交わした会話。

 

あれが現実味を帯びて、今まさに現実の圧力となって藤林達の背中に重く伸し掛ろうとしていた。

 

 

 

「水無瀬」

 

僅かな絶句、だがそれを悟らせるような真似を柳も真田も犯さなかった。

 

真田がさり気なく懐に手を伸ばしたのを視界の端に収めながら、柳は再び尋ねた。

 

「お前の、ラグナレックの狙いは何だ?」

 

「さて、何だろうな」

 

呉智ははぐらかす。

 

「もしお前達が総隊長の考えを読めたなら、寧ろ褒めてやりたいところだ」

 

無理だろうがな、と呉智は心の中で付け足した。

 

常識的な思考回路を持つ人間に、バートンの考えなど読めるはずがない。

 

まさか、理由が「四葉へのお礼参り」だと、あの四葉と全面戦争に繋がりかねない火遊びをしていたと、一体誰が想像できるだろうか。

 

「そうか」

 

呉智の答えに、柳は小さく息を吐いて、

 

 

 

――なら、力付くでも答えて貰うぞ。

 

 

 

それは言葉にはならず、だが全員が認識し。

 

故に、誰もが動き出した。

 

 

 

真田は懐の拳銃、いや武装一体型CADのトリガーを引き。

 

柳は座った状態のまま、身体を捻って呉智の胸部に向かって掌打を打ち込み。

 

呉智は予備動作も無く、地面を蹴った。

 

 

 

始まりの合図など無く、唐突に戦いは始まった。

 

 

 

 

 

今しがた呉智がいた椅子に、命中した相手に電流を流し込み筋肉を痙攣させる強力な対人用麻痺弾が食い込み、更に掌打が椅子に叩きつけられる。

 

だが肝心の呉智はそこにはいなかった。

 

座った状態から前の客席を踏み台にして宙返りを繰り出し、座っていた椅子の後方、上段側の通路に着地する。

 

魔法も使わず持ち前の高い身体能力で二人の初撃を躱した呉智に、観客を装っていた、或いは物陰に身を潜めていた魔装大隊の隊員達が一斉に動き出す。

 

ほとんどいなくなったとはいえ疎らに残っている一般客の注目をごまかす為、真空の層を作り出して遮音の魔法を発動させる者。

 

真田の物と同じ対人用麻痺弾が装填された拳銃形態の武装一体型CADの銃口を呉智に向ける者。

 

汎用型CADで援護用の魔法式を構築する者。

 

事前の役割分担に従い、彼らは精鋭の名に相応しい練度で瞬く間に包囲網を構築する。

 

同時に、柳と真田も間髪入れずに呉智を追撃した。

 

懐からCADを取り出し再び呉智に銃口を向ける真田。

 

全員の銃口の位置を計算し、射線と重ならない位置から接近する柳。

 

幾多もの銃口を向けられ、更に格闘戦では達人の域にある柳が迫り来る中、呉智は大胆にも不敵に笑う。

 

 

 

そして柳や真田、魔装大隊の隊員達の目の前で、呉智の姿が二人に分かれた。

 

 

 

一瞬とはいえ隊員達が戸惑いを見せる中、柳と真田だけは全く動じずにターゲットを変更する。

 

真田は右の呉智へ。

 

柳は左の呉智へ。

 

本人達が聞けば非常に不本意だろうが、即席にしては息がピッタリと合った連携だった。

 

真田の銃弾、柳の掴み技がそれぞれの呉智を捉え――直後、二人の呉智は幻のように消え、両者の攻撃は再び空を切った。

 

否、幻のようにではない。二人の呉智は本当に『幻』だったのだから。

 

二人は瞬時に周囲を見回すも呉智の姿は無い。

 

(これが――)

 

柳と真田、独立魔装大隊の隊員達。

 

歴戦の魔法師達がいる眼前で忽然と姿を晦ましてみせた呉智に、わかっていた事とはいえ戦慄を禁じえない。

 

常人だけでなく想子(サイオン)を感じ取れる魔法師すら欺いて見せる幻。

 

古式魔法の中でも特に幻術に秀でた家系。

 

幻術の大家とまで謳われる――。

 

(これが、水無瀬の幻術か)

 

世界でもトップクラスの幻術使い(イリュージョンマスター)、水無瀬呉智。

 

当たって欲しくない意味での予想通りの実力に、柳は舌打ちしつつ声をあげた。

 

「藤林!」

 

通信端末からの返答はすぐにあった。

 

『場外です、現在は楯岡軍曹と音羽伍長が交戦中!』

 

電子線の放射、反射を捉えて対象物を走査する術式は藤林が得意とする魔法の一つ。

 

その魔法を駆使して、藤林は呉智が幻を投影しつつ自身は姿を消してフェンスを飛び越えたのを把握していた。

 

それを聞くや否や、柳は地面を蹴って自らもフェンスの向こう、場外へと身を投じる。

 

「総員、HMD(ヘッドマウントディスプレイ)を装着!」

 

(尤も、HMD(これ)がどこまで効果的かは疑問が残るけどね……)

 

一方で真田もまた、全員に幻術対策のHMDの装着を指示し、隊員達を引き連れて会場の外へと駆け出した。

 

 

 

 

 

会場から飛び降りて地面に着地した呉智は、包囲網の一角として待機していた魔装大隊の隊員二人から麻痺弾の歓迎を受けた。

 

呉智は勢いに任せて地面を転がり、近くの木の陰に飛び込む。

 

身を隠した木に弾丸が食い込むのを背中越しに感じながら、呉智は術式を行使する。

 

 

 

速度や多様性、応用性に重点が置かれている現代魔法だが、未だ古式魔法の方が優れている分野も幾つか存在する。幻術もその一つだ。

 

水無瀬家の始まりとなったあの女性以降、千年以上に渡り水無瀬家は幻術を精錬してきた。

 

加えて水無瀬家は総じて幻術に対して優れた特性を持っている。

 

それは、幻術を行使するのに起動式が不要なほどに。

 

元々CADは魔法発動の補助デバイス。超能力者の用いるサイキック以外にも、CADを用いることなく魔法を即座に行使できる魔法師は存在する。

 

例えば十文字克人の『ファランクス』。司波達也の『分解』。司波深雪の『コキュートス』。

 

そして、水無瀬呉智の幻術もまた然り。

 

 

 

独立魔装大隊の隊員である楯岡と音羽は、HMDを装着し拳銃形態の武装一体型CADを構えながら、呉智の潜む木陰へ歩み始める。

 

瞬間、呉智が木陰から飛び出し、森の中へと駆け込もうとする。

 

反射的に二人は銃口をそちらに向けて、強い意志力で引きかけたトリガーを止めた。

 

肉眼で見れば、あの呉智はどこから見ても本物にしか見えない。

 

だが熱量、物体構成、そしてサイオンレーダー。

 

幻術対策として装着しているHMDの全ての計器が、あの呉智が実体の無い偽り、即ち幻であることを示している。

 

呉智の幻術を見破った。

 

その事実に楯岡と音羽はニヤリと口元を歪める。

 

(あのHMDは幻術対策か)

 

――呉智と同じように。

 

(その程度で封じたつもりか? なら、これはどうかな)

 

呉智が術式を発動させると同時に、楯岡と音羽の視界が急激にぼやけた。

 

二人の網膜に直接投影された蜃気楼が、二人から視力を一時的に奪う。

 

柳が追いついたのは、その時だった。

 

 

 

柳が地面に着地した時、ちょうど楯岡と音羽がHMDを外して目を抑えるところだった。

 

やはりHMDでは対策としては不十分だったらしい。

 

本当に幻術対抗を施すならば司波達也を連れてくるのが最も効果的なのだろう。

 

呉智の幻術も、『精霊の眼』からは逃れられないのだから。

 

だがそれも今は詮無きこと。

 

柳の位置からは木陰にいる呉智の姿も確認できた。

 

そして、音も無く着地した柳に呉智は未だ気付いていない。

 

呉智が柳に気付いた時、柳は一瞬で既に呉智の目の前にまで接近していた。

 

咄嗟に迎撃しようと呉智が拳を突き出した途端、呉智の視界が反転し、背中に強い衝撃を受けた。

 

柳が突き出された呉智の腕を掴むや、瞬く間に呉智を地面に叩きつけたのだ。

 

「――っ!」

 

受け身も間に合わずに呼吸を止める呉智。

 

柳はそのまま組み敷いて取り押さえようと――直感で危機を感じてその場から飛び退いた。

 

直後、柳のいた場所を麻痺弾が空を貫いた。

 

柳は自分に向かって麻痺弾を撃ち込んだ人物を、

 

「馬鹿者!!」

 

音羽伍長を睨み付けて叱責した。

 

「え――なッ!? た、大尉!!」

 

そして、音羽は驚愕に目を見開いた。

 

呉智の幻術によって視界を塞がれていた音羽が、()()()視界を回復させた時。

 

彼の視界に飛び込んできたのは、地面に倒れている()と、柳の前に立つ()()だった。

 

だからこそ、音羽は上官を援護する為に銃口を()()に向けて引き金を引いた、そのはずだった。

 

驚愕から抜けきれない音羽を他所に、呉智は口元を歪めたまま立ち上がり、

 

「ご苦労」

 

口調に皮肉を混じえて、音羽を労った。

 

「くっ――!」

 

音羽の怒気と殺気が呉智に注がれる。

 

否応にも気付かされた。気付かざるを得なかった。

 

呉智の幻術の罠に嵌ったのだと。

 

一方の柳は視線を呉智に戻しており、表情は一段と険しいものになっている。

 

(“これ”があるから厄介なのだ……!)

 

幻術による同士討ち。沖縄の戦場で散々に見せつけられた光景。

 

三年前、沖縄に侵攻した大亜連合軍を国防軍が一方的なまでに殲滅させ、最初の奇襲時以外に損害らしい損害など全くないまま完勝せしめた最大の理由。

 

それは、大亜連合軍の過半数の銃口が国防軍に向かなかったからだ。

 

ではどこに向いていたのか?

 

彼らの銃口はほとんど自軍に向けられ、大亜連合軍の兵士は同じく大亜連合軍の兵士を相手に戦争をしていたのだ。

 

すぐ傍まで接近し、必中の至近距離で銃口を向けてくる国防軍を、最後まで“味方”であると惑わされて。

 

幻術の届かなかった部隊や、幻術を見破れた魔法師の兵士は達也が文字通り“消滅”させて。

 

そうして、大亜連合軍はろくな撤退も出来ずに殲滅された。

 

あの時に大亜連合軍を襲った悪夢が、今度はあの時に共闘した国防軍に襲いかかる。

 

柳は背筋に冷たいものが流れるのを自覚した。

 

 

 

呉智を警戒する柳に対し、呉智もまた柳を警戒していた。

 

(この距離は拙いな)

 

呉智も持ち前の身体能力と経験により、多少は格闘戦の心得も持ち合わせている。

 

だが、その程度では柳に勝てない。

 

接近を気付かせず、瞬く間に無力化させられた事実を思えば当然の帰着。

 

(まあ、噂に聞く独立魔装大隊がここまで出張ってくるのは予想外だったが、ある程度の目的は達せられた。ならば……)

 

元々、呉智からすればここで独立魔装大隊と戦うこと自体が予想外だ。

 

富士裾野は国防陸軍の膝下だ。故に国防軍の反応と対応を図るために敢えて監視カメラに映って見せたのだが。

 

まさか富士に駐屯している部隊ではなく、霞ヶ浦に駐屯している独立魔装大隊から、しかもこれほどの人員を富士に呼び寄せていることが不思議でならない。

 

同じ部隊に所属している司波達也が九校戦の代表として出場していることから、風間や柳、真田といった幹部陣だけならばまだわかるのだが。

 

ともかく、呉智にとっては想定外の戦闘。

 

ならば取るべき手は自ずと決まる。

 

そのための仕込みも、最初の段階で既に織り込んである。

 

呉智の判断を後押しするように、複数の弾丸が飛来した。

 

HMDを装着し、呉智が幻ではないことを確認した真田達の撃った麻痺弾だ。

 

呉智は後ろに跳んで麻痺弾を避け、呉智と柳の間で麻痺弾が空を切った。

 

会場からの到着が早い、おそらく事前に最短ルートを確保しておき、更に魔法による自己加速で駆けつけてきたのだろう。

 

一体、呉智一人の為にどれだけの手間と人員を注ぎ込んでいるのか。

 

呉智は苦笑し、そして援軍の到着を見て、

 

(引くか)

 

撤退を決意し、身を翻して柳達に背中を見せた。

 

「逃がすか!」

 

背中を見せて森の中へと逃げ込む呉智に、柳は追跡せんと駆け出し――。

 

 

 

何も無いところで“何か”が右半身とぶつかり、身体を大きくよろめかせた。

 

 

 

「なにっ?」

 

優れたバランス感覚の良さで姿勢を整え、転倒を回避した柳は右へ振り向く。

 

何も無かったはずの場所、だがよく見れば蜃気楼のように空間が微かに揺らいでいる。

 

「あー、柳君」

 

そこへ、HMDを装着した真田が言いづらそうに声を掛けた。

 

「見えないし隠蔽も見事でわからないと思うけど、そこには木があるよ」

 

一瞬、柳はその意味を理解できなかった。

 

何故なら、柳が来た時から、そこには木など無かった。

 

それが意味するところは、つまり……。

 

「奴め!」

 

柳は既に姿の見えなくなった呉智の去った方向を睨みつける。

 

呉智は柳が来る前、おそらくここへやって来た最初から、その段階で周囲に幻術を展開していたのだ。

 

柳が足を踏み入れた時点で、ここは既に幻惑の世界。

 

幻術対策のHMDを装着していない、肉眼で世界を見ている者の目に映る景色は、果たして全て正しいのだろうか。

 

目に見える景色は信用できず、更に先程の楯岡軍曹と音羽伍長のようにHMDも効果的とは言い難いとなれば、追跡は困難を極める。

 

況してや下手に追いかけて同士討ちさせられた時には目も当てられない。

 

普通の部隊なら、の話だが――。

 

 

 

 

 

森の中を疾走していた呉智は、やがて足を止めて木に背中を預けた。

 

(撒いた、か?)

 

念のため精霊を喚起し後方を探る。尤も、呉智は撒けたと考えているが。

 

ただでさえ視野の狭い森の中を、更に幻術を併用して駆けてきたのだ。

 

優秀な魔法師だろうと、呉智の幻術は全てを誤魔化し、幻惑してみせる。

 

それは自惚れではなく自信。ラグナレックに身を置いて以来、各地の紛争地帯で立証してきた実績だ。

 

西EU軍やアラブ連合軍、インド・ペルシア連合軍、大亜連合軍、ブラジル軍、そしてUSNA軍。

 

流石にスターズとの交戦経験は無いが呉智の幻術は各国の軍を、魔法師達を欺いてきた。

 

それに今度は日本軍も加わる、それだけだ。

 

それだけの話、のはずだった。

 

「何?」

 

モノリス・コードで幹比古が使用していたものと同じ『視覚同調』で捉えた光景を見て、そんな声が思わず口から出てしまった。

 

そして、呉智が駆け出した直後、後方から散発的に麻痺弾や魔法が飛来した。

 

 

 

(逃がすか!)

 

呉智を追跡する独立魔装大隊の先頭にいる柳は、呉智の背中を視界に捉えて更に加速した。

 

その呉智は途中で()へと進路を変える。

 

HMDに映るマップ上の光点も、呉智が右へと逸れていくのを示している。

 

柳はそれを追いかける前に、

 

「藤林!」

 

『十時の方角、大尉の()前方、およそ六十メートル!』

 

藤林は、柳の視界に映る光景とは別の方角を指示し、通信を聞いていた真田達がその方角へ一斉に麻痺弾や領域魔法を撃ち込んだ。

 

誰もいないはずの場所。だが、それは幻。

 

右へと逃げていく呉智が虚空に消え。

 

「っ!」

 

『情報強化』を纏った本物の呉智が姿を現した。

 

 

 

もし相手が他の国防軍の部隊ならば、呉智の逃走を容易く許していただろう。

 

だが、彼らは普通の部隊とは違う。

 

国防陸軍第一○一旅団、独立魔装大隊。

 

魔法と現代兵器を組み合わせた魔装の武器や兵器を活用する実験部隊にして、風間玄信少佐が率いる精鋭部隊。

 

装備も人材も、国防軍で最良を争うほどの部隊だ。

 

そして、魔法と科学技術を融合させた部隊は、古の幻影を看破して現実を暴き出す。

 

呉智から放たれる赤外線の放射、電子線の反射。

 

電子の魔女(エレクトロンソーサリス)』は現代の魔女らしく、幻には無い物理現象を捉えることによって呉智の居場所を把握する。

 

誰も思ってもみないことだが、それはある意味で幻想と現実の関係のようだった。

 

 

 

背後から迫る複数の気配を察しながら、呉智は思考を巡らせる。

 

(成る程、『電子の魔女(エレクトロンソーサリス)』の仕業か)

 

視覚同調と同時に聴覚同調も展開していたため、呉智は柳の言葉から魔装大隊の手口を把握した。

 

だが、位置もわからない藤林を妨害する手段を呉智は持ち合わせていない。

 

精霊を用いることによって長距離魔法も行使できるが、そもそも対象の居場所がわからなければ魔法は発動できない。

 

「ちっ――!」

 

独立魔装大隊の、想像以上の粘りに呉智は舌打ちする。

 

確かにラグナレックはその影響力と戦力から世界各国に警戒されている。

 

勢力圏が隣接しているブラジルと、裏庭とも言える南米を影響下に置きたいUSNA。

 

アラブ連合との契約の関係で敵対することが多いインド・ペルシア連邦。

 

特にこの三ヶ国とは直接敵対する事も多く、今では敵勢勢力として認知されている。

 

日本とは“公式上”ではラグナレックと直接敵対したことは無いが、間接的には何とも言えない関係だ。

 

それに日本とUSNAは同盟関係。

 

そういった点で言えば、警戒すべきラグナレックの本隊に属する呉智を狙うのは理解できる。

 

 

 

だが、どうにも違和感が拭えない。

 

独立魔装大隊がここまで執拗に呉智を付け狙うのは、果たしてそれだけが理由だろうか……。

 

 

 

咄嗟に横に跳んで呉智は麻痺弾を躱し、頭を振る。

 

(今は、この状況を切り抜ける方が先だ)

 

呉智には、この場を切り抜けられる手段が幾つかある。

 

その手段の数は同時に、呉智が持つ切り札の枚数でもある。

 

(一枚は、カードを切る必要があるか)

 

切り札の種類は大別して二つ。

 

ラグナレックの持つ魔法技術か、水無瀬家の秘術か。

 

(どちらを切るか、という疑問の余地も無いな)

 

呉智は僅かに口元を歪める。

 

ラグナレックの魔法技術を無許可で使用するのは、総隊長(バートン)が良い顔をしないだろう。

 

いくら直属の部下とはいえ、場合によっては処罰の対象になる。況してやこのような小競り合いでは尚更だ。

 

対して水無瀬家の秘術は、術式自体は未だ秘匿できている。

 

というよりも水無瀬家の血統にしか使えない、如何にも魔法らしい属人的な術式だ。

 

だが魔法の特徴については、知られるところには知られてしまっている。

 

九島烈も、おそらくは四葉真夜も。

 

『四』と『九』の家系は、知っているはずだ。

 

ならば、今更見せたところで大した問題にはならない。

 

呉智が切り札を一枚切ることを決めた時、眼前に突然壁が出来た。

 

古式を得意とする独立魔装大隊の隊員の一人が発動させた土の壁だ。

 

前方が行き止まりとなったことで、呉智の足が止まる。

 

その機を逃さず、柳達は素早く前方と左右に展開する。

 

 

 

かくして、人知れず行われている一つの戦いは終着へと向かう。

 

 

 

 

 

 

「もう逃げられんぞ」

 

「おとなしく投降してくれるなら僕達はこの引き金を引かないけど、どうする?」

 

土の壁を背に、周囲を独立魔装大隊に包囲された呉智に柳と真田が通告する。

 

「これだけの人員を動かすとは、俺も随分と嫌われたものだな。もしくは暇なのか?」

 

対する呉智は軽口を叩きつつ、降参するような素振りは見せない。

 

隊員達の銃口と魔法の照準が呉智に向けられる。

 

それを見た呉智も切り札(カード)を切らんと視線だけで全員を見回し。

 

「水無瀬、一つだけ先に答えろ」

 

その全てに先んじて、柳が一歩前に踏み出した。

 

「何だ?」

 

いつでも術式を行使できる準備を密かに整えて、呉智は先を促し、柳は答えた。

 

「お前達の、ラグナレックの狙いについてだ」

 

『大尉、それは――』

 

『構わん』

 

通信機越しに藤林が思わず口を挟みかけ、それを風間が制する。

 

風間の許可を得た柳は、呉智を見据えながら言った。

 

 

 

「お前達の狙いは、司波達也か?」

 

 

 

それは、ある意味で呉智の予想を裏切っていた。

 

表面上、呉智の表情に変化は見られない。

 

だが、内心では意外感を禁じ得なかった。

 

確かに、ラグナレックが四月の一件に介入したのは司波達也、正確に言えば深雪を含めて四葉の人間が関係していたからだ。

 

とはいえ、その理由は普通ならば絶対に思いつかないような内容、どこか狂っていなければ出てこないような発想だ。

 

にも関わらず、柳は司波達也の名を口にした。

 

それが呉智には予想外であり、意外だった。

 

「どうしてそう思った?」

 

口調も表情も変えず、ただ興味深そうに。

 

そんな偽りを以て、呉智は問い返す。

 

それに答えたのは柳ではなく真田だ。

 

「君達はブランシュに与えるために無頭竜からジェネレーターを購入した。なら、ブランシュが何を狙っていたのかも知っていて当然」

 

「何……?」

 

連中(ブランシュ)の狙い?)

 

盲点を、思考の死角を突かれて、呉智は眉を顰めた。

 

 

 

確かに真田の言う通り、呉智は四月の一件でのブランシュの目的を知っている。

 

ブランシュの目的は、二つ。

 

一高の特別閲覧室から得られる、この国の最先端魔法技術。

 

そして――。

 

 

 

「キャスト・ジャミング……」

 

ポツリと、呉智は言葉を漏らし、同時に理解した。

 

「そう、アンティナイトに依らないキャスト・ジャミング技術。“彼”の持つ技術は、君達には見過ごせない。違うかい?」

 

真田の問いに、呉智は暫し無言で答え、

 

「ククク――」

 

無言は含み笑いに代わり、柳達が怪訝そうに見つめる中、

 

「あはははは!」

 

やがて耐え切れないと言わんばかりに、呉智は哄笑した。

 

 

 

 

 

 

(そういうことか)

 

独立魔装大隊が出張ってきた理由も、執拗な追跡の意味も理解できた今、呉智は笑うしかない心境だった。

 

馬鹿げた話だ。勘違いも甚だしい。

 

キャスト・ジャミング技術など四月の一件に介入するための、本当にただの口実だ。

 

事実、呉智は“そんなもの”のことなど指摘されるまで忘れていた程だ。

 

まさか、その口実を本気に捉えて動き出すとは。

 

あんなバートンの気まぐれのような指示に振り回される独立魔装大隊。

 

知らないこととはいえ、当事者である呉智からすればあまりにも滑稽だ。

 

 

 

そう、そんな的外れな勘違いで、彼らは必死になって呉智を捕えようとしていたのだ。

 

戦友を、司波達也を守るために。

 

 

 

 

 

 

「何がおかしい?」

 

苛立ちを隠さない柳に、呉智は漸く笑いを抑えて向き直った。

 

「おかしいさ、思わず笑ってしまうぐらいに」

 

もしラグナレックが司波達也の身柄を狙っているとなれば、きっと国防軍は達也を“保護”するために動くだろう。

 

全てを知っている訳ではないが、それでも沖縄で見た相手の魔法も存在も消し去る魔法、致命傷も瞬く間に治す、いや直してしまう魔法、更に卓越した魔法技術。

 

何れも国防軍にとっては手放したくない異能だ。

 

そして、動くのは国防軍だけではない。きっと四葉家も動く。

 

そうなれば後は歯車が狂ったまま事態は動き出し、やがて喜劇のような悲劇を生み出すのだろう。

 

それが、当事者であり観客でもある呉智にはおかしくて堪らなく。

 

その悲劇(きげき)の主役とヒロインがあの兄妹だという事実が、呉智にはこの上なく不快だった。

 

「ラグナレックがキャスト・ジャミングを、司波達也を狙っているだと?」

 

ラグナレックの魔法技術の大半はマイヤ・パレオロギナが生み出したもの。

 

故に手帳を媒体にした通信魔法を始め、多くが秘匿を義務付けられている。

 

だが――。

 

 

 

矛盾する感情を持て余しながら、呉智は告げた。

 

「そんな技術目当てで司波達也を狙った覚えなど無いし、何より――」

 

妹を消し去ったこの世界を許すことはできない。

 

それだけはもう止められないし、止める気もない。

 

それでも――。

 

こんな馬鹿げた喜劇によって、あの兄妹が悲運に倒れるのも到底認められなかった。

 

「サイオン波の干渉によるキャスト・ジャミング技術など、とうの昔に持っている」

 

 

 

 

 

 

無言の驚愕が、独立魔装大隊を覆い尽くした。

 

呉智が告げた内容に、そしてそれを告げた呉智自身に。

 

「……聞き捨てならないな、どういうつもりだ?」

 

「戦友の誼だ、二度目は無い」

 

戸惑いを隠せない柳に、呉智は先程の哄笑から一変して面白くなさそうに言い捨てる。

 

「話は終わりだ」

 

そして、つまらなげな口調のまま告げて、呉智は術式を展開した。

 

今までの幻術とは違う。

 

事象は似ているが、根本はまるで異なる。

 

それは『幻影』ではなく、『幻覚』。

 

それは使用する本人も気付かない、幻想(プシオン)が含まれた術式。

 

魔法の発動に柳や真田達も即座に反応したが、その時には既にこの場にいる独立魔装大隊の全員が幻に囚われていた。

 

 

 

 

 

 

水無瀬家の幻術は大まかに視界投影型と直接干渉型の二種類に分けられる。

 

視界投影型は光や影、色彩を駆使して指定の場所に幻を生み出す、現代魔法で言えば光を操る振動系魔法に分類される。

 

離れた位置に、或いは相手の網膜に直接幻影を投影することで相手を惑わせる幻術の種類であり、四月にブランシュのメンバーにアストーの『死の舞踏(デスワルツ)』を見せたのも視界投影型だ。

 

呉智は知らない事だが、同じような魔法を使う者として光井ほのかが挙げられるだろう。

 

一方の直接干渉型は、視界投影型とは似て全く異なる。

 

直接干渉型はその名の通り、相手に直接干渉して五感に幻覚を与える。

 

五感への干渉とはいえ、感覚器への人体干渉とは違う。

 

術式の秘密を紐解けば、それは分類で言えば系統外、精神干渉系魔法に属する術式だ。

 

とはいえ、水無瀬家の代々の術者が干渉できる感覚は一つか二つ程度。

 

呉智も例外ではなく、“通常時”に干渉できるのは五感のうち二つのみ。

 

長い水無瀬家の歴史の中でも五感全て、更には人では認識できない第六感にまで干渉できた術者は僅か二人のみ。

 

一人は他ならぬ水無瀬家の始まりとなった女性。

 

そして、もう一人は……。

 

 

 

 

 

 

「何!?」

 

「これは――!」

 

柳も真田も、他の隊員達も、突然視界に映る景色が一変した。

 

森の中にいたはずが、視界に映る光景は先程までいた九校戦の会場。

 

水無瀬呉智が日本でも最高峰の幻術の使い手だと知らなければ、空間転移でもさせられたかと本気で疑ってしまうほど精密な光景だ。

 

だが彼らはこれが幻だと知っている。

 

おそらくは、網膜に直接投影された幻影だと。

 

「藤林!」

 

故に今までと同じように『電子の魔女(エレクトロンソーサリス)』に指示を仰いだ。

 

『七時の方角、大尉の右前方です!』

 

藤林も素早く反応し、声にていつも通り呉智のいる場所を指摘する。

 

柳も真田も、全員が今まで通り『視界』に映った幻術だと思い込み。

 

だからこそ、誰も気付かなかった。

 

『三時の方角、約十メートル!』

 

『九時の方角、軍曹から見て左方に逃走中です!』

 

全員が、全く別々の場所を指示されていたことに。

 

ある者は藤林の声に従ってその方向に向かって引き金を引き、別の隊員に麻痺弾を撃ち込んだ。

 

またある者は武装一体型CADのトリガーを引く前に、別の隊員が放った領域魔法に巻き込まれた。

 

 

 

 

 

 

独立魔装大隊の同士討ちを横目で見ながら、呉智は悠々と包囲を突破した。

 

柳達は『幻視』と『幻聴』に惑わされ、全く別の場所に麻痺弾を撃ち、魔法を放ち、幻を追いかけている。

 

味方の悲鳴も聞こえないから、事態を把握するのは難しいだろう。

 

藤林の索敵は、呉智が自身に隠形の魔法を行使したことで逃れている。

 

尤も、藤林も風間もそれどころではないだろうが。

 

幸いなのは誰も殺傷性のある攻撃を使っていないことか。

 

呉智を生きたまま確保するという目的もあるだろうが、こうなる事態を考慮してのことだろう。

 

「……」

 

呉智は何も語らず、無言のまま森の中へと消えて行く。

 

(ケジメを、付けるか)

 

その胸に一つの決意を抱いて。

 

 

 

 

 

 

やがて、魔法の持続効果が切れたことで、柳達は唐突に幻惑から現実に引き戻された。

 

九校戦の会場から、再び森の中へ。

 

だが突き付けられた光景は、先程とは全く違っていた。

 

「なッ!?」

 

「!!」

 

各地で倒れ伏し、呻き声をあげる隊員達。

 

『聞こえますか!? 返事をしてください!!』

 

『発砲中止! 全員止まれ!!』

 

混乱する間もなく、通信機から藤林の焦りに満ちた声と風間の怒号が響く。

 

「っ! 全員、発砲中止!!」

 

柳が命ずるまでもなく、既に全員が動きを止めていた。

 

『大尉! 良かった、幻術が切れたのですね……』

 

思わず安堵の溜め息を吐く藤林。

 

だが、漸く現実を理解した現場は様々な感情が渦巻いた。

 

「これは本格的に、何か対策を立てないと……」

 

真田は肩を落とし、落胆した様子で外したHMDを見つめる。

 

「クソ!」

 

柳は近くにあった木に拳を叩きつけ、森の奥を睨みつけた。

 

『柳、真田。報告は後でいい、とにかく負傷者を連れて帰投しろ』

 

「……了解」

 

「了解しました……」

 

風間の命令を受諾して、柳と真田は改めて周りを見回す。

 

負傷者は多数、立っているのは柳と真田を含めて若干名しかいない。

 

死者がいないのが不幸中の幸いだろう。

 

何の慰めにもならないが――。

 

 

 

負傷者に肩を貸し、撤退する隊員達。

 

最後尾にいる柳はもう一度森の奥を見つめ、

 

「……忌々しいが」

 

通信機にも届かない程の小声で呟いた。

 

「たった一つだけ、礼は言っておく」

 

おかげで戦友と敵対せずに済む可能性が潰えずに済んだのだから。

 

 

 

……ただし、もう一人の戦友との敵対は決定的になったが。

 

 

 

柳は踵を返し、再び部隊の列に加わった。

 

 

 

 

 

 

ようやく長かった一日も終わり、九校戦八日目の日が沈む。

 

九校戦の結果は、総合順位で一高が逆転に成功し、再び一位に返り咲く。

 

ただし、二位の三高との点差は僅か一点。

 

残るは二日。競技は本戦ミラージ・バットと本戦モノリス・コードのみ。

 

一高と三高。

 

無頭竜。

 

独立魔装大隊。

 

ラグナレック。

 

そして、幻想。

 

絡み合った縁は結ばれ、解かれ、結末を形作っていく。

 

全てが終幕(フィナーレ)に向かって動き出す。

 

 

 

九校戦も、残り二日――。

 

 

 

 




ルナティックモード、発動。
なぜ精神攻撃魔法が「ルナ・ストライク」と名付けられたのか。
月は人を狂わすからです。
故に呉智はルナティック魔法師(笑)
もう魔法の特徴で大方の人は察しが付いていると思いますが、それでも呉智と“彼女”の関係はノーコメントで(黙)
あと真田大尉の戦い方は想像です。技術士官なので、おそらくこんな感じだろうと思っています。



東方成分が足りなかったので、つい書いてしまったクロスネタ。



地獄の公的機関『是非曲直庁』。

それは地獄の閻魔や鬼、死神が所属する機関である。

不死の人間など滅多に(絶対ではなく)いない世の中。人が増えれば死者も増えるのが世の常だ。

人口の増加による閻魔の深刻な人手不足を解消するため、以前に大幅な人員増加を実施した地獄は、その急増した人員をまとめるための組織として是非曲直庁を設立した。

幻想郷の閻魔様、四季映姫もまた、是非曲直庁に所属する閻魔である。

その日、閻魔の定例会議に出席するため是非曲直庁に赴いていた映姫は、会議室に向かう途中の廊下で声を掛けられた。

「おや、ヤマザナドゥ様」

楽園の閻魔(ヤマザナドゥ)』は是非曲直庁での役職名、つまり映姫のことだ。

声を掛けられたことで映姫は声の主の方へ振り返り、そこに見知った顔を見つけた。

両手に書類の分厚い束を持った、黒い着流しを着込んだ黒髪の男性。

そして彼が何者であるかを示す、額にある一本の角。

「あら、鬼灯(ほおずき)さん」

十王が一角、閻魔王に仕える鬼神でベテランの第一補佐官、鬼灯だ。

「鬼灯さんも定例会議に出席されるのですか?」

「ええ。今回の会議の進行役を任されております。それに、この資料の作成者は私なので」

映姫は鬼灯の持つ資料の束に目をやり、感嘆の息を吐く。

鬼灯の有能さは折り紙つき、数いる鬼神の中でも筆頭だろう。

映姫は閻魔の一人だが、元は地蔵菩薩。人員増加政策で新たに採用された中途採用組。

一方の鬼灯は長らく十王に仕えている古参組の一人であり、実質上、地獄の運営は彼の手腕で回っていると言っても過言ではない。

特に深刻な人材不足時代の八面六臂の働き振りは今なお地獄中で語り草となっているし、そもそもの人員増加政策は鬼灯が発案し実行したものだ。

映姫としては鬼灯に頭が上がらない思いである。

それなのに役職上、閻魔である映姫の方が立場は上になってしまったことで同時に申し訳なく思う気持ちもある。

尤も、鬼灯自身は全く気にしていないが。

直属の上司である閻魔王を日常的に金棒でぶん殴っているあたり、今さら上下関係を気にするはずもない。

それに鬼灯としては、真面目に職務をこなしている映姫を信頼している方だ。

それこそ閻魔王以上に。寧ろ「あのヒゲを蹴落として彼女を閻魔王に据えた方が仕事も捗りそうだ」とちょっとばかり本気で思っていたりする。

とはいえ映姫はそんなことなど露知らず、ついサボりグセのある部下と鬼灯を比較してしまい、今度は感嘆ではなく落胆の溜め息を吐いた。

「全く、小町には鬼灯さんの爪の垢を煎じて飲ませたいわね」

思わずボヤいた言葉は、隣を歩く鬼灯の耳にも届いた。

「小町というと、よく仕事をサボるという死神でしたか?」

「……恥ずかしながら」

聞かれてしまったことに少し顔を赤く染めながら、映姫は答えた。

「何でしたら、今度講習の受講を勧められては?」

突然の鬼灯の提案に、映姫は目をパチパチと瞬きさせて鬼灯を見遣った。

「講習、ですか?」

問い返す映姫に、鬼灯は「ええ」と頷く。

「最近、獄卒の間でもサボる者が多くなってきているので。そういった者達の性根を
叩き直す――失礼、精神ケアのための講習です」

「いま本音出ましたよね? ポロっと」

映姫のツッコミを聞き流して、鬼灯は言った。

冷徹で凄みのある、鬼に相応しい笑みを浮かべて。

「地獄に相応しい講習ですので、きっと為になるかと」



同時刻。

ゾワゾワとした凄まじい悪寒が、彼岸で昼寝していた小野塚小町の背筋を駆け抜けた。

「な、なんだ? 今、もの凄い悪寒が……」

飛び上がるように起きて、小町は周囲を見回す。

だが何も異変は無く、小町はただ首を傾げるだけだった。



「鬼灯さん。その講習の受講申請書、どこで手に入りますか?」

「いま持っていますよ、私も監修に携わったので。良ければ差し上げますが」

「ありがとうございます。では一枚頂きますね」



「なんだろう、さっきから寒気が止まらない……。風邪、かな?」

小町に悪縁が結ばれた瞬間だった。



あくまでネタです。本編とは関係ありません。たぶん。

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