魔法科高校の幻想紡義 -旧-   作:空之風

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祝、二万文字突破(笑)
大変お待たせしました。九校戦編、完結になります。
章の最後に相応しく、笑撃の真実から衝撃の事実(?)まで。
ギャグ、コメディ、ほのぼの、そしてシリアス。
色々と詰まっています。
――これが『縁』です。



第50話 縁

九校戦が終わった夜は、毎年の恒例として後夜祭合同パーティーが開催される。

 

文字通りの激闘を終えた夜。生徒達の心には共通して一種の解放感が広がっていた。

 

そこに活躍出来たことや勝利した嬉しさ、結果を残せなかった悔しさも無い訳ではないが、そういった類の感情は夜になる前に各校で清算されている。

 

特に三高では、新人戦で逆転を許してしまった一年生の選手達に、三年生の選手達が笑って肩を叩き来年の優勝を託すという高校生らしい青春も繰り広げられた。

 

実際、客観的に見れば新人戦でも幾つかの競技で優勝、全ての競技で入賞と大健闘だったのだ。

 

――そこに無頭竜の介入があったから、と付け加えるのは無粋の極みだろう。

 

ともかく、大会を終えた選手達は一様にフレンドリーな状態となって、各校の選手達との交流を深めている。

 

それは最後まで接戦だった一高と三高の間でも例外ではない。

 

 

 

……とはいえ。

 

「つまり、司波さんの前でアイツを褒めろと?」

 

「いいや、露骨な称賛はかえって逆効果になる。ただ対等な相手として話しかければ充分な好印象だよ」

 

「対等な相手、か。それなら大丈夫だと思う」

 

「それと、話しかける時はまず達也からにした方が吉だ。司波さんは本当に達也が好きだからね」

 

「……それは兄として、だよな?」

 

「まあ兄妹だし」

 

「そ、そうだよな、うん。ところで、司波さんにはどんな話題を振った方がいい?」

 

このように恋愛相談する程の仲になるのは極めて稀だろう。

 

少なくとも渡辺摩利はそう思いながら、唖然と苦笑いが混ざったような顔でその光景を見ていた。

 

一条将輝と結代雅季。

 

アイス・ピラーズ・ブレイクで、モノリス・コードで激突した両者……の、はずだが。

 

試合が終われば何とやら、実際に終わってみればこの通り。

 

まず将輝が雅季に深雪に関する相談を持ち掛け、雅季は雅季で懇切丁寧且つ真摯にアドバイスを始め、将輝は真剣にそのアドバイスに聞き入っている。

 

その二人から一歩離れた立ち位置で呆れたように二人、というか将輝を見ている吉祥寺真紅郎。

 

正直、「何だ、あれ?」と摩利は言いたかった。言わなかったが。

 

ちなみに肝心の深雪はというと、ホールの中央付近で軍人から芸能関係まで多彩な職種の方々に囲まれており、とても話しかけることの出来る状況ではなかった。

 

また雅季曰く「深雪と仲良くなる為のキーパーソン」こと達也も、ローゼンやマクシミリアンなどCAD関連企業を中心に様々な人々(それも重役クラスが少なからずいた)に声を掛けられている。

 

兄妹揃って人気者なことだ。

 

(しかし、今年の一年には驚かされてばかりだな)

 

深雪の『氷炎地獄(インフェルノ)』や『ニブルヘイム』など高難易度の魔法の数々、トドメの飛行魔法。

 

達也の高校生レベルを凌駕する圧倒的なエンジニアテクニック、しかも担当競技で負け無しという偉業ぶり。

 

更に実戦では『術式解散(グラムデモリッション)』というレアな魔法付き。

 

雅季もまた実力や戦い方が未知数だった分、かなり驚かされたものだ。

 

……本当に、色んな意味で。

 

将輝にも届く魔法力に、マルチキャストなど高度な魔法技術。

 

相手の居場所を探れる精霊魔法に遠距離魔法、あの虹色の光の弾幕。

 

そして極めつけが、今思い出しても唖然とさせられる例の行為(アレ)

 

(CADを投げるという発想は、どこから来るんだろうな……)

 

本当に、達也とは違うベクトルで色々とトンデモない奴だ。

 

ともかく、今年の優勝は一年生達が最大の立役者であることは、摩利も含め上級生全員が共通して認めているところだ。

 

(ん?)

 

そこでふと、摩利はあの三人に向かって真っ直ぐに歩いている人影に気付いた。

 

着ている制服は一高のもの。

 

そもそも、ある意味で“身内”である彼を摩利が見間違うはずも無い。

 

その人物は新人戦の初日で、一年生の中で最初に驚かせてくれた人物だった。

 

 

 

縁結びのプロフェッショナルから助言を受けた将輝が深呼吸して気持ちを整えている最中、その隣では雅季と吉祥寺が話をしていた。

 

将輝との会話の中で吉祥寺の興味を強く引いた内容があったのだ。

 

「というか、あれだけのスキルを持っていて二科生だなんて、正直信じられないんだけど……」

 

「実技は本当に苦手だぞ、達也は」

 

そう、吉祥寺にとって、あれだけ規格外なことをしてのけた達也がまさかの二科生だったというのは衝撃的な真実だった。

 

冷静になって考えてみれば、モノリス・コードの試合で思い当たる節は幾らでもあったのだが、それでもやはり驚愕は避けられない。

 

「実技以外は色んなこと出来るからなぁ」

 

「確かに、あのエンジニアとしてのスキルは規格外だよ。……正直、来年のことを思うと今からもう頭が痛いよ」

 

「これだけ実績あげれば、来年もエンジニア確定だろうからね」

 

頭を抑える仕草を見せる吉祥寺に雅季が軽い口調で話すと、吉祥寺は苦い顔を雅季に向けた。

 

「……僕にとっては、君も頭の痛い種なんだけど」

 

アイス・ピラーズ・ブレイクでは予想の上を行かれ、モノリス・コードでは予想の斜め上を突き抜けられた吉祥寺としては、雅季もまた頭の痛い存在だった。

 

 

 

そして、それは“腐れ縁”にとってもまた然り。

 

 

 

「――奇遇だな、吉祥寺選手。僕もコイツが頭痛の元凶なんだ」

 

 

 

雅季の背後から別の声が掛けられる。

 

縁を感じていた雅季は既に相手の正体を知っていたので、驚くこともなく振り返る。

 

……その縁が悪縁だったのがとても気になっているが。

 

そして雅季の感じた通り、そこにいたのは森崎だった。

 

その森崎に先に声を掛けたのは吉祥寺だ。

 

「森崎選手……と、呼ぶのはもう不適切ですね、九校戦は終わったのですから。森崎君と呼ばせてもらいます」

 

「構わない。なら僕も吉祥寺と呼ばせてもらうよ」

 

お互いに友好的な態度で会話を交わす森崎と吉祥寺、だったのだが……。

 

「よう、駿。怪我はもういいのか?」

 

雅季が気軽に話しかけると、森崎は目の色を変えて雅季を見た。

 

何故か森崎から感じる悪縁の度合いが一層大きくなった。

 

「ああ、問題ない。“ストレス”によく効く頭痛薬を処方してもらったからな」

 

「……あれ、怪我って骨折とかじゃなかったっけ?」

 

背筋に冷や汗が流れるのを自覚しながら、雅季は努めて友好的に問い掛ける。

 

だが森崎は雅季の質問に答えることなく、独り言のように言った。

 

「最初はまさか、とは思ったよ。でも、いざ試合が始まってみれば“普通”に戦っていたからさ。いくらお前でも、流石にこの大舞台でやらかすつもりは無さそうだって、そう思っていたんだ。――決勝戦の、最後の最後までは」

 

目が据わっている森崎から本能的に危険を感じ取ったのか、将輝と吉祥寺は一歩、二歩と離れるように後退る。

 

「いや、あの、駿……?」

 

可能であれば雅季も離れたいのだが、森崎の眼力がそれを許さない。

 

恐るべきは『結び離れ分つ結う代』を離させない森崎駿か。

 

一歩前に出た森崎の無言の圧力に気圧され、上半身を仰け反らせる雅季。

 

「と、とりあえず落ち着け。ほら、『始めに言葉ありき』という名言を残した聖人もいるわけだし、話せばわかると――」

 

「CADは――」

 

雅季の対話への努力も虚しく(今更だったが)、森崎は素早く雅季の腕を掴み上げ、

 

「投げるなぁぁーー!!」

 

「あだだだだだっ!」

 

腕を捻って関節技を決め込んだ。

 

「お、おい森崎!?」

 

何事かと注目が集まる最中、一部始終を見ていた摩利が慌てて駆け寄って来た。

 

「少し落ち着け! というかお前も怪我人なんだから――」

 

「止めないで下さい、委員長! 一高の名誉の為にも!!」

 

「いや、お前の行為自体が既に一高の名誉を貶めているからな!?」

 

本来なら相方(?)のストッパー役であった森崎のまさかの暴走に、然しもの風紀委員長も早期鎮火に失敗。

 

「ちょ、ギブギブ! マジでギブアップですというかイダダダダダ!!」

 

おかげで雅季がギブアップ宣言した後も関節技は決められたままだ。

 

そして、

 

「一高、恐るべし……」

 

「うん、そうだね……」

 

眼前で繰り広げられる光景に、色んな意味で圧倒される将輝と吉祥寺。

 

他校の生徒達も騒動の渦中にいる二人を見て、「ああ、あのCADを投げた連中か……」とある意味納得してしまう。

 

評価の中には森崎も同一に括られていたが、幸いにも森崎がそれに気付くことは無かった。

 

「何しているんだ、アイツ等は……」

 

服部や鈴音など一高の生徒で真面目な者達は頭を抱えそうになるのを辛うじて抑え。

 

達也や深雪など残りの一高の生徒達は「なんだ、あの二人か」と納得し、呆れつつも結局いつもと変わらない二人のやり取りに小さく笑みを浮かべる。

 

大人達の中には顔を顰めた者もいたが、それは本当に一部のみ。

 

ほとんどの者は、高校生らしいじゃれあい(?)を微笑ましく見守っていた。

 

 

 

 

 

(酷い目にあった……)

 

痛みは引いたものの無意識に腕をさすりながら、雅季は助けてくれた人物の後ろに付いて廊下を歩いていた。

 

雅季の前を歩いているのは十文字克人。

 

そう、森崎の暴走を止めたのは摩利ではなく、意外にも克人だった。

 

ちなみに、克人に制止された森崎は落ち着きを取り戻し、というか自分の行動を省みて寧ろ平常心を通り越してどん底レベルまで落ち込んでしまっていた。

 

まあ、摩利や真由美、更には将輝や吉祥寺などが高校の垣根を超えて励ましていたので、少し時間を置けば立ち直れるだろう。

 

なお、最も森崎を励ましていたのは当のCADを投げつけられた三高の選手だったのだが、それは横に置いておこう。

 

そして、被害者のような加害者のような微妙な立場にいた雅季は、「結代、少し時間を貰えるか?」という克人の“質問”の形式を持った“確認”に頷いて、今に至る。

 

雰囲気や感じ取れる縁からも、克人は人気のない廊下の端へと向かっているらしい。

 

他人には聞かせられないぐらい大事な話なのかもしれない。

 

(――まあ、そうだろうね)

 

克人の後ろ姿を見つめながら、そして克人からちょっとした悪縁を感じながら雅季は思う。

 

少なくとも自分にとって良い話では無さそうだ。

 

(さて、じゃあ“これ”はどうするかなぁ……?)

 

具体的な話の内容がわからない以上、先程から今なお感じている縁についてどうしようかと雅季が悩んでいると、

 

「ここでいいだろう」

 

廊下の突き当たりにある談話スペースで克人は立ち止まり、雅季の方へと振り返った。

 

談話スペースにはソファとテーブルが置かれているが、今は誰もいないようだ。

 

そして克人が何かを発する前に、

 

「十文字先輩、その前に」

 

それに先んじて雅季が口を開いた。

 

雅季は一瞬だけ首を動かして後ろを一瞥する。

 

それを見た克人はニヤリと口元を歪め、不敵という言葉が似合いそうな微かな笑みを浮かべる。

 

「やはり、気付いていたか」

 

「はい」

 

雅季と克人はお互いに歩いてきた方角へ視線を向け、雅季が言った。

 

「という訳だから出てきなよ、幹比古」

 

「……やっぱり、気付いていたんだね」

 

雅季の言葉に、気まずい顔で廊下の角から姿を現したのは幹比古だ。

 

雅季と克人がホールから出た直後から、幹比古は二人の後を付けて来ていたのだ。

 

「吉田」

 

克人の声に幹比古は肩を震わせて、二人に(威圧感に圧されて身体は克人に向いていたが)大きく頭を下げた。

 

「すいませんでした! 僕は休憩中だったのですが、二人が出て行くのを見て、失礼なことだとは自覚していたのですが、つい気になってしまって……」

 

謝罪と動機を口にする幹比古だが、語尾は近付くにつれて次第に小声になっていく。

 

そこに迷いがあるのを雅季と克人は見て取った。

 

ここに来るまでの間、幹比古は可能な限り気配を消していた。

 

だが隠形に適した、影の精霊のような魔法は行使しなかった。

 

魔法を使わなかったのは、罪の意識があったから。

 

出来る限り気配を消したのは、どうしても気になったから。

 

相反する二つの感情が、幹比古に中途半端な行動を取らせていた。

 

「吉田、何が気になった?」

 

幹比古の予想に反して、克人は詰問するような真似はせず問い掛ける。

 

戸惑いの色を見せる幹比古だったが、おずおずと答え、

 

「十文字会頭が雅季に……いえ――」

 

途中で首を横に振り、意を決した様子で克人に答えた。

 

「『十文字家』が、『結代家』にどんな話をするのか、です」

 

答えを聞いた克人は暫く無言のまま、幹比古を見据える。

 

やがて、克人は唐突に口を開いた。

 

「吉田家は、結代家と関わり合いがあったな?」

 

「え、あ、はい!」

 

「なら構わん。ただし“関係者”以外には他言はするな」

 

てっきり追い返されるものだと思っていた幹比古が目を丸くする中、克人は雅季に体ごと向き直る。

 

そして克人は、まるで命令のような強い口調で、その口火を切った。

 

 

 

「結代、魔法師コミュニティーに入れ」

 

 

 

幹比古は、言葉を発することも出来ずにただ目を見開いて克人を見つめる。

 

「最低でもお前だけは魔法師の世界に入るべきだ」

 

雅季は、ほんの僅かに目を細めて克人を見返した。

 

「『結代家』として入れないというのなら、新しい『家』を作ってもいい。十師族が全面的にバックアップする」

 

それは、と幹比古は口にしかけて、慌ててその口を閉じた。

 

克人と雅季。二人の交叉する視線を前に、この場において自分は部外者なのだと自覚した為に。

 

やや間を置いた後、雅季もまた口を開く。

 

「それは結代家を抜けて、という意味ですかね、十文字先輩?」

 

「そうだ」

 

間髪入れない克人の返答に、雅季もまた即答した。

 

「なら、お断りします」

 

予想通りだったのか、克人の表情に変化は見られない。

 

その代わりに、克人の威圧感が増したように幹比古には感じられた。

 

「結代、お前はこの大会で万人に力を示した。ならば何れ、お前の魔法力を利用しようとする者も現れる」

 

それは推測ではなく断定だった。

 

事実、優れた魔法師を利用しようとする者は数多く、人種を問わず何処にでもいる。

 

権力者然り、犯罪者然り、そして身近な一般市民もまた然り、だ。

 

「だが魔法師コミュニティーに加名すれば、十師族や百家がそれ等を掣肘できる」

 

そこで克人は幹比古を一瞥し、更に続けた。

 

「結代家と繋がりのある古式魔法の家門もそれに加わるだろう。無論、結代家やお前にとって損もあるだろうが、それ以上に享受する利益は多いはずだ」

 

「まあ、そうでしょうね」

 

克人の強い口調とは裏腹に、答えた雅季の口調は他人事のようだった。

 

「ですが、何度でも言いましょう。結代(ウチ)の本職は縁結びの神職です」

 

だが次の言葉は、克人と同じぐらい強い意志が篭っていた。

 

「結び紡ぐ者達である俺達にとって、そこは絶対に譲ってはいけない境界線(ボーダーライン)なんですよ」

 

その声が、表情が、視線が、克人に雅季の強固な意志を感じさせる。

 

成る程、あの九島烈も断念する訳だと、克人は改めて思った。

 

それに、と雅季は表情を緩めて、

 

「“俺”が入ったら、天変地異の出来事過ぎて、たぶん大嵐とか地震とか噴火とかが起きますよ」

 

砕けた声で冗談のように、実は冗談では済まない事実を口にした。

 

おそらく、実際に天変地異は起きるだろう。

 

月にいる穢れ無き者達による警告という形で。

 

だが、そういった事情を克人も幹比古も知らない。

 

だから克人は冗談としてそれを受け止め、眉を顰めた。

 

「結代、お前は自分の力を理解しているか? 十師族の一人である一条将輝に膝を付かせた、その力を」

 

克人から見て、雅季の魔法力は百家でも最上位、いや師補二十八家に匹敵する。

 

或いは下位の十師族に届くかもしれない。

 

魔法が力と認識されるこの時代、それだけの力の持ち主を野放しには出来ない。

 

「力を持つということは、否応なしに力に対する責任を負うということだ。その事を自覚しろ」

 

「充分に自覚していますよ。()()()入らないのです、“結代家”も、“俺”も」

 

力の意味を理解しているのは、克人も雅季も同じだ。

 

その両者を決定的に分けたのは、知識と常識の差だった。

 

克人は雅季の力を、『社会』の悪意によって利用される危険性を説き。

 

雅季は月や異国の神々といった『幻想』との関係を考慮し、そして何より結う代として、あくまで中立であらんとする。

 

両者の意見が平行線となるのは当然の帰着だった。

 

「……とりあえず、話はここまでだ」

 

雅季の意志は覆らないと見た克人は、一旦引くことを決める。

 

「だが、これだけは言っておく」

 

踵を返す前、克人はもう一度雅季を真っ直ぐに見据えて言った。

 

「結代家がどのような掟を持っているのか我々は知らない。だが、他者の共感を得ない独自の掟では、誰も納得出来ん」

 

最後に、後輩に対する“忠告”を残して、克人は雅季に背中を向けて歩き出す。

 

「後は、司波か……」

 

その最中に呟いた声は、雅季にも幹比古にも届かなかった。

 

 

 

去っていく克人の後ろ姿を見送った後、幹比古は溜め息を聞いた。

 

そちらへ顔を向けると、雅季が肩を落としたところだった。

 

浮かべるのは苦い笑み、何とも複雑そうな表情だった。

 

吉田家と結代家は古くから付き合いがあるとはいえ、幹比古は克人と同様に結代家の事情を知らない。

 

どうして結代家がそこまで宮司であることに拘るのか、本当の意味ではわからない。

 

だけど――。

 

「雅季」

 

幹比古は声を掛け、雅季が振り返るのを待って告げた。

 

「僕も、結代家は魔法師の世界に入った方がいいと思う」

 

「幹比古まで……」

 

一瞬、雅季はげんなりとした表情を浮かべた。

 

とはいえ、すぐに苦笑を取り繕う。心情的にも流石に作り笑顔までは至らなかった。

 

「でも、さっき先輩に言った通り――」

 

「雅季なら」

 

雅季の台詞を、幹比古は言葉を被せて遮る。

 

「結代家だから知っているよね」

 

 

 

――東風谷早苗という少女を。

 

 

 

意外な名前が出てきたことに、雅季は目を丸くして幹比古を見る。

 

幹比古は沈鬱な面持ちで再び口を開いた。

 

「今の時代、魔法師は決して安全じゃない。さっきの十文字会頭の話を聞いて僕も心配になったんだ」

 

実は呆気に取られている雅季に気付かず、幹比古は続ける。

 

「東風谷さんは雅季と同じ立場にいた。だから、雅季も東風谷さんみたいに行方不明になるかもしれない。縁起でもないとは思うけど……」

 

「ま、まあ、心配してくれるのは嬉しいけどさ」

 

不審に思われない程度に返答しつつ、雅季は内心でこの奇縁に思考を巡らせていた。

 

(東風谷さんって、会ったことあるような呼び方だよな? じゃああの間接的な縁の相手は早苗で、幹比古と早苗は知り合い? でもそんな話、全く聞いたことないけど)

 

東風谷家は古式魔法師、特に信州に地を構える者達を中心にその家系は知られていた。

 

また早苗自身も、あの「空飛んで信仰集めようとしたら縁談ばっかり集まった件」の影響で少しばかり名が知られるようになっていた。

 

その為か、早苗が外の世界から姿を消した時、本人達の予想に反して古式魔法師達を中心に波紋を呼んだことも、雅季は当然ながら知っている。

 

だから古式魔法の名門である吉田家に連なる幹比古が、早苗のことを知っていておかしくは無いのだが――。

 

(ん、吉田家? あれ、そう言えば――)

 

そこで、ふと雅季は引っかかりを覚えた。

 

吉田幹比古。

 

古式魔法の名門、吉田家の次男。

 

吉田家の神童。

 

「ああー!」

 

その瞬間、雅季は縁の正体を思い出し、思わず声をあげた。

 

「早苗に縁談申し込んだ一人か!」

 

吉田家の次男といえば、あの集まった縁談の中の一人。

 

即ち、幹比古のことだ。

 

「そうそう思い出した。道之叔父さんが言っていたな、お見合いまでやったんだっけ」

 

吉田家は東風谷家とも付き合いのある結代家に仲介を頼み、何とか守矢神社で早苗と幹比古のお見合いまで漕ぎ着けた経緯があるのだ。

 

……結果は案の定、早苗に袖にされたとか何とか。

 

「でも、叔父さんから聞いていた印象と全然違っていたから気付かなかったよ」

 

道之が感じた吉田家の次男の印象は、良く言えば自信に満ち溢れた、悪く言えば傲った少年だったという。

 

だが実際に目の前にいる幹比古に、それらの印象はどうにも合わない気がしてならない。

 

「昔の僕は、自分で言うのも何だけど神童なんて呼ばれて自惚れていたからね。今思えば、東風谷さんにも随分と失礼な態度だったかもしれない」

 

雅季が聞いたという印象に心当たりがあった幹比古は自嘲気味に答えた。

 

そして、脳裏であの日の出来事を思い出していた――。

 

 

 

 

 

 

 

守矢神社の一室。

 

テーブルを挟んで向かい合わせの形で畳の上に座っているのは、幹比古と早苗の二人だ。

 

部屋には二人のみで他には誰もいない。

 

身寄りのいない早苗に配慮した、という名目で吉田家側が提案してきたもので、早苗と会うのは基本的に幹比古のみというセッティングとなっている。

 

その為、幹比古以外の吉田家の者は境内にある社務所に、早苗の後見人である結代道之は神社内にはいるが、それぞれ早苗と幹比古とは顔を合わせていない。

 

余談だが、吉田家は道之も社務所内に留まってくれるよう提案したが、「神事があるから」という理由で道之は神社の中に留まることを強く希望して通したという経緯がある。

 

彼が神社内に留った本当の理由を、吉田家は知らない。

 

そして、お互いに初対面の挨拶を交わすところから、幹比古と早苗のお見合いは始まった。

 

「初めまして、僕は吉田幹比古。まあ、周りの皆は『吉田家の神童』なんて呼んでいるけどね」

 

幹比古が男の子特有の癖として、さり気なく自慢するように言えば、

 

「初めまして、東風谷早苗です。風祝で、同時に神様やってます」

 

早苗はそれ以上に自慢し返すという、どっちもどっちな挨拶だったが。

 

「はは、面白い冗談だね。でも神社の娘なら神様じゃなくて巫女じゃないかな」

 

「巫女の真似事もしますよ。本職じゃありませんけど」

 

「確かに巫女と風祝は違う。まあ、一般人には区別が付かないだろうけどね」

 

表向き無難(?)に会話を進めつつ、幹比古は内心で呟く。

 

(神様とは、大きく出たね。まさか『水晶眼』の持ち主じゃないだろうけど。あの噂の件もあるし、もし飛行魔法の術式共々手に入れることが出来たのなら――)

 

吉田家の神童と称され次期当主の兄以上に期待されている自分は、更なる高みに行くことが出来る。

 

それを思えば、幹比古にとってもこの縁談は悪くはない。

 

たとえ吉田家の思惑はどうであれ、たとえ兄がどう考えていようとも。

 

それに相手の早苗も、充分に美少女と呼べる部類の見た目麗しい少女だ。

 

吉田家の寵児であり、その傍らには美しい婚約者。なかなか順風満帆な人生だろう。

 

幹比古は自然と頬を綻ばせていた。

 

 

 

ちなみに、

 

(神童なら私の方が格は上ですね。何たって現人神ですから!)

 

早苗がそんなことを考えているなど、幹比古が気付くはずもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

(今思えば、不思議な娘だったな……)

 

当時の会話を思い出し、一抹の寂しさを伴った懐かしさに浸る幹比古。

 

その幹比古と同様に、雅季もまた叔父である道之から聞いた話を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

幹比古と早苗がお見合いをしている部屋。

 

その襖の一枚向こう側では――。

 

「ぐぬぬぬ……」

 

「落ち着きなってー、神奈子」

 

「だが諏訪子。あの吉田とかいう少年、明らかに早苗を見下しているぞ。あいつが早苗を幸せに出来るとは思えん!」

 

「まあまあ」

 

「それに、神祇の術者と聞いていたが、信仰に傲った部分が見られる。あれは神の力を自分の力と勘違いしているな。どちらにしろ、守矢の後継者には相応しくない」

 

「うん。神を信仰しているつもりでその実、ちょっと神を舐めているね。ま、無自覚というか本人は気付いていないみたいだけど。――なら、神として気付かせてあげるべきかな」

 

「そうね。この御柱で一度、神の荒ぶる御魂を味わえば本当の信仰に気付けるはず。――早苗、今その男を排除してやるぞ!」

 

「だからって冷静になりなって。御柱だと神社が壊れちゃうし早苗も気付いちゃうから。ここはミジャグジで祟った方が被害は出ないしバレないって」

 

「お願いです、御二方とも落ち着いてください。……嗚呼、胃が痛い」

 

襖の向こう側へ、それぞれ御柱とミジャグジ様の照準をロックしている神奈子と諏訪子。

 

それを道之は胃のあたりを抑えながら、神々の怒りを鎮めんと祈願(というか懇願)していた。

 

これこそ、道之が神社内に留まった最大の理由である神事。

 

神の怒りを鎮める人柱となること。

 

要するに、この二人の神様からあの少年を守ることである。

 

大八洲結代大社の『今代の結代』である結代榊()

 

結代東宮大社の『今代の結代』である結代百秋()

 

幻想郷の結代神社の『今代の結代』である結代雅季()

 

……行雲流水や閑雲野鶴などの熟語がよく似合うぐらい自適に生きる『今代の結代』三人衆と違って、苦労人の気質がある道之だった。

 

 

 

ちなみに、襖の向こうから神罰が狙っているとは夢にも思わない幹比古は、

 

(さっきから襖の向こうから物凄いプレッシャーを感じるけど、何だろう? これは、霊圧……?)

 

ただ襖の向こうから感じる神威に内心で首を傾げるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

「――うん、幹比古は道之叔父さんにお礼を言った方がいいと思う。割と切実に」

 

「いや、わけがわからないよ。というか、僕はその人と会ったことないんだけど?」

 

お見合いの場で知らぬうちに九死に一生を得ていた幹比古は、あの時と同じように首を傾げた。

 

オホン、とわざとらしく咳をして、幹比古は話を戻した。

 

「あの事件は未だ解明されていない。東風谷さんの行方も依然掴めていない。そもそも誘拐なのか、事故なのか、それすらもわかっていないんだ」

 

「正しく“神隠し”という訳だ」

 

(もしくは幻想入りってね)

 

心の中で続きを呟く。

 

幹比古や事情を知らない者達には悪いが、早苗の件については悲劇でも何でもないのだ。

 

 

 

『東風谷の悲劇』は、東風谷家を襲った二つの事件のことを差す。

 

一つは、早苗の両親を奪った諏訪での同時爆破テロ。

 

一つは、早苗自身の失踪。

 

そのうちの一つ、早苗の両親を奪ったテロは間違いなく悲劇だった。

 

かつて『東洋のスイス』と称された諏訪に拠点を置く精密機械・情報機器メーカーがある。

 

そのメーカーは高い技術力を活かして、兵器やCADで極めて高度な精度が要求される機密性の高い部品の開発、生産も行っていた。

 

機密として一般では公にされていない情報。

 

それを沖縄侵攻前の陽動として日本各地でテロ活動を行っていた大亜連合の工作員が手に入れた。

 

その瞬間から、テロの次の標的が決まったようなものだった。

 

そうして発生した同時爆破テロ。

 

人通りの最も多い通勤時間帯に、諏訪各地のメーカー関連施設を狙って一斉に引き起こされた爆発。

 

同時爆破テロの死傷者は六十人を超えた。

 

巻き込まれた犠牲者の中には、早苗の両親の名前もあった。

 

これが東風谷の悲劇の一つ。

 

東風谷家だけではなく、多くの人々にとっても悲劇となった諏訪同時爆破テロだ。

 

なお、テロを実行した工作員達は事件直後に『何者か』によって排除されている。

 

工作員達は知る由も無かった。

 

諏訪から程近い、長野県と山梨県の県境が『あの家』の本拠地だったということを。

 

自分達がテロを起こした場所が、『あの家』の目と鼻の先だったということを。

 

工作員達は自分達の不幸を嘆き、理不尽さを呪いながら。

 

彼等の知る限りにおいて最大級の災厄、四葉家の手によってこの世から退場させられた。

 

 

 

早苗の両親は確かに悲劇だった。

 

だが、もう一つは悲劇という単語は似つかわしくない。

 

東風谷早苗の失踪による、東風谷家の断絶。

 

外の世界では悲劇に見えようと、それは悲劇ではない。

 

それは結代家が真実を知っているからだ。

 

雅季に至っては早苗とは先月にも会ったばかりだ。

 

「……結代家は、早苗の件については何も言わない」

 

だから雅季は、結代家は『東風谷の悲劇』について沈黙を貫いている。

 

後見人だった道之などは一部から非難されたが、道之は意に介さなかった。

 

非難した者の大半は悲しんだのではない。

 

早苗が持っていた術式を惜しみ、それが“敵”の手に渡ったかもしれないと憤ったのだ。

 

特にあの噂を知っている者ほど、それが顕著だった。

 

『東風谷家は天候を操る戦略魔法級の秘術を一子相伝で受け継いでいる』

 

東風谷家に関して流れたそんな噂を知っていた者達が、この時勢で一体何を考えていたのか、語るまでもないだろう。

 

「それでも、強いて言うとなれば――」

 

それを思えば、早苗の幻想入りは悲劇ではない。

 

寧ろ幻想郷へやって来た方がよっぽど良縁だっただろう。

 

「何事も縁、かな」

 

何故なら、両親を失ってなお、早苗は二人の神様と共に幻想郷で笑っているのだから。

 

 

 

「雅季……」

 

「さて、この話はここで終わり!」

 

何か言いたげだった幹比古の肩を雅季は軽く叩き、話題を断ち切った。

 

「俺達も会場に戻ろうか、そろそろダンスの時間だし」

 

一条が司波さんを上手く誘えるか気になるし、と呟きながら雅季は先に歩き出す。

 

その後ろ姿を、幹比古はただ見つめて、

 

「君達は、どうして……」

 

そう言いかけ、その途中で口を閉じ、幹比古は首を横に振った。

 

そして幹比古もまた、雅季の後を追って歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

会場の壇上では演奏者達が演奏の準備を始めている。

 

間もなく生演奏によるダンスが始まる時間帯だ。

 

どことなく浮ついた空気が流れつつある会場内で、服部刑部は例外として複雑な視線をある一点に向けていると、

 

「浮かない顔ですね」

 

「市原先輩」

 

隣から鈴音に声を掛けられて、服部は身体ごと振り返った。

 

「もう来年の心配ですか?」

 

服部の向けていた視線の先から、鈴音は服部が何を考えていたのか察して、クスリと小さく笑う。

 

何せ、服部が視線を向けていた先は、演奏者達が準備を進めている壇上の傍。

 

後夜祭の主催者である壮年の男性と何事かを話している雅季だった。

 

本当に生真面目な、如何にも服部らしい悩みだ。

 

九校戦が終わった直後の後夜祭で、来年の選手選抜についてもう懸念しているとは。

 

「……結代は、本当によくやってくれました」

 

「ええ、間違いなく彼もまた優勝の立役者です」

 

それは九校戦前までは雅季のことを快く思っていなかった二人も認めている事実だ。

 

だからこそ、内心ではちょっとした罪悪感や気まずいものが入り混じり、とても複雑な気持ちになっているのだが。

 

 

 

二人の先輩が見つめている中、主催者と話を終えた雅季は壇上の演奏者達に何事かを告げて、壇上から降りる。

 

それから程なくして演奏が始まった。学生同士のダンスの始まりだ。

 

思い思いの異性に声を掛け、ダンスに誘っていく生徒達。

 

その時、壇上の下に控えていた雅季が隣にいる主催者と目を合わせる。

 

主催者の頷きに、雅季は汎用型CADを操作した。

 

 

 

照明の光が薄くなる。

 

同時に、会場全体に魔法がかけられた。

 

 

 

会場中の誰もが上を見上げる。

 

服部も鈴音も、ほぼ同時に上を見上げていた。

 

「これは……」

 

「光の、雪?」

 

少しだけ薄暗くなった会場に、小さく輝く光が降る。

 

光は線香花火ぐらいの大きさで、白色や赤色、緑色など様々な色を持ち、全てが優しく輝いている。

 

まるで綿のようにゆっくりと、風に流されるように、天井付近から発生して会場の隅から隅まで万遍なく降り注ぐ。

 

鈴音の言った通り、それはしんしんと降る光の雪だった。

 

「綺麗……」

 

誰かが溜め息を溢す。

 

一人ではない、会場中にいる大半の者達が同じ溜め息を溢した。

 

会場中に光の雪を降らした雅季は、魔法を維持しながら主催者に顔を向ける。

 

二人は目が合うと、お互いにイイ笑顔でサムズアップを交わした。

 

光の雪に魅せられたのか、演奏の方もより熱が篭ったように感じられる。

 

生演奏に、生演出魔法。

 

主催者の熱意が生み出した最高級の雰囲気に、生徒達もまた応え始める。

 

自然と異性の手を取り、光の雪の中を踊り始める。

 

見ている方は美しさに心を動かされ、踊っている方はより情熱的に。

 

激闘だった九校戦の最後を締めるのに、これほど相応しい舞台も無いだろう。

 

そして――。

 

 

 

「……彼、きっと来年のサマーフェスも出演しますよ」

 

「……今から頭の痛い話です」

 

来年の選手選考で大いに悩ましてくれるだろうあの後輩に、服部は溜め息を、市原は小さな苦笑をそれぞれ溢した。

 

 

 

「これは、結代君が?」

 

「そのようだ」

 

深雪と達也が光の雪を見上げている中、将輝は内心で雅季に最大級の賛辞を送った。

 

二人きりでなかったことに多少の不満はあったが、結果的に雅季の助言に従って達也を交えたことで深雪と談笑と呼んでも差し支えない時間を作れた。

 

その上で更にこの絶好のシチュエーションだ。

 

(あいつは神か!!)

 

勝手に心の中で雅季を恋愛の神様と認定して、将輝は覚悟を決めて深雪へと振り向いた。

 

「司波さん」

 

こちらを見る深雪に、将輝は手を差し出した。

 

「是非、一曲踊って頂けませんか?」

 

差し出された手に、深雪は一瞬達也を見遣ると、達也はほんの小さく頷く。

 

それを見て、深雪はにっこりと笑って頷いた。

 

「こちらこそ、よろしくお願い致します」

 

当然、将輝は内心で喝采を上げた。

 

将輝の手を取って中央へ向かう深雪の後ろ姿を見ていた達也は、再び上を、光の雪を見上げた。

 

この光の雪は現代魔法ではない。現代魔法ではこのような曖昧な軌道を描かせることは難しい。

 

これは、古式魔法だ。

 

“見かけ上”の小さな質量を持たせた光を天井付近に展開し、更に「風に乗る」という概念を与えることで、雪のように光を降らせているのがこの魔法のプロセスだ。

 

この大会で古式魔法を見せたから使い始めたのか。

 

それとも、元々演出魔法では使っていたのだろうか、古式魔法を。

 

(よくわからない奴だよ、本当に)

 

それに光自体は小さいとはいえ、会場全体にそれを降らせる程の規模で展開してみせるとは。

 

それも、ただ魅せるためだけに。

 

――だが、悪くはない。

 

実用的でも理論的でもない、楽しむ為の魔法。

 

(これが、演出魔法か)

 

達也は自覚していなかったが、光の雪を見上げるその口元には小さい笑みが浮かんでいた。

 

 

 

「全く、あいつは……」

 

光の雪を前に、森崎は心底諦めたように首を横に振る。

 

九校戦だろうと関係なかったらしい。要するに雅季はどこまでも雅季だったという訳だ。

 

「お疲れ様」

 

森崎にからかい半分で労いの言葉を掛けたのは雫だ。

 

ダンスが始まり、一緒にいたほのかが達也の下へ向かい一人になった直後、雫もまた多くの男子から誘いを受けた。

 

雫自身も充分に美少女と呼べる少女だ。この雰囲気の中では誘いがあるのは当然だろう。

 

とはいえ、あまり親しくない男子だけならともかく、中には見知らぬ他校の相手もいたことに辟易した雫は、それなりに親しい森崎の下へ避難して来たのだ。

 

森崎の方は避難所扱いされていることに気付いており若干凹んだものの、それが同時に信頼の顕れだとも気付いていた。

 

「結代君って、不思議な人」

 

唐突に雫がそう口にする。

 

「何というか、雰囲気が違うというか、浮世離れしている感じがする」

 

それは雫が雅季と接して来て感じた思い、そのままだ。

 

対して森崎の返答は、簡潔で素っ気なく、そしていつも通りだった。

 

「ただ非常識なだけだ」

 

森崎のどこまでもいつも通りの返答が、何となくわざとらしく感じられて雫は笑った。

 

雫は視線を前に戻す。

 

見つめる先には光の雪の中を踊る生徒達。

 

中には深雪と将輝。そして達也とほのかの姿もある。

 

だからだろうか、雰囲気に当てられたのか、雫はごく自然に尋ねた。

 

「一緒に踊る?」

 

これまた雫の突然の申し出に森崎は一瞬目を白黒させたが、

 

「――下手で良ければ」

 

森崎もまた自然と雫の手を取り、中央へとエスコートした。

 

 

 

 

 

 

 

将輝の後、立て続けにダンスを誘われ、それ等を難なく捌いていた深雪は、途中で達也の姿が会場から消えていることに気付いた。

 

(お兄様、何処へ行ったのかしら?)

 

一曲踊り終えた直後に殺到する申し出を全てやんわりと断って、達也の姿を探し始める。

 

だがどうにも会場内に達也の姿が見えない。となると、

 

(会場の外、かしら?)

 

深雪は会場から抜け出し、とりあえず近くの出口から外へと向かった。

 

そこには、克人が実は天然だったという衝撃の事実に立ち尽くしている達也の姿があったとか。

 

 

 

達也と深雪が会場の外にいる最中、最後の曲が流れ始める。

 

会場内では光の雪の下、それぞれの相手と共に最後の一曲を踊り。

 

会場の外では月と星の光の下、達也と深雪が最後の一曲を踊る。

 

やがて最後の曲も終わりを迎え、後夜祭は終幕する。

 

この後は引き続き会場で一高の祝賀会だ。

 

 

 

だが、その前に――。

 

九校戦最後の縁が巡り合う――。

 

 

 

 

 

「……終わってしまいましたね」

 

「そうだな」

 

曲が終わった後、深雪は名残惜しそうに達也から離れる。

 

だが深雪の顔を見た達也は、深雪の腰に手を回してその華奢な身体を自分の方へ寄せる。

 

深雪の驚いた、そして嬉しそうな顔に、達也は満足感を覚えて穏やかに笑ってみせる。

 

「そろそろ戻ろうか、深雪」

 

「はい、お兄様」

 

幸せそうな声で頷いた深雪と共に、達也は会場の入り口へと歩き始め――。

 

一瞬の動作で、腰に回していた手を解いて深雪を背中に庇った。

 

「お、お兄様?」

 

突然の行動に深雪は驚愕と戸惑いを見せる。

 

だが達也は真っ直ぐに夜の闇を、森のある方向を鋭く見据えるのみ。

 

達也の行動の答えが、声となって二人の耳に届いた。

 

「流石は九重八雲の弟子、と言っておこうか。それとも、何かしらの知覚魔法でも使ったか」

 

彼は、夜の闇の中、突然現れたかのように姿を見せた。

 

二人にとって忘れられない人物。

 

三年ぶりの、再会――。

 

「水無瀬、呉智……!」

 

「水無瀬さん……!?」

 

達也と深雪、二人の前に、呉智は再び姿を現した。

 

 

 

「どうして、ここに……?」

 

先ほど以上の驚愕と戸惑いを隠せない深雪。

 

深雪の様子を見て、呉智はある程度の事情を察する。

 

「成る程、話していなかったのか」

 

「深雪は選手だったからな」

 

「相変わらず過保護なことだ」

 

呉智と達也の会話を聞いて、事情を知らない深雪は益々困惑する。

 

「お兄様、一体……?」

 

「四月のブランシュの事件で、ブランシュにジェネレーターを提供したのは水無瀬呉智だ」

 

声にならない驚きを、達也は背中に感じた。

 

「そして、今大会でも色々と暗躍していたそうだな」

 

それは深雪への説明と同時に、呉智にも向けた言葉だった。

 

「俺は動いていないさ。ただ降り掛かった火の粉を払っただけだ。尤も、勝手に手を出して火傷した連中は色々といたようだが」

 

「それは壊滅した無頭竜のことか? それとも、お前に手を出して半壊した独立魔装大隊のことか?」

 

「どっちもさ。尤も、柳達の方は死人も出ていない軽い火傷で()()()()が」

 

二人の会話を聞いている深雪は、絶句するしかなかった。

 

 

 

九校戦の裏で色々と兄や独立魔装大隊、そして無頭竜という犯罪組織が動いていたのは知っていた。

 

だが、そこには水無瀬呉智も、ラグナレックも絡んでおり、更に四月の事件とも繋がっていたとは。

 

それに、聞いた限りでは呉智と魔装大隊は交戦すらしているようだ。

 

深雪も同世代と比べれば聡明な方だが、それでも事情を知れば知るほど、混乱は大きくなるばかりだ。

 

だが、混乱する頭でも一つだけ理解出来たことがあった。

 

達也は敢えて事情を説明しなかったのだと。

 

試合を控える深雪に余計な悩みを抱えさせないために。

 

何せ、こうして呉智が絡んでいたことを知っただけで、こんなにも動揺している自分がいる。

 

あの時、助けてくれた。

 

それだけではない。

 

兄を助けてくれという自分の願いを聞き入れて、兄と共に戦場へ赴いて戦ってくれた。

 

自分だけでなく、兄も助けてくれたのだ。

 

そんな人物が敵側として事件に関与している。

 

それを聞いて、深雪は動揺せずにはいられない。

 

深雪にとって、呉智とは本当に感謝に絶えない恩人なのだから。

 

 

 

深雪が言葉を失っている最中も、達也と呉智の三年ぶりの会話は続いていた。

 

「火の粉を払うだけといいながら、無頭竜の方にも随分と干渉していたようだが?」

 

「先ほども言ったはずだが。俺は動いていない、と」

 

達也の言葉に、呉智は僅かに目を細める。

 

本来なら夜の闇によって見えない僅かな顔の動きも、『精霊の眼』を持つ達也には判別できた。

 

故に、達也は自身に渦巻いていた疑問を真正面からぶつけた。

 

「一高選手を襲うはずだった四体のジェネレーターの失踪。大会運営委員会に潜んでいた無頭竜関係者三名の失踪。横浜グランドホテルのフロアにダグラス=黄ら幹部達を閉じ込めた結界」

 

「……」

 

淡々と紡がれた達也の言葉に対する呉智の反応は無言だった。

 

その反応で、達也は呉智の仕業ではないと確信した。

 

「少佐達は何れも水無瀬呉智の仕業だと思っているようだが」

 

「ふん、迷惑な話だな」

 

紛れもない本音を呉智は口にする。

 

身に覚えのないことで濡れ衣を着せられては堪らないと。

 

「それも気になるところだが……」

 

そして、呉智の纏っていた雰囲気が変わった。

 

「悪いが、雑談をしに来た訳では無い」

 

達也の表情が一層険しくなる。

 

「ケジメを付けに来た」

 

紛れもなく、呉智は臨戦態勢に入っていると達也は強く感じた。

 

トライデントは部屋の中だが、呉智の幻術なら『精霊の眼』で対処可能だ。

 

達也の魔法にとって呉智の幻術は相性が良い、仮にこのまま戦闘に入ったとしても遅れを取ることは無いはずだ。

 

この時点で達也は呉智のもう一つの魔法を、精神に直接作用する幻覚があるのを知らなかった。

 

幸いだったのは、臨戦態勢に入った呉智が本当に戦うつもりはなかったということ。

 

これは、呉智なりのケジメ。

 

清算すべき過去。

 

「司波達也」

 

呉智は達也の名を呼び、

 

「司波深雪」

 

次いで、深雪の名を呼ぶ。

 

呉智と対峙する達也と深雪。

 

次の瞬間、夜の闇が二人に牙を向けた。

 

「――!!」

 

「――っ!!」

 

だが、それは錯覚。夜の闇は牙など持たない。

 

牙の正体は、呉智から二人に向けられた濃密で鋭く、冷たい殺意だった。

 

「次に会う時、それが敵として会ったというのなら――俺はお前達を容赦無く殺す」

 

これが、呉智の宣告(ケジメ)

 

三年前の過去を清算する為に、呉智は二人の前に再び姿を現したのだ。

 

これ以上、心を乱されないように――。

 

これ以上に、修羅となれるように――。

 

更なる地獄へ突き進めるように――。

 

世界を、地獄へ引き摺り込むために――。

 

その為に必要な宣告(ケジメ)だった。

 

「ただ、それだけだ」

 

途端、二人を包んでいた殺意は霧散する。

 

達也はともかく、深雪は大きく息を吐いた。知らないうちに呼吸を止めていたらしい。

 

同時にもう用件は済んだと言わんばかりに、呉智は達也と深雪に背を向けて歩き始めた。

 

「――待て」

 

その後ろ姿を、達也が呼び止めた。

 

深雪に殺意を向けた呉智を許せないから、という理由からではない。

 

そもそも達也にしては珍しく、自分が呼び止めた理由がわからなかった。

 

「何故、()()はラグナレックにいる?」

 

そして、どうして自分がこんな質問をしたのかもわからなかった。

 

或いは、達也も無意識に感じていたからかもしれない。

 

呉智が向けていた殺意が、どうしようもなく空しかったことに。

 

呉智は背中を向けたまま、暫く無言で足を止めていたが、やがて達也へ逆に問い掛けた。

 

「司波達也。お前にとって司波深雪とは何だ?」

 

達也は呉智の問い掛けに一瞬戸惑いながらも答えた。

 

「俺に残された、何よりも大切な宝物だ」

 

「お兄様……」

 

それは達也の嘘偽りない真実だった。

 

「なら、もし司波深雪を奪ったものがいたとしたら、お前はそれを許せるか?」

 

故に、次の呉智の質問に、達也は答えに窮した。

 

いや、答えが決まっているからこそ、答えることが出来なかった。

 

深雪を奪った奴を許せる自信など、達也には毛頭無かった。

 

「奪ったのが、この世界だったというのならどうだ」

 

「世界?」

 

達也の背後にいる深雪が疑問の声をあげる。

 

気持ちは達也も同じだった。

 

(世界が、奪った?)

 

どういう意味かはわからない。

 

ただ呉智の声には、強い憎しみが混ざっていた。

 

「世界中の誰もが存在を否定して、その所為で“妹”が消えざるを得なかったというのなら――」

 

そして、呉智は振り返り。

 

瞳の奥に憎悪の焔を燃やして、静かに問い掛けた。

 

 

 

――お前は、この世界を許せるのか?

 

 

 

()()は……」

 

達也は理解した。

 

理解してしまった。

 

水無瀬呉智は、司波達也の未来の一つなのだと。

 

あの憎悪の焔は、自身も持ち得る可能性があるもの。

 

もし深雪を失った時、達也が確実に燈すことになるであろう焔であり。

 

達也が辿るかもしれない未来の姿が、其処にはあった。

 

「それが理由だ」

 

立ち尽くす達也から呉智は視線を外して、

 

「待ってください!」

 

再び踵を返す前に、深雪が達也の前に出た。

 

「深雪――」

 

達也が慌てて更に前に出ようとするのを、深雪は手で制す。

 

深雪と呉智、二人の視線が交わる。

 

そして、

 

「あの時――」

 

明確な殺意を示した呉智を、深雪は真っ直ぐに見つめて、

 

「私を、そして兄を助けて頂いて、本当にありがとうございました」

 

三年前に言えなかった感謝の言葉を、ようやく告げた。

 

呉智を見つめる深雪。

 

深雪を見つめる呉智。

 

 

 

――お兄ちゃん。

 

 

 

「っ――」

 

先に顔を背けたのは呉智だった。

 

何かに堪えるように拳を握り締めて、呉智は深雪と達也に背を向ける。

 

「――次は、無い」

 

最後にそれだけを言い残して、呉智は歩き出す。

 

そして、達也と深雪が見つめる中、呉智は夜の闇に消えていった。

 

振り返ることは無かった。

 

呉智の姿が消えた後も、達也と深雪はずっと消えた先を見つめていた。

 

 

 

祝賀会が中盤に差し掛かっても姿を見せない二人を探しに来た友人達が見つけるまで、ずっと見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

富士の森の中、呉智は空を見上げた。

 

都会では目にする事が出来ない星の輝きがあった。

 

だが、星の輝きはとても儚いものだ。

 

 

 

――私はね、たぶんあの星の光と同じなんだ。

 

 

 

都会の光によって簡単に消え去ってしまい、消え去った星の光など誰も気にしない。

 

そう、消え去った者のことなど、誰も気にしない。

 

気にしたとしても、すぐに忘れてしまう。

 

それが人だ。

 

 

 

――光があるからこそ、人は夜を恐れなくなったんだよ。

 

――だから、私が消えるのも仕方のないこと、なのかな。

 

 

 

「……仕方がないじゃあ、済ませられないんだよ」

 

夜空を見上げながら、呉智はポツリと呟く。

 

 

 

――お兄ちゃんは、もう自由に生きていいんだよ。

 

――心を閉ざさないで。きっと、みんないいものだから。

 

 

 

――うん、約束だからね!

 

 

 

「ダメだな、俺は。お前との約束、守れそうにないよ……」

 

世界はきっといいものだと、彼女は信じていた。

 

だけど呉智には、その世界がどうしても許せないのだ。

 

だから――。

 

「済まない……紅華」

 

空を仰ぐ呉智の頬から、一筋の雫がこぼれ落ち。

 

呉智の謝罪は、誰にも届かず虚空に消えた。

 

 

 

 

 

 

 

九校戦が終わって数日後の某所――。

 

執務室に戻ってきたバートン・ハウエルは、ソファに座る少女を見つけて微笑を浮かべる。

 

「おや、来ていたのかい、マイヤ」

 

いつもと変わらぬ穏やかな口調でバートンは少女、マイヤ・パレオロギナに話しかけた。

 

声を掛けられたマイヤは冷めた目をバートンに向けると、言葉を飾らず単刀直入に尋ねた。

 

「全て、お前の想定通りか?」

 

「概ね、かな」

 

「概ね? 全てだろう」

 

バートンの“謙虚”な返答に、マイヤは鼻を鳴らす。

 

「第一高校が優勝することも、ノー・ヘッド・ドラゴンが壊滅することも。七賢者――『フリズスキャルヴ』へのアクセス権を持つジード・ヘイグに大きな貸しを作れたことも」

 

「後は、武器商人達の説得も請け負うことになったことも、かな。彼等にとってみればお得意様だからね、我が社(ラグナレック)は」

 

つまりは、そういうことだ。

 

九校戦におけるバートンの狙いはただ一つ、ジード・ヘイグに貸しをつくることだった。

 

一高に司波兄妹――四葉に連なる者がいると知っていたバートンにとって、一高優勝は簡単に予想できた。

 

あの二人は十文字克人と同様だ。たとえ無頭竜が妨害しようと、実力でそれを跳ね除ける。

 

無頭竜はそれを知らなかった。

 

だから膨大な賭け金を出して、九校戦のギャンブルを開催させた。

 

後は何もしなくてもいい、一高の選手達が勝手に妨害を乗り越えて優勝してくれるだろう。

 

大本命の一高が優勝すれば、無頭竜は莫大な支払い金が生じる。

 

更に無頭竜自体も、あの四葉の兄妹――特に兄の手によって壊滅するかもしれない。

 

それ等の予想は、全て的中したと言える。

 

その後も全て予想通りだ。

 

無頭竜は壊滅し、だが莫大な賭け金の支払いが残っている。

 

無頭竜の首領であるリチャード=孫が亡くなった今、事態を収拾するには彼の兄貴分であったジード・ヘイグが出ざるを得ない。

 

そしてジード・ヘイグは、ビジネス上の付き合いがあり、同時に今回の最大の顧客であるバートンに仲介を頼み出るしかない。

 

先程、ジード・ヘイグの頼みをバートンは承諾した。

 

最大出資者だったラグナレックが賭け金の払い戻しに応じることで、他の出資者達にも払い戻しのみに譲歩させる。

 

そうして、バートンはジード・ヘイグに貸しを作らせた。

 

全ては次の作戦に向けた一手、情報戦で優位に立つための布石。

 

ラグナレックの、マイヤの生み出した魔法技術でも調べられないことは無いが、即応性や利便性では『フリズスキャルヴ』の方が上だ。

 

それにジード・ヘイグとしても、今度の相手が相手なだけに気前よく色々と“教えて”くれるだろう。

 

「さて、ジード・ヘイグはどうやって貸しを返してくれるのかな」

 

バートンは壁に掛けられた世界地図を見ながら、楽しげに笑う。

 

彼の視線の先にある国は――日本。

 

 

 

九島烈も知らない真実がある。

 

水無瀬家がラグナレックに身を置いた最大の要因は、日本ではなく『ラグナレック・カンパニー』自体にあったということだ。

 

『バートン・ハウエル』が創設した、ラグナレックに――。

 

 

 

 

 

 

 

そして、幻想郷の博麗神社では――。

 

「さあ、勝利の祝い酒よ」

 

「あら、気が利くじゃない」

 

縁側に並べられたお酒の数々に、霊夢は喜色を露わにした。

 

スキマから現れた紫が並べられたお酒は全部で五種類、正しく五酒類。

 

内訳は以下の通りである。

 

(魔理沙の家から掻払った)焼酎。

 

(紅魔館から徴収した)葡萄酒(赤ワイン)

 

(白玉楼から拝借した)濁酒。

 

(守矢神社から頂いた)大吟醸。

 

(結代神社から持ってきた)熟成酒。

 

選り取りみどりである。

 

実はこれ、意外だが無断ではない。

 

何れも「賭け金は頂きました」という某大泥棒が如き犯行カード、もとい置き手紙を置いて来ているので、無断ではないのだ。

 

「よーし、飲むぞー!」

 

「というか、何であんたがいるのよ?」

 

そして、当然のように何故か博麗神社にいる雅季は、これまた当然のように葡萄酒に手を伸ばして開栓した。

 

「だって一だし」

 

「あんたも賭けてたの?」

 

「当事者です」

 

「ま、いいけど」

 

いつもの事だと割り切って、それよりもと霊夢は浮き浮きと焼酎を手に取り、紫は熟成酒を手に取ってそれぞれ栓を抜く。

 

「それじゃ、優勝祝いの乾杯――の前に」

 

升を掲げた雅季は、乾杯の音頭の途中で顔を空に向けた。

 

雅季の視線の先には、箒に跨って空を飛ぶ黒い人影。

 

その人影は一直線に神社へと向かってきて、霊夢達の前に降り立つ。

 

そして白黒の魔法使い、魔理沙は紫を指差して言った。

 

「おい、泥棒!」

 

「自分のこと?」

 

「新しい一人称かしら?」

 

「呼び方変えた、魔理沙?」

 

「いや、そうじゃなくてだな……」

 

三人からの総反撃に魔理沙はガクッと顎を下げたが、すぐに持ち直す。

 

「紫! 私の家からお酒を盗んで――って、霊夢、お前の持ってるのは!?」

 

驚く魔理沙に、霊夢は手に持った焼酎(開封済み)を掲げて見せる。

 

しかも自慢げに。

 

「これ? 私のだって。一が勝ったみたいだから」

 

「魔理沙、八の貴方は負けたのよ」

 

「残念だけど八高は四位だったよ」

 

「く、気がついたら負けてたぜ……」

 

残念且つ恨めしそうに開封された焼酎を見遣る魔理沙。とはいえ、

 

「開けられたのなら仕方がない。どうせだから呑んで行くぜ!」

 

すぐに開き直り、魔理沙もまた縁側に腰掛けて無造作に濁酒の栓を抜いた。

 

「負けたのに呑むのね」

 

「負けたからな。自棄酒(やけざけ)だ」

 

「だから持っていたのは焼酒(やけざけ)と」

 

言葉遊びを交わしながら魔理沙は升に濁酒を注ぎ、

 

「よし、改めて優勝祝いだ――」

 

「今日は呑むぜ、乾杯!」

 

雅季の乾杯の音頭を横取りした。

 

ジト目で睨む雅季を気にせず、升を煽ぐ魔理沙、霊夢、紫。

 

変わらない幻想郷の住人達に、雅季は少しばかり苦笑して同じく升を煽った。

 

 

 

魔理沙と同じく、よくわからないうちに負けた者達が何もしないはずがなかった。

 

 

 

「いたわね、強盗妖怪。ワイン返しなさい――って、やっぱりもう手遅れでしたか」

 

案の定、既に開けられていたことに落胆する咲夜。

 

 

 

「うー、紫様、お酒返して下さい。どうしてか私が幽々子様に怒られるんですからー」

 

既に呑まれていると知って涙を流す妖夢。

 

 

 

「すみませーん、守矢神社(ウチ)から御神酒を盗んだ妖怪が此方に来て――いますね……」

 

堂々と盗んだ犯人が堂々と盗んだ酒で宴会していることに溜め息を吐く早苗。

 

 

 

「あ、居ました。紫さん、勝手に持っていった古酒を――って、何で雅季さんがそれ飲んでいるんですかー!?」

 

寧ろ神主が呑んでいたことに怒る紅華。

 

 

 

そんなこんなで博麗神社に人が集まり、結局なし崩しの宴会が部屋の中で始まる。

 

「それで、結局何の賭けだったの?」

 

「九校戦」

 

「あの妖精を使って氷を作って壊す練習してた?」

 

「そう、それ」

 

「あ、それ新聞出していました。仙人の話ですよね?」

 

「え?」

 

「え?」

 

「え?」

 

咲夜と妖夢との会話の中で、ようやく幻想郷で九校戦の勘違いが広まっていることを知る雅季。

 

詳細を知った時、流石の雅季も「躬行仙は無いな」と思ったとか。

 

 

 

「やっぱり夏には冷酒よね」

 

「こっちはいい天気ね。外の世界じゃあ台風が暫く止みそうにないから大変よ」

 

「ここ最近はずっと快晴よ。野分なんて全然来てないじゃない」

 

「それは、ここが幻想郷だからよ」

 

意味深に語る紫に霊夢は首を傾げたが、“妖怪”の言うことをいちいち気にしていられないと、すぐに興味を無くして濁酒を煽る。

 

妖怪を妖怪と思える、それこそが快晴の証なのだと知らずに。

 

 

 

「いやー、この古酒は美味いな」

 

「二十年物の熟成酒ですから。でも結代神社では新しい部類ですよ」

 

「そういや、お前んところの神社の蔵には、こういう古いお(さけ)がいっぱい眠っているんだってな」

 

「あげませんよ?」

 

「借りていくだけだぜ?」

 

「なら代わりに魔法酒あげます」

 

「何だ、魔法酒って?」

 

「最近、雅季さんが魔法で造っているお酒です。コーヒーでは負けているからお酒で挽回するそうです。でも造り過ぎるので消費が間に合わなくて……」

 

「……興味はあるんだが、何だか不味そうだぜ」

 

紅華の言う魔法酒というものに、魔理沙は「魔法で造ったお酒って茸味か」と想像して……すぐに味直しとして古酒を口に含む。

 

「やっぱり酒は美味い物がいい、茸は肴で充分だぜ」

 

魔理沙は自分で納得して頷き、今度は自分が結代神社の蔵からお酒を持って行ってやろうと思った。

 

「茸で造っている訳じゃないんだけどなぁ」

 

隣で魔理沙が結代神社(自分の家)に盗みに入る術を考えているとは、実はちょっと思っている紅華は、そんな魔理沙に苦笑しながら大吟醸を呑んだ。

 

 

 

「ところで雅季さん、サマーフェスで巨大ロボ動かしたって本当ですか?」

 

「本当。かなり面白かったぞ」

 

「うー、なんてことしてくれるんですか」

 

「何で?」

 

「これじゃあ、いつまで経っても巨大ロボが幻想入りしないじゃないですか」

 

「当分はしないと思うよ。――あ、そうだ。早苗さ、吉田幹比古って覚えている?」

 

「誰でしたっけ、それ?」

 

「……お見合いした相手」

 

「ああ、あの神童君ですか! そう言えばありましたね、すっかり忘れていました。それで、神童君がどうかしたんですか?」

 

「うちの高校にいたよ、その神童君」

 

「へぇ、縁ですねー」

 

嘗てのお見合い相手を本気で忘れ、思い出しても全く興味を示さない早苗に、雅季は心の中で幹比古に語りかけた。

 

(幹比古、いつか良縁を結んでやるからな)

 

会者定離。出会う者とはいつか必ず別れる。

 

早苗と神童君(みきひこ)の縁が結ばれることは無さそうだ。

 

「それに――」

 

酔っ払った魔理沙に絡まれている早苗を見ながら、

 

「悲劇なんて、何処にも無いさ」

 

本当に穏やかな心持ちで、雅季は升を煽った。

 

 

 

 

 

 

 

思い思いに盛り上がる最中、

 

「紅華」

 

紫は紅華に話しかけた。

 

「貴方は今、充実しているかしら?」

 

紫の唐突な言動はいつもの事とはいえ、やはり突然やられると目が丸くなってしまうものだ。

 

それでも問われたことは単純だったため、紅華はすぐに答える事が出来た。

 

嘘を付け加える必要性など皆無な、正直な自分の気持ちを。

 

「はい、勿論です」

 

「そう」

 

紫は笑みを浮かべたまま頷き、

 

「貴方は縁を紡ぐ巫女。同時に貴方は紅華。それを努々忘れないようにね」

 

それだけを告げて、紅華から離れて行った。

 

「……?」

 

意味がわからず、暫く紫のことを目で追っていた紅華だったが、紫が妖夢をからかい始めたあたりで意味が無いと思い、目を離した。

 

「私は紅華、か……」

 

そう、自分は紅華。

 

結びの巫女であると同時に、紅華という個人でもあるのだ。

 

紅華は立ち上がると廊下に出て、縁側に座る。

 

境内には陽炎が立ち込めており、まさに目に見える程の夏の暑さだ。

 

「夏だなぁ」

 

空を見上げると、群青の空が広がっている。

 

幻想郷の空は、屋敷で見ていた空とよく似ていた。

 

この空なら、結界の向こうにまで思いを届けてくれそうだ。

 

 

 

――貴方は、元気でいますか?

 

――私は、元気に過ごしています。

 

 

 

消えるのだと、そう思っていた。

 

だけど、消えた向こう側には先があったのだ。

 

消えた者達が集い、全てを受け入れる、そんな幻想のような場所が。

 

 

 

――あの時の約束を、覚えていてくれていますか。

 

 

 

別れもあれば、出会いもあった。

 

辛く悲しいこともあったけど、楽しく嬉しいこともあった。

 

だから実感する、やっぱり世界はいいものなのだと。

 

この身は結びの巫女であり幻想の身。

 

“水無瀬の地”より“荒倉の山”の方が近き者。

 

だから、紅華は“荒倉紅華”となった。

 

(だけど――)

 

もし、まだ縁があるのなら。

 

この縁が、未だあの人と繋がっているのなら。

 

きっと、また出会える日が来るだろう。

 

「だから、また縁があることを、いつかもう一度会えることを願っています――兄さん」

 

 

 

嘗て水無瀬紅華と呼ばれていた荒倉紅華の願いは、空の向こうに消えて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 




《オリジナルキャラ》
結代榊(ゆうしろさかき)

ようやく九校戦編が終わりました。
長かった……(遠い目)

東方茨歌仙は笑顔の描写が多いですね。
早苗さんもお酒に苦労しながらも楽しそうで何よりです。
そして幹比古も無事だったようで何よりです(笑)
道之のファインプレーです。
「襖の向こうから、神罰が貴方を狙っているかもしれない――」(謎)

呉智と達也、深雪、そして紅華。
絡み合う縁がどのような未来を描くのか、それはまた本編にて。

次回は幕間で“どシリアス”を二話入れてから、『幻想葉月(幻想郷の夏)編』に入りたいと思います。
また同時に本編の何箇所かを修正する予定です。
修正箇所は次話更新時に記載します。

ここまでお付き合い頂き、ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。

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