夜天に輝く二つの光Relight   作:栢人

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第十話 桜の季節

 

「――とりあえずは、こんなところかしらね」

「…………」

 

 アースラの一室。颯輔の対面の席に座っていたリンディが、踊らせていた指を止め、満足そうに頷いた。対する颯輔は、あたかもテーマパークのキャストの着ぐるみから中の人が出てくるのを目撃してしまった子供のように、残酷な現実を知ってしまって落ち込んだような顔をしていた。

 

「どうしたのよ、そんな顔をして」

「いえ、あの、本当にこんなのでいいのかなって思いまして……」

「何よ、今さら。それとも、正直に一から十まで報告してもいいのかしら? それで困るのは、あなた達の方でしょう?」

「それはまあ、そうなんですけど……」

 

 「はっきりしないわねぇ」と呆れた様子のリンディに、颯輔は重たい体から力を抜いて、現実から目を背けるようにして視界を閉ざした。

 一連の騒動を終えてから、数日が経っていた。

 ディアーチェ達を連れ戻した後、颯輔ははやて達に囲まれ、様々な約束事を一方的に取り決められた。一人だけで悩まないこと、自分だけを犠牲にしないこと、何かあればすぐに頼ることなど、数え上げればきりがない。そうするうちに、いつの間にか誰もが疲れて眠ってしまったようで、翌朝、目を覚ましてみれば、アースラの談話室で颯輔を囲むようにして一塊になっていた。

 翌日には、管理局の本局から技術部の人員が派遣され、アースラの補修が始まった。本来は、武装局員が山ほど乗り込んだ次元航行艦の大艦隊が送られてくる予定だったようだが、リンディが鶴の一声でそれらを追い返してしまったらしい。「必要な時にいないくせに、後から来て大きな顔をされてもねぇ」とのことだった。

 颯輔はといえば、アースラが航行できるようになるまでの間、誰との面会も禁じられ、ディアーチェ達と共に隔離された。そして、改めてリンディからの聴取を受け、つい先ほどまで、共に細部の事情を()()()()()に追われていたのである。不老不死の魔法やら無限の魔力やら、颯輔が何故今も生きているのかなど、表沙汰にはできないことが多々あったためだ。

 颯輔が知識に溢れ返った頭を使いこなせず悩ませたのに対し、リンディの手腕は、これは酷いの一言に尽きた。管理局の中将ともあろうものが、平気な顔をして巧妙な嘘をすらすらと並べ立てていくのである。ギル・グレアムといい、管理局の上層部はこうも真っ黒なのかと先行きが不安で仕方のない颯輔であった。

 リンディは、肝であった颯輔の存在の尽くを利用した。闇の書の主であった八神颯輔は、先の闇の書事件にて死亡。今いる颯輔は、八神颯輔の生体情報を模した『八神颯輔(王のマテリアル)』。記憶も人格も同じにみえるが、ただそれだけで、同一人物ではなく限りなく近い魔法生命体。蘇った云々ではなく、闇の書の残滓から生まれた別人ということにしてしまったのである。となれば残るは無限の魔力だが、そこは魔導炉を内包しているためただ単純に魔力量が途方もないだけ、ということにした。

 管理局にはロストロギアである紫天の書を解析することが不可能であるため、結局のところ、言った者勝ちである。それでも闇の書の主とは言われるだろうが、颯輔に問うことのできる罪は、実質は今回の一件のみとなるだろう。先の闇の書事件の分は、すでに八神颯輔(闇の書の主)が支払っているのだから。

 だが、颯輔はリンディの案を拒んだ。

 今の存在している颯輔の意識は、紛れもなく以前のままの八神颯輔である。颯輔は、八神颯輔のままでいたかった。例え罪が重くなろうとも、はやて達のために命を賭した自分を、辞めたくはなかった。これ以上、自分から逃げたくはなかったのである。

 颯輔は、ナハトヴァールと生体融合を果たした時点で魔法生命体となっている。闇の書の暴走体ならば、これまでどおりに転生したということにしてしまえばいい。そうすれば、不老不死の魔法も、無限の魔力も、闇の書というネームに隠れてくれるだろう。闇の書の根幹は颯輔達にあるのだから、真実味のある話だ。はやて達に預けてしまった罪も、いくらかは颯輔の元に返ってくるはずだった。

 リンディは、そう提案した颯輔を、生き辛い性格だと評した。

 

「あなたねぇ、仮にも次元世界に災厄を振り撒いた闇の書の主だったのでしょう? そして今は、紆余曲折あって紫天の王。大罪人でベルカの王様なら、もっとそれらしくしゃきっとしたらどうなの?」

「とは言われましても、俺、ちょっと前までは普通の高校生のつもりでしたし……」

「普通の高校生は世界を滅ぼす様な力を持っていたりしません。自前の魔力にしたって、いったいどれだけリミッターをかけたと思っているんですか」

「お手数おかけします……」

「それよそれ、その態度がダメなのよ。もっとふんぞりかえって堂々としてないと、すぐ悪い人につけこまれちゃうわよ?」

「いや、その態度もどうかと……」

「またそんなこと言って。言っておくけれど、はやてさんだってしゃんとしてたのよ? それを、あなたがそんなのでどうするんですか。それともあなた、えーと、何て言ったかしら……そうっ、内弁慶! で、合ってるわよね? とにかく、それだったの?」

 

 リンディの止まらぬ口頭責めに、颯輔はますます小さくなっていった。颯輔が管理局やリンディに多大な迷惑をかけたのは、動かざる事実。なんだかんだあっても正常な善悪観念を持ちあわせている颯輔からすれば、あれだけのことをやらかしておいて大きな顔をしたままなどということはあり得なかった。

 だが、どうもリンディはそんな颯輔の態度が気に入らないらしい。それも、数日顔を突き合わせていたためか、はたまた恨み辛みを発散しているだけなのか、遠慮というものが一切ない。颯輔が小さくなるのを見て、ますますヒートアップしていくのである。酷い悪循環がここに完成していた。

 リンディの言葉に曖昧に返事をしながらも、年上の女性に叱られるという状況に懐かしさを覚えていると、颯輔の胸の内でざわつくものがあった。

 

『兄上が下手に出ておれば、女狐風情がいい気になりおって……!』

『まったく酷い言われ様ですね。だいたいそのとおりであるのが余計に腹正しいです』

『ねえねえこの人やっちゃう? やっちゃうの?』

『やっちゃいましょう!』

 

 颯輔の内、リンカーコアを間借りしている状態のディアーチェ達だった。紫天の書の汚染の洗浄作業に追われているはずが、いつからか外界に対して聞き耳を立てていたようである。ディアーチェとレヴィとユーリなど、今にも躯体を具現化させんばかりだ。唯一冷静であるはずのシュテルが悪乗りしてさりげなく罵倒してくるあたり、颯輔の心労をさらに募らせた。

 

『やめなさい。ほらほら、みんな他にやることあるだろ?』

『ですが兄上っ!』

『もう飽きたぁ。そーすけー、ボクそろそろ暴れたいよぉー』

『二人共、あまり颯輔を困らせてはいけませんよ』

『あーっ、シュテルずるいです! 颯輔、わたしもいま止めようと思ってたんですよ? ほんとですよ?』

「ちょっと、ちゃんと聴いているの?」

「も、もちろんです」

 

 内外からステレオで響く声に、颯輔は頭を抱えたくなった。いっそのこと全てを捨てて窓から飛び出してしまおうかとも思ったが、そう思考した途端に、『それじゃあわたしの出番ですね!』と心を読んだユーリが弾んだ声をあげる始末である。『ユーリ、抜け駆けは許さぬぞ!』やら、『私もお供しましょう』やら、『じゃあ皆で競争しようよ!』やらと声が姦しく続く。颯輔は、多重人格がどうとかそんな生半可なものでは断じてなく、もっと深刻な何かを味わっていた。

 ディアーチェ達がなぜこのような状態にあるのかといえば、それは、彼女達の性質が原因だった。ディアーチェ達紫天の書のマテリアルは、その本来の運用法の特性上、それぞれが融合騎(ユニゾンデバイス)に近い性質を有している。故に、デバイスでいう待機状態となる場合、本人達の希望もあり、颯輔のリンカーコアへと潜り込んでしまったのである。居心地の方は、かなり快適らしい。

 そして、颯輔と共に在ることを選んだディアーチェ達だったが、その躯体は、病とでもいうべき問題を抱えていた。紫天の書の汚染である。これがあるうちは、ディアーチェ達の思考は危うい方向に偏りがちで、これからの生活では不便をする。そのため、完全な除去は難しくとも、少しでもと汚染の洗浄に取り組んでいたのだ。洗浄が終わった後、颯輔の精神リンクを介して夜天の書とのパス繋げば、システム面は創造当時のものに回復する見込みだった。

 さらに、颯輔個人にとっての問題がもう一つ。ディアーチェ達との精神リンクが強く、そして、融合(ユニゾン)状態に近い所為か、この状態では互いの思考が筒抜けなのである。どれほど密接な関係にあっても、やはり秘密の一つや二つは持ち合わせているもの。ディアーチェ達からは反対の声が大きくあがるだろうが、いずれはどうにかして心のプライバシーを確保したかった。

 

『とにかくごめん。今はハラオウン提督と大事なお話をしてるから、また後でな』

 

 手が空いてさえいれば、颯輔にもディアーチェ達を手伝うことはできる。だが、未だに並列思考でさえ覚束ない颯輔だ。せめてディアーチェ達の話し相手くらいは勤めたかったが、そう甘やかしてばかりもいられない。あがる非難の声に後ろ髪を引かれつつも、颯輔はリンディとの話に集中することにした。

 

「またあの子達? あなたも大変ねぇ」

「いえ、そんなことありませんよ」

 

 目尻を下げたリンディに、颯輔は頬を掻きつつ答えた。だが、リンディはほどなくして穏やかな表情を戻し、静かに颯輔を見やった。

 

「……いい、颯輔君、よく聴いて。確かに、あなた達は誰よりも強いかもしれない。だけど、ただ強いだけでは守れないものもあるの。それは、分かるかしら?」

「……ええ」

 

 無限の魔力。古今東西の魔法。鍛え上げられた戦技。それらを十全に発揮できるのならば、おそらく、颯輔達に敵う存在などありはしない。

 しかし、リンディが言っているのは、直接的な戦力の話ではない。その程度のことは、颯輔にも理解できていた。

 

「戦闘になれば、あなた達は誰にも負けないでしょう。でもね、相手があなた達と同じ戦場に立ってくれるとは限らない。戦闘が始まる前に、あなた達の弱い所を狙って勝負を決めてしまうはずよ。少なくとも、私ならそうするわ」

「立場、ですか」

「そう。闇の書の主だったという事実。闇の書事件の加害者側だったという事実。それは、確実にあなた達の立場を悪くするわ。あなた達が元のような生活を望むのなら、尚更ね。そして、それはきっと、この先ずっと付き纏う問題よ」

「…………」

 

 知らず、颯輔は膝の上で拳を握りしめた。

 颯輔は、自分達の身柄を管理局に預けることにしている。次元世界に手を広げている管理局は、慢性的な人員不足に悩まされているのだ。それこそ、本人に更生の意思があるのならば、犯罪者ですら局員として迎え入れるほどに。そこで社会的信頼を得ることができれば、人並みの生活を取り戻すことも不可能ではなかった。

 だが、闇の書を知る者ならば、颯輔達に真っ当な生活を許しなどはしないだろう。現に、はやて達は少なからず冷遇を受けていると聞いている。当然だ。守護騎士であるシグナム達や暴走体であったリインフォースは、闇の書の象徴とも言える存在なのだから。

 しかし、颯輔には闇の書の主という肩書がある。消滅したと思われていた闇の書の主が生存していたと世間に知れれば、その目はおのずと颯輔へと向くだろう。それを利用すれば、はやて達の風当たりもいくらか納まるはずだった。

 罪を背負い、分け合い、雪ぎ、そしていつの日か。

 しかしその過程には、これまでほど強大ではないにしろ、時間のかかる障害があって。

 

「……表立ってではないし、大したこともできないでしょうけど、それでも可能な限り、私も力を貸しはしましょう」

「いいんですか……?」

「でも、勘違いはしないで。私だって、善意だけでそうするわけじゃあないのよ。私には私の目的があって、あなた達に恩を売っておけば、後々大きくなって返って来るだろうって、そう思ったからよ。……それに私、あなた達のこと、あんまり好きじゃあないもの」

 

 最後には視線を机に落としてしまったリンディだが、その言葉に大きな嘘はないだろう。これまでのことを考えれば、リンディ・ハラオウンという人間が、闇の書に対して好感情を抱くはずがない。どころか、そんな人間の方が稀有というものだ。

 それでも、それをはっきりと伝えてくるあたり、不器用ながらも『いい人』だと、颯輔は思った。

 

「もちろん、俺達でよければ、できるだけ力になりますよ。……でも、結構はっきり言っちゃうんですね」

「ええ。だって、あまり頼りにされても困るもの。私はきっと、あなた達を最優先にはできないから。他に何かあれば、きっとそちらを選んでしまうわ。私にだって、あなたと同じように大切なものがあるのよ。……部隊の保有制限もあるけれど、そういう自分が嫌で、はやてさん達は受け入れなかったの。ああ、でも安心して。はやてさん達の上長、私とは違って完全に実力主義の人だから。そのぶん人使いは荒いんだけど、たぶん、アー()スラ()よりも居心地はいいはずよ」

「えーと、レティ・ロウラン提督でしたか?」

「そう。一応、私の親友というか、腐れ縁というか、とにかく、局内では信頼できる人間よ。今日明日ではないけれど、あなたもそのうち会う機会はあるでしょうね。今期からまた海に出てくるけど、それまでは運用部にいたから、懇意にしておいた方がいいわ。敵に回すと怖いけど、うまくすれば、あなた達にはない力になってくれると思うの。ああそうそう、それから、当然グレアム元帥もね」

「……グレアム元帥、ですか」

 

 呟き、颯輔は最後に見たグレアムの顔を思い出した。

 ギル・グレアム。颯輔にとっては、自分達の生活を支えてくれていた保護者であり、自分達を闇の書もろとも消し去ろうとしていた仇敵であり、そして、今現在のはやて達を守ってもらっている恩人である。颯輔との約束通り、闇の書事件を解決した手柄を使い元帥の地位に就き、手に入れた力を貸してくれているらしいことは、聞き及んでいた。

 

「あの人は、信じられない?」

「……正直、難しいですね。結局、俺は裏切られたところまでしか知らないわけですし……。もう一度会ってみないことには、なんとも言えません」

「……私も動きを探ってみたりはしていたけれど、はやてさん達に関しては、真摯に向き合っていたと思うわよ」

「はい、そう聴いています。はやて達にしたって、あからさまに拒絶しているってわけではなかったようですし。俺も、おじさんの力は必要だって、分かってはいるんですけどね……」

「どこまで話したらいいものか?」

「はい……。やっぱり誰にも話さない方がよかったって、そう思ってるくらいですから」

「あら、信用ないわね」

「そういう問題じゃあないです。ハラオウン提督に話す気がなくても、実際に言葉になんてしなくたって、欲しい情報を引き出す術は、いくらでもあるんですから」

 

 颯輔は、おどけて肩をすくめて見せたリンディの目を真っ直ぐに覗き込んだ。

 颯輔とて、伊達に闇の書の記憶を覗き見たわけではない。そこには、口に出すことも憚れるような、思い出すことにさえ忌避を覚えるような、血生臭い情報収集の方法があった。それに、相手に経験がなければ、颯輔達は蒐集をするだけで記憶そのものを引き出すことができる。そうした方法さえあるのだ。意思力の問題ではない。知っているかいないか、ただそれだけが、情報を求める者にとっての分水嶺。それに、例え紫天の書が持つ力が知られずとも、闇の書は暗いモノを惹きつけてしまう。

 リンディの顔色が白味を増していく。颯輔が一度視線を切ると、リンディは、思い出したかのように止まっていた呼吸を再開させた。

 

「……っ、あなた、そういうこともできるんじゃない」

「えっと、まあ。一応、これでも王様ですから」

「……人畜無害そうな顔して、とんだ猫かぶりね」

「ちょっ、人聞きの悪いこと言わないでくださいよ。とにかく、ハラオウン提督も気を付けて下さいって言いたかったんです。……何かあったら、俺かシグナム達にすぐ念話を飛ばしてくださいよ?」

「あら、私のことも守ってくれるのかしら?」

「もちろんです。大事な後ろ盾ですからね」

 

 小首を傾げて見せたリンディに、颯輔はにっこりと笑って返してやった。これから先、腹芸のひとつやふたつはできなければ話にならない。予想外の反応だったのか、リンディは詰まらなそうに顔をしかめた。

 

「シグナムさん達はともかく、あなた、よくて隔離施設入りじゃない」

「後先考えなければ、たぶん、どこにいたってどうとでもできます。リミッターだって、今なら破ろうと思えばいつでも破れますし、あってないようなものですよ」

「言うわね……。でも、そこまでされたって、私は懐柔なんてされないわよ?」

「真面目に言ってるんですから茶化さないでくださいよ。ハラオウン提督に何かあったら、お子さん達に合わせる顔がありません」

「ふうん……。そのときは、頼りにさせてもらうわ。でもあなた、分かってはいるでしょうけど、管理局に頼り切りじゃあダメよ? あんまりいいたくないけれど、管理局だって、清廉潔白とは言い難いんだから。はやてさん達が聖王教会の騎士団にも所属してるって、聴いているでしょう?」

「俺としては、聖王教会の方が怖いんですけどね……」

 

 戦乱期にあったベルカを統一した国家――聖王家を信仰する宗教団体、その名を聖王教会という。関連するロストロギアを封印保管していることもあって、ベルカに関することならば管理局よりも聖王教会の方が明るい。リインフォースの延命のために繋がりを持ったようだが、颯輔はそれが不安でならなかった。

 ベルカの世界を荒らしまわってきた闇の書は、聖王家とは特に因縁が深い。聖王家のベルカ統一を語るのに、闇の書は切っても切り離せないのだ。そして何より、闇の書は聖王家を滅亡に追い込んでいる。信者から恨まれるのは、自明の理であった。

 結局は、聖王教会にリインフォースの問題を解決することはできなかったわけだが、それでも技術や歴史の補完などの小さな対価は求められているらしい。しかし、もう問題は解決したのだからと言って、関係を切ることもできない。時空管理局と聖王教会、二つの組織に所属する大きなデメリットを飲み込んででも、得られるメリットには価値がある。それは、颯輔も理解できていた。

 

「それに、なんだかスパイみたいじゃあないですか」

「板挟みだからこそ、どちらも容易には手出しできない。そうでしょう? ……まあ、実質は管理局が独占してるようなものだけれど」

「来る者拒まず去る者追わずってスタンスらしいですからね。それに、騎士団と言っても要人警護や危険なロストロギアの回収が主だそうですし。はやて達にしたって、無茶苦茶な要求はされていないって聴きました」

「衰退したベルカの知識や技術の復興――いえ、維持や継承の方が適切かしら。とにかく、そういう保管庫的な意味合いの方が強くて、博物館なんて言われてるくらいよ。熱心な信者もいるかもしれないけれど、ベルカ史の塊を相手に滅多なことなんてできないわよ。逆に、闇の書事件が終わる度に、わざわざ本局まで偉い方が抗議に来るくらいだもの」

「でも、だからといっておいそれと信頼なんてできませんよ」

「……あなた、やっぱりちゃんと考えるタイプよね。考えたうえで間違えるし、肝心なところは出たとこ勝負なんだから、余計に性質が悪いわ」

「……やるだけやってダメだったら、そうするしかないじゃないですか」

「それで結果は出してきたんだものね。リインフォースさん達の苦労が目に浮かぶわ。……私、やっぱりあなたみたいな人、大嫌いよ」

「ものすごくはっきり言いましたね……」

「当たり前じゃない。私達が、いったいどれだけあなた達に振り回されたことか、分かってるの?」

「それについては、すみませんでしたとしか……」

「私だってもう昔みたいに若くはないんだから、勘弁してほしいわよ」

 

 ノリノリで毒舌を飛ばして来たかと思いきや、頬杖を突き、途端にやる気をなくしてしまったリンディである。その毒舌といい、なんだか聴いていたイメージと大分違うな、と思いつつ、颯輔は話を続けることにした。これから世話になるであろう相手だ。懇意にしておいて損はない。

 

「これからは、なるべくご迷惑はおかけしないよう努力しますよ。でも、ハラオウン提督、まだまだお若いじゃあないですか」

「それは、そう見えるようにいろいろと頑張ってますからね。でも、お肌に限らずあちこちボロボロよ。魔力だって、ようやく回復してきたくらいだし。……なのはさんにフェイトにあなた達。こうも立て続けに若くて優秀な人材が見つかると、隠居も考えたくなるわよ」

「いやでも、なのはちゃんだってフェイトちゃんだってまだまだ子供じゃあないですか。あの子達も、ハラオウン提督のような方がそばにいた方が安心ですって」

「……決めた。私、孫ができたら船を降りるわ。その頃なら、なのはさんもフェイトも今のクロノくらいにはなってるでしょう。ていうか、どう見ても実力的にはもう超えてるでしょうし」

「あなたにまで言われたら、ハラオウン執務官が不憫過ぎますよ……。それで、具体的に言うってことは、当てがあるんですか?」

「あら、あなたほどじゃあないけれど、クロノの周り、結構女の子多いのよ? やっぱり第一候補は不動のエイミィのようね。以前からよく一緒にいたのだけど、ちゃんとくっつき始めたの、実はあなた達のおかげだったりするのよ。多分、そろそろもう一歩進展があるはずだわ」

「お言葉ですが、そういうの、邪推ってやつじゃあ……」

「いいじゃない。女はね、いくつになったってこういう話が大好物なのよ。それに、クロノはお堅いから余計にね。……それで、あなたはどうなのよ?」

「……何もありませんよ」

「間が空いたわね」

「察してくださいってば。はやてがいたし、シグナム達もいたんですから、そんな暇なかったんですよ」

「でも、好きな人くらいはいたんじゃない? ……あっ、もしかして……うん、まあ、王様だものね、そういうのもアリよね」

「勝手に何を想像したか知りませんが、シグナム達とはそういうのじゃないですから」

「ふふん、私はシグナムさん達がどうとかなんて一言も言っていないわよ? それとも名前が出るってことは、やっぱり意識はしてたのかしら?」

「し、してませんっ」

「どもったわね。じゃあ、誰が一番好みなの? シグナムさん、シャマルさん、リインフォースさん。三人共タイプは違うけれど、ちょっとそこらを捜した程度じゃ見つけられないくらいじゃない」

「……黙秘権を行使します」

「……まさか、ヴィータさん?」

「あの、そろそろ怒りますよ?」

「やあねぇ、ただの人物調査じゃないの」

「…………はぁ」

 

 うふふと含み笑いをするリンディに、颯輔は何も言い返すことができず、大きく肩を落とした。舌戦も腹芸も、まだまだ素人に毛が生えた程度である。『我が言い負かしてみせましょう!』やら、『私と練習ですね』やら、『もう斬っちゃおうよ』やら、『颯輔が好きなのは――はぅ……』と、颯輔の内側で声が響いた。

 しかし、颯輔は肩を落としつつも、苦笑を漏らしていた。

 交渉術云々はこれから鍛えていくとしても、こうしたリンディのような存在は必要と思えた。若くして時空管理局の中将にまで登り詰め、次元航行艦の艦隊を動かすほどの発言力まで備えている。そして何より、はやてを助けようとしてくれたのだ。頼りがちになる気まではないとはいえ、後のことを考えれば、信頼できる権力者の味方はやはり心強かった。

 無論、権力という点から考えれば、元帥であるグレアムの方が望ましい。だが、まだその真意を確かめられてはいないのだ。はやて達の話を信じないわけではないが、こればかりは、颯輔自身が直接確かめなければ判断できなかった。

 

「あら、悪い顔をしてるわね」

「そんな顔してませんよ。……それより、いいんですか? そろそろ時間だと思いますけど」

 

 リンディからの聴取が始まってから、三時間あまりが経過している。颯輔は空腹を感じるような体ではなくなってしまったが、時間感覚は以前にも増して正確になっていた。

 今日は、アリサやすずかの計らいで、花見が開催される日だ。面会は禁じられているが、精神リンクまでは規制されていない――というよりもできない――颯輔である。はやて達から話は聞いており、もうそんな季節か、と思うと同時、そういうことができるようになったはやてに対し、多くの喜びと一抹の寂しさを覚えていた。

 颯輔が促すと、リンディは顎に人差し指を当て、誰かと念話を交わしているようであった。

 

「んー……そうね。向こうは、もう準備ができているみたいよ。一段落したし、今日のところはこのあたりにしておきましょうか」

「はい。それじゃあ、楽しんできてくださいね。俺達はちゃんと大人しくしてますから、できれば、はやて達によろしくとお伝えください。それから、フェイトちゃん達にも」

「何言ってるのよ。そのくらい、自分で伝えなさいな」

「えっと、伝えられないからお願いしたんですが……」

「だから、あなたも行くのよ」

「ですから…………はい?」

 

 颯輔は、耳を疑った。聞き間違いでなければ、リンディは颯輔の外出を認めたのである。今日まで、基本的には拘留室と聴取室の往復しかなかった。当然だ。颯輔は、一連の事件の重要参考人であり、首謀者と言っても間違いではないのだから。

 しかし、席を立ったリンディは、颯輔を見たまま、颯輔が立ち上がるのを待っていた。颯輔が呆けた顔を晒したのに対し、リンディは、理解に苦しむといった風だった。

 

「あのねぇ、どうして私が本局の武装隊を追い返したと思ってるのよ。メンテナンススタッフだって、信用できる子で最低限の人数にまで絞ってるんだから」

「いや、だって、俺は……」

「世間の評価はどうであれ、闇の書事件を解決したのはあなたよ。なら、それ相応の報酬がなければ、不公平でしょう? どうせこれからいくらでも苦労するのだから、今日くらいは羽目を外してしまいなさいよ」

「……正気ですか。そんなの、ハラオウン提督の立場が危うくなるだけです」

「ほんと、面倒臭いくらいに律儀ね。でも、だからよ。あなたみたいな人は、恩を仇で返したりはしないもの。先に利をあげるのだから、せいぜい、頑張って返しに来なさいな」

「……受け取れません」

「……艦長命令です。八神颯輔、ついて来なさい」

「えっ、ちょっ、待っ――」

 

 颯輔が拒み続けると、リンディは目を据わらせた。ぽうと翡翠色の魔力の光り、颯輔に手錠がかかる。手錠から伸びた鎖は、リンディの手に握られていた。

 慌てた颯輔を、リンディは鎖をぐいと引っ張って立ち上がらせた。リンディは微塵も力を緩めず、ドアを開いて廊下へと出る。颯輔が踏ん張ろうとすると、まるで、言うことを聞かない犬を躾けるが如く、強引に鎖を引いて颯輔を歩かせた。

 レヴィが暴れ回ったのは別の区画らしく、廊下は整えられていた。動力を節減しているのか、照明は一つ飛ばしで灯っているのだが、照度は十分に保たれている。幸いというべきか、目的の部屋に辿り着くまで、誰かとすれ違うことはなかった。

 颯輔の抗議の一切合財を黙殺したリンディは、一際大きなドアを開けた。ドアが左右にスライドし、室内の様相が明らかとなる。そこは、アースラの脳とでも言うべき管制ブリッジであった。

 ブリッジでは、数名の乗組員がそれぞれの席で端末を操作しながら、談笑を交わしていた。仕事に追われているといった雰囲気はなく、余裕が窺える。だが、入室してきたのがリンディと颯輔の二人であると知ると、その空気は時間が止まってしまったかのように凍りついた。

 

「……あの、どうも。その節は、ご迷惑をおかけしました」

「転移ゲート、借りるわね。私、午後は予定通りに半休を使うから、ランディ、アレックス、後はお願いするわ」

 

 とりあえず、と颯輔は頭を下げておいた。しかし、そんなものはなかったとばかりに颯輔の存在を無視し、リンディは要件を伝えるだけ伝えてすたすたと歩を進める。もうどうにでもなれとされるがままに付いて行くと、時間が動き出したのか、背後からクスクスと忍び笑いが聞こえた。

 リンディは、ブリッジに敷設された転移ゲートの前で足を止めた。リンディが手早く端末を操作すると、ゲートに転移魔法陣が描かれ、淡い光を漏らし始める。翡翠色の魔力が解け、颯輔の手が自由になった。それでも逡巡する颯輔の背を、リンディが叩くようにして押した。

 

「ほら、行くわよ」

「……わかりましたよ」

 

 促され、颯輔はリンディと共に足を踏み出した。颯輔達が転移ゲートに乗ると、輝きが広がって視界を覆い尽くす。体が目には見えない力に引かれ、浮遊感が生まれた。

 数秒の浮遊感の後に、足が地面を掴んだ。若草の感触がある、柔らかい地面である。久しぶりの感覚。だが、颯輔の意識を捕えて離さなかったのは、見渡す限りの桜色だった。

 緑の大地に太く根を張り、力強くそびえる桜の木々。競うように天へと腕を伸ばし、色づいた花を思うがままに開き、春を告げている。柔らかな風に揺れる葉音や、小鳥のさえずりが心地いい。胸いっぱいに吸い込んだ空気は清く澄んでいて、微かな甘い香りが鼻腔をくすぐった。

 

「どう?」

「月並みですけど、すごく綺麗ですよ。ありがとうございます、ハラオウン提督。……でも、ついこの間までクリスマスムードだったのに、もうすっかり春なんですね。なんだか、玉手箱を開けた浦島太郎みたいな気分ですよ」

「この国の童話だったかしら?」

「はい。亀を助けた浦島太郎は、海の中にある城に招かれて、そこで楽しく過ごすんです。それで、いざ地上に帰ってみたら、いつの間にか何年も時間が経っていたっていうお話です。まあ、俺の場合は三ヶ月ですし、楽しく過ごしてたってわけでもないんですけどね」

「それでも、あなたは戻ってきた。さあ、会場は向こうよ。念のために結界を張ってあるから、安心なさい。一般の方もいるにはいるけれど、なのはさんのお家の方とか、そのお友達のお家の方とか、大まかな事情は知っている人ばかりだから。……あら?」

 

 感慨深く景色を目に収めていた颯輔は、リンディの声に気を引かれ、そちらを見やった。

 そよ風で遊ぶ桜の花びら。並ぶ木々の奥からは、喧騒の音が小さく聞こえる。その間をゆっくりと、しかし確かな足取りで、真っ直ぐに颯輔達へと近づいて来る人影があった。

 人並み以上に整った容姿。レンズの奥に覗く目は、柔らかなものだ。大きなリボンで留めたおさげが、歩を進める毎に左右に揺れている。颯輔は、目を見開いた。

 

「こんにちは、リンディさん」

「あら、美由希さんじゃない。……どうしたの、こんなところまで来て」

「エイミィが、教えてくれたんです。きっとびっくりするからって」

「ふうん……。それじゃあ、私はちょっとエイミィとお話したくなったから、悪いのだけれど、そこの人、お願いできるかしら?」

「はい」

 

 現れたかつての友人である高町美由希の存在に、颯輔は言葉を出せずにいた。その横で、とんとん拍子に話が進んでいく。『また貸しがひとつね』と念話を送ってきたリンディは、振り返りもせずに喧騒の方へと立ち去ってしまった。

 一人残された颯輔は、美由希の視線にさらされた。美由希は、颯輔を上から下まで細部をチェックするように見回している。まだ家に颯輔の衣類を残していたらしく、人前に出られる身なりをしてはいるが、何とも言えない居心地の悪さがあった。

 やがて、美由希は納得したようにひとつ頷き、朗らかに笑った。

 

「うん、やっぱり幽霊じゃない。どこからどう見ても、八神君だね。やっほ、久しぶり」

「あー、えっと、お久しぶり、です」

「ふふっ、何で敬語?」

「いや、なんとなく。……うん、久しぶり、高町」

 

 颯輔の曖昧だった笑みが、自然なものになった。

 美由希は、春らしい色合いのゆったりとしたパーカチュニックにレギンスパンツという出で立ちである。制服姿とは違い、年相応の女の子然とした中にも大人っぽさを感じさせた。初めて見る私服姿に緊張を高めた颯輔だったが、胸の内で何人かが膨れたのを感じ取り、慌てて鼓動を落ち着けた。

 

「なんか、いろいろ大変だったみたいだね」

「……んんっ。高町は、どこまで知ってるの?」

「八神君がはやてちゃん達を助けるためにいなくなって、最近ひょっこり帰ってきたってくらいかな」

「ざっくりだなぁ。それ、誰から聞いたのさ?」

「なのはとエイミィ。……そんなこと訊いてどうするの?」

「俺は悪い魔法使いだから、口封じとかかな?」

「あははっ、なにそれ、全然似合わないよ」

「事実は小説よりも奇なり、ってね。まあ、口封じは冗談としても、悪い魔法使いは本当だってば。こう見えて、世界を滅ぼす極悪非道なやつなんだ」

「でも、本当は家族想いの優しい人なんでしょう? 私が知ってる八神君は、そういう人だよ」

「なんか、改めて言われると恥ずかしいな……」

 

 小首を傾げて下から覗き込んでくる美由希に、颯輔は一歩下がって視線を外した。

 こうして話してしまうと、颯輔の内には様々な感情が渦巻き出した。この世界では死んだことになっている颯輔は、もう海鳴市に戻ることも、美由希と普通の会話をすることもできなくなってしまうだろう。学校に通うことも、我が家で過ごすことも、きっともうない。まさしく、幽霊のような存在になってしまったのだから。

 桜を見ているふりをしていると、美由希は颯輔の隣に並び立った。どちらも口を開くことはなく、並んで風情を楽しむ。しばらくして穏やかな沈黙を破ったのは、美由希の方だった。

 

「あのね、八神君。私ね……」

「……高町、そろそろみんなと合流しよう」

 

 言葉を詰まらせた美由希に対し、颯輔は木々の向こうを指差した。

 

「もうお昼時だし、俺、お腹空いちゃった。はやて達も待ってるだろうしさ、ね」

「……うん、そうだね。実は、私もまだ何にも食べてないんだ。はやてちゃん達、おいしそうなのいっぱい持ってきてたから、楽しみだね」

「そういえば、高町は料理上手くなった?」

「あっ、酷い! 私だって、いつまでも下手のままなわけじゃないんだからね? お母さんだって、上手になったって褒めてくれたし。……まあ、はやてちゃんのおすそわけ見たら、その自信もなくしちゃったんだけど。なにあれ、どんな風に教えてあげたの?」

「その秘術を知りたくば、それ相応の代償を支払ってもらおうぞ」

「……え、八神君って、ファンタジー系好きなんだっけ?」

「ちょっと、いきなり素に戻んないで」

 

 どちらともなく歩み出し、木々の間を談笑を交わしながら潜り抜ける。そこに、卑屈の色はなかった。

 颯輔は、これでいいと思った。美由希が何を言おうとしたのか、それは知るべきではない。文字通り、住む世界が変わってしまうのだ。そうなれば、このような関係に戻ることもないだろう。得難い友人がいたという記憶さえあれば、颯輔はただそれだけで十分だった。

 ゆっくりとでも、歩み続ければそれだけ進んでしまうものだ。美由希と二人だけの時間は、すぐに終わりを告げた。無論、ディアーチェ達もいるにはいるのだが、四人は颯輔のリンカーコアの中である。なのはの両親などがいる以上、姿を現し惑わすわけにもいかない。ディアーチェ達も作業に集中すると言っており、表に出てくる気はないようであった。

 木々を抜けた先は、海鳴市を一望できる高台の広場だった。颯輔達が花火を観た、見晴らしの丘である。その端、桜の木々の下に、大きなブルーシートが敷かれ、多くの人が重箱などを囲んで座っていた。

 いくつかのグループに分かれて座る人達。そのうち、子供達は見知った顔だった。なのはにフェイト、すずかにアリサである。流石にその家族全員まで顔見知りとはいかなかったが、なのはの両親やクロノにエイミィ、月村家のメイドであるノエルなど、中には知った顔もあった。

 

「お兄っ!」

 

 喧騒に負けない声があった。誰もが座っている中から、小さな頭が顔を出す。立ち上がった少女――八神はやては、人の間を縫うようにして駆け出していた。

 迷いのない、確かな足取り。子供のように走るそれは、夢にまで見た光景だった。八神颯輔が命を賭して手に入れたもの。はやての未来である。

 飛び込んできたはやてを、颯輔は屈んで受け止めた。

 

「もうっ、お兄遅い!」

「ごめんごめん。なにせ、今さっきハラオウン提督に聞かされたんだ。ちょっとくらい、多目に見て欲しいかな」

「なら、許してもええよ。その代わり、抱っこして?」

「なんだそれ、随分と甘えん坊じゃないか」

「私、まだ子供やもーん。それに、走ったら疲れてもうたんよ」

「はいはい」

 

 首元にかじりついて身をすり寄せ、幼子にように甘えてくるはやてに、颯輔は苦笑を漏らしながら頷いた。はやての背を優しく叩き、後頭部をくしゃくしゃと撫でる。はやては、くすぐったそうに身をよじって声を漏らした。

 颯輔がはやてを抱き上げようとすると、突然、影が差した。見上げてみれば、酷く怒気を孕んだ顔がある。颯輔達のそばに寄って見下ろしていたのは、はやての担当医である石田幸恵だった。

 

「はやてちゃん、離れなさい」

「え、あの、ちょう、石田先生……?」

「いいから、ちょっと、退きなさい。颯輔君に、お話があります」

「は、はいっ」

 

 有無を言わせない冷たい声に、はやてが脅えて颯輔の後ろに回った。立ち上がった颯輔の上着を摘まみながら、様子を窺うようにしてちらちらと顔を覗かせている。隣にいたはずの美由希の姿は、いつの間にかブルーシートの上にあった。颯輔と目があった美由希は、そっと視線を料理に落とした。リインフォース達の姿も見つけたが、全員に無理ですと首を横に振られてしまった。

 石田は、鋭い目つきで颯輔の目を見ていた。身長で言えば、断然颯輔の方が大きいはずなのだが、颯輔が委縮しているせいもあってか、俄然大きな存在に見えてしまう。さてどうしたものかと颯輔が頭を悩ませていると、石田の右手が閃いた。

 渇いた音が鳴った。

 張られた左頬が、じんじんと痛んだ。

 石田は見る見るうちに目の端へ雫を溜めると、どんと颯輔の胸に頭をぶつけ、握り拳を振り下ろした。

 

「あなたはいったいどれだけ心配かければ気が済むのよっ!」

「……ごめんなさい」

「どうせ私は頼りないわよ! はやてちゃんの病気も治せなかったわよ! でも! 一言くらい相談してくれてもよかったじゃないのよぉ!」

「あの、石田先生――」

「うっさい! この馬鹿息子っ! 不良息子っ! ちょっとは私の気持ち考えなさいこのばかぁっ!」

 

 石田は周りの目など気にした風もなく、火がついたように喚き散らしながら、何度も何度も颯輔の胸を叩いた。どうしたものかと颯輔は石田の肩を押さえるも、乱暴に振り払われる始末。しばらく宙を彷徨った颯輔の手は、最終的には石田の背に落ち着き、家族にするようにしてとんとんと叩いてあやした。

 初めての様相を見せた石田からは、甘い香水の香りに混じり、強いアルコールの臭いがした。見れば、石田が座っていたであろうリインフォース達のそばには、すでに空になったらしい酒瓶が転がっていた。石田を家に招いて食事をすることもあったが、そのときは、酒には手をつけなかったはずである。普段がどうかまでは分からないが、どうにも飲まなければやっていられなかったらしい。周囲から生温かい視線を注がれながら、颯輔は石田が落ち着くのを待った。

 『あなた、何人女を泣かせれば気が済むのよ』などと茶化してくるリンディに鋭い視線を向けていると、颯輔の腕の中で、石田がもぞもぞと動いた。

 

「……きもちわるい。吐きそう」

「石田先生っ!? ちょっとっ、シャマルっ、ビニール袋持ってきてっ!」

「おっきい声出さないで、頭いたいのよぉ」

「もう、何やってるんですかあなたは……」

「全部颯輔君が悪いんじゃない……うぅっ」

 

 颯輔は石田の肩を抱えてブルーシートに座らせると、慌てて駆けて来たシャマルからビニール袋を受け取った。それを石田へと渡し、シャマル共々うずくまる石田の背を擦る。顔色を真っ青にした石田は、それでも颯輔への説教をやめようとはしなかった。

 颯輔は、言葉を聴きながらも看病を続け、苦笑を漏らした。快晴の空に浮かぶ、柔らかな日差しがそれを見守っている。颯輔が望んだ日常が、確かにそこにあった。

 

 

 

 

 せっかく家族の輪にまで来たはずの颯輔は、石田の調子がよくなるまで、寛ごうとはしなかった。そして、石田が落ち着いてきたかと思いきや、はやて達が腕によりをかけて作った料理には手も付けずに、席を立ってしまったのである。どうしたのかとはやてが訊くと、颯輔は、先にどうしてもやらなくてはならないことがあると答えて、なのはの家族の下を訪ねた。

 柔らかな表情を沈痛なものへと変えた颯輔は、なのはの両親の前で正座をし、深く頭を下げた。先の事件、今回の事件と二度もなのはを危険な目に遭わせたことを、誠心誠意謝罪した。後ろを付いて行っていたはやてとヴィータも、慌てて頭を下げた。はやて達に関して言えば、ビデオメッセージを通したり、今日この場に集まったときにも謝罪はしていたのだが、それとこれとは別だった。颯輔一人が頭を下げて、後ろに突っ立っているなど在り得ない。

 なのはの父である士郎は、始め、厳しい言葉を颯輔に投げた。家族を大切に思うのは、誰もが同じであること。はやてが傷つけられたとき、自分はそれを許せるのかと。颯輔は、もう一度ただ謝罪の言葉を繰り返した。

 士郎は、少しの間沈黙して、許すと言った。はやても顔をあげると、士郎ははやて達の後ろを見ながら、肩を竦めた。その視線を追うと、なのはとフェイト、すずかにアリサの四人が、事の成り行きを見守っていた。

 颯輔は、これからのことを掻い摘んで士郎達に話すと、高町家を後にした。次に向かったのは、すずかの家族の下である。はやて達だけでなく、なのは達も後ろを付いて回った。すずかは自分の家族の下であるし、なのは達は、なら私達も、といった具合であった。

 月村家を回り、その後にバニングス家にも挨拶を済ませ、すずかとアリサとも別れた颯輔は、最後にリンディの下を訪ねた。ハラオウン家が集まるそこでは、エイミィが引きつった顔でリンディへと酌をしており、それをクロノとアルフが距離を置いて見守っていた。

 エイミィへと絡み酒をしていたリンディは、颯輔の姿が見えるとあからさまに眉をしかめた。だが、その後ろになのはやフェイトがいると知ると、途端に普段の笑顔に戻る。二人に微笑を向けると、リンディは目だけでとある方向を示した。

 颯輔に釣られてはやてにヴィータも見てみれば、リインフォース達が箸を止めてこちらの様子を窺っていた。どうやら、颯輔やはやて達が離れてからずっとそうしていたらしい。はやて達と目が合うと、リインフォース達は曖昧に笑った。

 リンディの意図を理解したはやてとヴィータは、なのはとフェイトへと一度別れを告げると、二人で颯輔の手を引いた。颯輔は少しだけ抵抗を見せたが、リンディに話す気がないとみると、会釈をしてからされるがままに歩き出した。

 はやて達が戻ると、リインフォース達が席を空けた。そこへと颯輔を置き、両隣をはやてとヴィータで陣取る。はやてがシグナムから紙コップを受け取り颯輔へと渡すと、ヴィータがリインフォースからペットボトルを受け取りお茶を注いだ。シャマルはといえば、狼形態のザフィーラへともたれかかる石田へ、酔いを醒まそうと水を飲ませていた。

 

「ふぅ、やっと落ち着いたぜ」

「お兄、ちょう忙しなかったで? あちらさんもお食事中なんやから」

「そうは言っても、何もなしってわけにはいかないだろ。タイミングだって、今日逃したらだいぶ先になるだろうしさ」

「はやて、颯輔も。今は、その話はなしにしましょう。せっかく、こうして皆が揃ったのですから」

「リインフォースの言うとおりです。……おい、シャマル」

「ちょっと待ってったら――って、石田先生っ、もうお酒はダメですってばぁ!」

「ふふん。高くていいお酒はね、悪酔いなんてしないのよ。ザッフィーも、そう思うでしょ?」

「……控えた方がよろしいかと」

 

 どこからかワインらしきボトルを取り出した石田と、それを取り上げようとするシャマルである。疲れを滲ませた声を出したザフィーラが、ぐったりと地に伏せて尻尾を投げ出していた。

 今日一日で石田のイメージががらりと変わってしまったはやては、色々と見なかったことにしてお茶が満ちたコップを持った。

 

「ほんなら、今日の主役、お兄から一言お願いします」

「主役って、いきなりだな。どうしたんだ、それ」

「あーあ、やっぱり颯輔忘れてるよ」

「忘れてる……?」

「颯輔、今日の日付は分かりますか?」

「えーと、今日は4月10日……あっ」

「思い至ったようですね」

 

 誕生日おめでとう、と声が揃った。一拍遅れ、シャマルと石田が復唱する。呆けた顔をしていた颯輔は、はにかんで、ありがとうと言った。

 4月10日は颯輔の誕生日である。奇しくも花見の日程と重なり、颯輔が突然帰ってきたこともあって、はやて達はリンディへと颯輔の参加を頼み込んだのであった。何とか承諾を得た後は、所要を済ませてから大急ぎで颯輔へのプレゼントを探し回り、今朝などは早起きをしてケーキ作りに勤しんでいた。

 乾杯をすると、はやてはコップを置いて小脇にあるバッグを漁った。取り出したのは、両手に乗るサイズの紙袋。それを、颯輔へと渡した。

 

「はい、お兄。お誕生日おめでとう」

「ありがと。開けてみてもいいか?」

「ん、もちろん」

 

 颯輔は丁寧に封止のセロハンテープを剥がし、中身を取り出した。出てきたのは、金色の羽根を模した金属製の栞。羽根の付け根からは白い紐を伸ばし、黒、緋色、水色のビーズボールを括り付けてある。皆で選んだ市販の栞に、はやてがひと手間を加えた一品だ。

 

「栞かぁ。綺麗だな」

「それ、皆で選んだんだよ」

「昨日、ミッドチルダから戻った後に、皆で急ぎ探したのです」

「装飾の部分は、はやての手作りです」

「あんな、羽根がユーリで、ビーズボールがマテリアルの子達。黒がディアーチェで、緋色がシュテル、水色はレヴィやで。ほんでな、実は、私らの分も作ってあるんよ。リインフォース?」

 

 はやてが声をかけると、リインフォースが夜天の書を具現化した。開き、銀色の羽根を取り出す。同じく付け根からは白い紐が伸び、ラベンダー、紅、ミントグリーン、群青色のビーズボールがが括り付けられていた。

 

「お揃いなんだな。こっちは羽根がリインフォースで、ビーズボールはシグナム達か?」

「正解。お兄の誕生日なんやけど、ええかな?」

「もちろん。……うん、ありがとう、皆。ディアーチェ達も喜んでるよ」

 

 言って、颯輔は紫天の書を具現化させると、栞を挿んでまた戻した。すっと腕があがり、はやての頭をくしゃくしゃと撫でる。はやては、目を細めてそれを受け入れた。

 そこに、肝心のディアーチェ達の姿はない。颯輔からは、紫天の書の洗浄にかかりきりになっていると聞いている。今はまだ会わなくてよかったと、はやてはそう思った。

 颯輔が生きていくためとはいえ、ディアーチェ達の存在は複雑だった。ユーリはまだしも、マテリアルの三人は、はやて達とほとんど同じ姿をしているのである。性格はだいぶ違うようだが、一度邂逅したディアーチェの様子を見る限り、すぐにシグナム達とのように仲良くなれる自信はなかった。

 しかし、やはりディアーチェ達の存在は必要不可欠なのである。リインフォースやシャマル、ザフィーラあたりはともかく、はやてやシグナム、ヴィータは、おそらく受け入れるのに時間がかかるだろう。そこで、一先ずはこちらから贈り物をし、それを足掛かりにしようと考えた。だから、そういう意味も込めて、あのプレゼントを選んだのだった。

 ただし、夜天の書と紫天の書のパスは、まだ繋がっていない。そのため、ディアーチェ達が真にどう思っているかは分からない。

 だが、はやては颯輔を信じている。颯輔がいればきっと上手く回っていくのだと、それを疑ってなどいない。

 

「ケーキはご飯食べてからな。お兄、皆で早起きして一生懸命作ったんやから、残したりしたらアカンで?」

「この量、食べきれるかな……とにかく、頑張ってみるよ」

「んじゃ、もっかいいただきますしよーぜ」

「そうだな。石田先生、まだ食べられますか?」

「えっと、おつまみ程度なら……」

「飲む気満々じゃないですかぁー!」

「……シグナム、シャマル一人では抑えきれんぞ」

「おい、逃げるな。お前も人型になれば飲めるだろうが」

「ほんなら、石田先生の相手は大人組でするとして、お兄はこっちで私とヴィータと一緒な。はいそこ、ブーブー禁止。さっさと手ぇ合わせるー」

 

 だから、はやては心から笑うことができるのだ。

 光溢れる場所で、愛しい家族に囲まれて。

 何より、隣には、大好きな人の優しい笑顔があるのだから。

 

 

 

 

 颯輔は、アースラの拘留室に備えられた固いベッドに一人腰掛け、穏やかな表情で手元を見ていた。その手には、一枚の写真がある。花見の席で撮影した、家族写真である。颯輔を中心として、両脇にははやてとヴィータがおり、それを囲むようにして、リインフォースにシグナム、シャマルや石田が写っていた。カメラマンはなのはや美由希の父である士郎が買って出てくれたため、ザフィーラの姿も狼形態で収まっていた。

 しかし、そこにディアーチェ達の姿はなかった。ディアーチェ達は、はやてやリインフォース達と和解したというわけではないのである。颯輔を介して、いくらかやりとりがあった程度。今日も、洗浄作業に集中すると言いながら、颯輔に気を遣っていただけなのだ。だからいつの日か、皆が分かり合える時が来たら、またあの場所に行こうと颯輔は思っていた。石田にも、「偶には顔を見せに来なさい」と言われているのである。許しが出るのであれば、是非ともそうしたかった。

 颯輔が写真を眺めながら思いを馳せていると、胸から漆黒の光を放つ球体がふわりと飛び立った。颯輔の目の前で躯体を構築させたのは、ユーリであった。

 ユーリは軽やかに着地を決めると、両手を伸ばして颯輔を見やった。意図を酌んだ颯輔は、ユーリの脇に手を差し入れると、そっと持ち上げて膝の上へと招く。ユーリは颯輔の首にかじりつくと、すんすんと鼻を鳴らした。

 

「ユーリ、もう終わったのか?」

「あとちょっとです。わたしの分はもう終わったので、出てきちゃいました」

「え、ディアーチェ達を手伝ったりしないのか?」

「いいんですよー。ちゃんと役割分担はしましたし、あとは仕上げだけですから。それに、実は、みんなで競争してたんです。一番早く終わった人が、先に休んでいいことになってるんですよ」

「じゃあ、あんまり役に立てそうもないけど、俺が代わりに手伝おうかな」

「だっ、ダメですよぅ! 颯輔は王様ですから、ディアーチェ達を信じて任せておけばいいんですっ!」

「いや、そういうわけにも……」

「そ、颯輔には、颯輔にしかできない大事なお仕事があります。まずは、一番頑張った子をたくさん褒めてあげましょう。ちゃんとご褒美をあげるのは、王様の義務ですよ?」

「……よしよし、ありがとな、ユーリ」

「えへへー」

 

 褒めて褒めて、と瞳を輝かせるユーリを、観念した颯輔はくしゃくしゃと撫でつけた。ユーリは頬を緩め、子猫のように甘えて寄りかかってくる。胸の内でディアーチェの抗議の声が上がったが、シュテルによって窘められ始める。レヴィは勝負に負けて気を落としながらも、稲妻のように魔力を走らせていた。

 結局、颯輔はユーリやディアーチェ達に支えてもらってばかりだった。颯輔の処理速度は決して速いとは言えず、その膨大な知識も活かしきれていない。今回のような繊細な作業では、邪魔にならないように気をつけながらのお手伝いが精一杯である。夜天の書の修復の際も、実際にはほとんどリインフォース一人に任せてしまっていた。

 永遠の命に無限の魔力。所詮それらは、ディアーチェ達があっての力である。魔法が使えるようになったとはいえ、颯輔は未だ弱いままだ。リインフォースやユーリの力を借りなければ、真っ直ぐ飛ぶことも覚束ないほど。これからのためにしなければならない課題は、山ほどあった。

 

「颯輔、難しい顔してます」

「ん? そうかな」

「誤魔化されませんよぉー。わたし、颯輔のことなら何でも知ってるんですからね。颯輔、また独りで頑張ろうとしてました。ダメですよ、それ。ちゃんとわたしのこと使ってくれなきゃ、やです」

 

 心の奥深くまで覗き込んでくるような、金色の瞳。ユーリは、ぎょっとするほど近くに顔を寄せていた。

 颯輔は、可愛らしく膨らんだ頬をそっと摘まんで押した。

 

「てい」

「うー、にゃにしゅるんでしゅかー」

 

 満更でもなさそうにしつつも抗議の声をあげるユーリに、颯輔は苦笑を漏らす。頬を解放して波打つ金髪を梳くと、颯輔は諭すように言った。

 

「ごめんごめん。でも、『使う』なんて言ってほしくないかな」

「だって、わたしは颯輔の融合騎ですよ?」

「うん。でも、それだけじゃないだろ?」

「うーん……? …………あっ、でも、いいんですか?」

 

 颯輔の言葉に、ユーリは目を閉じて思案した。精神リンクを伝い、ユーリの意識が颯輔の心をくすぐる。やがて、答えを見つけたらしいユーリは、頬を赤らめ、潤んだ瞳で颯輔を見上げた。

 

「当然。ユーリ達だって、何年も前からずっと家にいたんだ。ちょっと姿が見えなかっただけで、一緒に暮らしてた。だったら、ユーリもディアーチェも、シュテルもレヴィも、大事なうちの子だよ。うちの子には、自分のことを『使う』なんて物扱いしてほしくないな」

「はいっ! ……じゃあ、もう一回言いますね。颯輔、ちゃんとわたしのこと頼ってくれなきゃ、やです」

「うん。ユーリの力、頼りにさせてもらうよ。……も、もちろん、ディアーチェ達もね」

 

 花咲くような笑顔を浮かべたユーリと、猛烈な抗議の念話を繰り返すディアーチェ達。慌てて取り繕うと、抗議の声は徐々に鎮静化していった。

 ユーリ達には、まだプログラム然とした思考が残っていた。出会った当初のシグナム達のようなものである。精神リンクが強い分、そのあたりの対処はユーリ達の方が楽とは言える。しかし、問題もあった。洗浄しきれなかった汚染の分だけ、シグナム達よりも攻撃的であるという点だ。

 リンディと話しているときもそうだったが、颯輔が小馬鹿にされると、例えそれが冗談であっても心をざわつかせるのである。事実、ユーリ達の中では、リンディは颯輔に害をなす巨悪という図式が成り立っていた。颯輔が止めなければ、躯体を構築して飛び出していただろう。

 できるだけ、ユーリ達を変えてはしまわずに迎えたい。しかし、そうした譲れないこともある。ユーリ達が颯輔と共にあることを選んでくれるのならば、そのあたりが当面の問題だった。

 

「でもさ、やっぱり、俺も男の子なんだよ。いつまでも皆に頼りっきりってのは、恰好がつかないだろ? だから、ちゃんと魔法を使えるようになりたいんだ」

「……わたしは、いらない子ですか?」

「そうじゃなくて、ユーリ達が俺を守ってくれるように、俺もユーリ達を守ってあげたいってこと。だからさ、ユーリ。ディアーチェ達も、俺に戦い方を教えてくれるか?」

「颯輔がそれを望むのなら、喜んで」

 

 颯輔が言うと、ユーリは微笑みを浮かべて頷いた。ディアーチェ達も、了承の念話を返してくれた。甘えてくるユーリの相手をしながら、これから忙しくなるな、と颯輔は内心で溜息を吐き出した。

 まずは、『闇の欠片事件』と名付けられた今回の一件の裁判が待ち構えている。失敗すれば、颯輔達を待っているのはロストロギアの封印処理という未来だ。それが最良の形で終わっても、隔離施設で更生プログラムを受講しなければならない。そこで信頼を勝ち取り、同時に守りたいものを守る力をつけ、ユーリ達の人間性も回復させる。無事に日の当たる世界に戻っても、犯した罪への糾弾があるだろう。それらを乗り越えることで、颯輔達は、ようやく元の暮らしに戻ることができるのだ。

 だが、どれほど困難な道のりが広がっていたとしても、颯輔は、必ずその全てを踏破して見せよう。

 なぜなら、颯輔は約束を交わしたから。

 ずっとそばにいると。

 いつかまた、家族みんなで暮らすと。

 その約束を果たすまで、そして、果たした後も。

 決して折れずに歩み続けると、八神颯輔は、ここに新たな誓いを立てた。

 

 


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