夜天に輝く二つの光Relight   作:栢人

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第二章 光となりて闇夜に浮かぶ
第十一話 愚者の歪力


 

 史上最悪とまで言われた古代遺失物(ロストロギア)、闇の書。現在確認されているその名が登場する最古の資料は、古代ベルカの時代、およそ千年以上前の歴史書である。

 曰く、魔導の英知。

 曰く、森羅万象が記された書。

 曰く、王の力。

 曰く、栄光へと続く(きざはし)

 曰く、大いなる災禍。

 曰く、忌避すべき蛇。

 その魔導書には古今東西あらゆる魔法技術が収められており、中には消失したとされている始まりの地(アルハザード)に関する技術も含まれるという。

 その魔導書を開いた者には王にさえ勝るとも劣らない一騎当千の騎士達が付き従い、望むもの全てを手に入れることができたという。

 その魔導書が降りた地には戦乱の風が吹き荒び、大地は朽ち果て大河は血に染まり、空には日輪を隠す暗黒の雲が立ち込めたという。

 新暦65年の暮れ、ユーノ・スクライアが無限書庫にて闇の書の真実の一端が記された新たな書を発見するも、それについては未だ浸透してなどいない。絶大な力と引き換えに所有者とその地を滅ぼす悪魔の書。それが、闇の書と呼ばれるロストロギアに対する次元世界の共通認識だった。

 特に顕著なのは、闇の書が猛威を振るったベルカの血を引く者。すなわち、次元世界最大の宗教である聖王信仰の信者たちであった。

 闇の書が滅ぼしてきたモノの中には、戦乱のベルカを統一した聖王家も含まれる。歴史の裏を返せば、闇の書の存在が聖王家のベルカ統一に一役買っていたこともまた事実ではあるのだが、そのような話が日の目を見るはずなどない。闇の書とは絶対悪であり、聖王家とは絶対正義なのだ。

 当時の闇の書の主は、歴代の中でも群を抜いて保有魔力量が多かった。当代の主である八神颯輔と八神はやての二人を足しても、遠く及ばないほどに。魔力量の多さは、そのまま暴走した闇の書の活動時間に繋がる。潤沢な燃料を得た闇の書は、その異名を天に知らしめるかのように暴れに暴れ、都合八つの国を滅ぼした。最後に残って闇の書を破壊したのが、聖王家最後の当主、オリヴィエ・ゼーゲブレヒトその人である。

 貫くものなしとまで謳われた防壁、聖王の鎧を持つオリヴィエは、戦場に咲く可憐な花のようでありながら、決して踏み折られることのない強さをも兼ね備えていた。同盟国の王にして後の覇王、クラウス・G・S・イングヴァルトと並び立てば、いかなる巨悪をも打ち破ると称えられたほどである。

 だが、そんな二人の英傑を持ってしても、闇の書には及ばなかった。鎧を貫かれたオリヴィエは深い傷を負い、当時はまだ完成に至っていないクラウスは拳を砕かれた。

 しかし、万策尽きたというわけではなかった。聖王家には、ベルカ統一の切り札である決戦兵器が残されていたのである。オリヴィエはクラウスに後の世を託し、闇の書を道連れにして若き命を散らせた。残ったのは、悲しみに暮れる一人の王と、争いのなくなった荒野。悲運の聖女の命と引き換えに、ベルカ統一は成されたのである。

 そのような背景もあり、最後の聖王であるオリヴィエ・ゼーゲブレヒトの命を奪った闇の書は、ベルカの世界から強く忌み嫌われていた。オリヴィエの生涯を題材とした童話まであり、幼子などは、悪いことばかりしていると闇の書の騎士達がやって来る、などと脅かされることもしばしばだ。闇の書は絶対悪という認識が刷り込まれているのだから、その常識が覆されるなど、よほどのことがない限りはあり得ない。

 そして、魔法技術体系をベルカ式と二分するミッドチルダ式の使い手を主とする時空管理局だが、中には当然ベルカ式の使い手もおり、また、そうでなくとも聖王信仰を持つ者が多くいた。加えて、闇の書はオリヴィエの代では真に滅んでなどおらず、管理局にも多大な被害を与え続けてきた。

 だから、例え闇の書の主が管理局への従属を示したとしても、容易に首を縦に振ることなどできるはずがないのだ。

 真の闇の書の主である八神颯輔の裁判は、三ヶ月前に執り行われた裁判に続く多大な激震を管理局上層部へともたらした。

 一度は死亡したとされた闇の書の主が生きており、それが管理局入りを受け入れている。その事実が知れ渡る様は、蜂の巣を突いたかのような騒ぎであった。

 特に、闇の書事件を担当していた()などは騒然となった。これまで散々な目に遭わされてきた相手なのだから、その騒ぎも頷ける。だが、一部では闇の書事件の解決を機に元帥の座へと着いたギル・グレアムに対する非難の声さえも上がったのだ。闇の欠片事件の顛末は、それほど大きなものだった。

 世間には詳細が伏せられ情報規制まで敷かれたにも関わらず、どこから漏れたのか、裁判の最終日には、時空管理局地上本部の門前が傍聴を求める人々で埋め尽くされた。裁判は次元の海に浮かぶ本局にて行われるが、少しでも詳細を知ろうと、第1世界ミッドチルダの首都クラナガンへと押しかけたのである。各種交通機関は一時的に機能停止へと陥り、軽傷者が少なからず出る程の大混乱であった。

 世間は大混乱。しかし、打って変わって所内は終始厳粛な空気を保ったままだった。傍聴席には管理局将校および聖王教会重鎮のそうそうたる顔ぶれが並び、中にはグレアムやリンディ・ハラオウン、レティ・ロウランなどの姿もあった。裁判官に検事、弁護士までも、これまで数々の大事件を取り扱ってきたその道のベテラン揃いである。だが、その誰もが携わった最大の事件は、最後の闇の書事件。その延長線でもある闇の欠片事件の裁判こそが生涯最大の事件へとすぐさま塗り替えられるであろうことは、明白であった。

 裁判では傷口を抉るような厳しい言葉による追及が幾度となく続いたが、グレアムの紹介による老練な弁護士の助けを借りながら、その全てに颯輔は誠意を持って答えた。極度の緊張で覚えていない、などということはなく、魔法生命体の性質が、緊張の中でも数々の言葉を記憶させていた。

 明らかな挑発、嘲笑の類は何度もあった。当然、腸が煮えくり返るような思いを覚えたが、それを表に出す事などなかった。そこは、これまでの夜天の書の記憶を追体験した賜物と言えよう。そうでなければ激昂のあまりに口汚く罵り返すか、あるいは我を失って慣れない拳を振りかざしていたかもしれない。そうなっていれば、これからの道は固く閉ざされていただろう。

 法廷が開かれたのは都合三度。事件の規模から考えれば異例の早さだが、当初の想定に近い判決が下された。

 100年に渡る時空管理局への奉仕活動および技術提供。

 新暦66年4月30日、『闇の書の主』八神颯輔の管理局入りが決定した。

 

 

 

 

 針のむしろのようであった裁判を終えた明くる日。八神颯輔は、足音のみが響く窓のない廊下を四人の男女に囲まれながら歩いていた。

 颯輔の服装は、蛍光オレンジの受刑者服という目によろしくないものだ。無論、他者から目に付き易くするための格好である。その上、厳重な魔力リミッターをこれでもかというほど施されていた。紫天の王として覚醒したことによりSSランクは下らなかったはずの魔力量は、躯体を維持できる最低限のDランクにまで落とされている。何かしらの魔法を使おうものなら、即座に構成が解けて瓦解するような頼りないものだ。

 常時水の中にぶちこまれているかのような息苦しさ。慣れなかったその状態もようやく馴染んできたこの頃だが、颯輔の足取りはいくらか重かった。昨日までの心労が抜けておらず、また、これからに対する不安もあったのだ。

 気に止まらない程度にまとめて息を吐き出し、揺れるポニーテールに視線をやる。前方右側を歩くのは、颯輔の身柄を確保したリンディ・ハラオウン少将だ。近々中将に昇進するらしく、それに連なる厄介事の増加が最近の悩みの種らしい女傑である。

 リンディは、夜天の魔導書の真実を知る管理局唯一の人物だ。加えて、闇の欠片事件の総責任者ということもあり、颯輔の護送に付き合っていた。仲が良いというわけではないのだが、今は話すことはできずとも見知った人物が傍にいるのは颯輔にとっても有難かった。

 リンディの隣、颯輔の前方左側を歩くのは、長身の男だった。やや跳ねっ気のある髪が、颯輔の頭半分ほど高い位置で揺れている。しかしその足取りに淀みはなく、シグナムあたりに言わせれば、武に精通している者のそれだった。さらに言うならば、この場では最も多く、そして、大地に根を下ろす大樹のような、雄々しい魔力を感じさせる。ともすれば守護騎士に迫る勢いのそれに、颯輔は内心で舌を巻いていた。

 古代ベルカ式の使い手でありながら、時空管理局地上本部の首都防衛隊に身を置く、ゼスト・グランガイツ三等陸佐。一線級の騎士と名高い、地上本部のエースである。颯輔が出所後に身を置くことになる部隊の部隊長でもあった。

 対し、颯輔の後方には二人の女性が陣取っていた。一人は颯輔も知っている人物――というよりも、使い魔。以前は管理局最強の攻撃オプションと謳われていたチームの一人、リーゼロッテである。

 颯輔の後方右側、頭の後ろで手を組み優雅に歩いているようだが、その実、その猫耳は欠片も異常は逃すまいとぴこぴこ忙しなく動いており、尻尾は心情を表すようにぴんと真っ直ぐに伸びている。颯輔とは裁判の前から何度か顔を合わせているが、未だに警戒は解いていない様子だった。

 残る一人は、ゼストと同じく初見の人物であった。歩みに合わせ、ふわりと伸びた艶やかな髪を小さく広げている女性。リンディよりも若く、あるいは颯輔の方が歳が近くも見えるが、颯輔の外見を抜きにしたとしても、闇の書の主を前にしながら自然な微笑を崩さないほどの胆力を備えた強かな人物である。

 ゼストの部隊が誇る双璧の一枚、メガーヌ・アルピーノ准陸尉。当面は隔離施設での颯輔達の指導官の一人となり、出所後は引き続き保護観察官の一人を務めることとなっている女性だ。ふわふわと柔らかな雰囲気を纏ってはいるが、颯輔は、メガーヌからリンディに通じる何かを感じ取っていた。

 颯輔を囲む四人は、管理局の常識で考えれば護送には過剰な戦力とも言える。しかし、相手は闇の書の主。リミッターがなければ同じ人とは思えない膨大な魔力を迸らせ、なおかつ同等の魔法生命体四体を従えるような存在である。一犯罪者の護送と考えれば戦力過多であっても、相手を考えればいささか以上に頼りないとも言えた。

 もっとも、颯輔にここで争う意思も理由もない。無用な混乱を避けるために秘密裡に行われている護送は、道中では何の問題も起きず、ようやく終わりを迎えようとしていた。

 先頭を歩いていたリンディとゼストが、両開きのスライドドアの前で止まった。リンディが柱に備えられた端末を軽やかに操作すると、ロックの解除を示す電子音の後にドアが開く。ドアの厚みは3メートルほどもあり、約5メートル四方の小部屋を挟み、その向こうの厚いドアも左右に動き始めた。

 ドアの向こうから差し込む廊下よりも強い光量に、颯輔は僅かに顔をしかめた。

 

「これって……庭?」

 

 奥に広がる光景に浮かんだ感想は、そんな場違いなものだった。

 そこは、箱庭を思わせる一室だった。床には土が敷き詰められ、よく手入れをされた芝生が広がっている。中央に小さな噴水が置かれ、室内に潤いを与えていた。部屋の隅には生垣と背が低めの樹木が植えられており、意気揚々と葉を緑に染めている。天井は一面が天窓となっており、さんさんと光が降り注いでいた。

 一見すれば屋外、それも手の行き届いた庭園であるのだが、これでもかと存在感を放つ水色の壁が、全てを台無しにしている。元々あった無機質な部屋に、どこかの自然を切り取って転移させてきたかのような、そんな印象を受けた。

 

「詳しい場所は明かせないけど、ここがしばらくあなた達に使ってもらう施設よ。この部屋はさしずめリフレッシュルームといったところね。奥にはベッドルームもあるし、バストイレも完備してあるから安心しなさいな」

 

 一歩踏み出し入室したリンディが、後ろを振り返りつつ概要を述べた。

 颯輔達の躯体の事情から、転移ゲートを一切使用しないという徹底した用心振りでやって来た施設。どこぞの星とも知れないこの場で、まさかこのようなありふれた自然を目にすることになるとは、思いもしなかった颯輔である。それも、やはり想像とは違う充実した環境。とても大罪人に宛がわれるようなものとは思えなかった。

 

「話には聞いてましたけど、至れり尽くせりですね。ああいや、不満があるとかそんなんじゃないんですけども」

「あら、やっぱり固い石畳で鉄格子に覆われた独房の方が好みだったかしら」

「正直、想像してたのはそっちでした。だから余計にと言いますか、恐縮ですと言いますか」

「しゃーねーだろーが。あんまりな扱いして変な気起こされたら堪ったもんじゃねーんだからよ。ま、だからって調子乗られても困るけどなー」

「いやいや、そんなことしないって」

「はっ、どーだか」

「信用ないなぁ」

「ちょっとでもあると思ってたのか、このお気楽頭め」

 

 颯輔を追い越しリンディの隣に並んだリーゼロッテが、半目で颯輔を睨む。相変わらず嫌われてるな、と自嘲した颯輔は、苦笑でそれに返した。

 リーゼロッテの役目は、闇の書の主の監視である。局内では最もその手の魔法生命体との交戦経験があり、なおかつ使い魔である彼女は、まさにはまり役だった、というのが表向きの理由。実際のところは颯輔達の警護役であり、そして、グレアムとの橋渡し役でもあった。

 リーゼロッテ個人の心情を考えれば複雑なところもあるが、これも主人と相方の頼みであり、自分がやらなければならない仕事であることも重々承知している。彼女としては、これ以上闇の書による事件を起こさせるわけにはいかなかった。

 

「なーにいやらしい目つきでジロジロ見てんだ。言っとくけど、あたしがお前らに懐くなんてあり得ないんだからな。そこんとこ忘れんじゃねーぞ」

「あはは……はぁ」

 

 いーっと牙をむくリーゼロッテに、颯輔は今度こそ隠しもせずに溜息をついた。

 颯輔とリーゼロッテの出会いは、六年前にまでさかのぼる。叔父と叔母が亡くなりグレアムと暮らすことになった頃、グレアムが連れていた二匹の猫が、使い魔であるリーゼロッテとリーゼアリアだったのだ。

 颯輔もはやても、それまで動物に触れるという経験はほとんどなかった。そこに降って湧いたかのように現れた二匹の猫、興味が湧かないはずがない。

 ところが、二匹の猫はグレアムの使い魔。どちらかはわからないが、恨みある闇の書の主に心許すはずなどがない。生活を共にしたのは短い期間だったが、その間、二匹は一度たりとも尻尾すら触れさせなかった。

 いまいちそういった雰囲気のない犯罪者に、なにやら上機嫌な様子の少将、敵意むき出しの使い魔。この摩訶不思議な関係に戸惑っているのは、ゼストとメガーヌの二人だ。ゼストは眉根を寄せ、メガーヌは微笑を崩さないながらも一筋の汗を垂らしていた。

 ゼストもメガーヌも、書類を通して颯輔の大まかな人柄は知っていた。だが、地上本部所属であっても闇の書の主という肩書は大きい。それ故に、その肩書と人物との齟齬に違和感を覚えていた。

 目の前にいるのは、本当に最恐最悪の魔法生命体なのか、と。

 

「はいはい喧嘩しないの。大人げないわよ、ロッテ」

「忘れちまったのかよリンディ、こいつは――」

「忘れるわけがないでしょう。でも、あのときは彼じゃないわ」

「……ちっ」

 

 尻尾の毛を逆立てたリーゼロッテに、リンディは毅然とした態度で言い放つ。それを受けたリーゼロッテは、苦虫を噛み潰したかのような渋面を作った。隣にいる颯輔は何も言えず、左手の腕甲を押さえて顔を伏せることしかできなかった。

 

「そんな顔をしないで頂戴、責めたくなってしまうもの。それから、謝るのもなし」

「…………」

「難儀な性格ね、お互いに。さあ、この子達は返しておくわ」

 

 言って、リンディは颯輔に向かって右の掌を差し出した。その上には、黄金の剣十字が乗せられている。管理局の技術局が解析をかけていたはずの、待機状態の紫天の書であった。

 颯輔が手に取ると、途端に剣十字が輝いた。光の爆発に、リーゼロッテにゼストとメガーヌが身構える。だが、続いたのは颯輔の慌てた声と、少女達の姦しい声だけだった。

 

「兄上ぇーっ!」

「うわっ、ちょっ、あぁっ」

「ただいま戻りました、颯輔」

「うぅー、やっと自由に動けるよぉ。もー、しんどかったぁ」

「兄上っ、あにうえっ、あにうえぇっ。あぁ、久方ぶりの兄上成分のなんと甘美なことでしょうか。こうして肌を触れ合わせた分、兄上の魔力がいつにも増してディアーチェの中に流れ込んで来ます。しかしディアーチェはあのような塵芥共に体中をまさぐられてしまい……兄上、どうかその御手でディアーチェの穢れをお清めください」

「何を大袈裟な。心配ありませんよ、颯輔。躯体の解析まではさせませんでしたから」

「ボク達ずーっと紫天の書の中だったもんねー」

 

 光が晴れた後にあったのは、三人の少女によって押し倒されている颯輔の姿であった。

 泣きの入った黒銀の髪の少女が颯輔の頭を胸に抱き、栗色の髪に頬擦りをしながらすんすんと鼻を鳴らして媚び声を出している。

 八神ディアーチェ。知を司る紫天の書の構築体(マテリアル)であり、三基のマテリアルの統率役でもある少女だ。その躯体ははやての生体情報を基にしているため、髪と瞳の色を除けば双子と見紛うほどの容姿だった。

 颯輔の腹の上に座っているのは、一切の感情を排したかのような表情をした少女だ。しかし、微かに口角を上げながら颯輔の胸をそろそろと撫でているあたり、彼女の心情が窺える。

 八神シュテル。理を司る紫天の書の構築体(マテリアル)であり、暴走しがちな二基を嗜める手綱役だ。その躯体ははやての友人である高町なのはの生体情報を基にしているため、姉妹と言い張っても疑われない容姿だった。

 シュテルと背中合わせで颯輔の腹の上に座り、んーっと背伸びをしているのは、活発な雰囲気の少女だ。待機状態が余程気に食わなかったらしく、同時に投げ出した足をばたつかせている。

 八神レヴィ。力を司る紫天の書の構築体(マテリアル)であり、サバサバとした性格の戦闘狂だ。その躯体ははやての友人であるフェイト・T・ハラオウンの生体情報を基にしているため、他人の空似には決して見えない容姿だった。

 少女特有の柔らかさに覆われて息ができない颯輔が抵抗し、肩を押さえられたディアーチェの肌が赤く色付いていく。ほぅと息をつくシュテルはそのまま動く気配がなかったが、レヴィは早々に立ち上がって体を動かし始めた。

 これは罪科を追加できるのではないかとリーゼロッテが悩み始め、この光景は今後の取引材料になるとリンディの笑みが黒く染まっていく。ゼストとメガーヌの二人は、混沌とした光景に思考が停止しかけていた。

 状況を動かしたのは、新たな異変だった。颯輔の胸から漆黒の光が勢いよく飛び出し、激しく明滅して人型を形造ったのだ。

 

「うぅ~、ディアーチェもシュテルも颯輔から離れてくださいぃっ」

 

 ディアーチェ達よりも幼い少女が現れ、波打つ金糸を振り乱して声高に訴えた。必死に二人をどかそうとするも、リミッターによって見た目通りの力しか出せない今では、可愛らしい足掻きに終わってしまっている。

 八神ユーリ。大いなる翼を授ける紫天の融合騎(ユニゾンデバイス)でありながら、単騎では八神家の戦力ヒエラルキーの頂点に君臨する存在だ。しかし、その力量に反した愛らしい外見のため、マテリアル三基からは対等どころかまるで妹のような扱いを受けていた。

 

「離さぬかユーリっ。ええい、引っ張るでないっ」

「やーですっ。ディアーチェ達がどくまでやめませんっ」

「しかしユーリ、貴女はずっと颯輔と一緒だったではありませんか。ここは、均衡をはかるためにも私達に譲るべきです」

「私だって、一回も実体化も融合(ユニゾン)もしてないですっ。そ、それよりっ、颯輔が苦しそうにしてるじゃないですかぁっ! もぉーっ、レヴィも手伝ってくださいよぉっ」

「そのくらいじゃ死なないからへーきへーき」

「んーっ!」

 

 従者から殺されかけている王の姿がそこにはあった。ディアーチェの行動は強過ぎる愛情からであり、また、レヴィの言葉どおりに酸欠程度では死に至らないのが事実であるあたり、微笑ましい光景であると言えなくもないかもしれない。

 管理局の技術部による紫天の書の解析のため、ここに来るまでの間、颯輔達は別行動を取らされていた。万が一に備えてユーリが颯輔の護衛につき、ディアーチェ達は紫天の書の内に待機して情報の隠匿を行っていたのである。

 結果は見てのとおりに颯輔は無事、そして、紫天の書が完成させた技術の隠匿にも成功というものだった。颯輔については、グレアムやリンディが目を光らせていたというのもある。紫天の書については、ディアーチェ達が動く以前に管理局の技術不足に助けられた。紫天の書はロストロギアであるため、例え最高峰のものであっても現代の技術では解析すること自体が不可能だったのだ。

 

「あらあらまあまあ、相変わらず女の敵だこと」

「ぷはっ、い、言いがかりはやめてくださいよっ」

「私やフェイトはああだからいいけれど、はやてさんやなのはさんが見たらどう思うかしらねぇ」

「んー?」

「はっ、知ったことか。あやつはあやつ、我は我だ」

「さすがはディアーチェ、見事な開き直りっぷりです」

「貴様……まだ何か言い足りぬようだな」

「いえ、特には」

「こらこら、人の上で喧嘩しないの」

 

 上に乗りながら視線をぶつけ合うディアーチェとシュテルの二人を両脇にどかし、ようやく起き上がる颯輔。やっと解放されたかと思いきや、仲裁に入りながらもタイミングを窺っていたらしいユーリがぴょんと跳ねて背後から首にかじりついて来る始末。それを支えるためにおんぶをしてやれば、今度はどかされた二人が騒ぎ出す。唯一実害がないのはレヴィくらいなもので、そんな颯輔達を指をさして笑っていた。

 

「まるで託児所ね」

「他人事だと思って笑ってんじゃねーぞ、リンディ。ちっとはあたしらの苦労も考えやがれってんだ。これじゃあ守護騎士らの方がまだマシじゃねーか」

「そんなこと言ったって、あなた、前はアリアに丸投げしたじゃない。それに、せいぜい数ヶ月の辛抱よ。本当に苦労することになるのは、グランガイツ三佐達ですもの。ごめんなさいね、面倒を押し付けるみたいになってしまって」

「い、いえいえ、決してそのようなことはっ。隊長、ですよねー?」

「陸が熱望したようやくの戦力です。それを喜びこそすれど、面倒だなどとは思うはずがありません」

「ふぅん。それは、総意なのかしら?」

「余計なちょっかい出すなっつーの。メガーヌも隣で困ってんだろー」

「あははー……」

 

 ゼストはその気概から動じてはいなかったが、さすがのメガーヌにもそこまでのものはない。それもそのはず、相手は闇の書事件と闇の欠片事件を立て続けに解決して見せた、ポストグレアムとまで噂される将官だ。メガーヌの微笑は崩れ始め、苦笑いへと変わってしまっていた。

 局員達が言葉を交わす横で、颯輔達もようやくの落ち着きを見せていた。むしろ、妥協点を見つけたと言う方が正しいかもしれない。颯輔はユーリを肩車し、ノリで抱き着いてきたレヴィを首からぶらさげ、左右の手をディアーチェとシュテルに取られて溜息をついていたのだ。

 

「ようやく落ち着いたようね。それじゃあ、その調子でその子達の面倒をよく見ておくように。くれぐれも、私にまで迷惑をかけないでね?」

「努力します……」

『――三佐達はそうでもないようだけれど、その上は結構風当たりが強いわ。もしも何かあれば、すぐにロッテを頼りなさい』

 

 項垂れた颯輔に届けられた念話。ちらりとリーゼロッテを見てみれば、あからさまにぷいと顔ごとそらされた。先が思いやられるな、と心の中で独りごちながら、颯輔は顔を上げてリンディの正面に立った。

 

「何から何までお世話になりました。ありがとうございました、ハラオウン提督。あの、ロウラン提督にもよろしくお伝えください」

「はいはい。ロッテとも仲良くやるのよ」

「はっ、誰が」

「……だそうです」

「まあ、せいぜい認められるように頑張りなさいな。……それでは、グランガイツ三佐にアルピーノ准尉、あとはよろしく頼みましたよ」

 

 居住まいを正したリンディが、二人に向き直って敬礼をする。はっ、と敬礼が返されると、リンディは満足そうに頷いて、悠々と部屋を後にした。

 再び分厚い扉が閉まると、青色の魔力光が瞬いた。過去の経験から颯輔の身が一瞬固まったが、触れ合うディアーチェ達に緊張は見られない。そのことに落ち着きを取り戻してから視線をやると、リーゼロッテが完全な猫の姿に変化していた。

 ひとつ伸びをして調子を確かめたリーゼロッテは、しなやかに歩を進めてメガーヌの隣に落ち着いた。ようやく空気を読んではくれたらしいディアーチェ達も、颯輔から離れて――物理的な距離はほとんど変わっていないが――横一列に並んだ。

 

「メガーヌ、あとは任したぞ」

「ええ。……おほん。それでは改めまして、今日からあなた達が受講する更生プログラムの指導官となりました、時空管理局地上本部首都防衛隊所属、メガーヌ・アルピーノ准陸尉です。よろしくね。それから、こちらがゼスト・グランガイツ三等陸佐。あなた達が所属する予定の部隊の部隊長さんよ。おっかなそうな顔してるけど、口下手なだけだから、怖がらずに仲よくしてあげてね」

「ゼスト・グランガイツだ。……八神颯輔。腹を割って話せば、地上本部は深刻な人員不足に悩まされている。お前達の力、どうか当てにさせてもらいたい」

「そのときが来たら、精一杯努めさせていただきます。どうかそれまで、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。……ほら、挨拶」

 

 颯輔が促すと、一応、四人共が小さく会釈はした。しかし、ディアーチェはあからさまに顔をしかめており、シュテルは明らかに相手を値踏みしており、レヴィはきょろきょろと周囲を見回し始め、ユーリは颯輔の後ろに隠れてしまう。メガーヌが、クスクスと口を掌で隠して苦笑していた。

 外見が外見なら、内心も内心だった。程度が知れた、指揮官の才能はなさそうです、監視多いなぁ、ここの警備は当てになりません、などなど、好き勝手に念話を交わしている。颯輔には、メガーヌに便乗して愛想笑いを浮かべることしかできなかった。

 

「それじゃあ、まずは施設を一通り見てみましょ? 難しい話はそのあとにね」

 

 メガーヌが柔らかく笑って見せる。十中八九が颯輔達を安心させるためのものであろうが、そうと分かりきっていても、颯輔には有難かった。例え飴役であろうとなんであろうと、向こうに歩み寄る姿勢の者がいるだけで、随分と気が楽になる。先導するメガーヌに続き、颯輔もディアーチェ達の背を押して一歩を踏み出した。

 前方をメガーヌ、後方をゼストとリーゼロッテに挟まれながら、施設内を見て回る。隔離施設と銘が打たれているはずが、なかなかどうして快適な環境のようだった。リフレッシュルーム、講義室、寝室、トイレ、バスルームとあり、とても刑務所とは思えない。颯輔が素直にその感想を述べると、メガーヌに刑務所ではなく更生施設だと笑って返された。

 六つの部屋が隣接する細く真っ直ぐと伸びた通路。リフレッシュルームの反対側、一番奥にあるドアの前で一度止まる。バスガイドの如く一行を案内していたメガーヌは、颯輔達に振り返っていたずらな笑みを見せた。

 

「はい、ここが最後の部屋ね。きっと驚くと思うわ」

 

 メガーヌの指が踊り、ドアがスライドする。そこは、ただただ広いだけの何もない空間だった。

 水色の面に囲まれた、およそ50メートル四方の四角い部屋。メガーヌによれば、そこは魔法訓練のためだけに用意された部屋らしい。水色の壁には魔力素を遮断する機能があり、結界の役割を果たすというのだ。つまり、ここでどれだけの魔法を使おうが、外部からの探知は不可能。物理的な強度も相当なものであり、そのままシェルターにも使えるのが売りだそうだ。

 

「はっ」

「ふっ」

「ぷふーっ」

「ふふっ……わ、笑っちゃだめですよぅ」

「あ、あれ? なにかおかしかったかしら?」

 

 久しぶりに実体化していたためか、何だかんだと言って終始テンションの高かったディアーチェ達の熱が急激に冷めた。意味のある言葉にせずとも、その態度が全てを物語っている。

 すなわち、この程度で笑わせる、と。

 狼狽え始めるメガーヌに、ひしひしと感じる後ろからの視線。何とかして流れを変えなければ、と妙な使命感にかられた颯輔は、慌てて手を挙げた。

 

「はっ、はいっ、質問ですっ」

「はいっ、八神颯輔君」

「あー、えーっと……そうだ、どうしてそんな部屋が備えられてるんですか?」

「それはね――」

「無論、お前達に局員として使えるレベルになってもらうためだ」

 

 調子を取り戻したらしく、人差し指を立てて答えようとするメガーヌ。それを遮ったのは、他ならぬゼストであった。

 ゼストの言葉にメガーヌが頭をがっくりと下げ、ディアーチェ達の目に剣呑な光が宿る。それらを物ともせずに歩み出たゼストは、颯輔達に向き直った。

 

「管理局は、司法取引を行ってまで更生の余地のある犯罪者を局員として迎えている。何故そこまで人手が足りていないのか、分かるか?」

「それは、次元世界が広すぎるからでは……」

「違いますよ、颯輔」

 

 颯輔の答えに、シュテルが反応した。

 シュテルは、僅かに眉根を寄せながらゼストを見ていた。ともすれば見下しているかのようにも見えるが、正確には違う。精神リンクから伝わってくる感情は、憐憫だった。

 

「管理局は、手を広げ過ぎたのです。自分達の力量も理解せず、あれもこれもと駄々をこねる幼子のように。その結果が現状です。灯台下暗し――いえ、この場合は自業自得というやつですね。自分達の世界だけで満足していればいいものを、なまじ技術があるだけ性質が悪い。ほら、私達の待遇からも、その薄汚い我欲が透けて見えるでしょう?」

「こらシュテルっ! ……あの、すみませんでした。徐々に直させますので」

「いや、いい。耳に痛いがそのとおりだ。だが、お前達も十分に理解した上でここにいるのだろう?」

「それは……はい、そうです」

「正直だな。しかし、だからこそ信用ならない」

 

 鋭い眼光で颯輔を射抜いたまま、ゼストが右手を正面にかざした。その中指の指輪から放たれた光が、世界を山吹色に染め上げる。

 

「お前達の身柄を預かる者として、俺はお前達を見極めねばならん。お前達の力、今この場で見せてもらうぞ」

 

 山吹色の風が、ゼストが纏ったコートを激しく鳴らした。手にした武骨な槍からは、並々ならぬ魔力を感じる。Sランククラスの騎士が、本気で事を構えようとしていることを理解させられた。

 

「隊長っ!」

「問題ない。グレアム元帥の許可は得ている。そうだな?」

「ああ。あたしも口出しする気はねーよ」

 

 メガーヌの制止も効果はなかった。メガーヌは知らされていなかったようだが、どうにもこの流れは事前に取り決められていたことらしい。事実、グレアムの使い魔であるリーゼロッテが、眉根を寄せながらも颯輔達に施された魔力リミッターを解除してしまったのだ。

 抑えられていた膨大な魔力が胸の奥から溢れ出し、颯輔達の存在感が急速に高まっていく。容易く目の前のゼストを上回ったそれに、メガーヌが顔を青くしていた。

 ディアーチェが凄惨に口元を歪め、シュテルが僅かに目を見開き、レヴィがグーパーと掌を開閉させる。ユーリが颯輔の隣に寄り添い、颯輔の左手で、ナハトヴァールが歓喜に震えた。

 

「はっ、よくぞ吼えたな塵芥。我らの枷まで解いたということは、無論、我ら全員の相手をしてくれるのであろう?」

「構わん」

「たいちょーさんさー、それってすっごく無謀なんじゃないの?」

「……いえ、好都合です。ユーリ、まだ颯輔とユニゾンしてはいけませんよ」

「えーっ、なんでですかぁーっ!?」

「もちろん、颯輔に一人で闘ってもらうためです」

「……えっ」

 

 張り詰めた雰囲気の中、颯輔が戸惑いの声をあげた。

 

 

 

 

 訓練室の中央で、颯輔はゼストと向かい合っていた。シュテルの提案に大きな反対を見せたディアーチェ達も、今は隅の方で大人しくしている。ディアーチェ達とリーゼロッテ達との間にいくらか距離があるのは、この際ご愛嬌というものだった。

 観客の様子を窺えば、ディアーチェは腕組みをしながらゼストを睨みつけており、シュテルは静かな視線を颯輔に向けている。レヴィは不満から唇を突き出しており、目が合ったユーリは胸の前で握り拳を作って応援してくれていた。リーゼロッテはメガーヌの腕の中に納まっており、当のメガーヌは不安げに事の成り行きを見守っていた。

 颯輔は、大きく深呼吸をしてからゼストに視線を戻した。ロングコートを身に纏い、石突を床に置く形で槍を手にしている。ゼストの身長ほどの槍は、槍という武器にしては短い部類のものだ。しかし、見るからに鋭い刃が、そして、ベルカの騎士らしく近接戦を挑んでくるという事実が、颯輔の心を委縮させていた。

 だが、向かい立つ颯輔に震えはない。戦闘行為にまったく慣れていない精神は動揺していても、肉体の方は相手を脅威と捉えていないのだ。ディアーチェ達がシュテルによって簡単に説得されていたことからも、彼我の戦力差は一目瞭然のはずだった。

 

「どうした。まさか、騎士甲冑も纏わずにやるつもりか?」

「いえ、そういうわけでは……」

 

 颯輔の感想をはっきりと言わせてもらえば、何もかもが滅茶苦茶だ。一応は大罪人であるはずの自分の枷を解き、突然戦うことを要求されている。はやて達もそういったことはあったらしいが、それはある程度の日が経ってからで、すなわち、そうしても危険はないと判断されてからのことだった。

 明らかな対応の違い。颯輔は、それに大きな不安を覚えずにはいられなかった。ゼストは言い分からそういう人物なのであろうと割り切るとして、グレアムが何を持って許可したのかが分からない。知らない誰かに見られているような、そんな悪寒があった。

 とはいえ、悩んでいても何も始まらない。この場でこれからの主導権を握るつもりはないが、この悪寒を感じる相手に対して受け身でいる気もさらさらなかった。

 

「ナハト、頼む」

《Anfang.》

 

 颯輔の左手で、決して取り外すことのできない腕甲が応えた。漆黒の柱が立ち上がり、訓練室を震わせる。閉ざされたはずの空間に風が巻き起こり、そして、()が晴れた。

 颯輔は、戦うという意志を込めた漆黒の戦装束を身に纏った。その左手で、じゃらりと鎖が音を立てる。腕甲から伸びた八条の鎖が、颯輔を中心にして大きな蜷局を巻いていた。

 

「……本来の武装とは違うようだな。それは、俺を相手にするのに武器(アームドデバイス)は必要ないということか?」

「あなたを侮っているわけではありません。ですが、ナハトの槍は人に向けるようなものではありませんから、無理を言って新しい形態を取ってもらったんですよ」

 

 颯輔は、悪いな、と腕甲を撫でた。外敵の殲滅を至上とするナハトヴァールは、颯輔の言葉には従っても現在の形態になど納得していないのだ。だから、颯輔も必要最低限の魔力しか供給はしていなかった。

 颯輔が十分に魔力を供給してナハトヴァールの槍を抜くのは、その必要がある相手が現れたときだけと決めていた。颯輔の判断基準から言えば、ゼストはそれには当てはまらない。そもそも、非殺傷設定であろうが相手を貫くほどの威力を誇る槍など、颯輔が安易に抜くはずもなかった。

 だからこその、この形態。できる限り相手を傷つけずに拘束するための武器。ただし、それでも力加減を間違えれば相手を絞め殺してしまう危険を孕んでいる。敵を殲滅することこそが、ナハトヴァールの存在意義なのだ。

 

「それがお前の戦いだと言うならば、それもよかろう。だが、後悔はするなよ」

 

 途端、魔力光を残してゼストの姿が掻き消えた。

 すぐさまナハトヴァールが反応し、俊敏に鎖を蠢かせる。だが、何もない空間に浮き上がった鎖は、火花を散らせて弾かれてしまった。

 置いてきぼりを喰らった形となった颯輔が、慌てて魔力を集中させる。鎖が弾かれた方向に向けて右手を突き出し、防壁の術式を選択して起動。中空にベルカ式魔法陣が描かれ始め――粉々に砕かれた。

 視界に残る山吹色の軌跡。ゼストの槍が、形成途中の防壁を切り裂いたのだ。

 振り下ろされた槍によって右手も叩き落されてしまい、非殺傷設定により切れてはいないが、鈍い痛みが腕を上ってくる。だが、蒐集の激痛に耐えてきた颯輔にしてみれば、強く撫でられたようなものだ。この程度の痛みで思考が乱されることなどない。問題があるとすれば、魔法の発動が遅すぎることと、体勢が崩されてしまったこと。

 

「ナハトっ!」

 

 床から1メートルほど浮遊しているゼストの直下で、颯輔の意思を酌んだナハトヴァールが動いた。

 ゼストを拘束せんと、鎖が跳ね上がる。しかし、ゼストの対処は落ち着いたもので、追撃はせずに自ら鎖の範囲外まで離れていった。

 ゼストを追おうとするナハトヴァールを鎖を引き戻して諌めながら、颯輔は思考を巡らせた。

 先の一撃を鑑みるに、ゼストはおそらくシグナムと同系統の騎士だ。高速機動を活かして相手を撹乱し、接近して重い一撃を喰らわせる。コート状の騎士甲冑も、速度を優先させてのものだろう。

 つまり、拘束は難しいが、砲撃の一発でも当てることができれば墜とせるということだ。

 しかし、颯輔が選択するのはあくまでも拘束。壊滅的な技量と経験は、有り余る知識でカバーすればいい。総合的な能力はこちらの方が圧倒的に高いのだから、それも不可能ではないはずだった。

 ゼストの攻撃を受け止め、動きが止まったところをナハトヴァールで拘束する。それが、颯輔が定めた今回の勝利条件だった。

 

「いいかナハト、捕まえるだけだぞ……いけっ」

 

 ようやく具体的な方針を得たナハトヴァールが、唸りを上げた。全ての鎖が浮かび上がり、半数が颯輔を中心にして球を作り上げ、残りの半数が先端の鏃を光らせた。

 うねる蛇のように突き進む鎖がゼストに迫る。静かに攻撃を見据えるゼストの槍が、駆動音を上げた。

 石突が稼働し、カートリッジを炸裂させる。空の薬莢が排出されると、槍の先端、薙刀を思わせる刃が山吹色に輝いた。

 

「遅いッ!」

 

 ゼストの槍が閃き、空間に光芒を描いた。四方向から同時に迫ったはずの鎖全てが迎撃され、あらぬ方向に弾き飛ばされる。弾かれた鎖が再び向かう頃には、そこにゼストの姿はなかった。

 山吹色の軌跡を追えば、鎖の結界のすぐ傍に槍を振り下すゼストの姿があった。強化が施されたままの刃が、回転する鎖にぶつかり火花を散らす。

 

「はぁぁあああッ!」

 

 耐えるかと思われた結界はしかし、裂帛の気合いの前に抉じ開けられてしまう。侵入口を力技で作ったゼストは迷わずそこから飛び込み、颯輔の眼前へと躍り出た。

 だが、何も颯輔は侵入されるのをただ黙って見ていたわけではない。鎖の結界の中、颯輔はすでに全周障壁を展開してゼストを待ち構えていた。あとは、鎖の結界を狭めれば終わりだ。

 

「あまり舐めてくれるなよ、八神颯輔」

「なっ――ぐっ!?」

 

 ゼストの対応は単純明快だった。飛び込んだ勢いのまま、颯輔の障壁に向かって突きを放ったのだ。

 山吹色の刃が漆黒の障壁にぶつかり、貫通する。貫通した刃に鳩尾を激しく突かれ、颯輔は吹き飛ばされてしまった。

 颯輔は込み上げてきたものを飲み下し、吹き飛ばされながらも左腕をぐいと引く。全ての鎖がゼストに殺到するも、やはりゼストは高速機動を活かしてそれを逃れていた。

 

「くっ」

 

 飛ばされている方向までそのまま鎖を引き戻し、クッションにしてようやく停止する。ゼストが飛び込んできてくれるのは有難いのだが、ここまで力押しをしてくるとは思わなかった。

 だが、この結果を導き出しているのは、颯輔の力量不足に因るところが大きい。魔力の集束結合という稀少技能を活かしきれていないことを、颯輔は自覚できていた。

 周囲の魔力を高効率で集束させ、それらの強固な結合を促進させる能力。それが、颯輔が発現させた稀少技能だ。この技能を活かせば、障壁の類は人一倍堅牢なものになるはずだった。

 しかし、知識はあっても経験のない颯輔は、術式の起動も遅く、その構築も甘い。一度目の防壁は、完成する前に破られた。それを反省して展開した障壁は、急ごしらえのために脆いものになってしまった。

 

(何が足りないかは分かってる。だから思い出せ。リインフォースとユニゾンしたときは、どうやった?)

 

 リインフォースが本調子ではなく、なおかつ、相手が強過ぎたことを考えても、そのときは今よりも数段上のレベルで魔法を行使していた。颯輔が経験した戦闘といえばその程度のもの。ならば、そのときの感覚を頼りにこの場を乗り切るしかない。

 

《Meister.》

「こらっ、ダメだってばっ!」

 

 じれったい。

 もっと上手くやれる。

 あの程度を噛み砕くことなど難しくもない。

 そう訴えかけてきたナハトヴァールが、颯輔のリンカーコアから魔力を引き出そうとした。それを、颯輔は許さない。繋がれたナハトヴァールとのパスを強制的に遮断すると、威嚇するように音を立てていた鎖は床に落ちて沈黙してしまった。

 その隙を見逃してくれるほど、ゼストは甘くはなかった。

 颯輔とナハトヴァールとのやり取りから察したのか、ゼストは一息で間近へと踏み込んでくる。気が付いた颯輔が顔を上げた頃にはもう遅い。何の反応をすることもできず、颯輔はまたも弾き飛ばされてしまった。

 

「この……っ!」

 

 飛行魔法を発動しながら、もう一度ナハトヴァールに魔力を通す。ふらふらと頼りなく宙に浮く颯輔を余所に、再起動したナハトヴァールは全ての鎖でゼストを狙い始めた。

 怒りに震えるナハトヴァールは、颯輔の言葉を覚えているかどうかも怪しい。難なく回避するゼストを執拗に追い掛け回している。その動きは颯輔に従っていたときよりも速いが、本来の性能に比べれば目も当てられないほどに劣化したものだった。

 傷つけずに拘束しようとしている颯輔と、眼前の敵を締め上げ噛み砕こうとしているナハトヴァール。使用者とデバイスが互いに足を引っ張り合うという、愚にもつかない悪循環が形成されてしまっていた。

 

「止まれッ!!」

 

 制御を失う前に、颯輔は暴れ始めたナハトヴァールを待機状態へと戻した。ゼストを狙っていた八条の鎖が砕け、漆黒の魔力素となって散る。腕甲から短い鎖を垂らすのみとなったナハトヴァールは、不服だと言わんばかりに腕の締め付けを強めていた。

 

「無様だな。期待外れもいいところだ」

 

 嘆息したゼストが、再びカートリッジを炸裂させる。本格的に身体強化を施したらしく、山吹色の闘気を纏ったゼストが、険しい表情で颯輔へと突進してきた。

 今の状態の颯輔には、ゼストの機動を目で追うことはできない。しかし、拡散したナハトヴァールの鎖を構築していた魔力素が掻き分けれる感覚から、向かってくる方向は掴めていた。

 ナハトヴァールの魔力は颯輔とほぼ同一。自身の躯体も同然の魔力素ならば、嫌でも感覚を共有してしまう。皮肉にも、ナハトヴァールを待機状態に戻したことによって、颯輔の索敵能力は強まっていた。

 挑発は聞き流し、感覚を鋭敏に。

 思い描くのは、リインフォースによる優美な魔法行使。

 処理が多いのならば不要な部分を省けばいい。

 すなわち、盾の展開は最小面積に。そこに今までと同じ魔力を注ぎ込めば、盾の強度は格段に上がるはずだ。

 視界の裏側で夜天の書と紫天の書の記憶がフラッシュバックする。ゼストと同じ槍使いなど、ベルカの世界には掃いて捨てるほどいた。その中からゼストと同等、あるいは格上の相手を選択し、迫る機動と繰り出される攻撃を予測。

 本を読み解くように。

 伏線から展開を先読みするように。

 ゼストの攻撃をおぼろげながらも読んだ颯輔は、一点に向けて右手を突き出した。

 周囲の魔力素が集って結びつき、小さな漆黒の壁を築き上げる。ぶち当たったゼストの槍は、壁を切り裂くことも貫くこともなく、硬質な音を立てて弾かれた。

 

「やったっ」

「何をいい気になっている」

「――っ」

 

 確かにゼストの攻撃は防いだ。だがそれはたった一度きり。ましてやナハトヴァールの鎖もないのだ。防がれたのならば、第二撃に移られることなど当然だった。

 風を切り裂いたゼストの槍が、颯輔の脇腹に叩き込まれた。颯輔はボールのように飛ばされ、無様に床を転がる。大した痛みではないはずが、颯輔は四つん這いの状態からなかなか立ち上がることができなかった。

 床を見下ろす視界の端に、ゼストのブーツが映る。はっと顔を上げるも、ゼストに攻撃を仕掛ける様子はなかった。

 

「何故本気を出さない? まさか、手加減でもしているのか? 俺を殺してしまわないように? ならばそれこそ何よりの屈辱だ。八神颯輔、お前のような素人に負かされるほど、俺は弱いつもりはない」

「……ますよ」

「何……?」

「だから、手加減だとか、勝ち負けだとか、そういう話じゃないんですよ……!」

 

 武器を向けられた恐怖からか、それとも弱い自分への憤りからか、颯輔の手足は震えてしまっていた。

 それでも颯輔は顔を上げ、見下ろすゼストの視線を正面から受け止めて言った。

 

「闇の書は、これまでいろんなものを壊してきました。確かにその力は、何かを壊すことに秀でているんだとは思います」

 

 魔力を奪い、命を絶ち、国を滅ぼしてきた闇の書。

 その事実は決してなくならない。

 過去を塗り替えることなどできはしない。

 

「だけど、それだけじゃないんですよ。夜天の書と紫天の書が培ってきた力は、何かを壊すためのものだけじゃない。治癒魔法とか、防壁とか、結界とか、もっと優しくて、命を守れるような、そういう力だってたくさんあるんですよっ」

 

 例えば、シャマル。

 シャマルの本領は、傷ついた他者を治療して癒すための魔法だ。温かくて心地よいミントグリーンの魔力は、何度も颯輔やはやての痛みを取り除いてくれた。

 例えば、ザフィーラ。

 ザフィーラの本領は、その広い背中に誰かを守るための魔法だ。力強い群青色の魔力は、何度も颯輔やはやてを攻撃の脅威から守ってくれた。

 シグナムもヴィータも、ディアーチェもシュテルもレヴィも、リインフォースもユーリも、皆がそういった他者のための魔法を使うことができる。

 そして、死に瀕した颯輔を救ったのは、呪いに侵されていた紫天の書の力だった。

 ならば、呪いが解けた今、破壊と死を振り撒く魔導書など、どこにも存在しないのだ。

 

「だったら、俺がそれを裏切るわけにはいかないじゃないですか……! 夜天の魔導書も紫天の魔導書も、もう誰にも呪われた魔導書だなんて言わせないっ! あの子達には……ナハトにだってっ、自分の力は誰かを守れる優しい力なんだって、胸を張って誇れる力なんだって、そう教えてあげたいんですよっ! だからっ! これ以上誰かを傷つけてしまうくらいなら、皆を泣かせたって、怒られたって……俺が傷つく方がずっといいっ!」

「……安い信念、穴だらけの理論だな。力を伴わない言葉ほど、劣悪なものはない」

 

 返すゼストの声は、底冷えするほどに冷たいものだった。憤怒と憐憫とが混ざり合った目を向けたまま、その手の槍をぶんと回す。床についていた石突が迫り、颯輔の顎を跳ね上げた。

 

「あ……」

「お前は俺以上に理解しているはずだろう。いつの時代だろうが、悪意はその善意を食い物にしてきたということを」

 

 ゼストの憐みの声は、しかし颯輔には届かない。魔法生命体であろうとも、意識を刈り取られることはある。いくら颯輔が痛みに慣れてしまっていようとも、すでに落ち始めた意識を自力で繋ぎ止めることなどできるはずもなかった。

 幕引きのつもりで放ったゼストの一撃。

 それは、確かに決着をもたらすものだった。

 ゼストの死という幕引きを。

 

Gegenangriff.(反撃を)

 

 崩れ落ちる颯輔の左手から、不吉を告げる電子音声が上がった。

 颯輔は、ナハトヴァールに必要以上の魔力を供給しないようにしていた。ナハトヴァールの存在意義は、紫天の王の存続。相手に悪意があろうとなかろうと、颯輔に危害を加える者の存在など、許すはずがない。

 ならば、そこで力を制限していた颯輔の意識が落ちればどうなるか。

 答えは、腕甲から伸びる八匹の大蛇だった。

 

「これは――ぐがっ!?」

 

 てらてらと光る漆黒の鱗を持つ大蛇。颯輔の有り余る魔力を使って出現したと同時、一匹がゼストに体当たりをかます。咄嗟に張った障壁は無残に砕かれ、弾丸のように飛んだゼストは壁にぶつかりようやく停止した。

 今の体当たりは、自身の躯体を展開する上で邪魔になるものを脇に避けた程度のものだ。要するに、顔を出そうと思ったら何かが頭にぶつかっただけ。ただそれだけのことで、槍で受けたゼストの手首はいかれて肩が外れてしまっていた。

 躯体を展開し終えたナハトヴァールが、八つの口を大きく開く。血のように赤い肉を覗かせながら、八匹の大蛇がゼストに向かって殺到した。

 

「――阿呆が。先の言葉、そっくりそのまま返してやろう」

 

 途端、暗転していた颯輔の視界が光を取り戻した。その視界には、猛る炎閃と鋭い雷閃が瞬いている。左腕の腕甲から伸びる八匹の大蛇が、シュテルとレヴィの二人によって細切れにされていた。

 

「まあ、こんなものでしょう」

「まったくもー、そーすけは相変わらず頼りないなぁ」

 

 魔導杖(ルシフェリオン)魔導剣(バルニフィカス)。それぞれのデバイスを構え、シュテルとレヴィは颯輔の両隣りにふわりと降り立つ。シュテルはひとつ息を吐き出ながら、レヴィは呆れ顔で颯輔を見ていた。

 

「俺は……」

『大丈夫ですよ、颯輔。ナハトはわたしがちゃあーんと抑えておきましたから』

 

 胸の奥に感じる温もりと、体の内側から響く幼い声。震えが収まった手足で身を起こしてみれば、漆黒の戦装束は純白に染め上げられている。そのどれもが、ユーリとユニゾンした証だった。

 

「そっか……――って、グランガイツ三佐はっ!?」

「はいはい正面を見るー」

「暴走したナハトの攻撃は、ディアーチェが防いでくれましたよ」

『治療もしてくれてるみたいです。……すっごく嫌そうな顔してますけど』

 

 三人に促されて見てみれば、躯体が解けゆくナハトヴァールの残骸の向こうに、漆黒の障壁が展開されていた。

 残骸の消失と共に障壁も消えると、そこには、壁際に座り込んだゼストとそれを見下ろすディアーチェの姿がある。ディアーチェは紫天の書を片手に治癒魔法を発動させながら、あらん限りの罵声をゼストに浴びせかけていた。精神リンクから伝わってくるディアーチェの感情は、憤激の一色のみである。

 

「俺、結局何もできなかったんだな……それどころか、ナハトを暴走させて……」

 

 ゼストを侮っていたわけではなかったが、慢心が全くの皆無だったとは言えない。無意識の内に、ディアーチェ達と比べてしまったのだ。ディアーチェ達に比べれば、ゼストは容易い相手だと。あのときは颯輔一人の力で戦ったわけではなく、自身の無力さも理解していたというのに。

 行き場のない憤りから、颯輔は拳を固く握り締めた。

 震える片方の拳を、シュテルの小さな掌が包み込む。

 

「颯輔、あまり自身を責めないで下さい」

「そうそう。もともと颯輔が勝てるとも思ってなかったし、ナハトの暴走はシュテるんの作戦ミスなんだから」

『そうですよぉ。本当は颯輔のピンチに――』

「んんっ」

『とっ、とにかく悪いのはシュテルですっ』

「……というわけです。颯輔には自身の力量を再認識して頂きたかっただけなのですが、颯輔の言葉があまりにも心震わせるものだったので、止めるタイミングを見誤ってしまいました。申し訳ありません」

「う、うん……って、ちょっと待って。それって、結局俺の所為ってこと……?」

「端的に言わせていただければ、そうなりますね」

「ならんわっ! というか貴様シュテルっ! 面倒事を我に押しつけておいて自分は兄上に媚を売るとはいい度胸ではないかそこに直るがいい……!!」

「きゃー。ディアーチェが恐ろしいです颯輔助けて下さい」

 

 どうやら治療は終えたらしく、わざわざ転移魔法を使ってまで颯輔達の下に戻ってきたディアーチェは、颯輔に寄り添うシュテルを見てさらに怒りを深める。棒読みの台詞を発したシュテルは、ディアーチェから隠れるようにして颯輔にしがみついていた。

 何やら聞き逃してはならない言葉があった気もするが、怒髪天をつくディアーチェを宥めるので颯輔はそれどころではない。シュテルを引きはがそうと迫るディアーチェを代わりに受け止め、どうどうと背中を撫でた。

 

「よしよし怒らない怒らない」

「はふぅ……」

「それから、ありがとうな。ちゃんと俺の言葉を聴いててくれて」

「い、いいいいえ、あのような視界に収める価値もない塵芥であろうとも、これから先、我らの上官となる相手。兄上とディアーチェの暗黒ほとばしる未来を思えば、心証を貶めることなどあってはなりませぬゆえ」

「その割には罵倒してたけどねー」

「というかなんですかその邪念溢れる未来予想図は」

『ディアーチェ汚いです』

「貴様ら……!」

「はいはいどうどう」

「んっ……!」

 

 未だに震えるディアーチェを宥めながら、颯輔は自身の荒んだ心も落ち着けていた。

 自分は弱い。それは、今後履き違えることがないほどに自覚した。経験も技量もないのだから、それは当然のことだろう。知識だけで戦うことができるほど、この世界は甘くはない。

 しかし、颯輔はもう自分が一人ではないことも知っている。ユーリがいて、ディアーチェがいて、シュテルがいて、レヴィがいる。今は会うことができないが、はやて達だっているのだ。先ほどはああ言ったが、もう一人で抱え込む必要はない。

 颯輔の力とは、皆が揃って初めて発揮されるのだから。

 

「さて颯輔。次は、貴方(我ら)の強さを再認識していただきましょうか」

「やっとボクらの出番だねっ。待ちくたびれちゃったよぉ~」

 

 ひとまずはひっついて満足したらしいシュテルが、颯輔を見上げながら言う。レヴィは一人離れたまま、肩をぐるぐると回していた。

 

「わざわざ治療してやったのだ、当然立てるであろう? 望み通り、我らの力を見せてやろうではないか。丁度いい、そこの塵芥共もまとめて来い。貴様らがロストロギアなどと称す紫天の威光、その身に刻んでやる。格の違いを思い知るがいい」

 

 颯輔の腕を引っ張り抱きかかえたまま、ディアーチェが不遜に笑って声を魔法で響かせる。立ち上がったゼストが再び槍を構え、行方を見守っていたリーゼロッテが人間形態に戻り、メガーヌの首根っこを掴んでゼストの隣に転移した。

 

『颯輔、皆で一緒にやっちゃいましょう!』

「あの、怪我させたらダメだからな? ……絶対、ダメだからな?」

 

 高まる複数の魔力を感じながら、颯輔は頬を引きつらせる。向こうでメガーヌが同様にしているのを見て、常識人が一人はいることに救われた気がした颯輔だった。

 


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