夜天に輝く二つの光Relight   作:栢人

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第十三話 すれ違い空

 

 5月1日土曜日は、ゴールデンウィークの五連休の開始日である。慌ただしい日々が続いた八神家も家族揃っての連休を取る事ができ、ひとまずは平穏が戻りつつあった。

 はやての復学に闇の欠片事件。颯輔の生還に新たな家族の誕生。事件の事後処理やら管理局員としての仕事始めやら、八神家にとっての4月は大きな出来事の連続だった。ろくに休む暇もなかったのだから、せっかくの連休初日をだらだらと過ごしてしまったのも、仕方のない事である。

 もっとも、食うもの食わずというほど不摂生に過ごしたわけではない。簡単な夕食を取ったあと、八神家の台所では、リインフォースとシャマルが後片付けに追われていた。

 

「……なんだか、今日は一日が早かったわね」

 

 テーブルを拭いているシャマルが、ぽつりと呟いた。食器を洗っている最中のリインフォースは、手を止めずに振り向く。シャマルはせっせと手を動かしながらも、心ここに在らずといった様子だった。

 

「何もせずに呆けていただけだが、私もそう思う。だが、偶にはこうした休息も必要だろう」

 

 リインフォースは手元に目を戻し、独り言のような呟きに答えた。泡塗れになった皿を置き、水にさらしていた中から次の皿を手に取る。この一ヶ月で、こうして実際に家事をするのにも大分慣れて来ていた。

 

「それはそうだけど、せっかくのお休みなのに、もったいなかった気もするわ」

「皆、少し疲れていただけさ。特にお前達はな。すまないな、苦労をかけてしまって」

「気にしないで。学校にまでついていけるのはリインフォースだけだし、その間、私達だけのんびりしているわけにはいかないもの。……でも、レティ提督ってけっこう人使いが荒いわよね」

 

 肩を落としたような声に、リインフォースはクスクスと笑う。

 リインフォース達が所属する部隊の部隊長であるレティ・ロウランは、実力主義の女傑だ。使える人材は使えるだけ使うというスタンスのレティにより、リインフォース達は実力を十二分に発揮させられていた。

 リインフォースとはやての二人は拘束時間が短いが、シャマル達は違う。管理局の人手不足を補うかのように走り回り、目が回るような忙しさを覚えているようだった。

 

「しかし、おかげで居場所ができたのだ。そう悪いことばかりでもないだろう。それに、これまでに比べれば可愛いものだ」

「……それもそうね。ヴィータちゃんとザフィーラなんか、マスコット扱いされるくらいだもの」

「シャマル先生に、シグナムの姉御もな。噂は聞き及んでいるぞ? その美貌で早くも男性局員を惹きつけていると」

「あ、あなたに言われたくないわよっ。……男女構わす魅了しちゃって、それではやてちゃんにいじられてたじゃないの」

「私は普通に接しているだけなのだがな……」

「違う違う。いえ、普通にしてるだけでも十分なんだけど、リインフォースの場合は、憂いを帯びた表情でふと遠くを見ているところが堪らない、らしいわよ? 守ってあげたくなるとかなんとか。……どうせ颯輔君のことでも考えてたんでしょ」

 

 リインフォースの手から、つるんと皿が落ちた。それがシンクの底にぶつかる前に、慌ててキャッチする。ほっと一息ついたリインフォースの背後には、ぬっと忍び寄ってきたシャマルの気配があった。

 

「ふっふっふ、図星ね?」

「な、なんのことだか分からないな」

 

 皿洗いに集中しようとしたリインフォースの肩に、そっと手が置かれる。横から覗いてくるシャマルから逃げるように、リインフォースは顔をそらした。

 

「誤魔化したってむーだ。精神リンクでぜーんぶわかっちゃうんだから」

「そ、それはお前達も同じだろう」

「もちろん心配はしてるわよ。でも、勤務中に顔に出すなんてことはしないもの。うふふ、あなたも不用心になったわね」

「くっ……」

「やっぱり颯輔君と融合(ユニゾン)したから? ここだけの話、はやてちゃんとどっちがいいの?」

「……相性で言えばはやてだが」

「はやてだが?」

「……こ、これ以上は黙秘権を行使する」

「えーっ、ずるいずるいっ! 私も融合(ユニゾン)してみ……あっ、リインフォースと融合(ユニゾン)したら、颯輔君にはやてちゃんとも間接的に融合(ユニゾン)したことに……?」

「……しないぞ、私は。非常時ならばともかく、これ以上躯体を許して安い融合騎()になるつもりはない」

 

 怪しげな雰囲気を放ち始めたシャマルをばっさりと切り捨て、水を止める。ハンドタオルで手を拭くと、リインフォースはするりとシャマルの拘束から抜け出した。

 真っ当な形ではなかったが、リインフォースはこれまで何代もの主と融合(ユニゾン)してきた。自己調整機能があるからこそできたことだが、それは本来の融合騎(ユニゾンデバイス)の矜持からは外れるものだ。これと決めた主に機能停止の時まで尽くす、それがあるべき融合騎(ユニゾンデバイス)の姿だった。

 今でこそはやてと颯輔という正統な主を得たリインフォースだが、恥ずべき過去が消えたわけではない。その点で言えば、颯輔を最初で最後の主とするユーリの存在が羨ましくて仕方がなかった。

 

「あっ、もう、ちょっとくらいいいじゃない」

「たった今、シャマルと私の相性は悪くなってしまったのでな。こんなところで融合事故を起こすわけにもいかないだろう?」

「意地悪ねぇ」

「意地悪なものか。これは数少ない私と颯輔との思い出だ。私からしてみれば、生活を共にしていたお前達の方がずっと羨ましい」

 

 誰もいないリビングへと進み、ソファに腰掛ける。リインフォースが座ったのは、暗黙の了解で颯輔の席となっていた場所の隣だった。

 追ってきたシャマルも空いた席に座り、テーブルからテレビのリモコンを手に取る。チャンネルを一周すると、バラエティで落ち着いた。

 

「……颯輔君達の出所は来春だけど、はやてちゃんは、少なくとも中学校を出るまではこっちでしょう? 颯輔君達がずっとこっちにいるわけにもいかないし……私達がミッドチルダに引っ越すとしても、最低6年は先の話になっちゃうのね」

「6年か。一瞬のはずが、今となっては酷く長く感じてしまうな」

「お休みの日に泊りに行くとしても、それ以外はユーリちゃん達がずっと一緒……」

 

 はぁ、と二人そろって深い溜息を吐き出した。テレビから聞こえてくる笑い声も、別世界のことのように感じてしまう。一日何をするでもなく過ごしてしまったのも、この陰鬱とした空気が原因の大半を占めていた。

 夜天の書側の精神リンクは、颯輔を介して紫天の書側の精神リンクと繋がっている。今まで落ち着いていたはずのそれが、今日になって活発な勢いを見せた。言葉にすることも難しい感情の波が、これでもかというほど押し寄せてきたのである。

 最初は微笑ましく思えていたそれだが、さすがに一日中続けられれば堪ったものではない。はやては今もザフィーラを連れて部屋に引きこもっており、シグナムとヴィータはシャワーを浴びて気分転換の真っ最中だ。

 

「あ、またなんか来た……」

「……今度はユーリの一人勝ちのようだな。ディアーチェとシュテルが悔しがっている」

「レヴィちゃんが落ち着いているのよね。元気なだけというかなんというか」

「あれは颯輔への執着が薄いからな。昼間は騒がしかったが、あとは静かなものだ。大方、向こうからふっかけられでもしたのだろう」

「忙しないわねぇ。私達だってもうちょっとゆとりがあったのに」

「私達はすでに実力を示していたからな。一方で颯輔達は未知数だ。早々に力量を把握しておきたかったといったところか」

「正確に測れるとは思えないけど……ていうか、そんなことより重大な問題があるわ」

 

 額を押さえて悩ましげにしていたシャマルだったが、不意にその目に力が戻る。表情を引き締めたシャマルに、リインフォースは深く頷いて見せた。

 

「ユーリ達は、颯輔と共に……にゅ、入浴、したようだな」

 

 言い切った後、しばらくの静寂が訪れた。テレビの音は、もはや耳に入って来ない。精神リンクから流れ込んでくる感情のみが、ただただうるさかった。

 リインフォース達がそれを知ったのは、いつもに比べて早めの夕食をとっているときだった。ディアーチェからの感情が、正しく津波の如く訪れたのである。

 その瞬間、笑顔だったはやての表情が無に帰し、「ごちそうさま……」と告げて自室へと退散。全員が王の威圧感に気圧されて動けない中、果敢にもはやての後を追っていったザフィーラは未だ音信不通。八神家はより一層の重い空気に包まれることとなった。

 

「あのヴィータちゃんですらそこまでは許されなかったのに……。私やシグナムなんて、一緒の部屋で眠ることすら許されなかったのに!」

「ヴィータはともかく、お前達は当然だろう……」

「なんでよっ!? リインフォースは一緒に寝てたじゃないっ!?」

「いや、当時の私は本だったのだが……。というかシャマル、お前も理由は理解しているのだろう?」

「わかってるけどっ! 颯輔君の気持ちはわかってたけど納得はできないのっ!」

 

 シャマルの矛先を変えることには成功するも、やはり怒りは収まらない。羞恥から頬を薔薇色に染めながらもぷりぷりと怒るシャマルに、リインフォースはげんなりとした。

 リインフォースとて、シャマルの気持ちはわからないでもない。はやては言わずもがな、颯輔の傍にもありたいと思っている。背中を流して欲しいと言われれば迷わずそうするし、一緒に寝ようと言われれば二つ返事でそうするし、求められれば喜んで体も捧げるつもりだ。

 颯輔は男で、リインフォース達は女。ましてやシャマルとシグナムは先に起動しており、関係も良好。となれば、一線を越えて男女の関係となるのは時間の問題とも思えた。

 しかし、肝心の颯輔はそれを望まなかった。シャマル達に女を感じてはいたようだし、欲情することもあったはあったが、それをぶつけることはしなかった。

 颯輔は、優先順位が変わることを恐れていたのだ。愛欲に溺れて己が感情が変化し、関係が壊れることを恐れた。颯輔にとっての最優先はただ一人であり、その幸福を自ら奪うことをよしとしなかったのである。

 

「だって、私達はさんざんダメって言われてたのに、あの子達はすんなりなんて、悔しいじゃない」

「気持ちはわかるが、あのときと今とでは状況が違う。あれらの姿形は子供だしな。それに、颯輔にも心境の変化があったのではないか」

「それじゃあ、次は私達も……?」

「颯輔次第だが、やはりはやてとヴィータくらいだろう。強引に仕掛ければ私達も受け入れられはするかもしれないが、それでは颯輔を困らせるだけだ」

「むー……。なら、リインフォースはどうしたいのよ?」

「わ、私か? 私は……私は、颯輔とはやての望むままにあるだけだ。それだけでも、私は十分に満たされるよ」

「……例えば、そのままいつかは誰かに颯輔君やはやてちゃんをとられることになったとしても?」

「それが二人の幸福に繋がるのならな。……複雑だが、そうあって欲しいとも思う。はやてもそうだが、颯輔も外の世界を見ようとしないだろう? 世界は広い。ならば、どこかにそれぞれの幸福があるはずだ。私は、それを見つけて欲しいと思っている」

「……もう融合(ユニゾン)しちゃったからこその余裕ね」

「なっ!? しゃっ、シャマルっ!」

 

 本心を打ち明けたつもりが、ジト目になったシャマルの一言によって全てを台無しにされてしまった。リインフォースは耳まで赤くして抗議の声をあげる。

 しかしそれは、図星を突かれたからこその反応だった。

 融合(ユニゾン)とは、躯体と心を一つにする行為。リインフォースは、それこそ単に体を重ねることよりも先にあるものと思っている。シャマルの指摘通り、シャマル達よりは一歩進んだところにいたからこその先の発言だった。

 どこの誰が現れようと、融合騎(ユニゾンデバイス)であるリインフォースの立ち位置は変わらない。融合適性を自在に変化させることなど、リインフォースにしかできないからだ。

 目下の敵はユーリ達だが、颯輔は紫天の王となったのだから仕方がないと言えば仕方がない。それに、颯輔達が全力を出すにはリインフォースの力も必要であって、なにも完全に独占されたわけではないのだからそこまで異論はなかった。

 ところが、それはリインフォースのみであって、シャマル達には当てはまらない。はやてはこちら側だとしても、蘇った颯輔は遠くにおり、そこにはユーリ達がいるのだ。つまりは、略奪され、さらには精神リンクを介して自慢までされている状態。これで不満が出ない方がおかしい。

 ふっ、と自傷気味に笑ったシャマルまでもが暗い空気をまとい始める始末。追い詰められた状況を変えたのは、廊下へと続く扉が開いた音だった。

 

「あがったー」

「む、またこの空気なのか……」

「ヴィータっ! シグナムっ!」

 

 風呂上りのヴィータとシグナムの登場にぱっと顔を輝かせ、リインフォースはその場から逃げるようにヴィータの下へと駆け寄る。そのままヴィータを連れ立って台所へと避難し、定番となった風呂上りの牛乳を準備し渡してやったところで一息ついた。

 頭のてっぺんからピンと伸びた毛束をクエスチョンマークにしていたヴィータだったが、シグナムがシャマルに捕まったのを見て全てを察した様子。牛乳を飲み干したヴィータにより、縋りついたリインフォースの頭があやすように撫でられた。

 

「シャマルまでああなっちまったか。こりゃあやっと治ったシグナムも逆戻りだな」

「すまないヴィータ。力ない私を許して欲しい」

「あたしもどっちかっつーとお前側だからな、別にお前をどうこうする気はねぇよ」

「うぅ、ヴィータぁ……」

「泣くな泣くな、今日はあたしも颯輔の――じゃなかった、お前の部屋で寝てやるから。はやても一人で歩けるようになったことだし、最悪、このままザフィーラを生贄にしとけば大丈夫だろ。盾の守護獣の面目躍如だ」

「今日ほどヴィータとザフィーラの存在に助けられた日はない。流石は守護騎士だ」

「おもしろい時代になったもんだ……。ほら、いいからさっさと風呂でも入って来い。なんならもう一回入ってやろうか?」

「鉄槌の騎士でもこの状況の打破は難しいか」

「颯輔ならともかく、あたしにはできないこともある。シグナムが時間稼いでるうちに脱出しようぜ。もしあそこにはやてまで合流されたら、もう打つ手がなくなっちまうぞ」

「……そうするとしよう」

 

 ヴィータも一人残されるのは耐えられないらしく、リインフォースは手を引かれるままにリビングを後にする。シグナムの恨みがましい視線をひしひしと感じたが、涙を呑んで気づかない振りをした。

 

 

 

 

 廊下を進んで開いた扉の先は、天窓から射し込む月明かりによって淡く照らされていた。四方の壁に備えられた足元灯もあり、夜の雰囲気が損なわれない程度の明るさを保っている。リフレッシュルームの名に恥じず、心を落ち着けるには十分の部屋だった。

 新品でふかふかのタオルを片手に、颯輔はその部屋へと足を踏み入れる。夕食後の空いた時間も颯輔が一人になることを許さなかったユーリにディアーチェとシュテルの三人は、これ以上は譲れないと扉の傍で待機したままだ。

 リンカーコアが感じ取る魔力を辿っていけば、捜していた人物はすぐに見つかった。

 中央にある噴水を回れば、薄明りの中でも輝いている目がある。猫形態で丸くなっているリーゼロッテが、颯輔を静かに見上げていた。

 

「こんばんは」

「……何の用だ」

 

 とりあえずと挨拶をしてみるも、返ってきたのは不機嫌を隠しもしない声音。予想通りの反応に、颯輔は苦笑を漏らした。

 

「ちょっと話しておきたいことがあってさ。隣いい?」

「……好きにしろ。会話までは記録されねーから、そのへんは心配しなくていい」

「それは助かる。それじゃあ失礼して」

 

 気を遣われたことに内心で驚きながら、颯輔はリーゼロッテの隣に腰を下ろす。噴水に背中を預けると、水気を含んだ空気が首筋を冷やした。

 

「寒くない? ずっとここにいるつもりなら、これ、寝床になるかと思って持って来たんだ。もちろん新品」

「あたしのことは気にしなくていい。余計な気ぃ回す暇があったら、あいつらの躾をお願いしたいもんだな」

「しばらくお世話になるんだから、そういうわけにもいかないでしょ。それから一応言っておくけど、あの子達は所構わず暴れ回るほど凶暴じゃないってば」

「はっ、どーだか。今だってすっげー警戒してこっち見てんじゃねーか」

「まだまだ俺が頼りないからなぁ……。まぁ、ロッテが仕掛けて来ない限りは大丈夫だよ」

「その気になったらあたしの転移の方が早いと思うけどな」

「連れ去られはするかもしれないけど、もしそうなっても転移先で待ち構えてると思うよ?」

「反論できそうもないのがまた頭にくるな……。んで、わざわざそんな世間話をしに来たわけじゃねーんだろ? 消灯時間まで誤魔化してやるつもりはねーからな、さっさと本題に入りやがれってーの」

 

 リーゼロッテの変わらぬ態度に、颯輔は肩を落とす。わかってはいたが、やはり闇の書事件の根は深い。これは時間がかかりそうだと、そう思った。

 しかし、会話すら拒絶することまではしないらしい。当然グレアムの指示があってのことだろうが、反応すらなかったり、逃げられたりとされないだけ幾分かのとっかかりは残されているようだった。

 ひとまずはとタオルをリーゼロッテの隣に置き、颯輔は思考を切り替える。尋ねたかったのは、これまでずっと気になっていたことだった。

 

「訊きたいことがある。ロッテ達は、闇の書がうちにあるって、どうやって知ったんだ?」

 

 颯輔の問いかけに、リーゼロッテは細めていた目を見開いた。視線をそらさず返答を待つが、先にリーゼロッテの視線が地に落ちる。それでも颯輔がそのまま言葉を繋げず待っていたのは、僅かな魔力の流れを感じ取ったからだった。

 叔父夫婦を亡くした後、施設へと預けられそうになっていた颯輔とはやてを引き取ったのは、グレアムだった。よくよく考えてみなくとも、外資系の会社に勤めていたわけではない叔父が、歳の離れた英国人と親しくなる可能性などゼロに近い。幼い時分は疑問に思いもしなかったが、すでにグレアムは封印状態にあった闇の書を狙っていたのだろう。

 しかし、そこで問題となるのは、如何にしてその所在を調べ上げたのかだ。封印状態であろうとも、ロストロギアである闇の書を発見することなど不可能なはず。グレアムが地球出身であることを考慮しても、広大な砂漠から特定の砂粒ひとつを見つけ出すような話だ。

 それでも、グレアムは颯輔達の前に現れた。リインフォース達やユーリ達ですら思い当たらない技法は、今後間違いなく脅威となる。降りかかる火の粉を払い避けるためにも、颯輔はそれを知っておかなければならなかった。

 

「……闇の書をどうやって見つけたのかは、あたしとアリアも、父様も知らない」

 

 ようやく上がった声は、小さく頼りないものだった。

 

「知らないって……」

「本当だ。あたしらでも闇の書をずっと探してたけど、結局見つけることはできなかった。やっぱり事件が起こるまで待つしかねーかって諦めかけたとき、闇の書は地球にあるって教えられたんだ……」

「それは、誰に……?」

「……最高評議会」

 

 躊躇いの息の後に続いたのは、管理局の事実上トップの名だった。

 

「えっと、バラバラだった次元世界を平定して、新暦を興したときに発足した機関だっけ?」

「何でそんなことまで知って……蒐集か」

 

 驚愕の表情が、たちまち憎々しげに歪む。リーゼロッテの推察通り、闇の書が蒐集した管理局員の記憶から得た知識だった。

 しかし、知識を得た颯輔とて、その全てを理解しているわけではない。管理局の前身となる組織を率いた三人の大魔導師によって結成され、それ以降、管理局の最高意思決定機関としてあり続けている、という程度だ。それ以上の情報は、過去の将官クラスの局員でさえ持っていなかった。

 

「こっちの情報源はともかく、それじゃあそっちは最高評議会の指示で動いてたってこと?」

「……まあ、そういうことだ。あたしらはあたしらで闇の書を破壊しようって動いてたけど、肝心の闇の書は見つけらんねーし、破壊方法もなかなか思いつかねーしで手詰まりだったからな。最初は半信半疑だったけど、確かに闇の書はお前らの家にあった。見つけた時は、驚いたってもんじゃなかった」

「在処を教えられただけ、ね……って、最初は破壊しようとしてたの?」

「当たり前だろ。いくら歴史的価値が高いったって、史上最悪のロストロギアだぞ? いつか破られるかもしれない封印より、完全にこの世から抹消しちまった方が安心ってもんだろーが」

「その考えはわからなくもないけど、当人を前にしてよくもそれだけ……いや、これはどっともどっちか。で、どうして破壊から封印に切り替えたのさ?」

「完全破壊は不可能だって言われたんだよ。確かにアルカンシェルも無駄だったし、虚数空間に落ちたときも当たり前みたいに事件は続いたからな。あたしらもそこで悩んでた。でも封印なら可能だって、そう教えられたんだ」

「それも最高評議会に?」

「ああ。教えられたのは、封印のタイミングと方法くらいか。破壊の方法を考えてるときに、父様がブラスターシステムの理論は組み上げてたからな。あたしとアリアでエターナルコフィンの術式を完成させて、あとは専用のデバイスを造りつつ、場を整えるだけだったよ。その後は知ってのとおりっつーわけだ」

「なるほどね……」

「……言っとくが、いいように使われたってわけじゃねーかんな。少なくとも、あたしらはあたしらの意思で動いてた。ただ、管理局っつー組織自体が、ある意味で最高評議会の使いっ走りみてーなもんなんだよ。結局のところ、方針を決めるのもあいつらだし、大事もあいつらの承認なしじゃ進まねー」

「いや、別にそこに引っかかったわけじゃないよ。問題は、最高評議会がどうやって闇の書を見つけたのかってことだし」

「そこはあたしらも気になってた。お前らの人事も最高評議会の決定だしな。いくら陸がうるさいからって、お前らは明らかに過剰戦力だ。局員のしがらみ関係なく、でけー事件が多い海に配置すべきだって思う。それに、お前らがおかしな行動したとき、ミッドじゃアルカンシェルも撃てねー。あたしがここに来るのにも一悶着あったくらいだし……。最高評議会は、明らかにお前らを父様の下から遠ざけて、自分達の管理下に置こうとしてんぞ」

「やっぱり狙われてるか……」

「間違いなく、な。元々胡散くせー連中だったのもあって、今は父様とアリアで色々探ってるとこだ。父様は何があってもお前らの味方でいるって決めちまったし、アリアもそれに賛同しちまった。てなわけで、あたしはまだお前らのことが大っ嫌いだけど、お前ら絡みでまた何かでけーことが起こるのも勘弁だから、仕方なくこうしてるってわけ」

 

 やる気なく淡々と話したリーゼロッテだったが、颯輔にはそこに嘘があるとは思えなかった。

 リーゼロッテ達が闇の書を恨んでいたことは間違いない。リーゼロッテ達にはそれだけの理由があり、颯輔もその全てを否定するつもりはない。

 だからこそ、こうして協力してくれているのだろう。闇の書の所業を恨んでいたリーゼロッテ達が、これ以上の悪用を許すはずがない。その逆説もあって、颯輔はリーゼロッテの言葉を信じる事ができた。

 しかし、事態は颯輔が思っていた以上に根が深い。言いなりになるつもりはないとはいえ、颯輔達は管理局に所属してしまったのだ。そのトップの思惑が知れない以上、また何か大きな事件に巻き込まれてしまうことは避けられないだろう。

 知らず溜息を漏らした颯輔に、再びリーゼロッテの声がかけられた。

 

「父様は元帥だし、あたしとアリアもその直属だからな、ここにいる間は守ってやるから安心しとけ。お前らに比べれば雑魚だけど、それなりの権力はある。面倒なやつらが訪ねて来たって追い返しといてやるよ」

「それは、うん、助かる。ありがと。だけど……」

「はやて達には、そっち方面には滅法強いリンディとレティがついてる。父様も目ぇ光らせてるし、聖王教会の庇護もあるし、おかしな指示でどーこーってのはねーはずだ。実力行使なんてそれこそ無駄だろうしな、あんま心配すんな。お前が心配しなきゃいけねーのは、お前単体じゃ話になんねーくらい弱っちーってことだけだ」

「痛いとこ突いてくるなぁ……」

 

 鋭い指摘に、居た堪れなくなった颯輔は頬をかいた。

 今日の模擬戦の黒星は、颯輔がつけてしまったものだけだった。確かに颯輔達は強いが、颯輔一人に限って見れば、いくらでも攻略法は見つかってしまうのである。

 今の颯輔は、ユーリ達の足手まといでしかなく、ナハトヴァールの力すら使いこなせていない。戦闘経験がほとんどないというのもあるが、だからといって相手が手加減してくれるわけでもないのだ。ユーリ達と分断される可能性は限りなく低いとはいえ、颯輔の存在が狙い目であるのは間違いなかった。

 

「スペックだけ見れば父様より上なんだけどな、肝心の心構えがド素人だ。実際お前、下手な手加減しなけりゃゼストにも負けなかっただろ? 広域魔法ぶち込めば終わってたはずだ」

「そこはシュテルにも散々ダメだしされたよ……」

「だろうな。ベルカ式のくせに身体強化も下手くそだったし、攻撃らしい攻撃もしなかったし、そんだけコケにされりゃーゼストじゃなくたって怒るわな。お前、夜天の書と紫天の書の記憶はあんだろ? だったらいくらなんでももうちょいマシな動きができんだろ」

「…………」

「……なんだよ?」

「あ、いや、なんでもない。その、確かに記憶はあるけど、それだけじゃ難しいっていうか、日本の常識が沁みついてるっていうか」

「実際の動きに落とし込めないってことか。それに、あんだけ治安のいい国に住んでたら、メンタル面もこうなるか。武道どころかろくなスポーツもできてなかったみてーだしな」

「学校の体育だけだよ。こんなことなら、シグナムとかザフィーラに護身術くらいは教えてもらっとけばよかった」

「今更んなこと言ったって仕方ねーだろーが。魔法に関してはあそこのチビ共に任せるとして……近接戦闘とかも任せたまんまでいいのか?」

「あー、戦闘訓練はユーリ達でしてくれるってさ。管理局側から何かあっても、参考程度にしておけって言われてる」

「それならそれで構わねーよ。こっちも古代ベルカ――ましてやお前らみてーな特殊な例は、正直面倒見切れねーかんな。なら、あたしとメガーヌは常識を叩きこむくらいで、戦闘訓練は仮想敵くらいしか出番なしか」

「あのさ、贅沢言うようで悪いんだけど、男の人の指導者とかって……?」

「なしだ。この施設にいる局員も最低限だしな。もっと言うと、お前らと接触していいのは、基本的にあたしとメガーヌくらいだ。ゼストは滅多に顔出せねーし、もう一人のメガーヌの同僚も、部隊の方で手一杯。今日の晩飯だって、メガーヌが運んできただろ? あいつがお前らの直属の上官になるから、今の内から仲良くしとけよ」

「……訊こうと思ってたんだけど、アルピーノ准陸尉とは仲いいよね?」

「アリアと教導隊にいた時期もあってな、あいつはあたしらの教え子だ。ついでに無愛想のゼストもな。要するに、信用できる部隊に預けたってわけだ。ただし、ゼストより上の地上本部のキャリア組には気ぃつけろ。特に、レジアス・ゲイズってゴリラみてーな少将がいんだけどな、あいつは最高評議会とも繋がってる。おまけに変に潔癖だから、犯罪者には風当たり強ぇーぞ」

 

 リーゼロッテみたいな人なら助かる、とまでは言わなかった。

 何だかんだと言いつつも、リーゼロッテは感情抜きに世話を焼いてくれている。話してみて、それくらいのことはわかったつもりだ。それこそ、気位の高い猫を相手にしているようなものだった。

 リインフォース達やユーリ達と同じような仲にまでなれるとは思えないが、少しずつ氷が解けていけばと颯輔は思う。リーゼロッテは、夜天の書と紫天の書を闇の書として一括りにしなかったのだ。それだけで、苦手意識はすっかり消えてしまっていた。

 結局のところ、互いに互いを信じ合わなければ、信頼関係は生まれない。颯輔が信頼されるのに難しい立場なら、颯輔の方から信頼していくべきだろう。それでも裏切られたとしたら、それまでのことだ。遠ざけて敵を増やすよりは、近づいて味方を増やした方が、ずっと有意義である。

 颯輔達のように、誰もが精神リンクで繋がっているわけではない。他者を遠ざけるばかりだった颯輔は、人間関係の基本を忘れてしまっていたのだろう。心を閉ざしたままでは、他者との距離は絶対に縮まりはしないのだ。

 

「……さっきからにやにや気持ち悪ぃな」

「何でもないよ。ありがとう、ロッテ。頼りにさせてもらう分、こっちにもできることがあったら言ってほしい」

「…………」

「それじゃあ、おやすみ」

「……おい」

 

 立ち上がった颯輔が一歩を踏み出すと、不意に呼び止められた。振り返ってみれば、青色の魔力光がリーゼロッテの体を包んでいる。そのまま人型になったリーゼロッテが、真正面から颯輔を見据えていた。

 リーゼロッテは、唇を噛んで何かを言い淀んでいる。揺れる瞳が何度か落ちそうになるが、やがて、固く拳を握り、意を決したように口を開いた。

 

「……ひとつ、訊いておきたいことがある」

「答えられることなら、何でも」

「……十二年前、クライドのやつは……あいつは、最後は苦しまずに死ねたのか?」

 

 その名前を聞いて、颯輔は一瞬息を止めた。

 クライド・ハラオウン。

 闇の書事件を一度は解決に導いた英雄。

 リーゼ姉妹の教え子で、グレアムの部下。

 リンディの夫で、クロノの父。

 闇の書が命を奪った者達の一人。

 目を瞑って深呼吸をした颯輔は、小さく頷いた。

 

「……うん。それに、艦の皆を守れたって、安心してたみたいだよ」

「……そうか」

 

 颯輔の答えに、リーゼロッテの体から力が抜ける。そのまま噴水の縁に座り込み、俯いてしまった。

 それ以上かける言葉が見つからず、颯輔は黙って背を向ける。夜の闇に解けて消えてしまいたくなったが、それでも表情を作り、ずっと待っていたユーリ達の下へと向かった。

 

 

 

 

 第1管理世界ミッドチルダ。首都クラナガンの郊外に、ゲイズ邸が構えられている。その一室で、ゼストは琥珀色の酒に満ちたグラスを傾けていた。

 酒精が喉を焼き、体の中心が熱を灯す。普段は酒を嗜まないゼストだったが、このアルコール特有の感覚は嫌いではなかった。

 戦いの熱とはまた別のものを感じながら、グラスをガラステーブルに置く。グラスの中のロックアイスがぶつかり合い、高い音を立てた。

 ゼストは見るからに高級なソファへと背を預ける。対面には、志同じくして管理局の道へと入った、十年来の友であるレジアス・ゲイズの姿があった。

 それぞれの能力からゼストは現場を選び、レジアスは上を目指した。階級こそ離れてしまったが、それでその仲が崩れるようなことはない。時折こうして酒を酌み交わすことが、ゼストの楽しみのひとつだ。

 

「それで、どうだった」

 

 その強面の通りに固い声がゼストに投げられる。気兼ねなく酒を楽しむ日もあるが、今日は事情が違った。

 レジアスが尋ねているのは、直に見たゼストの感想だった。

 優秀な人員が『海』へと引き抜かれてしまう『陸』に預けられた切り札。

 過去に数多の国を滅ぼし、次元世界に災厄を振り撒いた存在。

 最悪の古代遺失物(ロストロギア)――闇の書。

 闇の書の主――八神颯輔。

 ゼストは再び酒を煽り、口を湿らせ一息をついた。

 

「正直、予想以上だった」

 

 ゼストが颯輔の移送に付き添ったのは、颯輔達が自分の部隊の所属となるためだ。

 しかし、わざわざ入所初日から模擬戦を行う必要などない。むしろ異例なことだ。だが、その異例こそがゼスト達の主目的だった。

 模擬戦の様子を思い出しただけで、全身に鳥肌が立ち、背筋に悪寒が走る。ゼストは八つ首の大蛇(ナハトヴァール)を見たとき、絶対的な差を理解し、暗い死を覚悟していた。

 

「あれは、俺の手に――いや、人の手に余る力だ。従えようなどと……ましてや利用しようなどと、おこがましいにもほどがある」

「お前がそこまで言うとわな」

「直に魔力を浴びてみろ、並大抵の者ならばそれだけで動けなくなる。単体ならばいざ知らず、融合(ユニゾン)状態ならばなおさらだ。漏れ出た魔力素だけで、体の弱い者は中毒症状を起こしかねん」

「それほどか」

 

 ゼストの答えにレジアスは強面を渋く歪めた。

 颯輔の魔力量はSSランク。加えて、ディアーチェ達も颯輔に似たり寄ったりのランクを誇る。それぞれが単体でも戦力は十分。そして、融合(ユニゾン)状態ではそれらの魔力が一つとなるのだ。まさしくそれは、災厄そのものだった。

 しかし、それが通常状態。ロストロギア『紫天の書』は、内包する機構によって無限の魔力を生み出すことが可能だという。その力の前では、如何なる強者も弱者へと成り下がってしまう。正しく、ロストロギアの呼び名に相応しい力だ。

 

「で、件の闇の書の主は」

「八神颯輔か……。人となりは、どこにでもいるような青年だった。『闇の書の主』の名が先行しているが、本人は犯罪者らしくない子供だ。不相応な力に振り回されている、といったところか」

「事件の動機は家族を救うため、だったな。どこまで信用したものか……」

「……おそらく嘘はない。事実、八神はやてと守護騎士を残し、一度はアルカンシェルで消滅しているだろう。それに、らしい言葉も聞かされた。あれが演技ならば大した役者だ」

「お前の見立てを疑うわけではないが、やはり犯罪者は信用ならん。戦力は戦力だが、面倒を押し付けられたとしか思えんな」

「無論、俺も信頼まではしていない。むしろ気を払わなければならないと思っているさ。あれほど不安定な力もない」

「で、実力のほどは?」

「八神颯輔個人に限って言えば、素人だ。素人なのだが……動きにむらがあった」

 

 対峙した颯輔は、違和感の塊だった。

 構えと戦術に限って見れば、素人としか感想は出てこない。しかし、その瞳に素人特有の脅えやそれに近いものはなかった。視界の狭さもなく、痛みに動きを止めることもなかった。それは、戦闘の素人にはありえないことだ。

 非殺傷設定だろうと、ゼストの武装は刃のある槍。凶器を向けられれば、人は本能的に恐怖を感じる。痛みを受ければ体は固まり、周りも見えなくなってしまうだろう。それは欠点ではなく、人としてのあるべき機能。戦闘訓練を受ければ緩和されこそすれ、それらが消え去ることはないだろう。しかし颯輔には、あるべきそれらがなかった。

 ならばと力を出してみれば、案の定ついてこれはしない。かといって膝を折ることはせず、打ちつけても何もなかったかのように立ち上がる。まったく対応できないのかと思いきや、ゼストの全力の一撃は止めて見せる。

 強くもないが、弱くもない。長年現場に立ってきたゼストの目をもってしても、颯輔の実力を見切ることはできなかった。

 

「絶大な力を持つくせに、その使い方を分かっていない。だからこそ危険極まりないのだ。一度暴走しかけたのだが、あのとき俺は死を覚悟した。あれが暴走すれば、間違いなくミッドは消えてなくなるぞ」

「……プレッシャーをかけるわけではないが、お前以上の武装局員は陸にはおらんぞ。で、その暴走は誰が止めた?」

「マテリアル達だ。彼女らがいなければ俺は死んでいた。……ただ、俺が助けられたわけではないな。なにせ、八神ディアーチェは『貴様に死なれては面倒なことになる』と言っていた」

 

 ゼストは、ディアーチェの路傍の石を見るような目を思い出した。

 颯輔が暴走しかけたとき、確かにディアーチェ達はゼストを助けた。しかしそれは、あそこでゼストが死ねば、颯輔に余計な罪科が加わってしまうためだろう。

 ディアーチェ達は、終始颯輔のためだけに動いていた。颯輔一人に戦闘を経験させ、危険があれば介入する。共に模擬戦に参加したかと思えば自身は相手をいなすだけで、できる限り颯輔に相手をさせる。

 まるで、獣が子供に狩りを教えているかのようだった。ゼスト達は、颯輔が成長するために必要な手頃な獲物。あの模擬戦からは、そういった意図がありありと見て取れた。

 ただし、颯輔を操り人形にしているのかといえばそうではない。人目もはばからずに甘える姿は、見た目通りの子供そのものだった。

 そのちぐはぐな在り方に、いいようのない不安を感じてしまう。颯輔のさじ加減で、善悪のどちらにも傾く危うい力だ。

 

「現状では有能過ぎる人員だが、彼女らは八神颯輔に従っているだけで、決して味方ではない。八神颯輔に命じられれば、いつでも管理局に杖を向けるだろう」

「頭の痛い話だ。ただの爆弾ではないか」

「とびっきりのな。良くも悪くも八神颯輔の甘さが唯一の救いだ。鍛えれば俺以上の戦力になるし、同等の戦力もついてくる。融合(ユニゾン)すれば、それこそ敵なしだ。誠実な対応を心掛ければ、敵対の可能性は薄いだろう。お前の嫌いな方針だろうがな」

「当然だ。奴は闇の書の主だぞ? 相応の罰も受けず、司法取引で自由を得るなど許されるはずがない。それに、元犯罪者の局員など、管理局の信用問題に関わる。そんなことでは市民が安心できるはずがないだろう」

 

 鼻息荒く語るレジアスに、ゼストは口角を吊り上げた。

 レジアスは見た目に反して正義感の強い男だ。そのため周囲とぶつかることが多く、あらぬ誤解を受けることも多々ある。だが、それは真に世を思うからこそのものだ。その一本芯の通った在り方を、ゼストは好ましく思っていた。

 空になったレジアスのグラスに酒を注ぎ足す。酔いが回った状態でなければなかなか折れてくれないことは、長い付き合いからわかっていた。

 

「そう熱くなるな。危険な分だけそれ相応に得られるものがある。付き合い方を間違えなければな」

「お前に人付き合いを説かれる日が来ようとはな」

「お前も人のことを言えた顔ではないだろう。俺も自覚しているからこそ、メガーヌに任せたのだ。あれは人たらしだ、上手いことやってくれるだろう」

「メガーヌ・アルピーノか。よくもまぁ片腕を置いて来られたものだ」

「あそこにはグレアム元帥の使い魔もいる。最悪でも逃げては来られるだろうよ。本当に逃げ出すかは別としてもな」

「……守護騎士とも渡り合える戦力だが、またグレアム元帥の子飼いが絡むか」

「闇の書事件を追っていたのは元帥だからな、今回の一件はハラオウン少将の手柄とはいえ、不自然はないだろう。身柄もまだ完全にこちらに渡ったわけではないしな。それとも気になることでもあるのか?」

「……いや、大したことでもない。そんなことより飲め。不敗のエースがついに負かされたのだ、飲まんとやってられんだろう?」

「飲みたいのはやまやまだが、俺は明日も早いんだがな……。お前は休みだからいいとしても、あまり遅くまでいては、お前の家族がいい顔をしないだろう。思春期の娘はただでさえ気難しいと聞くが」

「ふむ、アルトセイム名産の地酒が手に入ったのだが……お前がそこまで言うのなら、空けるのは次にするか」

「む……」

 

 ニヤリと笑うレジアスの言葉に、ゼストは心動かされた。

 普段は飲まないゼストだが、酒の味はわかる方だ。農耕に適したアルトセイムの銘酒ならば、期待が持てる。高給取りであるレジアスがこのタイミングで切るカードならば、なおさらだ。

 しばし揺れ動いたゼストだったが、今日は傷つけられたプライドを癒す日と決めた。

 

 

 

 

 ディアーチェ達が収容されている隔離施設の規則では、21時を回った時点で就寝となる。しかし、それから2時間が経った今でも、ディアーチェはまったく寝付けずにいた。

 シングルベッドだが、寝息が感じられるほど近くにもうひとつの体が横たえられている。耳をくすぐるそれだけで、幸福に満たされ躯体の構成が緩んでしまいそうだった。

 恐る恐る様子を窺ってみれば、深い呼吸をしているあどけない寝顔がある。ディアーチェは、颯輔の隣で早鐘を打ち続けていた。

 寝室に用意されたベッドは、シングルサイズのものが5台。しかし、体の小さなディアーチェ達ならば、辛うじて2人寝ができる。就寝前に論争が勃発するのは当然の帰結だった。

 制限された魔力の許す限りに身体強化を施して動体視力を引き上げ、ブラフ入り乱れる読み合いを潜り抜けてユーリ達を蹴散らし、渾身の握り拳でもぎ取った勝利。ハイレベルなジャンケンを制したディアーチェは、記念すべき初添い寝の権利を手に入れた。

 しかし、いざ颯輔に受け入れられると、なにをどうすればいいのか分からなくなってしまうディアーチェである。逃げの狸寝入りを信じられてしまったのか、颯輔の意識はしばらくの後に落ち、不貞寝を決め込んだユーリ達も規則正しい寝息を立てているようだった。

 

「……兄上」

 

 小声で呼びかけてみても、反応は返って来ない。横向きのためにいささか寝苦しそうにはしているが、目を覚ます気配はなかった。

 

「兄上、もう眠ってしまわれましたか?」

 

 もう一度、今度は少しばかり声量を上げてみても、結果は同じだった。

 無理もない。きっと疲れているのだろう。

 慣れない他者からの糾弾からようやく解放されたかと思いきや、突然の戦闘行為。

 その後はゆっくりとできたものの、限界が近かったのか、夕食後にはシュテルの講釈を受けながらうとうととする場面もあった。

 そして、最後にまた重荷を背負い込んだ。ディアーチェ達の反対を押し切ってリーゼロッテに接触し、ディアーチェ達が必死に忘れさせようとしていた罪の意識を思い出してしまった。

 そもそも、颯輔にディアーチェの狸寝入りを見破れないはずがないのだ。はやてやヴィータと横になったとき、颯輔は決まって相手が寝たのを確認してから眠りについていた。

 その光景がフラッシュバックし、ディアーチェの胸から熱が奪われていく。冷えた心を温め直すため、ディアーチェは向き合うようにして体を横にした。

 温もりを求め、颯輔の胸に手を這わす。魔力素の結合によって構築された心臓が、規則正しい音を立てていた。

 間に置かれた颯輔の手の下に、ディアーチェの手を滑り込ませる。大きな手を握って指を絡ませると、僅かに颯輔の手が閉じられた。

 

「兄上?」

「…………」

「……兄上、もう少しそばに寄っても構いませぬか?」

 

 規則正しい寝息は続いている。無言を肯定ということにしたディアーチェは、ゆっくりとその距離を縮めていった。

 間に置かれた手を持ち上げ、自身の頬に導く。掌が触れると、頬を擦り付けて目を細めた。

 ふと親指が唇に触れる。心音を速めたディアーチェは、僅かな逡巡の後にそれを唇で食み、舌を蠢かせて一舐めした。

 味はしないが、躯体から微かに漏れ出た魔力素を感じる。頬を薔薇色に染めたディアーチェは、思考を狂わせるそれに夢中で吸い付いた。

 永遠の果てに巡り会った颯輔の魔力は、驚くほどによく馴染む。紫天の書が求めた最後の機構を取り込むことで、ディアーチェは欠けていた自身が満たされていくのを感じた。

 

「ん、んぅ……」

「っ、……兄上?」

 

 さすがに違和感を感じたのか、颯輔が唸って眉根を寄せた。

 ディアーチェは慌てて口を離し、弾んでいた息を殺して様子を見る。小さく身動ぎをした颯輔だったが、眉根から力が抜けて再び寝息を立て始めた。

 興奮と緊張から発汗していたディアーチェは、安堵から熱を逃がすように息を吐き出す。一度落ち着こうと深呼吸をするも、颯輔のにおいを胸いっぱいに吸い込んでしまい、余計に熱に浮かされるばかりだった。

 颯輔の腕を背中に回し、布団に潜り込むようにして、再び距離を詰めていく。颯輔の胸に両手を置き、鎖骨のあたりに頭を預けると、ぐりぐりと額を擦り付けた。

 

「兄上……あにうえ……」

 

 うわ言のように繰り返し、すんすんと鼻を鳴らして熱の素を取り込む。首元に吸い付きたくなるのを我慢する代わりに襟に噛みつき、布地を色濃く湿らせた。

 心の奥底から溢れてくる愛おしさが、ディアーチェの器を満たしていく。過去にこんな感情は知らなかったし、感じることができる状態にもなかった。

 覚えているのは、暴力にも似た飢餓感だけだ。それに突き動かされるまま、様々なものを喰らってきた。しかしそれでも満たされることはなく、果てのない世界を彷徨い続けてきた。

 そこに意思はなく、思考はなく、自己はなく、本能とでも呼ぶべき義務だけがあった。

 

「く、うぅ……」

 

 ならば、手放せるはずがない。

 初めて知った色を、初めて知った人を、初めて知った熱を、初めて知った想いを、いまさら手放せるはずがないのだ。

 もう二度と、あの虚無の中には戻りたくない。今の自分を失ってしまうことが堪らなく恐ろしい。この愛おしい熱だけが、ディアーチェを動かす唯一の回路だ。

 だから、この熱を維持するためのモノ以外は何もいらない。

 ユーリ、シュテル、レヴィは存続のためにも必要だ。はやて、リインフォース、シグナム、ヴィータ、シャマル、ザフィーラ、石田も颯輔の安寧のために存在を認めよう。

 しかし、この熱を奪おうとするモノは許さない。

 颯輔に剣を向けるモノは斬り捨てる。ディアーチェ達の場所を脅かすモノは排斥する。はやて達に悪意を向けるモノは抹消する。颯輔の望む世界を壊そうとするモノは、存在を認めない。

 熱を蓄えるディアーチェは、不意に颯輔に抱き寄せられ、歓喜に体を震わせた。

 

「あにうえ――そうすけ……!」

「……はやて」

「――――」

 

 しかし、その歓喜はたった一つの言葉で霧散してしまう。

 颯輔が目を覚ましたわけではない。颯輔の意識は微睡の中に落ちたままだ。

 だから、それは無意識に漏れ出た言葉で、颯輔が欲している温もりの名だ。

 押し付けられた胸板から感じる熱も、背中に回された腕から感じる熱も、確かに本物だ。

 だがそこに先ほどまでの燃えるような温度はなく、ディアーチェを狂わせてくれはしない。体は熱くとも、思考は冷えに冷え切ってしまっていた。

 分かっている。

 颯輔にとって最も大切な存在は、八神はやて。

 そんなことは分かっている。

 八神はやてにとって最も大切な存在は、八神颯輔。

 嫌でもそんなことは分かっている。

 ディアーチェに生まれたこの感情は、元ははやてのものだ。そこにディアーチェの意識が混ざり、今の形に昇華されたに過ぎない。

 ディアーチェ自身も持て余してしまっている感情は、颯輔を愛おしく思う人の心と、紫天の書の部品ととして必要としているプログラムの規程とが混在しているのだ。混ざりものの愛情は、ある意味はやてに似ているだけの外見には相応しいのかもしれない。

 

「……兄上、我はディアーチェです」

 

 それでも颯輔は、そんな歪な存在を必要だと言ってくれた。一緒に生きようと、手を差し伸べてくれた。

 颯輔は、ディアーチェをはやての代わりとしてなど扱っていない。目を覚ましているときは、ディアーチェをディアーチェとして見てくれていた。

 ならば先ほどの寝言は、颯輔が見せた弱味だ。また重荷を背負いこんでしたったために、心が弱ってしまっているだけに違いない。

 

「我ははやてではありませぬ……ですが、あやつの心は我が内にも存在しております」

 

 ディアーチェは颯輔の腕を抜け出し、颯輔の肩に手をかけて上半身を布団から引きずり出した。そのまま颯輔の頭を胸に抱え込み、栗色の髪をそっと撫でつける。

 はやての代わりとなる気はない。しかし、はやての代わりとなることはできなくもない。躯体が同一で心も宿しているのだから、こうして颯輔が眠っている間だけならば、はやてに擬態することは可能だ。

 ディアーチェの役目は、颯輔の世界を守ること。どうせ、虚構の世界ではディアーチェがはやてを演じるつもりでいたのだ。この程度で颯輔が安寧を保つことができるのなら、ディアーチェの存在など安いものだ。

 

「……おやすみな、お兄」

 

 颯輔の体から強張りが抜けるまで、その髪を優しく梳き続ける。

 ディアーチェの目尻から、一筋の雫が零れた。

 


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