力のマテリアル・レヴィ。殲滅力では他のマテリアルに劣るとはいえ、単純な攻撃力を見ればマテリアル随一の実力を誇っている。本人の嗜好からも、一対多よりは一対一を得意とするタイプだ。
愛機は破砕斧を基本形態とするバルニフィカス。他の形態には魔力刃を展開する
「煌けっ! 真・エターナルサンダーソードッ!! 斬られた相手は死ぬっ!」
大上段に構えていたレヴィがカッと目を見開き、高らかな口上と共にバルニフィカス・ブレイバーを振り下した。
刀身に封じられていた蒼雷が解き放たれ、大剣の軌跡に沿って破壊を撒き散らす。極限に至った斬撃と雷撃を受けることは、もはや死と同義である。
眼前に迫る死の蒼を回避することは不可能だ。剣劇の歴史そのものであるレヴィの間合いに入った時点でその斬撃は必中であり、仮に奇跡が起きたとしても、続く雷撃が奇跡を飲み込んでしまう。
結果、ただレヴィの動きを見ているだけだった颯輔は、二重の凄まじい衝撃を真正面から受け、一瞬だけ意識をブラックアウトさせられた。
「ふっ、またつまらぬものを斬ってしまった」
『……つまらぬものとはなんですかっ。だいたい技の前後でキャラが破綻していますよ』
鞘もないくせに形だけの納刀をしてみせたレヴィに、颯輔とユニゾンしていたユーリが非難の声を浴びせる。ダメージからの復帰に多少のタイムラグがあったようだが、活動に支障が出るほどではなかったようだ。ぷりぷりと怒っている様子が颯輔に伝わってきている。
バルニフィカスを基本形態に戻したレヴィは、軽く笑って頭をかいた。
「いやぁ、久々に本気出したからさぁー。それに、これはこれでやってみたかったし。で、どうどう? そんなに痛くなかったでしょ?」
「うーん、まぁ、思ったより大丈夫、かな?」
ユーリの制御によって体勢を立て直した颯輔は、恐る恐る体を確かめながら答えた。攻撃を受けた箇所には傷一つなく、言われた通りに技の見た目ほどの痛みもない。強いて言えば、電撃の魔力変換のせいで微かな痺れがある程度だ。
先ほどのレヴィの攻撃は、非殺傷設定によるものだった。相手に身体的な損傷を与えず、魔力ダメージによる無力化を狙った攻撃だ。今回はシミュレーターによって魔力ダメージが及ぼす肉体への影響を再現しているだけのため、実質のところ魔力ダメージも大幅にカットされている。
闇の欠片事件において同一の攻撃をレヴィから受けた際は、しばらく躯体が維持できなくなるほどのダメージを受けたが、厳しく制限を設ければこんなものらしい。ユーリの補助があったとはいえ、受け比べた颯輔はその違いを明白に理解できた。
『三佐の攻撃を受けたときも、槍で突かれたのに傷はできませんでしたよね。その後の模擬戦でも、相手方に怪我はなかったはずです』
「だからさ、ちゃんと非殺傷にすれば攻撃したっていいんだよ。拘束魔法だけで相手を無力化なんて、そーすけにはまだ無理だって。まずは攻防を覚えて、戦闘らしい戦闘ができるようにならなくちゃ」
「言いたいことはわかるつもりなんだけど、こればっかりはどうしてもなぁ……」
二人に諭されるも、颯輔にはまだ答えを濁すことしかできなかった。
颯輔の戦闘訓練における最初の課題は、相手に対して能動的な攻撃ができるようになることだった。ユーリとユニゾンすることによって戦闘技術を得られる颯輔には、個人的な技能よりも意識の改革が求められたのだ。
しかし、次元世界レベルから見ても比較的治安のいい日本で生まれ育った颯輔である。颯輔にとっての暴力とは、嫌悪されるべきもので糾弾されるべきものだった。事実、これまでの人生において颯輔が拳を振り上げた回数は、ほとんど皆無と言ってもいい。
そういった背景を考えれば、無意識にまで根付いたその認識を矯正することは難しく思えた。
『なにもレヴィのようになれと言っているわけではありませんよ? 戦闘経験を積んで、それから颯輔の考える戦いができるようになればいいんです』
「むっ、なーんかやな言い方!」
『やな言い方じゃないですよぅ。レヴィにはレヴィの良さがあるということです』
「んー、ならオッケー! で、そーすけにはそーすけの良さっていうか、そーすけの役割があるわけ! さてそれはなんでしょーかっ!」
調子を崩さないレヴィは、一回転を入れてからビシィッと颯輔に指を突きつけてくる。そのままカウントに移り、秒数が縮まる毎にぐいぐいと近づいてきた。
「えーと」
「さんにぃいちぜろはいぶっぶー! ざぁ~んねんでしたっ! ボクの勝ちー!!」
理不尽な判定を告げたレヴィが、颯輔の頬をぐりぐりとこね繰り回してくる。ユーリは呆れて沈黙しているが、颯輔は笑ってはしゃぐレヴィを宥めた。
レヴィのような手合いは慣れていないが、苦手意識を覚えるほどでもない。むしろ、底抜けの明るさには救われるものがあった。
「レヴィは強いなぁ。じゃあ、正解を教えてくれる?」
「もう、シュテるんに教わったでしょー? ずばり、そーすけの役割はボクらの盾!」
「た、盾扱い……」
『せ、正確には最前衛ですね。わたし達でチームを組んだときのポジションの話です』
「そうそう。えーっと、管理局風に言うなら、そーすけはフロントアタッカー! そーすけは堅いし再生力も高いから、自然とここに落ち着くわけ。相手の攻撃を防いだり拘束したりして足止めする方が、そーすけ的にも合ってるでしょ? 攻めに転じても、魄爪とか集束系の魔法で相手の防衛ラインを崩せるしね」
『レヴィがガードウイングで遊撃、シュテルがセンターガードで援護射撃、ディアーチェがフルバックで各種支援、わたしはいつでも颯輔と一緒です』
「まぁ、ボクらの場合はポジションなんてノリで変えても対応できるだけのスペックがあるんだけどね。でもとりあえずはこれが一番しっくりくる形かな。ちゃんと役割分担できてるから、監視で余計なのが入って来ても問題なし!」
『仮に准尉が入るとしても、ポジションはフルバックのようですし、他に比べて足手まといとなることも少ないでしょう』
「……なるほど」
つまりは、颯輔が突破されれば後ろに控えるレヴィ達が危険に晒されるということ。もっと言うなら、最前線で颯輔が相手の頭数を減らすことができれば、レヴィ達の負担も減らせるということだ。
そのために、颯輔は防御に徹するだけではなく、相手に攻撃を仕掛けなければならない。
理屈の上ではわかっている。非殺傷設定についても理解を深めた。
しかし、それでも忌避感は拭えない。例え颯輔が選び、颯輔が選ばせた道であっても、進む足取りは重くなってしまう。無責任だとは思いつつも、引き返せるものなら引き返してしまいたかった。
「……あのさぁ、そーすけは傷つけたくないって言うけど、守るってことは戦うことで、戦うってことは傷つけ合うことなんだよ? 傷つかない戦いなんてないし、ボクらは戦いを避けることはできないわけ。ここまでオッケー?」
『レヴィ――』
「いいからいいから、ちょっとユーリは黙っててよ」
気を尖らせかけたユーリにペースを乱されることなく、レヴィは飄々としたまま言葉を被せた。
笑顔で切って捨ててはいるが、その表情は表面的なものだけではない。レヴィは心底から善意で言葉を発しており、そこに一切の悪意は混じってなどいなかった。
「だいたい、ユーリ達はそーすけに甘すぎるんだよね。そんなんだからたいちょーみたいな雑魚にやられちゃうんだよ。なっさけないなー。ナハトだって、
「確かに上手く戦えたとは思ってないけど……。鎖にしたの、そんなにダメだったかな?」
「違う違う。あの形態は別に悪くないと思うよ? 鎖は元からあるものだし、うにょうにょって蛇っぽい動きもできるしね。悪いのはそーすけの使い方。ディアーチェが使ったときは、綺麗に動いてたでしょ?」
ゼストとの一騎打ちとは状況が違うが、続く模擬戦ではレヴィの言うとおりだった。
ディアーチェに制御されたナハトヴァールに無駄な動きは一切なく、的確に相手を拘束していた。颯輔では捉えきれなかったゼストも追い詰めていたのだ。颯輔とディアーチェでは、同じデバイスでも使い方が全く違っていた。
「そーすけは目的を与えただけで、それを達成するための動きまではイメージできなかった。だから、そーすけがして欲しい動きと実際のナハトの動きが違ってきちゃって、お互いの足を引っ張り合ってたんだよ。ところが、ディアーチェの場合はイチからゼロまで自分で動かしてたわけ。だから、当然ユニゾンしてたそーすけ達の邪魔になるような動きはなかったし、勝手に攻撃しようともしなかったよね」
「つまり、正しく武器に遊ばれてたってこと?」
「そーいうこと。でも、それからもう一つ。ナハトは防衛プログラムだけど、そーすけの考える守るとナハトの考える守るは別物なんだよ。そーすけは、相手の攻撃を防ごうとするじゃない? でもさ、ナハトにとっては、相手を倒すことがイコールで主を守ることになるんだ。同じ守るでも、そーすけのはただ状況から逃げてるだけ。思考がびみょーにずれてるんだよね。まぁ、颯輔の守りたいって気持ちの奥にも、傷つけてくる相手を退けたいって想いはあるみたいだけど。だからあのときナハトは――」
『もういいでしょう、レヴィ。颯輔を変えていくのはゆっくりと。そう決めたはずですよ』
瞳の輝きを深めていくレヴィを、ユーリがやんわりと止めた。
レヴィは、何か致命的なことを口にしようとしていた。止められた言葉の先は予測できているはずなのに、心が理解を拒んでいる。左腕のナハトが熱を帯びて痛い。颯輔は、視界が狭まり息苦しくなったような気がした。
「……そういうわけで、最初に戻ってくるわけ。まずは攻防を覚えて、戦闘ができるようにならないと」
『戦闘メイキングは強者の特権です。颯輔がしたい戦いをするには、それができるくらいに強くなってからですよ。そうすれば、相手を傷つけてしまうことも少なくなります』
「だから、うじうじ悩むのはもうやめにしようよ。ボク達を守れるようになりたいんでしょ? なら、まずはできることから始めないとね。ほらそーすけ、手を出して」
歯を見せて笑うレヴィが、こちらに向かって手を差し伸べている。空気を求めて喘ぐようにして、颯輔は必死に手を伸ばした。
「よしっ! 合体だぁっ!!」
手が触れ合った瞬間、眩い水色の光が輝いた。
レヴィの躯体が解け、颯輔のリンカーコアに流れ込んできた。金色に染まっていた髪が水色を帯び、戦装束にもレヴィ固有の色彩が反映される。溢れる魔力が視界を広げ、全身に力が漲った気がした。
『魄爪装着ッ! 雷刃兵装展開ッ! わはははははーっはっはっはっ、震えるぞ
それは錯覚ではなく、颯輔とユーリが引くくらいに漲っていた。
魄翼は蒼雷を撒き散らし、勝手に魄爪は形成され、おまけにナハトの鎖の先端には剣が展開される。薄闇に覆われた空間でなければ、周囲に存在するものを所構わず壊しそうな勢いだった。
「ちょっと、これは……!」
『レヴィっ、レヴィっ! はしゃぎ過ぎです抑えて下さいっ!』
『断ーるっ! 今回はボクのやりたいようにやっていいって決まりだもんねぇー! さぁさぁ、最初は軽ーく闇の欠片千体バトルといってみようか!!』
「せっ、千体っ!?」
『いくらなんでも多過ぎですっ! 最初は百体くらいでいいじゃないですかっ!』
『ダメに決まってるじゃん! 昨日の模擬戦なんて寸止めばっかりですっごく辛かったんだよ? ボクをこんなになるまで我慢させたんだ、とことん付き合ってもらうからね!』
「あの、付き合うのはいいけど、十体くらいじゃダメかな……?」
『ダイジョブダイジョブ、怖いのは最初だけで、すぐに楽しくなっちゃうから! そのうちそーすけの方からもっとやろうって言うようになるって!』
「いやいや、いやいやいや、そんな風にはならないって」
『そんなのただのレヴィです! 半分っ、せめて五百体にしましょう!』
『うるさいうるさいうるさーいっ! さぁさっ、闇の欠片かもーんっ!』
颯輔とユーリの説得は空しく切られるだけで、振り切れたレヴィを止めることはできない。大きくなった指がバッチンと鳴ると、紫天の書内部の仮想空間に闇の欠片が出現し始めた。
周囲を取り囲む気配に観念したのか、ユーリは思考を切り替えて暴れる魔力の制御に集中してしまう。同一の体にありながら一人孤立してしまった颯輔は、内側に響き渡る高らかな笑い声を聴きながら、勇み飛び出す自分の体をやはりただ見ていることしかできなかった。
◇
「うわぁ……」
投影型ディスプレイに映し出された映像を観ていたメガーヌは、今日何度目になるかもわからないうめき声をあげた。
午前中のプログラムを終え、午後からは颯輔の戦闘訓練をしている。ディスプレイの中では、ユーリにレヴィとユニゾンした颯輔が、噂に聞く闇の欠片相手に無双という言葉を体現していた。
山のような巨龍の尻尾を掴んでは振り回し、敵の包囲を強引に抉じ開ける。背後から迫る爆炎には振り向きもせずに障壁を展開してやり過ごし、正面から鋭い爪で襲いくる怪鳥には魄翼からの砲撃を見舞う。近接戦を仕掛けてきた騎士を鎖の先の雷刃で斬り伏せては、砲撃を溜めていた魔導師へと残る鎖を差し向けていた。
言葉を選ばず表現すれば、馬鹿げた映像だ。これがただ迫力満点なだけの映像作品ならば、壮大なスケールの中でも光る戦闘技能に万雷の拍手を捧げていただろう。
しかし、しかしである。これが現実であると言われ、はいそうですかと信じられる者がこの広い次元世界にいったいどれだけいるだろうか。おそらくそれは、八神颯輔達の実力を知る者と同数になるに違いない。
「む、今のをああ返すとは、レヴィもなかなかにやりおる」
「ユーリの援護も絶妙なタイミングでした。さすがは我らが融合騎ですね」
最初はレヴィの暴挙に鼻息を荒くしていたディアーチェとシュテルも、今は大人しく女の子座りをしながらのんびりと観戦している。時折あの変態的な戦闘を冷静に解説しては議論しているあたり、一応真面目には取り組んでいるらしい。
一方で、早々に戦闘記録を諦めてしまったメガーヌとリーゼロッテは、二人の邪魔にならない程度に後ろに下がり、スケールどころか次元違いの映像をぼんやりと眺めていた。リーゼロッテ曰く、守護騎士連中が可愛く視えるレベルらしい。
「……あんな鋭角機動で回避したら絶対吐く。見てるこっちが飛行酔いしそう」
「安心しろ。ありゃー人間には不可能な動きだ。お前じゃ逆立ちしたってできねーよ」
「ロッテにも無理?」
「バカ、使い魔とあれを一緒にすんな」
「じゃあ、もしも、もしもよ? あー、えっと、あの子達と真剣に戦うようなことになったら、どうするの?」
「どうせ生き返るから速攻で殲滅しろ。もしもそれより先にリミッターを解除されたときは……」
「解除されたときは……?」
「諦めろ」
「……だよねぇ」
小声であっても元管理局最強の使い魔の言葉は重い。一縷の希望を絶たれたメガーヌには、そんなときが来ませんようにと祈ることしかできなかった。
だいたい命令を受けたときからおかしいとは思っていたのだ。最初はただの教育係としか聞かされていなかったのに、その期間の給料はこれまでの倍以上。拘束時間を考えてもあり得ない額だった。
そこから厄介事だとは予想していたが、まさかこれほどの案件とは思ってもいなかった。覚悟を決めたのは、厳重な警備を敷かれた一室にグレアムとリンディという時の人が揃って現れたときだったか。あのときほど新人教育に比べたら楽勝などと思った自分を恨んだことはない。
そもそもどうしてあんな平凡そうな男の子があんな魔力を持っているのかが理解できない。幼女には犯罪的なほどに懐かれているし、いざ話してみても真面な受け答えができるしで、ちょっと油断していたらこれだ。
というか昨日の模擬戦すら手加減していたのか、手加減してあのレベルなのか、それはもう詐欺ではないのかと糾弾したいほどだった。
「あーぁ、ギンガちゃんとスバルちゃんに会いたいなぁ」
「そいつらはクイントの娘だろうが。お前が世話するのはあっちだあっち」
「私はあんなおっきな子がいるような歳じゃありませんー」
「ガキがいてもいいような歳だとは思うがなー……行き遅れんなよ?」
「よっ、余計なお世話よっ!」
「バカっ、声でかいって」
リーゼロッテの言葉にはっとして見てみれば、ディアーチェとシュテルから白い目を向けられていた。
メガーヌはひとまず爽やかな笑顔を作り、小さく手を振ってみた。二人からの視線は外れたが、それは興味をなくされただけのようにも思えた。
「……私、きっと局員には向いてなかったのよ。魔法の才能なんて、これっぽっちもなかったんだわ」
「ネガティブになり過ぎだろ……まぁ、お前らには同情するよ。あたしもこんなことしてる自分が情けないったらありゃしねーがな」
リーゼロッテは力なく笑っている。その表情はメガーヌの知らないものだったが、不思議とそちらの方がリーゼロッテらしいとも思えた。
メガーヌが知っているリーゼロッテは、勝気で気分屋で、余程のことがない限りは自分を見失わない女性だった。出会った当初からその印象は変わらなかったはずが、最近になって再会してからは違った一面を見せられてばかりだ。
失礼を承知で言うなら、老け込んだという言葉がぴたりと当てはまる。あるいは大人しくなったが無難なところだろうか。芯がなくなったというよりは、作り物に思えた柔らかさが本物になったように感じられた。
「ねえ、ロッテは怖くないの?」
「あいつらのことか?」
「うん。だって、自分で言うのもなんだけど、管理局のドリームチームが挑んでも遊ばれるような相手よ? 今朝だって、局法は紫天の書にインストールして全部覚えちゃうし、今は仮想空間とはいえどあんなだし。私、今まで自分はそこそこ強いと思ってたんだけど、自信なくしちゃったわよ」
「お前は弱くなんかねーよ。DSAAの試合で目をつけたのはあたしとアリアだぜ? 結局は陸に取られちまったわけだが、そっちでの活躍は海にいても耳に入ってきたしな」
「ちょっと、急に煽てたって誤魔化されないんだから」
「お前、昔もそうだったけど、今はもっと可愛くなくなったなー」
「いいから答える」
リーゼロッテはカラカラと笑いながら、あたしだって怖いさ、と答えた。
「全部終わったと思ってたら、何の冗談か今度は守護騎士以上のやつらを引っ提げて帰ってきたときたもんだ。
リーゼロッテの言う戦闘がいつのことを示しているのかまではわからないが、どうやら守護騎士ともマテリアル達とも戦ったことがあるらしい。模擬戦ですらあれだったのだから、実際に敵同士として相対すればその脅威は比較にならないであろうことは、容易に想像することができた。
「だけど、肝心のあいつがあんなのだからな。怖がるのがバカらしくなるってもんさ」
しかし、映像の中にいる颯輔を見るリーゼロッテの眼差しは、メガーヌ達に向けるものに近く感じられる気がした。
リーゼロッテは、闇の書と戦い続けてきた。その傍らでも局員の育成へと力を入れてきたのは、それだけ多くの力を欲していたということなのだろう。
メガーヌは、一連の事件についての詳細を知っているわけではない。知っていることは、八神颯輔が闇の書の主であったこと、家族を救うために命をかけたこと、そして、今こうしてここにいるということくらいだ。
一方で、リーゼロッテ達が失敗したのかと言えば、どうやらそうでもないように思える。リーゼロッテは敗者を装っているかもしれないが、肝心な敗者特有の雰囲気は感じられないのだ。
以前のリーゼロッテは、闇の書が話題に上がった途端に表情を険しくしていた。では、いったいどのような心境の変化があれば、そうまでして執念を抱いていた相手にそのような表情が向けられるのか。
「……じゃあ、恨んではいないの?」
メガーヌがつぶやくように言うと、リーゼロッテは困ったように眉根を寄せた。
「……まあ、恨んじゃーいる。それに、まだ憎いとも思う」
「気を悪くしないでほしいのだけど、あんまりそうは見えないわよ」
「そりゃあ気のせいだ。
宣誓するように言ってから、リーゼロッテは溜息と共に肩を落とした。
そのまましばらく映像に目をやってから、ふと話しかけてくる。
「メガーヌ、お前にはあいつがどう見えてる?」
「どうって……」
「陸にいた分、お前はあたしらよりは先入観が少ねーはずだ。見たまま思ったことを聞かせてみろ」
少しだけ迷ってから、メガーヌはありのままに伝えることにした。
「私は……正直、可哀そうだと思ってるわ。話せば分かる子だし、絵的には犯罪的だけど、小さな子にもあんなに好かれているもの。闇の書の主だなんて言われても信じられないくらい、それが似合ってない。確かにあの魔力と力は怖いとも思うけど……たぶん、一番怖がってるのはあの子自身だから……うん、やっぱり心配、かな」
まだ出会ってから日が経っていない、ということもあるかもしれないが、それにしても、颯輔はよくメガーヌ達の顔色を窺っているように見えた。表面上はにこやかにしているが、どこまで気を許していいのか、どこまで踏み込んでもいいのか、慎重なほどに距離を測ろうとしている。
課せられたものを考えれば、きっと正しい行動なのだろう。あれだけの力だ、慎重に慎重を重ねた方がいいに決まっている。
しかしそれは老練な者に多く言えることで、あのような歳若さで身に付けるべきものではない。立場がそうさせるのだろうが、少なくともメガーヌは、それを悲しいを思った。
なぜなら、ディアーチェ達と戯れているとき、颯輔は心から笑っているのだ。それが本来の表情だろうし、あの優しげな青年にはそれがよく似合っている。荒事とはほど遠い人であることは、一目見た瞬間にわかってしまっていた。
それでも、颯輔は力を持ち、過酷な運命を背負っている。誰が見てもそういったものには縁遠く見えるだろう。言葉だけではとても信じられないかもしれない。いっそ場違いと言ってもいいほど、八神颯輔にはそれらが似合っていなかった。
「きっと管理局員にも向いていないと思うわ。ああいう子は平和を享受するタイプだもの。そういう子がその手の才能に恵まれるなんて、皮肉な話だと思うわよ」
「……確かに、これ以上ないくらい皮肉な話だわな」
満足のいく答えだったのか、リーゼロッテは小さく笑っている。これまで度々こうして試されるようなことはあったが、ここまで直接的なものは初めてだった。
一人笑うリーゼロッテに、メガーヌは呆れを含ませて言う。
「で、合格なの?」
「ああ。あたしの感もまだまだ衰えちゃいねーな」
「そこで自画自賛に走らないでよ……。それで、これから私にどうしろと?」
「アドバイスはひとつだけだ。お前はお前のままお前らしくあいつらに接しとけ。それでだいたい上手くいくはずだ、たぶん」
「はずに多分って、あのねぇ……」
「まあいいから聞け」
本当に自信があるのか怪しい言葉で態度にまで呆れが出てしまったが、リーゼロッテは最後まで聞けとばかりに諭してきた。
「いいか、あいつに必要なのは良識のある大人だ。そういうのの目があるだけで、あいつは正しくあろうとする。そうすりゃ自然とマテリアル達も同じような行動をとるだろ」
「…………」
「…………ん? なんだ?」
「え? そ、それだけ? もっとこう、具体的なのとかは……」
「ない」
断言するリーゼロッテに、今度こそ本当にメガーヌは呆れ果てた。
何だそのアドバイスとも言えない当たり前なアドバイスは。昔から直感でものを言うとは思っていたが、これは酷い。そのあたりはリーゼアリアが上手いことフォローしてくれていたが、それがないだけでここまで単調になってしまうのか。
そういえば相方はこの師の在り方を悪い意味で学んでいたな、今年の新人達はそれについていけるだろうか、とふと心配になってきた。
「おいなんだその顔は。お前、あたしを馬鹿かなんかだと思ってないか?」
「え、いや、えっと、いいえ?」
「んだよ察してないのかよ。やっぱりお前もまだまだひよっこだな。九歳児の方がまだマシだ」
「比較対象がおかしいのはさておき、私はまだアリアみたいにはいかないわよ……」
「まっ、そのへんは自分で気づくこったな。これもちょうどいい勉強だ。これを機会に捜査官として……っつーか、人としての洞察力をさらに磨いとけ」
「わかったわよ。とりあえずは怖がらずに親身になって接してやれってことでしょ。はいはい了解しました」
「…………まぁ、親身になり過ぎて食うなよ」
「くっ?! し、失礼ね、そんなことしないわよ! それに私は年下になんて興味は――」
「だっ、だから声を抑えろって!!」
「誰のせいよっ!?」
叫ぶメガーヌとリーゼロッテだが、今度は目を向けられもしない。ディアーチェとシュテルには、完全にいないものとして扱われてしまっているようだった。
こんな体たらくで果たして良識ある大人としての振る舞いが通じるのか不安で仕方がないメガーヌは、何かを諦めて大人しく黙ってディスプレイに集中した。
◇
ディスプレイの灯りが老いの滲んだ顔を淡く照らし出す。終業時間は大分前に過ぎてしまったが、ギル・グレアムは執務室にこもり続けていた。
グレアムが元帥に昇格してから早一ヶ月が経つ。役職上の頂点ともなればそれなりの仕事があるが、元々多忙を極めていたグレアムにとって仕事量の変化はないに等しい。むしろ、完全に内勤となったことで魔力を持て余しているくらいだ。年相応に老いてしまったが、まだまだ若い武装局員にも負けるつもりはない。
とはいえ、元帥がおいそれと現場に赴くわけにもいかない。査察でもないのに高官が訪れたとなれば、そちらの対応に人員を割かせてしまうし、現場の人間からすれば邪魔者以外の何者でもないだろう。
それに、グレアムが戦うべき相手は別にいる。それこそ、そこいらの犯罪者よりもよほど狡猾で抜け目がない相手だ。
「ふむ……」
意識せずとも自然と唸り声をあげてしまう。
グレアムが目を通しているのは、毎日山のように届く抗議文。それらは闇の書の被害者の会や、ベルカ自治区の平和運動団体など、出所は様々だ。
司法取引により犯罪者の入局を認めるという性質上、この手の抗議は日常茶飯事である。さすがに闇の書関連ともなれば規模は違うが、これも時が経てば下火になっていくだろう。外にいるはやて達は自らが矢面に立とうとするかもしれないが、それまでそちらの対応は専門の部署やグレアムに任せてもらうしかない。
グレアムを抗議文などよりも大いに悩ませているのは、はやて達や颯輔達の所属に関する問題だった。よかれと思ってはやて達も颯輔達も固めて配置したが、突出した戦力を一部隊にまとめたことで、戦力の一極化を指摘されているのだ。はやて達が早くも功績をあげたことが、完全に裏目に出てしまった。
闇の書といういわくがあっても、誰も彼もが優秀な人材であることに違いはない。それらを振り分けろという声が、各方面の部隊で早くも大きくなり始めている。颯輔達など、まだ更生プログラムの受講が始まったばかりだというのにだ。
確かに、いずれは個人で活躍してもらわねばならないだろう。智謀を活かして捜査官や執務官になってもいいし、武力を活かして武装隊や教導隊と、選択肢は数多くある。しかしそれは数年は先の話で、颯輔達や管理局も安定してからのことだ。
時期尚早と言うのも早すぎる声。その裏に潜む思惑を考えれば、却下の一言だけで終えていいものではない。そういった面から颯輔達を守るのは、元帥の権力を持つグレアムの義務だ。
「正義の旗を掲げる組織か。果たして、業が深いのはいったいどちらか……」
力なく呟いて、グレアムはオフィスチェアに背中を預けた。
そのまま画面を見つめて今後の方針を練っていると、執務室の扉がノックされる。聞こえてきた声は、リーゼアリアのものだった。
「アリアか。入りなさい」
「失礼します」
各方面を飛び廻って疲労が溜まっているだろうに、リーゼアリアはしゃんと背を伸ばしている。淀みなく歩んで正面まで来ると、グレアムがディスプレイを消すのを待って口を開いた。
「父様、ただいま戻りました」
「おかえり。苦労をかけるな」
「いえ、世話役と言っても軽く機器の点検をするだけですし」
「だが、老人達の相手は疲れるだろう?」
「あんなの、ただ頷いているだけですよ。地上本部内を歩く方が気疲れするくらいです」
グレアムの心配をよそに、リーゼアリアは笑って流してみせた。
リーゼアリアは元帥付きの秘書官への就任と共に、最高評議会の補佐役にも任命されていた。具体的な役目は生命維持装置の維持管理と、各所へのメッセンジャーである。地上本部から動けない評議会には、その補佐役が必要なのだ。
結果的にとはいえ、本来は封印するはずだった闇の書を完全な形で管理局に取り込んだグレアムの功績は大きい。得られた評議会との繋がりは、元帥の座よりも価値のあるものと言っても過言ではなかった。
それも、グレアムにとっては特に。
グレアムが闇の書の転生先を知り得たのは、評議会からの情報があったからだ。それがなければ、やはり後手後手の対応となってしまっていただろう。颯輔達が起こした奇跡も、あるいは全ての歯車が噛み合い起こるべくして起こったのかもしれない。
だが、それで万事解決とは言えない。グレアム最大の敵は、正しくその最高評議会なのだから。
リインフォース達にも確認はとったが、待機状態にある闇の書の所在を掴むことは、現存する技術では不可能なはずだった。それができれば、これまでの被害はもっと抑えられていただろう。グレアムも、始めに聞かされたときは半信半疑であった。
それでも、評議会は何らかの方法で所在を掴んだ。そして、グレアムを仕向けて夜天の書と紫天の書を得た。
問題は、わざわざグレアムを焚きつけてまでそれらを得て、その先に何を望んでいたのかだ。
「それで、何かあったのかね?」
「ええ。実は、聖王教会からの要請があったらしく、そちらの対応にはやて達をと……」
眉根を寄せて言うリーゼアリアに、やはり動き始めたか、とグレアムは意識を引き締めた。
闇の書事件の解決は、歴史の節目だ。今はまだ腹の探り合い程度だが、この先それは大きな動乱へと発展していくだろう。利権に卑しい評議会が、そこで動かないはずがない。その巨大な魔手が颯輔達へと伸びることは、何としても阻止する必要がある。浅ましく元帥の座にすがりつき、評議会の犬と呼ばれようともだ。
「それは、はやて達に管理局と聖王教会との橋渡し役を頼みたいということかな?」
「いえ。どうやら、はやて達には一時的に騎士団に専念して動いてもらいたいようです」
「……公にはしたくない問題が発生したと?」
「はい。昨日未明、聖王教会の遺失物保管庫にあった聖遺物が盗み出されたそうなのです。幸いにも情報の管制は間に合ったらしいのですが、物が物でして……。教会側の精鋭と協力して、早急に取り戻してもらいたいとのことです」
「わざわざ評議会にこぎつけてまではやて達を指名するということは、それなりの物ということか」
「はい……盗み出されたのは、聖王の聖骸布――オリヴィエ・ゼーゲブレヒトの遺伝子情報です」
その言葉に、グレアムは目を見開き息を飲んだ。
なんということなのか。よりにもよって、聖王の聖骸布。それも、はやて達とは因縁の深い最後の聖王――オリヴィエ・ゼーゲブレヒトのものときた。まるで図ったかのような、出来すぎという言葉すら生温い悪魔的なタイミングだ。
確かに、それほどのものなら事を公にすることなどできない。なにせ信仰対象の聖骸布だ。露見した結果が暴動程度で済むならばまだいい方だろう。場合によっては宗教勢力の塗り替えまである。
それに、はやて達を頼ることも、事態の収束を考えればあながち見当違いとも言えない。闇の書はオリヴィエと同じ時代を経験し、その最後に立ち会ったのだ。持ちうる情報は、教会並かそれ以上。使用できる魔法から考えても、はやて達が適任だろう。
しかし、なぜこのタイミングなのだ。
闇の書事件が解決し、はやて達が局員として再スタートをきり、颯輔達が更生の道を歩み始めた途端ではないか。あまりにも狙い過ぎている。犯人が反闇の書を唱える勢力かどうかも怪しい。
グレアムは目頭を揉み解し、溜息の後に言葉を続けた。
「評議会を通して言ってきたということは、それは当然正式なもので拒否権もないのだな?」
「ええ、残念ながら。教会ははやてとリインフォースの二名を指名しています」
「それ以上は手に余るか……。で、教会側の人員は?」
「教会の重鎮であるグラシア家のご息女――騎士、カリム・グラシア。および、騎士カリム付きのシスター、シャッハ・ヌエラ。以上の二名です」
告げると同時にリーゼアリアは情報パネルを出現させ、グレアムに詳細を見せてくる。グレアムは、主要なものを流し読んだ。
「預言者の家系か。それに、実力も申し分ない。対価――いや、等価のつもりか。指名した以上、もしもの事態があっても構わないと」
「守護騎士の代わりのつもりか、それとも……。汚れた信頼ですね」
「はやて達を二重の意味で試しているのだろう。どうせこの面子なら、せめてアコース査察官もつけてほしいところだがね」
カリム・グラシアもシャッハ・ヌエラも優れた能力を持つが、武闘派であり捜査向きの人材ではない。未来を予知するグラシア家の稀少技能も、このような案件には使えないだろう。二人は監視役であり、各所への通行券と考えた方がいい。
聖骸布が盗み出されてからすでに一日が経ってしまった以上、流出したであろう遺伝子情報の回収は不可能に近い。はやて達に期待されるのは、あくまで聖骸布の回収のみのはずだ。それだけならば十分にやってのけるだろう。難癖はつけられるかもしれないが、それについてはいくらでも返し様がある。
「父様、マイナスにばかり考えても仕方がありません。汚名返上の機会でもあるのですから、何も悪いことばかりではありませんよ。……それに、はやて達も断りはしないと思います。少しでも事態が波及しないように、私達はリスク管理に徹しましょう」
「……それがベターな選択か」
リーゼアリアは案じるように言ってくるが、グレアムにはどうしても楽観視することができなかった。
聖王教会の遺失物保管庫が破られるなど、並大抵のことではない。それこそ内側からの手引きでもあったのではと疑うほどだ。それほどに保管庫の警備は堅かったはずである。
そして、もしも聖骸布が技術ある者の手に渡ったのならば――いや、ほぼ確実にその手の者の犯行だろう。であれば、その先の展開はおのずと予想がつく。
「やはり、ままならないものだな……。アリア、はやて達への通達は頼めるね?」
「はい。父様はレティへお願いしますね」
「……これは、嫌味のひとつでも言われそうだな」
「ひとつで済めばいいですけど」
冗談のように言い合い、グレアムはもう一度資料に目をやり深く読み込み始める。運命を呪うのは、自分にできることをやりきってからだ。