夜天に輝く二つの光Relight   作:栢人

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第四話 雲の向こう(前編)

 

 なのはがフェイトと共に転移してきた世界。そこは、太古の地球によく似た世界のはずだった。

 文明によって汚されていない、原始の景観を保ったままの大自然。豊かな水に恵まれた、野生の魔法生物がのびのびと暮らす世界だ。

 しかし、二人の周囲を満たすのは漆黒の闇。霧状に散布した、漆黒の魔力粒子だった。

 普段ならば見事な大瀑布を望めるはずが、視界は酷く狭い。恒星はまだ中天にあるはずの時間帯だが、3メートルと離れていないはずのフェイトの顔を認識するのが精一杯だ。

 

「真っ暗だね……」

「うん……。それに、何だか息苦しい……」

 

 あまりに濃密な魔力素は、魔導師にとっては毒となる。その点から考えれば、この場に長時間留まるのは避けた方がいいだろう。はやての様子がおかしかったのも、あまり長居はしたくない要因の一つだ。

 だが、すぐそこにあるはずの異常が感じられない。誰かに視られているような感覚はあるのだが、その相手がどこにいるのか、まったく気配が感じられないのだ。すぐそばにいるはずのフェイトの気配でさえ、希薄に思えてならない。自分の中にあるコンパスが狂い、ぐるぐると回ってしまっているような感覚だ。

 異常と言えば、この状況こそが一番の異常。この場にいるだけで、心がざわざわと落ち着かなくなってしまう。

 

「闇の欠片、出てくるのかな…………フェイトちゃん?」

 

 目を凝らして辺りを見回していたなのはは、急に黙りこくってしまったフェイトを不審に思い、フェイトがいる方向に振り返った。

 

「フェイトちゃん? どこいっちゃったの……?」

 

 けれども、振り返った先にフェイトの姿はなかった。

 フェイトには少々抜けたところもあるが、まさかこんなところで迷子になってしまうような子ではない。真面目で実直な性格のフェイトが、勤務中に突然かくれんぼを始めたという可能性も皆無だ。正確な気配を掴めない以上は自信がないが、何かに襲われた様子もなかった。

 こんなときこそ魔法と念話を送ってみるも、フェイトが応えるどころか通じてすらいない。なのはのデバイスであるレイジングハートさえも、周囲の状況が読み取れていないようだった。

 

「フェイトちゃーーーんっ! ……レイジングハート、アースラとは通信繋るかな?」

《……I tried but failed.(繋がらないようです。)

「そんな……」

 

 感覚に頼った魔法行使をするなのはとは違い、機械であるが故に正確な魔法行使を売りとするレイジングハートでも駄目ならば、それは不可能だということだ。

 とにかく、このままじっとしていても始まらない。なのはは時空管理局の一員で、この場には仕事で来ているのだ。迷子になって終わりましたでは、クロノあたりに溜息をつかれてしまうだろう。

 調査をしつつ、まずはフェイトと合流を、と飛行魔法を操作したときだった。

 ぼんやりと、闇の向こうに揺らぐ影。

 背の低いそれは、ゆっくりと近づいてきて。

 その姿をはっきりと捉えたとき、なのははそこに鏡でもあるのかと思った。

 

「私……?」

 

 見覚えのある白いバリアジャケットは、聖祥小学校の制服を模したもの。だが、レイジングハートが去年の12月に強化される以前の、まだ装甲が薄い最初期のモデルだった。

 その手の魔導の杖はなのはの杖(レイジングハート・エクセリオン)とは違い、カートリッジシステムの象徴であるマガジンを付属していない。今となっては懐かしさすら覚えるそれは、紛うことなきレイジングハートだ。

 白いリボンでツインテールに結ってある明るい茶髪。不安を宿しておどおどとした瞳は、なのはを見つけて驚いている。その顔は、毎朝洗面台で見ている自分自身の顔だった。

 

「私……? レイジングハート、あの子もジュエルシードの異相体なの?」

 

 自分によく似た少女の問いかけに、もう一振りの魔導の杖が光って何事かを告げていた。

 その少女の口から出た声に、自分の声はこんな感じだっけ、と違和感を覚える。私はそんなに舌足らずな幼い声ではないと否定したかった。

 闇の欠片。

 消滅した闇の書が転生を計る際に出現する、闇の書の残滓。闇の書のデータが形を得たものを『闇の欠片』と呼ぶのだと、はやては言っていた。

 なのはは闇の書事件でリンカーコアを蒐集されてしまったため、自分の情報は闇の書に記されてしまっている。その情報には魔法関連だけではなく、その人物の記憶なども含まれているらしい。

 つまり、言動から考えて、目の前の少女は去年の春にジュエルシードを集めていた頃の自分に違いない。

 相手は過去の自分。闇の欠片という存在は、いわばお化けのようなものだということは分かっている。けれども、それが自分自身ならば、いくらか話は通じるはずだ。

 

「えーと……なのはちゃん? もうジュエルシードは――」

「――うん、わかってるよ、レイジングハート。暴走してるジュエルシードを封印しないと……!」

「えっ? ちょっと待って、あなたは――っ!」

 

 言い終わらない内に、相手の足元に桜色のミッドチルダ式魔法陣が描かれた。五つの魔力弾が形成され、なのはを目掛けてすぐさま射出される。その魔法の術式は、なのはのものであるディバインシューターだった。

 説得を一時中断し、なのはは回避行動に移った。同時に術式を起こし、同数の魔力弾を練り上げる。迫りくる射撃魔法(ディバインシューター)に、反転したなのはは射撃魔法(アクセルシューター)を放った。

 桜色の魔力弾がぶつかり合い、そして、五つの魔力弾(相手の魔法)が砕け散った。

 この一年間――特に、年が明けてからは――なのはは自身の魔法技能を向上させることに余念がなかった。ミッドの訓練校では、フェイトと共に魔法戦闘の教えも受けている。それを考えれば、当然の結果だ。魔力量も少しばかり増加した今、過去の自分に負けることなどあってはならない。

 しかし、だからといって、過去の自分が脅威ではないということはない。

 進む魔力弾の先では、もう一人の自分が砲撃形態(カノンモード)のレイジングハートを構えていた。杖を取り巻く四つの環状魔法陣。左右に広がる光の翼の中心に、桜色の砲弾が輝いている。

 今度は、砲撃魔法(ディバインバスター)だ。

 

「ディバイーン、バスターッ!」

「レイジングハート、お願いっ!」

《Excellion Shield.》

 

 解き放たれた桜色の奔流を前にしながらも、なのはは回避を選ばなかった。信頼するパートナーに防御を任せ、自身は魔力弾の制御に集中する。あまり好きにはなれない方法だが、実力差を見せて動きを止める必要があった。

 カートリッジを一発ロードし、レイジングハートが強固な防壁を作り上げた。砲撃を真正面から受け止め、面積あたりの魔力密度を計算し、防御システムがそれに合わせて防壁を補強する。想定よりも威力が高かったのか、レイジングハートは途中でもう一発だけカートリッジをロードしていた。

 なのはの視界は桜色に埋め尽くされている。しかし、その魔力の流れを辿ることで、相手の位置は手に取るように分かった。

 砲撃を避けて回り込ませた魔力弾を、相手を囲むように配置させる。光が晴れた先、そこには五つの魔力弾によって包囲された、闇の欠片である高町なのはがいた。

 

「そんな、ディバインバスターが通じないなんて……!」

「お願い、いい子だから、大人しくしてくれる?」

「…………や」

「……?」

 

 相手は俯き、何事かを小さく呟いている。今の距離では、掠れたその声は聞こえなかった。

 それでも、なのはは確かに見た。相手の頬を伝い落ちた、一滴の雫を。

 

「……のままじゃ、また独りぼっちに逆戻りしちゃう!」

 

 涙に濡れ、くしゃくしゃに歪んだ顔が持ち上げられる。

 

「私もやればできる子だって、お利口さんにできるんだって証明しないと、誰も私を見てくれなくなっちゃうよ……!」

 

  少女の悲痛な叫びが、なのはの心の奥をちくちくと刺した。その痛みが呼び起こすのは、幼い頃の思い出(なのはのトラウマ)だった。

 なのはに物心がついたかどうかの頃に、父が事故に遭って大怪我をした。母は父の看病と始めたばかりの喫茶店の切り盛りで忙しく、なのはの相手をしている暇がなかった。すでに大きかった兄と姉の二人は、少しでも家の助けになろうと母の手伝いをしていた。

 そのような環境で、幼いなのはだけは一人きりになることが多かったのだ。物音のしない自宅が恐ろしく思え、そばにいてくれる誰かを求めて外に出る。けれど、塞ぎ込んでいたなのはの相手をしてくれる誰かはどこにもいなかった。

 寂しさは募るばかりで、それでも、家が窮地にあるのは子供心に理解していて。だから、決して人前では涙を流さず、家族の負担にだけはならないようにした。自分は大丈夫だとアピールすれば、なのははいい子だね、と褒めてもらえるから。 

 孤独に耐え忍んでいた幼少期。それによってなのはが身に付けたのは、誰かに嫌われずに生きていく術だった。相手の顔色を窺って、相手の望むことをする。そうすれば、独りになることはない。

 直視しないようにしてきた、自分の弱さ。

 もう一人の自分は、容赦なくそれを暴いてきた。

 

「だから……」

 

 嘆く少女を中心に、桜色の流星が集い始める。なのはが配置していた魔力弾さえも、構成を解かれて吸収されてしまった。

 なのはとレイジングハートが編み出した知恵と戦術の結晶、集束砲撃魔法(スターライトブレイカー)――ではない。形成されるはずの砲弾はなく、集められた魔力は、全てが少女の内へと取り込まれている。

 桜色の光が少女を包み込み、新たな力を発現させた。大きく開いた光の翼に、赤色の魔力刃(ストライクフレーム)。カートリッジシステムまで再現させてみせたそれは、当時のなのはではあり得ないものだった。

 

「私は……!」

 

 自分の弱さを受け入れるという行為は、決して容易なものではない。それは違うと否定して、そんなことはないと拒絶してしまいたくなる。痛々しい表情で突貫してくる自分からも、目を背けてしまいたかった。

 

《Don't worry.》

 

 けれども、なのはは知っている。

 

《You are not alone.》

 

 自分はもう、独りきりではないのだと。

 

《Exelion Mode, drive ignition!》

「……ありがとう、レイジングハート」

 

 自ら翼を広げたパートナーの言葉を受けて、なのははしっかりと前を見据えた。

 カートリッジを三発ロードし、足元に煌めく魔法陣を描く。前面に構成したのは、二重構造の防壁。防御性能が向上しているエクセリオンモードで展開したこの魔法は、フェイトにすら破られたことがなかった。

 真っ直ぐに向かってきた赤い刃が、桜色の防壁に激突する。

 

「このっ……!」

「もう泣かなくてもいいんだよ」

「う、うううう……!」

「よく思い出してみて。あなたのそばにいる人達を」

 

 一層目の防壁を突き破った刃は、二層目で止まっていた。ストライクフレームを受け止めているのは、魔力刃を咬んだ一層目の防壁。二層目の役割は万が一の場合の保険と、そして、もう一つ。

 二層目の防壁から光の鎖が伸び、泣いている少女を拘束していく。この状態の少女が自己を曲げないであろうことは、自分自身が一番分かっていた。

 

「ううっ、うううっ!」

「あなたのそばにいるのは、何の見返りも求めないでただそばにいてくれる、優しい人ばっかりだよ」

 

 家に帰れば、大好きな家族に会える。あのときは、ただ忙しかっただけ。誰も好き好んでなのはを独りきりにしていたわけではない。仕方がない事情があっただけなのだ。

 学校に行けば、大好きな友達に会える。最初は喧嘩もしたけれど、今となっては自他ともに認める仲良し。アリサとすずかは、胸を張って親友と言うことのできる存在だ。去年の冬からはそこにフェイトが、この春からははやても加わって、この五人なら、きっといつまでも一緒にいられるだろう。

 そして、なのはの手の中にある魔導の杖(レイジングハート)。機械でありながら意思を持つ彼女は、ただの物などではない。どんな悩み事も相談できる、そして、なのはに力を貸してくれる、大切なパートナーだ。

 なのはの大切な人達は、なのはを見捨てるような真似など決してしないだろう。できないことがあれば教えてくれて、悪いことをしてしまえば叱ってくれる、心優しい人達ばかりなのだから。

 もちろん、だからといって甘えてばかりではいられない。恩返しというわけではないが、何かをしてあげたい。だが、それはきっと、しなければならない義務などではないのだ。

 大切なのは、気持ちを伝え合うこと。

 たったそれだけのことで、孤独などは消え去ってしまう。

 

「だから、私の大切な人達のことを、悪い人みたいに言わないで」

 

 砲撃距離をとり、カートリッジを三発ロードする。展開した魔法陣に足を置き、なのははレイジングハートを突きだした。

 なのはの魔力と、カートリッジ三発分の魔力、そして、濃密な魔力素を集束させて砲弾を成す。集束時間を短縮して威力を犠牲にし、展開速度を速めた集束砲撃魔法。しかしその威力は、ただの砲撃魔法(ディバインバスター)をも容易く凌駕する。

 

《Hyperion Smasher.》

 

 誰かにそばにいてほしいから。よくやったねと褒めてほしいから。そういった望みが前提にあって何かを頑張ることは、少しだけ卑しいかもしれないが、何もいけないことではないだろう。以前のなのはだって、戦う理由はそのためだった。

 だが、今は違う。

 なのはが魔法の力を振るうのは、誰かが悲しい思いをしてしまうのを止めるためだ。

 

「もっと周りを見るだけで、きっと世界は変わるから」

《Shoot.》

 

 想いを魔法に乗せて、なのははトリガーを引いた。

 砲弾が解き放たれ、桜色の激流となって暗い空を明るく照らし上げる。一直線に突き進んだそれは、目を見開いている高町なのはを飲み込んだ。

 辺りが再び漆黒の静寂を取り戻すと、両手で目元を擦る少女が見えた。嗚咽を漏らしながら、溢れてくる涙を拭っている。少女の杖は桜色の光となって散り、少女の体も、足元から解けつつあった。

 闇の欠片は、そのコアに一定の魔力ダメージを受けると躯体を保てずに消失してしまうという。過去が再生されただけの影は、何をしようとも助けることなどできないのだ。

 エクセリオンモードを解除したなのはは、レイジングハートを待機状態に戻して泣きじゃくる少女へと近づいた。ツインテールの間に手を置き、そっと撫でつける。

 

「大丈夫だよ。もう少し頑張れば、新しく素敵な友達もできるから」

「……っ……っ」

「それから、できればなんだけど……私が助けられなかった人達を、どうか助けてあげて。それはきっと、あなたにしかできないことだから」

「わた、わたしに……?」

 

 淡い光に包まれ、半透明になってしまった顔が上を向く。なのはは柔らかく微笑んで見せた。

 

「うん、あなたにしかできないこと。そのうちの一人はもう少しで、それからもう一人は……ううん、二人かな。もう二人は、12月に会うことになると思うから。お願いできるかな?」

「……うん、頑張ってみる」

「ありがとう。あなたに会えて、よかった」

「……!」

 

 きょとんとした顔は、涙に濡れながらも照れくさそうな笑顔へと変わる。うん、と頷きを残して、闇の欠片は消滅してしまった。

 闇の欠片は闇の書を再生させるためだけに存在しているのであって、過去から来た自分などではない。なのはがかけた言葉は無意味でしかないものだ。

 けれども、意味などなくたって、救いのない存在だと分かっていても、その心を支えてあげたかった。

 それが例え、未練がましいおしつけでしかなかったとしても。

 

「……酷いこと言っちゃったかな?」

No, she was surely saved in your words.(いいえ、きっと彼女は救われましたよ。)

「だったらいいな……――まだ、終わりじゃないみたいだね」

 

 再び、影が蠢く。

 次に現れたのは話の通じる人間ではなく、獰猛な魔法生物だった。

 

「行くよ、レイジングハート!」

《All right, my master!》

 

 目尻を拭い、なのはは撃ち抜く力を再びその手に宿した。

 

 

 

 

 炎の尾を引き、排煙で軌跡を描きながら、ヴィータは暗い空を飛翔していた。苦々しく歪めた表情で、ちらりと後ろを振り返る。迫るは、ミントグリーンの光。咎人を捕え上げようと、ミントグリーンの魔力紐(ワイヤー)が伸びて来ていた。

 ちっ、と舌打ちを漏らし、ヴィータはグラーフアイゼンに魔力を送り込んでエンジンを吹かした。炎が大きくなり、飛行速度が上がる。手首を使って角度を作り、黒天に鋭利な曲線を引いた。

 急激なカーブによって体がバラバラになりそうな慣性力を受けたが、そんなものは身体強化を使って無視をした。元より体は並の人間よりもよほど丈夫に造られている。そこに魔法の補助が加われば、魔導師の常識を逸した機動など容易いことだ。

 だが、相手方はヴィータの能力と戦法を熟知していた。

 ワイヤーがぶるりと震え、鞭のようにしなる。引き離していたはずのワイヤーが、横合いからヴィータの視界に入り込んできた。

 手首を捻って急上昇、一本目のワイヤーをかわす。二本目、三本目、四本目と繰り出される攻撃を、鋭角なカーブを繰り返すことで避け続けた。

 見知った攻撃を掻い潜り、ワイヤーが集結する一点を目指す。視認したのは、やはり見知った顔。武骨な甲冑をまとった、シャマルの顔をした存在だった。

 

「――っ、アイゼンッ!」

《Tödlichschlag.》

 

 展開される風の護盾。構わず、ヴィータは紅に染まった鉄槌を振り下ろした。

 

「くっ……!」

 

 散りゆく風の向こう、感情をなくした顔が僅かに曇る。奇しくも宿った表情が、ヴィータの攻め手を緩めさせた。

 こいつはシャマルの偽物で、ただの闇の欠片で、倒すべき敵。そんなことは分かっている。それでも、今のヴィータには、葛藤なしにその敵を屠ることができなかった。

 

『ヴィータちゃんッ!』

「――うおっ!?」

 

 頭に響いた声で、ヴィータは慌てて頭を後ろに引いた。鼻先を紅の鉄槌が駆け抜け、轟と空気を引き裂くスイング音が一瞬遅れてやってくる。巻き起こった風が、前髪をバタバタと乱暴に揺らした。

 攻撃はまだ終わらない。

 割り込んできた影は、勢いをそのままに小さな体を回転させた。ハンマーが頂点に至ったところでくるりと身体を捻り、体幹を真っ直ぐに整える。頭上から繰り出される第二撃を、ヴィータは紅の障壁を展開して受けた。

 障壁越しに、光をなくした目を見る。どこかで見た暗いその瞳は、彼のような優しい夜などでは断じてない。まだ見ぬ未来への希望ではなく、これまでと同じであろう未来に絶望した、全てを諦めた瞳。

 ヴィータを攻撃しているのは、武骨な甲冑に身を包んだ闇の欠片(過去の自分)だった。

 

《Explosion.》

 

 相手の魔力が膨れ上がり、障壁が粉々に砕かれる。迫る鉄槌をグラーフアイゼンの柄で受け、攻撃の勢いに身を任せて後方へと飛ばされた。

 距離を稼ぎながら体勢を立て直す中、ぐるぐると縦に回る視界で次の一手を見定める。せっかちな自分のことだ、必ず追い打ちをかけに突っ込んで来るだろう。そこにカウンターを、と戦術を練っていたが、ヴィータの予想は裏切られた。

 紅と、ミントグリーンのベルカ式魔法陣が輝く。放たれたのは、巨大な砲弾と渦巻く風の砲撃だった。

 

「ちっ――お?」

 

 とにかく回避を選ぼうとしたが、その必要はなかった。後方に飛ばされるうちに、何かを潜り抜ける感覚。視界が一瞬だけミントグリーンに染まり、次の瞬間には別の景色があった。

 まだ勢いは死んでいなかったのか、それでもなお落下を続ける。しかし、間もなく「よいしょっ!」と声があり、あまり頼り甲斐のない細腕に抱き止められた。

 見上げた先には、ほっと一息をついているシャマルの顔がある。どうやら、シャマルの転移魔法(旅の鏡)によって助けられたらしかった。

 

「ヴィータちゃん、大丈夫?」

「助かった。……けど、あんま人を物みてーに扱わねーでくれよ」

「仕方ないじゃない、私の飛行速度じゃ間に合わなかったんだもの」

「……ま、いいけどよ。ありがと、シャマル」

「どういたしまして。……それより――」

「――どうして攻撃を躊躇ったりしたの?」

 

 シャマルの腕から降りたヴィータにかかる声音が、突然変質する。抑揚の少ないその声は、ヴィータの隣にいるシャマルとは別方向、いくらか離れた位置から聞こえてきた。

 声のした方を見れば、ヴィータ達をこの空域に捕えている闇の欠片(シャマル)がいる。その隣、いつの日かの自分が、次に口を開いた。

 

「前は、女子供だろーが容赦なくぶっ殺したくせに」

 

 泣き叫ぶ声。

 鉄槌を下す自分。

 フラッシュバックした記憶を頭を振って払い、ヴィータは自分を睨みつけた。

 

「黙れよ、偽物」

「あたしを否定したって、てめーらの所業までは否定できない」

「あなた達が犯してきた罪は、決してなくなりはしない」

「それは……」

 

 他ならぬ自分の声に指摘され、隣のシャマルが唇を噛んで俯いた。

 ヴィータとシャマルは夜天の書の守護騎士だ。今はもう覚えていないが、始まりの時も夜天の書の守護騎士だったはず。だが、その間は違った。

 いつの頃か夜天の書に発生した異常。何が原因かも分からなかったそれは、夜天の書の呼び名を闇の書というものに変えてしまった。そして、次元世界にその悪名を轟かせるきっかけとなったのだ。

 敵軍を斬り捨て焼き払う、剣の騎士。

 戦艦を墜として叩き潰す、鉄槌の騎士。

 謀殺によって敵国を覆す、湖の騎士。

 迫る脅威を串刺しにする、盾の守護獣。

 重ね上げた武功と残虐な所業によってその名を馳せた、闇の書の守護騎士。

 込められた祈りを忘却し、命じられるがままに命を刈り取り続けた自分達。主の命令は絶対と信じ込み、目と閉じ耳を塞いで心を殺していた。道を踏み外してしまった主を正すことなく、意思のない人形へと成り下がっていた。

 その結果が、千年以上に渡る大量殺戮。

 弱者を排斥する世界、積み上げた死体の数など覚えていない。だが、死体の山を築き上げたであろうことは間違いないのだ。

 民を殺し、兵を殺し、将を殺し、王を殺した。

 男を殺し、女を殺し、子供を殺し、老人を殺した。

 斬り捨て、叩き潰し、毒を盛り、串刺しにした。

 震えるヴィータとシャマルの手は、今でもその感覚を忘れてなどいない。

 

「たくさん殺したくせに」

「命乞いなんて聞かなかったのに」

「許されるわけねーのに」

「裁かれるべきなのに」

「そのくせどーして」

「のうのうと起動しているのかしら?」

「もしかしててめーら」

「今更幸せなれるとでも思っているのかしら?」

 

 その言葉は、グラーフアイゼンで殴られるよりも重い一撃だった。管理局の裁判でも散々に言われたが、自分と同じ声で言われた方が精神的に堪える。自分の心の声と錯覚し、抵抗なく受け入れられてしまうのだ。

 あまりに重すぎる罪。

 けれども、その事実を受け入れた上でもヴィータ達は。

 

「……黙れって、言ってんだ! シャマルも顔下げてんじゃねぇ!」

「――っ、はいっ!」

 

 紅の魔法陣が輝き、起動した術式が八つの鉄球を召喚する。震えを押さえつけるため、グローブの中の指が白くなるほどに柄を握り込み、グラーフアイゼンを振り抜いた。

 射撃魔法(シュワルベフリーゲン)が着弾するのを待たず、ヴィータも同時に飛び出す。相手方も鉄球を撃ち出し、そして、風の護盾を展開していた。

 甲高い音を立てて飛翔した十二の鉄球が、互いにぶつかり合って砕け散る。ヴィータが放った残りの鉄球は盾を張るもう一人のシャマルへと向かい、相手が放った鉄球は、ヴィータとシャマルを狙っていた。向こうの自分は、デバイスを構えて飛び出してきていた。

 グラーフアイゼンを右に薙ぎ、自分へと飛んできた鉄球を粉砕する。同時に高速移動魔法(フェアーテ)を発動してスライドし、シャマルを狙う鉄球を叩き潰した。

 次、と視線を上げ、状況を確認する。もう一人の自分はもう目の前で、もう一人のシャマルはヴィータの鉄球を防御して動きが止まっていた。

 

「シャマルッ!」

「任せてッ!」

 

 シャマルの名を呼び、そして、振り下ろされた戦鎚に向けてグラーフアイゼンを振り上げて迎え撃つ。火花を捉える視界の隅を、クラールヴィントのワイヤーが駆け上がっていった。

 

「現実見ろよ。てめーらの居場所なんてどこにもねえ。世界中敵だらけだ。そうだろ?」

「違うッ! 勝手に決めつけてんじゃねーよッ!」

 

 確かに、闇の書の守護騎士だったヴィータ達には居場所などなかった。世界を飛び回り、戦場を駆け抜ける日々。主の下に帰還したところで労われもせず、食事も与えられずに暗い部屋へと押し込まれた。

 人間ではなくプログラム体に過ぎないのだから、当然の扱いだ。

 考え直すまでもなく、そう思い込んでいた。

 

「あたしらの居場所は、はやての隣だッ!」

 

 けれども、そんなことばかりではなかった。

 世界を飛び回ることなどなく、戦場になど繰り出さない日々があった。温かい食事に柔らかいベッド。向けられるのは害意ではなく大きな好意で、きらきら輝く笑顔と心温まる優しい笑顔がそこにはあった。

 プログラム体に過ぎないヴィータ達を、人間として扱ってくれた二人の主。

 何より大切な、初めての家族。

 

「こんなあたしらを、友達だって言ってくれるやつだってできたんだッ!」

 

 存在するはずのない魔導師との邂逅。静かな生活は終わりを告げ、望まぬ再会時には、やはり戦うこととなった。一方的に襲撃する者と、一方的に襲撃される者。加害者と被害者で、その間に友情が芽生える余地などなかったはずだった。

 しかし、彼女は違った。事情を知らぬうちから話を聞かせてほしいと訴えかけてきて、何度突っぱねても諦めず、そして最後には協力してくれた。

 人懐っこい性格で、その無邪気な笑顔が大切な人と重なってしまう、放ってはおけない少女。

 

「でも分かってんだろ? どうせまた裏切られるに決まってる」

 

 火花を散らしていた二振りのグラーフアイゼンが、互いに弾かれた。体勢を立て直しながら、互いにカートリッジをロードする。ハンマーフォルムからラケーテンフォルムへと変形したグラーフアイゼン達が、炎を吹き上げた。

 

「例え裏切られたって――」

「――私達は、私達の意思で道を選ぶ!」

 

 暗い空を昇っていくヴィータ達の姿を捉えながら、シャマルが高らかに宣言した。

 左右の掌に装備したクラールヴィントから伸びる計四本のワイヤーは、同数のワイヤーと絡み合っている。向かい合うは、闇の欠片として構成された過去の自分。基礎能力では今のシャマルの方が勝っているが、だからといって、容易に倒せる相手ではない。

 

「それは、主に使い捨てられたとしても?」

「はやてちゃんはもう主なんかじゃない――私達の家族よ!」

 

 シャマル達とはやてとの関係は、もはや主従のそれを超えている。はやてが夜天の王でシャマル達が守護騎士である以上その本質は変わらないのだが、そんな低次元の話ではないのだ。

 十ヶ月という時間は、一人の主に仕えるにしては異例の長さだ。主の方針によって多少は左右されるが、六ヶ月を越えたことはまずなかっただろう。記憶が曖昧で確かではないが、すぐさま蒐集に駆り出され、闇の書を完成させては消滅と再生を繰り返していたはずだ。

 今回も主の願いによって蒐集を始めはしたが、その願いはこれまでとは違ったものだった。最愛の人の命を助けたいという、儚い祈り。そう願った主も大切な家族で、主として振る舞ったのは必要に駆られたためでしかなかった。

 そして、危険が迫れば真っ先にシャマル達を切り捨ててきたこれまでの主とは違い、彼は身を挺してシャマル達を護り抜いた。はやてとは、身代わりとなった彼を救うために同じ空を飛んだ。

 共に過ごし、共に空を翔けることで育まれた絆。

 それはきっと、愛情と呼ばれる感情。

 

「そんな関係、いつまでも続くはずがない。あなた達の存在は、重荷でしかないのだから」

「続けて見せるわよッ!」

 

 分かっている。

 シャマル達の存在が、はやてを貶めてしまっていることくらい。

 心のどこかでは疎ましく思われていることだって、シャマル達は知っている。

 当然だ。多少歪んでしまってはいても、はやては純粋無垢で何の罪もない少女だった。血塗られた歴史を持つ闇の書の主に選ばれるべき人間ではなかった。シャマル達の穢れきった手で触れていい存在ではなかった。

 けれども、はやてはそれでも手を差し伸べてくれた。優しく触れてくれて、笑顔を向けてくれた。シャマル達の真実を知ってもなお、その態度が変わることなどなかった。

 それは、シャマル達が奪ってしまった彼も同じ。

 だが、命を奪われた彼が、最愛の兄を奪われたはやてが、無限の愛を注いでくれるはずがない。二人は人間で、聖人君子などではないのだから。大きな好意の裏に、小さな嫌悪がなかったわけではないのだ。

 しかし。

 

「例え嫌われたって……憎まれたってっ! 私達は――あの子のそばにいたいから!」

 

 はやてから光を奪い、清廉な身を穢したのは確かに自分達だ。

 しかし、闇の中にいたシャマル達にとって、はやての存在は掛け替えのない光なのだ。守護騎士プログラムの根幹を滅びゆく夜天の書から蒼天の書へと移した今、言葉通りにはやてなしでは生きられない。

 だから、シャマル達ははやてと共に生きることを望む。はやての重荷でしかなくとも、はやてのそばにいたいから。

 嫌われたって構わない。

 憎まれたって構わない。

 それでも、共に生きる努力をしよう。

 はやてをもっともっと好きになって、好きになってもらって、はやての生が終わるそのときまで、そばでその身を支えよう。

 共にいることではやてが穢れるというのなら、穢れきったこの身を清めてみせよう。

 犯した罪は消せないことなど分かっている。だから、命を奪った分だけ他の命を救って見せるのだ。それは、はやてが生きているうちには叶わないかもしれない。だが、それでも。

 

「だから――」

「あたし達は――」

 

 矛盾を孕んだ想い。

 以前は何かを願うことなどなかった。

 何かを望むことなどなかった。

 願望を持つ資格すらないと思っていた。

 けれども、願ってもいいのだと、望んでもいいのだと、シャマル達は教えてもらったのだ。

 それが、人間として生きるということ。

 

「罪を背負って――」

「――生きてくんだよッ!!」

 

 何度目かの衝突の後、ヴィータはグラーフアイゼンを右手で強く握り締めた。

 クラールヴィントのワイヤーを自ら切り、シャマルは両手を正面にかざした。

 左手に魔力を集中させ、振り下ろされたグラーフアイゼンの衝角を受け止める。

 風の砲弾に魔力を集中させるため、迫るクラールヴィントを構わず受ける。

 しかし、それらの攻撃が騎士甲冑を完全に貫くことなどない。

 覚醒した八神はやての力は、何より騎士甲冑の強化に当てられているのだから。

 これ以上、大切な家族がいなくなってしまわないように。

 

「クラールヴィントッ!」

「グラーフアイゼンッ!」

《《Jawohl!》》

 

 シャマルのクラールヴィントが、ヴィータのグラーフアイゼンが、主の声に応えるかのように一際強く光り輝いた。

 掌に猛る暴風が集い、衝角が真紅に染まって燃え上がる。

 狙うは、闇に囚われてしまった自分。

 

《Sturmwind!》

《Flammeschlag!》

 

 放たれた砲撃が過去を切り裂き、打撃と共に発生した炎が闇を照らし出した。強力無比な魔力は躯体を貫き、その核へと到達する。心臓部を蹂躙された闇の欠片は、闇に溶けるようにして消えて行った。

 グラーフアイゼンが駆動し、排熱機構から大量の蒸気を吐き出す。無音になった世界で、駆動音がやけにはっきりと聞こえた。

 欠片が消失した虚空をじっと眺めていたヴィータの隣に、警戒を続けながらもシャマルが昇ってくる。まだ終わっていないことは、ヴィータも察知していた。

 

「ヴィータちゃん、手、大丈夫?」

「あんくらいへっちゃらだよ。シャマルこそ、直撃受けてたじゃねーか」

「ちょっと痛かったけど、心配はいらないわ。……まだ続くようだけど、いけるかしら?」

「ああ、任しとけ。……けど、何か嫌な感じがする。シャマル、できるだけあたしが相手しとくから、この妙な結界ぶち破るのを優先してくれ」

 

 胸を押さえながら言ったヴィータに、シャマルが頷きを返した。

 先ほどからやけに胸騒ぎがするのは、決して気のせいではない。精神リンクから伝わってくる感情が、ヴィータの心を乱しているのだ。

 不安と、期待と、恐れ。ここ最近続いていたはやての心の振れ幅が大きくなっている。もしかしたら、連絡のつかないはやてとアースラの方で何かが起こっているのかもしれなかった。

 再び結界の解析に入ったシャマルを背に、ヴィータはグラーフアイゼンを構え直す。視線の先では、深い闇が大きな影を作り出すところだった。

 

 

 

 

 汗で滑る剣十字の杖(シュベルトクロイツ)を握り直し、はやては蒼天の書を開いた。連続でリンカーコアから流れ出す大魔力に、いい加減体が悲鳴を上げている。それでもその細い腕を前へと伸ばし、はやては術式を起動した。

 大規模魔法陣が描かれ、眩い白銀の光が闇の中で輝いた。前面に形成された砲台五門が、大魔力を素に砲弾を練り上げる。

 はやての(砲身)が指し示す先には、無数に蠢く異形の影があった。反響する咆哮が恐れ戦いているように聞こえるのは、込められた魔力の量を直に感じ取っているためか。

 

「来よ、白銀の風……っ、天よりそそぐ――矢羽となれっ!」

《Hräswelg.》

 

 五点から解き放たれた砲弾(フレースヴェルグ)が、暗い闇の中を翔け抜けた。闇の欠片である魔法生物達が放った攻撃を掻き消しながら進むほどの威力だが、狙いはまだまだ甘い。元々、リインフォースの補助があることを前提として発動する魔法なのだ。はやて一人では、完全に使いこなすことは不可能だ。

 だが、今は撃てば中る状況。その制圧力は絶大だった。

 欠片の群れに突き刺さった砲弾が、圧縮させていた大魔力を炸裂させる。着弾地点はおよそ1キロずつ離れてはいたが、拡散した魔力爆撃が互いに重なり合い、闇の壁を突き崩していった。

 はやての砲撃は、まだ終わらない。

 

「次……っ!」

 

 息を切らしながらも砲台の向きを変え、第二射、第三射と放つ。爆撃は欠片の軍勢を削り取っていくが、ようやく片側が空いた程度だ。クロノ達もいるにはいるが、はやてに迫る闇の欠片を迎撃するので手一杯。アースラの主戦力であるクロノですら、はやてと同じ戦列には加わることはできないのだ。

 あと半分。流石の連携で欠片を撃墜していくクロノ達の姿をぼんやりと捉えながら、はやては歯を食いしばった。

 大魔法の連発で、膨大な魔力を持つはやてでさえも底が見えてきていた。もう撃てないわけではないが、これ以上魔力を消費しては、リインフォースへの供給分までなくなってしまう。状況は分かっているつもりだが、魔力を使い果たすつもりはなかった。

 だから、取るべき選択肢は一つ。

 蒼天の書がバラバラと捲れ、とあるページを開く。そこに記してあるのは、リインフォースの知識を基にして共に組み上げた、はやてのための魔法。

 重たい身体に魔力を通し、はやては気力で腕を持ち上げた。極大の魔法陣の上で掲げた杖は、真っ直ぐに天を指す。剣十字が指し示す先に、白銀の光が集い始めた。

 

「……響けっ、終焉の笛っ!」

 

 魔力の高まりを感じてか、クロノ達が慌てて射線から逃れていく。『こっちに撃つなら知らせてくれっ!』と飛んできた念話に、事前に知らせることすら忘れていたことにようやく気が付いた。

 どうしてこんなに必死になっているのだろう。

 どこかにいる冷めきったはやてが、息を切らす自分を見下している。リンディが結界を破るのを待つだけでいいのに、シグナム達が戻るまで耐えるだけでいいのに、何故大切な魔力を浪費する必要があるのか。

 こんなことをしたって、妄想が現実になる保証などはどこにもないのに。

 

「――ラグナロク……っ!」

 

 大気に満ち満ちた魔力を集束した砲弾が、極光となって溢れ出した。止めどなく溢れる光が空に橋を架け、砲台と闇の欠片の大群とを結ぶ。着弾した砲弾は拡散を始め、津波のように全てを飲み込んでいった。

 出せる手札を出し尽くしても、闇の欠片の殲滅には至らない。だが、大群の七割方が魔力素に還ったことで、残りの欠片だけではアースラの障壁を破ることは難しくなっただろう。ここまでやれば、はやては十分に役目を全うしたと言えるはずだ。

 はやての常識外れな大火力を目の当たりにして呆気に取られていたクロノ達が、我に返って飛び回り始める。なかなか整わない呼吸に苦戦しながらその様子を見ていたはやては、突如、一人の武装局員が水色の閃光に貫かれる場面を目の当たりにした。

 絶望的な状況にもようやく光明が見え始めていたはずが、一気に緊張状態へと突入する。六人いた武装局員のうち三人がはやての護衛に回り、残る二人が海面へと落ちていく局員の救助へと向かった。クロノが襲撃者を抑えにいくが、雷光の如く翔けるそれに翻弄されてばかりだ。

 突然現れた標的から感じる魔力は、そこらの闇の欠片のものではない。少なく見積もってもクロノ並で、はやて達が対応した中では突出していた。

 疲労が溜まっているのか、射撃魔法の雨を降らせるクロノもその動きは芳しくない。クロノの攻撃を掻い潜った光が、救助に向かった二人の局員をも貫いていた。

 とにかく援護をしなければと、はやてが不得手な射撃魔法を発動させようとしたとき、雷光が爆ぜた。

 

「そこのけそこのけ、ボクが通ーる!」

 

 あまりに場違いな、しかしどこかで聞き覚えのあるような声。それを認識したときには、はやての周りにいた三人は斬り捨てられていた。

 

「斬り捨てごめーんっ!」

「――っ!?」

 

 直感に身を任せて両手で支えた杖に、蒼雷を帯びた魔力刃がぶつかった。中途半端な身体強化では受けきれず、はやては押し負けて弾き飛ばされてしまう。だが、一瞬だけ襲撃者の顔は見た。

 闇の欠片のものとも違う、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンによく似たその顔を。

 

「えーっ!? ボクの攻撃止められたーっ!? ――って、よく見たら夜天の王じゃないか! ちょっと悔しいけど、それなら納得かなー」

 

 毛先だけが黒い水色の髪に、爛々と輝く薄紅の瞳。ころころと変わる表情とその雰囲気は、落ち着きのあるフェイトとは似ても似つかない。しかし、目の前の少女がフェイトの容姿を模した何かであることに違いはなかった。

 背後から迫っていたクロノの砲撃を振り向きもせずに回避して見せた少女が、ふと叱られた子犬のような顔を見せる。

 

「わ、わかってるってば! 夜天の王とは戦っちゃダメなんでしょー? うんうん、ボクのお仕事はもっと大事なことなんだも――はい、余計なことは喋りません、ごめんなさい……」

「ちょ、ちょう待ちぃっ!」

「あーダメダメ、今ボク忙しいから! また後でねー!」

 

 反転した背中に向かってはやてが叫ぶも、少女はお遣いにでも向かうかのような気軽さで手を振りながら、アースラへと突貫する。後を追おうにも、高速機動型らしき少女に追いつくことのできる移動手段も攻撃方法も、はやては持ち合わせていなかった。

 

「パワーきょくげ~んっ!」

 

 少女の振りかざした剣が巨大化し、あっという間にアースラの障壁を一部を切り崩してしまう。闇の欠片の攻撃には十分耐えていたはずの障壁は、あまりに呆気なく突破されてしまった。

 

「はやてっ! まだ飛んでいられるかっ!?」

 

 少女を取り逃してしまったはやての背に、半ば怒鳴り声と化した声がかかる。見れば、バリアジャケットをボロボロにしたクロノが荒い息を吐き出していた。

 

「う、うん、まだ大丈夫やけど、クロノ君は――」

「――休める状況じゃなくなってしまったが、きついならアースラに戻ってもいい。僕は彼女を追う。いいか、絶対に無理だけはするんじゃあないぞ!」

「えっ、あっ、ちょっ……」

 

 はやての返事を待たず、クロノは少女の後を追ってアースラに向かって行った。この場の指揮官であるはずが出鱈目な采配を取っていたあたり、クロノも相当に切羽詰まっているのだろう。クロノの焦り具合を見て少々落ち着いてしまったが、アースラにリインフォースを残しているはやてだって、休んではいられない状況だ。

 夜天の王であるはやてを無視した水色の少女の狙いは、十中八九、記憶喪失の少女だ。つまり、一緒にいるリインフォースにも危険が迫っているということ。共にいるアルフでは、おそらく抑えられない。

 闇の欠片とも違う少女の正体は気がかりだが、今はそんなことはどうでもいい。

 どうしてあんなに簡単に行かせてしまったのか。

 今更自己嫌悪に陥りながらも少女の追撃に向かおうとしたとき、はやては周囲の異常に気が付いた。

 はやてを守っていたクロノがいなくなって、武装局員が墜とされて、どうしてひっきりなしだったはずの攻撃がまったくなかったのか。

 様々な音色の咆哮で煩かったはずのこの場は、どうして無音の世界になっているのか。

 

「……っ!?」

 

 ふと気が付いた気配に、はやての心臓が飛び上がった。

 全ての闇の欠片が魔力素へと還り、一カ所に集い始める。

 ゆっくりと形を造っていくそれは、魔力の総量に反して大きくはない。

 はやてよりも大きい程度の、人型。

 

「――っ!!」

 

 巻き起こる魔力風になびくのは、闇に溶け込んでしまいそうなほどに深い色合いをした漆黒のローブ。

 影に隠れていた顔が、フードが風にあおられたことによって露わになる。

 フードに下にあったのは――

 

「……はやて」

 

 八神はやては、二度と聞けるはずのなかった声を聞いた。

 

 


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