夜天に輝く二つの光Relight   作:栢人

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第八話 荒ぶ風

 

 フェイトの結界が覆う夜の空を、なのははゆっくりと飛行していた。サーチャーを飛ばしながら、同時に、右へ左へ上へ下へと視線を動かし、異常がないことを確かめる。波の音しか届かない静まり返った空は、いっそ不気味なほどだった。

 なのはとフェイトがアースラ周辺の警戒を交代してから、そろそろ小一時間が経つ。それまでそれを任されていたシグナムとヴィータは、夜天の書の修復のためにアースラへと帰投していた。八神家一同がその作業に追われており、今現在の戦闘可能な人員は、なのはとフェイトの二人のみである。

 だが、なのは達が周辺世界に向かった際にアースラを襲撃した闇の欠片は、周囲の空を覆い尽くすほどであったという。更には、闇の欠片とは一線を画す力を持つ紫天の書の構築体(マテリアル)も現れたらしい。それらは、闇の書の暴走体と同等の戦力だというのだ。

 そのような相手を前にして、なのはとフェイトの二人だけで守りきれるのか。

 比較対象がなかった頃、なのはは自分が並の魔導師、あるいはそれ以下の実力しか持たないと思っていた。しかし、アースラに所属するようになり、クロノからある意味でさんざんな評価を受け、管理局の平均から見れば上位の実力者であるというアースラの武装局員を知り、そして、三ヶ月におよぶミッドチルダでの研修を経て、その認識は改めさせられた。畏れ多くも、なのははちょっとありえないクラスの魔導師(エイミィ談)らしい。

 そんななのはではあるが、同等の実力者であるフェイト達と協力しても、闇の書の暴走体にはまるで歯が立たなかったのだ。攻撃は通っても――打倒してはならなかったのだが――打倒できるというイメージは全く湧かなかった。ならば、ディアーチェ達に対しても同じことが言えてしまうだろう。

 ディアーチェ達の狙いは、颯輔だ。颯輔の話によれば、あちらも紫天の書の修復に追われているようだが、それが終われば、必ず颯輔を狙って現れるらしい。そして、修復速度は間違いなくあちらの方が上だという。つまりは、敵わないと知りながら、なのはとフェイトの二人で時間を稼がなければならないということになるのだ。

 はやては空を覆い尽くす闇の欠片の半分以上を消し飛ばしたというが、魔法資質の関係上、なのはとフェイトの二人には、そのような真似はできない。保有魔力量も、はやてに比べれば圧倒的に少ないのだ。その上、周辺世界での戦闘で消費した魔力も、完全には回復していない。

 そのような状態で迎えるであろう局面が、なのはは怖かった。

 預かった命の総量に、その責任の重さに、今にも押し潰されてしまいそうだった。

 一対一が二面ではなく、二対多。実力差が分かりきっている相手に酷く不利な状況で挑むということが、なのはにとっては初めての経験であるが故に。

 それでも、フェイトと共にならば……。

 一通りのコースを見回ったなのはは、フェイトと合流すべくアースラの直上を目指した。バリアジャケットのおかげで夜風に身体が冷えることはないが、心は僅かに震えてしまっている。暗い海の上というのも、心細さを加速させる要因のひとつだった。

 事前に決めてあった合流地点には、すでにフェイトの姿があった。フェイトの飛行速度は、なのはよりも随分と速い。受け持った周回範囲が同じならば、フェイトが先に戻っているのは当然のことだった。

 徐々に見えてきたフェイトの顔は、月明かりを受けながらも朧気な陰りを見せている。何かを考え込むかのように、下に向けられていた。なのはが近づくと、その顔が上がる。フェイトは、儚い笑みを浮かべてなのはを迎えた。

 

「おかえり、なのは」

「うん、ただいま。こっちは異常なしだったよ。フェイトちゃんの方も、大丈夫だった?」

「うん。こっちも何もなかったよ。結界もちゃんと機能してるし、まだ大丈夫みたい」

「そっか、よかった。……ねえ、フェイトちゃん」

 

 なのはが呼ぶと、フェイトは小首をかしげつつ、「どうかした?」と返してきた。そこに、なのはが来るまであった暗い色はない。

 

「何かあったの?」

「何かって、どうしたの、急に」

「うーん、なんか、フェイトちゃん、考え事してたみたいだったから」

「私だって、考え事くらいするよ?」

「それは、もちろんそうなんだけど……でも、ちょっと様子がおかしかったから、気になっちゃって」

「……あは、やっぱりなのははすごいなぁ」

「そ、そんなことないよっ。私、フェイトちゃんだから分かったんだもん。それに、フェイトちゃん、分かり易いから」

「そうかな……?」

「そうだよ。さっきだって、こんな顔してたもん」

 

 言って、フェイトの真似をして俯いて見せた。フェイトは、「そんな顔してたかなぁ……」などと言ったが、絶対にしていた。精神リンクの繋がっているアルフには敵わないが、フェイトに元気がないことくらいは、なのはにも看破できる。

 フェイトは、内側に溜め込んでしまうタイプの人間だ。それは、なのはも同じ。溜め込み過ぎては、いつか取り返しがつかなくなってしまう。そうなってしまった人を、なのはもフェイトも知っていた。だから、溜め込んだものは定期的に吐き出さなければならない。リンディ達には未だに気を遣う様子を見せるフェイトだ、なのはが少しでも代わりになれたらと思った。

 フェイトは躊躇を見せながら、言葉を選ぶようにして言った。

 

「じゃあ……うん、なのは、聴いてくれる?」

「うん、もちろん」

「あのね、何て言うか、愚痴、みたいなものなんだけど……。颯輔さん、戻ってきたでしょ?」

「うん……」

 

 シグナム達に遅れ、なのはとフェイトがアースラに帰投すると、そこには亡くなったはずの颯輔の姿があった。あわや幽霊、あるいは闇の欠片かとも思ったが、どうやらそうではないとのこと。その場ではすれ違う程度でろくな挨拶もできなかったが、警戒の任務に就く前は、少しだけ話ができた。そこで、簡潔にだがこの事件のあらましを聞いたのだ。

 

「それでさ――まあ、調査はこれからって段階だったんだけど、颯輔さん、事件の解決方法も教えてくれたよね。それに、すごく落ち込んでたはやても、元に戻しちゃって……。私達が何を言っても、顔も上げてくれなかったのにさ……」

 

 颯輔と話をしたとき、その隣には、ぴたりと寄り添うはやての姿があった。宛がわれた部屋で、ザフィーラの背中に顔を埋めて泣き、なのは達には反応もしなかったはやて。そのはずが、次に見る頃には、はやては泣き腫らしていながらも確かに顔を上げていた。

 

「私は、はやての友達のつもりだったけど、何にもしてあげられなくて、でも、颯輔さんは違くて……。家族と友達だったら、それはそうなんだろうけど、やっぱり、敵わないなぁって……」

 

 「それに、ね」と続けるフェイトは、どこか暗い笑みを湛えていた。

 

「……颯輔さんは、一回は死んじゃったはずなのに、戻ってきた。はやて達のところに、ちゃんと帰ってきた。死んじゃったら、もう終わりのはずなのに……」

「…………」

「それで私……ずるいって、思っちゃったんだ」

 

 絞り出すように、フェイトはそう言った。

 

「私の時は、最初にリニス。それから、母さん。二人共、私を置いていっちゃった。リニスはいなくなっただけだけど、母さんは虚数空間に落ちたから、だから、例えどこかで生きてたんだとしても、たぶん、もう……」

 

 フェイトの魔法の先生であったというリニス。大魔導師プレシア・テスタロッサが生み出した使い魔。使い魔は、主の魔力供給なしでは生きられない。また、虚数空間では、魔力は結合せずに分断されてしまうのだ。それが意味するところは、言葉にせずとも明白だった。

 

「二人共、もう帰って来ない。私の本当の家族は、もう戻って来ないんだよ? だけどっ、はやてのところには、戻って来た。死んだはずの颯輔さんが戻って来て、死ぬはずだったリインフォースも助かるって。私は大切な人を失ったのに、はやては何一つ失ってない。もちろん、私も嬉しいって気持ちはあるんだよ? よかったねって、ちゃんと言えたんだよ? 颯輔さんにまた会えて、リインフォースとこれからもお話ができるって分かって、すっごくほっとしたんだよ? ……でも、それだけじゃないんだ。はやてはずるいって、はやてが羨ましいって思っちゃって……こんな気持ち、いけないのに、いけないって分かってるのに、だけどっ……!」

 

 フェイトの目は、赤く濡れていた。

 なんて真っ直ぐで綺麗な心を持っているんだろう、なのははそう思った。

 フェイトは、一途に慕うプレシアから酷い仕打ちを受けていた。直接その現場を目撃したわけではないが、それはなのはも知るところだ。だが、それだけの仕打ちを受けながら、人の悪意に触れながらも、フェイトは真っ直ぐで綺麗なままだった。

 それがきっと、なのはがフェイトに憧れる理由。

 眩しいくらいに純粋な心を持ち続けているフェイトが、羨ましかった。

 

「……おいで、フェイトちゃん」

「……っ……っ」

 

 鼻をすするフェイトを、なのはは腕の中に招き入れた。とんとんと背中を叩いてあやしながら、そっと頭を撫でつける。分け目を辿りながら、ツインテールの束を乱さないように、静かに掌を動かした。

 

「あのね、フェイトちゃん。誰かをずるいって思うことは、羨ましいって思うことは、普通のことなんだよ? それは、どっちかって言ったら、いけない気持ちなのかもしれないけど……でも、そう思うことは、ダメなことじゃないと思うんだ」

「だけどっ……」

「だけどじゃないの。だってフェイトちゃん、嬉しいって気持ちもあって、よかったねって言えたんでしょ? だったら、それでいいと思うな。いけない気持ちだけじゃなくて、ちゃんといい気持ちもあるんだから、それは悪いことなんかじゃないと思うよ。うん、普通だよ。フェイトちゃんは、どこもおかしくなんかない」

「ほん、とに……?」

「うん、本当。私だって、そんな風に思うことあるもん」

「なのはも……?」

 

 胸の上でもぞもぞと動いたフェイトが、そっと見上げてきた。なのはは、はにかみながら一つ頷いてみせた。

 フェイトは、プレシアの実の娘ではない。実の娘であるアリシア・テスタロッサのクローンだ。故に、確固たる自己のルーツを持てず、人と違うことに脅えてしまうことがある。それへの対処法は、誰かに肯定してもらうこと。それを、なのはは無自覚ながらも察知していた。

 

「私が入局したのは、魔法の力を使って誰かの役に立ちたくて、誰かの涙を止めたかったからだけど、それだけじゃないんだ。えっとね……フェイトちゃんみたいになりたいなって、思ったからなのです」

「私……?」

「うん。フェイトちゃんは、真っ直ぐで、綺麗で……すっごく可愛いのに、強くてカッコよくて、ずるいなぁーって、そう思うもん」

「そ、そんなことないと思うけど……」

「そんなことあるよ。だって、フェイトちゃんは私の憧れの人だから」

「そっ、それを言ったらなのはだってっ」

 

 顔を紅潮させたフェイトがばっと離れ、真っ直ぐになのはと向かい合った。

 

「なのはだって――ううん、なのはの方が、可愛くて強くてカッコいいもんっ。射撃と砲撃は私なんかよりずっと上手だし、それにっ……それに、すごく楽しそうに空を飛ぶんだ。私は、そんななのはが好きで――」

「へっ……?」

「――あっ、ちっ、違うの、そうじゃなくてっ、いやっ、違わないんだけどっ、そういう意味じゃなくてっ……うぅぅ~、なのはぁっ」

「んふふっ、やっぱり、フェイトちゃんの方がかわいっ」

 

 フェイトの可愛らしさを再認識したなのはは、それを直に確かめるべく抱き着いた。背中にぎゅっと腕を回し、すりすりと頬を摺り寄せる。フェイトの体はふにふにと柔らかい感触を返してきて、頬は滑らかで心地良かった。こうして温かさを感じているだけで、なのはの心は安らいでいくのだ。

 「わっ、わっ」と驚いていたフェイトも、やがて、おずおずと背中に腕を回してくる。その挙動はガチガチで、ばくばくと跳ねる心臓の鼓動が触れ合った胸から伝わってきた。

 なんとなくいけない気がして、こういったことは二人きりのときにしかしない。しかしそれでも、結構な回数はこうしているはずである。そのはずが、フェイトはちっとも慣れてくれはしない。もっとも、それを含めてフェイトが可愛らしい所以なのだが。

 柔らかな感触を楽しんでいると、「なのは、そろそろ……」とフェイトが身動ぎをした。よいではないか、などと思いつつ離さないでいると、いよいよフェイトの抵抗が強くなってくる。

 

「なのは、もうダメ。……来たよ」

「来たって何が……っ」

 

 遊びがなくなった声を受け、顔を離してみると、フェイトは上を向いていた。その鋭い視線を追い、なのはは息を飲む。遥か上空、フェイトの結界の天蓋が、ひび割れ始めていた。

 きしり、きしりと亀裂が入っていく。結界の隙間から漏れ出てくるのは、超重量を錯覚させるどす黒い魔力だった。それが持つ説明のできない引力に視線と身体の自由を奪われるうち、遂に、フェイトの結界が破壊される。

 砕け散った結界の外にあったのは、光を閉じ込めるつるりとした壁。

 そして、中天には大きな黒い月が浮かんでいた。

 月明かりすら拒絶する暗幕の中、月の表面が波立った。ともすればそれは、底の見えない水面にも見える。波紋を広げるその始点から、とぷんと現れたのは、一人の女性だった。

 漆黒の戦装束。

 全身を覆う赤帯の紋様。

 三対六枚の深紫の翼。

 夜風に流れる銀色の髪。

 感情の失せた深紅の瞳。

 シグナム達以上の魔力を迸らせる、リインフォースの闇の欠片がそこにいた。

 そして、まだ終わらない。波紋の数がいくつも増え、月の表面が荒れに荒れた。そこから生れ落ちてくるのは、無数の魔法生物。巨竜、怪鳥、怪魚。その種類は多種多様で、おどろおどろしい容貌が大半だった。

 リインフォースが率いる闇の軍勢が、瞬く間に夜空に展開されていった。

 

「……なのは。一当てしたら、私がリインフォースの欠片を抑えるから」

「っ、そんなっ、無茶だよフェイトちゃんっ!」

 

 リインフォースの闇の欠片が現れたのは、最悪のパターンではなくともそれに近いものだ。

 リインフォースは言っていた。「もしも私の欠片が現れたならば、決して戦ってはならない。広域魔法の発動だけを阻害し、あとは逃げに徹して時間を稼ぐだけでいい」と。「それさえも厳しいのならば、いっそ離脱しても構わない」とまで言っていたのだ。リンディ達ですら、それを許した。

 闇の欠片がオリジナルよりも劣化した性能しか持たないとはいえ、そのオリジナルが途方もなく強大な存在ならば、結局は驚異的な存在となる。闇の書が蒐集した魔法の全てを操り、そして、戦乱のベルカの歴史が生み出した戦術を網羅するリインフォースの欠片(闇の書の暴走体)は、明らかにその類の存在だった。

 

「だけど、どっちかが抑えないと、他の欠片が野放しになる。そうしたら、障壁が張れないアースラは……」

「でもっ……だったら私が――」

「それはダメ。私の砲撃と射撃じゃあ、あの数には対応できない。それはなのはも同じかもしれないけれど……でも、私よりは信頼できる。それに、私の方がなのはよりも速いから、リインフォースの攻撃も全部かわしてみせる」

「でもっ……でもっ!」

「大丈夫、ちゃんとフォローはするから。だからなのはも、余裕があったら私のフォローをよろしく。それから、アースラの皆を――私の家族を守って、お願い」

「……うん」

「うん、いい子」

 

 微かに震えている掌が、なのはの頬を流れていく。フェイトはなのはを一度強く抱き締め、そして、離れた。

 フェイト自身、無謀な選択をしたことは分かっているのだろう。だが、それしか選択肢がないから。守りたいものを守るための最適解は、おそらくそれで合っているから。

 ならば、なのはも全力を尽くそう。フェイトの家族を、なのはの大切な人達を、はやて達を、そして、フェイトを守ろう。今奮わずして、いったいいつ奮うというのだ。

 

《Sonic Form――》

「いくよ、なのは」

《Exelion Mode――》

「うん、フェイトちゃん」

《《Drive ignition.》》

 

 金色と桜色の魔力が溢れ返り、天に柱を突き立てた。フェイトは許された最速の機動をするための、なのはは全ての力を出し切るための形態だ。

 並び立ち、なのはは翼を展開した杖を、フェイトは光の剣を構える。上を見上げると、深紅の双眸と視線がかち合った。

 

「ロードカートリッジッ!」

「N&F、コンビネーションッ!」

 

 フェイトの勇ましい声になのはが続き、そして、二機のデバイスが炸裂音を上げる。金色と桜色の魔法陣が重なり合って拡がり、眩い輝きを放った。

 

《Blast Calamity.》

《Manipur Shift.》

 

 ふわりと桜が舞い、ばりばりと雷が迸る。大規模魔法陣の上、二人の眼前に形成されゆくのは、桜色と金色の小弾頭。百二十にもおよぶそれらが、軍列を成した。

 軍列の向こうで、闇の欠片の軍勢が展開を終える。その最前線に立つ女指揮官が、すっと天に腕を伸ばし、そして、振り下ろした。

 

「「撃ち――砕けぇぇえええッッ!!」」

 

 同時、二人も号令をかける。命令を受けた砲弾が、雄叫びのような轟音と共に放たれた。風が唸り、夜が切り裂かれる。そして、欠片の軍勢と激突した。

 

 

 

 

 『交戦します』と、短い念話がリンディに送られてきた。『気を付けて』と、その程度の言葉しか返せない自分が酷く恨めしい。もう若いとは言えないリンディは、数時間の休養程度では十分に魔力が回復しないのだ。前線に立つタイプの魔法資質には恵まれなかったが、それでも、もしも魔力を消費していなかったのなら、あの場にいたのはリンディだったはずなのに。

 照明を落としたブリッジの中、光源となる投影ディスプレイの一つに目を向ける。そこには、四肢に光翼を煌めかせて飛び立つフェイトの姿があった。なのはが放った射撃魔法を従えるその姿は、普段からは想像もつかないほどに勇ましい。

 有り余る才能を持ってしまったが故に、次代を抜かして最前線に立たされてしまった少女達。立たせたのは、他ならぬリンディだ。その事実が、余計に自己嫌悪を催した。

 気を揉みながら視線を移し、もう一方のディスプレイに目を向ける。映っているのは、複雑怪奇なベルカ式の魔法陣の上に立つ、颯輔とはやての二人。目を閉じ手を取り合う二人の間には、二冊の魔導書が浮かんでいた。夜天の書と、蒼天の書。蒼天の書から四色の光が溢れ、夜天の書へと流れ込んでいた。

 夜天の書の修復は、まだ終わらない。闇の欠片は現れてしまったというのに、いったいいつ終わるのかも分からない。こちらも、ただ黙ってそれが終わるのを待つのみだった。

 アースラの外、たった二人の少女の前には、無数の欠片の軍勢。そして、相手方にはリインフォースが――闇の書の暴走体までいるのだ。無理だ、勝てるはずがない。フェイトとなのはがいくら才気に溢れようとも、例えオリジナルには及ばない闇の欠片であっても、格が違い過ぎる。あれは、人が戦って勝てる相手ではないのだ。時間を稼ぐことすら難しい。それこそ、化け物の領域に踏み込みでもしなければ。

 どうしてあんな化け物が出てくる?

 どうしてフェイトとなのはが戦わなければならない?

 どうして管理局の応援が来ない?

 どうして自分は何もできない?

 どうして八神颯輔は生きている?

 飛び交う疑問(糾弾)が思考を埋め尽くす。ただ椅子に座し、状況を黙って見守るのみ。命令も指示も出せず、ただ祈ることしかできない者などは、指揮官とも呼べない。

 そして、見守ることも許されなくなってしまった。

 少ない魔力をやりくりして飛ばしていたサーチャーが、潰されてしまったらしい。戦闘の余波を受けたようで、投影ディスプレイの一つを影が覆い、そして、ぶつりと途切れた。

 何か出来ることがあるはずと、避難を選ばずブリッジに集まっていた乗組員の間にどよめきが起こる。そこにはリンディ自身の声も含まれていた。

 頑張れ。

 負けるな。

 無事でいて。

 まだなのか。

 早くしてくれ。

 なにをしている。

 祈りと罵倒。どよめきはその二つに分かれ、喧騒へと成り果てた。

 無責任なそれらに、ふと気が付いた。自身は動かず、危険だと分かっていながら娘達を送り出した。それは、プレシア・テスタロッサと同じ選択だ。

 逃げ出してもいいとは言ったが、フェイト達は決して逃げ出さない。正確には、逃げ出せない。持てる力の全てを持ってして、例えどんなに無茶をしようとも、多くの人が乗るアースラを守ろうとするだろう。家族を、友人を、大切な人を守ろうとするに違いない。二人は、そうしてしまう子なのだから。

 フェイトにジュエルシードを集めさせた、プレシアと同じ選択。アルカンシェルの代わりに、子供を使って復讐を果たそうとしているのかもしれない。今度こそは良き母であろうと誓ったはずが、それ以前の問題だった。

 弱く、脆く、利己的。無意識の内にまで浸みこんだ、卑劣極まりない打算。眩しいほどに真っ直ぐな子供達に比べ、なんと歪んでいることか。

 更には、実の息子さえもあの場に送り出そうとしているのだから救いようがない。

 何の前触れもなくあがった扉が開く音で、喧騒に包まれていたブリッジが静まり返った。そこに響くは二つの足音。時空管理局の制服に身を包んだ、クロノとエイミィの二人。二人は黙ってブリッジを進み、リンディの前で止まった。

 

「クロノ君、叩き起こして来ました」

「アースラの非常動力とパスを繋ぎました。ここまでの扉は全て開放して来たので、魔導炉が落ちても閉じ込めの心配はありません」

「そう……」

 

 分かっている。この場で戦場に出るべきは、後方型のリンディではないことなど。

 分かっている。クロノはいつまでも自分の庇護下にはいてくれないことなど。

 これはただの意地(我がまま)。そんなことは、十分に分かっているのだ。

 

「持っていきなさい、クロノ。これはもう、あなたのデバイスよ」

「ありがとう、母さん」

 

 ざわつく心を鎮め、リンディは待機状態のデバイス(銀色のカード)を差し出した。リンディと共に駆け抜けてきた、銀色の杖(アテナ)。外装こそ昔のままだが、中身のハードとソフトは現行のハイエンドモデルだ。来たるべき闇の書事件に向けて改良を重ねてきた、リンディ・ハラオウンの半身。すでに、クロノに合わせた調整は済んでいた。

 大破したクロノのデバイス(S2U)に代わる新たな力。クロノは、差し出したそれを静かに受け取った。

 これで、リンディは戦う術を失った。無論、魔法が使えなくなったということはないが、実戦で要求されるレベルには到底至らない。ましてや、今日この場所では。出来ることはと言えば、フェイトとなのはの無事を祈り、クロノに後を託し、そして、颯輔達を待つことのみである。

 

「……クロノ、フェイトとなのはさんをお願い」

「――いってきます」

「……いってらっしゃい」

 

 こくりと頷き、クロノはリンディへと背を向けた。リンディはエイミィと共にその後ろ姿を見送りながら、残った魔力で転移ゲートを起動させる。力強く足を踏み出すクロノは、いつの間にか逞しくなっており。その後ろ姿は、若かりし頃の夫を幻視させた。

 

 

 

 

 連携砲撃を放った後、フェイトとなのははすぐさま次の行動に移った。

 フェイトは四肢に光翼(ソニックセイル)を展開し、放電を呼び起こすほどの魔力を込めた。同じく、下段に構え直したザンバーフォームのバルディッシュ・アサルトにも魔力を供給し、その管理を任せる。魔力を受け取ったバルディッシュはそれを変換して己と主へと反映させ、魔力刃の強度を上げてフェイトの身体機能を強化した。

 フェイトの隣では、なのはが動く。レイジングハート・エクセリオンをくるりと回し、十二の魔力弾を練り上げた。桜色の輝くそれは、フェイトを守るようにその周囲を取り巻いている。一発に込められた魔力が普段よりも多いらしく、温かな光がフェイトを強く照らし出していた。

 『交戦します』、『気を付けて』と、リンディと一言だけの念話を交わす。そして、なのはと視線を合わせ、頷きを合図にし、フェイトは雷光の如く飛び出した。

 重力の縛りを物ともせずに加速と上昇を続け、一息で最大戦速へと到達。その頃には、なのはの射撃魔法を置き去りにしてしまっていた。

 だが、問題ない。なのはの射撃魔法はあくまで最初だけの援護。直に、次の援護は期待できなくなる。ならば、最初からないものと思った方がいい。それに、フェイトがなのはへああ言ったのは、少しでも早くリインフォースの下へと辿り着くためだったのだから。

 

「行くよ、バルディッシュ」

《Blade Impulse.》

 

 ぼうと浮かび上がった環状魔法陣が、バルディッシュの刃に融けて消える。()()と短く息を吐き出し、フェイトは剣を横薙ぎに振るった。

 剣の軌跡から放たれた衝撃波が、魔力素に還って渦巻いていた黒い霧を祓う。そして、それだけに止まらず、その奥に蠢く異形を斬り裂き、僅かな道を拓いた。

 

「プラズマスマッシャー」

《――Fire.》

 

 フェイトは深い闇の奥を見つめ、続けて砲撃を放った。雷砲は先の一閃で作り上げた軍列の亀裂へと牙を突き立て、肉を抉るようにして突き進む。そして、その奥で唐突に弾けて霧散した。

 フェイトの砲撃を防いだのは、リインフォースが展開した防壁。牽制のつもりでしかなかったが、それでも、ひび割れどころか傷一つさえついていないそれを見せつけられては、溜息の一つもつきたくなるというものだ。

 無論、そんなことをしている暇などない。フェイトは溜息の代わりに大きく息を吸い込み、バルディッシュの柄を強く握り締めた。

 

「ぁぁぁああああああッ!」

 

 微かな不安を裂帛の気合いでかき消し突き進み、ただ我武者羅に剣を突き立てた。深紫の防壁に剣先がぶつかり、斬り裂く代わりに雷電を迸らせる。

 防壁の向こう、凍てつく眼光がフェイトを射抜く。リインフォースが小さく唇を震わせると、その足元に新たな魔法陣が出現した。

 フェイトの背筋に、ぞくりと悪寒が走る。リインフォースの周囲に瞬時に出現したのは、血塗れの刃。十六の短剣が、フェイトを睨んで牙を剥いていた。

 

「穿て――」

 

 凍えるような祝詞の続きが耳に入るのを拒絶し、フェイトは深紫の防壁を蹴り飛ばした。

 振り向むいた先には、目の前にまで迫った竜の咢。咥内から届く臭気に顔をしかめつつ、フェイトは竜の頭部を二つに撫で斬った。

 魔力素とも血しぶきとも判断のつかないモノが降り落ちてくる前に、雷光を残してその場から離脱を計る。崩れ落ちる竜を飛び越えた先には怪鳥と怪魚の群れ。しかしそれらは、遅れてやってきたアクセルシューターによって蹴散らされた。

 停まらない桜色の魔力弾。その向かう先で、真紅の剣兵が解き放たれた。そのうちのいくつかがぶつかり合い、そして、互いに炸裂する。その爆煙の向こうから、四本の短剣がフェイトへと追い縋ってきた。

 なのはが作りだしてくれた隙間に飛び込み、その奥に群がる闇の欠片を回り込んで盾とする。しかし、短剣は障害物を避け、執拗にフェイトを狙い続けてきた。

 闇の欠片をかわして飛び、剣を振ることのできるスペースに辿り着く。すると、フェイトは反転して速射砲を放った。

 轟く雷鳴が、迫りくる短剣を飲み込む。だが、一本だけはその軌道を変え、フェイトへと飛び込んできた。

 バルディッシュを振り抜き、短剣を斬り落とす。そうして安心したのも束の間のこと。続けてフェイトは目を見開いた。

 

「――っ!!」

 

 フェイトは、そのまま首が千切れ飛びそうな勢いで頭を逸らした。首筋に寝違えたかのような痛みが走ったが、それでも身体強化の賜物か。斬り捨てた短剣の影に隠れていたもう一本は、浅く頬を裂くに止まった。

 短剣は、フェイトの後方にいた怪鳥の翼膜に突き刺さり、圧縮魔力を爆裂させた。翼を失った怪鳥は、おぞましい叫びをあげながら、暗い海へと落ちていく。浅いはずの頬の切り傷から、どくんどくんと鼓動が聴こえた気がした。

 

「っ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ」

 

 これは、殺傷設定の攻撃だ。

 その事実を認識した途端、頬がひりひりと焼け付くように痛みだし、吹き上がってきた汗が額から流れ落ちた。鼓動は太鼓のようにうるさく、呼吸は全力疾走を続けた後のように荒い。

 闇の欠片に取り囲まれる中で、フェイトは死の恐怖に硬直してしまった。

 

『フェイトちゃんっ!』

『フェイトっ!』

 

 二つの声が届いた。

 親友(なのは)と、それから、義兄(クロノ)の声。それらが届くと同時、下方から桜色の砲撃と水色の剣群が立ち昇り、フェイトに迫るモノ達を一掃した。

 息を飲みながら視線を落とせば、今まさに闇の欠片に取り囲まれようとしているなのはとクロノの姿が見えた。新たな魔力弾と、更なる剣群を作り出す二人が、闇に埋もれて消えていく。

 

《Jet Zamber, set.》

 

 かたかたと鳴っていたバルディッシュが、カートリッジを排出して魔力刃を輝かせた。新たに付与されたのは、障壁破壊の魔法。まるで、立ち止まってしまったフェイトを急かすかのように、ばりばりと電撃が漏れ出ていた。

 

「――うんっ」

 

 震えが、止まった。

 殺傷設定の魔法は確かに恐ろしい。その前では、装甲の薄いフェイトなど紙切れも同然だろう。基本形態であっても、フェイトのバリアジャケットでは気休めにもならない。そしてそれはおそらく、いくらか威力が制限される非殺傷設定でも変わらないのだ。

 フェイトよりも装甲の厚いなのはならば、リインフォースの魔法にも数発は耐えられるかもしれない。だが、所詮は数発。回避ではなく防御に重きを置くなのはでは、リインフォースの猛攻を受けきれず、限界などすぐにやってきてしまうことは目に見えていた。

 だからこその、フェイト。

 殺傷設定も非殺傷設定も、一発でも当たれば墜ちるのだ。ならば、一発も当たらなければいい。どんなに威力がある魔法も、当たらなければ墜ちはしない。殺傷設定だろうと非殺傷設定だろうと関係ない。そのために、フェイトは最速の形態(ソニックフォーム)を選んだのだから。

 自分でそう決めたのならば、こんなところで立ち止まってなどいられない。

 

「守るって――」

 

 ならば、恐怖を飲み込み糧としろ。

 それができなかったとき、どうなるかは分かっているはずだ。

 

「決めたんだッ!」

 

 舞を披露するように、フェイトは軽やかに回転してみせた。ぐるりと円を描いたバルデイッシュが、包囲を狭めてきていた闇の欠片を真一文字に両断する。霧散する闇、その向こう側からさらに顔を覗かせる異形を尻目に、フェイトは刀身を巨大化させるバルディッシュを振り上げた。

 見定めるは、深い闇の奥。強大な魔力が渦巻く、その中心点。

 

「――そこッ!」

 

 雷光一閃。暗闇を断ち切った軌跡はしかし、闇の中心でその進行を止めた。黄金の光に照らし出されたそこには、変わらず表情を殺したリインフォースの姿があった。

 真上に掲げられた左の掌、その先には、ベルカ式魔法陣の防壁が展開されており。前方に突き出された右の掌、その先には、深紫の魔力球が形成されていた。

 数瞬のせめぎ合いの果て、フェイトの剣が盾を破ると同時、リインフォースの砲撃が炸裂した。

 

《Sonic Drive.》

 

 闇の欠片を巻き込みながら迫る濃密な死の気配を伴った砲撃を、光を身に纏って回避する。臆せず、フェイトはバルディッシュの刀身を戻して疾走を開始した。目標であるリインフォースは、先の攻撃を回避して、次の一手を繰り出そうとしていた。

 砲撃に沿って飛び、最短経路を塞ぐ欠片を斬り伏せる。一瞬遮られた視界、そこにリインフォースの姿が戻ると、その周囲には血塗れの短剣が再び整列していた。

 リインフォースを中心にして、上下左右を囲む円陣。回転を始めたそれが、フェイトに向かって射出される。

 一本目、二本目、三本目を回避。四本目で危うくなり、五本目を迎撃。それ以降は全てを斬り捨てた。無傷の代償は、幾何かの減速。リインフォースが更なる短剣を追加する今、足を止めてはジリ貧だ。

 フェイトの思考をトレースしたバルディッシュが、カートリッジを炸裂させた。用途は、機動力の底上げ。フェイトを包む魔力光が、放電を始めた。

 短剣の雨が再開されると思いきや、十六のそれは、一斉に掃射された。一本一本の面積は小さいが、その追尾性を考えれば、間を掻い潜るほどの間隔などはない。ならばと紫電を残し、フェイトは最短経路を放棄した。

 コンマ数秒の時間を相手に与え、代わりに背面の奪取に成功する。この際卑怯などとは言っていられない。障壁破壊の術式を維持したまま、フェイトはバルディッシュを振り抜いた。

 

「ふっ――」

 

 肺から息を吐き出す短い音。それは、フェイトだけではなくリインフォースからも漏れていた。

 羽が舞い、銀扇が広がる。拳に魔力を纏わせたリインフォースの身が翻り、左の裏拳がバルデイッシュを弾いて跳ね上げた。

 拙い(遅い)

 そう思考する前に、お互いの体が動く。反転した勢いを上乗せし、右の正拳を繰り出すリインフォース。それに対し、フェイトは反動に逆らわずに釣られ、大きく後方宙返りをした。

 リインフォースが繰り出した拳の先から、込められていた魔力が砲撃となって放たれる。逆さまになった頭のすぐ下を通過するそれに肝を冷やしながら、フェイトは身体を捻った。

 身体を倒して水平に。消失した砲撃の射線を辿り、掬い上げるように斬撃を放つ。

 攻撃の後を突いた渾身の一手。

 だが、リインフォースの攻撃にはまだ続きがあった。

 右の拳をさらに前へと突き出し、半身になってフェイトの斬撃を回避。そのまま右足を軸にして回転し、空振って目線の高さまで上がった魔力刃の側面へと、左足の踵を叩きこんだ。

 硬質な音を響かせて、魔力刃が中程から砕けた。フェイトの魔力とカートリッジを消費して練り上げた切り札。それが、いとも簡単に、あっけなく。

 これが、ベルカ式の魔法。闇の書の融合騎の力。戦乱の歴史を相手にするということ。生まれて数年程度では、辿り着くことの許されない領域。

 ――だから、どうした。

 所詮は代えの訊く刃。折られたのならば、また新たに練り上げればいい。

 剣を折られても、心までは折られるな。

 まだ遅いのならば、相手の反応速度を凌駕しろ。

 

《Saber Blast.》

 

 剣の破片を爆破し、即席の目暗ましに。爆発は今さらに追いついた血塗れの短剣を巻き込み、より大きなものとなった。だが、その程度でダメージが通るなどとは思っていない。数秒数瞬、ただ離脱する時間を稼げればそれだけでよかった。

 自身の攻撃の衝撃が来るよりも速く、フェイトはリインフォースから離れた。合間に残りのカートリッジを使い果たし、更なる魔力を纏って加速。バルディッシュのストレージから替えのホルダーを呼び出しセット。魔力刃を再構成させ、ジェットザンバーを再発動させた。

 方向転換し、怪魚を相手に斬れ味を確かめる。そのまま数体を捌いて前を向くと、爆煙からリインフォースが飛び出してきた。やはり健在だったようで、ダメージは見られない。

 だが、それでもいい。フェイトの目的は、あくまで時間稼ぎ。リインフォースの注意を引き、アースラを攻撃させないこと。そのためには、真っ先に狙われる存在であり続けなければならない。

 片手を突き出し、牽制に射撃。三本の雷槍を放ち終えると同時、相手の側面に回り込む。そうしてフェイトは、自身の射撃魔法と共に挟撃を仕掛けた。

 攻撃の到達は、コンマ一秒以下のタイムラグもなかった。着弾と同じタイミングで剣を振る。リインフォースの選択は、側面に回り込んだフェイトの迎撃だった。

 雷槍が、リインフォースへと届く前に不可視の障壁に阻まれ消失した。深紅の瞳に映るはフェイトの姿。深紫に輝く右拳が機械じみた正確さで刀身へと迫り――それがぶつかり合う前に、フェイトは剣を引いた。

 拳が伸び切る前に、再び背面へ。リインフォースに反応されるよりも早く、フェイトは剣を閃かせた。

 障壁を割り、翼を断って肩へと刃が滑り込む。さして抵抗もなく、そのまま左肩から右腰へと抜けると、リインフォースは魔力を散らして煙のように消え去った。

 勝った、と思う暇もなかった。

 後方から、魔力の高まりを感じたから。

 

「果てなき闇に惑うがいい」

 

 その魔力は闇の欠片を取り込み変成させながら瞬く間に周囲へと広がっていき、フェイトを包囲した。一人、二人、三人とその数を数えていき、すぐにその思考を中断する。群がっていた闇の欠片に代わる、リインフォースの集団。十二十ではきかないが、百には上らない。その一人一人が、深紫の砲弾を形成していた。

 ガシャンガシャンガシャンと、残りのカートリッジを全てロード。身体を焼く膨大な魔力が、雷を伴う暴風を巻き起こした。

 後のことなど考えるな。

 持てる力の全てを出し続けろ。

 例え、その果てに燃え尽きたとしても――後悔するよりは、ずっといい。

 

「眠れ、小さき者よ」

 

 数え切れないほどの砲撃が、フェイトを目掛けて放たれた。

 瞬間、雷光を撒き散らしてスタートを切る。砲撃が密集する前に包囲を離脱し、最も近いリインフォースの下へ。腕を振るタイムロスも惜しいと、バルディッシュを横に構えたまま、すれ違い様に両断した。

 身体が上げる悲鳴に聴こえないふりをして、自身を雷と化す。二人目、三人目、四人目と消滅させたところで、リインフォース達が次の攻撃に移った。

 遂に捉えられないと悟ったのか、十数人のリインフォースもろとも、フェイトが飛ぶ空間を障壁が覆っていく。取り残されたリインフォース達は、特大の魔力球を形成し始めていた。

 こんなところで負けて堪るものか。

 フェイトはバルディッシュの刀身を伸ばし、刃先を障壁の天蓋へと突き立てた。僅かな抵抗があったものの、魔力刃は天蓋を突き破る。動きを止めたフェイトに鎖が殺到するも、それが到達する前に、全周障壁を内側から輪切りにした。

 鎖を避け、あるいは両断し、刀身を伸ばしたままのバルディッシュを一振り。数個の魔力球を叩き斬ると、それらは圧縮魔力を炸裂させた。一つが爆発する度、近くのリインフォースと別の魔力球を巻き込み、爆発が連鎖していく。それらを尻目に、フェイトは疾走を再開させて障壁を抜けた。

 迫る拳、短剣、砲撃、鎖。ただひたすらに回避し、ただひたすらに攻撃を続けた。

 十人、二十人と斬るが、リインフォース達はまだ大勢いる。一人一人はただの幻影に過ぎないのだが、そもそも闇の欠片自体が幻影のようなものだ。込められる魔力量が変わらなければ、それらは本物の闇の欠片と同義である。幻影が幻影を生み出すため、最初の一体を見つけることに意味などない。時間が来るまで、殲滅を続けるしかないのだ。

 

「――っ」

 

 確かに、はやて達には嫉妬をした。

 けれど、壊れてほしいなどとは思っていない。

 守りたいと思った気持ちが、フェイトの真実だ。

 

「とお――」

「遠き――」

「と――」

「遠き地にて――」

「闇に――」

「闇――」

「闇にしず――」

「や――」

「っ、ぁぁっ、ぁぁぁぁあああああああああッッ!!」

 

 反響する詠唱を掻き消すが如く、咆哮と共に雷鳴を轟かせた。

 闇の欠片は偽物だ。

 本物のリインフォースは別にいる。

 そうと理解はしていても、姿形が同じ者を殺し続けるなど――気が触れてしまいそうだった。

 やがて、握力が落ちてきた。

 腕が重くなった。

 肩が上がらない。

 足が棒になった。

 少しずつ、速度が落ちてきた。

 もう魔力が尽きてしまいそうだ。

 聴こえてくる詠唱も、徐々に長くなってきている。

 もうこんなことは止めたい。

 停止して崩れ落ちたい。

 体がばらばらに千切れてしまいそうだ。

 だが、それでも。

 疾く。

 疾く。

 疾く。

 この世の何よりも、疾く。

 

「フェイトッ!」

 

 声。

 水色の魔力。

 取り巻く剣。

 射出。

 撃ち抜く。

 それは、フェイトを守るようで。

 気が付けば、リインフォースは一人きりになっていた。

 

「――――」

 

 飛ばなくては。

 空白の意識にはただそれだけがあった。

 どこかで刃が折れたままのバルディッシュを両手で支え、直進。突き出された拳を紙一重でかわし、その胸に飛び込む。

 

《Defen――》

 

 そして、人型の機雷(リインフォース)が爆発した。

 

「――…………ぁ」

 

 誰かの声が聴こえた気がして、黒に染まった視界に色が戻った。

 落下している。そう自覚するのに数秒かかった後、魔力がぶつかり合う上空を見下ろす。遥か先には砲撃を放つリインフォースの姿があり、それを、クロノとなのはが二人がかりで防いでいた。

 水色と桜色の防壁が、深紫の槍によって貫かれる。僅かに軌道が逸れたその槍は、フェイトの真横を通過していった。クロノとなのはは衝撃で吹き飛ばされ、それを見止めたリインフォースが、ミッドチルダ式の魔法陣を展開する。

 

「咎人達に、滅びの光を――」

 

 無音の世界に響く、冷たい声。

 クロノとなのはが砲撃を放つも、それらは目に見えてか細くなってしまっている。二人も限界なのだ。砲撃がリインフォースへと着弾するも、案の定、障壁を破ることはできなかった。

 

「星よ集え、全てを撃ち抜く光となれ――」

 

 散っていった闇の欠片の魔力が、その一点に集中する。深紫の天体は、星を取り込み膨張を続けた。

 これで、終わり。

 フェイトの役目は、もうない。

 なのはも、クロノも、十分に耐えきった。

 

「貫け、閃光――」

 

 あとは体の力を抜き、その結果を受け入れるだけだ。

 

「スターライトブレイカー」

 

 膨れ上がった天体が、爆発した。

 吹き荒れる爆風と広がる闇。

 溢れるミントグリーンの光。

 そして、夜空に舞い散る漆黒の羽根。

 フェイトの落下が止まり、柔らかく包まれた。

 

「よいしょっと。転移完了です」

「これは……――っ、フェイトっ!」

「フェイトちゃんっ! フェイトちゃんっ!」

「……大丈夫、すぐに治療しますからね」

 

 駆け寄ってくるクロノとなのは。

 フェイトをふわりと受け止めた、湖の騎士(シャマル)

 

「あれを相手によく時間を稼いでくれたな。見事だったぞ、テスタロッサ」

 

 すらりとレヴァンティンを抜き放つ、剣の騎士(シグナム)

 

「あとはあたしらに任せて、お前らはゆっくり休んどけ」

 

 どっかりとグラーフアイゼンを肩に置く、鉄槌の騎士(ヴィータ)

 

「……はい」

 

 風が止み、凪が訪れた。

 シャマルに抱かれ、見上げる先には大きな背中。

 三対六枚の漆黒の翼。

 漆黒の戦装束に、銀の髪。

 空には、極大魔法を受け止める巨大なベルカ式魔法陣の防壁が。

 

「……ごめん、フェイトちゃん」

 

 深い紅に染まり、悲痛に歪んだ瞳が、フェイトに向けられる。

 夜天の翼(リインフォース)を纏った、紫天の王(八神颯輔)がそこにいた。

 

 

 

 

 夜天の書であろうと闇の書であろうと、新たな主を選定した直後では、万全の力を揮うことはできない。なぜならば、主の魔法資質に合わせた融合騎の調整が必要となるからだ。特に、主の力がまだ開花していなければ、調整には更なる時間を要することとなる。

 例えば、八神はやて。

 選定時にまだ生まれてもいなかったはやての場合は、じっくりと時間をかけなければならなかった。資質を解析して得手不得手を調べ上げ、魔力量やリンカーコアの特性を考慮し、戦術プランを練り上げる。はやての成長に合わせて何度も何度も繰り返し、微調整を重ねてきた。ゆえに、はやてとの融合(ユニゾン)の相性は、歴代でも一、二を争うほどである。

 さらに、はやての魔法資質で特筆すべきは、成長と共に開花し定まっていった、稀少技能だった。

 魔法の遠距離・遠隔発生。

 通常ではあり得ない距離に魔法の発生点を置く異能。他の何者にも許されない、はやてだけが持つ才覚。リインフォースの持つ広域攻撃と掛け合わせることで、いっそ凶悪とも言える性能を引き出すことのできる能力だった。

 その発現は、はやての願望に因る。

 闇の書の呪いに侵されていたはやては、足が不自由だった。両親が他界すると、どうしても家で一人きりになることが多かった。

 手を伸ばしても遠ざかる背中には届かない。足を縛る鎖ははやてを離さない。

 独りになりたくない。その背中に追いつきたい。その隣に並び立ちたい。

 そんな願望が、魔法の遠距離・遠隔発生という力をはやてへと与えた。

 では、八神颯輔の場合はどうか。

 選定時には資質が定まりつつあった颯輔の場合は、はやてに合わせるほどの労はなかった。一度解析し、あとはそれに合わせるだけで、基礎はできあがった。

 魔力量は、歴代の主と比べれば平均よりもいくらか上の位置だろう。今はまだ勝っているが、これからの伸び代を考えれば、はやての方に軍配が上がる。もっとも、並の魔導師と比べれば、二人共が突出しているのだが。

 魔法資質から戦闘スタイルを導き出せば、堅牢な防御から大威力の攻撃で沈めるカウンター型が最適解だ。近距離にせよ遠距離にせよ、そのスタイルは変わらない。それは、颯輔が持つ稀少技能を活かすものだった。

 颯輔が発現させたのは、魔力の集束結合。文字通り、周囲の魔力を高効率で集束させ、それらの強固な結合を促進させる能力である。孤独の中に見つけた温もりを、誰にも触れさせずに守り続けるという、颯輔の誓いの形だ。

 その技能により、颯輔が発動させる防壁の類は強固となり、また、集束適性もおのずと高くなる。難点があるとすれば、魔力素の強固な結合によって密度が高くなるため、人と同じ大きさの魔法を発動する場合は魔力消費量が多くなってしまうということだ。

 だが、その難点は、術式の調整や、他人よりも多い魔力量でカバーできる範囲だ。そして、永遠結晶エグザミアが起動した場合は、その難点も消え失せる。大魔力には付き物である魔力運用の難しさも、融合騎がいれば解決されるのだ。

 そこにはもう、何もできなかった颯輔はいない。颯輔は、守りたいと思うものを自らの手で守ることのできる力を手に入れた。その力の一端となれる日を、いったいどれほど待ち望んできたことか。

 颯輔の心象世界は、眠りを見守る夜だった。颯輔のリンカーコアにリインフォースの魔力が融け、漆黒の夜が深みを増していく。叶うはずのなかった願いが成就したことで、リインフォースの心は歓喜に打ち震えていた。

 どれほど緊迫した状況であろうとも。例え、恩人である者達が傷つこうとも。この気持ちだけは、誤魔化すことなどできはしない。きっとそれは、酷く薄情で自分勝手なことなのだろう。そうと自覚しても、心に点った炎は煌々と燃え滾っていた。

 

「……ごめん、フェイトちゃん」

 

 闇の欠片の攻撃を受け止めつつ、颯輔が後ろを振り返った。なのはとクロノの先には、重傷を負ったフェイトがシャマルによって抱きかかえられていた。バルディッシュの機転によって直撃は避けたようだが、防護服は大破し、黄金色の美髪はくすんでしまっている。焼け焦げ黒ずんだ肌と、青黒くそまった手足が見ていて痛々しかった。

 フェイトの姿を見て、颯輔の心が罪悪感に満たされていく。これでは、闇の書の主とその融合騎の立ち位置が真逆になってしまっている。主が心を痛めているというのに、融合騎は、その本能のままに力を引き出したいと思ってしまっているのだから。

 

「謝らないで、ください。私、そんな顔されるために戦ったんじゃ、ありません」

「……うん。ありがとう、フェイトちゃん。なのはちゃんと、ハラオウン執務官も」

 

 フェイトは、痛みに顔を曇らせながらも鋭い視線を向けてきていた。なのはは親友の惨状を見てわっと泣き出してしまい。クロノはフェイトと颯輔との間で視線を行き来させながら、悲しみを飲み込むかのような、怒りを堪えるかのような、複雑な顔をしていた。

 さすがに、熱に浮かされてばかりではいられない。リインフォースは防壁の術式を維持しながら、立体映像を中空に投影させた。

 

『……我らが同胞と、私の欠片が迷惑をかけた。すまないと思っている』

 

 赤い目と視線が絡む。フェイトは、現れたリインフォースに瞳を揺らして目を伏せた。

 

『私はここにいる。だから、気に病む必要などはない。それから……ありがとう』

「っ、はい……!」

 

 もう一度合った目が大きく見開かれ、そして、湿り気を帯びた声が返ってきた。今はここまでと投影を放棄し、颯輔と共に前を向く。防壁の先では、敵の広域魔法がようやく収まりを見せつつあった。

 

「シャマル、アースラに戻って三人の治療を頼む」

「はい」

「シグナムとヴィータは、闇の欠片を止めておいてほしい」

「わかりました」

「はっ、お安い御用だぜ」

『はやてとザフィーラは、艦の防衛を。颯輔と私で、全てを終わらせてきます』

『ん、気ぃつけてな』

『こちらは任せておけ』

 

 颯輔の指示にシャマルが頷きを返し、シグナムとヴィータはデバイスを構える。リインフォースが精神リンクを介して念話を送ると、すぐさまはやてとザフィーラの返事があった。

 シャマルが負傷者の治療。シグナムとヴィータが闇の欠片の排除。はやてとザフィーラで障壁を張り、事が終わるまでアースラを防衛。その間に、颯輔とリインフォースでディアーチェ達との決着をつける。それで、この事件の幕とするのだ。

 

「八神颯輔。フェイトがここまでしたんだ、だから……だから、あとは頼む」

「ああ……!」

 

 シャマル達と共に転移する寸前、クロノが言葉を残していった。颯輔は、前を向いたままで強く頷いて見せる。四人の気配が消えると、颯輔の拳が強く握られ、待機状態のナハトヴァールがちゃらりと鎖を鳴らした。

 颯輔とリインフォースは、戦いに赴くわけではない。和平の使者は槍を持たないという。だから、今は槍など必要ないのだ。代わりに、その場に辿り着くための翼だけは大目に見てもらうとしよう。

 

「行こう、リインフォース」

『はい、颯輔!』

 

 攻撃の終了と共に防壁を解く。そして、闇の欠片のさらに奥、天頂に鎮座する黒い月を見据え、颯輔とリインフォースは、翼を大きく震わせた。

 

 

 

 

 アースラの中、フェイトの部屋にベルカ式の転移魔法陣が描かれる。ミントグリーンの光が輝きを増すと、フェイトを抱えたシャマルに、なのはとクロノの四人が現れた。先の襲撃によって医務室が使えなくなってしまったため、シャマルはフェイトの自室を処置室に選んだのだ。

 シャマルはリンディへと帰還の旨を念話で伝えながら、クロノとなのはに場所の確保を頼む。二人が掛け布団を避けると、空いたベッドにフェイトの身体をそっと横たえた。

 クラールヴィントを伸ばしてフェイトを囲み、診断を始める。傍目にも重傷を負っていると分かってしまうフェイトだが、より深刻なのは中身の方だった。 

 限界を超えたリンカーコアの酷使と、重ねに重ねた身体強化。さらには、後先を考えない超速戦闘が祟っている。フェイトは自身の魔力で自家中毒を引き起こしており、負荷に耐え切れなかったあちこちの筋繊維が断裂してしまっていた。特に、自家中毒が魔導師にとっては大事だった。

 一方のなのはとクロノには、目立った外傷はほとんどない。何箇所か、切り傷擦り傷が見られる程度だ。流石に疲労はしているようだが、自力で立つくらいはできている。優先すべきは、フェイトの治療だった。

 

「お願い、クラールヴィント」

《Heilkräftiger Wind.》

 

 シャマルの指輪から伸びたワイヤーが、フェイトを取り囲む。フェイトの身体から金色の光が漏れ出し、代わりに、ミントグリーンの光が流入していった。

 まずは、堆積して毒となった魔力を交換しなければならない。そうしなければ、シャマルの魔法の効果も十全には現れない。そして、リンカーコアを回復させなければ、未だ床に伏しているアルフの治りも遅くなってしまうのだ。

 フェイトは浅い呼吸を繰り返し、脂汗を滝のように流している。空いた手でフェイトの汗を拭いながら、シャマルは治療を進めた。

 フェイトは時間を稼ぐため、たった一人でリインフォースの闇の欠片に挑んだのだ。それがどれほど無謀なことかは分かっていたはずなのに、一歩も退かなかった。そして、事を成し遂げ、酷く傷ついてしたまった。この恩には、なんとしても報いなければならない。これもまた、シャマル達が背負うべき罪のひとつだった。

 

「あの、フェイトの容体は……」

「……大丈夫です。必ず完治させますから」

「本当にっ? 本当に大丈夫なんですかっ、シャマルさん!」

「ええ、もちろん。フェイトちゃんの次は、あなた達二人の番ですよ。それまで、もうちょっと待っていてくださいね」

 

 なのはの存在があったため、クロノの問いには曖昧に答えた。続くなのはの問いには、安心させる意味で、笑顔で返した。

 無論、答えに嘘はない。フェイトの応急処置が済んだなら、なのはとクロノを治療し、その後、フェイトを全快させる。以前ならばいざ知らず、今のシャマルならば、二、三時間もあればそれができるだろう。颯輔が夜天の王に戻り、二人の覚醒した主を得たことで、シャマル達の能力はさらに強化されている。致命傷でも負っていない限り、どんな状態からでも全快させてみせる自信が、シャマルにはあった。

 シャマルの言葉に安堵を覚えたのか、なのはとクロノはその場に座り込んでしまった。目尻を下げて二人を見、そして、フェイトの治療に集中する。ところが、ほどなくして部屋の扉が勢いよく開け放たれた。

 

「フェイトっ!!」

 

 現れたのは、肩で息をするリンディだった。シャマルを押し退ける勢いでベッドへと駆け寄り、フェイトの姿を見て口元を手で覆う。その場に膝を着くと、ぽろぽろと涙を零し始めた。

 無理もない。リンディは、フェイトを実の娘さながらに可愛がっていた。おそらく、フェイトの背景を知っていたため、余計にそうしていたのだろう。大切な家族が大怪我をして帰って来たらと思うと、リンディの心情は容易に察することができた。

 

『過剰魔力による自家中毒、リンカーコアの機能不全、中度の火傷、全身打撲、それから、多数の筋断裂が見られます。ですが、私が責任を持って完治させますから、どうか心配しないで下さい』

「当たり前でしょうっ!! あなた達の所為でフェイトは、フェイトは……!」

『……申し訳ありません。ですが、子供達の前です。罵倒なら後で気が済むまで受けますから、今は控えてください』

「っ……ごめんなさい、取り乱しました」

「いえ、お気になさらず」

 

 罪悪感を抱きながらも窘めると、念話にする余裕もなかったほどのリンディは、気勢が削がれていった。普段は声を荒げることもなさそうなリンディだ。なのはとクロノも驚きに顔を上げ、不安の色を濃くしていた。

 リンディがなのはとクロノにも謝罪をし、労っていると、不意に、フェイトの手が動いた。意識が朦朧としているのか、その手は宙を彷徨っている。それに気が付いたリンディは、両手でフェイトの手を強く握った。

 

「どうしたの、フェイト?」

「……かあさん、わたし、がんばったよ。ちゃんと、いわれたとおりに、できたよね?」

「っ、え、ええ、フェイトはたくさん頑張っていたわ。母さん、ちゃんと観ていたわよ。偉かったわね、フェイト」

「……えへへ、かあさんに、ほめられちゃった」

「そんなの、当たり前じゃない。フェイトは立派に戦ったのだから、誰も悪くなんて言わないわよ。そんなこと、絶対に誰にも言わせないわ。さあ、疲れたでしょう? 今はゆっくり休みなさい」

「……うん」

 

 安心したように笑うと、フェイトは静かに寝息をたて始めた。リンディはフェイトの手を握ったまま、顔を落として嗚咽を漏らし始める。フェイトが誰を視ていたのか、リンディが誰を演じようとしていたのかは、直接は知らないシャマルにも分かった気がした。

 部屋を満たすはリンディの嗚咽。一方のアースラの外では、激しい戦闘が始まっていた。精神リンクを伝って流れ込んでくる情報、そこに、颯輔とリインフォースのものだけはない。ただ、確かに繋がっていることだけは感じ取れていた。

 今度は、無事に帰ってきますように。

 天に祈りを捧げ、シャマルは治療に専念し始めた。

 

 


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