「改めて、私たちがいるここは原潜。核動力で動く潜水艦よ。船の名前はノーチラス。そして、あなたたちが危険視しているNの拠点の1つ」
マキリの後ろを歩く俺。マキリの隣にはネモと呼ばれた少女。窓もない薄暗い廊下を歩いている。
しかし、使い古された薄暗い廊下だろうとやたら小綺麗だ。この辺りは倉庫周りが連なっているからだろうが、そこを過ぎると新しいオフィスと思われるほど明かりも景観も整っている。
まるで原潜とは思えない造りに思える。……というより一部はやたらただただ綺麗だ。ここは本当原潜なの? そう疑ってしまう。
加えて、匂いが違う。
潜水艦は大きさの問題でわりと臭う。オイルやディーゼル燃料の悪臭が渦巻く空間として名高いものだ。悪名だけどな。
「…………」
なんか甘ったるいな。
素直にそう感じるくらい雰囲気が違う。イ・ウーは無機質だった。めちゃくちゃ臭っていたわけではないけれど……特に何も感じなかった。
とはいえ、ここはどうも違う。シャンプー、香水、果実、花、それらを引っくるめてフルーティーっぽさ――――言うなれば女の子らしさが漂っている空気だ。
どうも違和感が半端ないと感じてしまう。あまり船らしくないというか何と言うか……。
原潜ってことは製造されてからかなりの年数は経っていると思われるが。ここ数年で製造されたとニュースになっていないしな。まぁ、多少なりと劣化しておりリフォームしたというところか。
俺が内心変なことを考えている間にも平然とした態度を貫いているマキリの話は続く。
「ちなみにここの艦長はネモよ」
この少女が……? え、マジで? 俺と同年代じゃないの?
シャーロックや玉藻みたいに実年齢を誤魔化しているパターン? 若作りしているの? そんな雰囲気には見えないが……。
「……Nのリーダーもか?」
「それは別。貴方なら何となく察しているでしょ。無駄な質問はしないで。……ま、彼女が立場が上であることには違いないから、強ち間違いではないかな」
教授とやらがリーダーなのは分かったが、やはりネモと同一人物ではないらしい。というかいちいち言葉の棘が鋭い。
「……」
というか……あれ? さっきマキリはここがNの拠点の1つと言った。それが意味することはつまり、もしかして? Nが所有している原潜って? 複数ある感じですか?
え、えぇ……。
いやまさかそんなはずはない。イ・ウーですら所持しているのは1つだけだった。原潜の個数の単位は何だろうかふと疑問に感じた。隻でいいのかな。
って、そうではなく――――マキリの口振りからしてそう捉えてもおかしくはない。マキリの放つ言葉には謎の説得力がある。そんなポンポン原潜生やすなと声を大きくして言いたいところなのは置いておいて。
もちろん、原潜の他にもどこかに拠点を構えている可能性の方が高いとは思う。だが、おいそれと無視できない1つの答えでもある。
……話が大きくなってきたなぁ。頭痛くなる。今はこれ以上考えるの止めよう……疲れる。
「てか、仕事ってなんだ。食い扶持得るためには仕方なく働くが」
「その辺りは指示を貰えるわ。主に力仕事でしょうけれど……今日はきっと違うわね」
船で働くことと言えば真っ先に思い付くのは力仕事。そこに不自然さはない。寧ろ当然と言えるだろう。
「そろそろ着くわ」
オフィスのような廊下を抜けた先には――――まるで大学にある食堂に到着した。
「広い……」
思わずそう呟いてしまうくらいには目前の光景に驚いてしまう。今まで通ってきた廊下や俺が寝ていた部屋は恐らくかなり年月が経っていたのだろうと感じ取れる造りだった。
本当にここは船なのだろうか。実は原潜というのは嘘でどこかのビルにいるのではないか。そんな不躾なことを考えてしまうくらいだ。
広さはそれこそ一般的な学校体育館ほどの広さ。そこにテーブルや椅子が数多く並べられている。
テーブルには彩りが豊かな料理があることが遠目からでも理解できる。
そして料理を前にテーブルを囲う――――大勢の人たちがいる。数は軽く50人は超えているだろう。
「…………」
別にこの程度不思議ではない。
原潜……船であるならば運用するのにもっと人がいてもおかしくはない。それは理解できる。あまり船に詳しくない俺ですらそのくらいは分かるレベルだ。
しかしながら、違和感というべきか不可解な点が1つ存在する。
「なぁマキリ」
「何?」
「ここ男いねぇの?」
「貴方だけよ」
女! 女! 女!
どこを見渡しても女しかいねぇ!
食堂だけでこのレベルだったら他にいないんじゃないかと訊ねたら案の定だよ!
「えぇ……」
「こっちも色々と事情があるのよ」
軽くドン引きしていると訳アリな表情でこちらを睨むマキリ。女性しかいない事情って何だ。
改めて全体を見渡す。パッと見たところ食堂にいるのは俺と同年代だと思われる女性ばかりだ。
たしかにいるのは全員女性だ。国籍は外見だけでは不明だが、わりと髪色は人それぞれなのだろう。実にカラフルだ。しかし、遠目から見ている印象でもどこか違和感がある。
なんだ……? マキリに随伴していたエンディミラたちを見たときも似た感覚を抱いたが――――何だったのか思い出せない。
「今はいいか」
この違和感や疑問についてもいずれ時間が解決するだろう。今考えて分からないのであれば、その分に費やす時間やカロリーはムダでしかない。
「……」
食堂を今一度眺める。
いやにしても、マジで女性しかいねぇな。
単純な疑問なのだが、女性だけで原潜の運用できるの? 別に差別だとか言うつもりなんて更々ないが、船での仕事なんてかなり重労働だろう。力仕事もいいとこだ。単純にキツくない?
まぁ、こちらの想像程度でしかないから何とも言えない。
なんてことをのんびり考えていると次第に視線がこちらに集まる。
――――艦長であるネモが食堂に現れたことに気付いたのかその場にいた全員がネモへと体を向け敬礼をしている。
とはいえ、軍や武偵ほど徹底した訓練された動きではない。あくまで上官が来たから挨拶をしているといった印象だ。あまり規律は厳しくないのかもしれない。
そして、必然的にネモへと視線が向いている……つまり、ネモの近くにいる俺に対しても認識されるということ。
女性しかいない船内において俺がいる。
異質、不自然、歪、異端……まぁ、明らか懐疑的な視線を大半から向けられている。『え、コイツ誰』『なにネモ艦長の隣にいる腐った目は』『そこらにいる魚の方がまだ新鮮よ』とでも言いたげな視線だ。いや待って、俺の本体って目なの? 腐った目が本体なの? 最近マシになってきたと思うんだけど?
大半は俺に対してマイナスを抱いている印象だけれど、中にはなぜか目を輝かせ俺を見てくる人も数人いる。
それはそれで怖いな……。
武偵になってそれなりに図太い精神を得たと思っているが、こうも一斉に様々な感情が入り乱れている視線に晒されるとなると些か頭が白くなりそう。人見知り発生中ですねはい。隠れてぇわ……。
「――――」
「――――」
何やらネモが欧州系の言語で乗組員に話している。英語なら少しは聞き取れるつもりではある。ただまぁ、欧州辺りはマジで分からない。香港でも感じだことではあるけれど、言語の壁はどうしようもねぇんだよなぁ……。
ネモが話しているのを横目に見つつマキリに小声で話す。
「で、俺はこれからどうすればいい?」
「少し待っていてちょうだい。そろそろ来るわ」
誰が?
俺の素朴な疑問に対してその答えはすぐさまやって来る。
コツコツと足音が聞こえる。ネモではなく、少し距離を取っている俺たちに近付く足音が。
セーラー服ではなく水兵服と呼ぶべきなのだろうが……武偵高の女性の制服と似たようなデザインをされているセーラー服を着こなしている女性がこちらへ来た。
背丈は俺より一回り小さい目算155cm。肘ほどまでストレートで伸びている長い金色の髪、はっきりと目立つ紅い目、手入れのされている白い肌。凹凸は激しくない体付きだ。
俺の主観を抜きにしても、傍目から見ても美人と言えるだろう。
その姿勢は正しく背筋が伸びている。
目線は俺へ。表情筋はあまり動いていない。レキほど無機質ではないけれど、感情豊かではなさそうな眼で俺を射貫くように、値定めするかのように観察されていると感じる。
俺も負けじと? 彼女を見つめる。
……と、彼女の顔を見て思った。気になる箇所、俺たちとははっきりと違う箇所があった。彼女の耳が――――
「初めまして、比企谷八幡様」
俺の思考は中断され、決して冷たいわけではない凛々しい声が届く。スカートを摘み華麗にお辞儀する。
「私はラムダと申します。以後、お見知り置きを」
流暢な日本語だ。とても聞き取りやすい。
「彼女はノーチラスで一番日本語を話せるわ。他の人たちはそこまで……ってレベルよ。ネモですらイマイチだからね。以降、あなたの面倒はラムダが見ることになる。彼女の言うこと、よく訊くようにね」
それだけ忠告を言い残しマキリは足音を立てずに、影に消えるかのごとく姿を消した。
あくまでここでは案内役に徹していたってところか。マキリの口振りからしてネモの方がマキリより立場が上だと直感で判断していた。そのため、ここでは悪目立ちしたくないのか……。
マキリが消えてから数秒してさすがに俺も何か話せばと思い口を開ける。
たどたどしく挨拶を返す。
「えっと……よろしくお願いします、ラムダさん」
「ラムダとお呼びください。あと敬語は抜きで。どうぞ」
「アッハイ……あー、よろしく、ラムダ」
「はい」
どこか満足気だ……。
少し勢い強くない?
しかし――――彼女もNの1人なのか、今さらながら感じてしまう。失礼ながらとてもそうは思えない。
正直、第一印象だと言い方はあれだが一般人とさして変わらない雰囲気だ。ざっと彼女を観察したが、まぁ普通だ。手にはマメはないし、筋肉量も標準だ。体に目立った傷も見当たらない。
恐らく戦闘慣れはしていない。超能力の有無は不明だけれど、それを差し引いても俺の方が圧倒的に強いと断言できる。
神崎の話から国際テロリストといった認識だった。実際、マキリは首相暗殺を試みたわけだしな。しかし、ラムダがマキリと同質なのかと問われればそれは否だろう。まだラムダのことを知っているわけではないけど、そう言わざるを得ない。
どこか拍子抜けだ。それこそイ・ウーのようなギラついた超人ばかりではない。普通だ。思わず気が抜けそうになる。
「八幡様?」
しかめっ面をしていたからかラムダに顔を覗かれる。
「何でもない。ちょっと考えごとをしていただけだ」
とはいえここは敵の本拠地。油断は禁物だ。とりあえず生き延びることが先決だろう。
「それで、俺は何をすれば? マキリからは働けと言われたんだけど」
しばし思案顔になったラムダ。次に発した言葉は意外なものだった。
「そうですね……今日はお勉強としましょう。ネモ艦長からは許可を頂いております。食事を持ってきますので、先ほど八幡様がおられた部屋へと戻りましょうか」
勉強? 何を?
そんな俺の疑問を置き去るようにその場からは離れたと思いきや、ラムダは数分で戻って来る。彼女の手にはバスケットが握られている。その中からは何やら良い匂いがする。
「では移動しましょう」
足早に歩き始めるラムダのあとを付いていく。さっき来た道を戻ることなった。
その最中、まだラムダがどんな人物か分からないため、距離感を図るため会話を続ける。そんな打算半分、沈黙は気まずいから話しかけたいだけなんだけどね。
「ラムダって随分、日本語上手だな」
「頑張って勉強しましたので。ノーチラスでは主にネモ艦長に合わせてフランス語、もしくはN全体で伝わる英語を用いています」
ラムダの言葉に嘘がなければネモはフランス出身と。
「なのに日本語を?」
「言うなればただの趣味です。実際、降りたことはないですが日本の映像や文化に心惹かれた部分があり、勉強しようと思いました。だからこうして八幡様にお会いでき嬉しいです」
こうも真正面から言われると恥ずかしさはある。穏やかな笑みを浮かべられると特に。美人と笑顔は華がある。
「へぇー……。てか、様って呼ぶの止めてほしいな。別にラムダはメイドってわけじゃないだろ。俺だって主人なんかじゃないし」
むず痒いことこの上ない。
「ノーチラスでの私の仕事は主に炊事、掃除ですが、だからといってメイドと呼ばれる職業ではありませんね。まぁ……誰かを、特に男性を様と呼ぶことは憧れがありましたので。マキリ様は女性ですし、どこか日本人とはあまり思えないような気がしていまして……」
「まぁ、あれは浮世離れしているもんな」
特に戦闘モードはもう人間味はしない。ある種の機会とも思えるほどだ。
「ですから、今回このような機会があり、是非にと。よろしければこのまま受け止めてもらえるとありがたいです」
「世話になるしそれは構わないけど……。別に俺じゃなくても、男なんて今まで会うことあったんじゃねーの」
「いえ、八幡様が初めて会う男性ですよ?」
「え?」
当然思い浮かんだ言葉は軽く否定された。
たしかにノーチラスには女性しかいないらしいが、それでも生きていれば異性と会うタイミングなんて普通あるはずだろう。というかないとおかしい。親がいるだろう。自身の両親が。
捨て子とか、そういう話なのか。そうなるとおいそれと深く踏み込めない話題だ。
「それを含めて後ほど説明しましょう」
「お、おう……」
「今日はお話が長くなると思うので、本格的な仕事は明日からになると思います。ネモ艦長からもきちんと教えるようにと仰せつかっておりますので」
淡々と語るラムダ。その仕草は使用人と言っても差し支えないほどしっかりしているなぁ。
「教える……? Nについてってことか」
「もちろんそれを含めて――――私たちのことを」
「ラムダたち?」
「八幡様も気になっているかと思われます。この耳のとことを」
そう言ってラムダは長い髪をたくし上げる。
「――――」
俺の眼に映る。やはり見間違いではなかった。違和感の正体はこれだったのだ。
「あー、やっぱり」
そう、ラムダの耳が尖っているのだ。
具体的には耳輪と呼ばれる部分。俺とは確定的に違うと、鋭利ではないが見比べれば一目瞭然と呼べる。
まるで創作物で見られるエルフのように。そういえば、エンディミラも同じ耳をしていた覚えがある。あのときは離れていたし、確証があったわけではなかったが。
「そうなのです。私たちは八幡様と違い、耳が尖っているのです。ふふっ、驚きました?」
「ほんの少し。今まで戦ってきた奴らに比べたらラムダは充分可愛げがあるしな。その程度の違い、ぶっちゃけ些細なもんだろ」
吸血鬼とかロボットとか神様とか。
「かっ――――」
急に言葉詰まらせたな。どしたの?
ラムダの方が今は前にいるから表情は伺い知れないな。
「って、私たちって言ったな。それは誰含めてのことだ?」
「……ふぅ。ビックリしましたぁ。いきなりすぎます」
「ラムダ?」
なに、どしたの?
「い、いえっ。何でもないです。それで……あぁ、私たちに入っているのはノーチラスだとネモ艦長とマキリ様を除いた乗組員のことです。私たちは同じ故郷の生まれなのです」
……と、さっき俺が目覚めた部屋に着いたか。
ラムダは扉を開け始めると少し感情を込めて、ゆっくりと語り始める。
「私たちは地球で生まれたわけではありません。レクテイアと呼ばれる――――異世界から来たのです」