突如現れた理子に連行されている間、俺とラムダと理子はひたすら無言だった。
静寂な空間、それがずっと俺たちを支配していた。
理子からは特に向かうでの様子を訊かれることもなく、俺から適当な雑談を振ることもできず。
そして、ラムダはなるべく無表情装いながらも落ち着きなく視線は右往左往していた。東京へ着いてからいきなりこれで気まずさマックス。申し訳ない。もう少しゆっくりしていたかったなぁ。
数十分経過した。
案内された場所は現在俺たちの借りている部屋だった。
案内されている間、知っている道しか通らなかったから途中で察せたが。……あぁ、アイツが待っているんだなと。理子の言葉に嘘はないのだと。その事実に尻込みする。
道中、見慣れた景色を見ることができ懐かしさもひとしお身に沁みた。
実に3ヶ月振りの帰還である。ノーチラスにいたころから、今目前に映る光景はずっと望んでいたことであり、当然嬉しい気持ちに満たされているはずなのに――――いざここに立つとそれ以上に恐怖が勝る。
理由はあまりにも明白なのだが。
「…………」
「はぁ、行くよハチハチ」
扉の前で覚悟ができずにしばらく立ち往生する。アーユーレディ? ダメです! ハザードが止まらないです。……懐かしいな。もう数年すれば10年ほど経つのか。しみじみ。
しかし、そんな俺とは裏腹に先頭にいる理子は待ってくれず、呆れた視線を俺に向けつつ鍵を開ける。
無常にもその扉は開く。今から地獄にでも踏み入れるか、足取りは非常に重い。
対照的に軽やかなステップで入る理子。あとに続く俺。その後ろには遠慮気味のラムダ。
「おーい、戻ったよ〜」
無慈悲に開けられた玄関をくぐる。
知っている玄関、何度も通った廊下、いつも過ごしたリビングをゆっくりと通る。まだ覚悟が決まらない足取りと客観的に見ても分かってしまうほど頼りないだろう。
あと理子。ここはお前んちじゃない。家賃払ってねぇだろ。
「やっほ~レキュ〜。情報通りな場所にいたから連れてきたよ。ドナドナだね!」
陽気な理子の声だけが響く。
情報通り? やはり材木座たちがチクったのか。それとも別の情報源がありそのルートを辿ったのか。現時点では不明な上、今はどうでもいいことだ。
楽しそうな理子の視線の先へ、俺も視線をやる。
リビングには珍しく愛銃のドラグノフを脇に抱えていない。数少ない私服である武偵高のセーラー服姿を着こなしている。
姿勢1つ取ってもバランスが取れておりある種美しさすらある。ただ綺麗な正座をしている水色の髪をしている頼れる相棒であり最高峰の狙撃手である――――レキがいた。
「――――ッ」
やはり久しぶりに会えた以上懐かしく一瞬だけ涙腺が緩みかけたけど、即座にその考えは甘いと訂正する。
「…………」
眼が、怖いのだ。
無表情なのに、怖い。
ドラグノフはレキから離れているのを確認する。一先ず、即座に戦闘にはならないと安心していると、キロ……とレキの顔が機械のように動く。
「…………ッ」
何を考えているか分からない不明瞭な視線で俺を射抜いてくる。久しぶりに会ったからか表情を読むのが難しくなっている。
昔知り合ったときのあだ名であるロボット・レキと揶揄されたころと変わらない雰囲気を醸し出している。
あの打てど響かず、目前の敵を排除するだけの狙撃手だったころのレキ。
視界に入れるだけでただただ恐ろしい。
無表情だというのに……いや、無表情だからこそか。思わず気圧されそうになる。この威圧感……背筋が冷える。冷や汗が垂れてきそうだ。ぶっちゃけ逃げたい。今すぐ逃げたい。
しかし、気後れはしていられないと判断した俺は、いつもと変わらないテンションで声をかける。何を言えば良いのか迷うがまずはこれだと。
「……ようレキ。その、なんだ。色々と悪かったな」
「お、最初の一言が謝罪とはねぇ」
茶々を入れる理子とは対照的にレキは未だに無表情のまま、指を床に指す。
機械的な仕草だ。まるで俺の謝罪など意に介していないかのよう。眼を瞑り一言。
「――――正座」
「……はい」
冷たい声。第一声は全てを貫くほど冷えた声。
逆らうことなくその言葉に素直に従う。レキの真正面に移動し冷たい床に正座する。
「とりあえず久しぶりです。ご無事で良かったです」
「はい」
淡々と抑揚のない声色で話し始めるレキ。本当にそう思っているのか疑わしくなるほど声に感情がない。
「Nと行動を共にしていましたね。キンジさんから聞きました」
「ネモ……そういうことになります」
やはり無人島云々で俺の生存は伝えていたらしい。
「ローマで伊藤マキリに襲われたと」
「はい」
この辺りも共有されていたみたいだ。
そんなことをぼんやり考えているとレキは刹那、視線を俺から外した。それは気まずさからか申し訳なさからか推測し切れない。
しかし、改めまた俺を鋭い視線で射抜いてくる。
「私もローマでは不注意だったことは認めます。八幡さんが狙われる可能性はどこまで高かったかは不明でしたが、0ではなかったと思われます」
「はい」
「誘拐された先で連絡手段がなかったことも想像できます」
「はい」
「脱出も厳しかったと推測します。その点、八幡さんは被害者でもあります。……ので、今回の事件、八幡さんが全面的に悪いわけではないと判断しました」
「はい」
あ、あれ?
や、優しい……?
もしかしてセーフ?
ふとそう緩んでしまった。安易なことを考えてしまった。
しかしながら、レキは目を数秒閉じてから再度開くと、もうそこには先ほどの優しさは皆無だった。
無表情などでは言い表せない。虚無が拡がっている。人間そんな目の光を消せるのかというほどに虚無だ。
思わず息を呑む。喉が乾く。呑み込むつばすら出てこない。
「ではなぜ、日本へ帰ってきてから真っ先に連絡しなかったのですか?」
「…………」
せ、責められるのはやはりそこですよね。痛いところを突かれてしまう。
自覚しております。えぇ、自覚しておりますとも。
とはいえ、どこから説明すればいいのか迷っているとレキは間髪入れずに口を開く。
「なるほど。沈黙ですか。つまり、やましいことがあったと?」
端的な鋭い言葉。
「いえ決してそんなことは。攫われた際、こちらの連絡手段は破壊されており、残金も心もとなく。加えて長旅により疲れていており、ここへ戻るのも時間がかかりそうだったので先に休もうかと思った次第です。決してやましさなどはございません」
一呼吸で噛まずに事実だけを言い放つ。理子が「うわめっちゃ早口」と言っているのを尻目にレキは一言。
「なるほど」
「…………」
なにそれ怖い。
するとおもむろにレキが立ち上がり俺を冷たい視線で見下ろしてくる。
レキの視線を合わせようと俺も顔を上げると、制服のスカートが真っ先に目に入る。加えてスカートの中身は見えそうで見えない立ち位置だ。計算してそうであり、全く計算してなさそうでもある。
何をされるか分からず身構えそうになる。しかし、正座を崩すわけにもいかず姿勢は変えれない。
先ほどまで無表情だったが、この視線は……俺を軽蔑していると感じてしまう。たまに小町からも向けられたことのある既視感。
道端に落ちているゴミを視るかのごとく、ひたすら俺を責めているということは分かる視線。
「話は変わりますが八幡さん。今回の私と八幡さんの失態、私は対策案を考えました」
見下ろしながらレキは語る。
彼女と接したことのある身からしたら珍しいほど、驚くほど低い声で。今まで以上に感情が乗っている。おいロボット・レキはどこいった。
「…………はい、何でしょうか」
恐る恐る俺は訊ねる。できるだけ、機嫌を損ねないように下手に出る。
対するレキは目が虚無ながらも口角をほんの少しだけ上げる。それは――――まるで悪魔のような微笑み。
そんな表情で突如予想もしなかった言葉を彼女は語る。
「足、要ります? 貴方に必要ですか?」
――――と、レキは短く簡潔に告げる。俺はその言葉の意味を理解するのに数秒要した。
「…………はぃ?」
しかし、返事できたのはこの一言だけ。
あの、何を言ってますのん?
「歩けなくなったら、いくら特殊な力を使える八幡さんと言えど、様々な人から特に狙われる理由もなくなります。日常生活すらままならない人は、必要……ありませんもんね」
ゆっくりとレキは俺へと近付く。
歩を進める。
僅かにあった俺との距離がゼロになる。
「…………」
「足がなければ、不意に私から離れることもない」
「…………」
「そうすれば私は安心できます」
「…………」
「GPSも盗聴器も仕込まなくて済みますので」
「…………」
レキはスッと屈み、俺の膝を優しく労わるように、じっくりと、少しずつ丁寧に撫でる。ズボン越しだというのに手の体温の低さが伝わる。
そして俺の耳元で、小さくか細く低く、だがはっきりと理解できる声量で囁く。
「――――ねぇ……そのムダな足、要る? …………ねぇ」
震える。
鳥肌が立つ。
冷や汗が頬を伝う。
この空間が冷凍庫だと思うほど極寒、そんな錯覚に陥る。
今、人生で一番恐怖を感じているかもしれない。
「ひ、必要です……」
声が震える。それだけしか言えない。
「なんで?」
光のない眼が目の前にある。顔同士の距離はほぼゼロ。吐息がかかるほどの距離。
とてつもなく簡素な一言が贈られる。
「あ、歩きたいから……です」
自分でも何言っているのか分からない。
再度レキは俺の足を繊細な様子で撫でる。
「歩く、必要、あるの?」
「…………」
…………ダレカタスケテ。
なんて情けない望みを願う。
反論する気力も言い訳する勇気も湧かない。
ただ、恐怖しかない。
――――無限に続いたかと思う半面、一瞬のように感じた時間はあっという間に過ぎ去る。
そのような、張り詰めていた緊迫感は収まりを告げる。
「ここまでにしておきましょうか」
その一言と同時にふとレキは立ち上がり……いつもの何を考えているか分からない、彼女特有の独特な雰囲気に戻る。
俺から離れ、ソファーにポツンと座る。
……え? あれ?
毅然とした態度に俺は困惑していると、理子がニヤニヤとこちらを見下ろしている。……え、なに? なにこれ? え?
ソファーからこちらも俺がおかしいのか微笑みの雰囲気を乗せたレキが口を開く。それはまるでいたずらっ子みたいに。
「理子さんから指導していただいた演技、どうでした?」
「……………ふぇ?」
間抜けな顔になる。自分でも分かるくらい呆けているだろう。
「フフッ……アッハッハ! ハチハチ面白い顔〜。どうだった? レキュ、怖かった? 怖かったでしょ? いやぁ、頑張ったかいがあったねぇ」
「…………えーっと……え?」
「お仕置き、としてはこの程度でいいでしょう」
「え? ……え? え?」
つまり……えーっと……え?
ドッキリ的な?
「いやぁ~、レキュにみっちり教えて良かったよ。録画したかったね。あのハチハチの表情絶対高く売れるよ」
――――こ、この……ドS共め!!
なんて叫ぶ気力もない俺は心身両方打ちのめされたかのこどし、力尽きてその場に倒れる。
正座を崩して。寝転ぶ。床が冷たい。ここまで削られたことなんてないというほど生きた心地がしなかった。それほどまでに打ちのめされた。
「もう……ムリ……マジで止めて……」
「八幡様、その……フフッ……フフフッ。えと、だ、大丈夫ですか」
と、理子によって廊下に避難させられていたラムダがようやく駆け付ける。
ラムダから見ても俺の様子は非常におかしく笑えるらしく、優しい微笑みを抑えきれていない。おいコラ。さては同様ドSだなオメー。さらっと「私もしてみようかな」とかボソッと呟くんじゃありません。
「とりあえずあとででいいからハチハチは説明してね。その可愛い! めっちゃ可愛いメイドさん? のラムダちゃんのことも含めてね」
「……はい」
その辺りの説明は誠心誠意真心を込めます。一先ず、休憩したい……我が家に帰ってきて体力はゼロになりました。
「そろそろ昼になるしご飯にしよっか。ハチハチ、キッチン借りるよ」
「お、おう……」
「私もお手伝いします、理子様」
「様なんてキャラじゃなーい。理子でいいよ〜」
いつの間に仲良くなっている2人。
理子は可愛いものには眼がなく誰とでも仲良くなれるコミュ力を持っている。対するラムダは日常は基本的に無表情ながらもさらっと会話に加わるのが上手い。ついつい話したくなるというか、受け手の会話に優れている印象だ。
どちらも話の膨らませ方が俺やレキとは違うほどに上手だ。まぁ、さもありなんといったところだろう。
「ふぅ……」
フラフラと足の力が上手いこと入らず、生まれたての子鹿のごとく弱々しく立ち上がった。足音を立てずに近付いたレキは冷えた麦茶を渡してくれる。
と、麦茶を受け取り飲もうとしたところ、レキは俺から離れず再度目を合わせる。まるで忠告と言わんばかりの表情に俺は再度身構えそうになる。
「八幡さん。1つ、訂正です。たしかに理子さんに演技指導はしてもらいましたが――――私の話した文言について、私は嘘偽りを申していません。私の本心、本音、ありのままを言いました」
至って冷静なままレキは告げる。
それは気が抜けた俺を引き締めるには充分な言葉だった。
そこ言葉を意味するのは…………つまり。
「以後、お気を付けください」
お辞儀をして理子たちの方へと行こうとするレキを横目に、ようやく俺はゆっくりと麦茶を口にする。
………よく冷えており、喉越しがいい。乾ききっていた喉が潤う。――――と裏腹に鳥肌も寒気もしばらく収まりそうになかった。
帰ってきた日付は8月も終わるころ。まだまだ夏も真っ只中。だというのに俺の身体は冷えたままだった。
とりあえず一言。
「ただいま、レキ」
「お帰りなさい、八幡さん」