27万年後のアインズ・ウール・ゴウン   作:死と炎

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2話 「すこぅしナザリックに帰還しにくくなるでありんすから、ご挨拶に参りんした」

 朝。

 ナザリックの戦闘メイドが〈フライ/飛行〉の魔法を使い、白骨色の螺旋階段に沿って塔の中を上がっていく。

 戦闘メイドは、黒髪のポニーテールで、誰もが息を飲むような美人だ。引き締まった黒い目をしている。

 今や居住地による人種の違いなどこの世界には無いが、かつては南方系と言われたような顔の特徴をしている。あるいは東洋系か。背丈はそう高くないがよいプロポーションを、メイド服とプレートアーマーを合わせたような独特の服で隠している。

 

 

 傍らにはもう一人メイドの姿が有った。

 彼女は一般メイドで魔法を使えないが、職務上の必要性によって自在に空を飛ぶ為のアイテムを主から与えられており、戦闘メイドに追い付いて素早く飛んでいく事ができた。

 清楚な面持ちをしており、その金色の髪は隣の戦闘メイドと対照的だが星の輝きが宿ったような不思議な光が有る。

 そのメイド服は金糸と銀糸で手の込んだ刺繍が施され、戦闘メイドの衣装と比べても遜色がないほど美しく作り込まれているのだった。

 メイド服をはためかせて、風を受けて飛んでいく。

 

 戦闘メイドの名前は、ナーベラル・ガンマ。

 一般メイドの名前は、リュミエール。

 

 

 

 塔の中の掃除が行き届いており、埃一つなく塵もないのは、リュミエールら一般メイド、41人の働きによるものだ。

 今はやむを得ない理由により一人が失われ、40人になってしまっているが。

 かすかに下の方から、屍臭がする。もっとしっかり掃除をしなければとリュミエールは思った。墳墓から死体の香りが漂ってくるのは仕方のない事かもしれないのだが。

 それと同じ方向から、別に仄かな冷気が流れている。命無きものたちの発する冷気。その源に、ナザリック地下大墳墓は有った。

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓の地上部分には、高さ3000メートルになんなんとする堂々たる白亜の塔が今や築かれていた。

 

 その塔の窓は最上階にしかない。

 そこが唯一の出入り口になっているのだ。非常の際の脱出経路は幾つか有るが、これまでに使用された事は無い。

 ナザリックの入り口から、塔の中を色々なギミックを解除しながら通って20分ほど飛び、頂に着いた二人は窓辺に降り立ち、ナーベラルの方は汗ひとつ無かったが、リュミエールの方は額の汗をハンカチで拭いていた。慎み深い仕草で。

 そこから眺めると薄いミルクのような夜明けの光の中で都市全体、大陸全体が一望でき、白くきらきらと輝いて見えた。

 これらの塔たちは、過去に数万年の時を経て建造され、今も、改修を繰り返しているのだった。聳え立つ複雑な形の巨塔は見る者に象牙を想像させた。……もしくは人間の骨を。すべて人間や亜人の営みによってのみ築かれてきた白く雄大なる山の峰だ。

 建材の一部には守護者デミウルゴスが見つけてきた、山羊の骨が使われているのだった。

 

 そして、それがそのまま周囲の都市へと繋がっているのだ。

 

 これら大規模な都市は全て魔法と科学技術が融合されて作られている。

 所々、空中にまで都市が浮かび、ドーム状の空間を形成しているのが見える。それらは支柱もなく浮いて、少しずつ動いて、都市の周りを旋回している。その農場とも牧場とも言われる脱出不可能な施設からは、僅かばかりの悲鳴さえも漏れる事が無い。

 

 

 

 

 

 空はと言えば、クリーム色の、朝焼けが訪れてきている所だった。穏やかな朝の匂いさえする。

 

 都市たちは地平線まで続いている。今は地平線の塔たちが灰色にぼやけて空に接する所にだけ、煙のような薄い雲が湧き立っている。その雲の向こうの遥か向こうにまで都市群は続くのだ。

 実の所大陸の土地の八割以上が山脈のように連なるこれらの都市で覆われていたのだった。

 

 遠くの方に、ざあっと豆を撒いたように、黒い細かい点々が舞い上がり、うごめいた。

 それらは朝焼けの中を移動する鳥ではない。鳥の群れなど絶えて久しい。鳥ではなくて、微かなプロペラ音を出してわーっと飛行し移動する無人のドローンの群れなのだった。きらきらと輝く都市の上を太陽の方角へ、それらは飛び去っていった。あたかも自由であるかのように。

 

 

 

 

 

 しかしこれらの景色を見ているナーベラル・ガンマとリュミエールは一様に無表情で、都市群の風景の雄大な様子には何の感慨も抱いていないのだった。

 その景色の事を差し引いても、様々な魔法、タレント、この世界の法則や科学の力を用いているこの都市たちは、防衛システムとしても今やナザリック本体より遥かに効率的で、しかも強力であるのだが、彼らの主たる、アインズ・ウール・ゴウンにとってそれらも重要なものではなかったのだ。

 アインズが問題としないから守護者も問題としない。それに連なる者達も問題としないのだ。

 

 自分やしもべや協力者たちが27万年近くをかけて作り上げたそんな塔群などアインズにとってはただのどうでもいい白い蟻塚に過ぎず、大事なのは仲間たちとの12年で作り上げた自然の溢れる第六階層であり、第七、第八、荘厳なる第九、第十階層であって、また第一、二、三、四、五階層であり、更にNPCたちなのであった。

 

 アインズ・ウール・ゴウン。あの12年しか生きてはいなかった、赫赫たる死の支配者(オーバーロード)。

 

 ナーベラルはその骸骨の面を思い出す。彼は言った。稚拙なものだ。ナザリックの方がこんなものより何千倍も良い。彼がそう言ったのだ。そう言ったからにはナーベラル・ガンマとリュミエールはこの景色に心を動かされる訳にはいかなかった。ナザリックの方を良しとしたのだった。

 彼女らとて、今となっては、実の所装備としてもっと強力で、もっと細工と刺繍と宝石と調和に富むメイド服も所有しているのだが、それでも当然、彼女らの創造主が用意した装備を良しとしたのである。これも結局はアインズが、そちらの方を良しとするからなのだ。

 

 

 

 

 

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 やがて、待ち人が現れた。地平線から飛んできたのではない。すぐ前に現れて、それから背筋を伸ばした、華麗な身振りでしゃなりしゃなりと空中を歩いてきて、二人の側から塔の入り口に入ったのだ。

 大きな楕円形の窓。そして二人が跪いた。彼女を出迎える為に二人は出てきていたのだ。

 

 その吸血鬼を。

 

 都市の中では特定の場所以外での転移は制限されているのだが、彼女だけは、いや彼女とアインズだけがそのルールを破る事を許されていた。それでこんなに近い場所に出現する事が出来たのだ。

 彼女は、柔らかそうな漆黒のボールガウンに包まれた白蝋の肌の少女で、ナーベラルよりは勿論リュミエールよりも、一見して若い。

 長い銀髪を片方に集め、その上にフリルのついたヘッドドレスをかぶっている。肩から羽織っているのは言うまでもなくボレロカーディガンだ。

 それで、赤い瞳には妖しげな光が有った。

 

 昔と全く同じような格好だとナーベラル・ガンマは思った。不快に感じた訳ではない。それがいいと思った。むしろ不用意に至高の41人が創造した姿を変えることは不敬だし、アインズの不興をかう事も有る。

 26万9999年が過ぎた今でもそうだ。いや、今だからこそ、そうなのかしら。

 

 今や、彼女らは、〈ウィッシュ・アポン・ア・スター/星に願いを〉の力に依って、不老不滅の身となっているのだった。

 元々不老不滅の者も居るが。

 シャルティアとリュミエールはそうだった。ただアインズはホムンクルスが不老と知らずに同じ魔法をリュミエールらにもかけたのだが。

 それで今でも変わらず同じ格好で居られる。

 

 不老不滅というのはユグドラシルでは大した事ではなく、〈ウィッシュ・アポン・ア・スター/星に願いを〉で十分に実現可能だった。

 これはある意味では滅ぶように作られた存在を滅ぼさず生きながらえさせている事にもなるが、アインズにとってNPCが死ぬ事をそのままにすることは身を切られるようで許容できる事ではなかった。

 ただその恩恵は元々ナザリック地下大墳墓に属していたもの、すなわちギルドメンバーが手すがら作り上げたNPCたちのみに限られ、この世界に来てから得た協力者や眷属、仲間の類には実験や他の目的の為というごく少数の例外を除いては、老いた時はそのまま死ぬに任せていた。彼も、彼女も、彼女らも。

 

 

 

 

「ご用向きは、承っておりますが」

 

「ええ。任務に就くことになり、すこぅしナザリックに帰還しにくくなるでありんすから、ご挨拶に参りんした」と彼女は言った。

 

 その都市群には、ドローンたちが飛び去っていった後は、音が無かった。気味の悪い程に。

 

 人の立てる生活のしるしも無かった。

 漏れ聞こえてくる悲鳴も。

 だからシャルティア・ブラッドフォールンの昔と同じ間違った廓言葉の台詞は大きく響いて聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

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 やがてシャルティアとナーベラルとリュミエールの三人は、ゆっくりとナザリックの階層を下っていくのだった。かつてシャルティアは第一から第三階層の守護者だったが、ここに戻るのは随分久し振りの事だった。

 

「それにしても、やっぱりここは何も変わってありんせんでありんすね」

 

 しばらく外に居たシャルティアだからこそ、そう思うのだろう。外の世界は歴史的な遺物も自然環境も何も考慮されずに、どんどん最適化されていっているのだ。それを目の当たりにしていたから。

 

「そうですね」

 

 疫病爆撃種(プレイグ・ボンバー)が壁の穴に詰まって出番を待っているのを横目に見ながら、ナーベラルも同意をした。

 実際にここまで侵攻してきた者が居たとして、今更こんなものが足止めになる筈がないのだった。しかし至高の41人の考えた警備体制だ。それで配置されたままになっている。

 

 

 

 

 ところで大事なNPCたちの中でもアインズが時間を作って面会するのは、今となっては並大抵の事ではなかった。彼は普段第九階層の円卓の部屋に引きこもるようになっており、守護者も、アルベドですら、その近くに立ち入る事は決して許されなかった。

 何かナザリックにとって大事な事をしているのだと皆が思っていたが何をしているのか知る者は居ない。

 少なくともこの少女吸血鬼はそれを知らなかった。しかしなんとなく思ってもいたのだ。

 もしかしたら、アインズ様にとって、ナザリックや守護者は最早重要な存在ではなくなりつつあるのかもしれないと。

 

 そう、遥か遥かに昔の事、他の至高の御方々にとって、ナザリックが不要となってしまったのと同じように、アインズ様は我々を見限り何処か遠くに行こうとしているのではないか? それは恐ろしい空想だった。

 しかし現実味の有る予想だった。

 

 だが、もし今度の任務がうまく行けば、それも挽回できる筈だと思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 第十階層についた。門の前に立っていた女が言う。

 

「シャルティア、貴女が来る事はお伝えしてあります。首を長くしてお待ちになっているわ」

 

 玉座の部屋の前の、動き出すかと思うほど精巧な天使と悪魔の刻まれた木の扉の前で、女が、そう、アルベドが言った。

 

 微笑を浮かべた、白いドレスに包まれた絶世の美女であったが、腰から生えた黒い天使の翼、こめかみから生えた山羊の如き角が目立ちそれらは彼女が悪魔に連なる者である事を証明していた。天使や女神と見紛うような、優しげで、淑女然とした態度なのだが。

 

 アルベドは守護者統括をつとめており、事実上、アインズの副官なのだ。

 シャルティアからすればこんな風に側に仕えている事に嫉妬の念を抱かざるを得ない。

 アルベドがその縦に割れた虹彩を持つ金色の瞳を細めて見せた時、扉が突然、中から開かれた。

 すると物凄い邪気が部屋の中から感じられた。闇の眷属側の存在であるシャルティアにとってはそれはかえって心地よいものであったが。

 だがしかしその不死者の神は、顔を俯けにしていた。首を長くしてなど居ないじゃないか。シャルティアは思った。眼窩に空虚な光が宿っていた。

 これにはシャルティアでさえ、一瞬、俯いたアインズに、何か不吉なものを感じてたじろいでしまった。

 

 ローブに身を包んだ、骸骨の姿の魔法詠唱者、アインズ・ウール・ゴウン。この世界の支配者。この世界で唯一生存している、プレイヤーと呼ばれる存在。部屋には通路の脇に下位から中位のアンデッドたちが沢山列をなして居て、何か式典の途中に迷い込んだかと思ったがそうではなかった。今の今までアインズはこれらのアンデッドをスキルによって制作していたのだろうと思われた。

 

 であるが、アインズ様は、これほどの供たちの中に有って、しかし、寂しがっているのではないか? と、シャルティアには思われた。何を馬鹿な考えを。その直後、偉大なる者はばっと顔をあげて、言った。

 

「おお、シャルティアではないか、もっと近くに寄れ。お前とは久しく会っていなかった。何日振りになるかな」

 

 その彼が発したのは案外普通の人間のような声で、客観的に見ると恐ろしげな風貌とは少し不釣り合いだった。

 勿論そんな風に思う者はこの場のいやこの世界のどこにも居ないだろうが。彼らにとってはこの聖音こそアインズの声だった。心地よい、聞くだけで下着が濡れてしまうような、声、声、声。

 

「……19日と、4ヶ月、412年と、2万年振りになりんす。久方振りにその玉体に拝謁する事が出来て、感激至極でありんす」

 

 シャルティアは近づくと、跪いた。

 昔のように。伏せたシャルティアの顔が、狂喜に打ち震える。彼女は心の底から感激しているのだった。

 

 かつて。彼女はその小さな体躯に依らず、守護者の中では一対一の戦闘では最強と謳われており、かつては一番槍として、新たな領土を制圧しに行く時には、必ず戦闘を担当していた。

 その主と肩を並べて戦う場面も多かったのだが、転移して200年ほどでこの星の全土をナザリックが支配してしまってからは活躍の機会がめっきり少なくなっていた。

 だからと言って、その後戦闘部隊隊長としては遊んでいた訳ではない。月にも行ったし、それに……。

 

「そうだな、顔をあげよ。今回、お前がこれほど私の意を汲んだ方法を研究・開発してくれるとは、私は感激しているのだぞ」

 

 そうだった。

 シャルティアは、さらなる領域拡大の余地を常に探し、研究を進めた。シャルティアには日々忙殺されるような仕事が無かった分、思索に使える時間が多かった。同時に至高の御方々をお探しする事も、できれば達成しようと試みていた。それは本来アルベドに割り当てられた役割ではあったが。

 それらを達成する一石二鳥の方策には、かつてナザリックが有ったユグドラシルの世界や、「りある」と呼ばれる至高の御方々がおわしになる世界を、発見し、征服する事こそが、至上の目標とするに相応しいもののように思われた。

 そこで最初の10万年ほどは魔法的に、ユグドラシルや「りある」の世界とこの場所を繋ぐ方法や、転移の仕組みを解明できれば良かったが、結果的にそれらは全くわからなかった。

 

「それで、至高の御方々は、単に空間的に離れた場所にいらっしゃる可能性も有るのではないかと、思うに至ったのでありんす」

 

「そうだったな。続けてくれ」

 

 シャルティアは、自らの発見を至高の主に話していた。

 そう、そこからが、シャルティアの発見の凄いところなのだった。話し方にも、自然と熱が入る。

 

 

 

 

「はじめにヒントになったのは、星でありんした。

 アウラとマーレ、ダークエルフの双子の姉弟が管理しおわす第六階層の星座は、今この世界で見えるものと明らかに違う物であると、ふと気付いたのでありんす。

 その星々が至高の41人の方々が、故郷の夜空を再現したものでありんすれば、宇宙の何処かにもし同じ星座が見える場所がありんせば、そこが至高の41人の故郷ということになりんす」

 

 シャルティアはそういう仮説を立てていた事を説明した。既に報告していた事ではあったが、説明するシャルティアは実に嬉しそうだ。

 アインズは、表情が動かない。だがシャルティアはこの任務が無事に終われば、アインズを……笑顔にできると確信している。昔のような笑顔に……。思えば転移してから彼女の主は笑っていないのだった。それより前には時々笑っていた、と、彼女は思い出した。どんな笑顔だったかは忘れてしまったが。何しろもう、27万年も前の事なのだ。

 

 

 

 

「そうしてついに、計算上、同じように星の見えるはずである場所を突き止めんした。また並行して行っていた恒星間巡航航行ロケットの開発についても、昨日予定通り完成したのでありんす。

 流石に惑星がその位置に確かに有るかまでは、我らの技術をもってしてもまだわからないのでありんすが」

 

 だがアインズはその位置に地球が有ると確信していた。

 いや、そう願っていた。

 

 

 10万年以上の長きに渡って、シャルティアはこれらの仕事を主導したのであった。いつの間にか守護者の中で一番、デミウルゴスよりも忙しくなっていた。特に恒星間の宇宙旅行を可ならしむる宇宙船を開発・実験した事は、壮絶であった。ちなみにこの過程で得られた技術で、ガルガンチュアも今、宇宙に浮かんでいられる。

 

「探索に出るのも、シャルティアよ、お前が適任だ」

 

「元よりそのつもりでありんす」

 

 守護者である彼女は今回の任務に非常に都合が良い。そもそも、しもべなどに任せられるような任務でもないのだが。

 事故で死んでしまったり、倒されても、守護者ならば金貨があればナザリックにて復活させられる。それである時点までの任務の報告が出来る筈である。生存しているかどうかも、拠点のコンソールでいつでも確認する事ができる。

 そこで守護者最強の戦闘能力を持つシャルティア・ブラッドフォールンに白羽の矢が立ったという訳。

 ……本当はアインズとしては自分で行きたい位だったが、流石に、最後に残った至高の御方を送り出す事をナザリックは良しとしない。

 

 しかも理論上は、〈ゲート/門〉の魔法で途中からでも戻ってこれるし(その場合ロケットに再度戻るのは、座標が異なっているので出来ないのだが)、もし辿り着けば、地球とこの世界を繋ぐ門を作れるはずだ。

 ただあの魔法が天文学的距離で機能するかどうかはまだ実験できていないのだが。

 索敵の魔法は無いが、できる者を連れていけば良いだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 扉の外で、漏れ聞こえるアインズの声をかすかに聞きながら、アルベドはナーベラルにぽつりと言った。盗み聞いていた訳ではない。扉の前で待つように言われているのだ。偶々聞こえてしまうのは盗み聞いた事にはならぬ。

 

「あんなに嬉しそうなアインズ様を見るのは、この10万年無かった事だわ」

 

「そう……なんですか?」

 

 ナーベラルには、扉が開いてシャルティアが入っていった時に見えた髑髏の顔といい、彼の口数や口調といい、他の守護者やしもべらの相手をする時とそんなに違うようには見えなかった。

 

「貴女にはわからないの? ……あの高貴なる月のかんばせの奥で、赤い光が寂しく揺らめく事が有るのを、貴女は知っていて? あれは大声を上げて泣いているようなものよ。

 今日はその全く反対で、簡単に言うと……うきうきしている。あれは『昔の自分を重ねている』のかもしれない。27万年間も見てきた私にはわかる」

 

 ちなみに今アルベドはアインズの頭を月に例えたがこれは死語で、この世界に月は既に無かった。理由は別に述べる。

 

 うきうきするというような感情が、そもそもアインズには存在しないように、ナーベラルには思われたし、上司に仕事の成果を報告するような場面が絶対支配者たる彼に昔有ったとも思えなかったが、敢えて反論する事はしなかった。

 アルベドはと言えば少し幼い笑顔で。殊の外嬉しそうな主人を見て我が事のように喜びつつも、それを勝ち得た同僚に嫉妬し、同時にその同僚が、これから任務の為に長い間ナザリックから離れるという事には、複雑な気持ちになるのだった。

 長い間。

 その長い間留守になる守護者にその主は大きな扉の奥で、続けて言うのだった。

 

 それは落ち着いた低い声だが、いよいよ楽しさを抑えきれないように聞こえた。アルベドにだけは。

 

 

「目的はわかっているだろうな」

 

「はい! 至高の御方そのもの、または至高の御方が仮の依代としている人間種族の肉体を探し出し奉り、ナザリックにお連れする事でありんす」

 

「そうだ、彼らに連なる可能性が僅かにでも存在する者に対しては、敵対的な手段は絶対に避けるのだ。これはお前自身の命や存在の持続よりも、遥かに重要な命令だと知るがいい」

 

 そうしてアインズは、これでもか、これでもかとアドバイスを行うのだった。

 

「辿り着いた時に同じ時代とは限らない。

 寧ろ、私が知るのとは違う時代の可能性が大きいだろう。

 しかし何十万年前に彼らが死んでいようと、今のナザリックならば探し出して蘇生をする事ができる。ただ彼らは肉体的に脆弱な可能性が有るため、蘇生は必ず必ず三段階蘇生を使用するのだ」

 

「了解でありんす」

 

 至高の御方々の身が仮の姿とはいえ蘇生に耐えられないほど脆弱とは信じがたかったが、強いてアインズの命令に逆らおうなどという考えはシャルティアには全く無かった。

 

「もし、現地で人類であるとか、そういう文明が発生していない場合は、可能な限り生物や周りのものを傷つけずになりゆきを見守るのだ。

 お前が軽率な行動をした場合、文明の素地や、私やペロロンチーノさんたちなどの祖先になっている存在が失われて、我々まで失われる結果にもなりかねないと知れ。虫一匹でも殺してはならない」

 

 虫一匹を殺したせいで、百万年後の歴史が大変わってしまう事が有る。

 バタフライ効果というのだったか。

 

「ゆえに、もしも迷った時は、撤退するのだ」

 

 そのままアインズはギルドメンバーについて、アインズが知り得た限りの個人情報を教え込んでいった。

 それから20時間もオフ会の思い出の話が止まらなかったのを見て、ナーベラルもようやくこの至高の御方の機嫌がすこぶる良い事を確信したのだった。

 

 シャルティアは圧倒されっぱなしであった。更に話が続きそうな雰囲気ではあったが、流石にアルベドが止めに入り、これ以上はシャルティアも覚えきれないだろうからと、資料に纏めて渡す事にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■□■□■□■□■□■□

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから少しの日々が流れて、細かい計画が決められて、とうとうロケットが打ち上げられる日になった。

 アインズと守護者たちは、わざわざ出て行ってシャルティアを見送った。アインズがナザリックの外に出るのがいつぶりか、もう記録が無いので分からなかった。

 

 その日は曇天だった。重力に牽かれて落ちてくるかと思う程分厚い石炭のような雲が、天を覆っているのだった。

 そこはナザリックが有るのとは別の場所だが、白骨の都市が続く場所の何処かだった。歴史的には、奇しくもエ・ランテルと呼ばれた事も有る場所だったが、今はその名は忘れ去られている。

 

 ロケットは、その一番高い所に威風堂々と備えられていた。

 全体が白くて、多段式になっているのが関節のようにも見え、骨の形の都市の尖端に位置している様子からは、人間の指先の骨のようだった。それは大変な巨人の指先でなければならなかったが。

 アインズはロケットの搭乗口のすぐ脇に立ち、左に全ての守護者が並んでいた。

 

 27万とんで76歳の、ダークエルフの姉弟もその場に居た。

 二人は薄黒い肌で、長く尖った耳を持っていた。

 

 一人は、金の絹のような髪をすとんと腰まで伸ばしていた。髪は美術品のように気高く輝いていた。

 背はアルベドより高くなって、包み込むような柔らかな肢体はまさにエルフの女王のようだった。しかし即座に戦闘の取れるような服や武装を好んだのは変わっていないのだった。

 

 上下ともに皮鎧の上から赤黒い竜王鱗を貼り付けたぴっちりとした軽装鎧をまとっている。その上に白地に金糸の入ったベストを羽織り、そのベストに合わせた、白色の長ズボンを履いていた。

 ただ普通の男装ではその爆乳を覆う事が出来ないので、かえってそれらは体にきっちり吸い付いたデザインになっていて、寧ろ彼女の胸の大きさや、腰のなまめかしさを際立たせていた。

 かつて強調されていた太陽のような幼い快活さは少しなりをひそめ、緑の右目と、碧の左目を、気だるげに伏せていた。

 女神の如き美しさは男装に包まれても輝きを失っていなかった。

 そんな姿で女らしい慎ましやかな内股で立っていた。アインズのすぐ隣で。

 

 そのすぐ隣の弟は神秘的な比率で。

 背丈は伸びていたが、短いスカートで女の装いをしても全然違和感が無いぎりぎりの時を狙って、時を止めたような装いだった。

 胸から腰にかけては相変わらず折れてしまいそうに細いのだった。昔と変わらない肩口までの髪で、おどおどとした様子を反映するように耳の先は丸く下側に向いていた。

 スカートの下に、僅かに素肌が覗いていた。僅かというのは、白色のストッキングを履いているためだ……。

 

 しかし、そこにはいやらしさは全くなかった。

 微かに男であるらしいという事も、わかるのだった。それは変態的というのではなく、両性具有の神や天使を思い起こさせて、神々しかった。

 彼、マーレも目を伏せて、しかしちらちらと、視線を動かして、アインズの偉大な姿と、自らの左手の薬指に嵌められた、果てしなく貴重な宝物、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンとを交互に見ていた。

 

 

 更に冷気を噴き上げる蟲の王や三つ揃えのスーツを着た悪魔の威容が横並びになっており、勿論アルベドの姿もそこに有った。

 

 シャルティアがゆっくりと歩いてきた。

 二人のヴァンパイア・ブライドを後ろに伴って。

 重要な任務に出る彼女は誇らしげに胸を張って現れたのだった。

 

 守護者の前を歩いて行って、アウラの前で止まった。

 

 双子の姉は旅立つ同僚に目を潤ませて、

 

「必ず、帰ってきてね」

 

 と言った。

 今やシャルティアより背が高いので、少し前に屈んで目線を合わせて言った。

 シャルティアは俯いて震えた声で言った。別に敗北感から頭を垂れた訳ではない。

 

「な、ナザリックのしもべならば、任務を達成するまで帰ってくるな、と言うべき所でありんす」

 

 彼女らは固く抱き寄せ合った。二人は姉妹のようだった。

 アウラの胸が二人の女の体の間で、潰れたが、それでも美しさを失わなかった。

 

 

 

 

 

 

 これから、ロケットは飛ぶ。

 ロケットは魔法の力で半永久的に飛び続けられる。宇宙の広さからすれば蟻が動くような速さで。

 

 地球があると思しき場所、至高の御方が居ると思しき場所まで、二百万光年離れている。計算上この最新鋭のロケットで、片道九十億年かかる。

 九十億年の間、留守にする見込みの守護者は、アウラと離れて隣の魔王の所に行くとそれで当然であるかのように、絶対的支配者の首に腕を巻きつけてローブの肩に顔をうずめた。

 

 魔王は何も言わずにシャルティアのガウンに手を置き、抱き返したのだった。

 更にヘッドドレスを撫でてやった。

 

 

 

 

 それは、長い抱擁だった。彼女がこれから過ごす久遠の孤独の時間と比べたならば、須臾にも満たない程僅かな時間だったが。

 

 やがて、彼女が名残惜しそうに離れた後で。

 二人は短い距離で対面していた。こうして高さの違いが無い場所で向かい合っていると、死の支配者は思い出していた。まるで洗脳されたシャルティアと戦った時のようだなと思った。

 

 

「お前には、辛い役目を与えてすまない」

 

 とアインズは言った。

 このような事を彼が言うのは異例だった。

 

「つらいだなんて、そんなことは、ありんせん!」

 

 それは本心からの言葉だった。

 彼女とて、この過酷な任務に一切の躊躇がない訳ではなかった。

 彼女は、アインズからの命令であれば、どんな事だって平気でする。

 例えば、先程固く抱き合った親友を殺せと言われても。そこには一切の躊躇いはない。

 

 しかし、九十億年。

 と、一言で言っても。

 実際の所それがどのくらい長い時なのか実感が持てないのだった。これまでも悠久の時を過ごしてきたように思ったが。たかが27万年。

 

 しかしどれだけ時間がかかろうとも、アインズ・ウール・ゴウンにとってやるべき事だった。であればシャルティア・ブラッドフォールンにとってもやるべき任務である事に疑いの余地は無かった。

 シャルティアはそして、少しだけ乱れた髪と服を整えたのだった。

 

「ええ、ではしばらく、九十億年程、すこぅしナザリックに帰還しにくくなるでありんすから、皆様ご機嫌よう。必ずや、皆様のご期待に沿える結果を携えて戻ってくるでありんす」

 

 そう言って彼女は、膨らんだスカートごと体を回転させると、そのロケットに乗り込んだのだった。

 エンジンが、魔法的な手段で、また科学的な方法で、次々に点火されていった。周囲に振動が伝わった。空の雲は、ロケットの真上の場所を中心にして晴れていく。轟音を立てながら、ロケットは飛んでいく。静かな都市にその音と衝撃の波が大きく響いた。そして飛び去って行った後には、雲は全て吹き飛ばされて、ついにさっきまでの曇天が嘘のように、光まばゆい空が広がっていたのだった。

 

 そのロケットが飛んで行ったのを、アインズと守護者たちは、いつまでも見送っていた。一人の少女吸血鬼の居ない星の地上で。

 いつの間にか太陽は高くのぼり、世界には昼の時間が訪れていた。都市を構成する白い石たちが、光を浴びて強く輝いた。アウラの長い髪も昼の光を反射して天使の輪のように、きらきらと輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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