夕刻になり、徐々に太陽が沈もうとしている。
空の色はオレンジ色になりつつあった。
出航準備を仲間に任せた後、二度寝を決め込んで一度たりとも起きなかったキリがようやく目を覚ました。ベッドの縁に座って大あくびをする姿にウソップは呆れている。
今やすっかり元通り。東の海に居た頃と同じか、それ以上に気が緩んでいるらしい。
人はここまで変わるものかと驚きを隠せなかった。
「ふわぁ~……あぁ、よく寝た」
「寝過ぎだろ。おれたちだけ働かせやがって」
「しょうがないよ。大怪我したんだから」
「怪我ならおれたちもしてんだよ」
「ピリピリしてた頃がもう懐かしいわね。そっちの方があんたらしいっちゃらしいけど」
椅子に座って本を読んでいたナミが苦笑する。
実情として彼女も色々理由をつけてはさほど動いていないのだが、それは敢えて言わず、しかし事情を知っているウソップは彼女に対してもジト目であった。
「お前は何もしてねぇだろ」
「私はか弱い女の子なの」
「か弱い女の子が自分で言うか」
「いい加減にしろウソップ。ナミさんはか弱くて可愛くて美しい女の子なんだ」
「ありがとサンジ君。その通り」
「納得できねぇ……」
サンジが口を挟んだことでウソップはげんなりした顔をする。
いつの間にか再び横になっていたキリがウソップへ尋ねた。
「なんか大変だったみたいだね」
「大変ってほどじゃねぇけど、お前らの態度の問題だっつってんだ」
「あーそういう」
「ほんとにわかってんのかよ」
軽い調子で聞き流したキリはだらしない姿勢で話を続けようとしていた。
出航準備の報告を聞かなければならないのだろう。
本来なら怒りさえ生まれそうな体勢であるが、すでに慣れている仲間たちは指摘せず、至って冷静に彼と話し始める。
「で、首尾はどう?」
「食料なら少しだがわけてもらったぞ。国がこんな状態なら上出来だろ」
サンジが煙草を銜えたまま言う。
自ら交渉した訳でもないのにテラコッタが少量の食材や調味料をくれたのだ。アラバスタ特有の料理をするためには必要な物らしく、礼の代わりに持って行ってくれと押し付けられた。
彼はそれを有難く受け取り、航海に出てから研究も兼ねて試してみるつもりである。
「アーロンたちとも連絡取れたよ。ここから真東のところまでメリーを連れてきてもらうように頼んでおいた」
笑顔でシルクが言った。だがその直後、表情が変わって少し困った様子になる。
「ただ、気になることもあるんだけど……」
「何?」
「昨日から海軍の軍艦が姿を見せないんだって。諦めた訳じゃないよね?」
「うーん、戦力を整えてるってとこかな。やっぱりもう少ししたら前以上の艦隊で襲ってくると思うよ。アーロンたちに対抗するための装備を準備してるのかも」
寝返りを打ちながら真剣な顔でキリが考え込む。
その様子に思わずゾロが口を開いた。
「戦闘になると面倒だ。急いで出た方がいいね」
「起きてから喋れよ」
「あー動きたくないなー」
「お前……前にも増してひどいな」
だらけた姿勢で喋るキリにゾロは呆れてしまい、言葉すら出なくなってしまった。
そういえばこんな奴だったと思い返す。ここ最近はあまり見れなくなっていた顔だが当初はこんな感じで、良くも悪くも力が抜けていた気がする。
寝そべっているキリの隣にはルフィが居て、自身が船長だというのに呑気な顔で聞いている。口を挟む様子はなくて全て任せ切っている顔だった。
彼が気になるのは出航についてよりも今日の夕食について。
ひょっとしたら聞いていないかもしれないと感じて皆は敢えて彼には言わなかった。
「やっぱり今日出発しよう。いい加減海軍をこの国に入れないと問題もあるしね」
「いよいよ出航かー。長かったような気がするけど、実際は結構短かったんだよな」
キリの言葉にウソップが反応して、アラバスタに到着してからの行動を思い出しながらしみじみ呟く。数日はゆっくりしたがそれも傷の療養のためだ。アルバーナ以外の町へ訪れることも結局は一度もないまま離れてしまうようである。
もう少しゆっくりしたかったという想いもあるが仕方ない。
一連の話を聞いていて、ルフィがビビを見て言った。
「ビビ、一緒に来ねぇか?」
「え?」
「おれたちと一緒に冒険しよう。これまでみたいに」
笑顔で問われてビビは固まる。
仲間の顔を見回せば皆が彼女を見つめていて、受け入れるように優しい目をしている。しかしすぐに口を開くことはできず、数秒沈黙した。
ビビが口を開いたのは床に視線を落としてからだ。
「私は……」
迷う素振りで声を途切れさせた時、慌てた様子でイガラムが部屋へ飛び込んできた。
何事かと一斉に彼を見た一同はビビから注目を外す。
「皆さん! 大変なことになりましたよ……!」
「どうしたんだよおっさん。なんかあったのか?」
「ええ、つい今しがたのことです……とにかくこれを見てください!」
そう言ってイガラムはルフィとキリが居るベッドへ近付き、何かを置いた。
全員がそこへ集まって覗き込む。
広げられたのは数枚の紙。認識した彼らは目を輝かせた。
「あ~っ! おれたちの手配書だ!」
「君たちの懸賞金額が上がっている。しかもとんでもない額だ。君たちはすでに第一級の犯罪者として海軍将校から狙われることになった」
イガラムが真剣な顔で、彼らに伝わりやすいように一人ずつの名を読み上げる。
「〝麦わらのルフィ”……懸賞金1億ベリー」
「やっほ~! 上がった~!」
「1億!? 嘘でしょ……!」
自身の懸賞金を知ったルフィは腕を伸ばして喜んだ。一方でナミは億を越えたことに危機感を抱いたらしく、顔を青ざめさせて動揺している。
その気持ちはわかるがイガラムは続ける。
手配書はまだ数枚あった。
「〝紙使いキリ”……懸賞金9000万ベリー」
「んん、まずまず」
すでに賞金首となっていたキリは納得した様子で頷く。
本音を言えばルフィと自身の上がり方が少ない気がするものの、情報操作をされるだろうとは考えていたため、この結果が予想できなかった訳ではない。彼は落ち着いていた。
「〝海賊狩りのゾロ”……懸賞金6000万ベリー」
「へぇ……」
「わっ。初頭手配で6000万だって。凄いね、ゾロ」
自身の名を呼ばれたことでゾロはにやりと笑う。それなりに嬉しかったらしい。
隣に居たシルクは彼の金額に驚き、感心してもいた。
手配書が出たとはいえ、ここまでは概ね予想通り。以前にルフィとキリの手配書が出たため、金額が上がることはあっても取り消されることはない。そこへゾロが加わっただけならば順当で、誰も疑問を持つような理由を持っていなかった。
問題は次に呼ばれた人物である。
気を抜いてきちんと手配書を見ていなかった一同は驚愕する。
「〝キャプテン・ウソップ”……懸賞金2500万ベリー」
「へー、キャプテンウソップ……え?」
急に名前を呼ばれて、他でもないウソップ本人が呟き、そして固まった。
訳が分からず立ち尽くすこと数秒。
次の瞬間には彼も含め、一同が大声を発していた。
「えぇええええっ!?」
「ウソップが賞金首!?」
「すげーウソップ!」
「おいちょっと待て! おっさん、それだけじゃねぇよな!? おれは!」
ナミやウソップがただただ驚き、ルフィやチョッパーが目を輝かせて喜ぶ。シルクやゾロも驚きを隠せない様子で、キリは素直に感心していた。
その中で最も大きな反応を見せたのがサンジだ。
まだ自分の名が呼ばれていない。ゾロが呼ばれただけで心中穏やかではなかったというのに次はウソップだ。いよいよ焦り出してイガラムに詰め寄る。
「ほら、あと二枚も持ってんだろ! どっちがおれだ? ん? おれはいくらなんだよ!」
「いや、これは君たちの仲間のアーロン一味の物で……〝ノコギリのアーロン”が8000万ベリーになり、もう一枚は〝タコ焼き屋はっちゃん”1500万ベリーです」
「なんだと……!?」
「あ、はっちゃんも賞金首になったんだ」
絶望か、憤怒か、かつてない表情になったサンジがよろりと足をふらつかせた。
その背後ではシルクが二人の懸賞金に目を丸くする。島内に上陸することはなかった彼らだが海での戦闘を何度か繰り返したらしい。海軍へ与えたダメージの結果が懸賞金に表れたのだろう。
では麦わらの一味におけるそれぞれの内訳はどうか。
納得できないサンジがイガラムへ掴みかかった。
「ちょっと待てェ! もう終わりか!? もう一枚残ってんだろ! おれの手配書がまだ見せられてねぇぞ!」
「手配書はこれで全部ですが……」
「ふざけんなァ!? なんであの長っ鼻が賞金首でおれの手配書がねぇんだ!!」
「わ、私に言われましても」
怒り心頭のサンジは火すら吐き出しそうな様子で叫んでいる。
納得できていないのは明白なためキリが言い出した。
「ひょっとしたら例の演説じゃないかな」
「あぁ!?」
「反乱軍に向けたあれだよ。アルバーナにも海兵は居たし、可能性は高いと思う」
微笑む彼は穏やかな口調で説明する。
「懸賞金は実力じゃなく政府や市民への危険度を示すものだ。七武海を倒したルフィや西の海で知られた殺し屋〝ダズ・ボーネス”を倒したゾロは実力的にわかりやすく危険だし、ボクは元バロックワークス構成員。有名らしい賞金稼ぎも一人倒したしね」
呆けて思考停止していたウソップもその語りを真剣に聞いていたようだ。
「今回ウソップは言葉だけで反乱軍を止めた。市民の心を動かしたってことだ。政府にとってこんな厄介な海賊は居ないと思うよ。守るべき市民が海賊の味方なんてし始めたらさ」
「そっか。市民を味方にする海賊になるかもしれないと」
「出る芽は早めに潰そうってとこか」
「金額からしてあくまでもまだ可能性かな。でも初頭手配2500万はボクより高いじゃん」
「お、おれが、賞金首になったのか……!?」
やっと事態を飲み込めてきたらしいウソップは、嬉しさ半分、怖さ半分で動揺しており、激しく取り乱すと頭を抱えながら叫び出した。
その足元では、彼の手配書を手に取ってじっと見つめるチョッパーが羨ましそうにしている。
頭から血を流し、傷だらけになりながらも何かを叫ぶ男の姿。
戦いの凄惨さと彼の勇気を表す写真が貼りつけられていた。
「ぎゃあああっ狙われる~!? でもちょっと嬉しい~! 写真も凛々しい~!」
「いいなーウソップ。おれも手配書欲しいなー」
「ちくしょう、なんでおれの手配書がねぇんだ……!」
嘆くサンジは歯をギリギリ鳴らして悔しそうにしている。
そんな彼を見て腕組みをするゾロが呟いた。
「まぁそう気に病むな。懸賞金なんざただの飾りみてぇなもんだろ」
「あ?」
反射的に睨んでくるサンジにゾロが笑顔で伝える。
「お前はよく戦ったよ、0ベリー」
「表出ろコルァ!! てめぇの首を海軍に差し出してやる!」
「おい、無理はするな。できんのか? その……危険度がねぇらしいが」
「ふっざけんなァ!! 政府の野郎どもの目が狂ってるだけなんだよ!」
またいつものやり取りである。
堪えられなくなったサンジが飛び上がってゾロへ襲い掛かり、彼は即座に刀を抜いて対応しようとした。しかし二人を見てどうせそうなるだろうと思っていたシルクが動き出す。
「てめぇがおれに勝てる要素なんざ一つもねぇことを証明してやる!」
「やってみろぐるぐる! 刀の錆にしてやる!」
「こら!」
腕を振ってかまいたちを起こし、二人の体を吹き飛ばす。
室内に風が吹き荒れるものの、日常茶飯事であるためさほど反応はなく、皆はゾロとサンジが床を転げ回るのを冷静に見ていた。
腕を下ろしたシルクは腰に手を当て、子供に言うように二人を叱る。
「喧嘩しちゃだめだよ。それに部屋の中で暴れない」
「はぁ~いシルクちゃん……」
「部屋の中で能力使うのはいいのかよ……」
無様に転んでしまった二人は喧嘩する気を失ったようで、大人しく立ち上がると近くにあったベッドへ腰掛けたため、シルクは満足そうに笑顔で頷く。
彼らの騒ぎが収まったためようやく会話に戻れる。
口火を切ったのはキリだ。
「七武海を倒したんだからもう少し欲しかったところだけど、とにかくこれでルフィは億越えの海賊。トータルバウンティはうちだけで2億を越える。傘下の分を入れればさらに上がるしね」
「そういや巨人のおっさんたちも賞金首だって言ってたな」
「いよいよ停滞もまずくなってきたか。じゃあ、やっぱり出発は今日だ」
今になって体を起こしたキリがベッドから降りる。
喜ぶ者、嘆く者、羨む者、この先の航海を憂う者と様々だが、士気は決して低くない。
仲間たちに向かって出発の号令を出した。
「みんな準備するよ。荷物をまとめたらすぐにここを出発する」
「よーし! 準備だー!」
「こんなに賞金首が増えるなんて……また海軍に狙われやすくなったのね。まぁ私の顔が知られてないのは不幸中の幸いだけど」
ドタドタと騒がしくルフィが動き出す一方、ナミは頭を抱えて溜息をつく。
そんな彼女にシルクが笑いかけた。
「私はちょっと羨ましいな。懸賞金と手配書」
「やめときなさいって。また危ない目に遭うのよ?」
「でも、このメンバーと一緒ならどっちにしても危険な目に遭うと思うよ」
「あー……それは言えてるわね。だからこそ少しでも可能性を低くしたいの。私は絶対、何があっても賞金首になんてならないわ」
「ふふ。でもナミが決めることじゃないよ。ひょっとしたら、ってことがあるかも」
ナミとシルクが荷物をまとめるために行動を始める。
ウソップとチョッパーも自分の物を整理しようと歩き出していたが、開いた口は閉まらず、楽しそうな様子の会話は途切れなかった。
「まぁ~今は2500万ベリーだけどな。実はおれはその昔、ガキの頃にも賞金首になったことがあるんだ。その頃は2億ベリーくらいだったかな」
「そうなのかっ!? すげぇ! ウソップ、何やったんだ?」
「そりゃ色々あったけど、一番はあれかな? ある王国の重大な秘密をおれが暴いちまったって話なんだが、いや~あれは大変だった」
軽やかに嘘をつくウソップの顔は自信に満ち溢れており、手配書は海賊として認められたという証明にも感じられて、非常に嬉しそうである。
それ故にチョッパーは羨んでいたようだ。
同じく悔しそうなサンジは横に居るゾロへ対しての恨みつらみが止まらない。
「まったく気に入らねぇ話だぜ。今から海軍の奴らにわからせた方がいいんじゃねぇか? なんでてめぇの手配書があっておれのはねぇんだ」
「当然の評価だろ。おれは海軍を支持するぜ」
「あぁん? そりゃどういう意味だ?」
「わからねぇならわからせてやろうか」
「喧嘩してる?」
「い、いや、してないよシルクちゃん」
「よかった」
一時剣呑な空気を生み出しながらも、結局は彼らも衝突することなく準備のために動き出す。
皆が方々へ散って部屋を出る者が居る中、ルフィとキリは動かず。
ビビもまたじっと佇んで動かなかった。
思い悩む様子の彼女をカルーとイガラムが心配そうに見つめる。
彼女が何を悩むのか、後から来たイガラムは知らないがカルーは知っている。皆が手配書について話している間もビビはずっと考え込んでいたのだ。
頭にあるのはルフィの言葉一つ。
一緒に来ねぇか。
彼の問いかけで心は揺れている。
キリはともかくとして、ルフィがその場を動かなかったのはやはり彼女が居たからのようだ。思い悩む素振りは全員が気付いていたため、話を聞こうと思ったのだろう。
ルフィはもう一度ビビへ問いかける。
「なぁビビ、お前はどうする? おれたちと一緒に来るか?」
「なっ、何を言うんですか! ビビ様はこの国の王女ですよ!」
「知ってるよ。でも選ぶのはビビだ」
「それは、そうかもしれませんが……いやしかし」
ルフィの発言で驚いたイガラムが咄嗟に言うも、ビビの表情を見て言葉を失った。
彼女は今、悩んでいるのだ。
ひょっとしたら彼らと行きたいのかもしれないと考えて、それはいけない、という想いを持つ一方で、彼女の思う通りに生きてほしいという想いがぶつかる。
カルーが問いかけるように弱弱しい鳴き声を出してもビビは動かない。
苦しむかのような表情の彼女にキリが言った。
「自分の好きな方を選んでいいよ。強制はしない。君の自由だ」
彼の言葉を受けたビビは二人の顔を見つめ、少しするとくすりと笑った。
初めから悩んでなどいない。ただ名残惜しかっただけだ。
ようやく覚悟ができた様子でビビが口を開く。
「ルフィさん。キリさん」
二人の名を呼び、仲間たちへ向けて。
「私――」
ビビは自分の決断を言葉にした。