ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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海軍の英雄(2)

 一足先にゴーイングメリー号へ戻ったルフィたちは、そそくさと出航準備を進めていた。

 祖父、ガープが来ている。ただそれだけの言葉が驚愕に値するのは必然。幼少期から付き合いのあるあの人物に、良い思い出は数えるほどしかない。逆に嫌な思い出は数えきれないほどある。

 ルフィはすっかり怯えていて、仲間たちを急かす態度があった。

 珍しい姿にウソップとナミは疑念を隠せず、今一つ急げないのは彼と違って、ガープという人物を知らないからのようだ。

 

 「なぁルフィ、おまえのじいちゃんなんだろ? そこまで怖がらなくていいんじゃねぇかな」

 「そうよ。家族なんだから仲良くすればいいじゃない」

 「おれだって別に嫌ってるわけじゃねぇけどさ。じいちゃんの拳骨はすげぇ痛ぇんだぞ。しかもおれが海賊になりたいって言ってるのに、いっつも海兵になれってうるせぇんだ」

 「それで苦手意識が生まれちまったってことか」

 「あんたでも苦手な物ってあるのね」

 

 普段とは逆の構図になっていた。

 ルフィだけ様子がおかしく、怖がっていたはずのウソップは気楽に作業を進めている。ナミもまた、初めて見る彼の表情がおかしくてくすりと笑う。

 

 たった三人とはいえすでに準備は整っている。小型の帆船ということもあって作業は早かった。

 いつでも出航できる段階。後はまだ到着していない仲間を待つだけだ。

 やることがなくなってルフィは島を眺め、ウソップも隣へ並ぶ。

 

 「キリたち大丈夫かな。連絡してきたのもコビーだったし」

 「そのコビーって誰なんだ? なんか緊急事態っぽかったから話聞いたけどよ」

 「おれたちの友達だ。今は海兵になったんだけどな」

 「海兵と友達なのか? 海賊なのに?」

 「そうだぞ。変か?」

 「いやそりゃまぁ変だとは思うけどよ」

 「しばらく会ってなかったからなぁ。もう懐かしい気になるな」

 

 ガープについて話していた時とは違い、ルフィに笑顔が戻る。

 相当仲が良かったのだろう。まさか偶然訪れた島で再会できるとは、なんたる偶然か。

 

 どんな人物なのだろうと島を見る。

 そういえばルフィたちが今までどんな航海をしたのか聞いていなかった。友達の話を聞いて今更気になり、後で質問してみようと思う。

 一方でナミは知っているのかと気になり、ウソップが振り返って尋ねてみた。

 

 「ナミは知ってんのか? ルフィたちの航海の話とか」

 「ちょっとくらいはね。シルクに聞かせてもらったの」

 「ふぅん。じゃ知らねぇのはおれだけか」

 「また聞けばいいじゃない。今は慌ただしいから無理かもしれないけどね」

 

 笑顔で言われて納得する。

 これから時間はあるのだから、ひとまず海へ逃げてからでもいいのだろう。

 

 腕組みして小さく頷いていると、森の中から砂浜へ駆けてくる人影が見えた。数は二つ。船上に居る三人は気になってそちらへ注目する。

 どたどた走ってくるのは海兵の制服を着た二人組。

 必死な形相のコビーとヘルメッポがやってきて、その顔を見たルフィが笑顔を輝かせた。

 

 「あ~っ! コビー!」

 「ル、ル、ルフィさぁん!」

 「おれはどうした、おれは!?」

 

 海に入る直前に足を止めて、船を見つめて二人は手を上げる。

 ルフィの反応から察するにヘルメッポのことを覚えていない可能性があったが、それについて怒っている暇もないらしい。平静を失くしている二人は声が大きくなっていた。

 

 「みなさん無事でしたか。今、キリさんたちがガープ中将を撒こうとしてる頃だと思います。全員揃ったらすぐに出航できるようにしてくれって」

 「心配すんな、いつでも行ける」

 「それよりあいつら大丈夫なのか? あの英雄ガープと戦ってんだろ」

 「やられねぇ内にすぐ逃げるって言ってたが……っていうかなんでおれたちはこいつらに肩入れしてんだ! おいコビー、これ以上はやべぇって! バレたら海軍に居られなくなるぞ!」

 「う、そうだけど、でもルフィさんたちを見捨てるわけには……」

 「友達だか恩人だか知らねぇけどよ、もう敵同士になったんだから非情にならなきゃだめだろ。中将ならまだしも、新米のおれらじゃすぐクビになるかもしれねぇ」

 「ん~、おまえどっかで見た気がすんだけどなぁ。誰だっけ?」

 「ほらみろ! やっぱり覚えてなかった! なんでこんな奴助けてやんなきゃいけねぇんだ!」

 「お、落ち着いてよヘルメッポさん」

 

 欄干の上にしゃがんで首をかしげるルフィへ、ヘルメッポが必死の自己紹介を始める。

 確かに顔を合わせたはずだろう。彼に殴られだってした。

 怒りを持ちながら叫んだところで、とぼけた顔のルフィの様子は変わらない。

 

 「おれだよおれ! シェルズタウンのモーガン大佐の息子で! ロロノア・ゾロを処刑直前まで追い詰めた! ヘルメッポだ! っていうか普通忘れねぇだろう!」

 「うーん、居たような気がするんだけどなぁ……」

 「だぁから! 偉そうにふんぞり返ってて何もできなかった口だけのバカ息子だよ!」

 

 自らの口で語らせることのなんと残酷な展開か。

 そこまで言われてルフィはパッと笑顔になって気付いたらしい。

 確かに居た。ずっと何かが引っかかっていて気付けなかったのだがこれではっきりとわかる。基地の中で人質にした男ではないか。それとコビーに銃を向けたので殴った経験もある。

 

 ようやくすっきりして彼を迎え入れられた。

 以前よりずっと親しげな態度で声をかけられる。

 しかし名前どころか存在すら忘れられた恨みはあって、ヘルメッポの険の強さはそのままだ。

 

 「あぁ、おまえか。いやどっかで見た奴だと思ったんだよなぁ。わりぃわりぃ」

 「くそぉ、だから嫌だっつったろコビー! こういう奴なんだよ、こいつは!」

 「まぁまぁ。落ち着きましょうよ」

 

 苦笑したコビーがヘルメッポを押し留め、再びルフィに向き直る。

 離れている間に、彼らは立派な船を手に入れていた。

 それに仲間まで。以前にも会った三人に加えてさらに二人。順調に航海は進んでいるらしい。

 今の今まで慌てていたはずだが、彼らの変化につい嬉しくなってしまい、コビーは嬉しそうに微笑む。相変わらずルフィは元気そうで、着実に前へ進んでいるようだ。

 心配していたものの、顔を見ればほっと落ち着く。

 久々の再会は確かに実のある物となっていた。

 

 「ルフィさん、航海は順調ですか?」

 「ああ。仲間も増えたぞ。これからグランドラインに行くんだ」

 「そうですか……本当ならもっとゆっくり話したいんですけど、今は無理そうですね」

 「別にいいさ。また会えるからな。コビー、おまえも早く出世してグランドラインに来いよ。ゆっくりしてたらおれたちが海賊王になっちまうからな」

 「あ、それなんですけど。ぼくらガープ中将の船に居るのでこれからは――」

 

 言いかけた時に突如割り込まれた。

 三人が森から出てきた時、砂浜との境目に差し掛かった段階でキリが大声を張り上げていて、明らかにいつもと様子が違う。鋭い声はいつもの彼ではなかった。

 

 「ルフィ! 出航だ!」

 「おっ、みんなだ。戻って来たな」

 「かなり慌ててるみたいだぞ。ひょっとして追われてるんじゃねぇだろうな」

 

 走ってくるキリ、ゾロ、シルクの顔を見てウソップが不安に苛まれる。なぜあれほど緊迫した顔で向かってくるのか。敵が近いと知っているだけにできれば笑顔で来て欲しかった。

 

 見ればゾロの口の端に血が付着している。

 かの英雄を相手にたったそれだけと言うのなら褒められたものだが、よく見れば足取りも危うい。傍でキリが支えなければ今にも倒れそうだった。

 

 二人の前をシルクが走って、心配そうにしながらも一刻も早い脱出を望んでいる様子。

 緊張感が戻ってきた時、あまり時を置かずに森の中から絶叫が聞こえてきた。

 

 「待たんか小僧どもォ! 絶対に逃がしはせんぞ!」

 「いっ!? あの声は……!」

 

 確かに聞こえた声にルフィが声を漏らす。同時にコビーとヘルメッポの表情も変わった。

 まだ姿は見えないが明らかに近付いてきており、見えるようになるまでほんの数十秒。

 歯噛みしたキリはシルクの背へ声をかけた。

 

 「シルク、先に船へ! 帆を張って海へ出るんだ!」

 「えっ!? だけどそれじゃ防御は」

 「こっちでなんとかする。どの道このままじゃきっとだめだ」

 「……わかった。無茶はしないでね」

 

 波打ち際まで到達するとシルクが海水を踏みつけ、服が濡れるのも気にせず水を跳ね上げて、ゴーイングメリー号に乗り込む。

 キリとゾロは砂浜で立ち止まり、コビーとヘルメッポの前に立つ。

 

 再会はこんな時でない方がよかった。

 互いにそう思うのだが疲弊した様子を見ているとそんなことも言っていられない。

 

 振り返って視線は森の入り口へ。

 姿が見え始めた頃、木の影の下でもガープの笑みが確認できるようで緊張した。

 

 「弾の補充じゃ」

 「どうぞ」

 「うむ。それではもう一発」

 

 ボガードに渡されたのは島の木々から手に入れたヤシの実。ただ蹴り落として拾っただけの、硬くて丸い、何の変哲もないそれだ。

 しっかりと右手に持ったガープは投球フォームを取り、ヤシの実を全力で投げる。

 誰にでも出来そうな行動が、誰であっても吹き飛ばす強烈な攻撃だった。

 

 「拳・骨・隕石(メテオ)――!」

 

 ただヤシの実を投げるだけの攻撃。だが速度は砲弾にも勝る。

 真っ直ぐ向かってくる凶器を見ながら、コビーたちは両手を上げて絶叫した。間違いなく死ぬ。誰だってそう思う威容を放つヤシの実であって、慌てるのも当然だった。

 

 今、防御ができるシルクは船へと乗り込んでいる。もうかまいたちは期待できない。

 キリは手持ちの紙をすべて使ってしまった。

 仕方なくゾロが前へ出て、痛みを堪えながら刀を振るう。

 

 凄まじい音を立てて一閃。

 ヤシの実は真っ二つに両断されて、誰にも当たらなかったものの、勢いもそのままに海面へ落ちた。そこで立つ水柱は驚くほど高い。まさに砲弾の如き一撃であった。

 斬ったとはいえ右腕が異常に痺れている。

 二度目はない。歯噛みするゾロはそう思わされてしまっていた。

 

 「うぉおおいっ!? ありゃ一体何なんだ!?」

 「ただヤシの実を投げただけだよ。それなのにあの威力……」

 「嘘でしょ、あれがルフィのおじいさんなの!?」

 「やべぇ、じいちゃんが来た!」

 

 船上が騒がしくなっている。同時に砂浜でも二人分の悲鳴が響いていた。

 キリとゾロは乱れた呼吸を整え、厳しい視線を森へ向けている。驚いていると、その隙に殺されるだろう。それだけの危機感を持って一息さえつけない状況だった。

 

 やがてガープの姿が砂浜へ現れる。

 真っ先に見たのは麦わら帽子をかぶったドクロを掲げる帆船。間違いなくルフィの船だ。探していた相手をようやく見つけることができて、喜色が表情へと表れる。ただ船はすでに動き出していた。仲間を二人島へ置いて、一足先に逃げ出そうとしている。

 

 一点そこが気になったが、ひとまず目標を見つけて満足できた。

 あとは連れ戻すだけである。

 ガープとボガードはゆっくりと砂浜を歩き出した。

 その時、キリがゾロへ手を伸ばす。

 

 「ゾロ、一本刀貸して」

 「仕方ねぇな。落とすなよ」

 

 黒い柄の刀が一本投げて寄こされる。受け取ってすぐキリは右手に持ち替えた。

 ゾロもまた一本だけ刀を抜き、左手に持つ。

 ガープが砂浜へ一歩を踏み出そうとした瞬間。キリの鋭い声が響いた。

 

 「動くな!」

 

 言葉と同時に背後からコビーを捕らえ、首筋に刃が触れた。同じくゾロもヘルメッポを捕まえて刀を突きつけている。言わば人質にされてしまったようだ。

 まさかの行動に二人が絶叫し、手を上げて抵抗はしない。

 

 自然とガープとボガードの足が止まった。

 キリの声は驚くほど冷たい。以前に出会っているコビーでさえぞっとする声色。加えて挙動も素早く、手拭いを巻いたままのゾロの目つきも恐ろしくて、緊張感が嫌が応でも高まっていった。人質にされたコビーとヘルメッポは心底震え上がる。

 

 「えええぇっ!? ちょ、ちょっとキリさんっ!」

 「静かに。大丈夫、本当に斬ったりしないよ」

 

 囁き声でキリが言った。不安がるコビーを安心させようとしたのかもしれない。しかし状況が状況で、緊張感が全身を包み込むため、恐怖心からヘルメッポは顔をひきつらせる。

 多くを語れる状況ではない。彼らも切羽詰まっていたのだ。

 ヘルメッポはげんなりした様子で、ひどく怯えながらも文句を口にする。

 

 「し、信用できるんだろうなぁ……」

 「黙ってろ。本当に斬っちまわないようにな」

 「ヘルメッポさん、信じよう。こ、こんなことになるとは思ってなかったけど」

 

 ヘルメッポが不安を口にしてもゾロが窘める。

 仕方なくコビーが同意を口にして、二人は黙り込む。

 キリの鋭い視線はガープを捉えて離さず、微塵も刀身を動かさずに話し始めた。

 

 「それ以上やる気ならこっちも容赦はしない。二人を殺されたくなければ一歩も動くな。何もするな。そこに突っ立ってボクらを見逃せ」

 「フン、よく頭が回るな小僧め。話は聞いとるぞ。おまえたちは友人じゃと」

 「だから殺せないって?」

 「ただの脅しならやめておけ。罪を重くするだけじゃ」

 「だったらこっちに来ればいいよ」

 

 ガープの眉間に深い皺が刻まれる。

 対照的にキリの顔には笑みがない。冷たい眼差しで、声色には感情が無く、言葉にできない危険性を感じる。最初に対峙した時とはまるで別人のようだった。

 

 メリー号が徐々に離れていく中、空気が重くなっていく。

 間近でその声を聞くコビーは冷や汗を掻かずにはいられなかった。

 信用している。しかし恐怖心は一気に膨れ上がって、もしかしたらという思考が捨てきれない。ヘルメッポも同じなようで、口からは小さな悲鳴が漏れ出ていた。

 

 沈黙がひどく痛々しい。

 数秒の間を置き、もはや耐え切れない空気となったそこへ、キリが口の端を上げながら言った。

 

 「ガキだからって理由ならそれでいい。甘く見てればいいさ。ただ、今ならもう殺せるよ」

 

 ぞっとする声だった。

 若者ながらガープをも戦慄させ、並々ならぬ気迫を感じさせる。

 

 ガープ、そしてボガード、両者共にキリの姿を認め、絶句せざるを得なかった。

 覇王の器を感じさせる。

 いまだ未完にして、大成の気配が見て取れる威容。確かな逸材を発見した。ただそれだけに残念に思う。それが彼らの敵であり、海賊になってしまうだなんて。

 

 二人は動くことをやめた。

 彼なら本当にやる。コビーを殺せる。

 そう思ったが故の何もしないという行動を取った。

 

 「わかった。じゃがどうする。どちらも動けぬというなら、決着はつかんぞ」

 「いいや。つくよ」

 「どうやって?」

 「あなたの孫が良い腕してるからね」

 

 ようやくキリがふわりと力を抜いて微笑んだ。

 その時、離れていくメリー号からルフィの両腕が伸ばされ、キリとゾロの首根っこを掴む。二人とも抵抗もしなければ驚きもしない。当然の物として受け止め、体から力を抜いた。勢いよく体が引っ張られて、両者とも人質の体から手を離さずに、四人でメリー号へ向かう。

 

 ガープとボガードは身じろぎして驚愕した。

 これを待つための脅しだったのだ。

 もはや止める暇もない。勢いよく縮むゴムの腕で、彼らはあっという間に遠ざかる。

 

 手を伸ばしても彼らには届かず。

 キリとゾロ、そして連れ去られたコビーとヘルメッポは、無事に甲板へと投げ出された。

 あまりに鮮やかな逃亡。打ち合わせなど一切していなかったが、それぞれが役割を理解し、言葉もなく実行へ移った。そして成功したのである。

 その直後にルフィがメインマストの上へと立ち、遠ざかる砂浜へと大声を発した。

 

 「じいちゃん!」

 「ルフィ~っ! 待たんか、こっちへ戻って来い!」

 「いやだ! おれはもう海賊になったんだ! 海兵にはならねぇ!」

 「何をっ。わしの気持ちも知らんと勝手なことばかり……!」

 「おれはやりたいように生きるって決めたんだ! 人生に悔いは残さねぇ! だからじいちゃんの言うことなんて聞けねぇよ!」

 「貴様、じいちゃんに向かってその言葉遣いはなんじゃあっ!」

 

 ガープがボガードへ手を伸ばす。すると即座に最後のヤシの実を手渡された。

 振りかぶって投げる構えが見せられる。

 咄嗟にルフィはメインマストから飛び降り、船の後部へと走った。

 

 「おれは海賊王になる!」

 「おまえは海兵になるんじゃあ!」

 

 ヤシの実が投げられ、凄まじい速度で飛来した。

 それをしっかり見切ってルフィが跳び、一気に腹の中へ空気を取り込む。ゴムの腹が大きく膨らんで、まるで風船のよう。飛んできたヤシの実を受け止めて勢いそのままに跳ね返す。凄まじい速度を保ったまま、ヤシの実はガープへと向かっていった。

 瞬時にボガードが前へ出てヤシの実を切り捨てる。

 二つに分けられたそれらは木々を薙ぎ倒しながら後方へ飛んでいき、ただのヤシの実とは思えない轟音を立てて地面を削りながら、すぐに見えなくなる。

 一連の動きも気にせずに、ガープは遠ざかる船を見つめていた。

 

 「何度来たっておんなじだぞ! おれは海賊やめる気なんてねぇからなァ!」

 「くぅ、おのれ……!」

 

 ルフィの叫びを残して船は沖へ進む。すでに人が泳いで到達できる地点ではない。追うためには船が必要だが、この場にはないため、今すぐ追いかけるのは不可能。

 ガープとボガードは、もはや遠ざかる船を見つめるのみであった。

 

 甲板の上ではキリとゾロがへたり込んでいる。

 キリは脚を投げ出して座って、ゾロは大の字に寝転んでいた。

 まだ平静が取り戻せない。

 圧倒的な強者を前に逃げ出せたこと自体が奇跡。疲労は今までの戦闘の比ではなかった。特に精神への負担が大きく、緊張感から解放された今は微塵も動きたくない心地だ。

 

 「ふぅ……なんとかなったか」

 「ハァ、もうあいつの身内とやるのは御免だぞ」

 「二人とも大丈夫?」

 「おまえらよく無事だったな。あ、あれがゲンコツのガープか……」

 

 シルクとウソップが駆け寄ってきて二人を介抱する。

 ゾロは一撃とはいえ無視できないダメージを負っており、キリは無傷のようだが汗を掻き、普段の様子とはあまりに違う。どちらも初めて見る表情であった。

 

 船上は島を離れるに従って落ち着きを取り戻そうとしている。

 しかし以前との明らかな違いは、人質として連れてこられた二人組だった。

 放置されたままで放心しているコビーとヘルメッポもまた、緊張感から逃れることができておらず、鼓動が速くなったままで呼吸を落ち着けようと努力していた。

 

 「び、びっくりした……あんな逃げ方するなら、先に言っておいてくださいよ」

 「脅してごめんね二人とも。ああでもしなきゃ見逃してもらえなかっただろうしさ。でも本気で殺す気はなかったよ、ほんとに」

 「は、はぁ……」

 「あんな声で言われても信用できねぇよ。それより、なんでおれたちまでこの船乗せられてんだ!? 人質はもういらなかったはずだろ!」

 「いやぁ、勢いで」

 「手ぇ離すの忘れてた」

 「ふざけんなよおまえら!」

 

 ヘルメッポが吠えるも、キリとゾロは緩んだ笑みでさらりと受け流してしまう。すっかり緊張の糸が切れていつも通りだ。だがヘルメッポたちはそうもいかない。誘拐されて人質にされて、この状況を喜ぶことなどできないだろう。たとえ友人が相手でも、彼らはすでに海兵なのだから。

 後部からルフィが戻ってきて、ちょうど二人の姿も見つける。

 ガープの傍を離れた今、彼の笑顔もいつも通りに戻った。

 

 「お? コビーたちも来たのか? なんだ、実はおれたちの仲間になりたかったんだろ」

 「ち、違いますよ! ぼくらは人質として無理やり連れてこられただけです!」

 「島に引き返せ! 今なら間に合うだろ!」

 「えぇっ!? ふざけんな! そしたらじいちゃんにぶん殴られる!」

 「おれたちだってクビがかかってんだよっ! 罰せられたらどうしてくれる!」

 

 ぎゃーぎゃーと言い合いを始めてしまうヘルメッポとルフィだが、それもそっちのけにキリは肩をすくめ、傍らに居るコビーへ目を向けた。

 目の色が違ってさっきとはまるで別人。

 コビーが知る彼がそこに居て、それだけで不思議と安堵できた。

 

 「まぁいいじゃないか。しばらく人質生活楽しんでいきなよ」

 「そう言われましても、ぼくらついこの間失態をしたばかりですし……」

 「ルフィのおじいさんならそう悪くはしないって。多分」

 「そんな適当な」

 「訓練もいいけどこれも経験だよ。心配しなくても次の島では降ろすから、そこで電伝虫使って仲間を呼んでくれるかな。それがボクらにできる最大限の譲歩」

 「この船の電伝虫は、無理ですよね」

 「うん、無理。通信が傍受されると見つかるから」

 

 両手でバツ印を作るキリを見て、思わずコビーが溜息をつく。

 いつも通りで安堵したが困る必要があったかもしれない。

 良くも悪くも海賊で、そう簡単に逃がしてくれるはずもなかった。

 

 メリー号は静かに島から離れていく。海軍に追いつかれぬよう、迅速な動きだった。

 


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