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――――クロウが気持ち良さそうな顔で眠り始めている間に、少しばかり時を巻き戻してみよう。
それは少年少女達が《レーベの村》に辿り着いた、丁度その頃。
《アリアハン》のとある家庭において、こんな会話が行われていた。
「おや? クロウはもう食事を終えたのかい?」
夕食の用意が出来ましたと息子嫁に呼ばれ二階から降りてきた老人は、しかしいつもならばそこにあるはずの仏頂面が無いことに気付く。
四人掛けのテーブルの上に用意されている食事は、二人分。
そしてそれらは、自分と息子嫁の座る席の前に並べられている。
三人目――現在この家で暮らしている、老人の孫である少年の席の前には何も置かれていない。
「それとも、まだ外から戻っておらんのかの?」
少しばかり言葉遣いは悪いが、ああ見えてクロウは律儀な性格である。食事も三人が揃うまでジッと待つし、老人の体調が悪いときは食事を二階まで運んできてくれる。
赤の他人に対してはさすがにそっけないものの、それが顔馴染みであればブツクサ言いながら失せ物探しを手伝ったり、近くの奥様方の話に付き合ったりと、非常に面倒見が良い一面がある。
そんな彼が一人で食事を終えてさっさと自室に引き上げた事など、これまで一度もなかった。
故に、また外で誰かに捕まっているのじゃろうか? と考えていた義父親に、
「いえ。お義父様、クロウなら旅に出ましたよ」
義娘はシレッとした様子でそう告げた。
老人は予想外の返答に、危うく手にしたコップの水をこぼしそうになる。
「なんじゃと? 旅? しかし……」
「……ええ。あの子はまだ十五歳です。本来なら明日――十六歳の誕生日を迎えてから王様の所へご挨拶に行かせてから、と思ってたのですが」
仕方のない子ね、とコップに口付ける。
老人もそれにフムンと同意を示し、落ち着きを取り戻した手で今度こそ水を飲んだ。
フゥと一息ついて、入口の戸へ視線を遣る。
「これも息子の――オルテガの血かのぅ。そんなに待ちきれなかったのか」
「あら、お義父様はすばしっこいから機会を窺ってはしょっちゅう家を抜け出していたと聞きましたが?」
「それはお前さんもじゃ。お転婆で困りますと、そちらのご両親が言っておったぞ?」
「あらあら、ウフフ」
「ホッホッホ」
昔を思い出し、
「あの子、コッソリと旅立ちの準備はしていましたから。バレバレなのに」
「そうじゃのう。ワシもヘソクリを足しといたわい。いつ気が付くかのぅ」
だからこそ、二人には少年の旅立ちを咎めるつもりはない。
「王様には明日、盛大な見送りを恥ずかしがって旅に出たと伝えておきますわ」
「いや……抜け目のない王のことじゃ。とっくに気付いておることじゃて。クロウが抜け出しやすいよう、町門の見張りの場所をずらすとかな」
「あり得ますわね」
パンと少し冷たくなった肉のスープ、それとサラダだけの簡素な食事を摂りながら、老人は小さく首肯した。
「ウム。……しかし、優しい子じゃな。準備は少し前には出来ていただろうに、ギリギリまで出発を見送っておったのかの?」
「たぶん、最近はお城からよく兵士の方が来ていたからかもしれません」
彼女の言葉に、んん? と首を傾げた老人。しかしその口からはすぐに、「おお」という言葉が漏れた。
「そういえば、船の件じゃったか?」
「ええ。この地から旅立つ者は東の
《ランシール》とはアリアハンの東に位置する大陸にある街の名前だ。大きな神殿があり、そこでは望む者に試練を与えるという。
これで必要なくなりましたわね、と千切ったパンをスープに浸して、食べる。
「もしかすると、クロウはその話をどこかで知ったのかもしれませんね。それで確信を得たからこそ、一人の冒険者として、借りを作りたくないがために今日の出発となったのでしょう」
「なんとまぁ、不器用な子じゃの。もっと上手く立ち回れば、普段も余り苦労しなくてすむじゃろうに」
スープのお代わりをよそってもらいながら、老人は孫が進もうとする道を思って一人ごちる。
『楽が出来るところを嫌がって困難を選ぶ。それもまた、“勇者“の素質やもしれん』
そして、ふと気になったことを口にした。
「それにしても、クロウは一人で旅立ったのかの」
「いえ、おそらくは――」
※ ※ ※
――――さらに時間は遡って、お昼頃。
昼食を終えたクロウが家を出て行ってすぐのこと。
「あのー、すみません」
「はい?」
義父が部屋に戻り、夕食用の買い出しに出かけた彼女を呼び止める声。
そちらを見れば、淡緑色のフード付きローブを着た人物が立っていた。
背はクロウより少し低いくらい。スッポリと覆い隠されているので顔はよく分からないが、声の感じと雰囲気から歳も息子と余り変わらないくらいの少女だろう。
見た目はとても怪しいのにそう思わせないのは、やはり少女の明るい雰囲気がそんな印象を払拭しているのかもしれない。
「なにかしら?」
「『ルイーダの酒場』ってどこにありますか?」
道に迷っちゃって、と困ったように笑う少女からはやはり怪しいモノは感じられなかった。
『ルイーダの酒場』は国家が運営する、冒険者の支援互助組織だ。世界各国に設置されており、それぞれの店舗には『ルイーダ』の名を冠する主人がいる。
冒険者の多くが利用する酒場ではあるが、他に冒険者の登録や仕事の斡旋なんかも行われている。
「あなた冒険者?」
「いいえー、まだです。なるために、ここまで来ました。ここの『ルイーダの酒場』が初心者に一番親切だって、し……噂で聞いたもので」
「そう」
少女がどこから来たのかは気になったが、顔を隠していることから何かやんごとなき事情があるのかもしれない。
そう結論を出し、深くは訊ねないことにした。
「《ルイーダの酒場》ならこの小路を抜けて、真っ直ぐ進んだ先にある建物がそうよ」
「ありがとうございます。さっそく行ってみます」
「ちょっと待って」
善は急げとばかりに、すぐに駆け出そうとした少女へ待ったをかける。
おかげで勢い余って、バランスを崩した少女はワタワタと手足を振り回すことになった。
やがて「フンヌッ!」という少女らしからぬ声を上げ、何とかその場で踏み止まる。
「なんでしょー?」
「タイミングが悪くてごめんなさいね。あなた、もしかして一人なの?」
一人ダンスをさせてしまったことを詫びながら、女の子の一人旅は危ないわよと暗に含んで訊ねる。
しかし少女は、大丈夫ですよーとパタパタ手を振って答えた。
「あと二人、頼りになる仲間がいますから!」
「そう……」
「ご忠告ありがとうございますー。それに冒険者としては初心者でも、わたし達は強いので!」
グッとサムズアップする姿からはとてもそうは思えなかったが、それならこれ以上引き止めるのも悪いわね、と控えることにする。
幸い、この街の『ルイーダの店』の評判は良い。注意事項なんかも、馴れているそちらへ任せた方が良いだろう。
「もしあなたが、どこかでクロウっていう男の子に会ったらよろしく伝えてもらえないかしら?」
「クロウ……えっとお子さんですか?」
「そう。あの子も冒険者になりたいらしくて、今日明日にも出る気満々なのよ。まだ、その辺をウロウロしてるかもしれないわね」
「おおーっ! 冒険者は四人パーティを組むそうなので、ちょうどいいです!」
「服装はこんな感じで、言葉遣いがちょっと悪いけどって、あら?」
見れば、既に少女は走り去っていた。
その背中が「急がないと仲間は早い者勝ちーっ!」と叫んでいるが、
「困った子ね。酒場とは違う方向だわ」
結局、街中をグルグル走り回った少女――ドーターが、探していた少年から逆に声をかけられることになるのだから世の中分からないものである。
「なんとも、思い込んだら一直線な子じゃのぉ」
「クロウと足して割ったらいいくらいかもしれませんね」
母と祖母がそう呑気に会話していることなど知るよしもなく……色々と巡り合わせの悪い少年の夜が明けた。
※ 世の中、こんなはずじゃなかった――を地で進む少年でした。