バカと私と召喚獣   作:勇忌煉

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 ~水瀬楓の日常の巻~

 AM4:00
  起床(ときどき徹夜)

 AM4:15
  ランニング

 AM4:30
  素振り&投げ込み

 AM5:00
  鍛錬

 AM6:00
  シャワー&朝食

 AM6:50
  明久宅訪問

 AM7:00
  明久を起床させる

 AM7:20
  明久に朝食を食わせる

 AM8:00
  登校





閑話3.5
私と翔子と無駄な勝負


 

 

 ――友達になりたい。

 

 

 

 彼女はそう思った。両目が前髪で隠れた、一人の少女を見て。

 自分と同じ黒の長髪をポニーテールに纏め、周りの目を気にせず本を黙読する一人の女子生徒。

 その少女が読んでいる本だが、前に見たそれは間違っても普通の高校生が読める内容じゃなかったのを覚えている。初めて見たときは自分も内容を理解するのに時間を要したほどだ。

 そして別のクラスにいる幼馴染み同様、あまり良くない噂で有名になっている。何でも中学時代は名の馳せた不良少女だったとか。

 

 

 

 ――でも、関係ない。

 

 

 

 友達になりたいという、この気持ちは本物だ。周りの声や視線を気にする必要はない。

 

 だから踏み出そう――

 

 

「……あの……」

 

 

 ――友達になるための、第一歩を。

 

 

 

 

 

 

「暇ね……」

 

 この文月学園に入学してからしばらく経ったある日。私はいつものように難しい内容の本を読みながら、そんなことを呟いていた。

 入学当初は幼馴染みのアキ君こと吉井明久のおかげ――もとい彼のせいでろくなことがなかったが、最近はそういうこともなく、こうして落ち着いた学園生活を送れている。

 私の周りでは真面目な生徒が自主勉を、今をエンジョイしたそうな面をしている生徒がグループを作って雑談を、オタク生徒がエンジョイ派同様、グループでオタク談義を繰り広げている。

 

「まぁ、今は休み時間だしね」

 

 休み時間は自由時間とほぼ同義だからね。大体の自由は許されるはずだ。

 っと、そんなことより早くこの本を読んでしまおう。早く次の本を読みたいしね。

 

「……水瀬」

 

 いきなり聞こえてくる、弱々しい声。声色から声の主は女性で間違いない。というか、入学初日からずっと聞いてきた声だ。

 

「………………」

 

 だけど今は読書が優先だ。彼女には悪いけど、敢えてシカトさせてもらうわ。

 

「……水瀬」

「………………」

 

 それでもなお、声の主は話しかけてくる。仕方がない、こうなったら根比べだ。向こうが諦めるまでシカトしてやる。

 

「……水瀬」

「………………」

「……水瀬」

「………………」

「……水瀬」

「………………」

「……前髪、ズレてる」

「んっ!?」

 

 本なんか読んでる場合じゃなかった。

 

「どこ? どの辺りがズレてるの?」

 

 すぐさま前髪を押さえ、読んでいた本を机に立てて、周囲を警戒しながら前髪を整える。どこだ、どこがズレているんだ!?

 どこがおかしくなっているのか、これっぽっちもわからない前髪を丁寧に整え直したところで、声の主が一言呟いた。

 

「……嘘」

「は?」

「……水瀬が無視するから、嘘をついた」

 

 嘘にも限度がある。

 

「はぁ……今日は何の用? 霧島さん」

 

 一旦本に栞を挟んで閉じ、声の主――霧島翔子さんを軽く睨みつける。

 日本人形のような外見だが、これでもれっきとした美少女だ。勉強や運動を始め、あらゆる方面で優れている才色兼備の人間。

 しかも中学時代にやんちゃしたせいで、この学園内でも良くないことで噂になっている私とは違い、霧島さんは男女問わず人気が高い。

 

「……水瀬とお話ししたい」

 

 まぁ……何が言いたいかと言うと、優等生の彼女が不良生徒と扱われている私に構う理由はない。それなのに、どうして彼女はめげることなく私に話しかけてくるのだろうか?

 

「わかったわよ――ごきげんよう霧島さん。はい終了」

 

 彼女の希望に応え、読書を再開する。無駄な会話に時間を費やすより、読みたかった本に時間を費やした方がマシである。

 

「……水瀬とお話ししたい」

 

 今の挨拶をなかったことにしやがった。どうやらかなりのスルースキルをお持ちのようだ。

 やむを得ずもう一度本に栞を挟んで閉じ、霧島さんを睨みつける。今ので諦めてくれたら私としても楽だったんだけどなぁ……。

 

「しつこいわね。私と話す暇があるなら勉強でもしたら?」

 

 今度はいつものように無気力な感じではなく、少し刺々しい感じで霧島さんを牽制する。これならさすがの彼女も諦めるでしょ。

 そう思ったところで、諦めの悪い霧島さんは私の予想を軽々と飛び越えてきた。

 

「……水瀬は数学を頑張った方がいい」

「あー! 聞こえない聞こえない!」

 

 数学という不吉なワードを出され、思わず両耳を塞ぐ。誰がやるかそんな鬼畜教科。

 このあと担任の先生がやってきたことで、霧島さんとの無駄な会話は終焉を迎えたのだった。全く、いつまで続くのよこれ。

 

 

 

 

 

 

「……水瀬」

 

 翌朝。アキ君を置き去りにして教室に入るや否や、いきなり霧島さんに絡まれた。しかも待ち伏せしていたかのようにテンポよく。

 いつもみたく読書中に話しかけられるよりもウザく感じたので、苛立ちで舌打ちしたい気持ちを抑えながら彼女をシカトする。

 

『霧島さん、また話しかけてるよ』

『ていうか、水瀬さんも嫌なら嫌って言えばいいのに』

『そろそろキレるんじゃないか? 水瀬の奴』

『ホントにめげないよな、霧島さん』

 

 それと同時に、クラスメイトのヒソヒソ話が聞こえてくる。

 コソコソとしているのが気に入らないが、確かに彼らの言う通りかもしれない。そろそろちゃんと拒絶してみた方が良いかもね。

 

「……無視、しないで」

 

 でも今は無視だ。周りの視線がこっちに集中している以上、迂闊な発言はできない。

 なるべく静かに席につき、昨日霧島さんのせいで読み終えられなかった本を読み始める。先生が来るまでには読み終えてやる。

 文字を一文字ずつ丁寧に黙読し、ペラペラとページを捲っていき、最後のページを開いたところで再び霧島さんの声が聞こえてきた。

 

「……水瀬」

 

 無視だ無視。昨日は洒落にならない嘘に引っ掛かったせいで先に折れてしまったが、今日はそう簡単にいかないわよ。

 

「……水瀬」

「………………」

「……水瀬」

「………………」

「……このあと、体育」

「えっ」

 

 思わず顔を上げてしまい、黒板の上にある時計を確認して本を閉じる。

 どうやら私が読書に没頭している間に朝のHRが終わっていたようで、静かになった教室には私と霧島さんだけが残っていた。

 

「……このあと、体育」

「いやもういいから」

 

 まだ私が無視していると思ったのか、何事もなかったかのように同じことを呟く霧島さん。

 

「忠告どうも、霧島さん」

 

 とりあえず体操服の入った袋を持ち、そそくさと教室を出る。行く先は小学校や中学校にはプール専用のそれしかなかった、女子専用の更衣室だ。もちろん男子専用の更衣室もある。

 時間的にもう準備体操が始まってそうだが、今から急げば少しは間に合うだろう。

 

「……もう手遅れ」

 

 それは言わない約束である。

 

 

 

 

 

 

「……本当に間に合った」

 

 言うまでもなく遅刻したことで担当の大島先生に叱られたものの、何とか授業には参加させてもらえることになった。

 ホッとする私の隣で、信じられないと言わんばかりに呟く霧島さん。まぁこの子、本当に間に合うとは思ってなかったもんなぁ。

 ちなみに今日の体育の授業だが、内容は半日も使う必要のある体力テストだ。

 

「……負けない」

「どうして対抗心を燃やしてるの君は」

 

 大島先生のありがたくもクソ長い説明が終わるや否や、いきなり霧島さんに宣戦布告された。どうやら私に勝つつもりでいるらしい。

 そして肝心のテスト内容だけど……握力、上体起こし、長座体前屈、反復横とび、50m走、20mシャトルラン、立ち幅跳び、ハンドボール投げの八種類か。めんどくさいわね。

 

「まずはハンドボール投げから始める。男子と女子に分かれてくれ」

 

 どうやら最初はボール投げのようだ。先生に言われた通りにしますか。

 出席順に並び、体育座りで待機する。ちなみに男子の方はもう一足先に始まっているようだが……特に大きな記録は出ていないようね。

 せっかくなので女子の方には目もくれず、男子の方を見続けていると、先に測り終えた霧島さんがすれ違う際に一言呟いた。

 

「……25m」

 

 数字……おそらくハンドボール投げで出した記録だろう。女子にしては凄い数字ね。女子高校生の平均は基本的に14mだ。その記録を、霧島さんは大きく上回っていることになる。

 ……正直乗り気じゃなかったけど、やってあげましょう。向こうは本気のようだし。

 

「次、水瀬さん!」

 

 もう一人の体育教師であろう女教師に呼ばれ、ゆっくりと立ち上がる。当然だけど、準備運動しかしていないから肩はそこまで温まっていない。まぁ、二球だけだし大丈夫でしょ。

 2mの円の中に入り、そこに置いてあるボールを取る。硬球どころか、ソフトボールよりも大きいなこれ……ちょっと掴み辛い。

 まぁ助走はいらないわね。狭いし。だけどアキ君なら欲張って助走を付けて円の外に出て記録なし、ってなりそうだけど。

 女子全員の視線が向けられる中、野球の時みたく大きく振りかぶって、

 

 

「吹っっ飛べぇぇぇ――!!」

 

 

 加減など考えずに、叫びながら思いっきりボールをぶん投げた。

 ちなみに柄にもなく大声を出したのは、少しでも記録を伸ばすためだ。

 人間は行動の際に大声を出すことで、瞬間的に筋力を上げることができる。いわゆるシャウト効果だ。簡単な例を挙げると、ハンマー投げや砲丸投げの選手が良いところか。

 彼らは投擲の際、つまり投げる瞬間によく大声を出している。理由は今説明したように、そうすることでシャウト効果による筋力向上を狙えるからだ。人体って凄いわ。

 

 そんな気合いの入った私が投げたボールだが、普通の女子じゃまずあり得ない距離まで到達し、二、三回バウンドして動きを止めた。

 

 

「水瀬楓――55m」

 

 

 私でもわかる、驚異の数字。当然の如く、周囲はざわつき始めた。

 

『ご、55……!?』

『霧島さんの倍以上かよ』

『ていうか、アイツ女子だよな?』

『うん、一応そのはずだぞ……』

『同じ女の子とは思えないよ……』

 

 残念ながら女です。

 

「というわけで、私の勝ちだよ」

「……次は負けない」

 

 体育座りで待機していた霧島さんの下へ行き、わざわざ口頭で報告する。

 これで彼女の闘争心が折れてくれると良かったんだけど、何の意地か霧島さんはより好戦的な目付きになった。なんだ? 一体何がこの子をここまで奮い立たせているんだ?

 

 

 まぁ何はともあれ、こうして私と霧島さんの無駄な勝負が始まった。

 

 

 

 

 ~ 上体起こし ~

 

「霧島翔子、30回」

『おぉっ!』

『凄いわ霧島さん!』

「水瀬楓、50回」

『50!?』

『こっちもすげぇ!』

『水瀬さん、何かスポーツでもしてたのかな?』

「ふぅ、ちょっとやり過ぎたかな?」

「……まだ六競技ある」

「えぇ……」

 

 

 

 ~ 長座体前屈 ~

 

「水瀬楓、60cm」

「む、無理っ! 胸が苦し過ぎる……!」

『胸が苦しいって……』

『そういえば結構あるもんな……』

「霧島翔子、55cm」

『おい、これ良い勝負じゃないか?』

『だな。もう一回あるし、次で霧島さんが逆転したりしてな』

「生まれて初めて、胸が大きいことを恨んだわ……」

「……私も」

 

 

 

 ~ 立ち幅跳び ~

 

「水瀬楓、260cm」

『ホントに女子かよアイツ……!』

『私、自信なくなってきたかも……』

「霧島翔子、210cm」

『いよいよあの二人の独壇場か?』

『どっちも男子が出した記録だって言われても違和感ないぞ……』

「……まだ、半分……!」

「諦めよう? 悪いこと言わないから諦めよう?」

「……だから、諦めない……!」

「いやそこは諦めよう!? どう考えても不毛だから!」

 

 

 

 

「ホント何なのこれ……」

 

 次の競技である反復横跳びが行われる場所へ向かう途中、私は思わず愚痴をこぼしていた。

 だってそうでしょう? ここ最近、私は何もしていないんだよ? もちろん、霧島さんに目をつけられるようなこともだ。

 なのにどうしてこのタイミングで宣戦布告してきたのか、全くわからない。

 自分で言うのもアレだけど、私は今回のテストで彼女に負ける気がしない。いや、女子どころか下手な男子にだって負けないさ。

 

「……あのさ霧島さん」

「……何?」

 

 だからこそ、霧島さんの目的がわからない。なので直接本人から聞き出そうと、ちょうど隣にいた霧島さんに話しかける。

 

 

「――何が目的なの?」

 

 

 時間もあまりないし、前置はなしだ。彼女の目的だけ聞き出してやる。

 霧島さんは一瞬だけ動きを止めたが、すぐに止めた足を動かして口を開く。

 

「……私は、水瀬とお話しがしたい」

 

 はっ?

 

「はっ?」

 

 心の声がそのまま出てしまったが、私は絶対に悪くない。どうしてお話するのに体力テストで競わなきゃならないのさ?

 いくら何でもやり方が回りくどいわ。普通にそう言えば良いじゃないか。

 

「……それだけ?」

「……うん。今はそれだけ」

 

 マジかよコイツ。そんなことのためにわざわざ勝負を仕掛けてきたのか?

 

「チッ……あぁ、そう……!」

 

 さすがに苛立ちを隠せず、舌打ちしながら早歩きする。さっさと次の競技も終わらしてしまおう。堪忍袋の緒が切れる前に。

 

 

 

 

 ~ 反復横跳び ~

 

「霧島翔子、62回」

「水瀬楓、85回」

『まだやってるのか、あの二人』

『よくやるわね~』

『水瀬さんはともかく、霧島さんがムキになるなんて珍しいね』

『水瀬の奴、また何かやらかしたのか?』

 

 

 

 ~ 50m走 ~

 

「霧島翔子、7秒。水瀬楓、5.5秒」

『さすがに速すぎない!?』

『やっぱり水瀬さん、何かスポーツしてたんだよ!』

『体力テストが終わったら勧誘しよう!』

「もう勘弁して……」

「……??」

 

 

 

 ~ 握力 ~

 

「水瀬楓、60kg」

『これもかよ……』

『明らかに女子の握力じゃないだろ……』

『計器の故障か?』

「霧島翔子、40kg」

『ううん、計器は至って正常だよ』

「これで七競技目かぁ~……」

「……次で、最後……」

 

 

 

 

「今度から握力も鍛えるか……」

 

 次は最終競技の20mシャトルラン。それで全てが終わる。霧島さんからは解放されるものの、おそらく運動部からの執拗な勧誘が待っているだろう。絶対に逃げなければ。

 それにしても、握力が思ったよりも低かったのには驚いたなぁ。昔は街の野球チームで投手をやっていたもんだから、最低でも65はあると思ったのに……認識が甘かったわね。

 

「それにしても、室内と室外を行ったり来たりするのはめんどくさいわね」

 

 この体力テストは小中学校のもの同様、半分がグラウンド、もう半分が体育館で行われている。そのため、わざわざグラウンドと体育館を往復しなければならないのだ。

 シャトルランのスタートラインに着いたところで、またしても隣にいる霧島さんをチラッと見る。さっき私が少しキレたせいか、あれ以降はさすがの彼女も話しかけてこなくなった。

 

 さて、今から行われる20mシャトルランだが、名前の通り20m間隔で平行に引かれた2本の線の一方に立ち、合図音に合わせて他方の線に向かって走り出し、足でその線を越えるかタッチする。そして次の合図音で反対方向へ向けて走り出し、スタートの線を越えるかタッチする。合図音に合わせてこの走行を繰り返す。しかも合図音は開始当初こそ折り返し時間の間隔が長いものの、約1分ごとに短くなっていくのだ。

 つまりこの競技ではスタミナ――持久力が試される。なのでペースを考えて走る必要がある。なお、この競技は時間が掛かるため多くの生徒を一列に並べて一斉に計測を始める。

 ちなみに高校一年生女子の平均は44回で、私の中学三年生の時の記録は110回。今回はこれを更新するつもりで挑もうと思う。

 

「よーい、始め!」

 

 まるで格闘技の試合のような掛け声と共に合図音が鳴り、私達は一斉にスタートを切る。

 最初の方は誰もが余裕の表情で走っていたが、回数が上がっていくにつれ、運動をしていないであろう連中から次々と脱落し始めた。

 とはいえ、こればかりは仕方がない。運動部以外はただでさえ持久力がないのに、合図音も約1分ごとに間隔が短くなっていくからね。

 まぁそんな感じで脱落者は増えていき、70回を超える頃には運動部連中と私と霧島さんだけが残っていた。それ以外は全員脱落である。

 

「よくやるわねぇ……」

 

 誰よりも早く次の線に到達したところで一息つき、運動部に交ざって徐々に息を切らしつつある霧島さんを見てそう呟く。

 どうしてこう、勝ち目のない勝負で意地を張るのだろうか。別に見下すわけじゃないが、素直に諦めたら良いと思う。もしも私が同じ立場だったら多分そうする。無謀と勇気は違うって言うし。

 

「……まっ、どうでもいっか」

 

 別に彼女が力尽きようと、私の知ったことじゃない。私はやることをやるだけだ。

 

 

 

 

 

 

「まぁ、こんなもんよね……」

 

 放課後。体力テストの全てが終わり、制服に着替えた私は帰宅の準備が整ったところで、今回の記録が書かれている用紙に目をやる。

 

 

・ハンドボール投げ 55m

・上体起こし 50回

・長座体前屈 60cm

・立ち幅跳び 260cm

・反復横跳び 85回

・握力 60kg

・20mシャトルラン 140回

 

 

 最後に行われた20mシャトルランだが、去年よりもやや大幅に記録を更新できた。でもどうせなら150回まで行きたかったなぁ……。ちなみに霧島さんの記録は89回だ。

 用紙を折り畳んでポケットに入れ、鞄を持ち教室を後にする。結構のんびりしていたこともあり、教室に残っていた生徒は私だけだ。

 

「……水瀬」

 

 前言撤回。もう一人いた。

 

「どうかした? 今回の結果に不満でもあるの?」

「……それはもういい」

 

 体力テストが始まった頃に出した私のやる気を返せコノヤロー。

 

「じゃあ何? 私はこれでも暇じゃないんだけど」

 

 家に帰る途中で買い出しを済まさなきゃならないし、帰ったら帰ったでバカな幼馴染みの分まで晩飯を作らなければならない。

 要はアキ君のせいで自分の時間がないのだ。いや、全部が全部彼のせいってわけでもないが、それでもアキ君のせいで時間がないのだ。

 

「……水瀬と一緒に帰りたい」

 

 物凄い提案が出された。

 

「悪いけど却下。今日は先客がいるし」

 

 そう、バカ馴染みという名の先客が。

 

「……じゃあ、一緒に登校したい。明日、待ってる」

 

 今回はもうめげない分の気力がないのか、霧島さんはそう言うと帰ってしまった。

 これは珍しい。いつもなら四六時中は話しかけてくる霧島さんが、今回は一回の誘いで諦めたのだ。さすがの私もビックリである。

 

「……帰るか」

 

 早くしないとアキ君が飢え死にしてしまう。

 

 

 

 

 

 

「どう? 生き返った?」

「おかげさまで……」

 

 その日の夜。私は今年から一人暮らしを始めたアキ君の住むマンションを訪れ、お腹を鳴らしまくっていた彼にカツ丼を振舞っていた。

 ちなみに私も今年から一人暮らしだ。あの地獄の実家から逃げ出せたと思うと、喜びが心の底から湧き水のように溢れ出してくる。

 

「いや~本当に助かったよ。欲しかったゲームが思ったよりも高くてさ、一瞬買うのを迷ったんだけど……」

「誘惑には勝てなかったと?」

「うん」

 

 物凄くキリッとした表情で頷くアキ君だが、私からすればバカの極みでしかない。

 彼は母親から相応の仕送りをもらっているのだが、今回のように無駄なことに使ってしまうせいで、まともな飯にありつけないことが多いのだ。

 ……酷いときは水と塩だけで過ごしていたこともあったね。コップ一杯分の水に一匙分の塩を入れ、それを掻き混ぜてから飲む。あの時の彼はひたすらそれを繰り返していた気がする。

 

「そういえばさ」

「ん?」

 

 珍しく家事もせずにダラダラしているアキ君に代わって食器を洗っていると、ふと思い出したかのようにアキ君が話しかけてきた。

 

「霧島さんとはどうなってるの?」

「……別に。何かあったの?」

「実は最近、楓のことが噂になってるからさ」

「は? 噂?」

 

 噂ってなんだ。

 

「――霧島さんと楓がデキてるんじゃないかって」

「誰だその噂を流した奴は」

 

 デキてるってなんだ、デキてるって。確かに彼女はどちらかと言うと好みの方だが、今じゃ苦手意識の方が勝ってそういう風には見れなくなっている。ていうか見たくない。

 そもそも私が自分で広げたならともかく、その噂を流した奴は一体何をどう見て女同士でデキてるって判断したんだよ。

 私が噂の根源をブチのめそうと決意したところで、アキ君が再び口を開いた。

 

「まっ、これは噂だから置いておくとして……本当に霧島さんとはどうなってるの?」

「……別に、何もないわよ。まぁ強いて言うなら、一方通行の関係ね」

 

 暇さえあれば向こうが勝手に話しかけてきて、私がそれをスルーする。こんな関係だ。あの子が何を考えているのかわからない以上、どう反応してやればいいのかわからない。

 これを頭の悪いアキ君によーくわかるように説明すると、アキ君は『嘘だろコイツ』と言わんばかりの呆れ顔になった。

 

「いや、それ……あのね楓」

「何よ?」

 

 ムカつくほど間抜けな呆れ顔のまま、アキ君は小さな子供を諭すように告げる。

 

 

 

「――霧島さんは楓と友達になりたいんじゃないかな?」

 

 

 

 ある意味聞きたくなかった、可能性として一番考えたくなかったことをハッキリと言われた。それも嘘が下手なバカ馴染みに。

 

「……本気で言ってるの?」

「本気だよ」

 

 いやいや、普通に考えてあり得ないから。

 どこの漫画だよ? どこの小説だよ? どこのアニメだよ? 優等生が不良生徒と友達になりたいって、どこの創作だよ!?

 

「だって確か…………入学初日からずっと話しかけられてるんだよね? だったらそれしかないじゃないか」

「いやいや、もしかしたら私の本を読みたいから話しかけて――」

「楓」

 

 私の言葉を遮り、まるで推理を終えた探偵のような顔になるアキ君。そして、

 

 

 

「――そろそろ女子の友達を作りなよ」

「やかましいっ!」

 

 

 

 一番痛いところを突いてきた。一番痛いところを突いてきやがったコイツ。アキ君のくせに。バカのくせに。女装男子のくせに。

 

「友達ならいるわよっ! 秀吉とか!」

「秀吉は男じゃん。……ギリギリ」

 

 何がギリギリなんだ。

 

「じゃあ雄二!」

「いや、雄二も男だし」

「だったら……ムッツリーニ!」

「ムッツリーニも男だよ!」

 

 クソッ、男友達の何がダメなんだ。そもそも友達に同性も異性もないと思うんだけど。

 私の考えていることを察したのか、アキ君は呆れたような顔でため息をついた。

 

「まったく……もう一度言うけど、いい加減に同性の友達を作りなよ。男ばかりじゃむさ苦しいでしょ?」

「そのむさ苦しさが良いんでしょうが」

 

 むさ苦しいということは、見方を変えれば相手に気を遣う必要がないということ。性別に関係なく、一緒にバカをやる。それが最高だというのに、このバカ馴染みときたら……。

 

「もう一度小学生からやり直したら?」

「それなら楓も一緒にやり直さない?」

「あはは、遠慮しとくよ。私はバカじゃないし」

「大丈夫。僕もそこまでバカじゃないから」

「え? アキ君はどう見てもバカでしょ?」

「それを言うなら、楓も人の気持ちに気づけないバカでしょ?」

 

 

「「…………!!(ガンのくれ合い)」」

 

 

 どうやらこのバカとは一度決着をつける必要があるみたいね。

 

「誰がバカだこのバカエデ!」

「お前のことだこのバカ久!」

「バカ久言うなバカエデ! もう頭に来たっ! 今日という今日は絶対に許すもんか!」

「私の台詞を取るんじゃない! ていうかバカエデ言うなバカ久!」

 

 バカなアキ君のせいで話が豪快に脱線してしまい、彼と決着をつけるべくシューティングゲームで、夜が明けるまで対決したのだった。

 

 

 

 

 

 

「ふぁ~……眠い……」

 

 朝の日差しを顔に浴び、眠気であくびをしながら登校する。それにしても眠い。

 というのも、ついさっきまでアキ君とシューティングゲームをしていたせいで、夜が明けていることに気づかず一睡もできなかったのだ。

 

「…………友達になりたい、ね……」

 

 昨晩、バカ馴染みに言われたことを思い出す。『霧島さんは、私と友達になりたいのではないか』という、バカ馴染みの推測を。

 友達か……別にそれ自体が嫌というわけじゃないが、アキ君や雄二ならまだしも、霧島さんとは釣り合いそうにもないんだよね。ベタな理由かもしれないが、実際にそこで悩んでいる。

 

「……いや、違う」

 

 逃げてるだけだ。自分の時間を優先することで、彼女から逃げてるだけだ。

 諦めの悪い、めげない彼女の姿勢が健気で、眩しくて仕方がなかったんだ。拒絶だっていつでもできた。でもしなかった。できなかった。

 皮肉なことに、今ならわかる。あんな血みどろとは無縁そうな子に、私の世界に踏み込ませたくない。私の隣に立ってほしくない。あの子にはできるだけ綺麗なままでいてほしかったんだ。

 ……綺麗なまま、か。あの子を思い出すわね。私が悪事を働いた際に、まるでお母さんのように説教してくる、ユキちゃんのことを。

 

「そう言えば……」

 

 昨日、一緒に登校したいと言っていたけど、どこで合流するつもりなのだろうか。

 よく考えたら私、霧島さんがどこから登校しているのかも知らないわ。それだけ彼女をシカトし続けていたのね、私は。

 少し途方に暮れ、罪悪感を感じながらも、まだ誰もいない通学路に差し掛かったところで思わず足を止めてしまう。だって――

 

 

「……おはよう、水瀬」

 

 

 ――だって、私の考えがわかっていたかのように、霧島さんがそこにいたのだから。

 

「お……おはよう」

 

 今まで無視していた分、ちゃんと向き合ってみると非常に話しにくい。

 が、そんな不器用な私を見ても、霧島さんはいつものように口を開いた。

 

「……やっと無視しなくなった」

 

 少しだけ、微笑みながら。

 

「あの、その……」

 

 情けないことに、言葉が出てこない。だって彼女の笑顔、それぐらい眩しいんだもん。

 こ、こういうとき、何を言えばいいんだっけ? いつも通りで良いのか?

 

「……いつも通りでいい」

 

 頭を抱えて唸りそうなほど考え込んでいると、霧島さんに今まさに考えていたことをそのまま言われた。顔に出ていたのかな?

 

「そ、そう……じゃあ――」

 

 いつも通りで良いのなら、私が言うことは一つだけだ。

 

 

「――翔子、って呼んでも良い?」

 

 

 私なりに考えた、彼女に伝えたいこと。

 それでもかなり遠回しなメッセージだが、これで伝わってくれると助かる。

 

「……じゃあ、私も楓って呼ぶ」

 

 無事に伝わったようで、霧島さん――翔子も、微笑みながら同じことを言ってきた。

 何か、こういうの新鮮だ。小学生以来かも。男友達のアキ君や雄二とは違う感覚だが、これはこれで良いのかもしれない。

 これから訪れるであろう、新しい楽しみがまた増えた。翔子に微笑み返し、らしくないほどワクワクしながら、学校の敷地へ――

 

『あっ! おはよう水瀬さん!』

『いきなりで悪いんだけど、水泳部に入らない!?』

『良かったらバレー部に入りませんか!?』

『テニス部に入りましょう! 一緒に!』

『し、新体操部に入ってくれませんか……?』

 

 ――入った途端、いきなり物凄い勧誘を受けた。一体何なんだコイツらは。

 

「……昨日の体力テストのせいだと思う」

「は? 昨日?」

「……うん。楓、凄い記録をいっぱい出してたから」

「………………」

 

 開いた口が塞がらないとはこの事だ。

 

「いや、あの、ちょ」

『大丈夫! 君なら即レギュラーだから!』

『そうそう! だから入ってもらえないかな!?』

「し、翔子! 先に行っててくんない!?」

 

 ダメだこれ。悪意がない分、キリがない。これは隙を見て逃げるしかないね。

 とりあえず翔子だけでも遅刻させるまいと、先に行くよう促す。

 

「……大丈夫。いつまでも待つから」

 

 が、彼女は微笑んでその場から動いてくれない。ていうか待たなくて良いから!

 

「あーもーっ! 朝から勘弁して頂戴!」

 

 やむを得ず、翔子をほったらかしにしてしつこい勧誘から逃げ出す。この手のタイプは粘り強いからね。向こうが諦めるまで逃げてやる。

 でもまぁ……本当に楽しみね。本を読む以外の面白いことがある、これからの日常が。アキ君といい、雄二といい、そして翔子といい。

 

 

 

「全く、退屈しないわね――この学校は!」

 

 

 

 ちなみに今から三日後に、アキ君がとある事情で文月学園指定《観察処分者》に認定されるのだが、それはまた別の話。

 

 

 

 


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