Fate/trinity chalice -The Fictitious Hero- 作:琴浪新(水)
一歩引いた位置から二人を見ていたからか、最初にそれに気づいたのはナタリアだった。
「ウェインディ!」
「っ! ピーター霊体化して!」
「うん」
実体を解き、霧に姿を変えたアサシンの横で倒れた男の脇腹の刺し傷から水が吹き出す。
すでに水はエレバーターボックスの底を埋めている。
「何これ? 師匠、分析できますか?」
「まず考えられるのは条件発動型の幻術だけど、これは……どこか違う」
水はさらに流れ出てその水嵩はウェンディのくるぶしを超える。
ナタリアはなぜか車椅子から手を伸ばして水に触れようとしているが全く届かない。
「ウェンディ、ちょっと舐めてみてくれないか?」
「は?」
「いや、だから水を舐め……」
「イヤですよ! 師匠が舐めてください」
「届かない」
「…………覚えてろよ……この淫魔が」
「オーイ……」
ウェンディは右手を水につけ、恐る恐る舌先でそれを舐めた。
「あれ……塩水?」
「やはりか……。ウェンディ、これはおそらく固有結界だ。こいつの中で結界が決壊している。早く食い止めなければこの男の世界に取り込まれるぞ!」
「クスクス、結界が決壊……」
「…………お前、状況分かってんのか?」
師匠から放たれるプレッシャーに悪寒を覚えながら、笑いを引っ込めたウェンディは男の体の周りに結界を張っていく。
内部にあるものを閉じ込める術式。
並の魔力量で作れるような代物ではないが、彼女は汗ひとつかかずに結界を編み上げた。
男の体を結界が包み込む。
エレベーターの浸水は止まった。
「ふぅ、ビックリした。ともあれこれでセイバー陣営の仲間が一人片付いたね」
「あぁ、だが油断するなよ。セイバーのマスターはどこにいるかわからない。この状況もそいつが仕組んだ可能性がある」
「だとしたら、舐められたものね。私を溺死させたいならそれこそ嵐の海を持ってこないと……」
ウェンディが薄ら笑いを浮かべて、そういった直後に彼女の結界が砕け散る。
圧縮され、閉じ込められていた空間が炸裂した。
嵐の海がエレベーターの中を暴れまわる。
水の圧力に背を叩かれて、ウェンディは空気を吐き出した。
そして空気を取り戻そうとした時、彼女の周りに空気はなかった。
暗い、青い海が彼女を包んでいる。
ウェンディは意識が薄れていく中、船を見た。
ボロボロになって、浮かんでいること自体が奇跡のような木の帆船がそこにはあった。
ウェンディが目を覚ますとそこは海の上の船の甲板だった。
すぐそばにナタリアが座っていて、その後ろに謎の青年が立っていた。
令呪の刻印された彼の左手はナタリアの首に伸びていて男の手に嵌められた指輪が、怪しげな光を放っている。
明らかに魔術の発動準備が済んでいる青年を見て、ウェンディは肩の力を抜いた。
彼女の首には一振りの直剣が押し当てられている。
そっと振り返ってみると、彼女の後ろには美しい漆黒の挑発を風になびかせる、一人の女性が立っていた。
彼女の右手の剣が彼女に抵抗を許さない。
「あなたがセイバーのマスターですか?」
「そうだよ。君はバーサーカーのマスターだね。僕の友人を刺さした……」
「そうよ。友人の報復のために私たちを殺すつもりなの?」
「いや、あいつはあの程度では死ねないし、何より開戦前から同陣営内で殺し合って戦力を低下させるのも困るから殺しはしない」
青年は淡々と事実を述べた。
自分のことを歯牙にも掛けないようなその物言いに怒りが湧き上がる。
「令呪を奪ってバーサーカーも使役すればいいじゃない?」
「君は死にたいのかい? それなら令呪を僕以外のニューヨーク陣営のマスター預けて自殺してくれ。僕は狂化したサーヴァントを使役するのはごめんだよ」
皮肉を込めて投げつけた文句にも青年は反応しなかった。
彼はただ、面倒臭いという理由で彼女のサーヴァントを奪わないと言ったのだ。
それを聞いてウェンディは今の自分がどういう状態にあるのか完璧に把握させられた。
「オウス、もういい。剣を収めてくれ」
「健、いいのですか?」
「このお姉さんを人質にとっておく。すでに条件発動型の術式を彼女の体に仕込んだ。僕の命が尽きれば、ナタリアさんの命もない」
「そうですか」
そういって青年、健はナタリアから一歩身を引き、オウスと呼ばれたセイバーのサーヴァントも剣を鞘に収めた。
「健、嵐の固有結界が暴走していますが、どうします?」
「そうだった、このままでは待ち合わせ場所が瓦礫になる。ウェンディ、君のサーヴァントに呪いを解くように言ってくれないか?」
ナタリアを人質に取られた上に、自分のサーヴァントがかけた呪いが原因でビルを破壊したとなれば、同陣営のペア全員を敵に回すことになりかねない。
ウェンディは自分に選択肢がないことをさとり、手振りで霊体化したままのピーターに呪いを解かせた。
それをどうやって確認したのか、それともウェンディが命令に背けないと確信しているのか、健は頷く。
「よし、じゃあオウス、ウェンディ、嵐が展望台に着いたみたいだ。集合時間までもう少ししかない、行こう」
そう言って右手を彼女に伸ばした。
ナタリアはまだ意識を取り戻していなかったが、車椅子をセイバーが押している。
そして、瞬きして目を開けた時、そこは嵐の海ではなく、元のビルのエレベーターの中だった。
目の前には、ピーターが刺して呪いをかけた男が、ただ無表情で立っている。
その目には少し、自分に対する憐憫が混ざっている気がして、ウェンディは目を逸らした。
健が展望台へのドアを開ける。
マンハッタンの夜景を望むその場所にはすでに十人の影があった。
セイバーが登場。
「召喚の儀」でも出ましたが、今回も謎のままですね。
次回はいよいよ、七組のニューヨーク陣営が顔を合わせます。
戦いは時々回くらいからかな?