世はいわゆるゴールデンウィークの真っ只中。
もちろん大学もお休みなので、午前中からこうしてゆっくりとお茶を味わっていられます。
大学に入学してはや一ヵ月以上。親しい友人も何人かでき、それなりに休日のお誘い等もありますが、本日は何の予定は入っていません。
相沢さんと香里さんはお出かけ中のため不在。
相沢さんたちからは一緒に行かないかと言われましたが、お二人の邪魔をするつもりはないのでこうして一人で留守番がてら、のんびりお茶を飲んでいるという訳です。
………………はぁ。
あうっ、思わず溜め息が。
こんなところを相沢さんにでも見られようものなら、また何時もの如く『おばさんくさい』とか言われ兼ねないので気をつけないと。
……あら、今、玄関の呼び鈴がなったような?
こんな休日の午前中に一体誰でしょうか? 宅配便か何かですか?
以前に香里さんから教えていただいた場所から印鑑を取り出すと、私は玄関に向かいました。
ですが玄関には宅配便どころか、予想もしなかった事が待ち構えていたのです。
◆ ◆ ◆
「お久しぶりですっ! 愛すべき妹の栞が遊びに来ましたっ! お姉ちゃんも祐一さんもお元気で……って、あら?」
玄関を開ければ、そこに待っていたのは香里さんの妹の栞さんでした。
「栞さんでしたか。ええ、お久しぶりですね。栞さんこそお元気でしたか? とりあえず玄関で立ち話もなんですから上がりませんか?」
「あ、あ、あ、天野さん? ど、ど、どうして天野さんが祐一さんの家に? それもさも自分の家のごとくっ!?」
なにやら混乱している様子の栞さん。どうやら私が居候している事を知らなかったようですね。
「ああ、それはですね――」
「あれ、美汐……?」
「えっ?」
栞さんに私が相沢家で居候している理由を話そうとしたら、横から私を呼ぶ声がしました。
それも私がとても良く知っている声――
「真琴? どうして真琴がここに?」
「あぅー、やっぱり美汐だ! 美汐ーっ!!」
声のした方を振り向けば、やはりそこには真琴の姿が。
しかも真琴だけではなく――
「名雪さんにあゆさん、秋子さんまで……」
そう。真琴の後ろには水瀬一家が勢揃いしていました。
「あれ? 美汐ちゃん? どうして美汐ちゃんが祐一の家にいるの? それに栞ちゃんまで」
「あ、わかったよ! 美汐ちゃんと栞ちゃんもボクたちみたいに祐一くんの所に遊びにきたんでしょ?」
「あらあら。結婚しても相変わらず祐一さんは人気者ですね」
「そ、そうですっ! いえ、違いますっ!」
「うみゅ? そうなの? 違うの? どっちなのかな?」
「で、ですからっ! 確かに私はお姉ちゃんたちの所に遊びに来たんです。でもそれは一人で来たのであって、天野さんと一緒に来たのではないんですっ!」
「あぅー。でも美汐は動物のお医者さんになる勉強をするために遠くの学校に行ったんじゃないの? それがどうして祐一の家にいるの?」
どうやら皆さん、私が相沢さんの家に居候する事になったのを御存知ないようですね。
「分かりました。私がここにいる理由なら家の中でゆっくりご説明します。取り敢えず上がりませんか?」
◆ ◆ ◆
その後皆で家の中に入り、お互いの情況の説明。
皆さんはゴールデンウィークという事で、相沢家に遊びに来たとの事。
しかも相沢さんと香里さんをびっくりさせるため、あえて何の連絡もせずにおいたそうです。
ちなみに、栞さんと水瀬家の皆さんは予め打ち合わせた訳ではなく、まったくの偶然との事でした。
「そうだったんですか。天野さんも大変でしたね」
私の方の事情を説明すると、秋子さんがそう言いました。
「いえ、そんな……でも相沢さんのお陰で助かりました」
「偶然でも何でも祐一の家に住めて、しかも同じ大学なんて美汐ちゃんが羨ましいよ。でも祐一の家に久しぶりに来たけどあまり変わってないね」
そう言いながら辺りを懐かしそうに見回す名雪さん。
相沢さんの従姉妹である名雪さんは、きっと過去に何度もこの家に来た事があるのでしょうね。
「あぅ~。折角ここまで来たのに、祐一がいないとつまんない~」
「あらあら。だから予め連絡した方がいいって言ったのよ?」
テーブルに上半身を投げ出しながら真琴が呟く。そんな真琴を秋子さんが
相変わらずの光景。真琴たちから離れてまだ一ヵ月ちょっとしか経ってませんが、なんだか懐かしいものを見ているような気がします。
「大丈夫ですよ真琴ちゃん。お姉ちゃんたちはもうすぐ帰って来ます」
何やら席を立っていた栞さんが戻ってくるなりそう言いました。
「どうしてそんな事が分かるの、栞ちゃん?」
あゆさんが皆感じているであろう疑問を栞さんに問いました。
「ふっふっふっ、それはですね……」
◆ ◆ ◆
「ねえ、そこのお姉さん。もし暇ならチョット付き合ってくれない?」
ここは駅前。祐一がお手洗いへ行くと言って場を離れて少しした頃。
私に背後から軽薄そうな声が掛かった。
振り返れば声と同じく軽薄そうな若い男がにへらっと立っていた。どうやら
「ね、ね、美人のお姉さん。俺、いいトコ知ってんだけどさ?」
「悪いけど連れがいるのよ。だから他を当たってくれない?」
実は私に声を掛けてきた男はこれが初めてではない。
祐一が離れたちょっとの隙に、目の前のナンパ男で実に三人目だったりする。
私のそっけいない態度に脈ナシと見たのか、あっさりと男は離れていった。
「……もうっ! どうしてこう次々に……祐一も早く帰ってきなさいっての」
「あのー……ちょっと……」
ああ、どうやらまた別口が来たみたい。
「だから、私には連れがいるって言ってるでしょっ!!」
「おお、やっぱり美坂だったか。元気そうだな。ところで相沢の奴は一緒じゃないのか?」
また別口のナンパだと思って振り返れば、そこには思いがけない人物が。
「き……北川くん? どうして北川くんがここにいるの?」
「諸用でこの近くに来たんだけど、相沢の家の住所が確かここらだったのを思い出してさ。で、ちょっと足を伸ばしてみたんだけど……美坂一人?」
「あ、ううん、祐一も一緒よ。ちょっとお手洗いに行ってるけど」
「おーい香里ー、お待たせー……って、あれ? 北川? なんで北川がいるんだ?」
などと話していると、当の祐一が戻ってきた。
「よう相沢。久しぶりだな」
「むぅっ!! さては貴様、北川の偽者だな? 本物の北川がここにいるはずがないし、そのアンテナの角度が微妙に違うのが何よりの証拠!」
「ふっ、さすがは相沢祐一、よくぞ見破ったと誉めてやろう。何を隠そうこの俺は、北川潤の偽者の北川潤二……って、そんな訳ないだろうがっ!?」
「うむ、このノリツッコミ……間違いなく北川のようだな」
「だからそう言ってるだろうが」
「いや、念の為に」
「はいはい、その辺にしておかないと必要以上の注目を集めるわよ?」
再会して早々漫才を始める祐一と北川くん。ここが駅前であるという事を忘れているんじゃないだろうか?
「ねえ、北川くん。良かったら家に来ない?」
「そうだな。ここで立ち話も何だし、そうしないか北川?」
「んー、お邪魔じゃなければそうするけど?」
「それに、あなたたちが漫才を繰り広げてる間にこんなモノが来たのよ」
と、祐一たちに携帯を見せる。
「ん、なんだ? メール?……栞から?」
「ええ、あの子たちもこっちに来てるみたいよ」
何やら懐かしい顔ぶれが久しぶりに揃いそうね。
◆ ◆ ◆
玄関の呼び鈴がなる。
本当に今日は千客万来ですね。
呼び鈴に呼ばれて玄関に赴くと、そこにはごんぞうさんの姿がありました。
「こんばんわごんぞうさん。何か御用ですか?」
「よう天野ちゃん。実は相沢夫人に借りてたノートを返しに来たんだけど……何? お客さん?」
ごんぞうさんは玄関に置かれた沢山の靴を見ながらそう言います。
「ええ、何故か皆さん急に訪ねてみえられて。少々やかましいですが良ければ上がりませんか?」
「んじゃ、お言葉に甘えて」
そしてごんぞうさんを案内してリビングに。
ですが、ごんぞうさんを案内した事が混沌へと向かう道の第一歩だとは、この時はまったく気付きませんでした。
「にゃはははははははー」
真琴が意味不明の笑い声を挙げています。
「うぐぅ。だからぼくあゆあゆじゃないもん……」
あゆさんは壁に向かって何やら語りかけている様子。
「私を捨ててお姉ちゃんに走った祐一さんなんて嫌いですぅ……聞いてるんですかぁ、祐一さぁん?」
「……けろぴーが何か言ってるおー……」
名雪さんと栞さんは全然噛み合ってない会話を続けています。
「だからさー、俺の方が美坂との付き合いは長いんだって。それなのに……」
「お、何々? 女がらみかい、北ちゃん?」
「応ともよ、ごんちゃん。相沢がおれの美坂を掠め取りやがったのさー」
「何、祐一が北ちゃんの女を寝取ったと? それは許せんな。祐一は男の敵だな」
「そうとも。こんなに美女に囲まれてるってのに、よりによって美坂を選ばなくてもいいのにさー……」
「うん、うん。で、美坂って誰?」
「美坂は相沢香里の旧姓だよぅ」
「ほうほう。そういや、祐一のやろーは昔から女たらしだったなー」
会ってすぐに意気投合した北川さんとごんぞうさん。
……ところで、本当に相沢さんは昔から女たらしだったのでしょうか?
しかし、一番意外だったのは秋子さん。てっきり強豪だとばかり思っていましたが一口で寝入ってしまいました。
「……ねえ祐一、どうするの? この惨状……」
「……どうするっていわれてもなぁ……どうしよう天野?」
「私に聞かないでください……」
事の始まりはごんぞうさんが取り出したお酒。
なんでもごんぞうさんの実家は酒屋さんで、今でも電話すれば配達してくれる昔懐かしい営業形態が評判の酒屋さんだとか。
で、そんな配達のついでに香里さんから借りたノートを返そうと家に寄ったのだそうです。
そして、相沢家に沢山のお客さんが来てる――しかもその殆どが美女ばかり――のを知ると、乗って来た軽トラックに積んであったお酒を飲み始めたのです。
『おいごんぞう、お店の物に手を出したりしたらまずくないか?』
『いいの、いいの。今日は俺の奢りだから。さあ、そうと決まれば酒を運ぶぞ北ちゃん!』
『合点だごんちゃん!』
なんてやりとりも相沢さんたちと行われましたが、結局はそのままの流れで酒宴に突入しました。
仕方ないので、私や香里さん、秋子さんや名雪さんが有り合わせで料理を作ったり、相沢さんに揶揄われた真琴とあゆさんが意地になって無理してビールを飲んだり、栞さんが自分も飲みつつ皆に注いで回ったり……。
それなりに楽しい時間でしたが、気が付けばリビングには混沌が爆誕していました。
何故か雰囲気に乗り遅れて飲むタイミングを逸した相沢さん、意識してセーブしていたらしい香里さん、根本的にアルコールには弱いのであまり飲まなかった私の三人が、辛うじて混沌に飲み込まれずに済んだという訳です。
◆ ◆ ◆
その後酒宴は進み、最終的には皆寝入ってしまいました。
「う~む、やはり最大の良心ともいうべき秋子さんが真っ先にダウンしたのがまずかったな」
「少なくとも真琴とあゆさんは相沢さんに責任の殆どがあると思いますが?」
「いまさらそんな事言っても始まらないわよ。まあ、この季節なら雑魚寝しても毛布でも掛けておけば風邪ひく事もないでしょ」
香里さんと私で家中の毛布や布団を引っ張り出して皆に掛けてゆく。
「きっと皆、久しぶりに顔を合わせたからはしゃぎ過ぎたんだな」
「そうね。なんだかんだ言っても私も楽しかったわ」
「ええ。私も久しぶりに真琴たちに会えましたし」
改めて振り返ってみれば、決して不快ではない今日という日。それは最後に残った三人とも同じ思いの筈です。
「なあ、ついでだから俺たちもここで寝るか?」
「ふふ、いいわね。ついでだから最後まで付き合いましょうか」
「ですが、もう毛布が一枚しか残ってませんよ?」
そもそも、一つの家にある毛布や布団の数なんて知れています。それを皆に使用してしまったので、もうこれしか残っていません。
「それなら……香里がこう来て……ほら天野、おまえもこっち来いって」
「えっ?」
相沢さんは右腕で香里さんを抱き寄せ、空いた左腕を私に向けて伸ばします。
「毛布が一枚しかないのなら三人で使えばいいんだよ」
「ですが……」
さすがにそれは戸惑います。
相沢さんと香里さん、そして最後の毛布を代わる代わる見比べながら途方に暮れていると、
「仕様がないから今日は許してあげる」
そう香里さんが優しく微笑みながら言います。
「で……では、お言葉に甘えて……」
相沢さんの左腕に抱かれ、三人で肩を寄せ合って一つの毛布に包まれます。
「……暖かいですね……」
「そうね。暖かいわね」
「こうして三人で寄り添うのも悪くないな」
「そりゃあ祐一は両手に花ですものね?」
「…………うぐぅ」
今の私たちの状態は、相沢さんを中心に右側に香里さん、左側に私が寄り添っています。
「しかし、明日は片付けが大変そうね」
「皆さんゴールデンウィーク中はここに滞在する訳ですから、真琴たちが手伝ってくれますよ」
「秋子さんはともかく、名雪は朝は期待できないし、あゆと真琴じゃあ返ってマイナスになりそうな気がするけどな」
今日という楽しい日も終わりに近づきました。
ですが明日も今日とは違う楽しい日になりそうな予感がします。
明日も……いえ、明日以降も三人一緒ならきっと楽しい日が続く筈。
ですから、これからもよろしくお願い致します。
なお――
店の商品を勝手に飲んでしまったごんぞうさんは、やはりご両親からこっぴどく叱られたそうです。
自業自得ですけど。
本日のもう一本。
拙作『相沢さん家の居候』も残すところあと数話。
あらすじにもあるように当作は過去に書いたものであり、その書いたものが尽きた時点で完結とする予定です。
そのため、おそらく8月中には完結まで行くと思います。
残りわずかですが、最後までおつきあいいただければ幸いです。
よろしくお願いします。