相沢さん家の居候   作:ムク文鳥

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13-父として

 

 ことり、という音と共に、私は湯気の立つ湯呑みを彼の前に置く。

 

「ああ、ありがとう。わざわざ済まないね」

「いえ、ついででしたので。大したことではありません」

「ふむ──」

 

 そう答えた私を、彼──相沢 (まさる)さんはまじまじと見詰めます。

 

「あの……どうかしましたか?」

「いや、躾の行き届いたいい娘さんだと思ってね。君といい、香里くんといい、祐一の周りは素敵な女の子が多いなあ。同じ男として羨ましい限りだね」

 

 と、にこやかに微笑みながら答える賢さん。

 聞きようによっては口説き文句とも取れる台詞ですが、そこは相沢さんのお父さん。決してそんなつもりはなく、ナチュラルに滑り出た言葉なのでしょう。

 

「ああ、そうだ。ちょっと君に尋ねてもいいかな?」

「はい? 何をですか?」

「もちろん、祐一のことだよ。僕や()っちゃんがいない間、あいつがどうしていたのかを聞きたいんだ」

 

  ◆   ◆   ◆

 

 日曜日の昼下がり。相沢さんと香里さん、それから夏奈さんは現在、容華ちゃんのお散歩中。

 よって、今相沢家にいるのは私と賢さんの二人。私は課題のレポートを片付けていたため家に残り、賢さんはお仕事関係の資料を纏めるために、書斎の中で忙しく動き回っているようです。

 ちょっと休憩にと台所でお茶を淹れた私は、ついでに賢さんの分も淹れようと思いつきました。

 聞くところによると、賢さんは緑茶派だとか。

 この家では相沢さんはコーヒー派、香里さんは紅茶派でしたので、いつも緑茶は私一人分のみを淹れていました。ですが今日はいつもより少々多めに淹れ、お茶うけのお菓子と一緒に書斎に向かいます。

 書斎の扉の前でノックをすると、すぐに中から返事がありました。

 お茶とお菓子を乗せたお盆を片手で支え、書斎のドアを開けて中に足を踏み入れます。

 相変わらず書斎の中には沢山の標本。そんな標本たちを眺めつつ、賢さんは書斎の中で佇んでいました。

 

「お茶を淹れたのでお持ちしたのですが……いかがですか?」

「うん、遠慮なく頂くよ」

 

 私が置いた湯呑みから、賢さんは一口お茶を口にした後で。

 悟さんは私に尋ねたのです。あの雪の街で相沢さんがどう過ごしたのかを。

 

  ◆   ◆   ◆

 

 私が知る限りの相沢さんについての話……彼によって救われた数人の少女たち。

 私を初め、真琴、名雪さん、あゆさん、舞さん、佐祐理さん、栞さん、そして香里さん。

 そんな彼女たちが皆、相沢さんに好意を寄せるようになったのは、当然と言えば当然なことでした。

 彼女たちと過ごした、はちゃめちゃでも楽しかった一年間。

 そして相沢さんの卒業。ここでも一波乱あり、結果として香里さんと学生結婚することになったのは、賢さんもご存知のこと。

 更にその一年後、私が相沢さんの実家に居候するようになった経緯。

 時々質問を挟みながらも、賢さんは始終にこやかに私の話に耳を傾けていました。

 

「それにしても、祐一の選んだ相手が香里くんで良かったよ。もし、祐一の選んだのが名雪ちゃんだったら……」

 

 私の話を聞き終えた賢さんが、やや沈んだような表情でぼそりと呟きました。

 

「え?」

「これは、ここだけの話にしておいて欲しいんだけど……」

 

 そう前置くと、賢さんは改めて話を続けます。

 

「実はね、昔から僕と夏っちゃんは、祐一と名雪ちゃんが恋人関係に発展することを恐れていたんだ」

「それは一体どういう理由からですか?」

「君も知っての通り、祐一と名雪ちゃんは血縁上では従兄妹の関係になる」

 

 賢さんの言葉に、私は首を縦に振る。私に限らず、相沢さんと名雪さんを知る者なら、だれでも二人の血縁上の関係は承知済みです。

 ですが、賢さんはそれこそが問題なんだと続けました。

 

「従兄妹同士の結婚は、法律上は許可されているものの、やはり色々と変な噂を呼び込むことがあるんだよ。これは僕たちが嫌という程経験したからよく知っている」

「え……? もしかして……」

「うん。僕と夏っちゃん、そして秋ちゃんとは従兄妹なんだよ」

 

 そう言ってにっこりと微笑む賢さん。

 ということは、相沢さんと名雪さんは、従兄妹であると同時に又従兄妹でもある訳ですか。

 

「そんな二人が結ばれると、少々血が濃くなり過ぎる。僕も専門は昆虫とはいえ、生物学者の端くれだからね。少しばかり心配だったんだ」

 

 なるほど。

 私も獣医を志す身、賢さんたちの心配する理由は分かります。

 

「先程も言った噂云々もあるけど、やっぱり心配なのは血の濃さだ。近親者同士の間に生まれる子供は、障害を持って生まれることがままある。もちろん、必ずそうなる訳ではなし、近親者同士でなくても障害を持った子供が産まれる可能性はゼロじゃない。でももし、そんな子供が産まれたらと考えると、やはり親としては……ね」

 

 分かるだろう? という意味を込めた視線を、賢さんは私へと向ける。

 相沢さんと名雪さんが結ばれた場合、香里さんとの時のように学生結婚するとは限りません。しかし、遠からず二人が結婚する可能性は決して低くはなかったでしょう。

 そしてもし、その二人の間に生まれた子供が、賢さんの言う通りに何らかの障害を持っていたとしたら。

 生活面での負担はもちろん、きっと良くない誹謗中傷に晒されることになる。

 それは年若い二人が背負うには、重過ぎる十字架となった筈です。

 

「だから香里さんなら……ですか」

「そういうこと。そういう意味では、君が相手でも良かったんだよ」

「な……なななな、何をいきなり……」

 

 いきなりの賢さんの言葉に、自分の頬が熱を持つのを自覚する。

 

「あはは、ごめん、ごめん。別にからかうつもりはなかったんだ。ところで、今の話は絶対に祐一たちには内緒だよ?」

「ええ、それは承知しています。ですが……」

「うん?」

「ですがもし、相沢さんが選んだのが、香里さんではなく名雪さんだったとしたら……賢さんたちは無理矢理にでも二人を別れさせたのですか?」

 

 からかわれた仕返しという訳でもないが、私はちょっとばかり意地悪な質問を悟さんにしてみます。

 

「そんなの、決まっているだろう?」

 

 そう言うと、賢さんはぱちりと片目を閉じながら私に告げました。

 

「心の底から祝福したさ。香里くんの時と同様にね」

「で、ですが、それでは……」

「確かにさっきの話とは矛盾するね。でも、さっきの話はあくまでも生物学者としての話。祐一の父親としての僕は、名雪ちゃんなら諸手を上げて歓迎するよ。彼女が優しい娘なのは昔から良く知っているからね。名雪ちゃんならきっと祐一を幸せにしてくれる」

 

 そう言って再び微笑む賢さん。

 きっとこの人は、相沢さんが選んだ相手なら、誰だって祝福するのでしょう。

 そしてそれは、それだけ自分の息子を信頼しているという証でもある訳です。

 

  ◆   ◆   ◆

 

「ただいまぁ」

 

 玄関から、相沢さんの声がします。

 

「おかえりなさい。散歩は如何でした?」

 

 玄関まで出迎えた私は、そう何気なく相沢さんに尋ねました。ですが、途端に彼は顔を顰めます。

 しかも、今玄関にいるのは相沢さんと香里さん、そしてベビーカーに乗った容華ちゃんだけで、一緒に出かけた夏奈さんの姿はありません。

 

「いや……その……大変だったよ、色んな意味で……」

「?」

 

 不思議に思って首を傾げる私に、相沢さんの隣りの香里さんも、ご主人同様疲れた溜め息を零しながら呟きます。

 

「家を出てすぐ、ご近所の人と出会って、お義母さんがその人と世間話を始めちゃって……」

 

 なるほど。顔なじみの主婦同士が道端で出会えば、そこで世間話が始めるのは世の常。しかも夏奈さんは久し振りに帰郷した訳で、余計に話に花が咲いたのでしょう。

 それが今この場に夏奈さんの姿がない理由でしたか。

 

「で、暫く話が終わるのを待っていたんだけど、いつまで経っても終わりそうもなくて。そのうち容華ちゃんがぐずりだしちゃって……仕方ないから、私たちだけで散歩をしたんだけど……」

 

 ああ、香里さんが言わんとしている事が手に取るように分かります。

 この近所の方は、皆さん相沢さんと香里さんが夫婦であることをご存知です。その二人が生まれたばかりの容華ちゃんを乗せたベビーカーを押して散歩していたとしたら。ご近所の皆さんがそれをどう見るかなど、容易に想像できます。

 

「いつの間に赤ちゃんが生まれたの? という質問攻めにあった訳ですか……」

「その通りだ。しかも、容華は俺たちの娘じゃなくて妹だって言っても、誰も信じやしねえし……」

「そ、それは……」

 

 はあ、と重い溜め息を吐く相沢さんと香里さんに、私はかけるべき言葉は一つしか思い浮かびません。故に、私はそのたった一つの言葉を、万感の思いを込めてお二人へと送ります。

 

「ご愁傷さまでした」

 

  ◆   ◆   ◆

 

「そう言えば、先程賢さんからお聞きしたのですが、悟さんと夏奈さんは従兄妹同士だそうですね」

「え?お義父さんとお義母さんが?」

 

 リビングでお茶を飲みながら、私は先程悟さんから聞いた話を、何気なく相沢さんと香里さんにしてみると、意外そうな顔で香里さんが返事をしました。

 

「あれ? 香里に親父たちのこと、言ったことなかったっけ?」

「ええ、初耳よ。へえ、お義父さんとお義母さんが従兄妹ね。実を言うと、前からどことなく二人の容姿が似ている気がしていたんだけど、似ていて当然だったのね。あれ? でもそうすると……」

 

 と、そのまま拳を口元にあて、何やら考え込む香里さん。一体、どういたというのでしょう?

 そしてそのまま暫く、微動だにせず考え続ける香里さん。私と相沢さんは、互いに顔を見合わせて首を傾げるばかり。

 ちなみに容華ちゃんはと言えば、散歩から帰って来てミルクを飲むと、そのままお昼寝に突入。賢さんは書斎にて仕事中だし、夏奈さんも一向に帰って来ません。

 故に今リビングにいるのは私たち三人だけですが……

 

「いやああああああああああぁぁぁぁぁっ!?」

 

 不意に叫び声を上げる香里さん。いや、正直びっくりしました。本当に。

 

「ど、どうした香里っ!? 一体何があったって言うんだっ!?」

 

 相沢さんに肩を掴まれ、彼の方へと振り向く香里さん。彼女は両手で頭を抱えながら、いやいやと首を左右に振っています。

 

「み……」

「み?」

「見えたの……見えちゃったの……」

「な、何が見えたって言うんだよっ!?」

 

 やや厳しめにそう問い質す相沢さん。でも、香里さんは一体何を見たというのでしょうか?

 

「────将来の私たちの姿よ」

 

 暫くしてようやく落ち着いたのか、香里さんが力のない声でそう呟きました。

 

「将来のお二人の姿──ですか?」

「ええ……」

 

 私の問いかけに、香里さんは力なく首を縦に振る。

 

「これから先、十年、二十年と経ったと仮定して……当然、私たちもそれだけの年を重ねていくわよね……」

 

 私には香里さんが言わんとしていることが分かりません。

 時間が流れれば、万物はすべからく年を重ねていきます。それは避けようのない事実です。

 ですが、なぜそれをこの場で香里さんが口にするのでしょう?

 

「その時、私はきっと年相応の容姿をしているわ」

「えっと……いや、な? それが普通だろ?」

「ええ、それが普通よ。でも……」

 

 何となく。

 何となく、香里さんの言わんとしていることが分かったような気がします。

 香里さんに限らず、私も十年後、二十年後にはそれなりに年を重ねた容姿をしていることでしょう。ですが相沢さんは……いえ、相沢の血筋の人たちは……。

 

「年相応の私の隣りには、今とさほど変わらない祐一の姿が……いや、いやよっ!! 私だけが年老いて行くのはいやなのぉっ!!」

 

 賢さんは言うに及ばず、妻であり血縁関係にある夏奈さんとその妹である秋子さん。

 この三人の今の実年齢と容姿との差を考えれば、その血を引く相沢さんもまた、賢さんたちのように実年齢と容姿が釣り合わなくなる可能性は極めて高いでしょう。

 ああ、香里さん。あなたの気持ちはとても良く理解できます。

 周りが一向に年を取らない──少なくとも外見的には──のに、自分だけは年相応に衰えていく。

 確かにこんな怖ろしいことはありません。

 全く、本当に相沢の血筋は人間ですか? 人外の血が混じっていると言われても、誰も不思議に思いませんよ?

 そんな思いに捕われながら、私はどうしたものかと頭を掻きながら悩んでいる相沢さんをじっと見詰める。

 本当に。

 本当に恐るべき人たちです。相沢の血筋の人たちは。色んな意味で。

 




 本日の更新。

 昨日、UAが1000を超えたっ!!

 連載開始当初に予想していたより、かなり多くの方々が当作に目を通していただいているようです。
 やはり、こういう形で小説を発表している以上、一人でも多くの人に読んでいただけるのは望外の喜びであります。

 当作のストックもあと一本。それに最後のエピローグを加えて、完結となる予定です。
 ストックの方は今日中に。そしてエピローグも今月中か来月初旬には掲載でいるようにがんばります。

 あと一息。

 よろしくお願いします。

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