お久しぶりでございます。天野美汐です。
あれから随分と時が流れ、今や私も一社会人として頑張っております。
大学生時代、相沢さんの家に居候しながら大学に通ったのは良き思い出です。
いえ、思い出というのは少々間違いかもしれません。
なぜなら。
現時点で、私は今も相沢さんのお宅に下宿しているのですから。
◆ ◆ ◆
「こいつは肝臓疾患だな。ほら、嘴の先っぽが黒くなっているだろ? これは実は内出血なんだよ。こういった出血傾向以外にも、嘴が異常に伸びて喉に刺さりそうなるとかもあるから、そういった病気のサインを発見したら早目に病院に連れてくるようにな?」
セキセイインコが入れられている鳥籠を前に、相沢さんが飼い主さんに病状を説明しています。
飼い主さんと言っても小学生の男の子で、家で飼っているセキセイインコの様子がおかしいからと先程病院に駆け込んで来たのです。
それを当院の院長である相沢さんが丁寧に診察し、その診察結果を飼い主の男の子に告げています。
そう。
ここは相沢さんが院長を務める動物病院であり、私はそこに獣医師として勤務しています。
大学を卒業し、なんとか獣医の資格を取得した私は、相沢さんに誘われて彼の病院にそのまま就職しました。
とはいえ、相沢さんが院長を務めてはいますが、この病院のオーナーは彼ではありません。この病院のオーナーは、かつて北の雪の街で私たちと共に相沢さんとあった、倉田先輩がオーナーの病院なのです。
現在、倉田先輩は実業家として有名な人となっています。
大学を卒業してすぐ、彼女はお父さんから資金を借り受けて起業しました。
そしてその会社は瞬く間に軌道に乗り、莫大な資産を稼ぎだしたとの事です。
瞬く間にお父さんから借りた資金を返済した彼女は、その後も様々な業種で成功し、現在では年収数千万を超えるやり手の女性実業家として名を馳せています。
「川澄さん。ゲージの入院患畜に餌を与えてください」
「…………分かった」
そして、そんな倉田先輩と常に一緒だった川澄先輩はといえば。
彼女は大学を卒業した後、専門学校に通って動物看護士の資格を取り、相沢さんの病院で私たちと一緒に働いています。
現在は相沢さんの実家のある町で倉田先輩と一緒に暮らしています。何でも、倉田先輩がマンションを建て、その最上階を一フロア全てぶち抜いて二人の住まいとしているそうです。
私も相沢さんも何度かそこへ訪れた事がありますが、行く度にその広さに驚きと呆れを感じざるを得ません。
川澄先輩は獣医ではないとはいえ、動物に限りなく愛情を注ぎ、患畜のためならどんな苦労も厭わない彼女は、当院にとって欠かせない存在であるのは間違いありません。
院長である相沢さんを筆頭に、私以外にも数人の獣医と川澄さん他数人の動物看護士を擁する当院は、患畜に対するその丁寧な対応と、二十四時間対処する体制で近隣でも評判な獣医院となりました。
大変な職場ではありますが、私も確かなやり甲斐を感じており、辛くとも楽しい毎日を過ごしています。
◆ ◆ ◆
「調子はどうですか?」
私と相沢さん、そして川澄先輩が一緒に休憩時間に入ると、珍しくオーナーである倉田先輩が尋ねて来ました。
「よう、佐祐理さん。相変わらず忙しい毎日を送っているぜ」
「それは何よりです」
にこやかに微笑みながら休憩室に入ってくる倉田先輩。
私は立ち上がると、倉田先輩にお茶を入れる準備を始めます。
「あ、天野さん、お構いなく。私もすぐに行かなくちゃいけませんから」
いつも通り忙しそうな倉田先輩。きっと病院の駐車場では、彼女の秘書さんが時計を見詰めながら彼女の事を待っている事でしょう。
倉田先輩のスケジュールはまさに分刻みだと聞いた事がありますから。
確かに倉田先輩はオーナーではありますが、経営方針他一切口は出しません。その辺りは全て、院長である相沢さんに任せているようです。
普段は相変わらずな相沢さんですが、患畜たちにはいつも真面目に接しています。
そんな彼の横顔に、若い女性の動物看護士たちはよく見蕩れているようですが。
ちなみに、私も時々見蕩れたりしますが、それは私だけの秘密です。
「ところで祐一さん。そろそろじゃないですか? 良ければ車で送りますよ?」
「おっと、もうそんな時間か。じゃあ、悪いけど、お願いしますよ、佐祐理さん」
「はい、お願いされました」
壁にかかっている時計を確認し、相沢さんは立ち上がります。
「じゃあ、天野。後は頼むな」
「はい。香里さんによろしく伝えてください」
「……祐一。上の子はどうしているの?」
立ち上がり、倉田先輩と一緒に休憩室から出ようとした相沢さんに、川澄先輩が問いかけます。
「あいつなら今、栞のところだ。丁度栞の分の作業は終わったらしくてな。しっかり『叔母さん』してるよ」
どうやら、三年前に生まれた相沢さんと香里さんのお子さん──男の子──は、叔母である栞さんの所にいるようです。
現在、栞さんは漫画の原作を生業としており、作画担当のあゆさんと組んで人気漫画家として活躍中です。
本当は作画も自分でやりたかったそうですが、あの混沌しか生み出さない画力ではさすがにそれは無理と諦めたらしく、意外と絵が上手いという隠れた特技を有していたあゆさんと組み、新人賞に応募したところ見事に当選、今や押しも押されぬ売れっ子漫画家としてその作品はアニメ化までされる程となっています。
彼女たち以外も、名雪さんはアスリートとしてオリンピックでの銀メダルを皮切りに、その他の国際的な陸上競技会で幾度もメダルを獲得し、現在は出身大学で後輩の育成に頑張っていますし、真琴は保育士としての資格を見事に取得、今日も園児たちを相手に元気に走り回っています。
そして。
そして、相沢さんの奥さんである香里さんは、現在二人目を妊娠中。それも今月が臨月という正に正念場。
しかし、その香里さんに少々問題が発生したのです。
二人目の妊娠が発覚した際、子宮に腫瘍がある事が判明しました。
腫瘍とはいっても良性のもので、転移などの心配はないとの事。
ただし、出産の際に万が一腫瘍が潰れたりすると、身体中を洗浄する大手術が必要になるとかで、今回は帝王切開による出産になるようです。ちなみに、子供を取り出す際にその腫瘍も切り取る予定との事。
そして、その手術の時間がそろそろ間近に迫っているのです。
◆ ◆ ◆
りりん、と電話が鳴りました。
その音に私が電話へと振り向くと、既に川澄先輩が電話に出ていました。
電話が鳴った時、彼女は確か私よりも電話から遠い位置にいたはず。それなのに、どうして私より早く電話に出る事ができるのでしょうか?
とても人間業とは思えない速度に、たまたま居合わせた他の動物看護士の女性が目を丸くしています。
後に彼女はこう語りました。
「電話が鳴った途端、川澄さんの身体が消えたんです。そして、気づけば電話に出ていました。あれってもしかして瞬間移動?」
私も相沢さんから川澄さんには不思議な力があると聞いた事がありますが、それは瞬間移動の類ではなかったと思います。
何はともあれ、漏れ聞こえてくる川澄先輩の声から、電話の開いてはどうやら相沢さんのようです。
やがて、電話を終えた川澄先輩は、こちらへ向き直るとぐいっと右手の親指をおっ立てました。
「……女の子。2224グラム。ちょっと小さいけど、母子共に元気」
彼女がそう告げた途端、居合わせた者が歓声を上げました。
どうやら相沢さんと香里さんの第二子は女の子のようです。確かに2224グラムは小さいですが、元気なら問題はないでしょう。
当院の職員たちは、まるで我が事のように相沢さんの第二子の誕生を喜んでいます。
もちろん、私も川澄先輩も同様です。川澄先輩など、うっすらと涙まで浮かべています。
川澄さんと私は、勤務が明けたら病院に直行しようと約束しました。
◆ ◆ ◆
仕事が明けると、私と川澄先輩、そして夜勤組以外の他の同僚と共に、香里さんが入院している病院へと駆けつけました。
そして今、私たちは新生児室の前で、その中の赤ちゃんを食い入るように見詰めています。
足首に「相沢香里・女児」というプレートをかけられた赤ちゃん。昔は生まれた時に、取り違えなどがないように足の裏に親の名前を書いたそうですが、今はあのようなプレートをかけるのですね。
新生児室にいる他の赤ちゃんより、一回りは小さいその子。
ですが、小さな身体で他の赤ちゃんよりも一番元気に手足を動かしています。
「……あれが相沢さんと香里さんの……」
「……かわいい」
現在、香里さんは手術の時の麻酔のため今だ目を覚まさないらしく、相沢さんは香里さんの病室にいるようです。
そして、その病室には双方の家族が駆けつけているため、私たちはこうして新生児室の赤ちゃんを見ているというわけです。
「よ、みんな。折角来てくれたのに、病室に入ってもらえなくて悪いな」
私たちの元へとやって来た相沢さん。眠っている香里さんの事は両家の家族に任せているのでしょう。
「…………赤ちゃん、名前は?」
川澄先輩が尋ねます。
「いや、実はまだ決めてないんだ。香里が目を覚ましてから、二人で決めようと思ってな」
「事前に決めてなかったのですか?」
「ああ。生まれた子を実際に見て、その子に一番合う名前をあげようと香里と相談していたからな」
そういえば、上の男の子の時も事前に名前は決めていませんでしたね。
確かに、生まれる前にあれこれと名前を決めるのもいいものではありますが、相沢さんの言う通り、生まれた子を見てから決めるのもありではないでしょうか。
「まあ、これからはこの子共々、改めてよろしくな、みんな」
そう言ってにっこりと微笑む相沢さん。
相沢さんと香里さん。そして二人のお子さんたち。
北の雪の街にいる栞さん、あゆさん、名雪さん、そして真琴。
今や同僚となった川澄先輩に雇用主でもある倉田先輩。
そして、その他にもご近所の皆さんや、同じ病院で働く人たち。
そんな人たちと、これからも私は共に歩んでいくのでしょう。
ですから、そんな思いも含めて私も相沢さんへと微笑みかけます。
──こちらこそ、これからもよろしくお願いします、と。
これにて、「相沢さん家の居候」は完結となります。
随分と昔の作品に手を加えた当作ですが、それなりの評価をいただけたようで安堵しております。
今回、実に数年ぶりに「相沢さん家」の続きを書いたわけですが、やはり今では勝手が違いますね(笑)。この作品を書いていた当時は、自分も二次作品ばかり書いていましたが、今ではオリジナルがメインとなっています。
当サイトではまだオリジナルは発表しておりませんが、「小説家になろう」では幾つかの作品を発表しております。こちらと同じユーザー名で公開しておりますので、興味の沸いた方が見えられたら、そちらも覗いてやってください。
さて今回、香里が生んだ第二子について、少々実体験を盛り込みました。
子宮に腫瘍が発見されて帝王切開したとか、生まれた子供の体重が少なめだったといったあたりです。
手術後まだ嫁が眠ったままの時、担当医に呼び出されて子供の体重が思ったより少ないため、検査をする必要があると言われた時には頭が真っ白になったものです。
当初では2500グラム以上はあると思われていた体重が2224グラムしかなかったわけですから、どこか異常があるのでは、と疑われたようです。大きくなれなかった理由があるのではと思われたようですね。
そして検査の結果、単に体重が少ないだけで健康と聞かされ、ほっとした時の気持ちは今でも鮮明に思い出されます。
その子も今では小学二年生。確かに他の子よりも小柄ではあるものの、毎日元気に暮らしています。
これまで「相沢さん家の居候」をお読みくださり、本当にありがとうございました。
お気に入り登録、評価の投入など、各種の支援をくださった皆様に心からお礼申し上げます。
では、次の機会に再びまみえる事ができるよう願いまして。