それはまだ、私たちがあの雪の街にいた頃の話。
三年生に進級し、新しいクラスにも馴染み始めた頃。
相沢くんの周囲には、相変わらずたくさんの可愛い女の子がいて。
毎日昼休みともなると、全員が教室に集まってわいわい騒ぎながらお昼ごはんを食べるのがいつの間にかの日課になっていた。
なぜか、卒業したはずの倉田先輩に川澄先輩、そもそもこの学校の生徒でもないあゆちゃんや真琴ちゃんまで同席しているのは些か不思議だったけど。
そんな高校生活最後の一年が始まったばかりの頃のこと。
「――俺が好きなのは香里……美坂香里なんだ」
相沢君は私の瞳を見つめながらそう言った。
◆ ◆ ◆
「さあ祐一さん! 今日こそはっきりとして貰いますよ!」
栞が相沢君にまくし立てている。
ここは昼休みの教室。
そしていつものごとく集まっているお馴染みの顔ぶれ――世間で最近『相沢ガールズ』とか呼ばれている――は相沢君に決断を迫る。
つまり ――
相沢祐一は誰を選ぶのか?
―― という決断を。
「はっきりしなさいよ祐一ぃ~」
「そうそう。真琴の言う通りだよ~」
真琴ちゃんと名雪が、栞に続いて相沢君に迫っている。
「相沢さん。ここは男らしくきっぱりと選んでくださいね」
「祐一くん! ボクはもう心の準備はできてるからいつでも……」
「あ、あゆさん! どさくさに紛れてナニ言ってるんですかぁ!? そんな事言う人嫌いですよ!」
「あはは~。祐一さん、もしも佐祐理か舞を選んでくれたら、恋人公認の愛人がもれなくついてきますからお得ですよ~」
「はちみつくまさん。祐一と佐祐理、三人一緒がいい」
「わ、わ、わ、倉田先輩に川澄先輩! 物量作戦にでるなんて卑怯だよ。ね、ね、祐一。私なら一緒に住んでるんだからいつでも傍にいられるよ?」
「なによ名雪! 真琴だって一緒に住んでるわよぅ」
「うぐぅ。だったらボクだって……」
「ううぅ……どうしても決めないと駄目か?」
「相沢君。もうこうなったら覚悟を決めたら?」
相沢君の机に軽く腰を乗せながら私は言った。
表面上は相沢君が誰を選ぼうと特に興味はない風を装いながら。でも、本当は彼が誰を選ぶのかを考えると、心臓が口から飛び出しそうなくらい活動する。
「だけど……なあ……」
「もしかして、このハーレム状態を失うのが嫌だとか?」
「だ、断じてそういう訳ではないぞ?」
「だったら腹を括りなさい」
「うぐぅ……」
「そうです祐一さん! 覚悟完了しちゃってください!!」
「ええーい! 解った! 俺も男だっ!! ここですっぱり決めてやろうじゃないか」
栞たちが黙って見守る中、相沢君は一度全員を見回す。
「ほ……本当に言っていいんだな? 言うぞ?」
『…………』
皆、押し黙って相沢君が告げるその名前を待つ。
その相沢君は一度眼を閉じ、もう一度皆を見回して……
彼は私の方に向き直った。
「……え?」
「――俺が好きなのは香里……美坂香里なんだ」
相沢君は私の瞳を見つめながらそう言った。
◆ ◆ ◆
まず結論から言うと。
私は相沢祐一に恋している。
もっとも、その事に気付いたのはつい最近の事だ。
彼が栞や名雪と楽しそうに話をしているのをみるとなぜかイライラした。
彼があゆちゃんと商店街を一緒に歩いているのを見た時はなぜか胸が苦しかった。
彼が倉田先輩たちの作ったお弁当を美味しそうに食べているのを見た時、嫌な目つきになっているのが自分でもわかった。
彼が今年も同じクラスだと知った時は嬉しかった。
気が付けばいつも彼を目で追っている自分がいた。
彼が私に笑顔を向けてくれるだけで、心の奥の何かが暖かくなった。
そして気付く。決定的だった。
そう。
私は相沢君が好きなのだ、と。
でも、彼の告白に対して私の口から出たのは拒否の言葉だった。
◆ ◆ ◆
「……どうして断るのか、聞く権利ぐらいはあるよな?」
しばらく呆然としてた相沢君が口を開く。
「……無理よ……」
「……だからどうして?」
「……だって……名雪や……栞の気持ちを知ってる……から……」
姉として。親友として。
私は栞や名雪の想いを踏みにじってまで、相沢君と結ばれるつもりはなかった。
「香里……」
私を見る相沢君の顔がぼやける。
いや、相沢君だけじゃない。周りにいる名雪たちや風景も一緒に。
私の頬を冷たい何かが伝い下りる。
「それって私たちに遠慮して祐一をあきらめるって事……?」
「……名雪……」
「馬鹿にしないでよ!!」
突然名雪が叫ぶ。
「一体何様のつもり!? 私や栞ちゃんの気持ちを知ってるから身を引く!? それじゃあ私たちを馬鹿にしてるよ!! いいじゃない! 本当に祐一の事が好きなら私たちに遠慮なんかしなくたって!!」
「そうですお姉ちゃん!! 本当に祐一さんの事が好きじゃないなら仕方ないです! でもお姉ちゃんは祐一さんの事好きなんでしょう!?」
「美坂先輩。そんな理由で相沢さんの想いを拒否するというのなら、それはとても相沢さんに失礼な事ですよ。それは人間として不出来な事です」
「それだけじゃないですよ香里さん。このままでは香里さんは佐祐理たち全員の気持ちも踏みにじる事になりますよ?」
「……香里」
「……川澄先輩……?」
「香里は祐一が好き。そうでしょ?」
「なあ香里。おまえの本当の気持ちを聞かせてくれ。もし俺の事を単なる友達としてしか見ていないのなら俺もすっぱり諦める。だから……」
名雪 ――
栞 ――
天野さん ――
倉田先輩 ――
川澄先輩 ――
あゆちゃん ――
真琴ちゃん ――
そして ――
そして相沢君 ――
皆真剣な顔で私を見ている。
私は……私は……
「……いいの?……本当に……私なんかで……」
「ああ。香里がいいんだ」
視界が更に滲む。
「……私……嫉妬深いわよ……?」
「解ってるさ。覚悟してる」
もう誰が誰だかの判別さえつかない。
「……相沢君にすぐ縋るかも知れない……」
「かまうもんか。俺が支える」
それでも。
「……一生逃がさないわよ……」
「望むところさ」
それでも、彼だけはどこにいるかはっきりと分かる。
「私……好きよ……相沢君……」
それはさらっと私の口からこぼれた。
だってそれが私の本当の素直な気持ちだったから。
「ああ。俺も香里が好きだ」
私の頬を再び何かが伝った。
でもそれは先程のように冷たいモノではなく、とても暖かい何かで。
そして気が付けば、私は相沢君の腕の中にいた。
◆ ◆ ◆
その瞬間、教室が沸いた。
よく考えてみれば、ここは昼休みの教室だった。
衆人の前で大々的に告白をしてしまったのだ。
あまりの騒ぎの大きさに、よそのクラスの人間まで何事かと様子を見に来る程だった。
冷やかしと祝福の大歓声の中、「鉄の女がついに墜ちた」とか「抜き身の刀がとうとう鞘に収まった」とか「相沢は神の右拳を手に入れた」とか不穏当な発言も聞こえたような気がしたけど、私にそんな事を気にする余裕はなかった。
恥ずかし過ぎて、更に相沢君の胸に顔を埋める事しかできない。
「よかったね。香里」
「おめでとうございます。お姉ちゃん、祐一さん」
ようやく騒ぎも落ち着いた頃、名雪と栞が声を掛けてくる。
「相沢さんも美坂先輩もようやく煮え切りましたね。本当に世話がやけます」
「うんうん。祐一くんも香里さんももっと早くこうすれば良かったのにね。ねえ名雪さん?」
「本当だよ~。端から見ていてじれったいったら」
「……おまえら……もしかして俺たちの事……」
「……気付いていたの?」
「あはは~。お二人ともモロバレでしたよ~」
「……二人とも解りやすい。とても」
「もちろん真琴だって気付いていたわよぅ」
「このままではいつまでたっても進展しそうもなかったものですから。少々お節介をさせてもらいました」
私の相沢君への気持ちは栞たちはとっくに気付いていたそうだ。
もちろん、相沢君の気持ちも。
それでわざと相沢君にはっきりするように皆で詰め寄ったらしい。
本当にお節介なんだから。
でも、そんな皆のお節介が嬉しかった。
「それにしてもやりますね、お姉ちゃん。祐一さんへの愛の告白だけでなくプロポーズまでしてしまうなんて」
「…………へ?」
「だってさっき言ってたじゃないですか。『一生逃がさないわよ』って。そしたら祐一さんが『望むところさ』って。きゃーきゃー、ドラマみたいですぅ」
どうやら勢いでとんでもない事まで口走ってしまったらしい。
思わず相沢君と見つめ合い、次の瞬間二人して真っ赤になった。
ううっ。その辺に残っている雪に埋まってしまいたいぐらい恥ずかしい。
◆ ◆ ◆
その後、数日間学校は私たちの噂で持ちきりだった。
いや、学校だけではない。
家の近所のおばさんにも、「おめでとう香里ちゃん。彼氏を飛び越えて婚約者ができたんですって?」なんて言われてしまった。
それにここ最近、お父さんは意味ありげに私の方をちらちらと見て、私と目が合うとわざとらしく視線をそらしたり。
お母さんなんて先日、「ねえ、相沢さんっていつ家に挨拶にくるのかしら?」なんて言ってくるし。
この件に関しては、情報を洩らしたと思われる人物にみっちり報復を与えた。激辛カレーで。
「なんかすごい騒ぎになっちゃったわね。相沢君?」
「なんだかなあ。まあ『人の噂も七十五日』って言うしな。ちょっとすればすぐに皆忘れるだろ。それよりも香里」
「なに?」
「『相沢君』はやめないか? 初めて会った時に『祐一』と呼んでもいいぞって言ったのに、おまえ断っただろ?」
「そういえば、そんな事もあったわね」
「ああ。だから今度こそ俺の事は名前で呼んでもらうぞ? いいな?」
「うん。『祐一』!」
こうして。
こうしてまた一つ、私と彼は仲良くなった。
本当なら四話目は明日以降にしようと思っていたのですが、なんか初日からお気に入りに登録してくれたり、評価点を入れてくれたり、感想を書いてくれたりした人がいらっしゃったので、調子に乗ってもう一本投稿しました。
今回の話は時系列的には過去の話になり、祐一が香里に告白する話でした。
今後も時々こうして閑話的に過去のエピソードも入ってきます。特に過去編は香里の視点からになると思います。
いや、現代編でも香里視点のものはありますが。
では、これからもよろしくお願いします。