「……おはようございま……す……」
「……あ、あら、お、おはよう天野さん」
「……お、おはよう天野」
朝です。
昨日の入学式も晴天でしたが、本日も良い天気のようです。
今日から本格的に大学も始まります。気持ちを引き締めていかないといけません。
私は一日の基本ともいえる朝食を食べる為に、リビング向かいました。
今朝の朝食は香里さんが作る日――私と香里さんで一日交替で朝食を準備する取り決め――ですから、もう準備はできている事でしょう。ひょっとすると既に食べているかもしれません。
そしてリビングに顔を出すと、やはりすでに相沢さんも香里さんも朝食を食べている途中でした。
しかし……
何故、香里さんは相沢さんの膝の上で朝食を食べているんですか?
「……お二人とも、朝っぱらから一体何をしているんですか?」
「い、いやその……つい、いつもの癖で……」
「するといつも相沢さんは香里さんを膝に乗せて朝食を食べている、と?」
「ま、まあ、その、なんだ……」
はあ。
私は思わず溜め息をついてしまいました。
「お二人の仲がよろしいのは結構ですしよく存じてますが、朝っぱらからは少々遠慮願いたいものですが?」
思わずキツい口調になってしまいました。
「そうね。これからは気を付けるわ」
申し分けなさそうにそう言う香里さん。
「すぐに天野さんの分の朝食を用意するから待っててね」
「あ、私も手伝います」
「そう? じゃお願いしようかしら」
相沢さんをリビングに残し、香里さんと連れ立ってキッチンへと入る。
「ねえ天野さん。今朝はトーストだけどいい?」
「ええ、構いませんよ」
取り留めのない会話をしつつ、一緒に朝食の準備をする私たち。
ですが、私は見てしまいました。
先程申し訳なさそうに私に告げた時の香里さんの口元、確かに笑ってました。
つまり、先程のあれは――
「……さっきのは作為的ですね? 私がそろそろ起き出してくると分かっていて」
「あ、やっぱりバレちゃった?」
ぺろっと舌を出しながら香里さん。
やはりあれは私に対する示威行為だったようです。
「なぜあのような事を?」
「……だって……今日から大学が始まるでしょ? そうするといくら同じ大学とはいえ、私と祐一は学部が違うから当然一緒に居られる時間が少ないじゃない? それなのに天野さんは学年は違うとはいえ祐一と同じ学部だし、私の知らない所で祐一と一緒にいるかも知れないと思うと……悔しいじゃない……?」
と、彼女は頬を染めながら拗ねたように告げる。
な、なんと言うか、同姓の私から見ても、そ、その、可愛いと感じてしまいます。
以前はもっとクールな女性だとばかり思っていましたが、どうやら思い違いのようです。
それともこれも相沢さんのせいでしょうか?
「……香里さんが、私なんかに対して妬く必要は思い当たりませんが?」
「そんな事ないわよ? 天野さん可愛いし。私が男だったらほっとかないわね」
「そ、そんな事は……」
「あら、そう卑下したものでもないわよ? きっと大学へ行ったら天野さんに言い寄って来る男がわんさかいるわよ」
わ、わんさかって……
いくらなんでも、こんな暗くて協調性のない人間に、そんな事はないと思いますが……
「大学へ行ってみたら解るわ。どうせ天野さんは注目を集めるだろうしね」
「ど、どうして私が注目を集めるんですか?」
「ふふふ。だから行けば解るって」
結局、香里さんの言葉は理解出来ず、時間が迫って来たので私たち三人は揃って家を出たのでした。
◆ ◆ ◆
相沢さんの家から電車で揺られる事十五分。駅までの徒歩の時間を含めても三十分も掛からずに大学に着きました。
その、着いたのはいいですが……
どうして私たちは注目を集めているのでしょう?
大学の校門付近から校舎に至るまでの間、ざわざわとちょっとした騒ぎになっています。
そして間違いなく、その騒ぎの中心は私たち三人のようです。
相沢さんも香里さんも、周りの事など何もないかの如く平然としています。
一体これはどういう事なんでしょう?
「ああ、天野。これは別におまえのせいじゃないから。気にしなくていいぞ」
「え?」
「うふふ。やっぱり予想通りね。ほら、朝私が言ったでしょう? 天野さんは注目されるって」
「あ、あれはこの事だったんですか?」
「何て言うかな。この騒ぎはどちらかと言うと俺たちのせいだ」
「は? どういう事ですか?」
「自分で言うのもなんだけど、私たちって結構この大学の有名人なのよ。で、その私たちと一緒にいる見知らぬ――おそらく新入生――見目麗しい女の子。ね、ちょっとは騒ぎになるでしょ?」
「ゆ、有名人? 相沢さん、一体何をやらかしたんですか!?」
「……天野が俺の事、どう見てるか一度じっくりと確認しないといかんな」
あう。思わず本音が……じゃなくて。
「ほら、私たちってやっぱりちょっと特殊でしょ? だからどうしても話題に上りやすいみたいね」
きっと私は顔中に疑問符を浮かべていたのでしょう。見かねた香里さんが説明してくれました。
相沢さんと香里さん。大学に入学した時点で既に夫婦となっている二人。
確かに話題性は充分と言えます。
「よう、相沢夫妻。相変わらず一緒だな……って、あれ?」
話し込んでいた私たちに声を掛けてきた男性。どうやらお二人の顔見知りの方のようです。
その男性がまじまじと私の方を見ています。
香里さんの言う通り、お二人と一緒にいるという事は何かと注目されるみたいです。
「なあ祐一、その美人誰? 知り合い?」
「うむ。実はな、この娘は俺と香里の隠し子なのだ」
……また、この人は……
言うに事かいて『隠し子』はないでしょう。いくらなんでもそれは酷というものです。
「な、なにいいぃぃっ!? き、貴様という奴はっ!? 貴様という奴わあぁぁぁっ!? 学生の分際で美人の奥さんだけじゃ飽き足らず、もうこんな大きな娘までいるというのかっ!? 羨ましすぎるぞこんちくしょう!!」
「すると私は、相沢さんと香里さんが一歳の時の子、という計算になりますが?」
「……天野。確かにそこは突っ込む所だが、方向がちょっと変だぞ?」
「まあ、ボケはこの辺にしといてだ。で、誰だよ、この美人は? 紹介しろ、紹介。いいだろ祐一?」
「こいつは俺が名雪の所に行く前からの悪友で腐れ縁の
「よろしくみっしぃ。俺の事は『ごんぞう』って呼んでくれ」
「あ、相沢さん! なんですか『みっしぃ』って? 変な呼称を付けないでください」
「そうか? 可愛いのに『みっしぃ』」
「やめて下さい。ところで……ごんぞう……さん?」
「ああ。後藤の『ご』と浩三の『ぞう』で通称『ごんぞう』。俺の事は皆そう呼んでるから『ごんぞう』でいいよ。で、祐一とは中学、高校と一緒の仲でね。と言っても高校は祐一が転校するまでだが」
「分かりました。ではごんぞうさんと呼ばせて頂きます。私は故あって相沢さんのお宅で御厄介になってる天野美汐と言います。今年からこの大学の獣医学部に入学させて頂きました」
「な、なんていうか……今時珍しいぐらいしっかりと挨拶する娘だね。天野ちゃんって」
「あ、天野ちゃん?」
「あ、気に入らね?」
「い、いえ、構いません。ちょっと今までにそんな呼ばれ方した事がなかったので」
「ところで祐一。今の天野ちゃんの台詞の中に只ならぬ事が含まれていなかったか?」
「ん? ああ、ちょっと訳ありでな。一昨日から天野は家に下宿してるんだ」
「な、なにいいぃぃっ!? という事はかおりんとみっしぃでうはうはのぱふぱふ……うぶっ!!」
「はいはい。そこまでよ、ごんぞうくん。ところで何かしら? うはうかとかぱふぱふとか意味不明の単語は?」
そ、その笑顔は怖すぎです香里さん。しかもごんぞうさんの足を思いっきり踏んでます。踵で。
「い、いや、冗談だって相沢夫人。だから足をどけて下さい。お願いします」
「分かればいいのよ。さ、私たち英文の授業はこっちよ」
「ううう。相変わらずキツいね相沢夫人。そんな事じゃ男にモテないぞ?」
「結婚してるからもうモテなくて結構よ。それじゃあね、祐一、天野さん。お昼の時間に合いましょ」
「ああ。授業が終わったら携帯に連絡してくれ」
香里さんたちと別れ、私と相沢さんは敷地内の奥へと続く道を歩きます。
「獣医学科は結構奥まった場所にあって迷いやすいからな。気をつけろよ」
「そう言えば、意外ですね。相沢さんが獣医を目指しているなんて」
「そうか? でも、子供の頃からの目標だったんだぞ」
「何か原因でも?」
「ああ。子供の頃な、鳥を飼ってたんだよ。オカメインコって奴」
性格が大人しくて、人馴れしやすい人気のあるインコですね。かくいう私も好きなインコです。
「そいつがある時、卵詰まりから卵管脱を起こしちまってな」
「オカメインコは卵詰まりを起こしやすいと聞きますね」
「小さかった俺は大慌てでな。近所の獣医に駆け込んだんだよ。でもそこは犬猫専門の獣医でなあ」
「それじゃあそこでは診てもらえなかったんですか」
「ああ。うちは専門外だからダメだと。で、その時知ったんだ。家の近所に動物病院は結構あるけど犬猫専門ってところがほとんどで、その他の動物を診れる獣医少なかったんだ」
「それでどうしたのですか?」
「家に飛んで帰って電話帳で調べまくった。ようやく見付けた獣医は家から車で一時間以上掛かる所でさあ。親に車出してもらったよ」
「それでそのインコは……?」
「ああ、発見が早かったのと、獣医に連れてったのが早かったんで助かったよ。その診てもらった獣医によると、あのまま手当てが遅かったら最悪死んでたかもしれなかったそうだ」
「良かったですね、助かって」
「まあな。その後八年ぐらい家に居たよ。そいつ」
オカメインコの平均寿命は十年から十五年ぐらいと聞きます。ですが、雄に比べると雌は産卵で体力を消耗するためか、やや雌の方が寿命が短いそうです。そう考えれば、相沢さんのインコはほぼ平均的な寿命だったのではないでしょうか。
「で、その時俺は思ったんだ。どんな動物も診る事の出来る獣医になりたいってな」
「そんな事があったんですか」
「獣医になるって動機にしちゃ、ちょっと弱いか?」
「そんな事ないと思います。立派な動機ですよ、それ」
「天野はやっぱり、例の件か? 獣医を目指す原因は」
私が経験した『あの子』と離別。それは獣医学ではどうこう出来るものではありません。
「腕の中で消えていった『あの子』も、どこかで事故や病気で死に掛けている動物も、私にとっては同じものなのかも知れません。消えなくて済む命は救いたい。それが私の獣医を目指す動機です」
「強くなったな。天野」
「もし私が強くなれたのなら、それは相沢さんたちのおかげですよ」
「うむ。俺も天野に負けてられないな」
「ええ。お互いに頑張りましょう」
◆ ◆ ◆
「ねえねえ、ちょっといいかな?」
「はい、なんでしょうか?」
相沢さんと別れた後、今日の授業の行われる教室に入り、適当な場所に席を確保した途端、近くにいる数人の女生徒たちから声を掛けられました。
「さっきあなたと一緒にいた男の人って、相沢って先輩でしょ? 獣医科二年の」
「はあ、そうですが? あの人の事を御存知なのですか?」
「きゃー! ちょっと聞いた? 『あの人』だって! やっぱりあの噂は本当だったんだ!」
い、一体何の事でしょう?
その後も彼女たちは、私をそっちのけでわいわい騒いでいます。
「あ、あの、相沢さんがどうかしたのですか?」
「私、知人の先輩から聞いたんだけど、あの人でしょ? 学生結婚している先輩って」
ああ、その事ですか。どうやら相沢さんの噂は一部の新入生にまで伝わっているようです。
「その件なら本当です。相沢さんはもう結婚されてます」
「じゃあ、じゃあ、その相手があなたなのね?」
「はあ!?」
「だって、さっきあんなに親しそうだったじゃない? あなたたちが学生結婚カップルなんでしょ?」
「ち、違いますっ!! 相沢と結婚されている方は英文科の香里さんという女性です!」
「え、そうなの? あんなに仲良さそうに見えたのに?」
「そうですよ。私と相沢さんは……」
「じゃ、じゃあ、あなたはあの相沢先輩の……愛人っ!?」
「ど、どうしてそうなりますかっ!?」
こうなったらもう手がつけられません。
他人の噂話ほど、この年頃の女生徒にとっておいしい話題はないのですね。
しかも色恋沙汰となると尚更です。
不本意ながら……真に不本意ながら、私も相沢さんに負けず劣らずの知名度を得てしまいました。
天野美汐、そんな十八歳の春でした。
お久しぶりでございます。
ずーっとここ「ハーメルン」が不調だったため、本日ようやく次話を投稿できました。
ここ「ハーメルン」が自分が投稿した翌日から不調になり、投稿したくても投稿できない状態でした。
加えて、週末は家から離れていたので、復旧しても投稿できず。ようやく本日の投稿となりました。
本日はあと一話、投稿する予定です。
よろしくお願いします。