「ね、ね、ね、天野、天野。今日のお昼どうする? 学食?」
午前中の授業が終わりと同時に、私に声を掛けてきたのは、同じ獣医学科の
癖のない黒髪を肩甲骨あたりまで伸ばし、背は私よりちょっと高いぐらいですが、いつもボーイッシュな服装で元気一杯な彼女。
私に最も親しく接してくれる方です。
最近の私は、以前からは想像も出来ない程の交友関係――と言っても数人程度――を築くに至るようになりました。
やはりこれも相沢さんたちのお陰なのでしょう。
……いろんな意味で。
まあそんな事は関係なく、彼女は私の大切な友人です。
「いえ、私はお弁当を作って来てますが」
「じゃあ、じゃあ、一緒に食べよ? 実は私も今日はお弁当なのだー」
「あの、申し訳ないのですが、先約がありまして……」
「それって、それって、もしかしてあの人たち?」
「はい、睦月さんの考えている通りだと思います」
◆ ◆ ◆
「え、え、それじゃあ天野って自分でお弁当作ってるの?」
「はい。……と言っても一日おきですが。私が作らない日は香里さんが私たちの分も作ってくれますし」
「香里さん? あ、それって、それって、噂の学生結婚カップルの奥さんの方? どうして天野のお弁当をその人が作ってくれるの?」
「中川さんには言ってませんでしたか? 私、ちょっとした事情で今相沢さんのお宅に下宿しているんです」
「え、ええ~っ!? て事は、て事は! 本妻と愛人が同居っ!?」
「ですからっ!! 私と相沢さんは単なる友人であり、あ、あ、あ、愛人とかではありませんっ!!」
「……今のドモリから微妙な女心が伺えるね。天野くん?」
「……もう知りません。置いて行きます」
「あ、あ、ごめん、ごめん。もう言いません。だから私にも噂の学生結婚カップルを紹介して~」
「紹介?」
「うん。だって、だって会ってみたいじゃない? 噂の学生結婚カップル。どんな人たちなのか気になるもん。ね、ね、写真とか持ってない?」
「高校時代に撮ったものならありますよ」
「わ、わ、見せて見せて」
これから本人たちに会えるのにと思いましたが、私はパスケースの中に入れてあった高校時代の写真を取り出します。
「この真中の男性が相沢さん。で、その隣の女性が香里さんです」
「隣の女性……って、左右どっち?」
「向かって右側です。左側は相沢さんの従姉妹の名雪さんという方です」
「で、その他に写っている沢山の女の子はナニ?」
「その人たちは相沢さんと親しい友人の方たちです」
「……すごいね。見事に美女ばっかりだね」
そういえば一時、北川先輩が『相沢、俺を弟子にしてくれっ! 俺もおまえみたいに美人に囲まれてうはうはしたいんだっ!!』と血の涙を流しながら相沢さんに弟子入り志願した事がありました。
当然、その申し出は黙殺されました。相沢さんと香里さんのツープラトン攻撃で。
「……なるほど、なるほど。で、全員が全員相沢氏に少なからぬ好意を寄せていた、と?」
「まあ、そんなところですが……よく分かりましたね?」
「そりゃあ、写っている彼女たちを見れば一発っしょ? 全員相沢氏を意識しているのが丸分かりですよ。もちろん、それは天野も含めて……ね?」
「……やっぱり置いていきましょう」
「あーん、あーん、ごめんってば~」
そんな話をしているうちに、目的の場所が見えてきました。
大学の敷地内の片隅にある小さな東屋。ここが最近の私たちのランチスポットとなっています。
そこには既に相沢さんたちの姿がありました。
「遅くなりました相沢さん、香里さん」
「おう天野。待ってたぞ」
「あら? 後ろの彼女は? 美汐ちゃんの友達?」
「はい。こちらは私の友人で中川睦月さんです。今日のお昼をご一緒したいというのでお連れしたのですが、構いませんか?」
「ああ、構わないぞ。どうせ後からごんぞうも来るしな」
「はい、はーい。わたくし、天野の友人をしてます中川睦月と言いますです。今後とも御贔屓に~。お二人のお噂は色々と聞き及んでおりますです。はい」
「ごんぞうさんが後からいらっしゃるんですか?」
「ええ。ごんぞうくんはお弁当持って来てないから、大学の構内のコンビニで何か買って来るって飛び出して行ったわ」
「まあ、ごんぞうはおいおいやって来るだろうから、先に食べるとしようか」
コンビニまで行くとなると、大学の構内とはいえ少々時間が掛かります。ここは相沢さんの言うとおり先に食べましょうか、と考えていた時です。
「おーい、買って来たぞ~」
「あら、早いわねごんぞうくん。コンビニまで行くとなるともっと時間が掛かると思ったのに」
「ふふふ、この後藤浩三、足の速さならちょっと自信あるぜ?」
「そういやおまえ、中学高校と陸上部だったな」
「正確には現在進行形で陸上部だ。それに、こう見えても高校時代には全国大会に出場した経験もあるぞ」
「へえ、それはちょっと驚きね。正直そんな感じには見えないもの」
「ぐはっ、相変わらずキツいことズバっと言うね、相沢夫人。と、それよりもだ。天野ちゃんと一緒にいる女の子誰?」
「あー、あー、わたくし、天野の友人やっとります獣医学科一年の中川睦月っていいます。以後お見知りおきを」
「俺は英文二年の後藤浩三。人は俺を『ごんぞう』と呼ぶ。何なら『ごんちゃん』でも可。ってかむしろ推奨。祐一とは腐れ縁って奴だな」
「では、では以後はごんちゃん先輩とお呼びしますです。はい」
ノリが合うのか、あっという間に打ち解けているお二人。
会っていきなり打ち解けるなんて、まだまだ私には無理な事なのでちょっと羨ましいです。
「そう言えば先程、ごんぞうさんは陸上の全国大会に出場経験があるとか?」
「おお、あるぞ。しかもあの『トラックの蒼い妖精』と握手した事だってあるんだ。すごいだろ?」
「なんだその『トラックの蒼い妖精』ってのは?」
「知らないのか祐一? 俺が高校の時の陸上界では有名な女の子でな。俺、彼女の大ファンだったんだ。『トラックの蒼い妖精』ってのは、こうトラックを走る時に流れる蒼みのかかった長い髮が綺麗なんでついたあだ名だ。え~と、確か本名は……水瀬……名雪だったかな」
「み、水瀬名雪だあ!? そりゃ確かにあいつ、高校の時何度か全国大会に出たけど、そんなに有名なのか?」
「な、なんだ? 彼女の事知ってるのか、祐一?」
「知ってるも何も名雪は俺の従姉妹だ」
「な、なにいっ!? 『トラックの蒼い妖精』が祐一の従姉妹だとぉっ!? どうしてもっと早く教えてくれなかったんだこんちくしょうっ!!」
「どうしてもこうしても、そんな事知らなかったし。香里は知ってたのか?」
「詳しくは知らないけど、そう言えば『蒼い』なんとかって呼ばれているって事はちらっと耳にした事があるわね」
「お、おいちょっと待てよ? 確か祐一は転校する時、親戚の家にやっかいになるって言ってなかったか? それってもしかして……」
「おう、名雪のトコに居候してたぞ」
「う、ううおおおおぉぉぉぉっ!! 『蒼い妖精』と一つ屋根の下で暮らしていただとおおぉぉっ!? なんて羨ましいんだこの野郎!!」
「そーいえばさ、さっき天野が見せてくれた写真に確か名雪って人、写ってたよね? やっぱり、やっぱり、あの人の事?」
「ほ、本当かい中川ちゃん!? 天野ちゃん! お願いだからその写真を見せてくれ!!」
「は、はい、それは構いませんが……」
ごんぞうさんの迫力に押され、あたふたしながら再び写真を取り出しごんぞうさんに見せます。
「お、おおおおぉぉっ!! 間違いないっ!! 『トラックの蒼い妖精』だっ!! くうぅ~、まさか彼女が祐一の従姉妹とは……って、おい祐一、この一緒に写っている美人たちは何だよっ!? おまえ、向こうで何やってたんだ?」
「はい、はい、はーい! ごんちゃん先輩! それについては先程、私が天野から耳寄りな情報を得てまして。それによりますと、彼女たちは相沢先生の向こうでの愛人たちだそうでーす」
「そ、そんな訳あるかっ!! そりゃ皆俺にとって大切な人たちだけど、あくまでもあいつらは友人だ。それより中川! 『先生』ってのはなんだ? 説明しろ!」
「いえ、いえ。私、相沢先輩をそれはもう尊敬致しまして。いやあ、なかなか居ませんですよ? これだけの美人を侍らせている男は。もう『先生』ってよりも『ハーレムキング』もしくは『ミスターハーレム』って呼びたいくらいですよ? で、この美女軍団による相沢祐一争奪戦に勝利したのが香里奥様って訳ですか。それで、それで? この美女軍団の中から香里奥様を選んだのはどの辺がポイントで?」
「…………天野。もう少し友達は選らぼうな……?」
「…………申し訳ありません。私も今ちょっと後悔してます……」
「あー、もうっ! なにそれ、なにそれ? 天野も相沢先生もひどくない?」
「だから『先生』はやめてくれ」
「もう無理ですよ、無理ですよ。既に私の脳細胞にインプットされちゃいましたー。削除不能ですー。プロテクトされてますー」
にっこりと笑いながら、そう宣言する中川さん。
そんな中川さんに、相沢さんはぶぜんとした表情を浮かべて沈黙しました。
ちょっとびっくりです。
香里さん以外に、あの相沢さんを沈黙させることができる人物がいようとは。
確かに、あの北の街では倉田先輩あたりはその天然性──もとい、生来の明るさで相沢さんを黙らせたりもしましたが、ここまで真っ正面から彼を沈黙させたのを、後にも先にも香里さん以外に初めて見ました。
思わず、尊敬の眼差しで中川さんを見詰めてしまいました。
「あれ? あれ? どしたの、天野? ひょっとして、この私にめろめろきゅん? うーん、ごめんよ、天野。私、ストレートなんだ。天野の気持ちは嬉しいけど、その想いには応えられない。それに、いくら相沢先生が奥様一筋で相手にされなくて寂しいからって、同性に走るのはどうかと思うよ?」
「…………………………………………違います」
色々と突っ込みたいところは多々ありましたが、もう彼女にはいくら言っても無駄でしょう。
ええ、悟りました。悟りましたとも。
相沢さんの言ではありませんが、友人はもっと慎重に選ぶべきですね。
そんな思いを込めて、じっとりとした目で中川さんを見詰めます。
「あ、あれ? あれ? 今度は天野の視線がなんか冷たいよっ!? これは一体どういうコトっ!?」
「わははははははっ!! 天野ちゃんも中川ちゃんもおもしれえなぁ!」
じっとりと中川さんを見詰める私。私に見詰められておろおろとする中川さん。
そんな私たちを見て、ごんぞうさんは大声で笑っています。
そして。
そして相沢さんと香里さんは、わいわいと騒ぐ私たちを暖かく見守っていました。
その際、二人の手がしっかりと握り合わされているのを、私ははっきりと見ていました。
なぜでしょう?
この納得のいかない、言いようのない敗北感は……
本日もまた、調子に乗って追加の投稿。
実は、この話は前半だけ書いてずーっと放置してあったものを、8年振りに最後まで書き上げたものでして(笑)。
もしも、途中で違和感を感じるようなことがあれば、その辺が原因と思われまする。
では、次回もよろしくお願いします。