Error Code:0
――聞こえているか。聞こえているか。
アクセス、情報コード検索、当該対象指定。
――オーケーだ。聞こえているなら招待しよう。
エラー発生。情報不足。記録無し。
――これは端役のちょっとした会話だよ。別に今ここで何をするわけでもないけど、事前に知っておいた方がいい。何回ループしたってこれは真実に一回目の情報だから。そう、これは君だけにしか伝えられない君だけの予備知識ってヤツだ。だって〝オレ〟まだいないし。
エラー、構成術式不明、エラー。構成情報解析不可。
――おいで。有希。
…
……
………
真っ白。
そこに地面はない。空もない。空間もない。空気もない。
生物などどこにもいない。情報だけがある。
真っ白。その中に、情報が一つだけ存在している。
「――ぁあ、悪いね、呼び出して。でもこうするしかなかったんだ」
白色に被さるようにしてそれは浮かび上がった。白色の中に靄のような空間の歪みがあり、辛うじて人の形だと認識出来る存在が立っていた。
「誰に語り掛けるってつもりじゃなかったんだけど。引っ掛けられるのは君しかいなくてさ」
あ。と発しようとした声を遮って、
「それは言わなくていいよ。これは君の物語じゃないからさ、本来はこんな視点なんてものは存在しないんだ」
――けれどここは本来の世界じゃない、と靄は告げる。
「このままじゃ、君達がどれだけアプローチをしたところでキョンは動かないんだ。だってそうだろう? 君だけはそれが分かっていたはずだ。キョンには明らかにキッカケが足りないのさ」
「……きっかけ?」
「そう、まだ彼には何一つ刺激がない。それがなければどれだけ頑張ったって『涼宮ハルヒ』と叫んだって、彼は君たちのような存在には耳を傾けてもくれないだろう」
靄の手が少しだけ動く。
「――まだ自己紹介がない。関りがない。出会うキッカケが足りない。でもそれは普通にやってたら永遠に訪れない可能性だ。今、何回この世界はループしている?」
「……15566回」
「つまり、そろそろ限界だ。だからオレが出てくることにした。出てこようと思った。何回やったってゼロの可能性を繰り返す意味はない」
「あなたは、何を知っている」
「んー。それには答えたくない。でも先に言っておく、お願いだから、これ以上キョンを困らせないでやってくれ。きっと自然にそうなる時が来るからさ」
そこで靄が首を傾げ、
「いや、自然……? じゃないけど……まあ、そうなる。そうする。退屈のままでは終わらない。そうじゃなきゃ、オレが出る理由はないわけで」
何かを言いたげに言葉を選び、そして噤む。数十秒そうしていただろうか。
靄は、ぽんと手を叩いた。
「――オレの名前は代本(かえもと)祈星(いのせ)。代替品に読む本に、両手を合わせて祈る星だ。そう漢字で書いて読ませる」
「あなたは」
「イノセントだぜ。ずっとそうだったろ」
そう言って、靄の姿が掻き消える。
白い空間に唯一人。
残された少女は――こくりと静かに頷いた。
5
きっかけ、というのは前触れもなくどこかに張られている。
その時その行為が伏線だったりするし、何らかの発言が後に尾を引いて引き起こることもあれば、偶然の積み重ねがそのきっかけに繋がることもある。
意識してそれらを回避することが出来るかと言われれば、それは否だと俺は答えよう。
考えた時点でその出来事は既に起こってしまった後であり、起こった後にしかそう考えることはできないからだ。一足先に未来でも見てきたんなら話は別だが、生憎と俺はそんな超能力の持ち合わせも今後取得する予定もない。
――そんな俺のきっかけはなんだったか。
何か関係があったかと言われると微妙な気もするし、あっても後付けのようなものだと思いたいのだが、確かにそれはあったのだ。
春も終わりを告げようという一学期の朝。
気まぐれに乱れゆく天候に見下ろされつつ、俺は遠くに見える雨雲から逃げるように長大な坂を上って学校へ向かっていた。毎朝登山家の気分を味わいながら今日もせっせとワイシャツに汗をしみ込ませ、珍しく誰とも鉢合わせもせずに教室へと辿り付く。
あれから一週間だ。あれからが何を指すかと言うと、文芸部の勧誘事件から換算しての日数である。結構強引な手法で引き込まれることも覚悟していたのだが、あったことと言えば次の日に朝倉涼子が話し掛けてきたことくらいのものだった。
なんて会話したんだかまるで覚えちゃいないが、結局のところは入るつもりがない旨を伝えると、朝倉はあっさりと納得して身を引いたのだ。
それからは部活動について聞いてくる事はおろか、話すことさえなかったような気もする。精々が二言三言の挨拶を交わした程度だろう。
俺というくすんだレンズが映す先では朝倉がクラスメイトの女子と談笑している姿が見受けられるが、俺達仲良し三人組の席へとやってくる様子も全くなかった。
今は谷口も国木田もいないが。
嫌われていると考えたくないのは男の性だ。まさかそんなことないよな。まさかな。
それに、朝倉があれから文芸部室へ足を運んでいる様子もない。
別に彼女の動向を把握しているはずもないしわざわざ確かめもしちゃいないが、委員長に課せられた業務がそれなりに忙しいらしいということだけは俺の耳にも伝わっていた。入学早々にご苦労様なことだ、文芸を嗜む暇などないだろう。
だから、あの勧誘騒動はひとまずの収束を迎えたといってもよさそうだ。熱烈なアピールを受けるのはてっきり野球部やサッカー部などの熱血体育会系だけかと俺は思っていたのだが、まさか文化系の部活動でそれが起こるとはな。
明らかにアクティブな連中には見えなかったが……古泉は知らん。
俺が鞄を机の横に置いたところで、見知った顔が教室へ入ってきた。
「よぉ、キョン。今日は早いじゃねぇの」
谷口が少し遅く登校してくる。いつもの日常だ。
「そうか? いつもと変わらんだろ」
「そうだ、そんなことよりもだ。聞けよキョン」
お前から振ってきたんだろと言いたくなったが面倒臭いので溜息一つ。
俺は頬杖をついて、
「なんだよ。合コンは失敗に終わったのか? それは良かった、お前が彼女でもぽっと生み出した暁には財布の中身を毟り取らなきゃいけないところだったからな」
「お前の俺のイメージは一体なんなんだよ。いくらなんでも酷過ぎやしねぇか……ってそんなことはマジでどうでもいいんだって! なあ、転校生が来るんだよ転校生が」
やけに興奮した様子で捲し立てる谷口。何、転校生だと? 丁度クラスの連中も内部的な仲良しメンバー振り分けが終わって大体のグループが定まってきたこの時期に? 発表前になんでお前が知っているのかはさておくとして、そりゃまた災難だな。
「それがどうした。谷口、もしその転校生が女だって言いたいだけなら今すぐ席に戻れ」
「そうだよ流石はキョン、よく分かってるじゃねぇか! 女だよ女、しかもウチのクラスに来るってんだぜ? 女が!」
その声量で女って単語を何度も連呼するな、周りの女子の視線がどことなく痛いんだよ、少しは考えて話せ。
「……で?」
「おいおいつれねぇな、楽しみじゃねぇのかよ」
全然楽しみじゃない。
俺にとってはそいつが女だろうが男だろうが物凄くどうでもいいことだった。そんなので一喜一憂出来るお前が俺は羨ましいね。
「お前の彼女になることだけはないと言っておこう」
「うるせぇ」
捨て台詞を吐いた谷口がつまらなそうに自分の席へ戻っていく。俺は机に突っ伏して窓の外を眺める。いつの間にか雨雲がすぐ目の前まで迫っていることだけ確認して、憂鬱げに目線を落とした。
さて。
置き傘をしていなかったことや折り畳み傘を持ってきていないことに俺が一人悩んで雨雲へお帰りを祈っているうちに、朝のチャイムが鳴り響き、少しして担任岡部が教室へと入ってきた。
HRにお決まりの挨拶が流れた後、さっそく話題の転校生の話が始まる。
既に谷口から聞き及んでいた俺は大して驚くこともせず、ざわざわとうるさい教室内を見渡していると――そいつは岡部に呼ばれて入ってきた。
がらがらと引き戸が開かれ、堂々とした足取りが床を叩く。男子の一部からわっと歓声が上がった。
黒髪ロングの美少女がそこにはいた。
長い睫毛を瞬かせ、強気な瞳が射貫くように教室へ向けられる。たん、たんと鳴る上履きの音が響いて聞こえたのは気のせいではないだろう。
静まり返った教室内。迷いなく教壇へと上がったその美少女は教卓に両手を置くと、自己紹介を始める。
「光陽園学院から転校してきました、代本祈星と言います。突然にこの学校へ入ることとなりましたが――」
めりはりのある凛々しい挨拶が教室内へ届くと、谷口含む男子勢がさっそく興味深々に耳を傾けていた。かくいう俺もそいつが演説ばりに流暢な自己紹介を始めるものだからつい聞き入ってしまっていたのは否めない。
まるで興味などないとは言ったものだが、俺だって転校生の存在そのものまでどうでもいいと思っているわけじゃないのだ。
ただ、その時までは俺は別に何がしかの感情が揺り動かされたわけではなかった。えらく可愛い転校生がやってきたなと感想は抱けど、だから俺に春がやってきたなどと意味不明な結論へ到達しない程度には平常心だった。
――次の台詞を聞くまでは。
「こほん。さて、最初に皆さんに言っておきたいことがあります――」
教卓を両手で強く叩いて、宝玉の様に爛々と輝いた瞳を方々へ向けて、そいつは言った。
「――ただの人間には興味なんてないので、この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、すぐに〝オレ〟のところに来ること。以上!」
……はぁ?
疑問符が頭の天辺に幾つも浮んだのは、俺を含むクラスメイトの共通事項であっただろう。
それまでのざわざわとした声は全く別のどよめきへと移り変わり、クラス全体が騒然とする。誰もが教卓の彼女へ視線を釘付けにして離さない。
そんな矢のような視線を集中して浴びてなお、堂々と胸を張って自信満々な表情を浮かべているそいつに強烈な違和感を覚えつつ――俺は、その台詞を反芻していたのだった。