もし見かけたら、申し訳ありません。
「またハズレ。…そろそろ濁って来てるから危ないんだけど」
「マミさん、グリーフシードは」
「落とさなかったわ。それに、今日は美樹さんが顔を出さないわね。鹿目さん、何か知らない?」
「……」
沈んだ顔のまま、まどかは首を横に振った。
「そう……」
「あ、でもさやかちゃん。思いつめたような顔してることが多かったと思います」
「思いつめた? でも、いやもしかして……」
マミは考える。
あの好奇心に溢れたさやかが顔を出さなかったのは何かしらの理由があるとは思っていたが、それは初めの魔法少女見学ツアーの最後に口論をしてしまったことが原因なのではないかと。
確かにアレは自分の勝手な理由で魔法少女を勧めたり、諦めろと言ったり。キュゥべえが認識可能な、希望を夢見る権利を持つ彼女にとっては思いつめさせるには十分な理由に在るだろう。楽しみにしていた玩具を目の前で取り上げられた幼児と同じような事をしてしまっているのである。
マミのそんな考えが顔に出ていたのか、まどかもまた暗い表情でスカートの裾を握りしめていた。後輩になんて言う思いをさせてしまっているのだ私は。マミはそんな自己嫌悪が湧きあがって来たが、油断は一切なくしても彼女達の前では常に「強い先輩」で在り続ける必要はあると思っている。そうでなければ、この危険が隣り合わせの同伴に付き合わせている彼女達に示しがつかない。
「明日、学校で彼女を見たら次で本当に最後だって言っておいてくれる? 相手が使い魔でも、魔女でも。こんな風にあなたたちの仲を引き裂いちゃうんだったら、もう来ない方が良いから」
「……え、でもマミさんは」
「私はいいの。鹿目さんや美樹さん、クラークさんだって私が戦ってるって知っていてくれるでしょ? 認めてくれる人が少しでもいるだけで、戦いのモチベーションは上がっちゃうんだから、ね?」
「マミさん」
何か言葉をかけようとして、まどかは喉の奥から出かかった言葉を飲み込んだ。ここで何かを言うのは決意を固めた彼女の侮辱になると分かってしまったからだ。
それでも、やはりまどかの心のそこに潜む「優しさ」はマミもまた、これ以上危険を一人で引き受けなくてもいいと叫んでいる。そのためには守られる立場だとしても、彼女の傍に自分や頼りになる誰かが傍にいてやらねば、近いうちに大変なことになると警鐘を鳴らしている。
それでも、やはりまどかは言葉にできなかった。言葉にしたくても出来ないもどかしさは、これまでに感じたことのない心の苦しみ。心臓の上がきゅっと締め付けられるような、そんな痛みがまどかに襲いかかっていた。
「これ以上は貴女のお肌にも悪いわね。私は学年も違うし彼女ともほとんど親しくない。……だから、貴女にしかできないことなの。美樹さんの隣にいてあげて、鹿目さん。突然現れた私たちみたいな存在は、光が強すぎて彼女の目を潰してしまったみたいだから」
「…はい。マミさんも、気をつけてください」
「ええ。分かっているわ」
そうしてマミは離れて行った。薄暗い公園に灯る街灯にはもう少なくなり始めた蛾や羽虫が集まっている。まどかはそんな光景に目を取られて、思わず目じりが熱くなった。
「……もう、帰ろ」
あの無機質な白い獣も彼女の傍には居ない。どこか空恐ろしさがあっても、キュゥべえの平坦な感情の無い声はいつも心の平静を保つのに丁度良かったな、とまどかは思った。その行動指針だけは真似をしてはいけないような気もしていたが、それは本能的にキュゥべえを地球発展の時からの絶対者として認識していたからか。
ただ、その事実をまどかは知らない。沈んだ気持ちのままに歩みを進めていくと、ふと、見覚えのある癖っ毛の目立つ黒髪が目に入った。
「こんばんは」
「あ、ほむらちゃん?」
どうしてここにいるのだろうか、そんな事を思う。
それはそれとして、やはり暁美ほむらと言う人物も魔法少女だという事なのか。彼女の闇に紛れる筈の黒髪は、はっきりとまどかの目に認識できている。まるで己こそが正しい事の白の中にいる存在として、彼女と言う人物そのものが世界に浮き彫りになっているようだった。
「巴マミは…行ったわね」
「うん。さっき別れたから、もう自分のお家に戻ってると思うよ」
「…寂しそうね。どうせ私も“仕事”帰りだし、送って行きましょうか?」
「え、いいの?」
思わず同行を前提とした言葉を返したことに、こんなに自分は受け取る事柄に対して積極的だっただろうかと驚いた。だが、それは違うと思った。結局、自分はこの闇の中が心細かっただけなのだろう。
「当然よ。クラスメイトでもあるし、あなたはこの学校で初めての友達だから」
だから、この友好的な返しには面食らってしまった。
物静かな雰囲気にふっ、と漏れた小さな笑みはとても魅力的で、思わず顔が赤くなる。ただ、暗かったのが幸いで相手には気取られずに済んだようだ。
「あ、ありがとう」
「それじゃ行きましょ。まどか」
「うん、ほむらちゃん」
暁美ほむらを隣に、まどかは並んで公園の出入り口を抜けた。
いよいよ持って暗くなってきた夜道は、電柱のライトでも照らし切れないほどに薄暗くて心細い。こんな中を一人で帰っていたら、多分恐ろしくて半泣きになってしまっていたんだろうな。
そんな気の緩みもあったのかもしれない。自分の口は驚くほど軽く言葉を紡いでいた。
「ねぇほむらちゃん、さやかちゃんに何かあったのかな?」
「…彼女が? そう言えば、姿は見えないけど」
「うん、今日のツアーに来なかったんだ。それから最近思い悩んでるみたいで、授業でも難しそうな顔をして集中出来て無かったみたいで。ほむらちゃんは保健室にいたから、知らないだろうけど」
「……噂で聞いたのだけど、もしかして病院の幼馴染の事じゃないかしら」
「上条くんの? え、でも最近はずっと明るい顔でその話をしてくれて―――」
「だからこそ、かもしれないわ。普段の明るさがもし取り繕った物でしかないのなら、長い時間をかければダムのように壊れる時は一気に無くなってしまう。その病院にいる彼と美樹さやか。どちらかの限界がちょうど、今来てしまったのだとしたら……」
「もしかしてさやかちゃんが契約しちゃってるの!?」
「可能性は否定できないわね」
この頃から限界は訪れていた筈だ。アイザックの報告が確かなら、既にこの辺りから「歴史」の乖離は始まっていてもおかしくはない。早めに思いつめた美樹さやかと言う人物がどのような行動に走るのか、それを予測する事は数える事すら億劫になったほむらにとっては、チーズの成分を言い当てるよりも簡単なことだった。
「いい? まどか、良く聞いて。明日の登校の際、彼女の手に見慣れない宝石の付いた指輪が嵌められていたら、彼女はもう魔法少女になったと考えてもいいわ。その時に、私からじゃ伝わらない。貴女だからこそ伝えてほしいことがあるの。私名義だという事は決して言わないで」
「ほむらちゃん…うん。分かった」
自分にしかできない事、という言葉に酔ったのは否定しない。だが、それ以上にまどかは親友のさやかがこれから危ない目に会うであろうという事を危惧する。故に、その道のベテランであろうほむらの言葉を一言一句聞き逃さないように、足を止めて彼女へと向き直った。
「“魔法少女は正に希望の存在。目先の絶望は己の奇跡で受け入れて”。これが、あなた達にはまだ言えない真実を知る私からの伝言よ。そして、貴女は彼女が危ないと思ったら傍にいてあげて」
「あ……」
マミと同じことを言うほむらに、魔法少女とは本当に強い人がなるものなんんだなぁと、託された言葉を覚える頭の片隅で思った。
「あ、家が見えてきた……」
「今日は此処までかしら。それじゃ、また明日」
「うん、またね。ほむらちゃん………ありがとう」
「…ふふ、どういたしまして」
顔を背けてそそくさと家に向かったまどかの姿を見送って、少し口出しし過ぎて嫌われたのか? とほむらは首をかしげる。彼女が真っ赤に染まったまどかの顔を見ていたら、別の事を思っていたのかもしれないが。
「それじゃ私も―――」
踵を返そうとして、彼女の体は突如として横に
異変に気付いたほむらが腰を両手で固定して魔法の紫の光を放つと、何事も無かったかのように彼女はその場で立ちつくす。だが、制服の腰辺りは明るく生々しい紅色に染められていた。染みを広げるその怪我は、彼女の名誉の負傷と言ったところか。
「……油断、した…わね」
あの公園の周囲で行っていた彼女の「仕事」。それは巴マミが見つけられずに潜んでいた魔女の退治であったのだが、その時に現れたのがネクロモーフ、「Slasher」だった。何人かの住人を犠牲にしたのか、四体もの徒党を組んで襲いかかって来たそれらを、ほむらは盾の中に入れていたアイザックの兵器「フォースガン」で纏めて吹き飛ばした。
だが、その威力の高さに慢心してしまったのだろう。二体ほどの四肢が吹き飛んだことに浮かれ、その隙をつかれてジャンプしていた個体から強襲を受けていた。何とか時間停止によって難を逃れることが出来たが、ここからが問題だった。
銃で吹き飛ばしたネクロモーフの鋭い爪のついた腕が跳ねかえって彼女へと飛んで来ていたのである。全ての相手を殲滅した事で少し目を閉じていた彼女は鋭すぎて風を切る音すら聞こえない接近に気付かず、腹から背中までを二枚に下ろされてしまったのだ。
「魔法少女ってホント便利な身体。嫌気が差すほどにね」
厭味ったらしく皮肉を吐き捨て、フラフラと近くの電柱によりかかろうとしたところで、大きな腕に抱きとめられた。どこか硬質で力強く、その冷たい金属の感触からも伝わる偉大なる父親の様な雰囲気は―――
「アイザック、来てたのね」
「無茶をし過ぎだ。魔法少女と言っても限界があるだろうに」
「ごめんなさい。あれほど気をつけていたのに余韻に浸っちゃってたわ」
「死して本領を発揮する奴ら相手に普通の人間なら死ぬ所を学んだ。それだけで儲けものさ。アケミ、腹を診るから服を上げろ」
「……ここで?」
「OK、OKだ。流石に此方のモラルが無かった。君の家に戻ってからにしよう」
慌てた様子も無く言い放つ彼の様子を見るに、あのセクハラまがいの発言は意図したモノだったのだろうとほむらは当たりをつけた。真実は闇の中であるが、どちらにせよこうして気軽に話しかけ、心配してくれる人物がいるというのは悪くない。
あとは、美樹さやかにもそう言った人物が現れるばかりだと、彼女は願うのであった。
「やあ、他の魔法少女候補の子に言い寄っていたら遅くなっちゃったよ」
「いいよ。どうせ暇な時間は宿題で潰したし」
「熱心だね」
「別に、ただの気晴らしよ」
そっけなく言い放った少女――美樹さやかを前に、キュゥべえは決してぶれることのない瞳を向ける。生きた心地がしない目から発せられる感覚にさやかは喉を鳴らすが、ここでビビっていたら一世一代の決意はどうなるんだと、心の中の自分に両頬を叩いて喝を入れた。
「それで、契約はしてくれるという事で良いんだね」
「そうよ。アンタがちゃんと私の願いを聞いてくれるんなら文句なんて無い。街の為でもマミさんを見返す為でも何でもいい。戦って、魔女を倒し続けてあげる」
「君みたいに積極的にグリーフシードを集めようとしてくれる人は助かるよ。それじゃあ、君の願いを言ってごらん」
とうとうこの時が来た。
いざ、と言う時には緊張が出てくるが、これは自分の人生と恭介の人生、二人分の重荷が詰まった瞬間だとさやかは冷や汗をかく。ここまで間を置く事、一秒間。たったそれだけの時間が、遥か先に在るマラソン大会のゴール地点の様に思えてならない。
汗が首を伝う。平静を装おうとして、息をそのままにしたせいか心臓が痛いほどに鼓動を刻む。私の体が私の物じゃ無いかのように暴れ回って苦しい。もしかしてこれは、よく病院で聞く拒絶反応に近しいものではないのだろうか? だが、此処まで来て止められる筈も無い。
「私は、恭介の―――」
―――Prrrrrrr!!
声を遮られて、え、なんて間抜けな声が出た。
相も変わらず契約を待っているキュゥべえの顔が此方を向いているが、あんなものなど放っておけと言っている気がしてならない。だが、こんな夜に電話をかけてくるなんて勧誘の家庭教師とかに違いないだろう。
そんな「もしも」の事を考えながら、「病院の電話番号」が表示されている電話を無視したかった。だが、それは恭介の病室に備えつけられている電話から直々にかかっている者だ。おおよそ、あの帰る時に止められなかった事を言いたいのだろうと早めに契約を済ませようとして足を動かし―――右手には、いつの間にか受話器が握られていた。
「あ、れ――?」
≪さやか! その声はさやかなんだね!?≫
ああ、そうか。私はこの人の声が聞きたかったんだ。
最大の決意を前にして、この愛しい片思いの人の声を。
私の声はいつもいつも、「幼馴染」という泡に帰られて届かない。それでも、彼から求めてくれればいつでも安心できた。彼が偽りだとしても、笑っている姿を見ていれば―――恋は、心の中で静かに熱を増して行った。
≪お願いだ。君は僕なんかの為に身を削らなくてもいい! そりゃぁ手が治るのは嬉しいさ。けど、君は君の―――≫
「あ、やっぱり嬉しいんだよね。そうだよね。だったら」
≪だから! 聞いてくれって言っているだろう!?≫
「――――ぁ」
恐らくは病室の隣まで聞こえたであろう大声が、スピーカーを通じて彼女の耳へ侵入して行く。うずまき型の器官が中で音を反響し、その声に込められた意味をさやかへダイレクトに攻撃していた。
≪もう分かったよ。君は僕の為に何かをしようとしている! そしてそれは、君の身が多分危険にさらされるってことにつながる! だけど、そんなのは嬉しく無いんだ。僕はこの世界の中で同じような負傷をした内の一人でしかなくて、君はそんな僕を才能だとか、音楽の為とか、そんな添加物に期待せずに心から案じてくれる大切な人だ。だから、大切な幼馴染の君が無理をする必要なんてない。僕と同じように、並大抵には取り戻せないことに手を染める必要なんて―――≫
「……アハハ」
≪さやか? どうして笑っているんだい…? まさか……駄目だ! まだ医療には発展の余地がある。だからソレを待っていればいい! 駄目なら、作曲家としても僕はやっていけるから、さや≫
命綱が切れたような、太い電子音がさやかの鼓膜を叩く。
直後、死体に繋がれた心電図のような連続音が響き、彼女は持っていた受話器を元の場所へと収めた。もう愛しい彼の苦しむ声が聞こえないように、電話線を抜き取って投げ捨てる。
「いいのかい?」
「うん。あんなに凄い人を何のとりえも無い私一人でこの世の中に戻せるんだったら―――後悔なんて無い」
「じゃぁ聞くよ。君の願いを言ってごらん」
もう緊張なんてしていなかった。
在るのは決意と、恭介が笑って過ごす未来。その横に「幼馴染」の自分はいなくても、彼が幸せに成功した日々を謳歌する黄金の日々。輝かしい光が生み出した、そんな影の中で、彼の幸せの為に奔走する自分。
ああ、お似合いだ。輝く白い髪を持つ彼が太陽のもとで輝き、海底の様な青い私が暗き影の中で剣を光らせる。うん、武器は剣が良い。彼を守るような、騎士として相応しい剣。
「恭介を手を治して。そして彼が心の底から幸せな日々を送れるように」
「おめでとう、君の願いはエントロピーを凌駕した」
一瞬の隙も無く返したキュゥべえ。そして異変は起こった。
「受け取ると良い。それが君の運命だ」
胸の内が熱く燃え上がり、焼きごてでも押しつけられたような「錯覚」に。そう、はっきりと自覚できる「錯覚」に陥った。そんな情熱よりも深い愛を語るような熱が体から離れていくと、透き通った青く鈍い輝きが自分の手の中で形となって収まって行く。
巴マミがその手にしていた、
「何もしない日々を過ごしていてもソウルジェムは数週間ほど持つ。それまでの間に魔女を倒して、グリーフシードで浄化し続けるんだね」
「分かってる。分かってるよ…だから、もうあっち行って。一人になりたい」
「やれやれ、早速お払い箱ってわけだね。それじゃぁさやか、良い夜を」
ぴょんと白い体を持つ筈の彼は、恭介と違って闇の中に溶け込んで行くように姿を消した。あの神々しくも見える模様やリングと言った装飾品はあの闇と言う違和感を誤魔化すものではないのか? という馬鹿な想像が頭を巡るが、早々にそんなわけがないと斬り捨てた。
手の中のソウルジェムを転がしていると、それは指輪となって中指には嵌められた。サファイアの様な宝石の付いたリングは、指のサイズぴったり。
「本当にこれで良いんだよね。うん、大丈夫。手を治すだけじゃなくて、アフターケアもばっちりなさやかちゃん! いやーホント抜け目ないわ、あたし。抜け目なんて……ないんだから。だから……」
なのにどうしてだろう。瞼が熱い。知りたくも無い液体が頬を伝って落ちて行く。
ああ、そうか怖いんだ。ネクロモーフなんて変なのもいるらしいし、マミさんが倒していた魔女だって完全無欠に見えたマミさんを壁に叩きつけるくらいは簡単にして見せた。あんな痛みを自分で耐えられるのかと聞かれたら――無理だ、って答える。
夜は思惑に浸って更けていく。
少女達の定められた運命が急激に終わりを告げるなか、一人の少年は―――
「……ああ、さやか」
手に異変を感じて、抉れた箇所がみるみる埋まって行く様子を見届けた恭介は、受話器を片手に握りつぶさんほどの握力を取り戻していた。怪我の後はもう無い。でもそれは、さやかが治療したという証拠が無い事。
魔法みたいな出来事は、今でも夢のようだと思う。だが、同時にこれが夢であってほしいと何度も願った。悪い夢を見た時に頬をつねって起きるように、何度も何度も悪い夢だと自分を傷つけて、現実なのだと打ちひしがれた。
「治ったよ…さやか。
こんな不可思議な現象に代償が無い筈がない。
御伽噺が好きだった彼女が勧める本を一緒に読んでいた時を思い出して「人魚姫」の物語が頭の中に浮かんできた。
―――王子様と会うため、魔女にお願いをした人魚姫は声を失った。そして幸せな日々を思い浮かべた矢先、王子様は化けた魔女の魅惑の魔法に掛けられて人魚姫の事を無視し始めた。悲しくなった人魚姫は、声も出せず、かと言って人間の文字もかけずに何も伝える事は出来ない。そのうち人魚姫を見かねた姉が王子を殺した血で元に戻れると短剣を渡したが、最愛の人物を殺せない人魚姫は死を選んだ。泡となって消えた人魚姫は、誰にも知られずに消え去ったのでした―――
彼女もまた、誰にも知られずに消える運命になってしまったら?
こんな、誰もいないのに手が治ってしまった超常現象を前に、そんな等価にも等しい最悪の自体が起こってしまっても不思議ではない。そう思った自分の治ったばかりの手は何度も電話の番号を押しているけど、彼女の自宅につながる事は無かった。電話線を切ったとしか思えない。そして、それほどさやかが思いつめたのは―――僕のせいだ。
「こんなことなら…治ってほしい何て言わなきゃよかった。クソッ、クソォ!」
CDプレイヤーに叩きつけた怪我を
「…え?」
巻き戻しのビデオを見ているかのように、彼の怪我した手の部分は再び元どおりになった。最高の健康状態を保ち、どれほど強く握っても直ぐに痛みが引き、これまで以上に器用に指先を動かせる「最善」の状態に。
そして、彼は恐る恐る自分の「腕」にプレイヤーの欠片で斬りつけてみる。だが、手と違ってその部分の怪我は治らず、血の球が自己主張を途切れずに続けていた。
「ああ、なんてことだ。さやか、君はこうまで僕の事を……」
嘆いているばかりでは何も変わらない。もう代えられなくなったのであろう自分の手はともかく、彼は気付いたことがあった。
自分達は人魚姫の物語では無い。現に自分は身を案じた人物の想いに気付き、彼女は人魚姫などとは比べ物にならない程の身の犠牲を惜しまなかった。これほどまでに強い因果関係で結びついた自分達が、一度も出会わずに終わる事なんて「許されない」と。
恭介は怒りの炎を目に宿した。
そして彼が手に取ったのは先ほどの電話。新たな連絡先をコールし、暇なく何かの言葉を相手に伝え続ける。おめでとう、や期待していたよ。と言った心のこもっていない言葉は聞き流し、ただ自分の要件を伝え続けた。
全ての作業が終わった後、もう月は建物の向こう側に姿を消していた。
「……これで、君を絶対に救って見せる。さやか、君が戦う物を僕にも教えてほしい。その時には、僕らはきっと」
この続きは、彼女と出会った時に言うべきだ。
揺るがぬ意志を瞳に宿した少年は、この日在るべき運命のしがらみを全て断ち切った。因果で囚われていた嘆きの王子は、眠り姫を救うために奔走する武器を整える。魔法を扱う魔女に立ち向かう、純粋な嫌疑しか使えない王子として―――勝利を掴むため。
人魚姫はもういない。憐れな王子ももういない。
眠り姫が出来上がる。剣を執るのは勇猛な王子。
強大な力を前に、己の力を全て出し切ろう。意を決めた恭介は、燃え上がった。
「安心、しちゃうんだよね」
「んー? どうしたまどか。もう寝とけよ」
「はーい」
母親の勧告に従い、彼女は己の部屋へと向かった。ふわふわとしたベッドの上は危険が潜んでいるという日常を切り離す夢の様な安心感を得られる場所で、寝間着に着換えたまどかは布団にくるまれて幸せそうな息を吐く。
だが、そのどれもが無機物による感情移入が無ければ満たされない物ばかり。
「ほむらちゃん……」
マミさんも思い浮かんだが、あの勇敢でクールな姿は忘れられそうにも無い。これまでの彼女を目の前にした行動は、仁美が言っていた禁断の愛とやらに目覚めてしまったのではないかと疑ってしまいそうになるが、決してそんな趣向では無いと頭を枕にうずめて首を振った。
だが、ほむらと共にいると言いようのない安心感があるのは確かな事実である。そして、全てを見通すが如き鷹の目は、鋭く尖った雰囲気に良く似合って憧れを抱くには十分だ。
だからこそ、まどかは彼女の忠告をすんなりと受け入れようと思っている。
魔法少女という選択肢は既に消え去り、自分が出来るのは戦う事じゃなく、ただ彼女達の為に声を届けて祈るしかできない事も自覚している。こうなればよくも悪くも、この時点でほむらの全ての目的は達成されているともいえよう。
「また、明日。さやかちゃんを見つけて、ちゃんと……言って……それで」
眠気が襲い、視界の端からぼやけてくる。
ほむらが常に隣に付いていると思えば、目を閉じて覆い尽される闇の中でも安心する事が出来た。
幸せを思い描くのは、普通の少女でも、覚悟を決めた魔法少女でも変わることはない。それを裏付けるかのように、普通の少女として在り続けると己に課したまどかはただ、皆の幸せを祈り続ける。世界の皆が、笑って過ごせますように、と。
そしてやっぱり進まない物語。
いつになったら終わるんだろうこれ。
そんな感じで一番視点を分けてみましたが、どうでしょうか。
それではまた次回。
……文頭に「さ行」とか「接続詞」が多すぎますね。