技師の力は何が故に   作:幻想の投影物

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遅いですかね…?
とにかく、アイザックさんをどうぞ。


case08

 朝の日差しは心地のいいモノだった。まるで自分が「生まれ変わった」かのように、体が軽い。これも魔法少女となったためなのだろうか、そんな考えがさやかの頭をよぎるが、実際魔法の力がどうこうという感覚も無く、単に気持ちの問題なんだろうと意味も無く自分を納得させる。

 

「……綺麗なリング。アイツとお揃いだったら―――って、駄目駄目。あたしはもうアイツの傍にいてやれないんだから。それに、こっちから突き放しちゃったんだもん。あっちも私の事忘れるくらいに喜んでくれてるよね」

 

 それでいい。と彼女は思った。

 そんなのは嘘だ。とも彼女は思った。

 

 

 

 

「さやかちゃん、来なかったなぁ。いつもなら一緒に登校してたのに」

「まどかさん、彼女に何かあったのですか?」

「……ええっと、言っちゃったら駄目なことなんだって。だからごめんね、言えないや」

「それは残念ですわ。やっぱり、さやかさんも思いつめていたようですし……心配なのですけれど」

「そうだね……」

 

 いつもの三人組にさやかが不在の中、仁美とまどかの会話は進んで行く。

 既に時は放課後。日の高いうちから帰れる事に浮かれている学生も数多く存在する中、まどかはこの街に蔓延る裏の事情を知っているだけに、そんな皆の日常が壊されてしまわないだろうかと不安だった。

 ただ、ほむらやマミ。最近は見かけないがアイザックというとても頼りになる人たちの事を疑っている訳ではない。まどかが心配しているのは、魔女の「数」だ。同時に出現した数が多ければ三人しかいない戦える人物がバラバラになる機会もあるだろうし、そのせいでカバーしきれない範囲で人が死んでしまっていたら、という不安もある。

 まどかは余りのショックで忘れようとしている事実だが、既にほむらが親子三人を犠牲にしたネクロモーフを殺している事には終ぞ気が回ることは無い。そう言った欠如感も、まどかの精神を参らせるには一役買ってしまっている。

 

「あ、ただね…信じてくれるかどうかは分からないけど……この街には人の形をした、手足を吹き飛ばさないと死なない怪物がいるんだって。その怪物はゾンビみたいに増えるから……あ、えっと」

 

 普通はこんな事を言われても頭がおかしいって言われて笑い話になるんだろうな。まどかはそんなごく当たり前の想像をしていた。だって、仁美はお嬢様として育った現実的な考えもする人だから――

 

「何でも信じますわよ」

「うん、普通はそうだよねっ……て、え?」

「だってまどかさん、目がとても怖いんですもの」

「……目?」

 

 仁美が何の脈絡もなく言った言葉が気にかかって鏡を見た。

 

「……あ、本当だ。私の目、すっごく怖いや」

 

 瞼が落ちて半目になっているという事でも無ければ、隈が目立って恐ろしいという訳でもない。まどかの眼は、余りにも募り過ぎた不安によって桃色の角膜の奥底がどんよりとした漆黒に呑みこまれていたのだ。こんな目をした人が話す内容なんて、その人が体感した「恐ろしさ」をそのまま表してくれているようなものだ。

 

「それにしても怪物、ですか。お父様に掛けあって捜査して見る事にします。手足しか攻撃が効かないというのも余りにハッキリしていて本当に弱点でしょうし……」

「ちょ、ちょっと待って! 仁美ちゃん、何でそんなに」

「だって、さやかさんもその“怪物”とやらの騒動関係なのでしょう? しかもこれはまどかさんが話せる程度の一端でしかない。だったら、権力なんて普通は使えないモノを持ち腐れている私が動くのはごく自然なことではないでしょうか」

「……そっか。仁美ちゃん、強いんだね」

「いいえ、所詮はお父様に頼ることしかできない小娘ですもの。そんな目になるまでの事を見届けてきたあなたの方がお強いと、私は思いますわ」

「ううん。ちゃんとそう言う事言える方が羨ましいよ」

 

 だって、私は……。

 口から出かかった言葉を呑み込んで、誤魔化すように言った。

 

「さやかちゃんも心配だから…探して見るね」

「はい。私も出来る事をさせていただきます…ごきげんよう」

 

 優雅な立ち振る舞いで礼をする彼女が余りにも眩しくて、マミやほむらを見ているような気持ちになってまどかは教室を飛び出した。行く当てなんてどこにもない。でも、私は私でできる事を…ほむらちゃんに言われた事をさやかちゃんに伝えなくちゃいけない。

 親友としてのカン、と言うべきなのだろうか。まどかは無意識に、さやかが「魔法少女としての契約を結んだ」という結論に達してしまっている。しかし、その予想も彼女が辿り着こうとした場所「見滝原総合病院」でさやかの幼馴染の現状を聞き、それは確信に変わった。

 

 

 

「それで、どう言う事なんだ」

「…………私だって予想外よ。だって、早すぎる(・・・・)

 

 ほむらに問い詰め、アイザックは理解が出来ないという風に腕を組んでいる。対するほむらもどうしてこうなってしまったのだと、内心では自分の髪を掻き毟りたい衝動に駆られていた。……そもそも、この二人が何故こんな風になったのか。その経緯を説明しなければならないだろう。

 

 事の発端は、ほむらがさやかの姿を街で見かけた事だった。しかし、それだけならいい。魔法少女ツアーの全容はまどかをストーキングしている訳でもないほむらでは知らない場所もあったし、寧ろ今はネクロモーフと言う新たな障害を前にして人手が二人分になっても手に負えない事態になっていた。

 さやかの動向を見抜けなかった事。それがほむらが最初に思った後悔だったのだが、その手に嵌められている魔法少女としての証である「指輪」を見た瞬間、彼女は制服姿のまま切り札である「時間停止」を行って彼女の後をつけていた。

 途中でアイザックに連絡を取って二人で彼女の様子を見てみれば―――それは惨たらしい現場になっていたのである。

 

 美樹さやか。

 彼女初陣は魔法少女としての正式な戦いではなく、ネクロモーフとの遭遇によって行われる。元々精神面もそこまで高くない、一人の少年に半分依存するようなさやかがネクロモーフとの戦いを初めて目にすれば、精神が壊れてしまう事は必須だろうと、己を押し殺すことに慣れたほむらは冷静に分析していた。

 

 だが違った。さやかが見せたのは、半狂乱になってまだ人間の形である頭部が残っているネクロモーフ共を容赦なく一本の剣によって両断する姿だったのだ。その太刀筋は、前までの「歴史」と違ってよほど純粋な思いで契約したのだろう。ダイアモンドですら欠片の一つも出さずに両断できそうな、鮮やかな切り口であった。

 事実、さやかの斬ったネクロモーフからの出血は一瞬遅れていたし、アイザックはもし奴らに知能や記憶するだけの頭があれば、死んだ事にすら気付いていないかもしれないとも思っている。しかし、しかしである。さやかはそんな人型を切って、「何の抵抗も感じていない」ように見えているのだ。

 

 ここで話は冒頭に戻る。そんなさやかの一心不乱な様子を見ていれば、既にネクロモーフは全滅したのではないか? と思うほどにネクロモーフの群だったモノは唯の肉塊へと変貌して行く。絶対に正気では無いと断言できるさやかの様子を見て、この二人はどうしたのものかと頭を抱えていたのである。

 

「……仕方がない。私が行こう」

「アイザック?」

「ああいう狂った手合いには…いや、癇癪を起した子供の扱いは慣れている。確か今日は君にもするべき事があるのだろう? 私もミキを説得したら、すぐ其方に向かうさ」

「…そうね、任せたわ」

 

 既にこの時点でほむらが知る大体の「流れ」とは大きく食い違いが生じてしまっているが、まどかはさやかを探す為にCDショップや上条恭介の通う病院に行き、病院でグリーフシードを発見してしまうのは目に見えている。ここで押し問答を続けていれば守るべき鹿目まどかが死んでしまう可能性だって大いにあり得てしまう。そうさせないために、自分はこの時間を何度も巻き戻っているのだ。

 ほむらが魔法少女姿となると、アイザックの目の前ですっかりその姿は消え失せてしまっていた。彼女の言っていた時間停止がこの様な非現実的な光景を作り出すのだな、と昔に超常的な力を持つアメリカン・ヒーローに憧れていたアイザックは微妙な表情を作ると、その顔をスーツのヘルメットで覆い隠した。

 

 そして、彼は一歩踏み出す。念入りにさやかが倒してきたネクロモーフの四肢全てを踏みつけて乖離させ、完全な死亡確認を行いながらまた一歩足を前に出す。無論、そんなことをしていれば骨や肉が弾け飛ぶ音がさやかの耳にも入り、自分以外の誰かがこの場所にいるのだというサインを送ることにもなってしまうだろう。だが、彼女に害をなす敵では無いアイザックは、あえて自分を気付かせる意味も込めて歩いて行った。

 振り返った彼女は、全身に赤黒い酸化しかけの返り血を浴びた姿に驚愕を描きだす。本当に思いもよらない人物が目の前に現れたのだから。

 

「アイザック……さん? どうしてここに…」

「…契約してしまったのか」

「ああ、うん。……まぁね」

 

 先ほどまでの狂戦士の様な風貌は何処へ行ったのか。年頃の少女の様な顔で、どこか気まずげに彼女は苦い笑みを浮かべている。ただ、それは普通の感性ではなくなっているという証拠になってしまっているのだが。

 考えてみてほしい。自分が作り上げたばかりの死体の中で、例え苦笑だとしても笑みを浮かべて普通に会話が可能な中学生を普通と呼べるだろうか? 答えは否。断じて否である。

 

「でも、あたしはこれでいいんだ。アイザックさんの言った通り、こいつら倒せば街は守られるし、人型でも四肢を斬り落とすのに抵抗も感じないようになった(・・・)。最初は怖かったけど、でもちゃんと殺せたんだよ?」

「……そうか」

 

 アイザックは再びネクロモーフの死体の肢体を踏み砕く。これで、見滝原に来てから存在が知れたネクロモーフは何体目だ? 既に、十五体を越えている。最初に見かけた数匹からもう「黒色」のネクロモーフが居ないことから「死体製造器(デトネイター)」はいないようだが、それでもこれだけの人間が犠牲になっているのだ。

 さやかは、コレの元が人間であるのだと、そうは見ていない。故に、平気でいられる。

 

「魔法少女になったのは…私は否定しないさ。君が選んだというのなら、どんな苦境にも乗り越えられるのだろうと信じているからね」

「あ、そうですか? いやー、褒められるなんてまいっちゃったなぁ。それだけでも魔法少女になった甲斐があるって言うか」

「しかし、真実と君の決意は……影に何を隠してしまっている。それは、分かっているのか?」

「……恭介…じゃなくて、願いをかけた人には、会えないって言う事ですよね。それから、会っちゃいけない。私はこんな血なまぐさい日常の中で、戦い続ける宿命を――」

「チープな言葉で誤魔化すな。ここはゲームや漫画のような都合のいい世界じゃない。自分で道を決め、自分で何かをしない限り、よほどの偶然が起きなければ自分の利を得られないんだ。それを“分かっているか”と……私は聞いた」

「現……実…? ぁ、ぇッ…!?」

 

 アイザックの言葉を受け、さやかは見た。自分が斬ったネクロモーフの残骸たちを。

 あの小さな個体は髪の毛や、縞模様の小さなズボンとシャツを着ている。パジャマみたいだが、寝る前に襲われたのか。あの妊婦の様な大きな個体は、腕のあった場所に買い物袋の残骸がぶら下がっている。買い物帰りに死んでしまったのだろうか。

 でも、でも…でもでもでも! それらを細切れにしたのは―――自分自身。

 

「ぁ、ぁ、あ……ぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああ!!?」

 

 違う。こんな事をしたかったんじゃない。

 だって私は魔法少女で、マミさんみたいに異形の魔女を狩って、街の平和を救おうとしていた。そして生意気だけどどこか憎めない転校生みたいにクールに物事を片付けて、自分は倒した魔女のグリーフシードを集めたりもして……それが、こんな、血みどろ? だって、恭介の傷は治ったし。万々歳なんじゃないの?

 あれ、でも、誰かが似たような意味で言っていたような―――

 

 ―――私も、この心臓の病が契約で治った時なんか……もう、最悪の意味で大変だったもの。

 ―――ネクロモーフの材料は人間。愛する夫婦でも、朗らかな老人でも……そして赤子でも。とりあえず人間であれば面影を残したまま化け物としてこの街を闊歩している。そんな彼らを、アナタは躊躇なく“殺す”事が出来るのかしら?

 

 殺した。あたしが殺した。

 殺してない。違う、だってアレは化け物でただの死体だよね。じゃないと、あたしが、あたしが……殺したの? あたしが、自分で、命を終わらせた?

 

「実感したか」

「ち、違うんですアイザックさん! そんなつもりじゃなくて、あたし、あたしは!」

「それでいい。ここが現実だと認め、幻想にとらわれ無ければ生きていける。幻影に囚われているというのは、私の様に破滅を呼ぶだけだ」

「アイザック…さん? アンタは……」

「だが、そう長話もしていられないようだ」

「え…?」

 

 アイザックが突如として銃を取り出す。それはさやかが今まで見たどれとも形状が違っている「工具」だったが、それを気にする時間は無くなっていた。

 周囲に蔓延るは数十を超えたネクロモーフの大軍。流石のアイザックでも苦戦は必須なこの数を前に、彼は深いため息を吐く事で心の平静を装った。

 

「……これで全てだと良いんだが…」

「え、嘘でしょ……これが、みんな見滝原の…?」

「さっきと同じで、現実を受け入れてくれ。私もこんな重荷を背負わせるつもりは無かったのだが、仕方ない。至らぬ身ではあるが“人として”生きて戦うためのレクチャーをしよう」

「アイザックさん、あなたは本当に何なんですかッ!?」

 

 さやかも自分がいじけている場合ではないと一時的に正気を取り戻し、両手に巨大な一本の剣を握った。いつの間にか背中合わせで自分たちを囲んでしまっているネクロモーフの大軍に注意を払いながら、彼の声を聞きとった。

 

「エンジニアさ。直せるモノは機械しかない……ただの能無しだ」

 

 ラインガンを構えて引き金を引く彼は、さやかにとって哀愁に満ちているように見えた。その直後、青白く横長の光がネクロモーフ達へ殺到。己も何かを言っている場合ではないと判断し、長く、左右対称で無骨な穢れを知らない白の西洋剣を手に―――突き進んだ。

 

 

 

「上条君も忙しいみたいだし……さやかちゃんは受付の人も見て無かったなぁ」

「元気出して、まどか。僕にも分からないけどさやかは何処かで戦ってるみたいだから、そんなに心配しないでいいと思うよ」

「キュゥべえ…うん。ありがと」

「きゅっぷい」

 

 感情を感じさせない無機質な声はCDに押し込まれたライブ音楽の様に耳を擦りぬけて行くように思えたが、人間自分よりも平坦で冷静なものを見ると意外と波長を合わせるという特徴がある。怒った人が自分より怒った人を見て冷静になるのと似たような理論だ。

 だからまどかは、前は居なかった心強い話し相手がいる事でいくらか平静を取り戻せていた。そうした冷静さが戻って来たからなのだろう、彼女は、病院で得た情報から判断して、さやかの状態をキュゥべえに訪ねる事にした。

 

「キュゥべえ、戦ってるって言ったけど…さやかちゃんは契約したの?」

「そうだよ。彼女は昨日、僕と契約して魔女を探して一日中どこかを彷徨い始めた。移動速度も並みじゃないから捕え切れなかったけど、今はどこかで戦闘を繰り広げている事は間違いないね。魔力の波長がいつもより乱れている。変身した魔法少女特有の…君達で言う心拍数みたいなものさ」

「そうなんだ……」

 

 しかし、そうなると気になるのは彼女が契約に踏み込んだ理由だ。自分と一緒に話を聞いていた時には確かに少しは迷っていたようであるが、それでもまだまだ上条恭介という人物からどうにかされた、どうにかなってしまったという話は聞いたことが無い。

 だとすると、やはり怪しいのは初めてマミが魔女を倒した日の帰り際のあの会話だろう。ある意味身勝手だと言い放ったマミの言葉の前に、さやかは少なからず感情を抑える事は止めていた筈だ。もし、あの事を引きずっていたのだとしたら。

 

「……あれ? もしかして、アレは」

「グリーフシードだ。こんな病院で孵化したら大変なことになるよ!」

 

 キュゥべえの勧告はとても正しい。魔女は人の怨念を喰らい、人を負のどん底へ叩き落とす結界を張って自殺させる。そうした絶望のエネルギー全てを吸い取った魔女は更に強大な力を得て行くという悪循環を繰り返すのだが、これに病院丸ごとが取り憑かれた場合は大惨事が起こってしまう。

 治らないと診断された患者などもいるが、怪我をした事で必ず何かしらの後悔や悲しみと言う物が付随するのが悲しき病院の性。そして、その誰もが陰鬱とした雰囲気を放ってしまう場所で魔女が現れた場合は、急速にその魔女は病院の全てを喰らい尽す大惨事を引き起こしてしまう。

 まどかも魔法少女ツアーの参加者としてマミから聞かされた知識が頭に残っていた。だからなのか、悪い想像が頭を駆け巡ってしまい、体は恐怖に打ち震えてしまう。

 

「まどか、早くはなれないと結界に呑みこまれて―――ああ、もう手遅れだ」

「え……?」

 

 その一瞬が大きすぎる隙となってしまった。

 駐輪場の片隅で発動した結界は、その周辺を巻き込みながら結界を作り出す。新たに生まれるための魔女の揺り籠を作り出すために、周囲の人間やモノから見境なく魔力を吸収するためである。

 そして、まどかはこの結界の吸収作用の一環に呑みこまれてしまった。こうなっては魔法少女でもないまどかは使い魔に殺される確率が高く、もしやすると生まれたばかりの魔女のディナーになってもおかしくは無い。ほむらにとっては最悪の選択肢だが、キュゥべえと契約を交わすことでしか彼女が独力でこの場を切りぬける手段は無い。

 

「まどか、僕と契約をしてくれ。君には凄まじい才能があるんだ。本当にどんな願いでも叶えることが出来る位の才能が。そしてこの場を切りぬけるには―――」

「ううん、ごめんねキュゥべえ。ギリギリまでその話は待ってくれないかな」

「殺されるかもしれないのに、契約しないのかい?」

「ちょっと考えてたことがあったんだ。だから、それが上手くいかなかったときにだけ契約するよ」

「……分かった。僕は君の意志を尊重しよう」

 

 次々と吐き気を催すほどに甘ったるいお菓子の匂いが立ち込めて行く結界の中で、籠に入れられたグリーフシードを見張りながら、まどかはほむらに言われた事を思い出していた。そんなに記憶力もいい方では無かった筈だが、どうにも頭に張り付いてしまっている言葉だ。

 

 ―――どんな見た目であっても願いを叶える、なんて相手には取り合わない事。

 

 もしかしてなくても、魔法少女である暁美ほむらと言う少女はこの契約には「裏がある」のだと知っていたのではないだろうか。それも、彼女がさりげなく、しかし最初の出会いで必ず言うべき事として「忠告」してきたような、重大な意味があるのだと。

 まどかは企業で働くキャリアウーマンの母親を持っている。その母親は、働いて頑張ることが好きなんだとも言っていた。でも、そうやって頑張っているからこそ近道の様に見えた落とし穴を仕掛けてくる人はいくらでもいるんだと、まどかは優しい母親から教わって生きてきた。「美味しい話には必ずとんでもない裏があると思っておけ」。たったそれだけの、どんな家でも言うような社会でのお約束だ。

 

 だから、それがキュゥべえにも当て嵌まるのだとしたら。

 ファンタジーな世界には夢と希望が溢れている。なんて、まどかはそんな妄想を抱ける程に優しい現実を見て来ていない。いつだってそこにあったのは、OLの人の飛び降り自殺や戦っているマミのピンチに陥った姿。そしてアイザックさんの悲壮に満ちた瞳。

 ファンタジーがあっても、此処は現実なんだ。マンガみたいに都合のいい助けが来てくれるのは、相手が本当に偶然に気付いたりした時だけ。事前に自分で動いておかないと、何もできずに動けなくなってしまう。いつからか、マミの隣で戦いを見る度にそんな事を思うようになっていた。

 

「……ほむらが来るね。これは、マミの魔力もある」

「……良かった」

 

 キュゥべえの言葉を聞いて、安心する。

 ほんのわずかなサインだった。ただ、帰り際に見かけたほむらをじっと見つめ、目があった瞬間に小さく頭を下げただけ。でも、それだけで助けてもらえるなんて思っていなかったから、本当に良かった。

 無条件で助けてくれる白馬の王子様は居ない。ただ、頼んだら手を貸してくれる「友達」がいる。それはとっても、嬉しいなって。

 

 ふと、彼女は先ほどの思い浮かべたほむらの言葉にはまだ思い出せていない箇所があったのだと気がついた。ソレは一体何だったか、罅が入りタマゴの様に生まれ出てきてしまったぬいぐるみの様な魔女に迫る一本のラインを見て、思い出した。

 

「ラッキーアイテムは――黄色のリボン」

「お待たせっ! 鹿目さん、怪我は無いかしら?」

 

 安心させるよう、優雅に微笑みかけるマミに対して、彼女は笑って大きく頷いた。

 

 

 

 マミが結界の異変に気付く前、アイザックと別れたほむらは時間停止を利用しながら一直線に病院の方へと向かっていた。さやかが居なくともあの場所にいる魔女は発動してしまうだろうし、何より帰り際に見かけたまどかはさやかを探しているようにも見えた。そのために、絶対に病院には一度訪れる事になっているだろうから。

 せめて孵化の瞬間には立ち会わないでいてほしい。そう思っていたほむらだったが、意識を向けていた病院の方で、普通の状態なら気付かない程小さく魔力の違和感が生じた事で一足遅くなってしまっていることを痛感した。

 また止まった時間の中でビルとビルの間を飛び越えた時、忘れられない金の髪を持つ少女が下にいる事に気付く。

 

「…巴マミ」

 

 一番敵対する確率が高かった魔法少女。それでいて、今回はあまり此方に明確な敵意を向けてこないらしい彼女は、どうやら病院の異変に気付いていないらしい。人気のない道を歩くマミを発見したのはほとんど偶然だったが、ほむらは彼女の近くに降り立つと、時間停止を解除した。

 

「ちょっと、いいかしら」

「っ…! 暁美さん?」

「魔女が見滝原総合病院で孵化したわ。……手伝ってくれると、嬉しいのだけど」

「魔女が…? ……どうやら本当みたいだけど、手柄を取られる機会を作るなんてどう言うつもり。鹿目さんから聞いた様子じゃ、不意打ちってのはなさそうだけど」

「別に。ただ病院に魔女がいたら大惨事になるのを避けたいだけ。アイザックも別の場所でネクロモーフと闘っているから、人手が必要なの。今回の敵は強そうだから」

 

 今更の話だが、ほむらが何かを隠す様な真似をしているのは、マミも感じ取っていた。その真摯に見える表情の底で何を考えているのかが分からない。それがマミにとっては最大の不安要素となるのだが、生憎とほむらはそんな事より早く頷いてほしい、と言った空気を出しているのも事実。

 マミはまだ、ほむらに気を許した訳ではない。だが、やはり優先すべきは魔女を排除する事だという選択を取った。

 

「分かった。それじゃ早く行きましょう」

「……せめて信用して欲しいってことを証明するわ。手に掴まって」

「手に?」

 

 言うや否や、ほむらがマミの手を取った。多少強引で突発、それでいて温かい人のぬくもりを感じたマミはびっくりしたものの、次の瞬間に自分が目にした光景を見て違和感を覚える。―――世界は此処まで、色が無かっただろうか?

 

「時間停止。それが私の魔法よ」

「な―――そんな、凄い……!」

「とにかく急ぐわ。これ、結構魔力の消費が大きいし…後は手を放さないで。そうしたらまた止め直さないといけないから」

 

 既にほむらのソウルジェムが三割ほど濁っている事を確認したマミは、それなら急ぐほかは無いとほむらの歩調に合わせて走りだした。色を失ったモノクロトーンの世界は新鮮だが、どこかほむらの冷静さの原因ともなりそうな圧倒的な静寂が感じられる。

 大通りから聞こえてくる筈の自動車のクラクションや近くに動いている筈の工場の稼働音が聞こえない世界は、とてつもなく不安になりそうだと、マミは繋いでいない方の手を握りしめる。だからこそ、聞きたくなった。どうしてほむらが最近になって頭角を現し始めたのかを。キュゥべえすら知らない、「復讐」とやらの理由を。

 

「暁美さん、道すがらで良いから答えてほしい事があるわ」

「言うなら早くして」

「分かってる……ねぇ、どうしてあなたは戦っているの? 私も昔に、あなたみたいに必死になっている人を見たことがあるわ。そう、他人の為に必死になっている人の姿をね」

「……鋭いわね。誰が必死になっていたかは聞かないけど」

 

 ずっと行く先を見つめるほむらの瞳に動揺が走ったのが見てとれた。

 

「否定しないんだ」

「まぁ、ね」

「それで、答えてくれるの?」

 

 そうは言ったものの、マミには既に幾つかの予想があった。その中でも筆頭なのは「鹿目まどかの為」という結論。魔法少女ツアーの中で、まどかはさやか以上にほむらの話をしてきた事もあるし、ほむらの言葉を凄いね、と言うまどかに的確な助言を行っているのは明白だったからである。

 故に、キュゥべえの思惑などどこにも絡んでいない筈の「復讐」という言葉とのつながりが気になった。ただのカモフラージュだと言えばそれまでなのだが、マミからほむらの目には薄暗い炎も灯っている。決して、両者にはまったく関係が無いとは言えないのは分かり切っていた。

 

「着いたわ。結界の入り口よ」

「誤魔化さないで。ちゃんと、それさえ聞けばすぐにでも共闘するから」

 

 時間停止をしてきたからか、それほど生まれたての結界は広がっていない。

 時間的にもギリギリ余裕があるだろうと判断したマミは、ほむらを問い詰めていた。

 

「……じゃあ聞いておくわ。あなたは、残酷な魔法少女の真実を聞いてなお、戦い続ける事が出来ると誓える?」

「…魔法少女の真実? 確かにキュゥべえが縄張りを意識せずに魔法少女の勧誘をし続けるとか、まだよく分からない事もあるけど……残酷ってどういうことよ」

「少なくとも、私は一度挫折しかけたわ」

 

 言葉でしかない。マミは彼女が口にしたことしか分からないが、それでもほむらの射抜く様な視線には真実が含まれていると体が感じ取る。そして、聞いてはいけないのだと頭のどこかで警鐘も鳴っていた。聞いたら、後戻りが出来ないような気もしてくる。

 

「……成程、確かに今から戦う私達が持ちこめるような話題じゃないわね」

「分かってくれて何よりよ。とにかく、今は魔女の討伐を手伝って」

「了解よ。それに、あなたが必死になるってことは中に鹿目さんもいるかもしれないのよね?」

「ッ、何故それを…?」

「鎌掛けたのに当たっちゃったか。それじゃ、それも含めて後で聞かせて貰うわ」

 

 気にかかっていた謎が解けるとだけあって、マミはこの戦いには必ず生き残ろうという決意を固めた。戦闘モードに思考を切り替えたマミの姿を見て、ほむらも彼女の後を追って結界の中に飛び込み、中を突き進んで行く。

 ネズミのような使い魔達が行く手を遮ってくるが、魔法少女が二人もいればそれらはむしり取られる雑草の様に二人の銃撃で塵と化して行った。

 

「初めて戦ってる所を見たけど…あなたも銃を使うのね」

「そっちと違って、これは実物よ」

「ふぅん? ドンドン聞きたい事が増えて行くわ―――ねっ!」

 

 面倒になったのか、横長の砲身を作り出したマミが結界の扉ごと使い魔達を一掃する。マスケット銃だとか、そんな事を言う以前の黄色い光弾が魔女の結界にショートカットの大穴を開け、さながら立体迷路の壁を壊していくが如き快進撃だ。普通の迷路と違うのは、壊しても何の文句も無いどころか壊した方が有益と言う点だろうか。

 進めど進めど終わりの見えない無限の扉。しかし、まだ広がり続ける中途半端な構造だった魔女結界は難なく侵入者たちの横行を許してしまい、主の坐す玉座への道を遠ざける事は出来ない。壁一枚隔てた先に感じる強大な怨念の様な魔力を前に、マミは好戦的な笑みを浮かべた。

 

「ここが最奥? 暁美さん、少し下がってなさい」

「そうね、任せるわ」

 

 自信たっぷりに言うマミがリボンを増大させると、次の瞬間には複数のリボンの端が孵化した直後の魔女と怯えを見せていない桃髪の少女の間に割り込む。そして結界の中にキュゥべえと取り残された少女の顔を見て、目標の仮説はどうやら真実になったらしいと、脳内でマミは己が発想に柏手を打った。

 攻撃の方も生まれたての魔女を突き飛ばし、無防備なダブダブの服を着たぬいぐるみにも見える魔女を一時的に行動不能にさせる事が出来ているらしい。そしてマミは、助けた少女に向かって安心していいのだと、微笑みかけた。

 

「お待たせっ! 鹿目さん、怪我は無いかしら?」

 

 大きく頷いた笑顔のまどかを見たほむらは、本当に無事でよかったと胸をなでおろす。次の瞬間にはヒーローとして振舞っていた魔法少女達は、必ず勝利と安寧を齎すのだという気高き誇りを胸に、魔女へその刃を突き立てた。

 




今回はまどかの心情を表した世界にしてみました。
彼女は彼女で、一般人だからこその魅力を引き出せると思います。
そしてグロ担当は剣持になってしまう性でもあるのだろうか。

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