征暦1935年4月28日~ファウゼン 北部方面軍~
ガリア軍が圧倒的に不利の中、ダモンがグレゴールと決死の交渉を行ったお陰で、ガリア軍と北部帝国軍は5月1日まで一時停戦となった。これは国際条約に従って履行されるものであり、マクシミリアンも異議は無かった。
停戦が成った28日。3日間という少ない停戦期間の中で、ガリア軍は帝国軍が監視する中、ファウゼンに向かった。
ガリア軍が来る前に、ダモンはオドレイ達を連れ先駆けてファウゼンに入る。入った矢先、その光景を見たオドレイ達は、絶句した。
そこには、"まだ"人間と呼べる状態の兵士達が岩にもたれ掛けたり、寝かされていた。
鉱山内部までぎっしりと横たわっている兵士達からは、まるでゾンビのような声が上がっていた。
替えの包帯も無い為、頭や腕に巻かれた包帯は出血を抑えきれず、血が滴っていた。
トイレやシャワーがある筈もなく、洞窟内は悪臭と湿気に満ちており、不衛生極まりなかった。
死んでしまった者は埋葬もされず、端っこに集め、積み上げられていた。
民間人にしても、傷ついた兵士の傷口を洗う為に貴重な飲料水をチビチビと使用しているという有様である。
こんな状況に完全に諦めかけていたその時、ダモンの交渉が実った事で、ファウゼンで生き残っていた全ての兵士や民間人は九死に一生を得た。
彼らが洞窟の外からやってくるダモンを見た時、暗い洞窟に籠っていた所為もあって眩しかった。だが、外の光がまるで後光のようにダモンの背後より差し込むその光景は、誰しもが神様かと思わずにはいられなかった。
1人の兵士は、意識が朦朧とする中、その光の方へ向かって這った。彼の中では既に死後の世界にいるのだと思ったのだろう。だが、気づけば彼は這っておらず、確かにハッキリと誰かに支えられている感触を感じ取った。
その男は、息も絶え絶えな状態である彼に、言葉をかけた。
「……よくぞ、耐え難きを耐えてくれた。もう大丈夫だ」
その人物はダモンであった。オドレイと隊員2名は、悪臭漂う中、現在の状況を確認するべく既に動いていた。
少量だが医療物資もあったので、3人は命の危機がある者に優先的に治療を施していく。
ダモンの声を聴いた彼は、薄れゆく意識を再び興すと、途切れ途切れではあるものの、ダモンに向かって口を開いた。
「将………軍……。ハァハァ…グッ…待っ…て………いま……し……た…」
消えるような声で兵士は口を開く。
「あぁ…遅くなってしまったな。もう、大丈夫だ。安心せよ。ちゃんと家族のもとへ帰してやる。お主は、まだ生きねばならん。こんな所で死んではいかんのだ」
ダモンは上官として、だがその声にはまさしく父親のような感情を込めて彼に告げた。
その言葉を聞くと、彼はそこで意識を失った。死んだ訳ではなく、彼が気付かない内にダモンがラグナエイドを使用したため、副作用として眠りについたのだった。
ダモンは彼をゆっくり寝かせると、再び周りを見渡した。
「中佐。そっちの方はどんな状況だ?」
ダモンは耳に付けている無線機に手を当ててオドレイに声をかける。
"ザザッ"というノイズの後、オドレイから応答が返ってきた。
≪酷いと言う言葉以外、見つかりません…。このような状態で、よくここまで……≫
「後2時間もすれば味方の救助部隊が来る筈だ。直ぐに下山できるように、皆に伝えておいてくれ。ダルクス人達には、わしから話す。よいな?」
≪了解しました。隊員の方にも伝えておきます。それと、出来るだけ早く降りた方がいいかと思います。余りにも衛生状態が悪いです。これでは、治るものも治りません≫
「それは理解しておる。少しでもいい。皆を助けてやるのだ」
ダモンはオドレイにそう告げると無線を切る。彼は再び、手持ちのラグナエイドを、傷が深い者から順に使っていった。その後、軍服に血が付くのを顧みず、ダモンは軍人・民間人問わず1人1人背負って入口の方へ運んでいく。
ダモンは黙々と入口と洞窟の往復を繰り返す。かかった時間は約2時間。ダモンには永遠の様に感じられた。
その後、ファウゼンにいる全ての兵士と民間人を運び出すために、ランドグリーズとアスロンから掻き集めた100両のトラックやジープが、ダモン達の居るファウゼンの鉱山に到着した。到着した部隊は、順に鉱山内部へ入り、傷ついた者達と民間人の救出作業に当たった。3日間しか猶予が無いので作業は急ピッチで進められた。救出される兵士の中には、泣き崩れる者もいた。
彼らは、遂に地獄を生き延びた。
元々、ファウゼンにいた北部方面軍の数は3万5000人。民間人の数は約5000人。合計で凡そ4万人という大所帯であった。しかし、28日の時点で生き残った者は、官民合わせて僅か1万人弱という凄惨な状態であった。およそ3万人もの人々が、このファウゼンで戦死したのだ。
だが、この3万の兵士・民間人達が踏みとどまってくれたからこそ、ガリア軍は帝国軍に対して反撃を行う事が出来たのである。彼らの屍の上に、ガリアと言う国家は生き残ったのだ。
救出作業に当たったダモンは、絶望的な状況下でガリアの為に命を捨て、この場所を守り続けた英雄達を忘れてはならないと、固く心に誓った。オドレイ達も同様である。
次いでダモンは鉱山で生き残ったダルクス人達を話をする為に、救出作業は別の者に任せて、1人ダルクス人がいる場所へ向かった。
==================================
◆同日~ファウゼン ダルクス人の洞窟~
ダモンは、駆け足でダルクス人が集まっている洞窟へやって来た。
しかし、ダルクス人達も攻撃の影響を受けており、傷ついた者の姿が目立っていた。
そんな中、ダモンの姿を見ると、1人のダルクス人が彼の元へ歩いてきた。男は片目を閉じていた。
「やっとオレ達を助けに来てくれたのか」
「お主は?」
「オレか? オレはザカだ。ここに居る奴らのリーダーをさせて貰ってる。あんたは?」
そのダルクス人の青年の名は『ザカ』。
史実では、後に義勇軍第7小隊に配属され、『シャムロック号』に搭乗して戦う男である。
見た目とは裏腹にとても気さくで話しやすく、人種差別を受けてもサラッと受け流すダルクス人であった。
「わしはゲオルグ・ダモンだ。帝国軍と一時休戦してファウゼンに居る兵士と民間人の救助の指揮をとっておる」
「そうか。なら俺達も山を降りられる訳なんだな?」
そこでダモンは口を噤んでしまった。ダルクス人を全員救えるわけではないのだから。
だが、ザカはダモンの一瞬の戸惑いを見抜いた。つまり、助けに来たわけではないと、理解した。
「……なるほど。俺達は無理なんだな…」
「いや、全員は無理だが、子供だけは降りられるように交渉した。そこで、お主らに決断してもらいたくてな…。今日ここに来たのだ。此処で親と共に残るか、子供だけをファウゼンから出すか……をな」
しかし、ダモンの言葉を聞いたザカは、驚いたような表情をしていた。
「子供を助けてもらえるのか!?」
彼の中では、ダルクス人に対する差別が理由で救助を拒まれたと思っていた。
だが、子供だけは助けてあげられると言う言葉に、彼は喜んだ。ちゃんとダルクス人にも手を差し伸べてくれるという事だけでも、ダルクス人にとっては希望であった。
「うむ。必ずや子供達を保護しよう。飢えて死ぬ様な事は絶対にさせぬ。ダモンの名に懸けて、誓おう」
「そいつは助かるぜ! 直ぐに皆にも話してみる! おやっさんはここで少しの間だけ待っててくれ!」
そう言うとザカは、ダモンを置いて洞窟の奥へと戻って行った。
ダモンは、ただ待つのも勿体無いので、胸ポケットから葉巻を取り出して、久方ぶりに火をつけた。
戦争が始まってもうじき1ヶ月強。余りの忙しさに、葉巻を吸う暇も無かったダモンにとって、その一服はとても甘美な物であった。
"フゥ~"と吸った煙を吐き出す。たった1ヶ月吸わないだけで、こうも葉巻は美味しくなるのかと、ダモンは人差し指と中指に葉巻を挟んで一時の安らぎを得ていた。
葉巻を
完璧とは言えないが、ファウゼンに関しての問題は終わった。だが、問題はこれだけではない。
停戦が終われば、北部帝国軍はファウゼンを占領する。それはつまり、敵に砦を与えるという事でもある。
しかも場所はファウゼン。圧倒的に防御に適している土地なのだ。はっきり言って、ここを攻め落とすとなると、味方に甚大な被害が出るのは目に見えている。
ファウゼンを完全に落とす為にには、まず南部と中部を取り戻さなければならない。だが、中部帝国軍を率いているのはヴァルキュリアである『セルベリア・ブレス大佐』である事を、ダモンは知っている。未来で自分諸共ダモン達とギルランダイオ要塞を巻き込んで自爆した女。そんな奴が相手だと思うと、ダモンはやるせなかった。
史実では辛くも勝利したガリア軍ではあるが、この世界ではどうなるか分からない。
既にこの時点で、ファウゼンが陥落すると言うズレが起きてしまっているのだ。用心に越した事は無かった。
約7分後、葉巻を地面で潰すと、ちょうど洞窟の奥から、20人の子供を連れて、ザカが奥から戻ってきた。
子供の顔をよく見ると、目元が赤くなっていた。恐らく、両親と別れる時に泣いたのだろうと、ダモンは感じ取った。
「すまねぇ。遅くなっちまった」
「気にせんでもよい。わしも少しだけ頭の中を整理できた。その子らが、山を降りるのか?」
「あぁ。他にもいるんだが、親とは離れたくないらしい。この子達の親は、子供だけでも生き残ってくれるのであればと、託された」
子供達は、全員ザカの後ろに隠れて、ダモンを見つめていた。やはり差別を受けて来た事が、心に疑心を生んでいるのだろう。
「ふむ…。どうやらわしの事を怖がっておるらしいのう」
子供達は、ザカを見つめる。ザカはその目に無言で微笑み返すと、子供達は恐る恐るダモンの元へ近寄っていた。
ダモンは、子供達の中で一番初めに近づいて来た人形を持ったダルクス人の女の子を、持ち上げた。
女の子は、突然ダモンに持ち上げられた事に、戸惑っていた。
「軽いのう。碌に飯を食っておらんかったのだなぁ」
下手をすれば、服の下は皮と骨しかないのではないかと思わせる程、女の子は軽かった。
「別に食わせなかった訳じゃない。ただ……食わせる飯が無かったんだ…」
「……すまぬ。悪く言うつもりは無かったのだ」
「いや、いいんだ。おやっさん……約束してくれ。必ず、こいつらを生き延びさせるって」
ザカは、真っ直ぐな瞳でダモンを見る。それに応える様にダモンは力強く、ザカを見返した。
「安心せよ。命に代えてもこやつらを護ると、約束しよう。お主も死んではならんぞ。といっても、お主は死ぬ様なタマではなさそうだな。」
「おう! オレはとことん生き残るって決めてんだ! こんな所で死ぬつもりはないさ!」
ダモンはザカのその言葉を聞くと、子供を降ろして白い手袋を取り、右手を差し出した。それは、友愛の印である握手を求める動作だった。ザカは、右手を服で擦って汚れを落とすと、その求めに応じた。
「また、此処に戻る。それまで待っていてくれ。勇敢なるダルクス人よ」
「あ…ありがとう。な、なんか照れるな……」
ダモンは握手をすると、子供を連れて救助部隊の所へ戻っていく。その後姿を、ザカはずっと見守っていた。
彼は、ダモンと言う男の器量の大きさに、感動していた。人種を超えたその考えは、後のザカにとって、強い影響を及ぼすのであった。
==================================
◆同日夕刻~帝国軍特別遊撃部隊 カラミティ・レーヴェン宿舎~
「ほう。あのグレゴール将軍がガリアの停戦要求を受け入れるとは、珍しい事もあるものだな」
ダモン達が一番警戒している帝国軍の特殊部隊。カラミティ・レーヴェン。
その部隊を率いるダハウは、攻撃が止んだファウゼン近郊で、お気に入りのコーヒーを啜りながら、北部の情報報告を受けていた。
「はっ。どうやら、ファウゼンに籠っていたガリア軍と民間人を解放する為、国際条約に則り、停戦を受けたようです」
「ファウゼンと言えば、我が同胞達も多くいた筈だ。彼らの処遇はどうなっている?」
「グレゴール将軍は、『民間人にダルクス人を含まない』と」
「……やはり、ガリア人も帝国人も、同じ…か」
それを聞いたダハウは、コーヒーカップを置くと、軽く落胆した。やはりダルクス人は人間として見てもらえていない現実に。そして、その要求を呑むガリアにも。
同じ国に住んでいる人間同士でありながら、ダルクス人と言う人種を切り捨て、ガリア人を救った事実に、失望していた。
「ダハウ様。ですが、この処遇についてですが『子供は民間人に含まれる』とされています。現に偵察部隊から、ダルクス人の子供を連れて歩く大柄な男の報告を受けています」
だが、続けて報告をした兵士から、信じ難い内容が出てきたので、ダハウはその話を深く掘り下げた。
「何? どういう事だ? ガリア軍がダルクス人を救出していると?」
「はっ。偵察部隊が更に情報を収集した所、その男は『ゲオルグ・ダモン』と呼ばれているそうです」
「ゲオルグ・ダモン……ガリア軍の総司令官ではないか…!」
ダハウは椅子から勢いよく立ち上がった。仮にも一軍を統率している男が、民間人……それもダルクス人を、子供とはいえ自ら救っている事実に驚愕していた。
驚愕しているダハウに遠慮しながらも、兵士は話を続ける。
「どうやら、ファウゼンに残る同胞にも話は通っている様でして。グレゴール将軍に交渉を持ちかけたのも、その男だと言われています。その結果、チェスで将軍を引き分けに持ち込み、大幅に交渉内容を認めさせたと言われております」
「…そうか。報告ご苦労。休んでいい」
ダハウは再び椅子に座ると、兵士に対して礼を言った後退出させる。彼は右手を顎に乗せて、逡巡した。
(ゲオルグ・ダモン…。ふっ。面白い男を見つけたかもしれないな。こと交渉事において、折れないグレゴールを折らせた。これだけでも価値があると言うもの。そして、大人という現在を敢えて切り捨て、子供という未来を取った。凡人では到底できぬ決断だ。一度会って話をしてみたいものだ…)
ダハウは、先程までガリアに対する失望感を抱いていたが、この報告を機に、ガリアに対する見方を変える事となる。これはキッカケとして、近い将来、彼が大罪人となる人生もまた、大きく史実から外れる事を、ダモンは知らない。
人形を持った女の子も、史実から外れて、生き残りましたね。(死んだかどうかは本編でも描写されていないので普通に生き残ったのかも知れませんが(汗))