わしを無能と呼ばないで!   作:東岸公

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第二十四話 ダモンとダハウ

征暦1935年7月29日~ガリア領内 使われていない森の洋館~

 

「ふむ。やはりここに間違いないようだ」

 

地図を頼りに目的の場所を探し続けて翌日。ダハウ一行はクローデンの森の中にひっそりと、しかし大きく佇む洋館の前に立っていた。洋館は凡そ綺麗とは言い難いほどに寂びれていて、用が無ければ絶対に人は近づかぬであろう。しかし地図に書かれている場所は此処である。中には目的の人物であるダモンが静かに待っているのだ。

 

「お前達2人は入り口で待機していろ。残り2人は私と共に来い」

「はっ!」

 

ダハウは供を連れて洋館の扉を引いた。中から冷たい空気が漂ってくる。

時期は8月目前でありながら、この中は冬なのではと思わせるほどに空気が凍っていた。

木製扉特有の鈍い音を立てながらゆっくりと開いた先には玄関ホールが広がっていた。中央には2階へと続く階段があり、それを挟むように燭台が立っていて申し訳程度に火が揺らめいていた。

 

「埃が舞っている…。整備されなくなってから余程の月日が経っているようだが…」

 

ダハウは自分の足元を凝視した。自分達ではない誰かの足跡が入り口から左の両開き扉へと続いている。

足跡の数から、相手も自分と同じように部下を連れてきているのが分かった。

この扉の先には間違いなくダモンが来ているとダハウは確信する。

 

「戦闘準備をしておけ。万が一ということもある」

「了解しました」

 

部下であるカラミティ・レーヴェンの従者2人は懐に忍ばせてあった拳銃を抜き弾の数を確認する。

2人は"カチャッ"とスライドを引いて臨戦態勢を整え、ダハウ自身もとっさに回避が出来るよう細心の注意を払って扉の前まで歩いた。

 

「行くぞ」

 

ノックをせずに素早く扉を開けると、そこは大食堂と思わしき所であった。

長いテーブルの先に視線を移すと、そこにはダモンが指を組んでこちらを見ていた。

そのすぐ後ろにはダモンが連れてきた2人の部下の姿も確認できる。敵意は無いが頭には布が巻かれていて少し怪しく感じた。

玄関ホールとは違い暖炉が燃えている事もあり此処は空気が暖かかった。暑すぎず寒すぎず、丁度良い室温だ。

 

「待っておったぞ。ダハウ大尉」

「……お初にお目にかかります。帝国軍特殊遊撃部隊カラミティ・レーヴェン隊長のダハウと申します」

「そう身構えるでないわ。わしが呼んだのだからお主は客人ということになる。その椅子に座ってゆっくりと話をしようではないか。ハッハッハ」

 

指を組みつつ笑みを浮かべて話しかけてきたダモン。姿こそ好々爺の雰囲気を醸し出しているが、ダハウは直ぐにダモンの持つ裏の顔を見抜いた。

―――この男は只の老将軍ではない。血を求めている獣の様に眼には猛々しい炎が宿っている。

ダハウは拳銃にこそ手を掛けなかったが、警戒を解いた訳ではなかった。

しかしとりあえずは手紙の意図を聞き出さなくては話にならない。ダハウが言われるがまま椅子に腰かけると、すぐさまダモンの側近1人がダハウの前に紅茶を差し出した。視線をダモンに向けると首を振った。どうやら毒殺目的ではないらしい。

 

「それで…私めにお誘いをかけたのにはれっきとした理由があるのでしょう。手紙の真意をお聞かせ願いたい」

「ふむ。単刀直入だの。もっと段階を踏んで話をしたいのだが…どこから話せばよいかの」

 

顎に手を乗せてダモンは思案した。はっきりと言うべきか、順を追って話すべきか。

しかしダハウは敵でありながら自分の手紙を信用して此処へと来たのだ。ここは彼の顔を立てる為にも素直に話をした方が印象が良くなるかもしれない。そう考えてから暫くの沈黙の後、ダモンは口を開いた。

 

「率直に言うなれば、わしはお主に寝返ってもらいたい」

「フッ…。まぁそんな事だろうと思ってはいましたが…」

 

暖かい紅茶を啜りダハウは薄ら笑いを浮かべる。

結局の所、彼らもまた手駒を増やしたいのだ。ダハウというダルクス人でありながら傑出した才能を持つ人間はヨーロッパにそうはいない。太古の昔より虐げられてきた民族に、このような崇高な意志をもって帝国に付き従う時点で、ダルクス人としてはある意味異端である。内通者にはもってこいの物件…もとい適任者であった。

 

しかしダハウはそれすらも自分の頭の中に組み込んでいる。相手に利用されながら逆に相手を利用するのが、彼の一番恐ろしい部分なのだ。そしてこのバランスが崩れる時、彼の本領が発揮される。相手に利用価値が無くなれば、相手からわざと捨てられるように策謀し、気が付けばまた新たな利用価値がある相手と付かず離れずの関係を持つ。

帝国内で武力抗争に明け暮れ、妻を失い、友を失い、そして同胞を失い続けてきたからこそ、彼は常に謀の中の極地に立ち続けている。それは(ひとえ)にヨーロッパ中でダルクス人を長年苦しませてきた『民族差別という名の(くびき)からの解放』と『ダルクス人の独立』という途方もない夢があるからこそである。彼の考えは世界中から失笑を買うものだ。だが同胞であり仲間でもあるダルクス人から見れば、例えるならば、(かつ)てアレクサンドロス大王が行った終わりが見えない東方遠征の果てにあるとされた最果ての海(オケアノス)を追い求め続けるかのように、『ダルクスの独立』という叶う筈が無い夢を無我夢中で追い続けている偉大なダルクス人であった。

 

―――――叶わぬからこそ追い求め、届かぬからこそ挑むのだ―――――

 

人とは夢を実現させる事が出来る唯一の生物であると言われている。ダハウの理念や行動は同じダルクス人からすれば正に希望の光と言っても過言ではないのだ。だからこそダハウは彼らの希望の光を絶やさぬために、様々な権謀術数を用いていつまでも彼らの光となるべく生きている。

淡く薄く、しかしはっきりと認識し前を見続けているダハウだからこそ、彼の元にやって来るシンパは絶えない。

 

「我らダルクス人を家畜の如く扱っておきながら、閣下やその他人種は我らを利用する為に様々な謀を行っている。私はダルクス人としての誇りをかけ、この戦争で勝利の2文字の影を支えてきた。例え蔑まれようとも、泥水を飲まされようとも私はそのようなダルクスの名を汚す提案には応じかねる」

 

ダルクス人の中には「ダルクス人である」というのが恥ずかしいという者さえいる。

各国問わず民族差別を受けてきた中で、ダルクス人は自らのアイデンティティさえも失いかけているという状況なのだ。ダハウ自身、自分の様な意志を持つ者がヨーロッパにどれほど存在しているのか分からない。多くのダルクス人は422部隊に所属するダイトの様に全てを諦めている者達で溢れかえっている。

 

何故ダルクス人の両親から生まれてしまったのだろうか。

何故我々は差別を受けなくてはいけないのか。我々は何もしていない。

神話の中の罪を何故我々が負わねばならないのか。貴方達が行う我々に対する暴力や侮蔑は罪ではないのか。

 

これらの言葉を言っただけで、そのダルクス人は石を投げつけられる世の中なのだ。

ダルクス人は『抵抗』という最後の砦すらも失い、只々沈黙を続ける有様となった。

だがダハウは違った。弾圧を受け同胞を失い続けてもなお抵抗を続けた。彼が作り上げたカラミティ・レーヴェンの名は未だ小さく、一部のダルクス人にしか認知されていない。

それでも蟻が象に叫ぶかの如く彼やジグ達は声高々に言い続けた。

 

―――――絶対に諦めるな。絶対に、絶対に、絶対に!―――――

 

この言葉を信念にカラミティ・レーヴェンに所属するダルクス人隊員は抵抗する。

敵はガリアではない。連邦でも帝国でもない。我らダルクスに害する者であると。味方は同胞だけであると。血を血で拭ってでも我らは我らであり続ける。それが全てのダルクス人に定められた宿命なのだと。

ダハウはジッとダモンを見つめ恐れず堂々と提案を蹴った。

 

短い会話ではあったが、結局この男もマクシミリアンとそう変わらない。

 

そう悟ったダハウはすぐさま懐に忍ばせてあった拳銃に手を伸ばす。そうと分かれば後はこの男を殺すだけである。ダモンが死ねばガリアは再起不能となるだろう。やるなら今しかないとダハウは決断。椅子から立ち上がり行動に踏み切ろうとするが、ダモンの口から出た言葉によって、その決断は一気に潰されることなった。

 

「ガリア公国がダルクス人の国家であってもか?」

 

時間が止まったかのようにダハウは静止した。

無論ダモンから発せられた言葉を聞いたのはダハウだけではない。彼の側近であるダルクス人2人の耳にも入っており、部隊特有の仮面を被っているその下では、ダハウと同じ様に動揺して目を見開いていた。

 

しかし、ダモンの後ろに控えていた顔の分からない2人の護衛にも動揺している姿がダハウの目に映った。

―――この男…何かを隠している。それも歴史が覆されるかもしれない程の重要な何かを。

"パチパチ"と暖炉から漏れる音が大食堂に響く。同時にダモンの口元では僅かに口角が上がっていた。組んでいた指を組み直しながら、ダモンは目の奥を覗きこむようにダハウを見遣る。

 

「どういう意味の言葉だ?」

「どうもこうも…言葉通りの意味よ。それ以上でも以下でもない。もっと詳しく知りたいのならば再び椅子に座るがよい。わしは逃げぬ」

 

自分が殺されるかも知れないという状況で、ダモンは物怖じせずに淡々と言葉を紡ぐ。

懐で握っていた拳銃を抜こうとしていたダハウは、この一瞬で迷いが生まれた。

ここで彼の言葉に従って椅子に腰を掛けてしまえばダモンを殺す機会が失われる。既にダモンの側近は臨戦態勢に入っている。もし行動に移せば撃たれるのは自分達だ。二度目の不意打ちは通用しない。チャンスは今しかないのだ。

 

しかしダモンの放った爆弾発言が看過できないのもまた事実である。恐らくこれから話そうとしている内容こそが、この男の真の目的なのかもしれない。でなければこのような出鱈目を言う必要がないのだ。場合によっては今後の部隊行動にも支障を出すかもしれない。それに、何よりダモンの言葉はヨーロッパ中に散らばる全てのダルクス人にとって、正に夢の言葉なのだ。

 

ダハウは瞬時に脳内で前者と後者を秤にかける。ここで安易に判断を下してしまえば、自分は一生後悔し続けるかもしれない。そう考えながらダハウは思案した。

大食堂が静寂に包まれる中、ダハウは遂に決断した。その間だけ、何時間も経ったかのようだった。

 

「…いいだろう。聞かせてもらう」

「ダハウ様ッ!?」

「よいのだ。こうなれば最後まで話を聞いて、それから判断する。お前達も楽にしろ」

 

部下2人は咄嗟にダハウに抗議したが、結局彼の決意は揺るがなかった。

隊員はダハウに指示された通り武器を下ろし、姿勢を元に戻した。

ここまで言うのであれば寧ろ気になるというものである。ダモンもダハウの決断に胸を下す。

 

「よくぞ決めてくれた。ただしダハウ大尉。その護衛2人は外に待たせよ。これから話すことは一切の他言を禁ずる。これを約束してくれるならば、わしは最後まで真実を話そう。無論約束を破った暁にはどのような手を使ってでもお主を消す」

「分かった。ダルクスの名に懸けて約束は守ろう。だが私からも言いたい事がある。閣下の後ろに立たされている2人は何故顔を隠すのか。それに私の部下を外すならば閣下も同様に外さねば理が通らないと思うのですが?」

「む。そうであったわ。おいお主ら、もう隠さんでよいぞ」

 

ダハウから指摘されるまで完全に蚊帳の外扱いだったダモンの側近2名。片方は大人。もう片方は子供なのかと思うくらいに体格に差がある2人は、ダモンの鶴の一声でやっと正体を曝け出すことができた。

 

「ダモン将軍。先ほど仰られた言葉。自分にも話を聞かせてください」

「……暑かった…でも問題ない」

 

布で隠されていた正体は、ダハウも知っている人物――グスルグとイムカであった。

性格や性別が全く別な2人に共通する点はただ1つ…ダルクス人であるという事。

ダモンはダハウとの交渉に向けて護衛となる人選を行った際、相手がダルクス人である所に目を付けた。その中で戦闘力と口の堅さが特に目立ったのが、422部隊に所属するグスルグとイムカだったのだ。そして何よりも両名共にダハウとの面識があるというのも大きな決定打となった。

 

今やダモン直属の特殊部隊として扱われている422部隊・通称ネームレス。

アイスラー旗下の時は全ての記録が抹消されていたが、件のアイスラーが消えてしまった為、この度ガリア諜報部は目出度くダモンの指揮下に入ったという訳である。今後は部隊の行動記録も残り、ナンバー呼称こそ特殊部隊ゆえ無くならなかったが、ちゃんとした一正規軍部隊として正式に扱われる事になったのである。弱点であった補給関係も改善され、ダモンの取り計らいで全隊員が恩赦を勝ち取ったが、誰1人として部隊を辞める者はいなかった。

 

「グスルグにイムカ……君達だったのか」

 

ダハウも相手が見知っている人物である事に驚きを隠せなかった。

まさかガリア人の側近にダルクス人が選ばれるなど夢にも思ってもいなかったのだから。

帝国でのダルクス人はどの階層の人間からも「油臭い」と言って近づきもしないのが現状である。

その現実を間近で体験して生きてきたダハウにとって、ダモンの差配には驚きしかなかった。

 

「お久しぶりですダハウ大尉。もう一度貴方に会えるとは思ってもいなかった」

「……興味ない…」

 

グスルグは自分以外のダルクス人で産まれて初めて確固たる崇高な意志とカリスマ性を持つダハウに出会ってから彼を心から尊敬していた。ガリア軍に身を置く者でありながら彼に惹かれていたのである。対するイムカといえば、ティルカ村を滅ぼしたヴァルキュリアを探す為にネームレスに居るだけで、ダハウの事など微塵も興味がなかった。

 

「さて。こちらは大尉の願い通りに約束を果たしたぞ。今度は大尉がその護衛を退かせる番だ」

「確かに。お前達は玄関で待機していろ。異常が発生したらすぐに知らせるのだ」

 

有言実行したダモンの言葉に従い、ダハウは部下2人を大食堂から追い出す。

部下からも然したる反対をせず、静かにその場から出て行った。

"ガチャン"と音を立て扉が閉まると、ダモンはグスルグとイムカにも席に座るよう命じた。

 

「さて…。何度も言うがこれは国家機密であり、過去の歴史を揺るがしかねない内容だ。絶対に誰にも漏らしてはならん。各々肝に銘じよ」

 

ダモンの言葉に3人は無言で答えた。揃いも揃って口が堅い者達なのでダモンの心配は杞憂である。

イムカ以外の2人は食い入る様ににダモンの言葉を待った。

大食堂に設置された大きな古時計で動く振り子と暖炉の炎が幾度となく揺れた後、ダモンは話し始めた。

 

「ガリア公国…この国の成り立ちは古代ヴァルキュリア人が存在していた時代にまで遡る。当時の古代ヴァルキュリア人は、ヨーロッパ中で自分達以外の民族を奴隷化し、民族浄化の名の元に悪逆非道の限りを尽くしていたダルクス人を相手に大陸中で戦争を行っていた。古代ヴァルキュリア人は他民族を救済すべく悪魔であるダルクス人と戦っていたというわけだな。初めはダルクス人達が優勢を保っていたが、次第に古代ヴァルキュリア人達が優位に立ち始めた―――ヴァルキュリアの青い炎を衣に纏い戦ったのだという」

 

一度間をあけてダモンは話を続けた。

 

「負け始めたダルクス人は、そんな古代ヴァルキュリア人に対して巻き返しを図るべく暴挙に出た。彼奴らは悪魔の力である邪法を用いて現在にまで伝わる『ダルクスの災厄』を引き起こした。100の都市と100万の人畜を焼き払ったのだな。ガリア国内に存在するバリアス砂漠はこの災厄の影響で草木も生えなくなったと言う。この時とある古代ヴァルキュリア人が、ダルクスの災厄を鎮めた功績として辺境の土地を治める事となった。その際古代ヴァルキュリア人が名乗った姓がランドグリーズ家であるとされている。で、ここからが本題なのだ。一度しか言わぬゆえ心して聞くのだぞ」

 

ダモンの言葉にグスルグとダハウは再び無言で答える。

スゥっと息を吸い込み、ダモンは話を紡いだ。

 

「しかし本当の歴史は全く違っておったのだ。ダルクスの災厄が引き起こされる前、とあるダルクス人が古代ヴァルキュリア人と取引をした。このダルクス人は同胞を売ったのよ。その結果、古代ヴァルキュリア人は取引した情報をもとにダルクス人に対して遂に勝利を得ることができたのだ。敗北したダルクス人達は罰として姓を奪われただけでなく祖国すら取り上げられた。だが裏切ったダルクス人だけは姓を奪われず、古代ヴァルキュリア人から褒美としてヨーロッパの辺境の土地を賜ったのだ。後にこのダルクス人の一族は此処へ移住し国を立ち上げた―――ガリア公国という名の国家をな。ランドグリーズ家はそのダルクス人の末裔なのだ。ヴァルキュリアの血など一滴も流れてはおらん。現君主であるコーデリア姫も含めてのう。これが歴史の真実…ガリア公国の真実なのだ」

 

長話を終えた後、ダモンは喉の渇きを癒すために置いてあった紅茶を一気に飲み干す。味わうつもりなど毛頭無かった。

 

対してダモンからもたらされた真実を聞いたグスルグは大きく眼を開け、口を震わせた。グスルグ程では無いが、ダハウも同様に驚きを隠せなかった。それもそうだろう。それまでの歴史の通説でありユグド教の教えにもされてきた神話が、この古びた洋館の大食堂で崩されたのだから。

 

「で、ではダモン将軍!このガリアという国は――」

「言ったであろう。この国はダルクス人が作り、ダルクス人が治めている国家なのだ。治めているのは過去に裏切った一族の末裔だがな。しかし歴史というのは面白い。裏切ったお蔭でダルクス人の国を唯一存続させる事ができたのだからな。しかも他国に住むダルクス人から攻撃を受けておる。皮肉よのう。クックック…」

 

大きく動揺し未だ落ち着く事ができないグスルグ。

一方ダハウは冷静にダモンへと話を吹っ掛けた。

 

「なるほど…。やっと閣下が私を呼びつけた理由が理解できました。それを踏まえて裏切れと」

「うむ。どうであろうか。此方に付いてはくれぬか?無碍にはせぬ。それにこの戦争が終わればコーデリア姫はこの真実をヨーロッパ中に告白するお積りだ。それからでもよい。どうだ?」

「…正直に言って、この事を知りえたのは僥倖でした。私としても喜ばしい事実です」

「おお!では―――」

 

交渉が成立したと思い込み満面の笑みを浮かべたダモンの顔に、ダハウは拳銃を突き付けた。

長いテーブルを挟んでいるとはいえ、この距離であればダモンの眉間に風穴を開けるくらい彼にかかれば造作もないことだろう。

喜色満面から一転、ダモンは目を点にしてダハウと問い詰めた。

 

ダハウ自身、本音を漏らせばこの麻薬的ともいえる話を信じたい。

だが何処の世界でも言われるように、美味しい話には裏がある。

「はいそうですか」と言えないのである。寧ろ敵側からこのような話を受けている時点で怪しむべきなのだ。

謀の世界は終わりがない。言わば砂漠と言ってもいい。そんな場所にいきなりオアシスが現れる訳もない。所謂蜃気楼のようなものだ。

ダハウとて馬鹿ではないし簡単に話に乗るつもりは無かった。

 

「ダハウ大尉!」

「グスルグ。私がこんな話を聞いて直ぐに認めると思うか?これまでの話が全てこの男の作り話であったならどうする? 君も差別を受けて生きて来たのだろう? このような夢戯言を真に受けるのか?証拠もなしに?」

「ですが、将軍は実際にガリア国内における民族差別をある程度抑えている事実があります。将軍のお陰でガリアに住む我々ダルクス人は、日に日に侮蔑を受ける事が少なくなっているのです!」

 

戸惑いつつもグスルグは構えを崩さないダハウに対して抗議する。

実際に日々差別を受け続けてきた彼にしてみれば、今此処でダモンが死んでしまえば今までの苦労が全て水泡に帰す。

 

「確かに証拠はありません。ですが、それを言うのであればダハウ大尉。貴方の雇い主であるマクシミリアン準皇太子がダルクス独立自治区を認める証拠もないのでは? この国よりも差別が激しい帝国が勝利した暁に"必ず"自治区を作るとは到底思えません。でも貴方は帝国に与している。そこからガリアに乗り換えた所で何の問題が有るのでしょうか?」

「君から見た私とはそう映っているのだな。だが私も部隊を作った義理がある。簡単には承諾できぬ。同胞達の命を預かる身として、寝返れというのであれば『確実に裏切ってもいい』と私に思わせてくれ。そうすれば私はガリアの側へ付こう」

 

ギリギリと引き金にかけている指に力を咥えながらダハウは告げる。

彼の言葉を聞いたダモンは歯を食いしばるが、それでも食い下がらなかった。

 

「ではこうしてくれ。わしも今の話を証明させる確たる物がない。だがガリアが勝利した暁には、すべての証拠をお主に公開すると約束する。誓約書も書こう。代わりにお主の部隊は戦闘に参加せず傍観するだけでよい。どうだ?帝国に義理を通した後であれば裏切るも何もないであろう?」

 

ダハウは逡巡する。ここで引き金を引くか否か。

この今までの戯言を信じるか。それとも確実とは言えないマクシミリアンとの約定を信じるか。どう転がっても自分に損が起きないのであれば、どちらでもいい。全てはダルクスの為だ。

 

「――決めたぞ。ゲオルグ・ダモン。貴方が私の意思を汲み取ってくれるのならば今の話、信じよう。そして証明してほしい。貴方の手でガリアを勝利へと導くと」

「…よかろう。それでいいのならば」

 

グスルグは一応の決着がついたと感じ、息を大きく吐き出した。

2人のやり取りは見ていて冷や汗が止まらなかったのだから仕方がない。

 

「それで?まだわしに銃を向けるのか?」

「今の我々は敵同士なのです。敵に銃を向けるのは当然の事でしょう」

「まだ敵と称するか」

「えぇ。今の私は帝国軍に身を置く存在。おいそれと寝返れば本国にいる同胞を見捨てる事になります。それだけではありません。『ダルクス人は裏切る』というレッテルが張られかねない。そうなれば私の存在価値が無くなります。ですから―――」

 

刹那、ダハウは引き金を引いた。

イムカが咄嗟に動いたが、間に合わず弾丸は銃口から発射された。

しかし、弾丸はダモンの頭の横を通り抜けて大食堂の壁へと吸い込まれていった。

 

「ですから閣下に協力することはできません。何故なら我が部隊に我が軍(・・・)の情報を流す者が現れ、何故か我が軍は小規模な内部攪乱を受ける事になるかもしれませんので」

「うむ。それだけでも非常に助かるわい。今度こそ交渉成立と受け取ってよいのだな?」

「さぁ分かりかねますな。でも私は気が変わった。今後カラミティ・レーヴェンはガリア軍との戦闘を避けて動き、情報収集に力を注ぐかもしれません」

 

発砲音を聞きつけてダハウの部下達が扉を乱暴に開いたが、彼らがそこで見たものは、力強く握手を交わしてお互い獰猛な笑みを浮かべるダモンとダハウであった。

 

この秘密会談以降、ガリア軍は何処からともなく現れる謎の黒い集団に襲われる事が無くなり、帝国軍はガリア軍に何故か情報が漏れ続けるという理解不能な状況へと追い込まれるのだった。

 

 




話の例えとしてアレクサンドロス大王の話を持ってきましたが、実際東方遠征の目的って何だったのでしょうね。本やらネットで調べても多種多様に論説があったので、今回は分かりやすくとある征服王を元に書きましたが、本当の所とても気になります。

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