俺は竈の女神様   作:真暇 日間

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竈の巫女、大規模工事

 

 頑張りすぎた結果、森ができた。ちょっと意味が分からんな。だが意味がわからなくとも理由はあるし理屈も通る。その理屈は道理ではなく無理かもしれないが、神代においては無理なんてものは英雄や神の意思の前に割と押し通されてしまうものだ。結果として最後に通すことができさえすれば無理は無理ではなくなる。

 よくある『無理は嘘つきの言葉、途中で諦めるから無理になる』と言う言葉だが、それは根性論ではない。確率論だ。

 人間の想像しうる全ての出来事は現実に起こりうる事象だが、想像できたところで確率が低ければそう起きるものではない。それを起こさせるには、試行回数を増やしてやればほぼ0の確率であっても完全に0でさえなければいつかは現実に起きる可能性はある。

 ……と言っても、現状起きているこれは俺にとってはそこまで難しい理屈でもなければ不可解なことでもない。少々やり過ぎた自覚があるから現実逃避はしていたが、そもそも俺が主体になってやったことだ。理解できないことを実行するならその前に小さな実験室で同じような状況のミニチュアでも作って実験してから実行するだろう。

 

 で、話は戻ってこのそれなりに大きな森はなにかと言えば、植樹の権能を使って樹を植えてからクー・フーリンのルーンで水と金属を概念だけ引っ張ってきて、火を起こして五行相生で増幅を続けてやった結果、出来上がったのがこの森だ。ちなみに水は湖に、火は水と混じって温泉に、土は微生物がたっぷりの畑に、木はご存じ森に、金属は土と合わさり鉱脈になってしまった。いったいどれだけ規模が大きくなるんだろうな。

 と言っても、ちゃんと調整は加えてあるから火の力を大きくしすぎて火山を作ってしまったりはしていない。湖だって妙な魔獣が住み着いたとしても問題なく狩ることができる程度の大きさにしかしていないし、森の方もウルクにあったフンババの住む森と同じ程度のもの。温泉は色々と種類ができたが、源泉は一つである以上あまり大きくはできないし、鉱脈については地下深くに押し込んでマントル内に対流させることで散らしてしまう。ちょっと世界的に鉄が多くなってしまった感じだが、この場所にあまり多くの物を集中させると言うのもあまりよろしくない。水に森に豊かな土、これがあると言うだけでかなりの好条件だと言うのに、鉱脈に加え冬でも簡単に暖を取ることができるとなれば、人間だったらこの地を奪おうとしてもおかしなことではない。人の欲とは限りないものだと言うのはよく理解しているし、それで破滅した人間も多く見てきた。流石ギリシャだよな、色んな意味で。

 だから、俺が率いるこの民族は生きることと代を重ねることを何よりも優先できる奴を多く呼び込んでいる。まるで獣のような在り方だが、人間も動物である以上獣とそう変わるものではない。結局は育て方の問題だ。

 ただ、人間と獣の大きな違いは何かと言われれば、人間は今の限界を越えるために訓練をすることができること、だろう。獣は必要にならなければそんなことはしないし、数度で大概諦める。しかし人間は必要になるかどうかもわからない事に備えて自身の限界をより高くすることができる。その点だけは俺も認めている。

 ちなみに神格はそう言う点では獣寄りだ。自身のできることを増やそうとする神格などそうは居ない。俺が知っている限りで言えば、俺だけだ。

 ちょっと珍しいくらいだと自分では思っていたんだが、なんで自分にできないことをそのままにしておくんだろうな。自分以外に遥かに上手い奴が近くにいるからそいつに任せればいいとでも思っているのかもしれないが、それだといつか破綻が来るかもしれない。そんな時のためにも自分で多少はできるようになっておくべきだと思うんだが。

 


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