目の前で起きたことが、理解できなかった。鈍い衝突音、地面に打ちつけられるテツジさん。右足を押さえ、苦しそうに声を上げながらうずくまっていた。
今でも、思い出す度に頭が痛くなる。あの時の景色を、忘れたくても忘れられない。
「あ……あ……!」
まわりのことが一切見えなかった。ただ、苦しむテツジさんから目を離すことができなかった。
気がつくと、体を揺すられていた。リンだと気づくのには時間がかかるほど、まわりが見えなかった。
目に涙を溜め、何かを言っている。そうしているうちにリンに手を取られ、いつの間にか来た救急車に乗せられる。きっと、さっきの子供の母親が呼んでくれたのだろう。
私はされるがままだった。正気を失い、ただ呆然と目に映るものを見ているだけだった。
ついさっきまでは、元気に話していたテツジさんが……。今日の試合を、子供のように心待ちにしていたテツジさんが……。
痛ましい姿で、テツジさんは救急車に乗せられる。それから病院に着くまで、私はずっとテツジさんのことを見ていた。
夢であってほしい。だって、これまでだって、現実離れしていたようなものだったでしょ?
だから……今回だけは、夢であってほしい。興奮しすぎて見た悪夢で済んでほしい。今ほど、そう思ったことはない……。
***
病院に到着してからは、ただ待つしかなかった。無事であることを祈るだけだった。
「………………」
リンも、黙って待っていた。言葉を交わせるほどの状態ではなかった。それほどまでに、今の私たちは弱りきっていた。テツジさんの事故を目の当たりにして。
それから、何時間……経っただろうか?テツジさんは病室へと移動され、私たちも一緒に病室にいる。
「リサちゃん、リンちゃん!元気ないよ。俺なら大丈夫だから」
「そ…そうですわね……」
幸い、命に別状はなかった。ただ、その右足には包帯が巻かれ、ベッドに横たわっている。
「リサちゃんも、そんなに落ち込むことないよ」
私は……言葉を返すことができなかった。
「……そろそろ帰りますわ。もう遅いですし、また……来ますわ」
「うん。楽しみにしてるよ」
私は、そのまま病室を後にした。テツジさんに声をかけることすらできず、病院を出た。数時間前とは比べ物にならない程沈んだ気持ちで、歩道を歩いていた。
「……今日は、残念でしたわね」
「…………」
「試合も、テツジさん抜きで行われましたけど……負けてしまいましたわ」
「……そんなこと、どうでもいいよ」
「えっ……?」
「テツジさんは……またサッカーできるんだよね……?」
チームの勝敗なんか気にもとめない。テツジさんの体は大丈夫なのか。そのことしか頭になかった。
「……続けるのは、ほぼ不可能だと医者は言ってましたわ。歩くことさえ、何とかできるかも……と言ってたくらいですわ」
そんな……テツジさんは、もうサッカーができない?
「ほぼってことは、可能性はあるんだよね……?」
「……ゼロに限りなく近いですわ」
そう言ったリンの声は震えていた。じゃあ、本当に……?
「……嘘だ」
「嘘じゃないですわ」
「そんなはずない!……そうだ、これは夢だ。夢なんだよ……!こんなことが、現実なはずない!テツジさんが怪我したのも、テツジさんから……サッカーがなくなることも!!」
夢だ、夢だ、夢だ、夢だ……!都合の悪い夢でしかないんだ!!
本当なら、今日はリンと一緒に、テツジさんの活躍する試合を観るはずだった!テツジさんがゴールを決めて、観客を湧かせて……!
その時だった。右の頬に痛みを感じた。リンが、私を平手打ちしていたのだ。
「いい加減になさい!これは夢なんかじゃありませんわ!!嘘偽りない……現実です!!」
私は愕然とした。これが、現実……。理不尽で、それでも受け入れるしかない現実に……。
「……現実、なの?」
「そう……ですわ。だから、これからテツジのために、何ができるのかを考えていかないといけませんわ。そのために━━」
「……そうか。これは、現実か。そして……この現実は、私が招いてしまったんだ」
リンの言葉を遮り、いや聞こえないと言わんばかりに、私は1人呟いた。諦めと、悲しみと……自責の混じった声で。
「……!?何を……」
「だって……そうでしょ?この事故の発端って……考えてみれば、私だよね……?」
車に轢かれそうになった男の子を、テツジさんがかばったことで起きた事故だ。
なら、あの時まわりの私たちがもっと注意していれば、未然に防げたのではないか?
それに、私が男の子に声をかけなかったら、そもそもテツジさんたちも男の子に気づかず、スタジアムに入っていっただろう。
だとしたら……全て、私が招いた。私が、テツジさんにかばわせた。私が、そんな状況を作ってしまった。
私が……テツジさんから、サッカーを……奪った。
「そんなこと……あれは、仕方のないことですわ!リサのせいでも、負い目を感じることもないですわ!」
「……じゃあ、悪いのは誰なの?」
「……それは」
ほら、答えられないじゃないか。悪いのは、テツジさんを轢いた車でも、道路に出た男の子でもないんだよ。
だから、答えられない。そうだよね……私が、全て悪いんだから。
「サッカーをするのは、人を楽しませるためだって。テツジさんはそう言った。けど、それを台無しにした」
「リサ……」
「今日の試合もテツジさんは楽しみにしてたのに……。ひどいよね。私は……受けた恩を、仇で返すような人なのかな?」
口を開けば、どんどん苦しんでいく。自分のしたことの大きさに耐えられない。
「……だから」
私は、あることを決めた。それが、テツジさんへのせめてもの償いになると信じて。
「もう、サッカーができないなら……仕方ない。認めるよ。けど……テツジさんが作ってきたチームを、その道を、残したい」
多分、テツジさんが抜けたあのチームでは……そこまで目立つ活躍はできないだろう。今日の試合の結果が、それを物語っている。
だとすれば、やがては廃れていく。テツジさんのチームは、これまで頑張ってきた道のりは残らない。そんなの……嫌だから。
「私が……エレメンタルメモリーを、語り継いでいく存在になる」
「語り継ぐって……」
「人々の中に、その名を刻めるように……。サッカーは無理でも、それに代わる何かで……全国に行く」
本気で、そうする。いや、しなくてはいけない。これは贖罪。テツジさんからサッカーを奪った私ができる、唯一の……
「全国という舞台で、名前を遺す。それまでは、私は……テツジさんには会わない」
「……っ!何を言ってますの!?」
「悪いのは、私だよ?どの面下げて会いに行けるのさ?全国に名を遺して、全て終わったら……その時は、テツジさんの所に行くよ」
私は早足で歩き出す。それは、私の強い決意の表れでもあった。
「ま…待ちなさい、リサ!」
すぐさま追いかけ、リンは私の肩を掴んでくる。納得いかない?きっとそうだろう。けど、これくらいしか、私にはできないから。思い付かなかったから。
「……テツジさんのこと、頼んだよ」
その一言だけを残して、私は早足でその場を去った。リンは、もう追いかけてくることはなかった。
そして、その日を境にリンとの交流は無くなり……それから数ヶ月が経って、私は引っ越すことになった。
ある意味ラッキーだったのかもしれない。私を後押ししてくれているとも感じた。
とにかく、私は誓った。テツジさんの存在を遺すと。そのために過去を絶ち、そのことだけに生きようと。
ただ1人、罪を滅ぼすために……。
***
あれからもう7年が経つ。時間が過ぎるのは早いものだ。けど、私はまだスタートラインにすら立っていない。
ヴァンガード。それが、私の選んだ道。エレメンタルメモリーの名前を、全国に遺すための。
やはりと言うか、テツジさん抜きの関東EMは、すぐに弱体化し、もう表舞台に名前が出ることはほとんどない。
だから、急がなくてはいけない。早く全国へ行かないといけない。この4人で、必ず。
そんな時にリンと再開して、今、目の前にいる。ヴァンガードをしていたことには正直驚いた。
そんなリンと、今ファイトをしている。リンは私の間違いを正すためと言っているけど、私は間違ってない。どこでも。
「リサ……あなたがエレメンタルメモリーを語り、全国に立つことに意味はあるのかしら?あなたがするべきことは、もっと他にあったはずですわ!!」
「そんなことない……これが、私にできることよ!」
私がテツジさんに与えたものは、あまりにも大きい……。もちろん、それは悪い意味で。
「あの……さっきから言ってることって……」
そんな2人のやりとりに、ファイトを観戦しているシオリは、全くついていけない。
「……ちょっと昔に色々あったみたいっスよ。俺と会う前の話みたいっスけど」
「じゃあ、さっきから言ってるエレメンタルメモリーってチーム名も関係が……?」
「昔、横山テツジってサッカー選手がキャプテンをしていたチームっス。今ではほとんど名前を聞かないチームっスけど、横山テツジがいた頃はかなり強かったみたいっス」
そんなシオリに、ある程度状況が掴めているトウジが説明する。
「数年前に事故にあって、選手を辞めて……横山テツジについてはこんなものっス」
「えっ、じゃあ森宮さんは、その横山さんのために……?」
「かも……しれないっスね」
その言葉に何かを感じて、シオリは再びファイトに意識を戻す。
「……ふざけるのも、いい加減になさい!今、テツジがどんな状態なのか……リサにはわかってますの!?」
「……状態?」
リサは、その言葉に違和感を覚えて思わず聞き返す。何か、テツジさんにあったのだろうか。
「本当に……あなたは仇を返すことしかできませんの?あなたの行いが、何をもたらしたのか……省みなさい!コキュートスのスキル!」
ここで一旦、ファイトからかなり時間が経って状況を忘れている人もいると思うので、おさらいしよう。
リサは現在ダメージ3。手札は4枚だ。そしてフィールドにいるユニットは
ルーカス トランスコア コーラル
ブレイブ キブロス
一方、リンはダメージ4。手札は1枚だけ。
ブルーブラッド コキュートス ルイン
イービル
フィールドはこうなっている。現在、リンがコキュートスにライドしたところからファイト再開だ。
「CB2、ドロップゾーンから伊達男 ロマリオ(8000)をコールしますわ!」
コキュートスのスキルで、ドロップゾーンからユニットをコール。グランブルーの特性を生かして、リアガードを充実させてきた。
「行きますわ!ルイン・シェイドでアタック!スキルでデッキ上から2枚をドロップ!パワー2000を与えますわ!(11000)」
「アクセラレイテッド・コマンドでガード!」
「次はイービル・シェイドのブースト、コキュートスでアタック!イービルのスキルでデッキ上2枚をドロップ!パワー4000を与えますわ!」
さっきのルイン・シェイドの時も、今のドロップでもトリガーは出なかった。ということは……!?
「さらにコキュートスのリミットブレイク!パワー5000を与え、25000でアタックですわ!!」
ダメージはまだ3……。クリティカルを引かれても、まだ防げる!
「ノーガード!」
「では、ドライブチェック……1枚目、荒海のバンシー。クリティカルですわ!パワーをブルーブラッド(15000) クリティカルをコキュートスへ!(25000 ☆2)」
「っ!やっぱりクリティカルを……!」
これで後1枚クリティカルが出れば……私の負けだ。
「2枚目……!」
「…………」
みんなが息を飲むのがわかる。緊迫した状況で、引いたカードは……
「……残念。クリティカルではありませんわ。でも、スケルトンの見張り番。スタンドトリガーよ」
「なっ……スタンド!?」
ルイン・シェイドがスタンドし、パワーも与えられる。(14000) これは、ある意味不味い。
「ダメージは……トランスコア・ドラゴンと、ジェットスキー・ライダー。クリティカルトリガーよ!パワー、クリティカル共にトランスコアへ!(16000 ☆2)」
何とかダメージ5で留まったものの、まだ2回アタックが来る。
「ルイン・シェイドでアタック!先ほどと同じくパワープラス2000!(16000)」
「ラザロスでガード!」
「……っ!まだ耐えますの……?ならこれで!ロマリオのブースト、ブルーブラッドのアタック!(23000)」
「……スーパーソニック・セイラーでガード」
「く……ターンエンドですわ」
リサ:ダメージ5(裏2) リン:ダメージ4
ダメージトリガーのパワーアップがなければ、防ぎきることはできなかった。けど、手札は残り1枚。
「……リン、1つ聞かせて。テツジさんは……今、どうなってるの?」
さっきの言葉がやけに気になり、私は聞かずにはいられなかった。
「テツジは……少しずつ回復に向かってますわ」
「……!」
「……けど」
けど……?その後に続く言葉に恐怖を覚えながらも、私はリンの言葉を待つ。
「この7年間、私はテツジの辛そうな顔しか見てませんわ。笑顔よりも、悲しい顔の方が多くなりましたわ……!」
「……私のせいなのよね」
そうだったのか……。全く、ひどい話ね。奪ったのは、笑顔もだったか。
「リサがテツジのことで責任を感じているのなら、テツジに顔を見せてあげることが、あなたの言う罪滅ぼしなのよ……!」
「…………」
「テツジの所に行くだけで……それでよかったのに!!」
そんなこと、できるわけない。今さら、会わせる顔もない。まだ、贖罪は果たしていない……!
「このイベントが終わってからでもいい。テツジに……顔を見せて……お願い」
「……できないわよ。私は……!」
私は奪った。テツジさんからサッカーを。そして、知らず知らずのうちに、笑顔をも奪った。
リンの言うとおり、仇しか返せない。テツジさんからは、色んなものをもらっているのに、私は……
「私は……テツジさんに、まだ何も返すことができないのよ!?手ぶらなままで……テツジさんのもとには、行けないわよ!!」
「……それは違うよ、森宮さん」
「シオリさん……?」
突然割り込んだ声に、2人してそちらを見る。その声の主は、シオリさんだった。
「その人は森宮さんにとって、本当に大切なんだね。だとしたら……私はその人のもとにいてあげた方がいいと思う。……時間が経ちすぎてからじゃ、取り返しがつかないことだって……あるんだよ?」
「シオリさん……でも……」
「今はそうやってグダグダ言っていればいいよ……。でも、後になって絶対に後悔する時が来る。あの時こうしていればって、思った時には」
後悔……か。私は、知らないうちに後悔するのかな?いや、既に後悔しているのかもしれない。
1人踏み出した、贖罪への道。罪を感じて、会うことを遠ざけて……けど、本当は会いたかったんだよ。
テツジさんと、リンと、私の3人で笑いあっていた時間。幼い時の、夢のような現実。
私が……間違っていたのかな?私が素直でいたのなら……テツジさんと、リンと、笑っていられたのかな?
あの時、踏み出す方向を間違えていなかったら、そんな日々が、少しは続いていたのかな……?
「……リン」
だとしたら、大馬鹿者だ。間違ったまま突っ走って……。リンの言うとおりじゃないか……。
「……ごめん。私が、意地を張りすぎてたのね。罪だの何だの、その言葉こそが罪だったのね……」
「リサ……」
「会いに行く。遅すぎるかもしれないけど、決めたから」
その言葉に、シオリも安堵する。リサのことなのに、自分のことのような気持ちで。
そんなシオリのさっきの言葉を、シュンキが特別な想いで聞いていたのは、この場にいる者が知る由もない。
「だから、こんなファイトはさっさと終わらせて、早く行かないとね!スタンドアンドドロー!!」
もちろん、私の勝利でだ。そのための力を……今、解き放つ!!
「嵐を纏いし蒼き竜王!誓う想いは正義と共に!今、決意の咆哮を放て!!ブレイクライド!蒼嵐覇竜 グローリー・メイルストローム!!(11000)」
「ここでブレイクライドを……!」
「ブレイクライドスキル!グローリーにパワープラス10000!(21000) さらにスキルを与える!」
トランスコアの与えるスキルは、あまりアクアフォースらしからぬスキルだ。けど、この状況なら活きてくる!
「キブロスのスキル!CB1でパワープラス1000!2回使用し、パワープラス2000!(9000)」
念のため、パワーをあげておく。これで準備は整った。さぁ……攻撃だ!
「ブレイブ・シューターのブースト、ルーカスでアタック!レストしているリアガードは2体、よってブレイブ・シューターのスキルでパワープラス3000!(17000)」
「……っ!スケルトンの見張り番でガード!」
「キブロスのブースト、グローリー・メイルストロームでアタック!ここでブレイクライドスキル!リン、あなたは手札1枚を捨てないとガードできない!」
リンの手札から突風のジン、完全ガードが捨てられる。残り手札2枚のうちから捨てることを考えたら、もったいないが完全ガードを選ぶだろう。
もっとも、このスキルがなくても完全ガードは使えることはない。なぜなら……
「さらにグローリーのアルティメットブレイク!CB1でパワープラス5000!そして、グレード0でのガードしか受け付けない!(35000)」
ただし、インターセプトはできる。それでも、残った手札と合わせてガードするにはシールドが足りない。
「ノーガードよ!」
この判断は仕方ない。なら、ブレイクライドスキルで手札を捨てなくてもよかっただろうと思うが、捨てない場合、ガードできない上にクリティカルも上がるのだ。
そのため、可能性のある選択をしたまでに過ぎなかった。
「でも、私のダメージはまだ4。クリティカルが出ない限り、負けることはありませんわ!」
「クリティカルは出る!引いて見せるわ!ツインドライブ!1枚目、蒼嵐覇竜 グローリー・メイルストローム」
トリガーではない。次でトリガーが出なければ、このチャンスは水の泡だ。
次のコーラルのアタックも防がれて、またリンにターンが回る……。
「私は……引く!セカンドチェック!!」
その手に掴む、トリガーは……
「……スーパーソニック・セイラー、ゲット!クリティカルトリガー!!パワーをコーラル(13000) クリティカルをグローリーへ!!(35000 ☆2)」
「な…そんな!」
リンのダメージに、2枚のカードが入る。1枚目は、サムライスピリット。そして、2枚目は……
「……氷獄の死霊術士 コキュートス。私の負け、ですわ」
ダメージ6。私の……勝利だ。