「山口----弁明はあるか?」
「------」
―――帝王高校部室内。朝練の準備を行っていた山口を捕まえ、監督は週刊誌の紙面を見せつけていた。
そこには、一年時から投げ続けた彼の“酷使”の軌跡。そしてそれに伴い肩の怪我を隠しながら投げている―――との、記事が書かれていた。
「------問答無用だ。これからお前は病院に行ってもらう。拒否するならば勝手にしろ。―――もう、マウンドには上がらせない」
「------」
「最低だと、思うならばそうしてくれ。散々投げさせて、こんな風にするのかと」
「いいえ----これは、俺が望んだ事です」
山口は下唇を噛みしめた。
監督は、自分を誰よりも信頼してくれた。その信頼に応える事が、確かな喜びであった。
だが、今それが崩されようとしている。その瞬間を―――まるでバベルの塔の倒壊を見届けるかの如き心境で、山口はその言葉を聞いていた。
「二年の夏---始めて県予選を勝ち抜きこの高校が甲子園でベスト8の成績を残せて、俺は浮かれていたのかもしれないな---」
監督の声が、震えていた。
「結局、俺は―――一人の子供を、こんな風にさせちまったんだから」
震えて、震えて、涙も浮かぶ。
―――今この男は監督ではなく、教育者としての心が自責の念を駆り立てている。
「監督、失格だ」
崩壊の音が、確かに聞こえた気がした。
※
「関節唇の部分損傷。―――もう、保存療法では治せない所まで来ているわ。手術は必須。勿論、県予選・甲子園出場なんてもってのほか」
平坦な声で、加藤理恵はそう言い放った。
「よく耐えていたわね。―――その肩で、あんな投げ方して、痛まないはずがないもの」
激痛に耐え、マウンドに立っていた。
耐える事は、何ともなかった。
山口という男は、一度マウンドに上がればスイッチが入る。
全力と全力のぶつかり合いを本懐とする、根っからの野球人。
「診断書、出しておくわね。日常生活を送る分には問題ないだろうから手術するかは自己判断。―――もう、そうなれば、野球は出来ないと思うけど」
出来る。
出来るはずだ。
痛みに耐えるだけじゃないか。痛みなんぞ、あのマウンドに立てるのならば関係はない。身を焦がすような熱に煽られ、強打者と真っ向勝負するあの時間が、あの空間が、痛みごときで奪われてたまるものか。まだまだ、俺は野球がしたいんだ。しなければならないんだ。俺達は「帝王」だ。友沢も、石杖も、そして今年から霧栖だって入った。奴等は強い。こんなに戦力が揃う年は今までだってなかったはずだ。甲子園優勝の為の、最後のチャンス。俺はその為に、戦い続けなければならないのに―――。
解っていた。
そんな事は、出来ないんだって。
もうこの状況でマウンドで投げるのは、迷惑でしかないんだって。今の自分に、マウンドに上がる資格なんて、無いんだって。
呆然と、―――山口は、虚空を眺めていた。
終わったのだ。
何もかもが。
※
霧栖弥一郎と石杖所在は、現在一人の部員を締め上げていた。
「―――走り込みの時間、お前は何処に行っていたのかね」
「おう。俺の“知り合い”が偶然写メって送って来てくれたぜ―――お前と、瀬倉がゲラゲラと馬鹿笑いしながら喫茶ではしゃいでいたことな。練習サボってティータイムとは優雅な身分だな」
その部員は、実に肝を冷やしていた。
嘘だ。
絶対に偶然なんかじゃない。
―――どんな手段を使いやがった。石杖は、基本的にサボる部員には無関心だったはずじゃないか。
「ま、ここでやれるのは精々こんな聞き込み位だがな。暴力事件起こして高野連のハゲ共に出場資格停止喰らう訳にはいかないし。腹立たしい事、この上ないがな。よかったなぁ」
「----うるせぇよ」
「才能が無いってのはそういうこったな。南京虫みてえに地面を這い回って寄生先を探すしかない訳だ。瀬倉は金持ちだからな。寄生するにはもってこいだろ」
「うるせぇ!!」
男は、逆上と同時に、石杖を殴りつけた。
石杖が顔面を下に向けたと同時―――すぐさま霧栖はその手を抑え、羽交い絞めにする。
「うるせぇんだよ!お前なんかに、お前なんかに、俺の気持ちが解るもんか!ベンチ枠にすら入れねぇ、惨めなプレーヤーの気持ちが!うるせぇんだよ!」
石杖は冷めた表情のままその声を聞き―――ポッケから、ICレコーダーを取り出した。
「はい、ツーアウト。―――ありがとありがと。無事犯行の証拠を頂きました」
男は―――涙目のまま、それを見る。
「どうする。スリーアウトの決め方だけはお前に任せてやるよ。これをそのまま帝王の教職連中にばらされてこの高校から追い出されるのか、そのまま速やかに部から消え去るのか―――好きな方を選べ」
※
「なにやってんすか?」
全てが終わり―――数日が経ち。
石杖は夕焼け沈む河川に黄昏ている男を見つけた。
「石杖か----。いや、やることがなくなってしまったからね」
男の眼は、死人のものだった。
光が無い。熱が無い。生きる全てを、奪われた―――そんな眼をしていた。
「俺は------何処までも自惚れた奴だった。その自惚れが、お前達に迷惑をかけてしまった」
「それで?」
「俺は、エース失格だ。監督に、あんな言葉を言わせてしまうような事は、あってはならなかった」
「だから―――それで、どうするんですか?諦めるんですか?」
「諦めたくはない―――だが、そうせざるをえない。迷惑をかけるわけには―――」
その瞬間、山口の顔面に衝撃が走った。
「ぐぉう!」
とてもとても―――慣れた感触が、思い切りその顔面にぶつけられた。
何をする―――そう思った瞬間、言葉は引っ込む。
「-----グローブ?」
「ただのグローブじゃないぜ―――左用の、グローブだ」
「------え?」
「諦めたくないんだろ?だったら無駄でも最後まで足掻いてみろよ。県予選まであと三週間。予選終わって甲子園までそれから一ヵ月もある―――のべ、二ヵ月。左で投げられるようにしてみたらいいじゃないですか」
「---無茶だ。利き腕の矯正なんて------」
「あ、そ。だったら好きにしてください。週刊誌に秘密をばらされて野球人生終わらされた悲劇の主人公で終わればいいっすよ」
「-----」
ムカついた。
その瞬間に―――山口の目にも熱が灯っていく。
「県予選は既存の戦力でぶっつぶしてやります。甲子園までが期限です―――まあ、精々足掻いてください」
※
石杖所在の野球のスタンスは、楽しむ事だ。
というより、この男は基本的に甲斐性無しの根無し草だ。
長いモノには平気で巻かれるし、―――例えこの先女のヒモとなろうとも悠々諾々と生きていける程には、その心根は享楽主義に染まっている。
だが、
だが、
―――それでも、その心根には在るべき感情だって、宿っている。
染まった感情は「憎悪」
傷ついた黒犬が如き、獰猛さを内に秘め、石杖は眼前を眺めた。
―――覚悟しておけ瀬倉弓也。
―――お前は、俺のルールを破りやがった。
ルール。それは―――自らを規定し、取り巻く身内。
それを傷付けたものには―――相応の報いを見てもらう。
覚悟しておけ。
展開がジェットコースター。すみません。