ベースキャンプについたマキリが一番最初にやったことは、深呼吸だった。
心を落ち着けて、狩りに集中する。自分を客観的に見て、出来る限り最高の精神状態へと持っていく。
毎回のようにやっていることだが、今日は特に念入りに、出来る限り深く、自分の意識の底へとメスを入れる。臆病者は相変わらず顔を出さないが、身体は恐らく、いまでも臆病者のための準備を着々と進めていることだろう。モンスターの前に出たとき、えいや、とマキリの身体を止めるために、悪巧みでもしているのかもしれない。
だが、今日はそれをやられると困るのだ。
なにせ、少しでも油断すれば死ぬかもしれない狩場が目の前にはある。
一ケタの年齢から通い詰めた狩場からは、感じたこともない気配が混ざり合っていた。さながら、モンスターのサラダボウルだ。否が応にも心が引き締まり、準備に気持ちが入る。
感じる。未だかつてない死地の臭い。
マキリは引き攣りそうな頬を無理やり笑みの形に変えて、背中のアギトを抜き放った。
一振り振って、確認する。自分の動きに悪いところはないか。もう一振り、今度は違う角度で振って確認する。悪いところは、もう一振り、確認、もう一振り、確認、もう一振り、確認。
何度も何度も確認して、マキリはため息を吐く。
悪いところはない。
が、自分が納得するほどいい動きでもない。
「良くもなく、悪くもなく、って感じだね」
誰に聞かせるともなく、一人呟く。
そして、準備がすべて整った。
「・・・行こうか」
誰に問いかけているのか、そんなことは改めて問うまでもなかった。
マキリは狩場に向けて歩き出し、濃厚な死の香りの源泉へと向かっていった。
※
現れたのは、ドスファンゴ二頭だった。
二頭とも気が立っているらしく、マキリの姿を見るなりいきなり突進をしてきた。二頭同時に、違う角度から。
マキリは焦らない。焦らず、冷静に、しかし急いで対処する。
この状況、横に良ければどちらかのドスファンゴの突進の餌食になり、後ろに下がれば最悪二体の突進を受けることになる。
となれば、残るは前だ。
マキリはドスファンゴたちが突進してくる間に走る。ドスファンゴたちも、当然その長い牙をマキリに向けて方向転換しようとする。
しかし、二頭ともすでに走り出しており、急に止まることは出来ない。
結果、何が起こったか。
二頭は頭から激突し、しばしの間目を回す。
その隙を見逃す手はなかった。
「死ね」
いつもよりも数段低く、また殺気の込められた声と共に、マキリは大剣で一頭のドスファンゴの頭を殴打する。
しかし、流石はドスファンゴと言うべきか、ポポを一撃で屠ったアギトは頭蓋骨によって受け止められた。マキリの手には自分で振り下ろした大剣からの衝撃が反射し、少しだけ自分の手が痛むことを感じていた。
だが、マキリの動きはそれで終わりではない。
殴打したアギトを今度は横に動かす。出来る限り自分に近づけて、力のモーメントを少なくし、小さく、速く回転させる。それは幼いころ、マキリがギアノスの延髄を断ち切った一撃の予備動作によく似ていた。
目を回していたドスファンゴはまだ回復していない。マキリはそれを確認しながら、先ほど一撃を当てた場所を見据える。
「おらぁ!!」
裂帛の気合と共に放たれた殴打は、寸分たがわずドスファンゴの眉間を貫き、粉砕し、押し潰した。
鮮血と脳漿と骨の残骸とが混じり合い、ドスファンゴはうめき声をあげる間もなくその命を散らした。
ドスファンゴは脆いモンスターだ。硬い外皮に囲まれているとはいえ、飛竜の鱗の硬さとは比べ物にならないほど柔らかい。さらに、目を回している状況ならば目の前に立っても碌な突進など放てない。
突進のないドスファンゴなど、脅威とは言えない。
マキリは開始早々、どうにか一頭のドスファンゴを討伐できたことに安堵して、もう一頭に目を向ける。
どうやら既に目は回していないらしく、マキリをその鋭い眼光でもって睨んでいた。既に後ろ足を威嚇するように露出した土を蹴り上げる。
マキリは表情を厳しくして、ドスファンゴに相対する。ドスファンゴの眼には、手強いモンスターにみられる警戒の色が見られたような気がしたのだ。事実、マキリを目の前にして、先ほどのように我武者羅に突進してこようと言う気配は見られない。一度目が楽になってしまった分、二度目は難しくなったようだ。
二度目は先ほどのようにうまくはいかない。マキリは気を引き締め、ドスファンゴを見据える。
手に走った痛みはすぐに引くだろう。骨に異常はない。筋肉にも異常はない。痛覚だけが置き去りになっている状況だ。
問題はない。
ドスファンゴはぶるる、と籠った鳴き声を上げながら、その足で地面を蹴った。
急激な加速、そして人間には到底出せない速度。それらがドスファンゴの身体を一回り大きく見せる。しかし、マキリにとっては慣れ親しんだものだ。先ほどは取れなかった横に避ける選択肢を取り、難なく突進を回避する。
ドスファンゴはポポほどの巨体は持たないが、それを補って余りあるほどの速度がある、そもそも、速度がある方がハンターにとっては厄介だ。だからこそ、油断はできない。
しかし、油断しないようにしようとすればするほど、マキリの身体は硬くなる。それをマキリは経験としてわかっていた。
だからこそ、時間がない今と言う状況においては、敢えて、心の緊張を解く。
マキリは走り出しながら、大剣を構える。自分の身体から見て右下に付けて、振り上げる予備動作を開始する。
ドスファンゴは突進をした後、その体を止める時間と次の突進を始める時間の間に若干のインターバルがある。しかし、そこでドスファンゴが方向転換する際、その大きな牙に巻き込まれて大怪我をすることも珍しくない。初心者ハンターが良く陥りやすい罠だ。
だから、普段のマキリはそこで攻撃はしない。ではどこで攻撃をするのかと言えば、ドスファンゴが疲れ果てるまで粘るのだ。同じ動作が何度も続けば、疲労は溜まってくる。そこを狙うのがマキリのセオリーだった。これは間違いなく臆病者の戦い方だ。
だが、今はそんなことをやっている余裕はない。
「うらあ!」
マキリはドスファンゴが突進を終えたインターバルに攻撃を仕掛ける。右下から振り上げられた大剣は、ドスファンゴが方向転換しようとしている瞬間に合致して、大きな衝撃をその身に与えた。
ドスファンゴは小さくうめき声をあげながら、しかしマキリから目を離さず、その目には敵への殺意が宿っていた。ドスファンゴは小さく、突進ともいえない突進をする。助走が少なく、単なる加速のみによる攻撃だ。人間の攻撃で例えれば、振りかぶらずにパンチを繰り出すようなもの。それでもドスファンゴの身体は人間に比べて巨体であり、その攻撃は間違いなく脅威だ。当然、それは避けるべきものだ。実際、マキリにはその余裕があった。
だが、一人と一頭の周囲には骨と骨がぶつかるような鈍く、空っぽい音が響いた。
マキリは大剣の腹を使って突進を受け止めたのだ。間髪入れず、その顎をブーツで蹴り上げる。
そんなもの、ドスファンゴにしてみればなんのことはない。所詮は人間の体一つで繰り出された一撃だ。いくら顎は生物の急所であるとはいえ、若干体勢を崩すだけですぐに立て直すことが出来る。
しかし、マキリが欲しかったのはその若干の隙だった。
即座に腰から剥ぎ取りナイフを抜き放ち、目の前の眼へと突き立てる。
『ヴオオオオ!!?』
ドスファンゴの悲痛な鳴き声が響く。目の水晶体が破壊され、ドスファンゴはそこらじゅうをのたうち回る。マキリは剥ぎ取りナイフをすぐに引き抜き、腰に収める。即座に距離を取り、大剣を構える。
目の前のドスファンゴを見る限り、問題なく視力を奪うことは出来たらしい。マキリは安堵して息を吐き出す。
ドスファンゴはしばらくの間その場で暴れ回っていたが、じきに落ち着きを取り戻し、残った片方の目に怒りを宿す。そして、大した威嚇行為もせず、一気に突進を繰り出した。既に相手をビビらせてやろう、だの、ここから追い出してやろう、だのとは考えていない。
殺意。ドスファンゴにあったのはそれだけだ。
しかし、マキリは殺意に染まったドスファンゴのことを、一切恐れてなどいなかった。
破壊した目の方向に少し身体をずらす。そして、大剣を構え、横をすり抜けていくドスファンゴの肌を叩き切った。
鮮血が飛び散り、ドスファンゴが重いうめき声をあげる。もちろん、この程度で死にはしない。先ほどのドスファンゴは頭部を叩き潰し、脳を破壊したからたった二回の攻撃で殺せただけだ。モンスターの回復能力は即座に傷を回復するだろう。
しかし、目は別だ。
欠損した部位を再生できるほどの生命力は、既に生物の域を超えている。
人間が腕を失えば生えてこないように、モンスターも失ってしまえば回復できない。
片目を失ったドスファンゴは視力を完全に奪われ自暴自棄になることも出来ず、かといって相手との適切な距離感を掴むことも出来ない。
あとは、マキリが嬲り殺すだけで良い。
「ごめんね。出来るだけ早く終わらせるから」
大剣を構えて、マキリは穏やかに死刑を宣告した。
※
「じゃあオババ、行ってくるぜ」
ホイレンは、マキリが出てからすぐ準備に取り掛かった。
しかし、ホイレンもここまで急な狩りになるとは想定していなかったため、急遽道具屋で道具を調達し、その中でも必要なものと不必要なものに分けるのに思いのほか時間がかかってしまった。
結果、今は夜である。
昼から準備をしていたことを考えると、よほど念入りに準備をしたことが伺える。
オババはホイレンの格好を見ると、満足そうに頷いた。
「ふむ、行ってらっしゃい。無理をするんじゃないよ」
「ああ、オババもな。・・・というか、避難しねえの?」
ホイレンは最後の方を小声で、呟くようにオババの耳元で囁いた。すると、オババは頷く。
「あんたたちの狩りがもしも、明後日まで続くようなら避難するかね。薄情だと思ってくれても構わないよ」
「んなこと言わねえって。村長として当然だろ」
村に危険が迫ったとき、村人を率いて村を捨てるのは村長としてしなくてはならない判断だ。それが出来なくては村長などやっていることはできない。
むしろ、いま避難していないことがホイレンには不思議だった。
実際、今はかなり危うい状況だ。雪山の大食いティガレックスに加え、大小さまざまなモンスターたちが麓に集結している。しかも、ハンターの数は二人で、そのうち一人はつい先日来たばかりの新参者。
どこをどうしても、逃げない理由が見つからない。
「・・・というか、もう逃げた方が良いんじゃねえか?一応ほら、マキリが抑えきれると決まったわけじゃねえんだし、あいつにだって限界ってもんがあるだろ」
「そりゃああるだろうね。ただ、もう少し待ってみようと思うんだよ」
オババはあくまでも落ち着いて、しかし訳の分からないことを言った。
ホイレンは首を傾げ、目を細めて、オババに先を促す。
オババは控えめに笑う。
「帰る場所がないと、あの子が可哀想だろう?」
ホイレンは少しの間瞬きを増やし、ため息を吐いた。ただし、その顔には笑みが浮かんでいる。
「あいつに甘いんだな。オババ」
「この村の子は全員私の子供みたいなもんさ」
オババはそう言って、静かに笑ったが、焚火に目を向けると、小さく、呟くように言った。
「本当は、これから大仕事を控えてるっていうハンターさんにこんなことを言うのはよくないと思うんだけどねぇ」
弱弱しい、オババらしくもない言葉に、ホイレンは目を丸くする。
オババという存在は、泰然自若とし、どんな時でも周りに強い姿を見せる存在だと思っていたのだ。短い付き合いではあったが、村人の態度を見ているとそう思えた。
そのオババが、弱弱しく呟く。
「あの子を、よろしく頼むよ」
ホイレンは、オババを初めて、同じ土俵に立った人間だと思うことが出来た。
だから、笑いながら、ホイレンは返す。堂々と、オババの不安が吹き飛ぶように。
「任せとけ。きちんと無事に送り届けてやる」
ホイレンもオババも、結局のところ、マキリが心配であることは変わらなかった。
ホイレンはポポの荷車に乗って狩場へと赴いていく。その姿を見るオババの後姿は、どこか、神に祈りをささげる巫女のような厳かさがあったし、実際、彼女は祈りをささげていたのだろう。
そして、ホイレンもまた、体力を温存するため、目を閉じて休息をとる。
雪山は、まだ黒雲に覆われていた。
※
ドスギアノスの群れを、大剣で薙ぎ払う。
ギアノス十六体、ドスギアノス三体の群体は、既にドスギアノス一体とギアノス四体まで数を減らしていた。
周囲には最初に狩ったドスファンゴの死体二つ、その後殺したギアノスの群れ二十五体。そして、新たに殺したドスギアノス二体、ギアノスの死体十二体が転がっている。
マキリの身体にはギアノスの牙や爪に傷つけられ、幾つもの裂傷が刻まれていた。
二頭目のドスファンゴを狩ってから間髪入れず、ギアノスの群れに遭遇、それを殺したと思えば新たにドスギアノス三体との遭遇だった。マキリは疲労を回復する暇もなく、連戦を強いられた。
疲労はある。しかし、殺せないほどではなかった。
「っ!!」
最初こそ、臆病者が出てこれないよう、相手の気迫に押されないようにと声を張り上げていたマキリだが、直にそれはただ単にエネルギーの無駄だと悟った。
大剣を振るう筋力はまだ残っているし、体力にも余力はある。そうでなくては困る。
殺す。それだけを考えていると、不思議と身体の痛みは気にならなかった。
身体の内からもっと動かせ、もっと殺せと自分を突き動かす声が聞こえる。
ギアノスたちがどんな動きをするのか、どんな戦術で殺せばいいのか、一瞬で判断が出来る。
要するに、弱い奴から殺して行くのだ。
強い奴を殺せば弱い奴は叶わないと思って逃げていく。それではいけない。
今のマキリの目的は殲滅なのだ。
全滅させなくてはならない。
マキリはひたすら斬りつけた。転んだギアノスが居れば大剣で頭を叩き潰し、噛み付こうとしてきたドスギアノスの頭には拳骨を叩き込む。そして、怯んだところに新たな刀傷をプレゼントする。それが瞬時に回復しても構わない。相手の動きは確実に鈍っていく。
じわりじわりと殺していく。それでいい。
それ以外を考えるのは面倒だ。
面倒くさいことは考えない。
例え自分の身体から血が噴き出しても、止血すればどうにかなる。骨がむき出しになってもあとで肉を食ってればそのうち治る。大剣を握る皮がずり向けても死ぬわけじゃない。
やらなければならない。
だからやる。
気が付けば、最後のドスギアノスの頭を叩き潰したところだった。
ふっと、自分の意識が浮かび上がる感覚がした。
血が自分の頬に掛かった感覚で、やっとマキリは周りの状況に目を向けることが出来た。
「・・・ひっでえ匂い」
周囲はまさに死体の山と、血の海だった。
大部分はモンスターの血で、一部分は、きっと自分の血だろう。そう思えるほどに、マキリは身体から血を流していた。
ポーチから掌に乗る程度の回復薬を取り出して、口から摂取する。
身体の代謝が一気に高まる感覚がして、少しだけ体温が高くなる。しかし、その甲斐あってか、全身から流れる血は止まったように思える。
だが、流れでた血は補給しなければならない。
マキリは周囲を見渡して、一番状態の良い死体を探す。
しかし、周りには死体に集るハエが数えきれないほど存在していた。明日の朝になれば山ほどの蛆が湧くことになるだろう。マキリは深くため息を吐く。このあたりにある肉は食えそうにない。
ここは、一度ベースキャンプに戻るべきか。マキリがそう思ったのと同時、マキリは上から何かが羽ばたく音を聞いた。
「・・・ああ、来たか」
これは、あと一戦しなきゃいけないかな。
マキリは自分の身体が限界に近いことなど考えず、ただ、目の前に新たな敵が現れたことしか認識していなかった。
敵が現れたなら、殺す。この狩場に来てからの習慣は、今のマキリにとっての常識になっていた。故に、逃げるという選択肢はない。
果たして現れたのは、よくよく見なければ分からないような小さな目、そして竜とは思えないような歪なシルエットをした体、ぶよぶよの白い皮膚、グロテスクな赤い口。
ここまでそろえばわかる。マキリは前任者の防具を思い出しながら、目の前に降り立つ竜を見据えた。
前任者のお気に入り。
「フルフルか」
甲高い、耳をつんざくような、凶悪な叫びが鳴り響いた。