腰抜けハンター奮闘記   作:重さん

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第13話

 雪の上を進む竜車の中、マキリはぐったりと、携帯食料を食べ、回復薬を飲みを繰り返す。

 回復薬は怪我を治すアイテムだ。人間の代謝能力を一時的に高めて傷を治す。人間の回復力を当てにしているので効き目には個人差があるものの、モンスターとの戦いでは重宝する。

 回復薬の効き目は体の状態によって大きく左右される。

 何故なら代謝能力を高めるということは体の中にエネルギーを高速で使っているということ。つまりは身体の中にきちんとたんぱく質やらの蓄えがなければならないということである。つまり効果は身体の体調にも作用される。例を上げれば極限に飢えた状態で回復薬を飲んでもその効力は微々たるものだろう。

 回復薬を飲むのに最良な状態と言うのは、身体にエネルギーが蓄えられたとき、すなわち食事をきちんと消化して自分の身体にエネルギーとして溜め込んだ時。

 これらから導き出される結論は次の通り。

『食事をして少し経ってから回復薬を飲むというサイクルが怪我の治療には最も役立つ』

 もちろん応急処置としての話であり、本来ならゆっくりと時間をかけて治す方が身体への負担も少なく済む。

 ただ、マキリはそのゆっくりと時間をかけて治すという方法をとる気にならない。

 俗な理由だ。

 立派な、例えばいつでも狩場に戻れるようにしておこう、なんて殊勝な心掛けはマキリにはない。狩りは終えた。ならば少しは休ませてもらわなければ、出来るならずっと休んでいたい。臆病者のマキリの心情としてはそれが大多数を占めている。

 では、なぜ早く傷を治すのか。

 ひとえに痛いからである。

「この火傷、治るかなあ」

 特に電撃によってつけられた腕の火傷や足の火傷。幸い内側まで焼かれてはいないが、表面は大層グロテスクに焼かれていた。間違いなく跡が残るだろう。まあ跡が残る分には構わない。女子ではないし、むしろ男の勲章として受け取ることが出来る。

 ただ痛い。

 すごく痛い。

 物凄く痛い。

 空気が触れるだけでも痛みが走り、どこかにぶつけようものなら勝手に涙が溢れてくる。痛いとかそういう次元を超えて身体が危険信号を発している感覚。

 全身に満遍なくひどいけがを負っているマキリだったが、その火傷だけは早急に直してしまいたかった。

 マキリはひたすら回復薬を飲み続ける。その姿は勝利者でありながら敗残者のようであった。

 そんなマキリを心配する視線が一つ。

「ご主人。大丈夫ですかにゃ?」

「大丈夫だよコジロウ。・・・というか、なんで御者なんてやってるの?」

「にゃー、ほかのアイルーたちの手が空いてなかったらしいにゃ」

「・・・そりゃまた災難だったね」

「ほかにやるアイルーが居ないんだからしかたないにゃ」

 どこかで聞いた言い回しに、頬を緩める。人間、役割を与えられるとそれを果たそうとするものらしい。目の前にいるのは人間ではないが。

 と、そこで一昨日の嵐を思い出す。

「一昨日農場は大丈夫だったの?コジロウ」

「問題ないにゃ。布で覆ってどうにか乗り切ったにゃ」

「流石。あんなに急激に天候が変わったのによく対処できたね」

「ボクもあの処置は英断だったと思うにゃ。でも、ちょっと風に飛ばされそうになったから怖かったにゃ」

「はは、そっか。確かにあの風は凄かったからね」

 マキリはふう、とため息を吐く。

 農場の様子を聞けば、その傍らにある村にも意識を向けざるを得ない。

 マキリの心の中にはいまだに村に戻ることを許さない心情がある。ある理由に心当たりはない。されど目を逸らすには大きすぎる。

「・・・コジロウ。村で何か、変わったことはない?」

「ないはずにゃ。あ、でも一応避難する用意はしてるって話していた気がするにゃ」

「そっか」

 当り前のことだ。流石に生態系に異常が発生しているところに長く留まるのは無謀。早めに避難した方が良い。今回はいくら何でも異常事態が過ぎる。被害が出てからでは遅い。

 だから、今回の決定に不満などないし、抗議などするはずもない。

 村に異常はない。それならば良い。

 けれど、やはり、自分の力不足を実感してしまう。

「・・・ご主人?どうかしたにゃ?」

「・・・なんでもないよ。コジロウ」

 そう、昔から思っていたことを、再確認しただけだ。

 フルフルを狩れたのも、まぐれに近い。

 先に気を失っていれば、足が折れていれば、武器が握れなくなっていれば、いずれか一つがあれば容易に命を落としていた。

 薄氷の上の勝利。それ以外に言葉はない。

 実力が足りないがために、マキリは己が身を傷つけたのだ。

「・・・ご主人?怪我、そんなに痛いのかにゃ?」

「え?なにが?」

「唇が切れてるにゃ」

 マキリは驚いて、自分の唇を触る。

 そして、やっと自分が唇を噛んでいたことに気が付く。しかも、皮膚が破けるほどに強く。

「・・・またか」

 ホイレンと轟竜に遭遇した時も、こんなことがあった気がする。

 我ながら、どうにも諦めが悪い。

 呆れて声も出ない。そんなマキリの様子に気付いたのか、コジロウはあまりその件に関して触れようとしない。

 しばらくの間、携帯食料を食べてから回復薬を飲むというサイクルを再び続けているうちに、村の輪郭が見えてくる。

 幾つか見えている竜車は避難のためのものだろう。それ以外のものは何も変わらずそこにあった。

 何も問題はない。

 しかし、それを確認しても、マキリの心は晴れなかった。

 

 

 

 

 

「・・・随分、無茶をしたみたいだねえ」

「面目ない」

「いいや、それだけ頑張ってくれたってことさ。感謝はしても責めたりするのは筋違いだねえ」

 オババはそう言って、包帯まみれのマキリに目を向ける。

 雪山方面から村に帰れば、必然的に一番出入り口に近い場所に居るオババと話す。だからマキリが無事に帰ってくるときも、無事ではないときも一番最初に見る顔はオババの顔だ。

 だからなのか、オババの顔を見るとマキリの心の中には安堵が満ちる。

「・・・ふむ、マキリ、怪我を隠せるものは持ってるかい?」

 オババは考え込むようにして言う。マキリは首を傾げ、すぐに頷いた。

「うん。一応マフモフ以外の厚着はあるけど・・・痛いんだよね」

 包帯と服がすれる感覚ですら、今のマキリには拷問に等しい。回復薬で少しは楽になったとはいえ、全快には程遠かった。

 しかし、オババはにっこりと笑う。

「着た方が良いねえ」

「・・・え?」

「着た方が良いよ」

「え、でも痛いんだけど」

「着なさい」

「はい」

 流石に三回も言われれば、マキリも諦めがつく。いつになく強気なオババの姿は迫力満点。マキリも既に十五歳となるが、まだまだ祖母のような存在であるオババには勝てない。

 マキリは大人しく竜車から上着を取り出す。単純に羽織る程度のもの。しかし寒冷地で使う以上、無駄な露出など一間としてない。

 着替え終えればオババは満足そうに頷く。

「うん、それじゃあ家に帰ってゆっくり休むといい。とりあえずホイレンさんが明日中に帰ってきたら、避難は取りやめる手はずになってるからねぇ」

 オババはゆったりとした口調でそう言うと、やはり焚火の傍で鼻提灯を付け始めた。

「・・・よし、帰るか」

 もはや何も言うまい。

 マキリは身体を襲う激痛に耐えながら、道を歩く。

 村の中は一見していつもと変わることはない。いつも通りにそれぞれの店があり、数少ない村人が往来し、時折旅人らしき影を見ることが出来る。どことなく活気がないのは仕方のないことだ。

 と、辺りを見渡していると、道具屋の店先に立っていたアイと目が合った。アイはにっとマキリに笑いながら手招きをした。マキリが近づくと、何度か首を縦に振った。

「帰ってきたのかい。よかったよかった」

「心配かけた?」

「いんや、特別心配はしてないよ」

「・・・そう」

「なんで落ち込むかね。信用されてんだよ。喜びな」

「うん、そうなんだけど」

 心配されていない、と言うことになるとマキリはどうしても出発前の喝を思い出してしまう。とはいっても、それはそれこれはこれ、信用されていると思えば決して悪いことではない。

「ちゃんと狩ってきたよ。まあ、全滅させることは全然出来てないけど」

「ああ、ま、生きて帰ってきただけでも恩の字さ。とりあえず帰ってきたってことだけでも伝えて来な。なんだかんだ言って心配してた奴もいたからね」

「あ、そうなんだ」

 そうとなると、やっぱりうれしい。でも、心配をかけていると思うと不甲斐なくもある。

「・・・あんた、面倒だね」

「え、いまので分かったの?」

「顔に出やすいからね、あんた」

 マキリは自分の顔に触れて、どんな表情をしているのか確かめてみたが、自分の顔はそうそうわかるものではない。大人しく手を下ろす。

 アイはその様子を微笑ましく見ていたが、思い出したように声を上げる。

「そういえば、あんたトマリに会ったかい?」

「?会ってないよ。なんでトマリ?」

「あんたの分の荷物も避難用のものに入れてあるのさ。それをやったのはトマリだからね。礼は言っときな」

 マキリは目を丸くして、顔を綻ばせる。

「わかった、お礼言っておくよ」

 顔は赤く、喜色満面。生まれたときより見てきたアイに分からぬはずもない。

「あんたやっぱりわかりやすいねえ」

 アイが呆れたように言うと、マキリは耳を赤くして頭を掻いた。途轍もなく恥ずかしそうだが、満更でもなさそうなのはトマリの親切を知ったからだろう。

 マキリは下手な咳ばらいで場を均す。

「ま、まあいいじゃない。とりあえず僕は行くよ」

「ああ、頑張りな」

 アイの声を背中に受け、マキリは少しの足の不自由さと共に歩いて行く。その姿は浅くない傷を負ったことを存分に感じさせるものである。

 無論、アイもそのことには気づく。そして、脳裏には一つの予感があった。

 悪い予感と、良い予感。

 どちらに転がっても、アイにとっては構わない。

 しかし、恐らくは悪い方向に向かうだろう。アイはため息交じりに考える。

「・・・ま、どうにかなるか」

 アイは肩を竦めて考えるのを辞めた。

 しかし、その言葉は存外投げやりではなかった。

 

 

 

 

 

 加工屋の前を通り過ぎたとき、マキリはふと疑問に思う。

 日中、加工屋の前にはオッカイが、そうでなければ妻のウイが立っている。接客をするためだ。

 しかし、今日は誰も加工屋の前には居なかった。マキリは首を傾げる。

「あー!マキリ!」

 その時、マキリの後ろに声を上げる童女が居た。

 見てみれば、そこに居たのはオッカイの娘、クーだった。父親譲りの黒髪を引き継いだ活発な子だ。幼児に付き物である好奇心をその目に映し、かなりの身長差があるマキリを見上げている。

「ねえねえマキリ!それどうしたの!?その頭の奴!」

「頭の?包帯のことかな」

「そう!それ!」

 我が意を得たり、クーはその場で飛び跳ね、マキリの周りを跳ねまわる。子供の無邪気さに触れ、マキリは思わず相好を崩す。

 見ていると癒されるなあ。この子は。

 自分がクーくらいの年頃、毎日のように棒切れを振るっていたことを思い出す。実に可愛げがない子供だった。

 マキリは「狩りでやられちゃった」とお道化るように口にして、肩を竦める。

 クーは何がそんなに面白いのか、きゃっきゃきゃっきゃと喜んだ。

「やっぱり!マキリでも怪我するんだ!そうなんだ!」

「・・・うん。怪我するよ?」

 なんだか自分が怪我をしたことが格好悪いように思え、マキリの笑顔は徐々に引き攣る。クーの中での自分の評価が過大評価から妥当な評価に変わった感覚。悪くはないのだが、勿体ない。

 が、傷つくほどのことでもない。すぐに気を取り直し、疑問に思ったことを聞く。

「クー。お父さんとお母さんは?」

「うー?お父さんとお母さんなら、なんか打ってる」

「打ってる?武器?」

「そう!武器!」

 マキリは少し驚いた。

 基本的に、武器を作る作業はオッカイが一人でやる。オッカイ一人で十分だからだ。

 けれど、そこにウイが入るということは、一人では出来ない工程があるということ。マキリに武器の知識はないが、今までオッカイが作った武器の中でそんなものはなかった。と思う。

 となると、当然気になる。

「・・・なに作ってるんだろう。クー、知ってる?」

「教えない!」

 無邪気な笑顔で、クーは元気に言い放った。

 マキリは若干呆気にとられる。

「・・・ってことはなに作ってるのか知ってるの?」

「マキリには教えるなって言われた!」

「え?なんで」

「なんでも!」

 なぜ自分だけ。不満が口を尖らせる。

 が、ピカピカ輝くクーの顔を見て、マキリはそれ以上聞き出すのを諦めた。

 なにより、人が隠そうとしていることを暴くのは好きではない。隠し事は隠しておきたいから隠し事なのだ。

「そっか。じゃあ、クーは今何してるの?」

「アニノが追いかけっこしようって言ったから追いかけっこ!」

「・・・追いかけっこか」

 アニノ、とは大工の家の息子。つまりはウタリの息子だ。この村では唯一のクーとの同年代。

 となれば、必然的に良く遊ぶことになる。小さな村だ。同じ年代に子供が居ないなんてこともよくある。

 その点、マキリもクーも、恵まれているというべきなのだろう。

「でも、追いかけっこだったらこんなところで話してて良いの?」

「見つかっても私の方が早いから大丈夫!」

「そ、そっか」

 アニノの顔を思い浮かべる。

 まあ、小さい頃は女子の方が身長が伸びるのは早いので仕方がないのだが、アニノには強く生きてほしい。クーにしっかりと侮られているアニノにマキリは陰ながらエールを送る。

「でも、油断しちゃダメだよ。油断してるとすぐにやられるからね」

「えー、大丈夫だよ」

「いや、そうでもないから。ほれ、僕の怪我もそれだし」

 本当は油断などではなく単純な実力不足なのだが、それは黙っておいた。嘘も方便である。

 クーは不満そうに眉根を寄せたが、すぐに元の笑顔に戻った。

「わかった!じゃあねマキリ!」

「うん。頑張って」

 マキリが会話を打ち切ると、クーはあっという間に走り去っていく。子供は風の子、そんなフレーズが頭に浮かぶ。

 しかし、とマキリは頭を掻く。

「僕とトマリ、遊ぶって言うよりは稽古だったなあ・・・」

 遊ぶと言えば、訓練場で木の枝を振り回していた。間違っても追いかけっこなんてしなかったし、トマリが一番喜んでいたのは調合実験だった。それもマキリはそこまで面白くなかったので頻度としては少なめだ。

 なんだかトマリの幼少期の思い出を潰してしまったようで、マキリは少し申し訳なくなってきた。

「もしかして、それが今の態度に繋がってるとか・・・?」

 だとすると、自業自得。因果応報。そんな言葉が頭に浮かぶ。

 これ、どうやって逆転すればいいんだ。

 マキリはしばらく頭を抱えていたが、溜息と共に吐き出す。

「・・・うん、なんとかなるでしょ」

 過去のことを考えてもなんにもならない。ならば重要なのは今だ。マキリは救いようのない過去から目を逸らした。

 若干包帯と服が擦れる痛みにも慣れてきたマキリは、先ほどよりは自然な歩みで、帰路に就いた。

 

 

 

 

 

 マキリは家に帰った。

 ベッドに突っ伏したかった。

 なにせマキリが昨日の晩眠ったのは硬いベースキャンプの寝台だ。出来ることなら、ふかふかの自分の布団で微睡に包まれたい。身体が激痛に苛まれている今ならなおさらだ。

 けれど、そういうわけにもいかなかった。

 ベッドには金糸が広がっている。季節の割には薄着な、シャツを何枚か重ねた服装に、汚れても良いズボンを履いていた。家の中が出発する時よりも綺麗なので掃除をしていたのだろう。水が張られたバケツと雑巾が部屋の隅っこにちょこんと置かれている。

 マキリはそれに感謝するしかない。そんなことをしてくれるとは思っていなかった分、喜びもひとしおだ。

 だからこそ、起こせない。

 安らかに、自分のベッドで寝息を立てているトマリを起こすことなどできるはずもない。

「・・・有り難い」

 有り難い。それは複数の意味を持つ。

 感謝と珍事。

 親切をしてくれたことを喜ぶ一方で、なぜこんなことをしてくれたのかと言う疑問。そしてちょっぴり、邪魔だと思う自分勝手な感想。

 内心複雑ということばがこれ以上見合う状況もそうはない。

 椅子に座り、マキリはトマリの寝顔を見る。

 いつもの冷たい表情とは違う、あどけない寝顔だ。寝顔なだけあって間抜けな印象を受ける。いつもとのギャップがマキリには面白い。

 しかし、ずっと幼馴染の寝顔を見ているというのもどこか犯罪臭がする。マキリはトマリから目を逸らし、長らく使っていなかった包帯や塗り薬を取り出す。消費期限ってあったっけな。マキリはそんなことを思い浮かべるが、薬なら問題ないだろう。と、コートを脱ぐ。

 その時、変な悪寒がした。

 ここで脱いでいいのか?トマリが居るのに。

 マキリは自分で考えたその言葉に、眉を寄せる。

 自分が起きたら、何故か幼馴染が半裸で同じ部屋に居た。

 確かに、トマリがうっかり起きたりしたら変態呼ばわりされる可能性がある。というか、絶対される。

 マキリは薬をもって、隣の部屋に移った。元々は家族のために作られた家だ。それなりの広さはある。マキリは普段寝るためにしか返ってこないため滅多に使わないが、ほかにも部屋は多くある。

 マキリは扉を閉めて、上着を脱ぐ。包帯を外し、その時の痛みに呻いた。

 赤と黒と白のまだら模様。マキリの肌の色を表すとすればそれだった。

 左の脇腹は軽く食いちぎられ、腹筋や腕の周りにも多くの裂傷が残る。手の皮は擦り剥け、足と手は火傷で赤くただれている。頭も何度か打ち付けたため血が出ているし、顔も無傷とはいかなかった。

 ひどい怪我だ。そして、憂鬱だ。

 これから、その場所に良く染みる薬を塗らなければならないのだから。

 マキリは薬を瓶から取り出すと、指で掬い、まずは片方の腕に付ける。

「っーーー!」

 声を抑え、痛みを抑える。ひりひりと体の内側に入るような痛みが走り、薬が付いた指を手から離しそうになる。しかし、それではただ時間がかかるだけだ。マキリは自然と溢れ出る涙を止めることもせず、ただゆっくりと、薬を体に塗り込んでいく。

 裂傷は火傷に比べれば大したことはなかった。それでも痛いことは痛かったが、涙が出るほどではない。

 しかし、これもまた自分の実力不足が招いた結果だ。連戦して疲れていたことなど言い訳にはならない。

 その結果を受け止め、克服しなければ、そうしなければ先には進めない。

 先?

「・・・先ってなんだ」

 マキリがそんなことを考えたとき、閉めていた扉が独りでに開いた。そんなことが人の手以外で起こされるはずはなく、家の中に誰かが入ってきたような気配はない。

 となれば、そこにいるのは一人しかいない。

「トマリ?掃除ありがとう。助かったーーー」

 振り返りながら言ったマキリの言葉は、途中で止まった。

 そこには確かに、トマリが居た。

 ただし、常ならぬ様子で。

 トマリは膝をつき、マキリの身体を呆然と見つめていた。瞳は満身創痍の身体を見つめ、半開きになった口は小さく震え始める。その顔はまるで親に置き去りにされた子供の用に、哀しいほど寄る辺のない表情を浮かべていた。

 トマリがそのような表情を浮かべるのは初めてだ。

 しかし、マキリはその表情を知っている。

 動悸が激しくなる。

 息が荒くなる。

 怪我による痛みがすべて、意識の外側に吹き飛ばされる。

 それはマキリだけではなかったらしい。

 トマリもまた、息を荒くして、頭を抱え、床に伏す。

「トマリ、どうしたの?トマリ!?」

 マキリは怪我のことなど忘れたまま、荒い呼吸を繰り返すトマリを起こし、抱きかかえる。

 いったい何が起こっているのか分からない。

 トマリに持病などなかったはずだ。少し体は弱くても、唐突に動悸が激しくなるようなことは今までなかった。

 マキリがトマリを抱きかかえると、小さく、本当に小さく、トマリが呟いている言葉が耳に届く。

「・・・ごめんなさい」

 いよいよ、マキリの身体が強張り、全身から汗が噴き出る。脳裏にしたくもない想像が次から次へと湧いて出る。

 かつてこの家のベッドに横たわっていた銀髪の女性に、今目の前にいる金髪の女性が重なりそうになる。

「そんなつもりじゃなかった」「怪我してほしいわけじゃない」「死んでほしくない」ごめんなさい「知らなかった」「そんな依頼だって知ってたら送り出したりしなかった」ごめんなさい「だっていつもと同じだと思うから」「そんな怪我してくるなんて思わない」ごめんなさい「満足してもらえればよかった」ごめんなさい「私の勝手な思い込み?」ごめんなさいごめんなさい「無茶をさせて」ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

 小さく小さく小さく小さく、膨大に紡がれる絶え間ない謝罪と懺悔の言葉。

 トマリの顔を見ることが出来ない。心臓が破裂しそうなほどに強く、速く打ち続ける。冷汗が止まらない。顔が強張りすぎて自分がどんな顔をしているのかわからない。それでも耳だけは正確に機能する。

 ごめんなさいをひたすらに紡ぎ続ける口は休むことなく、傷だらけの上半身に水が滴る。マキリの眼から流れるものではない。ただひたすらに言葉を紡ぎ続けるトマリを抱きかかえて、マキリは歯を食いしばる。

 ベッドに運んだ方が良いのかもしれない。

 ダメだ。

 ベッドの方がよく休める。

 ダメだ。

 だって母さんもあそこで良く休んでた。

 だから

 ダメだっつってんだろ。

 マキリは動けない。

 動けないまま、唯々過去の情景が頭の中を奔り続ける。

 父親が死んでからの一カ月間。その悉くが一瞬のうちに頭を過り、また最初から再生される。

 母親の寄る辺のない顔も、虚ろな表情も、どこか別の場所を見ている目も、訳が分からない謝罪の言葉も、マキリの大嫌いだったものすべてが一瞬にして、何度も何度も再生される。

 時間が何倍にも、何十倍にも、何百倍にも引き伸ばされたようだった。

 トマリのごめんなさいを聞く回数が百回を超えたあたりで、マキリはぼんやりと、やっとのことで、頭が働く余地が出来た。

 そして、なんとなく、マキリは悟った。

『大丈夫?』

 何故、自分のことしか考えられなかったのだろう。

 何故、訊いた本人が大丈夫なのか確かめなかったのだろう。

 トマリはとても優しい子なのに。

 凄腕のハンターでもあっさりと死ぬことを知って、なぜ平気だと思えてしまったのだろう。

 狩りに出るたび、心配そうな顔で送り出していたのは誰だったか。

 怪我を負って帰ってくるたび、泣きそうな顔で自分を家に引っ張っていったのは誰だったか。

 痛々しい傷を見るたび、顔を歪めながら治療してくれたのは誰だったか。

 それが頭の中にこびり付いたのではないのか。

『行かないで』

 一度も言われたことのない言葉。

 しかし、容易に想像できる。

 二年間、絶え間なく、狩場に出るたびに、敵に相対するたびに。

 それが無意識に浮かび上がっていたのではないのか。

 母親のような道を辿らせてしまうのではないかと危惧したからこそ、怪我をしないようにしようと、リスクを取らなくなったのではないのか。

 村に戻りたくなかったのは、この体で戻れば二年間の無傷が無駄になると思ったからではないのか。

 モンスターが怖かったわけではない

『死にそうなときに冷静な臆病者とか、わけわかんねえしな』

 怖いのはモンスターではない。

 怖いのは、死ぬことではない。

『「ごめんなさい」』

 怖いのは、その言葉を聞くこと。

 誰かが、母のようになってしまうことだと。

 何故、気付かなかったのだろうか。

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