「では、新たな村のハンター。ホイレンの就任を祝って、乾杯!」
道具屋のアイの声に呼応して、そこに集まった人々の「乾杯」が重なった。
木製の床、テーブル、椅子と、橙色のランタンが照らす会場は心地よい雰囲気に包まれていた。
集会所の広間を使って行われた歓迎会は、夕刻に始まった。
家々から食料や酒が持ち出され、テーブルには溢れんばかりの食材が載せられている。雪に囲まれた場所で用意できるとは思えないほどの量に、誰もが感嘆し、料理の山に見惚れていた。
「お、この肉うめえな!ポポか?ん、こっちの野菜もうめえ!なんだこりゃ、あっちでも食ったことねえもんばっかだ!」
そんな中、ホイレンは食材を実に楽し気に頬張っていた。その姿に遠慮も緊張の文字もなく、その豪胆さは驚嘆の一言に尽きる。
ホイレンは当然宴の中心にいた。
ただし、本来ならば村人たちに歓迎され、酒を飲まされまくるはずのホイレンは逆に村人たちに酒を飲ませていた。逃げようとする村人を捕まえている姿は実にハンターらしかったが、マキリの理想とするハンターとは似ても似つかない。
そのマキリはと言えば、席の端にオババと共に陣取っている。
オババはあまりこういった宴の席で仕切るような性格ではないし、マキリもそうだった。加えて、二人ともどちらかというとお喋りなほうではない。二人揃ってひっそりとご飯に舌鼓を打っていた。
「マキリ、とりあえずお疲れさん」
オババは野菜をモグモグと咀嚼し終えてから、ぽつりとつぶやいた。マキリは頷く。
「僕が死ぬ前に来てくれてよかったよ」
「あんたが死ぬってことはないと思うが、それなりにストレスだっただろう?」
「まあね。でも、終わり良ければ総て良しって言うし、もう大丈夫だよ」
実際のところは、まだ雪山で案内し終わっていないところがあるため終わりではないのだが、ホイレンが既に村に溶け込み、この村のハンターとなった以上マキリの役割は終わったも同然だろう。
ただ、このまま終わって何も思うところがないか、と思うと、ないと言い切れる自信もなかった。
「・・・そういえば、トマリが来てないが、どうしたんだろうね」
オババの声を受けて、マキリは少し体をビクつかせてから、周囲を見渡す。
言われてみれば確かに、村の全員が集まっていそうな賑わいだというのにトマリの姿はなかった。
どうしたのだろう。マキリが首を傾げれば、横からオババではない声が聞こえた。
「トマリなら家にいるわよ。今は仕事をしてるんじゃないかしら」
振り返れば、そこにいたのは金の髪を一つに束ねた女性だった。トマリの母親のカリンである。トマリをそのまま大人にしたような、とまでは行かないまでも、親子と一目でわかる。どこがとは言えないが、眼や鼻の形、髪色などがよく似ているのだろう。
「・・・仕事、か。じゃあ僕は行かない方が良いね」
「あら、そんなことないわ。マキリが迎えに行ったらトマリもきっと来るわよ?」
「トマリは僕に仕事を知られたくないみたいだから」
以前、何度か聞いてみても一向に答えてはくれなかった。「あんたには関係ない」の一言で終わらせられてしまい、マキリはそれ以上言い募る気にもならなかったのだ。言い訳をすれば、その時は時期も悪かったしトマリの機嫌も悪かった。いや、トマリの機嫌は年中悪いが、その中でもその時期は特に機嫌が悪かった。
「あらー、まあ、あの子だったらそうかもねー」
カリンは喉を鳴らしながら酒を飲む。その姿はまさに酒豪というにふさわしく、下戸なマキリを戦慄させた。人の母というものは何故こんなにも強く見えるのだろうか。マキリは腕っぷしはともかくとして、人としては一生勝てる気がしなかった。
そんなマキリの心情を推し量ることも出来ず、またするつもりもなく、カリンはマキリに笑いかけた。
「うん、でもまあ。行ってきなさい」
「・・・あれ?さっきまでの話聞いてました?」
「うん。だから行ってきなさい」
「もしかして酔ってる?」
「失礼ね。私を酔わせたかったら竜酒のタルを持ってきなさい」
「いや、死ぬから」
竜酒とは竜を酔わせたと言われる酒だ。その逸話の真偽はともかくとして度数の高さが半端ではなく、一瓶飲んだだけでも急性アルコール中毒になりかねない。
しかし、目の前のカリンを見ているとそれすらも一息に飲んでしまいそうな雰囲気がある。いったいどうすればこんなにも強い女性が育つのだろうか。マキリはぼんやりと考えるが、目の前のカリンは確かに、酔っては居なさそうだった。
「・・・えっと、たぶん行ったらトマリに怒られるんだけど」
「男がうじうじ言わないの。大体あの子に怒られるって言ったって裏拳で骨が折られて肺に刺さるわけじゃないんだから」
「いや、なんで微妙にディティール細かいの」
視界の端で、トマリのお父さんが震えていた。まるで何かを思い出しているような様子だ。マキリはそれ以上お父さんを見ることを辞めた。触らぬ神に祟りなし。自ら人の恐ろしいエピソードを聞きに行く度胸はマキリにはなかった。
「とにかく、行ってきなさい。別にあの子だって怒らないわよ。なんか疲れてたし。今がチャンス」
「何のチャンスだ」
恐らく草むしりで体力を消耗したのだろう。元々あまり身体が強くないというのに無茶をする。
と、そこでマキリは脳裏に恐ろしい想像をしてしまう。
『・・・あんた、私が草むしりしてる時に温泉入ってたってこと?』
『いや、違う。これはホイレンに無理矢理』
『・・・』
『ごめんなさい許してください』
ごみを見るような目で見降ろされる未来が、石を上に放ったときに落ちてくるという自然法則と同じくらいの確かさで予測が出来る。
「・・・裏拳で骨が折られて肺に刺さるかもしれない」
もしくは、それに準じるほどの精神的なダメージを負うかもしれない。
「ちょっと、うちの娘に何したのよ」
「いや、何かしたわけじゃなくて」
これの場合、悪いのはたぶんホイレンなのだが、それにホイホイとついて行ってしまったマキリにも責任はある、と言えるかもしれない。いや、トマリならば必ず言うだろう。
「・・・ちょっと行ってくる。帰ってこなかったら明日の朝くらいに探しに来て」
「大丈夫よ。あの子もそんなに怒らないから。何やったのか知らないけど」
カリンは笑いながら言うが、マキリにはとてもそうは思えなかった。
謝らなければ、たとえそれが地雷であろうと、あとで知れるよりは百倍マシだ。
マキリは周りから怪しまれない程度には急いで、集会場から飛び出した。
※
トマリの家は村の中でも中心近くにある。何か特別な理由があるわけでもなく。ただ単に代々その土地に住んでいたというだけの話だ。マキリの家も同じような理由で村の外縁に位置している。
ともかくとして、集会所からトマリの家までは割と近い。集会所が比較的村の中心に位置しているからだ。
マキリは集会所から出るまでは急いで、そこから先は出来るだけゆっくりと歩いた。
何故か。
言い訳を考えるためだ。
「なんて言えばいい。すっかり忘れて温泉入ってました?無理、やばい。嫌われるどころじゃない。じゃあ、ホイレンに無理矢理?意志が弱いとか言われるにきまってる。いや、でもそれならいつも言われてるからいいのか?いや、良いわけあるか。ダメだダメ」
マキリは困っていた。具体的に言うと酒の席で「なんか面白い話してよー」と話を振られたとき並みに困っていた。
どういえばいいのか全く分からない。何を言えば正解なのかが分からない。頭にストレスばかりが溜まり、堂々巡りを起こし、凄まじい抵抗を与えた電気回路の如く頭がどんどん鈍くなっていく。
「・・・一周周って、許せ、とかはどうだろうか」
言ってみて、マキリは戦慄した。
こんなことを言えばどうなるのだろうか。想像もつかない。
普段から嫌がるマキリを引っ張ってクエストへと駆り立てるトマリ。防具が破損すれば下手くそとこき下ろすトマリ。クエストから帰ってきたときに心底どうでもよさそうな顔で迎えるトマリ。そのすべてが頭の中で統合され、野放図な未来予想が頭の中に描かれては消えていく。
「・・・素直に謝ろうか」
自分で言って、マキリは頷いた。
そうこうしているうちに、トマリの家の前についた。
ほかの家と同じように合掌造りの建物で、特に変わりはない。昔は遊びに来たこともあったが最近はとんと縁がなく、来たのが久しぶりなことに少しだけ驚く。
「そっか、結構長い間来てなかったしな」
小さく呟きながら、マキリは扉をノックする。家の中からは明かりが漏れているので、中にいることは確かだろう。
少し待てば、「はーい」という間延びした声と共に、扉にトマリが近づいてくる気配が感じられる。
そして、扉は開かれた。
「どちら様でしょうーー」
か、という音を待たずに、扉が開く途中で急転換、閉められた。しかし、扉の隙間から見えた金髪は間違いなくトマリのものだ。
何故か若干髪が煤けていたような気がするが。
マキリは一瞬何が起きたのかが分からず、目を丸くした。
「・・・あれ?ちょ、トマリ?どうして閉めるの?」
「・・・なんであんたがここにいるの」
不機嫌さと、何故か少しだけ緊張したような声がする。しかし、マキリとしても余裕がない。そんなことに気付いた様子はなかった。
「歓迎会に来てないから呼びに来たんだよ。おいしい料理もあるし、みんな来てるから」
「・・・あと少ししたら行こうと思ってたの。良いから先に行ってなさい」
マキリはじゃあ、そうさせてもらおうかな。と一瞬思ったが、その前にやるべきことがあった。
「いや、ちょっと謝りたいことがあって・・・」
「・・・何?もしかして雑草抜きのこと?だったら余計なお世話」
「そうじゃなくて」
実際に言えばそのことなのだが、トマリが言っているのとマキリが言っているところが意味する場所が違う。
しかし、それをどう説明したものか、とマキリが悩んでいるうちに、トマリは呆れたようにため息を吐いた。
「分かった。じゃあ少し待ってて、十分くらい」
「じゅ、十分?仕事が終わってないの?」
「仕事は終わった。支度するから十分待って」
十分、という時間の長さにマキリは首を傾げる。
マキリならば長くて三分程度で外出の準備は整うのだが、やはり女性が外出するためにはいろいろと必要なのだろうか。マキリは自分の母親を思い出そうとしたが、母親はあまり家から出る人ではなかったので参考にはならない。
しかし、十分なら待てないことはない。マキリは家の壁に寄り掛かり、上空の星を見上げて時間を潰すことにした。
そして、三十分後、トマリはいつも通りの格好をして現れた。
※
「いや、本当にごめんなさい」
「温泉かあ、私も入りたかったなあ」
「ごめんなさい」
「ねえ、どうせなら私も誘ってくれればよかったんじゃないの?忘れてた?」
「・・・忘れてました。すいません」
予定の三倍の時間を寒天の下で過ごしたマキリだったが、謝罪の話が出てしまえばもはや文句を言う権利などなかった。
星空と雪に包まれた夜の中を二人は歩く。
最も、大した距離でもない。肩を並べた二人が共に歩く時間は一瞬だ。
しかし、マキリはどことなく不思議な感覚だった。
いつもはトマリが先行して、マキリがその後ろを渋々ついて行くという形をとる。トマリがマキリに関わるのは大体が何か用があるときで、そのようというのは基本的にマキリが嫌がることだからだ。
それが今日は違う。二人で並んで歩いている。
昔は同じ目線にあったトマリの顔は、いまとなってはマキリの肩の部分まで落ち込んでいた。正確にはマキリの身長が伸びたのだが、マキリにとってそこは大したことではない。
変なところで身体の成長を感じる。
「・・・あんた、背は伸びたくせに臆病なままね」
トマリの言葉に、マキリは反射的に頷いた。マキリも考えていたことだ。
「体の成長に心が追いついてないみたいだね」
マキリの困ったような言葉に、トマリはため息を吐く。
「追いついてないんじゃなくて置いて行かれてるんでしょ。二年前から変わってないもの」
マキリは思わず息を呑む。
二年前から変わっていない。ということは、やはりトマリの感情も、昔から変わってはいないのだろうか。
少しの沈黙、既に集会所は見えている。
この時間もあと少しで終わる。そう思うと、どうにも、マキリには辛抱できなかった。気持ちのタイミングとしても、単純に物理的なタイミングとしても、ここしかないと、そう思ったからだ。
「・・・臆病者は嫌い?」
二年前と同じ問いを投げた。
再び、少しの沈黙があった。トマリの顔を見る勇気はなく、マキリはただ、目の前だけを見つめていた。
「嫌い。死ねばいいと思ってる」
囁くような返事。
乾いた笑みが出る。
軋んだ心がもう少しだけ、捻じれて、拉げたような気がした。
「じゃあ」
マキリの言葉はそこで止まった。
トマリに睨み付けられたから。
その顔には明らかな苛立ちがあったから。
何も言うな。確かにそう言っていたようにマキリには思えた。それを言えば、ただじゃ置かない。そんな風に感じられた。
マキリの勘違いかもしれない。何せマキリは、人の心を察するのが苦手だ。
トマリはマキリの顔から眼を外すと、先ほどのマキリと同じように集会所に目を向けた。
既に目的地は目の前だ。
マキリはトマリが歩き出して、少したってから後を追った。
『じゃあ、僕のことは?』
吐き出されなかった問と得られなかった答えはしこりになる。
そして、過去の答えが蘇る。
『私にできないことが出来る癖に、臆病な人間なんて大嫌い』
少しだけ変わった関係。
けれど変わらない習慣。
心だけが置いて行かれている。体も時間も過ぎていく。
「・・・くそったれ」
小さく悪態をつく。
『弱みでも握られてんの?』
弱みなんかじゃない。
幼馴染に知られて恥じることなど何もない。臆病ではあっても卑怯なことをしたことなどない。失敗があろうとそれを恥には思わない。
これは弱みなんかじゃない。
ただ、誰かに嫌われたくないだけだ。
「くそったれ」
マキリは再び悪態をつく。今度は先ほどよりも強く。
トマリに対するものではなく、ホイレンに対するものでもない。
他の誰のものでもなく、彼の糾弾は、彼にしか届かない。
マキリはいつも通りに、トマリの背中を追いかける。
唇を噛めば、少しだけ、血の味がした。
「おーマキリ!見ろよ!オッカイの上半身やべえぞ!」
「見えてるよ。ていうかあんたら酔ってるな」
集会所に戻れば、既に酔いも回った男衆が完全に調子に乗っていた。いつの間にやら楽器を持ち出して民謡を歌いだしているし、傍らではタルを土台にして腕相撲をしている奴らもいる。
「あいつ毎回毎回本当に服汚くしてくるもんだから嫌になっちまうよ。洗うこっちの身にも成れってんだ!」
「食事も勝手に出てくるもんだと思ってるしね!骨折ってやろうかと何度思ったことか」
女子衆は女子衆で、普段溜まっているらしき鬱憤を晴らしまくっている。会話の調子が凄まじく怖い。そしてもっと怖いのはタルから直接酒を飲んでいるカリンだ。マキリはまさか竜酒じゃないだろうな、と疑いの目を向け、トマリもまた若干青い顔をしている。流石に心配なのだろう。しかし、当のカリンは飄々として次なる酒を求める。酒飲みここに極まれり。
マキリは流石に女子衆の中に入り込む勇気はなく、またトマリの近くによる図太さもなく、むさ苦しい男衆の中に入り込んだ。
「おうマキリ。これ食え、うめえぞ」
ホイレンは上半身裸のオッカイ、酔いつぶれたらしきウタリを抱えて登場し、ポポの肉を差し出した。
しかし、マキリは渋い顔をして首を横に振る。
「・・・いや、今はそんな気分じゃ」
「良いから食え!ほら!」
その声と共に、マキリの口に肉が押し込まれた。
熱い肉汁が目に飛び散り、マキリは肉に塞がれた口でうめき声をあげる。
しかし、ホイレンは酔っているのかそれに気づかず、ぐいぐいとマキリの口に肉を詰め込む。
そして、マキリは自分の脳内でぶちり、という音がするのが聞こえた。
落ち込んでいるところにいきなりの狼藉、この落差にマキリは耐えられなかったのだろう。頭に血が上るのを感じながら、マキリはそれを止めるつもりはなかった。
怒涛の勢いで口を動かし、肉を咀嚼する。
ホイレンは最初こそその食べっぷりを微笑みながら見ていたが、マキリの据わった眼を見た瞬間、顔が青褪めた。
「良い度胸だ。ホイレン」
「・・・マキリ?お前、なんか雰囲気が」
「四の五のぬかすな」
ホイレンのみならず、いつもとは違うマキリの様子に、男衆女子衆ともに息を呑む。しかし、今のマキリにはそんなものを気にするつもりはなかった。
マキリは腕相撲をしているタルの方に顎を動かすと、普段は見せないような獰猛な笑みを浮かべる。
「ぶっ潰す」
ハンター二人の腕相撲は、その日一番の盛り上がりを見せた。