「っ!」
迫ってくる巨大な牙を、余裕をもって回避する。紙一重を狙うにはその牙の圧迫感はあまりにも大きい。
転がって攻撃を避けた後に、敵の側面に回り込む。
敵は重量級だ。その突進を受けてだけでも命にかかわる。
しかし、それだけの重量を持てば、当然停止するにも時間がかかる。
「よっ!」
つまり、いま、この瞬間において、側面に回り込んだマキリの攻撃は相手にとってみれば、敵に無防備な腹を晒していることと変わらない。
マキリのアギトは斜め横からその獣の肌を切り裂き、肉を引きちぎり、骨を叩き折る。鮮血が舞い、マキリの顔に降り注ぐが、マキリの顔にはいまだ安堵の表情はない。
事実、目の前の獣はよろめきはしたものの未だに生気は途絶えていない。
古今東西言われているように、手負いの獣ほど恐ろしい存在は居ない。命の危険にさらされた獣は時に己の体をも傷つけるような捨て身の攻撃に打って出る。非力な人間がそれを受ければ手傷を負うは必至。
であればこそ、マキリは常に油断しない。
敵の命が尽きるその一瞬まで、否、狩りが終わるその瞬間まで、マキリの警戒は解けることがない。
目の前の獣はマキリの方向をむく。
そして、その巨大な牙は再びマキリへと接近した。しかし、そこに先ほどまでの圧迫感はない。
マキリはまたしても余裕を持って回避し、再び側面へと回り込む。
と、そのとき、獣は急激に方向を転換した。
あまりにも唐突なその動きは、間違いなく獣の足にある程度の負荷をかけていることだろう。それは間違いがない。
しかし、それこそが手負いの獣の真骨頂。予測の出来ない動き、それはハンターにとって最も恐れること。獣の牙は横薙ぎにされた大剣の如く、ハンターに向かっていく。
「・・・危なかった」
マキリが相手でなければ、その行動は実を結んでいたであろう。
先ほどと同じ行動に違和感を感じたマキリは、前回よりも一歩下がり、獣の行動を観察していた。
獣は賭けに負け、結果的にその頭をマキリの前に差し出した。
足は動かない。急激な方向転換はその重量に比例した負荷をかけ、咄嗟の動きに対処できない。
マキリは迷わない。千載一遇の好機を逃さない。
しかして大剣は振り下ろされ、獣の頭は粉砕された。
「お前、ポポ相手に警戒し過ぎじゃねえの?」
「・・・ほっといてくれ」
いったい何があったのか、やけに好戦的なポポを討伐したマキリとホイレンは大剣を背負いなおす。死体は四体。うち三体はホイレンが狩り、残りの一体をマキリが受け持った。三体担当していたホイレンの方が早く終わっていたことからも、マキリとホイレンの技量の違いが見て取れる。
やはりというべきか、ホイレンの大剣の扱いには無駄がなかった。ポポの行動パターンをよく把握しているのか、攻撃を一度も食らうことなく、一分足らずでポポ三体を葬り去った。マキリも攻撃を食らわなかったという点では同じだが、いったいを討伐するのに一分を少し過ぎた。一様に何が足りないというわけではなく、総合力が足りていないのだろう。マキリは心中でため息を吐きながらそう分析した。
マキリは自分の手で狩ったばかりのポポから剥ぎ取りを終え、その魂の安寧を祈ってから再び歩き出した。
探索二日目。
ホイレンの歓迎会が無事終わり、村の一員として迎えられた次の日、二人は再び雪山へと足を運んでいた。
天気は良好。多少曇ってはいるものの風も弱く、雪も降っていない。長年の勘から、天気が崩れることもないだろうとマキリは判断した。
マキリは天気が良いうちに雪山の探索を終わらせたいと考え、今日は山頂から中腹までの範囲を重点的に攻めようと考えていた。天気が悪い時期の雪山の入るなどということは山の素人でもやらない。命をどぶに捨てるようなものだ。
そういった理由があり、二人はモンスターが入ってこれないエリア5、大型モンスターの現れないエリア4という洞窟タイプのエリアを経由し、エリア6へと至った。
相変わらず地表は雪に覆われているが、雪は降っていない。気温は変わらず低いため中途半端に雪が解けて雪崩が起きる心配もない。理想的な気候条件だった。
「さて、今日はどうするんだ?」
「今日はここら辺にあるクレバスとかを教えるよ。嵌ると冗談抜きで死ぬからね」
マキリはエリア6からエリア8に向かう途中にあるクレバスに向かう。
エリアの中だけで狩りをするのであれば必要のない知識だが、敵が予想以上に強靭な個体であったり、執拗に追跡してくるような個体だった場合はエリア内だけで逃げ続けるには限界がある。
したがって、大型モンスターに会えば逃げの姿勢を貫くマキリにとっては重要な情報だった。
マキリはしばらく歩くと踏み固められた道を外れて雪の中を進んでいく。ホイレンはマキリが踏み固めた雪の上を歩き、万が一にも雪の中にはまらないように細心の注意を払う。
その状態でおよそ十メートル歩いた場所で、マキリは立ち止まった。
「今から雪を退けるから、少し見てて」
マキリはポーチから拳大の子タル爆弾を取り出し、それをひょい、と目の前に向けて投げた。
きちんと導火線に火もついており、地面に着く直前に爆発した。
火薬の量が少ないこともあったが、子タル爆弾は必要最低限の場所だけを削り取った。
そこから見える光景には、ホイレンも言葉を失った。
雪が退けられた場所には亀裂があった。幅一メートル。長さはどの程度か分からないものの、長いことは間違いないだろう。
しあし、ホイレンが驚いたのはその在り来たりなクレバスにではない。
むしろ、そのクレバスの中にあった空間だ。
「・・・なんだこりゃ」
クレバスの中には洞窟があった。
幅一メートルの亀裂からの光景だけしか見ることが出来ないため全容の把握は難しいが、少なくとも直径十メートル以上の空間がその氷の中にはあった。中から見れば、トンネルの最も高い場所がちょうど亀裂になっているかのように見えるだろう。クレバスというよりは地下水道と呼んだ方が良さそうな場所だった。
マキリはホイレンの反応に苦笑いを浮かべる。自分も前任者に連れてこられた時には同じような反応をした覚えがあった。
「このクレバスはね、長い時間をかけて削られてきたらしいんだ。最初は何の変哲もない亀裂だったんだけど、水で削られたのか、風で削られたのか、とにかく長い時間をかけてここまで大きくなったんだって、ここは溶けた雪が水になって流れてる場所なんだ」
「こんなに寒い場所でも水になるのか?」
「夏場はね。冬場でも溶けるけど。まあ少ないかな」
とにかく、とマキリは言葉を区切った。
「ここには近づかない方が良いよ。今は冬場だから、いいかもしれないけど、夏になると雪も柔らかくなって最悪僕たちの体重でも雪が耐え切れなくなって下に落ちるかもしれない。そうなったら、ちょっと厳しい」
「・・・まあ、そうだろうな」
ただでさえ寒いこの雪山の中で水の中に入るなど想像するだけでぞっとする。水である分温度は高いかもしれないが、それでも0度近くであることは間違いないだろう。その中に身を置けば、体温が危険な域まで下がっていくことは容易に想像がつく。
しかも、雪解け水では塩分も少なく、身体が浮かびにくい。そうでなくとも装備を持っていれば浮かぶのも中々難しい。
「まあ、近づかなければいい話なんだけど、時々ここで亡くなる人もいるから」
その中には雪山のベテランと呼ばれる人間もいた。そんな人間でも、ふとした油断であっさりと死んでしまう。実際、死因はモンスターに襲われることよりもこういった自然の脅威によるものの方が多い。
もちろん、モンスターに襲われた後に自然の脅威にやられるという二段構えでやられることも多い。
ホイレンもそれは重々わかっている。小さく、しかし胸に刻むようにして頷いた。
「わかった。気を付ける。それにしても、こんなにやばい場所ばっかりなのか?山頂の近くってのは」
「・・・そうでもないかな。あってもあと二つか三つだね」
マキリは海から吹き付ける風によって形成された雪庇や、それに伴う雪崩が起きやすいエリアを思い出しながら言ったが、ホイレンは首を振った。
「多いわ」
「・・・そうなんだ」
「砂漠とか密林も暑さとか、流砂とか面倒なことは多いからどっこいどっこいだけどな。まあ、危険が目で確認できる分マシか」
密林も毒を持つ虫や感染病を媒介する虫、暑さがあり、砂漠の環境は言わずもがなではあるが、やはり狩猟区というのはどこもかしこも楽ではない。
ホイレンは雪山もその例に漏れず、かなりの危険を持つということが実感できた。
「よし、じゃあ次頼むぜ」
実感したはずなのだが、ホイレンの様子に怖気づいた雰囲気は見られない。マキリはその腹の据わり具合に感心し、改めてハンターという職につくものの精神力の強さを垣間見た気がした。
その姿がどこか眩しく、少しだけ目を細めた。
しかし、いくら眩しく感じたところで、もはやマキリにとって意味などない。
「・・・よし、それじゃあ次に行こうか」
「おう」
二人は普段の経路に戻り、別の危険地帯へと向かう。
白い雪の中で忽然と存在する黒い穴は、不気味な存在感を放っていた。
※
「・・・運が悪いな」
「本当にね」
ぐしゃ、ぐしゃ、という血と肉の咀嚼音が鳴り響く雪原で、マキリとホイレンは岩の陰に身を隠していた。
場所はエリア7。あれからいくつかの危険地帯を巡り、そろそろ麓に降りようか、という相談をしていたところだった。
岩を挟んだ場所にいる二人の肌にすらピリピリと響く轟音が鳴り響いたのだ。
ホイレンは仕方がなさそうな顔をして、マキリは表情を一気に強張らせた。
「・・・さて、どうするマキリ。ここで狩猟と行くか?」
「冗談言わないでよ。今日は戦闘用じゃなくて探索用の道具が主なんだから」
「意見が合致してよかった」
二人と岩を挟んだ場所で捕食行動を行っている轟竜は食事に夢中で他の生物を気に掛けている様子はない。いまならば簡単に不意打ちが出来るだろうが、捕食行動を邪魔された轟竜が激昂することは想像に難くない。
怒った轟竜と戦うのはいかにホイレンと言えど遠慮したいところだった。
「ちなみに、何を持ってきてる?」
「閃光玉一つ、子タル爆弾一つ、回復薬五つ、携帯食料、ホットドリンク二つ、あとは遭難したとき用の水」
「なるほど、まあ妥当なチョイスだ」
けど、それじゃあ不安だな。ホイレンは呟いて、後ろの轟竜に意識を向けて、すぐに逸らした。
ホイレンはマキリの持ち物を聞いて顎に手を当てると、何やら考え出した。マキリはどことなく嫌な予感がしたが、それでもこの状況で物音を出すわけにもいかず、そのままじっと、ホイレンの考え事が終わるのを待った。
そして、捕食音が終わり、轟竜がエリア7を徘徊し始めたあたりで、ホイレンは小さく頷いて考え事を辞めた。
「・・・マキリ、雪山の探索はいつ終わる?」
「順調に行けばあと一日で終わるよ。面倒な場所は今日一日で周れたから」
「それじゃあ、それが終わったら狩るか」
マキリは一瞬、思考が停止した。目を瞬かせて、ホイレンの横顔を見る。
そして、すぐにホイレンに考えが追いついた。
「・・・軽くない?轟竜を狩るにしては」
「覚悟はしても困ることはないが、気負っちゃあ意味がねえからな。それに、これ以上待ってると生態系に悪影響が出るような気がする」
「なんかすごく曖昧なんだけど」
「だってよ、流石にあの光景見たらそう思うだろ」
ホイレンは岩の陰から轟竜の徘徊する方向に目をやり、マキリもまた別の方向からその惨状を見つめる。
そこにあったのは、血に染まった雪原だった。
三体ものポポが腸を食いちぎられ、捨てられている光景は異常の一言に尽きる。
いくら轟竜と言えども、ポポ一体を食えばそれで食事は終わりのはずだ。少なくとも、一日動くには十分な食料になる。
しかし、目の間にいる轟竜はポポのうちの一体を殺しただけでなく、次から次へとそこにいたポポに襲い掛かっていった。繁殖期というわけでもないし、轟竜はポポが好物ではあるが雪山で子育てはしない。
これらのことから考えて、あの轟竜は、ただ己の食欲を満たすためだけに三体ものポポを必要としているということだ。
「あいつは大食いだ。早く狩猟しなきゃいけねえ」
呟くホイレンの姿は、昨日の夜村人に交じって大騒ぎしていたときの面影は全くなく、マキリのよく知るハンター、自然の調和を保つ者だった。
ふと、マキリは自分の手が痛いほどに握られていることに気付いた。そして、すぐに顔を歪めてその手を開いた。
恐怖を感じているのだろうか、普通よりも遥かに強大な脅威に対して、直接対決するわけでもないのに一丁前に恐怖を抱いているのだろうか。
やはり、自分は『腰抜け』らしい。ふと、自嘲の笑みが浮かぶのを自覚する。
と、そこで、視界の端で白い何かが動いたことに気が付いた。
「・・・ごめんホイレン。天気、見誤ったみたいだ」
「あ?」
ホイレンはどういう意味か、という意図を込めてマキリの方に目を向けるが、すぐにその意味を悟った。
「雪か」
二人はほぼ同時に空を見上げる。
どす黒く分厚い雲が、蓋をするようにして雪山を覆っていた。
※
「いやあ、温泉ってのは良いなあ、マキリ」
「・・・そうだね」
夕方の温泉に、マキリとホイレンは浸かっていた。
夕方とはいっても、周囲は雲に覆われ、風は強く、さながら台風でも上陸したような天気だ。そんな中で温泉に入るという選択肢を取った人間は他にはおらず、温泉に入っていたのは二人だけだった。
マキリの予想を裏切り、雪山には雪が降り、さらに風も少しずつ強くなっていた。その中で探索を続けるという選択肢をとることは出来ず、マキリは帰還を決断した。
途中、一気に風が強くなったときは強硬に帰還するべきか、それとも洞窟の中で待つかという二択に悩まされたが、結局のところホイレンの勧めもあり、強い風の中を突っ切った。
その結果、冷え切った体を温めるためにも温泉に行こう、とホイレンが提案したのだ。これがなくても言っていただろうことは容易に想像できる。
ホイレンはその鍛えられた肉体を湯船に吐けて、咆哮ともため息ともつかないような声を上げた。マキリもそれほどではないにしても、少し息を吐きながら湯船につかる。生憎天気は良くないが、温泉の心地よさは変わらず無類である。
「しっかし、まさかあそこまで天気が崩れるとはなあ。雪山ってのはいつもああなのか?」
「・・・いや、あんなのは僕も初めてだけど」
「そうなのか。いや、まあ山の天気は変わりやすいって言うからな。仕方ねえさ。気にすんな」
「・・・わかってるんだけどさ、五歳のころから山の天気は外したことなかったのに」
二人が麓に降りたとき、マキリは雪山を見て愕然とした。
山の影も見えないほどの吹雪が山頂を覆っていたのだ。
マキリが今までに見た天候の中で最も荒々しいと言っても過言ではなく、密かに自信を持っていた天候予想が完膚なきまでに否定されてしまったことが哀しくてならなかった。
「調子、狂ってるのかなあ」
マキリの脳裏を過るのは昨夜のトマリとの一件だが、流石にそれほどの衝撃を受けているとは思えなかった。
「ま、良いじゃねえか。無事に帰ってこれたんだからゆっくりしようぜ。あんまり気にし過ぎると禿げるぞ」
「いや、そこまで気にしてるわけじゃないけど」
流石に、気にし過ぎて禿げる。というほど悩んでいるつもりはない。
確かに足掛け十五年間、片時も離れることなく過ごしてきた土地ではあるが、考えてみれば十年間も何事もなく天気を予想出来ていたのがおかしかったのだ。一度や二度の失敗でそこまで落ち込む必要はない。マキリは割り切ろうと思えば割り切れた。
しかし、ホイレンの意味するところは別のところにあった。
「そっちだけじゃなくて、嬢ちゃんのこともな」
マキリの思考は止まる。それと同時に、頭のどこかで『どれだけホイレンの言葉に動揺すれば気が済むのだ』と、己をせせら笑う声が聞こえてきた。ホイレンが単刀直入過ぎるのが原因だ、と誰に反論しているのか分からないことを考えて、マキリは現実に意識を向ける。
ホイレンはマキリと目線を合わせずに、ただ目の前のみを見据えていた。
ずっと人の横顔を見ている趣味はない。マキリも前に目を向けて、息をついて呼吸を落ち着かせる。
「・・・なんでわかったの?」
「嬢ちゃんと何かあったんだろ?昨日いきなりキレるし、今日も妙に気負ったような表情してるし、元々本調子だとは思わなかった」
「キレたのは単純にウザかったからだけど」
「え?マジで?」
マキリの顔は強張るのを通り越して、徐々に緩んでいく。さながら案件が積もりすぎて処理能力を超えると全てがどうでもよくなるように。
それなりに鋭い男だとは思っていたのだが、それでも過小評価だったらしい。ここまで見透かされていては、隠そうという気も起こらない、むしろ、この状況を楽しもうとしている自分すらいる。
「前にも聞いたが、なんか弱みでも握られてんのか?」
「・・・そんなんじゃないよ」
「じゃあ、なんだ?」
沈黙が下りる。
お湯が温泉に注がれる音だけが耳に届き、極めて静かな、落ち着いた場所が出来上がり、時折ホイレンが息を吐く音だけが奇妙に浮かび上がっていた。
どうしたものか。
まだ、マキリは自分のことを話す気にはなれなかった。だからと言って、ここで一方的に話を打ち切る気分でもない。
ならば、この際だ。気になっていたことを聞いてしまおう。半ばやけっぱちな思考だったが、案外、良い考えなのではないだろうか。
マキリは少しだけ空を見上げ、ため息を吐く。
「・・・どうして、そんなに聞きたがるの?」
ただの好奇心と片付けてもいいが、それにしてはマキリの内面に踏み込み過ぎていた。前々から思っていたことを単刀直入に言い放つ。そして、それに対するホイレンの答えも簡潔だった。
「大した理由じゃねえよ。単に俺の興味と、お前の父親に頼まれたことをやってる。それだけだ」
マキリは少しだけ驚き、同時に納得していた。
ホイレンがこの村に来たことが、ずっと疑問だったのだ。
この村の出身というわけではない。話を聞くに、ドンドルマでもハンターとしてはそれなりにやれていたようだ。まだ引退するような年齢にも見えないし、田舎の暮らしに憧れたという風でもない。
それなのに、なぜこの村に来たのか。
答えは、父親にあったのだ。
「だから、この村に来たの?」
それでは、この村に来たのは単に、父親の頼みを訊くためなのだろうか。もしもそうだとしたら、それが終わったとき、ホイレンは変わらずこの村のハンターをし続けるのか。
そんな意味を込めた問いに対して、またしてもホイレンは簡潔に、素っ気なく答える。
「それだけじゃねえよ。ギルドマスターの爺に言いくるめられたってこともあるし、タイミングもあった、色んなことが重なってここに来ることになった。あいつのことはほとんど無関係に、俺はここに腰を据えるつもりだ。そもそも、あいつとの約束なんて守る気はなかったしな」
ホイレンはぶっきらぼうに吐き捨てるが、その横顔には少しの寂寥感があるように思う。そもそもそのような、どこか憂いのある表情を浮かべるという行為がホイレンには似合っていない。だから、いや応なくその表情は印象に残る。
父親のことを思い出しているのだろうか。もしそうであるのなら、普段は見せない表情を引き出した父親という存在はホイレンにとってどのような存在だったのだろうか。
聞いてみたい気もするが、マキリの心の中でその欲求は小さかった。
代わりに、別の質問をした。
「いい人だった?」
「良いハンターだったよ。想定外の事態が起こっても冷静に対処して依頼を遂行する。討伐対象に入っていないモンスターは基本的に見逃し、生態系の維持に努める。無茶な依頼でも率先して受けて、色んな奴らに感謝されてた。ポッケ村のハンターなんて肩書よりも、よっぽど仰々しい肩書をつけられてたやつだ。『雷光』とか『稲妻』とかな。色んな奴があいつに憧れてた。それでも天狗にならねえ。それどころか他人が無茶なことをするのを諫めたりもする。ギルドマスターに何度も感謝状を贈られていたし、誰もそれに文句を言わなかった。間違いなく、トップハンターの一人だったろうよ」
ホイレンが言っている情報には、マキリも知らないものが多く含まれていた。
例えば、父親に肩書が付けられているとか、無茶な依頼でも率先して受ける、とか。ギルドマスターに何度も感謝されていた、とか。そういった情報だ。
当然だろう。マキリはそれを、他ならぬ父親から聞いたのだ。天狗にならないようにと気をつけていた厳格な父が、そのようなことを息子に話すとは思えない。
「・・・そっか」
しかし、マキリにとっては意外ではなかった。
今では家にはないが、昔家に置いてあった武具類はどれもこれも一級品だった。フルフルの装備を愛用していたようだが、ほかにも多くの防具、武器が置いてあり、子供心にもそれらの武器が輝かしく見え、持ってワクワクとしたことを覚えている。
それだけでも、父親が何か、途轍もない存在なのだということはわかっていた。
「・・・じゃあ、僕を見て驚いた?」
「そりゃあそうだ。轟竜から悲鳴を上げて逃げてるってだけでもあの男の息子とは思えねえよ。まあ、あいつよりはお前の方が好きだが」
嬉しいか?嬉しいだろ?そう訊いてくるホイレンの脇に肘鉄を食らわせ、口を閉じさせる。こんな空気でも自重しないあたり、やはり大物だ。マキリは鼻で笑いながらそんなことを考える。
しかし、そう笑ってばかりもいられない。
マキリにとっては父親は偉大な前任者であると同時に、自分の父親なのだ。当然、そこに付随する感情もある。そして、それらは決して良いものばかりではない。
出来るのなら、語らずに済ませたい。
だが、ホイレンはそのような事情など顧みない。そもそも知らないから顧みようがない、といってもいい。
「まあ、お前が頑なにあいつのことを前任者、とか言って隠そうとしてた理由は知らねえし、別に興味もねえ。あいつは一年のほとんどを狩場で過ごすような奴だったからな。なんとなく察しもつく。ただ、お前と嬢ちゃんの話は別だ」
「どうして?」
「俺もこの村に住むからだ」
ホイレンの言葉に、マキリは怪訝な表情を浮かべる。意味が分からなかった。なぜホイレンが住むからと言って、マキリとトマリの事情を知っておく必要があるのか。
マキリの困惑した表情を見て、ホイレンは少しだけ口角を上げて笑った。
「自分の村で、なんかギクシャクしてる奴が居るのは面白くねえだろ?」
冗談めかした口調で、今までの懐かしむ感情が嘘のように、ホイレンは言った。
マキリは呆気にとられたように口を開けて、そのまま息を吐き出した。込められた感情は呆れ一色。
「・・・要するに、自分の都合ってこと?」
「当り前だ。俺はお節介からは最も遠いところに居る男だぜ。ましてや男を相手にそんなことするもんかよ」
その言いぐさは紛うことなきクズの発言だったが、マキリは少しだけ安心した。
マキリの為を思って、などと言われてもマキリは釈然としなかっただろう。何せ会ってからまだ三日しか経っていないのだ。いきなり何々の為だ云々言われるよりは、自分が迷惑だから、としっかりと言われた方が気持ち良い。
「・・・とりあえず、風呂から上がらない?」
「ああ、今回は保留か?」
「話すから上がるんだよ。ここで話してたら人が来るかもしれないし、結構長くなるし」
「へえ、意外だな」
「何が?」
マキリとホイレンは風呂から立ち上がり、二人して脱衣所に向かう。
「『僕の過去を話せるほど仲良くなった覚えはない』とか言われるかと思ってた」
「そう言おうかと思ったけど、僕にもメリットがありそうだからね。あと声真似、死ぬほど似てない」
「嘘つけ。自信作だぞ、俺の」
ホイレンはマキリに反論してから、ん?と首を傾げる。
「メリットってなんだ?黒歴史晒すとか罰ゲーム以外の何者でもなさそうなんだが」
「それも含めてあとで話すよ」
脱衣所で普段着に着替え、通用口から出る。
天気が悪いせいか気温はいつもよりも低く。夕日も見えず、風は強い。そんな中を二人は進み、温泉から比較的近いホイレンの家で話をすることに決めた。
村人たちは皆家の中に入っているらしく、村はいつもより一段と静かだった。もちろん、静かというのは人の気配がしないという意味であって、風の音は甲高く響いている。
「せっかく温まったのにこれじゃすぐ冷えちまうな」
「家に帰ったら囲炉裏で温まれば良いだろ」
「わかってねえな。温泉と囲炉裏はちげえんだよ。なんつうか、身体の内側が温められる感じが違う。お前はわかってねえ」
「知らないよそんなこだわり」
無駄口を叩きあいながら、二人はホイレンの家へと入った。
中は一人が暮らす分には十分な広さだ。二人で話す分にも、スペースに困ることはないだろう。
マキリとホイレンは上着を脱いで、囲炉裏の火を強くした。
そして、囲炉裏を中心に据えて、お互いが斜めに見えるように座る。火の赤が家の中をほんのりと照らし、ゆっくりと温めていく。外を吹き荒れる風の音が、逆に室内の静寂を強調していた。空間の印影が強調され、水墨画のような素朴な形が浮かび上がる。
不思議な雰囲気だ。マキリは思う。
このような天気は珍しいものの、体験したことはある。二年に一度ほとの頻度で、フラヒヤ山脈からの強い吹きおろしは起こる。
静寂に支配された空間を経験するのも一度や二度ではない。しかし、いつもとは何かが違う。
それはこれから話そうとする事柄がそうさせるのか、それとも単純に慣れない男と共にいるからなのか、マキリには分からない。
しかし、不思議と、この空間でなら、すらすらと言える気がした。
「・・・じゃあ、話そうか。長くなるけど、まあ、我慢して聞いてね」
「こっちから聞いたんだ。文句なんか言わねえよ」
ホイレンの返答を聞き、マキリは鷹揚に頷く。
そして、考える。
さて、何から話そうか。
村の人に話すのであれば、二年ちょっと前からで良い。マキリとトマリの関係は知っているし、違和感なく話に入ってこれる。
しかし、ホイレンは村外の人間だ。こちらの事情には全くかかわっていない。途中から話を始めても分からないことだらけだろう。
ならば、初めから話そう。
マキリは囲炉裏の火を見つめながら、過去に思いを馳せるように目を閉じる。
「僕はね」
聞くに堪えない話かもしれない。ただ、自分の無様を晒す結果になるだけかもしれない。
けれど、それでいい。
きっと、こうしなければ前には進めないのだ。
ハンターを辞めるという節目の時、マキリは自分の道を、今一度探さなければならない。
客観的な視点を通して、知らなければならない。
自分のこれまでと、これからを。
「昔から臆病者なわけじゃなかったんだ」