金曜日の夕方、明日からの連休をどう過ごそうかマドカと話しながら下校すると、珍しく千冬姉さんが先に帰っていた。
「ただいま姉さん」
「ただいま。……お母さんは?」
「ああ、お帰り。……マドカ、今日の朝食時に父さん達が言っていた事を忘れたのか?」
「目玉焼きをハムハムしてるお兄ちゃんを見るのに忙しくて何も聞いてなかったけど何か?」
姉さんが大きく溜息を吐く。いや、そんな当然ですけどみたいな表情されたそうなるわ。
「全くお前というヤツは……。もう少し周囲に気を配れと言っているだろう。そうすれば私の様に一夏のハムハムを眺めつつちゃんと話を聞き取る事だって出来るのに」
「そっちかい! じゃなくて、俺のハムハムとかどうでもいいから! あれだろ!今日は父さんの会社が新しく海外の企業と業務提携を結ぶ事が決まったから……」
「うむ、向こうの社長がわざわざ来てくれたから隣町のホテルで開かれるパーティーに二人で一緒に出席する事になった。なので今日は父さん達の帰りは遅くなるから三人での夕食となる」
「ぎょーむてーけー?」
「あなたの会社と私の会社で一緒にお仕事しましょうって意味でいいと思うよ」
「そうだな。あまり専門的な事はまだお前達には難しいだろうから今はそう受け取っていればいいさ」
「ふうん。……あれ、ちょっと待って」
衝撃的な事に気づいたとばかりに目を見開くマドカ。何だ? もしかして夜遅くまで父さん達に会えないから寂しくなっ―――。
「という事は、お父さん達が帰ってくるまでお兄ちゃんといちゃラブし放題……!?」
ふおぉぉぉぉぉと鼻息を荒くしだす妹を至近距離で見ることになった兄である僕の気持ちを誰かわかってくれますか?
「はあ……。何を言っているんだお前は」
ね、姉さん! そうだよな。こういう時こそ長姉としてビシッと妹に言ってやってくれ。
「一夏とキャッキャウフフするのは私だ」
ファッ!?!?!?!?
………
……
…
「ただいま~」
夜の十時を回ろうとした頃、玄関からやけに上機嫌な父さんの声が聞こえてきた。なお、現在俺はマドカに膝枕をさせられ(本人は幸せそうに寝ている)、千冬姉さんには肩によりかかられながら匂いを嗅がれている。もう一度言うが匂いを嗅がれている。
「おろ、一夏まだ起きてたのかぁ? 駄目だぞ、子どもはもう寝てなきゃ~」
「いいだろ。明日休みなんだし」
「ただいま千冬。マドカは……寝ちゃったみたいね」
「お帰り母さん。……二人が帰ってくるまで起きているとは言っていたが、一夏に膝枕されてすぐに寝てしまったよ」
「ふふ、昔からお兄ちゃんの膝枕が大好きだものねえ。ひとまずお部屋につれていきましょうか」
起こさないように気をつけつつ、姉さんがマドカを部屋へ運んでいった。数分経って戻ってきた姉さんを入れた四人でそれぞれ腰を下ろす。
「それで、パーティーはどうだったの?」
「楽しかったぞ! 久しぶりに友達にも会えたしな!」
「それって相手の会社に友達がいたって事?」
「そうだぞ。いやあ、アーノルドのヤツ学生の頃よりまたデカくなってて驚いたぞ」
ほー、父さんに外国の友達がいたなんて。アーノルドさんか。……なんか筋肉過ごそうなイメージが勝手にわいて来るよう名前だわ。
「まさか、アイツが社長になるとはなぁ。まあ、留学してた時からこいつは偉くなるぞとは思ってたけど」
「社長!? え、じゃ、じゃあ、父さん社長さんと友達!? いやいやいや、どこで出会ったのさ!?」
「ん? ああ、父さん学生の頃にイギリスの短期留学してたんだが、そのとき向こうの学校で仲良くなったんだ。アーノルドは凄いんだぞ。何せ貴族だからな。オルコット家といったら向こうじゃ名門貴族で、あいつはその中でも傑物と呼ばれていた男だ」
……あるぇ。俺の耳がおかしくなったのかな? 何かイギリスへの短期留学とか他にも色々ツッコみたいところがあったのに、今の話に出てきた家名で全部吹っ飛んだわ。
「と、父さん。アーノルドさんのフルネームって……」
「アーノルド・オルコットだけど、それがどうかしたか?」
聞き間違いじゃなかった! イギリス・貴族・オルコットってもう間違いないじゃん! どう考えても”彼女”のお父さんじゃん! 何でそんな人と友達になってんだウチの父親はぁ!?
「アーノルド・オルコット氏といえば、『オルコット・カンパニー』を大学卒業後に立ち上げ、三年で大企業に育て上げたイギリスでは知らぬ人間のいないといわれるほどの有名人だな」
「あら、詳しいのね千冬」
「ちょうど現代史の授業で出てきたからな。なるほど、アーノルド氏と友人だったからこそ父さんもパーティーに呼ばれたわけか」
「別にそういうわけじゃないわよ。お父さんもアーノルドさんも会場で顔を合わせるまではお互いの事なんて考えてもいなかったみたいだし。どちらかというと、通訳として呼ばれたという方が正しいかしら。この人、英語も入れて七ヶ国語を話せるから」
「なにそれ怖い」
なんなの!? なんなんなの!? この短時間で父親のトンデモぶりが次々に明らかになっていくんですけど! 七ヶ国!? 七ヶ国だと!? どこだよ!? そんなに覚えてどうしたいだよ!?
「ちなみに、私も五ヶ国語を話せるわよ。今回のパーティーには社長婦人と娘さん達も参加されるって聞いてたから私が話し相手になるようにって」
「なにそれ凄い」
母さんよ、あなたもか……。
「そ、そんな技能があるなんて知らなかった」
「べらべらと自慢するものでもないしな。必要な時にさらっと披露するのがスマートな大人ってヤツさ」
か、カッコいい。なんだろう、着替えたシャツからはみ出てるビール腹すらもカッコよく見えてきた。
「母さんがいてくれて助かったよ。おかげでアーノルドのとこの奥さんだけじゃなく、デュノア社長のところの奥さんと娘さんも楽しんでくれてたみたいだし―――」
「そおぉぉぉぉぉぉぉぉい!!!」
「きゃっ!? ちょ、ちょっとどうしたの一夏!?」
「時間を考えろ。近所迷惑だろう」
大声を出す俺を咎める母さんと姉さん。しかし、俺はそれどころではなかった。
「いやいやいやいや! だってデュノアって! 今デュノアって言ったよねこの人!?」
「おいおい、実の父親に向かってこの人はないだろう。それより一夏。お前、デュノアさんの名前に反応するって事は、フランスのデュノア社の事知ってるのか?」
「あ、う、うん、ちょっとだけ」
あんまり下手な事言わないほうがいいわな。そもそも今はまだ”あれ”も存在していないんだし。
「実は今回の業務提携、俺のとこの会社とオルコット・カンパニー、そしてデュノア社の三社合同なんだ。何でウチみたいな会社とイギリス・フランスの大企業が業務提携出来たのか不思議でしょうがないんだけどな。ははは」
「それで、アーノルドさんを交えてお話してたら、デュノア社長ともすっかり仲良くなっちゃったのよこの人。視察の時はぜひ家族を連れて来てくださいなんて言われちゃって」
「そうそう。喜べ千冬、一夏! 夏休みはイギリスとフランスに海外旅行だからな! 今から楽しみにしておけよぉ!」
「わ、わかった……」
「ワーイ、タノシミダナー」
上機嫌の父さんは気づいてないけど、姉さんも若干引いてるよ。だよね、別に俺だけがおかしいわけじゃないよね。
「あ、そうだわ。うふふ、一夏。実はちょっと面白い事があったのよ」
もう止めて! 俺のライフはゼロよ!
「ウチにも子どもが三人いるって話したら、みんなぜひ会いたいって。今日は連れて来てないけど写真でよかったらって携帯のヤツを見せたんだけど……そしたらセシリアちゃんとシャルロットちゃんったらあなたの写真をみて顔を真っ赤にしちゃってたのよ。とっても可愛かったわ~。あ、セシリアちゃんはアーノルドさんの娘さんで、シャルロットちゃんはデュノア社長の娘さんの名前ね」
なに見せた!? 何を見せたんだ母さんよ!? 顔を真っ赤にって……アレか!? 風呂上りに千冬姉さんにタオルを引っ剥がされた時のヤツか!? それとも、去年海でマドカに水着をずり下ろされた時のヤツか!? いたいけな少女達になに見せてんだマジで!
「お、ぉぉぉぉぉぉぉ……」
頭を抱えて蹲る俺。そんな俺を見て母さんは何が面白いのかニヤニヤしている。
(わが息子ながらモテモテね。うふふ、夏休みの視察でこの子にあった二人の反応が楽しみだわ~)
「むう……(嫌な予感がする。かつて、ここまで”お姉ちゃんセンサー”が反応する事はなかった。これはマドカを抱き込んでおく必要がありそうだな)」
「ほれ一夏。よくわからんが、蹲ってないでこの写真でも見て元気出せ。これがアーノルドと奥さん、そしてセシリアちゃんだぞ」
「アッハイ」
「私にも見せてくれ」
(もういい。これ以上はもう何も驚かんしツッコまんぞ!)
―――その密かな決意は写真を見た瞬間に彼方へと吹き飛んだ。
「確かに、可愛らしい娘さんだな」
「……なぁにこれぇ」
そこに写っていたのは、豪奢な衣装に身を包んだハリウッド女優顔負けのスタイル抜群の超絶美女と、お姫様の様なドレスを着た美少女。
そして……そんな二人を両肩に乗せ満面の笑みを浮かべている筋肉モリモリマッチョメンだった。身長はそうだな、隣に立っている父さんが百八十超えだから……うん、この感じだと2mは余裕でいってるなー。すごいなー。今にもスーツが弾け飛びそうだなー。
「ってどこのコマンドーだよ!!!」
悪の組織どころか地球外生物すら片手で捻り潰すだろこの人! オルコット・カンパニーって軍事会社か!? それともプロテインか!? プロテインでも売ってんのか!?
「見た目はちょっと厳ついかもしれんが、お菓子作りが趣味の可愛らしいヤツだぞ。それにいざという時は家族を守る勇気も持ってる」
「そうね。二年前に列車事故に巻き込まれたけど、潰れそうになった客車を押しとどめて奥さんを含めた乗客を見事に救ったって当時は日本でも大ニュースになったものね」
そうして、俺は”彼女”の不幸フラグの一つが二年前に折られていた事を知るのだった。
「あ、そうだわあなた。ちょっとパソコンを借りてもいいかしら」
「どうした。何か調べものか?」
「ええ。デュノア婦人が宝塚に興味があるみたいで、ちょっと資料の請求法とかを調べたいのよ」
同時に、別のフラグも建ったのだが、この時の俺は気づきもしなかった。それを知るのはもう少し先……夏休みであった。
セシリアパパは最初からこうする気でした。なお、デュノアファミリーもえらい事になっているみたいです。