個人的に、過去最高の甘さを実現しました
春の陽気が去り始めると、季節は夏に向けて、急に太陽の色を帯びてくる。けど、その前に。日本には、雨の季節―――梅雨が訪れる。
執務室の大窓の外でも、シトシトと柔らかな雨が降っている。書類にペンを走らせる音に交じって、その音が心の奥底に染み入る。天気は生憎だが、どこか心地良いその雰囲気に、俺は身を委ねていた。
「司令官、司令官」
そんな弾んだ声を出して、秘書艦の吹雪が執務室に戻ってきた。その手には小さなガラスの花瓶がある。これまた子供のように小さな紫の紫陽花が、そっと咲き誇っていた。
その花瓶を、吹雪が花のような笑みで俺に見せびらかしてきた。
「龍田さんがくれたんですよ」
「ほう・・・」
改めて、今が梅雨であることを思い知らされる。水をやったばかりなのだろう、紫陽花の花弁には、雨粒の小さな水滴が付いている。鎮守府の庁舎前辺りに咲いている紫陽花を世話しているのは、軽巡洋艦娘の龍田だ。
「可愛いな」
「可愛いですよね。梅雨、って感じです」
余程嬉しかったのだろう。スキップでも踏みそうな勢いで窓の前の棚に歩み寄った吹雪は、二人で撮った写真の横に紫陽花を添える。妖精さんに手伝ってもらって模様替えした壁紙に、淡い紫はよく映えた。
―――可愛いなあ。
棚の上の紫陽花を満足げに見ている吹雪は、この上なく可愛い。俺にとっては、どんな花よりも可憐な、大切にしたい存在だ。
―――なんて。恥ずかしくて言えないけど。
吹雪の方が、俺よりよっぽど肝が据わってるな。
「そろそろお昼御飯ですけど、書類終わりましたか?」
「ん、後少しで終わる。悪いけど、ちょっと待ってくれ」
吹雪がいるだけで、執務のスピードが二倍になる気がした。
「いらっしゃいませー」
食堂に入ると、給糧艦娘の間宮が明るい声で出迎えてくれた。いつも通りの割烹着には、胸元に季節感満載の紫陽花の刺繍が入れられている。食堂のメニューも、梅雨限定のものが増えていた。
「今日はどうしますか?」
「A定食で」
俺の答えに、間宮が「変わり映えしませんねえ」と苦笑した。
「吹雪はどうする?」
俺の隣で、吹雪はかわいらしく人差し指を唇に当て、悩んでいる。視線の先は、梅雨の限定メニューだろうか。
「紫陽花定食で、お願いします」
「はーい。A定食と紫陽花定食ですね」
紫陽花定食・・・。まったく、どんなものなのか想像もつかない。
俺と吹雪のオーダーを受けて、間宮がパタパタと動き始める。トレーの上に、小鉢やおかずが並べられて、最後にホカホカと湯気を上げるご飯の茶碗が置かれた。執務終わりのお腹がすいた時分には、それだけでよだれが出てきそうだ。
「はい、お待たせしました」
「おう、ありがとう」
「ありがとうございます」
トレーを持って、手空きの席に着く。向かいに腰掛けた吹雪の、紫陽花定食の内容が、気になってしょうがない。
冷しゃぶのサラダ。アスパラガスのベーコン巻き。ナスの味噌汁。季節のメニューらしい、素朴なおかず。
・・・あれ、紫陽花要素は?
「「いただきます」」
何はともあれ、二人で手を合わせた。控えめで、乾いた音。律儀に一礼した吹雪は、顔を上げるとすぐに箸を取った。
「季節のメニューもなかなかいいな」
「そうですよね?」
天気は生憎だが、吹雪の笑顔は太陽のように明るい。俺の心がほっこりとする、彼女の魅力だ。
「司令官も、たまにはA定食以外を頼めばいいのに」
「俺はこれが好きなんだよ」
「知ってます」
眉を八の字に下げて、吹雪は苦笑した。ちょっと困った様子のその顔がかわいい。
「吹雪は、新メニューが好きだよな。なんでだ?」
「え・・っと」
俺の質問に、吹雪がモジモジと目を泳がせ、頬を染める。これは、もしかしたら最大級にかわいい理由が飛び出すかもしれない。理性を失わない覚悟を、俺も固めて、吹雪の言葉を待った。
「司令官と、おかずを交換するのが好きだからです」
ほんのりと頬を染めながら、吹雪はそんなことを言った。
・・・。
・・・・・。
はい、可愛い。とにかく可愛い。俺の嫁が、こんなに可愛い。
「そ、そうか」
「そうです」
自然と、笑みが漏れてしまった。太陽に照らされた、ポカポカ陽気のような、暖かな気持ちだ。この心から溢れる、俺の想いだ。
「・・・ベーコン巻き、一つくれるか?」
尋ねた俺に、吹雪はキラキラと目を輝かせて、
「はいっ!もちろんです!」
お陽様のように、朗らかな笑みを滲ませた。
「・・・今日も、雨でしたね」
一日が終わる頃。妖精さんがこしらえてくれた俺たちの部屋で、風呂上がりの吹雪が窓の外を眺めながらポツリと呟いた。
時刻は、間もなく十時。外は深い闇に包まれているが、トツトツと雨粒が窓を打つ。雨は、まだ降り続けていた。
「雨、だったな」
まあ、梅雨という季節だから、半分くらいはしょうがないところもある。俺は決して嫌いではないが、吹雪はそうではないのかもしれない。
「梅雨は、嫌いか?」
「嫌いじゃないですけど・・・」
少し曇っている窓を指でツンツクとつつきながら、吹雪は唇を尖らせる。外が暗いから、窓に映った彼女の表情がはっきり見えた。
「せっかく、執務終わりに暇があったのに、デートできなかったなあ、って」
・・・。
・・・・・。
はい、可愛い。とにかく可愛い。俺の嫁が、こんなに可愛い。天使か。
こうして。不意打ちに可愛いことを言うから。そのうち俺の理性が飛んでも知らないよ?
ギュッ
何とか理性を繋ぎ止めた俺は、後ろから吹雪を抱きしめる。小柄な彼女は、こうするとすっぽり俺の腕の中に納まってしまう。大事な俺の宝物。大切な俺の相棒。なくてはならない俺の大好きな人。
「司令官・・・?」
「デート、か。ちょっと待ってて」
俺の口元にある吹雪の右耳に囁いて、右手を窓に伸ばす。人差し指が、結露した表面に触れて、冷たく心地いい。
キュッキュッ
窓の表面に指を這わせ、俺は絵を描く。あまり上手くないのは勘弁してくれ。俺に絵心はない。
描いたのは、傘だ。三角から棒を伸ばしただけの、簡単な奴じゃない。天気予報の雨マークぐらい複雑だ。
傘の柄の右側に、俺の名前。左側に、吹雪の名前。
「これでどうだ?」
「・・・二人で、雨の日デートですね」
「そう。相合い傘デートだな」
俺の言葉に、吹雪はコロコロと笑った。気に入ってもらえたみたいだ。
「司令官にしては、いいと思います」
「俺にしては、は余計だろ」
鏡のような漆黒の窓に向かって、二人で笑う。それが、この上なく幸せだ。
「そろそろ寝るか。明日も仕事だ」
「はい。でも、ちょっと待ってください」
そう言った吹雪は、そっと俺の描いた相合い傘に手を伸ばす。キュッ。細くて白い彼女の指が、俺と同じように窓の表面をなぞった。
傘の上に、ハートマークが描かれる。正真正銘の、愛々傘だ。
「これで、完成です」
誇らしげにする彼女が、たまらなく愛おしかった。
「吹雪」
「はい?」
俺の呼びかけに振り向いた吹雪の唇に、俺の唇を重ねる。濡れそぼった紫陽花のように、潤った優しい感触。目の前にある、雨上がりのようにきらめく瞳。
ほんの数秒のキスは、彼女の意表を突いたらしい。フニフニと柔らかい彼女のほっぺが、林檎のように赤く染まっていた。
「ふ、不意打ちはダメですっ」
「いやあ、吹雪が可愛いから、つい」
「も、もうっ。なんですかそれ」
その苦言すらも、愛おしい。結局、もう一度キスを交わして、俺たちは布団に入った。
梅雨の季節も、俺たちは一緒だ。
現在、遅ればせながら七夕編を書いております
できれば今夜中には投稿したいのですが・・・
急ピッチで頑張りますので、応援していただけると幸いです